TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 内子座文楽『菅原伝授手習鑑』『団子売』内子座

今年は『菅原伝授手習鑑』の半通しということで、2年ぶりに行ってまいりました内子座文楽

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ふたたび訪ねてみて、内子座、すばらしい建物であると改めて実感した。和と洋が混じり合った大正期独特の空気感をいまもなお残していて、白壁にいかめしい瓦の乗った外観も、古色を帯びた木の色が艶やかな内観も、本当に美しい。コンパクトな芝居小屋だけど、大劇場の公演に向かない文楽にはかえって良い。今回も西桟敷席をゲットし、ゆとりある椅子席で長時間観劇の準備は万端。

 

 

 

まず午前の部は『菅原伝授手習鑑』茶筅酒の段〜喧嘩の段〜桜丸切腹の段。

人形の配役は、白太夫=吉田玉也、八重=吉田勘彌、春=吉田文昇、千代=桐竹勘十郎、梅王丸=吉田玉助、松王丸=吉田玉男、桜丸=吉田和生、百姓十作=吉田勘市。

ここでの見どころはやはり桜丸が和生さんという配役。和生さんの桜丸、凛々しい美青年だった。簑助さんの桜丸は少年風、中性的で儚げで危うい感じだったが、和生さんの桜丸はもっと大人っぽく青年風で、松王丸・梅王丸にすこし近い感じ。白太夫や八重が騒ぐのをじいっと腕組みして黙って聞いている仕草に覚悟のほどが滲んでいた。

そしてもうおひとり、いや、ぶち抜きでよかったのは八重役の勘彌さん。あまりの可憐さと美しさに思わず合掌した。もうこれで私も玉三郎や簑助様に合掌しているヤバイ爺さんをバカにできない*1。これからはありがたいもんを見たら合掌する。

八重は頭をさげる仕草の体の折り曲げ方がことに美しい。なんといえばいいのか、腰から背中、首、頭にかけてドミノ倒しのようになめらかに曲げていくというか……。普通の人間は腰だけを折って胴体や首は折り曲げないのが一般的だと思うが、芝居でのみ見られるこういう礼、美しいよね。あとはやはり人形の着付けが美しい。上方文化講座の勘十郎さんの話に、簑助さんは着付けの際に薄手の襟を好まれ、さらに人形の胴に縫い付けるときに襟をコンパクトに抑え込み、人形の首筋が見えるように着せ付けているというものがあった(この話の記事は後日アップします)。たぶん勘彌さんも着付けにこの手法を取っておられて、襟が低く、横顔になったときに人形の肩から首にかけての佇まいが美しく見える。襟の流れ方や肩から胸元の曲線のラインも自然で美しい。着付けだけでなく、簑助さんや勘彌さんは娘役の人形の体がかなりコンパクトになるように構えている。ほかの人より人形の体が華奢に見える。何をやってものーんとした大根娘な人も結構いるので、あの可愛らしさは貴重である。八重はほかの人形が演技しているあいだに横向きにじ〜〜〜〜っとしているだけでも、もう、すばらしく可愛かった。ほのかな桜の、いい匂いが、しそうだった。かわ…… か………………… か………🙏🙏🙏🙏🙏🙏🙏

そんな八重に対して勘十郎さんの遣っている千代は、もう少し禁欲的というか大人らしいすっとした直線性を出した着付けにされていた。あと、春と千代って着物の柄以外ほとんど見分けつかないよなあと思っていたけど、よく見ると髪型(後ろ側の結い方)が全然違う。しかも、千代はかなり細かい入り組んだ結い方をしていた。これは本公演では気づかなかった。席が西桟敷(下手)で舞台に近く、床面が舞台と同一(高い位置から人形を見られる)という内子座ならではの発見だった。

そして、役柄やその人形遣いの着付けの好みもあるだろうが、同じような衣装の人形が何体も並ぶと着付けによる人形の見栄えの違いがダイレクトに出ると感じた「茶筅酒の段」でもあった。

 

「喧嘩の段」を語った希さんはここまで出来る人になったのかと驚いた。梅王丸と松王丸の語り分け。前までこんなにも成人男性を語れていただろうか。驚いた。いやらしい感じではなく、それぞれの品位をわきまえた声色。人形遣いの演技でしか区別がつかないと思っている部分があったこの二人だが、ふーん、なるほど、希さんはそう解釈しているのか、なるほど、ということが伝わってきた。終演後に希さんを「いろんな人物を語ることができる」と褒めている人がいたが、その通りだと思った。

梅王丸はいきり立って突然着物の裾をたくし上げるが、パンチラの勢いがすごすぎてびびった。いや、男の文楽人形、しょっちゅうパンチラしてますけど、なんか久々に見た気がして、「ちょちょちょちょっめっちゃパンチラしてますで!!!!!!」と焦ってしまった。人形としての限界までたくし上げていた。歌舞伎なら女性のお客さん大喜びな場面だと思うが、文楽人形だとなんかこう、漠然と焦る。お人形さんの宿命として致命的チラリはしないようふんどしは太ももに縫い付けてあるけど、とにかく、すごいと思う。

