TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 気になる人形遣い4人 −勝手に技芸員名鑑2 細雪篇−

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お気に入りの技芸員さんを紹介する記事、第2弾。今回は、私が良いと思っている女方人形遣いさん4人について書きます。

文楽人形遣いというのは、浄瑠璃に即した人物造形を求められます。しかし、浄瑠璃はいつも同じ文章、人形もみんな同じ顔をしているはずなのに、人形遣いによってその人形から受ける印象はかなり変わってきます。娘役なら、極限的に可憐な人がいたり、ちょっと色っぽく傾く人がいたり、少しぼんやりした子に見える人がいたり。同じ役であっても、配役によってだいぶ印象が変わるというのが、私にとっての文楽の人形の魅力です。

文楽は現在休演が続いていますが、その間の施策として、昨年文楽劇場で上演された『仮名手本忠臣蔵』の舞台映像ダイジェストがYoutubeで期間限定公開されており、様々な人形遣いさんの演技を映像で見られるようになっています。今回は、これらの公式映像を紹介し、人形使いさんたちの舞台実演を一緒に観ていただけるよう記事を構成してみました。
(『仮名手本忠臣蔵』映像はこのブログの埋め込みからはダイレクトに再生ができないため、再生ボタンを押すと現れる「この動画はYoutubeでご覧ください」というリンクからYoutubeへ飛んでご覧ください)

INDEX

 

 

┃ 1. 桐竹勘壽(きりたけ・かんじゅ)

#老女方 #おばあちゃん #奥様 #熟女マニア #世話物 #辛口の悪役 #清々しさ #画数が多い

 
 
 
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写真右から2番目 『摂州合邦辻』合邦女房

 

旧家で大切に育てられたお嬢様がレディになり、宮家に嫁いでより上品な奥様になりました的な品のある人。洗練性と知的な品格があり、派手な芝居のない役であっても観客を舞台全体に惹きつけ、印象を深める。

配役は、奥様、おばあちゃん系が多い。
『菅原伝授手習鑑』寺子屋の段、源蔵の女房である戸浪は、寺子屋のおかみさんとして「山家育ち」のイモ・チルドレンをうまくいなしつつ、しかしながら都から落ちてきたワケアリ奥さんの色気も漂わせているのが絶品。寺子屋に通う子供たちが熟女マニアになってしまいそうな勢いであった。

一方、『近頃河原の達引』堀川猿回しの段の与次郎の母は、貧苦の中、近所の子どもに三味線を教えて家計の足しにしている。痩せたおばあさんの人形で、貧乏に疲れてはいるが、下世話ではなく、じんわりと優しそうな雰囲気を湛えていて、こじんまりとした庶民の日々の営みを感じさせる芝居だった。盲目の母は、与次郎や娘カップルたちが騒ぎちらす中、すこし頭を傾けて周囲によく耳を済ましているのと、三味線の稽古のときの三味線の構え方がリアルだった(特に三味線の胴に手首を引っ掛ける角度)。こうしたわざとらしくないディティールにこれまで過ごした歳月や生活が滲み出て、世話物の空気を作り出すのだなと感じた。

と、ずいぶん長いこと、勘壽さんといえばお母さん・おばあちゃん役だと思っていたのだが、最近、「いいなあ」と感じるのは、カラッとした品のある男性役。
印象的だったのは、『心中天網島』北新地河庄の段の太兵衛、『曲輪文章』吉田屋の段の喜左衛門といった世話物の旦那役の円熟ぶり。太兵衛は主人公・治兵衛に嫌がらせをする悪役だが、商人としては裕福な部類で、主人公である治兵衛よりも金を持っており、遊びや遊所での身のこなしを知っている。喜左衛門は新町の大きな揚屋・吉田屋の主で、大店の主人にふさわしく世渡りに長け、腰は低いが洗練された佇まいの人物。零落した主人公・伊左衛門にも、かつての上客だった頃と変わりない態度で接する。両者とも単調ではなく、絶妙のニュアンスを必要とする役。この2つの役のベースとなる上品さと、それぞれの性質に基づくニュアンスの演じ分けにはかなり納得させられた。とにかく、垢抜けているんですね。気張らないのにセンスがある人ということが伝わる。姿勢や歩き方、背の伸ばし方や肩との関係、袖のさばき、あごの使い方等のちょっとしたニュアンスで垢抜けた印象が出ているのだろう。双方とも、少し近代的な、知的な佇まいがあるのも印象的。*1

勘壽さんを観ていて思い出すのは、加藤泰の明治ものの映画。日差しがやや強くなってきた春の初め頃のような、気分の高揚する空気感の中を通り過ぎていく、清々しく気持ちのよい心根をもった登場人物たち。共通するのは、上品で洗練されているが、ただ上品なだけではなく、人柄や体温といった生っぽいリアリティを感じさせるところに、味があるという点。きっとむかしはこういう人がいたんだろうと思わされる。誰も見たこともない300年前の上方の商家の、手垢で暗く光る古びた木の柱、人が通るところだけ少し擦れて色が褪せたのれん、清潔に磨き上げられた床板は人が歩くときゅっきゅと音を立て、部屋の片隅の奥まったところには少し湿った埃の匂いがしている。文楽劇場の書割の商家まで立体的に見えてくるというのは、他の方にないのではないかと思う。映画では人間の役者を使いセットを組んでいるのでリアリティは格別だが、人形浄瑠璃で観客にイマジネーションを与える余地のある芸というのは、すごい。文楽人形のかしらは意図的に余地を残して「未完成」に作られており、人形遣いが遣うことで「完成」すると聞いたことがあるが、芸にもそれがあるのだろうか。観客がいて、観客の想像力があって成立する佇まいであると感じる。

ところで勘壽さんは私の中では道端での遭遇率が高い技芸員さんのおひとり。帰り際などに時折「あら、勘壽さんが歩いていらっしゃるわ☆話しかけてみようかしら☆」と思うも、実際には「あ……」あたりですでに数十メートル引き離されている。上品な雰囲気からゆっくりエレガントなイメージがあったけど、超すばやい勘壽さんだった。(本当にすばやい)

 

《動画で観る勘壽さん》
『仮名手本忠臣蔵』七段目 祇園一力茶屋の段 斧九太夫(2019/国立文楽劇場
こちらは時代物に登場するタイプの「上品な悪役」。結構いいご身分の侍なのに、実は由良助を裏切っているという、やらしい辛口の上品さが冴えてます。このときは床の竹本三輪太夫さんともマッチしていて、とても良かったですね。三輪さんの上品クソジジイは最高です。(映像26:36あたりから登場、グレーの着物を着たジジイ)

 

 

 

 

┃ 2. 豊松清十郎(とよまつ・せいじゅうろう)

#娘 #悲惨 #悲劇のヒロイン #美青年 #清純 #文楽業界の北川景子 #レア苗字 #アイドルブログ  

 
 
 
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写真左 『艶容女舞衣』お園

 

突然ですが、私はいつも清十郎がひどい目に遭いますようにと願っています😌🙏

人に向かってそんな願いないだろ!!! と思われるかもしれませんが、文楽見てる人はみんな清十郎がひどい目に遭いますようにと願っているに違いない(巨大主語)。

現代文楽随一の儚く清純な雰囲気、薄幸のヒロインオーラに満ち満ちた人。不幸な役、悲惨な役、ひどい目に遭う役が映え、『奥州安達原』環の宮明御殿の段で貧苦の挙句凍え死ぬ袖萩、『出世景清』六条河原の段で無体に拷問される小野姫など、やたら悲惨な目に遭う役が異様に似合う。ズタボロな落ちぶれぶり、漂う不幸オーラが尋常ではない。文楽には悲劇が多いが、清十郎さんは文楽的悲劇とはまた違う、不幸、薄幸な感じがいい。*2
個人的にはシンプルなド悲惨役、ただただ惨たらしく殺されるという悲惨すぎる『国言詢音頭』の菊野が好みだった。菊野は生きながら臓物を抉られるという「そんな役あるか!?」という衝撃の悲惨役。犯人・初右衛門に捕まってからは首を締め上げられるので体が宙に浮き、腕はそこに預けるかたちになるので、胴体と足の動きで感情や痛みを表現しなければならない。その身をよじる仕草に静かな悲惨みがあり、だんだん体がバラバラになって死んでいくのが生臭くなくも真に迫って、さすが清十郎と思わされた。