 

「桜丸切腹の段」の床は千歳さん&富助さん。じっくり聞かせていただいた。変な言い方だけど、太夫と三味線が床で熱演しているのが聞こえるという印象ではなくて、人形の声が聞こえる?という感じだった。もともとこの世の音が全部浄瑠璃でできている感じというか……。なんというか、すごく自然だった。人形でも人形遣いがまったく気にならなくなって、誰が遣っているとかそういう感覚が消える(単に人形が動いているという現象だけが見える)ことがあるが、それに近い感じ。不思議だった。

 

ところで、内子座の桟敷席には、人形遣い自体がひざくらい、あるいは立つ位置によっては足元まで見えるという面白さがある。「おしゃれな舞台下駄履いてる人もいるんだな〜」とか「お外に出る人形さんに履物履かすのはカカトに何か引っ掛けてるのか〜」とか「ぱぱっと動くときは足遣いの人も草履脱いで演技することがあるのか〜」とか、普段気づかない発見が多々あり面白かった。それと、これは桟敷席だけの醍醐味だと思うんだけど、人形と客の目線の位置が揃うので、本当に「人形と目が合う」のが、本当にドキドキする。人形ってやっぱりなんというか「なんか、ちっちゃい人」で、けなげに一生懸命生きてるよね……と思うのであった。

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午後の部は引き続き『菅原伝授手習鑑』寺入りの段〜寺子屋の段と、オマケで『団子売』。

前解説の小住さんがイキナリ寺子屋のすべての展開を喋ってしまったのには驚いた。ネタバレとかそういう問題ではなく、いい大人の客に対してそこまで詳しく説明する必要あるのかと思ったが、ランチを食べたお店で隣のテーブルにいた午前の部を見たらしい人たちが「しろくろって誰?」と恐ろしいことを言っていたので、ここまで喋らないと理解してもらえないのかもしれない。上方文化講座の金殿の実演でも、隣の席の人が終演後に鱶七を指して「あれは何や?」と一切内容を理解していない発言をしていたし……。

と、小住さんの解説に不穏になりながら開演を迎える。人形の配役は、よだれくり=吉田玉翔、戸浪=吉田文昇、千代=桐竹勘十郎、小太郎=桐竹勘介、源蔵=吉田和生、春藤玄蕃=吉田玉佳、松王丸=吉田玉男、菅秀才=吉田簑之、御台所=桐竹紋臣、下男三助=吉田玉彦。

源蔵は首実検の直前、松王丸に凄む部分で体を前傾させて横を向く仕草の渋い凛々しさが印象的だった。最近とみに思うのだが、横向きポーズが綺麗な人ってかなり限られているよね。左遣いに相当うまい人が入らないとなかなかできない等もあるんだろうけど、一瞬で横を向いてポーズをぱっと決めるというのはやはりベテランの技なんだろうなと思う。あとこの部分、源蔵は刀をひざの下に敷いて、いつでも抜けるようにしているということなのかな。座ったひざの下にさっと差し込むような仕草があった。ところで源蔵は所々で戸浪を突き飛ばす演技があるが、今回その場面で源蔵は戸波を思いっきり突き飛ばしていた。戸浪役の文昇さん、派手に転んでいた(人形が)。本公演では戸浪=勘壽さんだったので、和生さんも遠慮されてたのかしら……。

松王丸の人形ってデカい。先述の通り、桟敷席だと人形遣いが立っている舞台の床面と桟敷席の床面が同じ高さになるんだけど、そうなると人形の大きさをはっきりと実感できる。めちゃくちゃデカいよ松王丸。私はふだんiPhoneに玉男様アルバムを作って隙あらば人に見せているんだけど、その中でもお気に入りの玉男様が松王丸を持っている写真を見せると「人形デカないですか!?」と言ってくる人がいる。「こんなもんですよ〜」と返していたのだが、すみません。やっぱめっちゃデカいです。ちょっとした小学生くらいあります。間近で見る松王丸の人形は天鵞絨の黒い衣装が重厚で美しかった。きらめく刺繍が豪奢。重そう。よくあんなもん1時間とか持ってるよなあ。と思い直した。

おもしろかったのが、寺子屋の冒頭で春藤玄蕃と松王丸が源蔵宅の前で村の子供達を検分する部分。人形遣いが右の舞台下駄を脱いで左足と右足に段差をつけて立膝状態になり、折り曲げた左膝の上に人形を座らせていた。本公演でもそうしているのかはわからないけど、人形を安定させる方法は台の上に足を乗せる以外にもあるのね、と思った。しかしなんというか、玄蕃も松王丸も人形がデカいので、膝に乗っている姿が「息子さんですか?^^」状態で可愛い。舞台の仕掛けでいうと、完全にどうでもいい話だが、最後に門火を焚くところ。ここも座席の関係で舞台上の段取りが見えていたのだが、火箱からにょろーんと延長コードが出ていて、黒衣サンがそのスイッチをパチンと入れていたのがおもしろかった。赤いランプがチカチカしだして、「そういう仕掛けか」と思った。