悲惨な役の中でも、現代文楽に意義ある演技だと感じたのは、『心中天網島』天満紙屋内の段のおさん。夫治兵衛は遊女・小春に入れ揚げて家に居つかず、小春と相談した上で別れさせてもなおウジウジと小春に執着し続ける、なのにおさんはそれでも治兵衛を立てようとするというシチュエーションは、現代においては理不尽すぎる。“昔”は近松の登場人物って“リアル”だと言われていたんだろうけど、それは“昔”のジェンダー観からそう感じられていたのであって、現代ではとてもじゃないけど美化できない。特に、おさん・小春には「シチュエーション」は感じても、彼女らそれぞれの固有の人格を感じないのが殊に厳しいところだ。
その上で、現代において近松ものを上演するには、女性登場人物をどう表現するかが鍵になると思っている。清十郎さんのおさんは、家の中であっても対外的な面・至極プライベートな面の演じ分けをすることで、どうしたらおさんのような登場人物が現代に生き得るかが表現されていたと思う。お店の切り盛りや子供の世話をしているうちは、商家に生まれ育ち商人の妻になった女性として責任をもった態度でさかんに動き回っているが、夫・治兵衛と二人きりになると、いままでこらえていたものが一気に溢れ出したようにいっしんに心情を訴えていて、家の中にしか社会がない彼女が、最低最悪のクズ男をそれでもまだ信用しようとする純粋さを哀れに思ったものだ。普通にやっては単なる古臭い造形のところ、シチュエーションからくる受動的悲惨さを抑え、彼女自身の感情を表現することで、今日に共感できるリアルさが描出されていた。

また、同じ方向性では、『艶容女舞衣』酒屋の段のお園を清純に演じておられたのもよかった。お園は一切家に帰ってこない夫・半七を3年も待ちわびているというおさん以上にありえないクソシチュエーションに耐えている女だが、それを単なる旧弊で悲惨な女性にせず、彼女のいっしんさを引き立てて清楚に演じておられたのがよかった。お園の特性は突き抜けたいっしんさであり、単なる受け身の悲劇のヒロインではないことが舞台上に表現されていた。そして、お園さんはシチュエーションがありえなさすぎ&本人に勢いがありすぎて共感一切不可能の文楽一狂った女だが、そういう意味でのクソヤバ女になっていなかったのも良かった。*3

女方以外だと、「勧進帳」義経の切り花のようなみずみずしさが印象的。私は、文楽において「意味なし美男」の役って結構難しいんじゃないかと思っている。文楽はお人形さんなので「顔がいい」のは当たり前で、容姿は美しくて当然、そこがスタートライン。なので、そこから、その容姿をどう見せていくか。あのときの義経はその着地点を見据えた遣い方だったと思う。兄に疎まれ、わずかな家臣とともに陸奥に下るしかない悲劇の貴公子ぶりが際立っていた。義経は長時間笠をかぶってうずくまっている状態が続き、派手な見せ場も少ないのに、よくぞ印象に残る義経像を描写されたものだと驚いた。

あと、清十郎ブログは更新頻度のムラぶりや、そこはかとなく不安にさせてくる頻繁な改行が地下アイドルっぽくて、良い。弟子が出来たときのブログはめちゃくちゃ爆笑した。(リンクは貼らないので、「豊松清十郎 ブログ」で検索してください)

 

《動画で観る清十郎》
『妹背山婦女庭訓』四段目 杉酒屋の段・道行恋苧環 烏帽子折求女(たぶん2016/国立文楽劇場
人形特有の、透明感ある美男子。勘十郎さんと勘彌さんに囲まれてキーーーーー!!!!!!とされたら、並の男なら切腹してしまいそうですが(その前に心筋梗塞で倒れそう)、まったく動じていないのが良いです。求馬・実は藤原淡海は、大義に凝り固まっていはいるがそれ以外の中身はまったくない、虚構的な美男子。その中身のなさを、通し上演の中で良い意味で表現されていたと思う。良い意味でまったく人柄が感じられず、「中身がない」と「技芸がない」は違うということを思い知らされた。通し上演だと物語そのもののカロリーが高いので、中身のない役は重要である。(映像1:03くらいから登場、黒い着物を着た若い男性)

 

 

 

 

┃ 3. 吉田勘彌(よしだ・かんや)

#娘 #姫 #高貴 #色気 #気品 #クズ男も時々やってます #最近老女方もいい #隣の奥さん #隣家の男子高校生が勉強手につかない

 
 
 
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写真左 『鎌倉三代記』時姫

 

「ありえない」色気と気品を持った人。

以前にも書いたことがあるが、女方人形遣いさんでもその女性像が現実寄りの人と、フィクション寄りの人がいる。勘彌さんは「ありえない」、フィクション寄りの女性像。生臭さの一切ない、近づきがたい色気を放ち、まさに人形浄瑠璃ならではの虚構を構築している。なんともいえないその「高嶺の花」感がたまらない。お高く止まってるのとはまた違う、生来の高貴さというか、他人をバッタ程度にしか思ってなくて自然体にこっちを下に見てきそうな、神々しいまでの雲の上の天然美女オーラが良い。キラキラ輝く宝石をふんだんにあしらった、老舗メゾンの、しかしモダンなジュエリーのような、眩く繊細な輝きが魅力だ。

印象に残っているのは『玉藻前曦袂』訴訟の段の傾城亀菊。亀菊は薄雲皇子より女御に召された遊女という設定で、突然御殿に傾城の姿で登場し、御殿勤務の人々の人生相談に答えるという、いかにも芝居らしいめちゃくちゃな役。立兵庫に豪奢な打掛の傾城姿で禿を引き連れ御殿に入ってくる姿からしてかなりスパークしているが、美貌・教養・度胸を兼ね備えた傾城ぶりで、驚異的にしっくりきていた。

一方、『一谷嫰軍記』熊谷陣屋の段の藤の局は、イキオイで人の陣屋へ押しかけてきたという文楽らしいパッショネイト炸裂の役ながら、平家の公達の妻である元来の身分や気位の高さを感じさせる怜悧な美貌と威厳が光っていた。
文楽では身分の表現というのは極めて重要だ。しかし、単に所作をおっとりする、丁寧にするというだけだと、それは身分表現とはちょっと違うと思う。『義経千本桜』すしやの段後半の維盛の言動*4などで顕著だが、時代物での身分の高い人というのは、現代の感覚、あるいは家臣等のパンピーとはものの考え方が根本的に違い、人を下に見ている。藤の局には、そのある意味では冷淡な、天然の身分高い人感があったのがとてもよかった。何が彼女をそう見せているかはわからなかったが(本当はそこをわかりたいし、この記事にも書きたかったのだが)、作ったような「身分」感ではなく、生まれ持っての気品で相模や熊谷を圧倒し、あまりにもナチュラルに上座にチョコ!と座っていたのがとてもイイ(これの娘・姫役バージョンで、『妹背山婦女庭訓』の橘姫も「お三輪とはあからさまに身分が違う」、雲の上のお嬢様感がかなりよかった)。
しかし、藤の局はそれだけではない。息子・敦盛のこととなると情緒が溢れるほどに満ち満ちて、青葉の笛に頬ずりする場面のしっとりした柔らかさは強く印象に残っている。これによって人物像が単調にならず、藤の局に流れる血の暖かさ、人間味がそこに表現されていた。

勘彌さんは、人形の体が華奢に、小柄に見える遣い方も魅力的。人形ならではの「ちょこん」とした可憐な佇まいが愛くるしい。基本的に人形のかしらや衣装は全員共用で、誰もがほぼ同じものを使っているはずなのに、人形遣いさんによって体格や佇まいがかなり違って見える。勘彌さんは女方人形遣いの中でも人形に華奢な可憐さがあって、かなり好み。抜襟の度合いなどの着付、体をちぢめてコンパクトに構える等で「ちょこん」とした佇まいを出しているのだと思うが、見た瞬間まじで可愛い😍ので、出てきて、座るだけで、もう、大満足。
『菅原伝授手習鑑』佐太村の八重は、白太夫の息子三兄弟の嫁たちの中でも一番若い、娘風の奥さん。観たのは内子座の下手桟敷前方席。舞台に対してほぼ真横から見るような状況だったが、普通はかなり見づらいところ、義父白太夫のほうに少し身を乗り出して、一生懸命にきゅっと顔を向を向ける八重の横顔があまりに愛らしくて、胸キュン。席の観づらさを忘れる可愛さだった。微妙に背骨S字湾曲風なチョコ座りが良かったですね。

最近グッとくるのが、「隣家のお色気奥さん」系の役。
『桂川連理柵』のお絹の色っぽさは超絶品。お絹は隣家の14歳の娘と過ちを犯した夫・長右衛門を本人に気づかれずフォローするため、隣のアホ丁稚を買収したり、難癖つけてくる義弟・儀兵衛を言いくるめたりと、アレコレ忙しく立ち回り、最後、夫と2人きりになるまで、寡黙にじっと耐えている。そのうちの冒頭、六角堂の段では、お絹は冒頭、お高祖頭巾姿で登場する。目元だけが見える覆面のお高祖頭巾って不気味な印象で、いままで何がいいんだかわからなかったが……、……………イイ!!!!! 人形の顔がほとんど見えないなんてもったいないと思ったけど、逆!!!!!! むしろ、ちょっとしか見えないのが良い。人形はお高祖頭巾・笠など、顔を覆うものを被っているとかしらの動きのニュアンスがわかりづらくなると思うが、それをプラスに転化させるかしらの遣い方。お高祖頭巾からすこしだけ覗いている目元から、秘めた美貌と想いがこぼれ出ているようで、超最高だった。

最後に不規則発言をするが、文楽ビキニアーマーの姫騎士が出てくる演目が上演されたら、その強気な姫の配役は絶対勘彌さんに飛んでくると思うわ。

 

《映像で観る勘彌さん》
『仮名手本忠臣蔵』九段目 山科閑居の段 妻お石(2019/国立文楽劇場
隣の奥さんシリーズ時代物ver。気品ある老女方。お石は文楽忠臣蔵でも非常に難しいとされる九段目にのみ登場し、息子・力弥の許嫁である小浪母子に対し、本心を隠して拒絶し続けるという複雑な役。雪景色に映える黒い着付、冷たく張り詰めた美貌が最高です。漆黒の衣装の女方は良いですね。衣装が落ち着いているぶん、内面から放たれる美しさが浮き上がります。(映像3:37あたりから登場、黒い着物を着た女性)

 

 

 

 

┃ 4. 桐竹紋臣(きりたけ・もんとみ)

#娘 #姫 #ロリ #おぼこ #お嬢様も意外といい #婀娜っぽい系もいい #舞踊 #正月1演目目レギュラー

 
 
 
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写真中央 『妹背山婦女庭訓』采女(残念ながら出遣いの公式写真がなかった……)

 

ロリキャラ。若手会に出てるけど、絶対若手のレベルじゃないだろ!!めっちゃ浮いとるわ!!!!!と思わせる、純粋な可憐さと洗練性を併せ持つ人。

恋する若い娘役での可憐さ、恋人へのひたむきさが大変印象的。『伊達娘恋緋鹿子』火の見櫓の段のお七は、フンワリと花びらが舞うような愛らしさだった。舞台に降りしきる雪とあいまって、やわらかで儚げな佇まいが可愛らしかった。お七は後半、髪を振り乱して火の見櫓に登り、恋する男のために半鐘を打つという激しい行動に出る。それでもガサツだったり強靭だったりする印象に転ばず、いっしんで可憐な印象であり続けるというのは、稀有な才覚かと思う。大きな動きを伴っていても所作の整理が的確に行われており、動きに雑味や濁りがないのも大変に良かった。「人形がどこを見ているのか」という目線の的確さも印象的で、その目線の演技のうちに、目の前に恋人がいてもいなくても、その恋人だけを見ているという人形らしい限りない純粋性が表現されていた。

一方、おぼこくない、洗練された美貌の娘役も見事。中でも『新版歌祭文』野崎村の段のお染役がバチッとはまっていたのが強く印象に残っている。そのときは在所娘のお光が勘彌さん、都会娘のお染が紋臣さんで、お客さん全員「「「「逆では?????」」」」と思ったのだが(巨大主語)、実際はじまってみたら、そのお染は、都会の大店のお嬢さんが在所でめちゃくちゃに浮いている!!という異次元感が非常によく出ていて、驚かされた。お里や久作、ひいては久松といった在所の人々とはもう芯から何もかもが違うことが見た瞬間ピンとくる、実に都会的で上品な美麗さ。おぼこ娘が似合うというのはご本人の外見に引っ張られた思い込みだったなと思った。
洗練された美貌といえば、『夏祭浪花鑑』の傾城琴浦も上品で、かつ色っぽくて、可愛かったなあ。いい匂いがしそうなべっぴんさんがクソ男にやきもちを焼いてプンプンしているのがエロ可愛かった。お客さんみんなそう言うてました(巨大主語)。

また、舞踊がお上手で、景事(舞踊演目)への配役が多い。舞踊は上手い人と下手な人の落差が激しく、やばい事故が起こりがちなため、所作の綺麗な紋臣さんが出ていると安心する。特に、正月一発目の演目への出現率の高さがすごい。初春公演・第一部最初の演目は例年景事が据えられているが、2020年1月初春公演まで、4年連続で配役*5。個人的には、『二人禿』の妹禿チャンの小悪魔ロリ可愛さが思い出される。通常の演目でも、道行のような舞踊要素が強い演目は優位。昨年の若手会『妹背山婦女庭訓』道行恋の苧環のお三輪役では、共演者を圧倒する迫力だった。舞台のバランスが崩れるほどの覇気、おそらく他の人を無視してやってんだと思う。次にお三輪の役がくるのはずっと先になるであろうから、それでいいと思う。

こう言ってしまうのもなんだけど、紋臣さんは毎公演良い役がつく方ではない。が、それを感じさせないほどに所作が非常に洗練されている。一瞬しか出てこないチョイ役のような苦しい配役が続くこともあるのに……。客からは窺い知れない努力によるものなのだろう。もっといい役がつけば、もっと上にいける人だと思う。
今年の若手会は中止になってしまったのでわからないが、さすがに来年は若手会から外れていることを願ってやまない。

(ちなみにご本人の写真は、文楽劇場友の会のバックステージツアー記事に載せてあります。舞台見学のアテンドと人形のレクチャーをしてくださいました)

 

《動画で観る紋臣さん》
『仮名手本忠臣蔵』二段目 桃井館力弥使者の段・本蔵松切の段 娘小浪(2019/国立文楽劇場
おぼこぶり炸裂の好配役。これも出遣いじゃなくて残念ですが、黒衣である分、人形の可憐さが引き立ちます。恋する力弥の顔をぼーーーっと見ながら、ちょこ、ちょこ……と近づいていく姿がなんとも愛らしい。小浪の純粋な恋心を、紅潮した目線が語っています。小浪は大名の姫君等ではなく、大きくはない藩の家老の娘ということで、ちょっと地味目お嬢様なのも良いです。(映像10:43あたりから登場、紫の振袖を着た娘さん)

 

 

 

ここで紹介しているのは、「私が好きな人」です。

前回記事でも書きましたが、文楽の技芸員さんは歌舞伎や落語等に比べて知名度が低く、初めて文楽を観に行くと、「親戚におった気がする……」としか思えないおじさん・お兄さんたちが舞台上にビッシリひしめいていることに衝撃を受けます。まじ誰ひとりとしてわからん。おじさんバリエの取り揃え具合がすごいことだけはめっちゃわかる。

しかし、ずっと通っていると、その人ならではの魅力を持っている技芸員さん、地味な役でもキッチリこなして舞台を盛り上げる力を持った技芸員さんがいることに気付きます。初めて観たときから「この人は!」と思うこともあれば、通っているうちに意外な魅力に気づくこともありました。

自分が「この人は!」と思ったとしても、他の人にはその人のよさが理解されていないことがあります。お客さんの注目は、有名な人・いい役をやる人へ極端に偏るのだなと感じたり。これには、文楽は業界が小さすぎて、個々の技芸員さんに関する情報はほとんど外へ露出することはなく、どういう人だかわかんないから、というのが大きいのでしょう。また、文楽にはどういう評価軸があるのかが観客間で共有されていないのもあるとも思います。どこを見たらいいかのとっかかりが全くわからないと理解のしようがなく、いちいちそこまで考えて舞台を見切れないというのも事実だと思います。自分もそれは同じです。
(人形の場合、番付で格付けがわかるため、それを評価軸にする方法がありますが、番付、「わかる人にはわかる」としか言えない書き方がされているので、なかなか見破れません。まんなからへんの文字、尋常じゃなくほっっっそいし)

一方で、「この人はすごい」という言説が大きくない人であっても、知り合いの方などと話すと、その方も同じようにその技芸員さんを評価しているということもよくあります。さっきの話とは真逆ですけど、「見ている人は見ている」と言いますか、言葉に出さないだけで、やっぱりみんな実はよく見ているんだな〜と思います。やはり人と話すことは大事だと思います。

「私が好きな人」というのは「上手い人」(あるいは「有名な人」「いい役をやる人」)とは違った評価軸ですが、「私はなぜその人を好きか」というのを語らないと、そういった会話もはじまらないので、こういった記事を書いてみたいと思ったのでした。

 

 

 

┃ バックナンバー

第1弾記事はこちら。吉田簑助さん、吉田和生さん、桐竹勘十郎さん、吉田玉男さん、吉田玉也さん、吉田玉志さんについて書いています。

 

 

 

 

 

*1:むかしの文楽のパンフレットを読んでいたときに知ったんだけど、勘壽さんて昔は若い男性役に期待されてたそうだ(勘壽さんの若手時代のパンフだったので、そういう書き方だった)。それが時を経て、太兵衛や喜左衛門のようなキャラクターに結実したのかなあ。ずっと女性の役をやってきたと勝手に思っていたので、意外だった。

*2:自分が清十郎is不幸の偏見を持っているのではないかと思い、2019年の配役を調べてみたが、なかなか不幸づくしだった。

  • 1月 クズ男が公金横領(梅川/冥途の飛脚) 不幸度★★★★★
  • 2月 隣家のおじさんと心中する14歳(お半/桂川連理柵) 不幸度★★★★★
  • 3月 金持ちのお嬢様に男をとられ、尼になる(お光/新版歌祭文) 不幸度★★★★★
  • 4月 コンビニの前のいぬのように桜の木に繋がれる(雪姫/祇園祭礼信仰記) 不幸度★★★☆☆
  • 5月 おっ、これは不幸じゃないぞ!何も考えてないクズ男!(藤原淡海・求馬/妹背山婦女庭訓) 不幸度☆☆☆☆
  • 6月 ザ・文楽な悲劇、息子見殺し(千代/菅原伝授手習鑑) 不幸度★★★★☆
  • 7〜8月 田舎者を侮って惨殺される(菊野/国言詢音頭) 不幸度★★★★★
  • 9月 クズ夫が家に帰ってこない(お園/艶容女舞衣) 不幸度★★★★★
  • 10月 好きな男と延々すれ違い。でもすれ違ってるだけで死に別れてるわけじゃないからな〜(深雪/生写朝顔話) 不幸度★★☆☆☆
  • 11月 クズ夫が家に帰ってこないReturns(おさん/心中天網島) 不幸度★★★★★
  • 12月 おっこれも比較的まともだ!都会のイケメンと恋に落ちる海女!(千鳥/平家女護島) 不幸度★☆☆☆☆

と、私の計算では2019年の清十郎不幸率は90%だった。比較として配役や芸風が近い勘彌さんの不幸率を計測してみると、33%。勘彌さんはうすらクズの美青年役も多いのであまり参考にはならないかもしれない。老女方系だと和生さんは不幸率60%だった。

*3:現代文楽的でたまに起こる事故、「登場人物のサイコパスぶりが素直に発現」。

*4:維盛の妻子を守って命を落とした小金吾に対し、「生きては忠義を尽くせなかった」というようなことを言う場面があり、結構怖い。

*5:2016年は第一部に豊竹嶋太夫引退公演があったため景事が第二部に回っており、そこにご出演。それ以前は2014年、2012年に配役あり。