あとは御台所の紋臣さんが良かった。一瞬しか出てこない役をちゃんとした人にやってもらうと締まる。御台所が出てくる頃には話がだいぶどうでもよくなってきている(失礼)ので、いろは送りまで客の集中力を持たせるには重要な役である。

しかし、いろは送りの床はあまりにも速すぎではないか。テンポや緩急、メリハリがおかしいのは困る。「思い出す桜丸」のところなどは速めに流す手法もあるようで流しめにやってるんだろうなと思ったけど、ちょっと速すぎ。太夫三味線どちらの問題なのかわからないが、いい部分に配役されているのだから仕上げてきて欲しかった……。舞台の見え方として、床は本当に重要だとあらためて思わされた。

 

ところで、内子座には床がクルリンと回る仕掛けはないので、太夫三味線の出入りに時間がかかる。寺入りと寺子屋の間にも結構時間がかかっていて、その間は舞台に出ているよだれくりやツメ子供たちがちょっとした演技をして間をつなぐのだが、居眠りをはじめたよだれくりの上にツメ子供が瓦のように積み重なって寝始め、客の微笑を誘っていた。この手のちょっとした仕草でいうと、寺入りの冒頭でいちばん下手にいる柱にもたれかかってウトウトしはじめるツメ子供。寝入り方が自然でかわいかった。居眠り系ではこれまた寺入りのはじめのほうで千代が戸波に挨拶しているあいだに付き人(下男三助)が荷物をくくりつけた竿を柱にしてウトウトしはじめるが、そのウトウトぶりもかわいらしく自然でよかった。寝入り方が「居眠りしてるひとってこうだよな〜」って感じで、ネムネムだった。あっ、あと寺入りで千代が持ってくるおみやげ。つまみ食いをしているよだれくりが持っているのを見ると、本公演のような野菜の煮物じゃなくて大判焼きみたいに見えた。レンコンとかを駆使して大判焼き風に見せていたのか、本当に大判焼きだったかは不明。

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最後は『団子売』。団子売りの夫婦、杵蔵〈吉田玉勢〉とお臼〈吉田簑紫郎〉が団子をつきつつ歌って踊る景事。

まず、むかしの団子売さんってその場で団子ついてたの!? っていうか、団子ってつくもんだっけ!? という衝撃があった。いやその「ついている」という動作に詞章上の意味があるんだけど。こねるもんじゃなかったのか……。お人形さんたちが歌いながらかわいらしく杵と臼をトントンして団子をこさえていた。

団子つきが終わると、杵蔵・お臼が交代で踊るパートに。お臼ははじめは娘のかしらだけど、途中からお多福のお面をゴソゴソしていると思ったら、踊りパートではおふくのかしらに変わっていた。お面をつけたということね。お臼はそのまま最後までおふくのかしらだった。外れなくなった肉付きの面の呪いって感じで、なんかホラーっぽい。

しかし太夫の配役を杵蔵=希さん、お臼=小住さんにしてるのはチャレンジだなと思った。普通に考えたら逆にするだろうに、勉強のためにさせているんだろう。お二人とも頑張っておられた。

全体的に、微笑ましい感じであった。見終わって、みたらし団子が食べたいなあと思った。

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そんなこんなで、なかなか充実の公演だった。床を少人数で回しているので太夫さんのやりくりが大変そうだなとは感じたけど、人形はベストメンバーに近いと思う。和生さんの桜丸、勘彌さんの八重、ほんといいもん見た。ありがたや、ありがたや。

そして、印象深いのはやっぱり会場の雰囲気のよさだよね。案内をしてくれるスタッフのみなさんが感じ良いのが内子座のいいところ。たぶん近所のおじちゃんおばちゃん、お手伝い(させられている)中学生だと思うけど、「いいでしょ、この芝居小屋💖」と言わんばかりに楽しげに立ち働かれているのが気持ちいい。子供時代、夏休みに親戚の家に遊びに行ったときかのような、ほのぼのした気分になれた。

 

勝手なわがままを言うと、最後は『団子売』をつけるのではなく、『菅原』の最後の段を上演して欲しかったな。去年本公演で上演されたとき「寺子屋終わったあとってどうなるんだ?」と思って古典文学全集で読んでみたら、あのあとはもう最後の段で、菅秀才と苅屋姫が参内したところに時平が駆けつけてきてギャンギャン→家来たちが雷に打たれてギャフン(石井輝男監督の『異常性愛記録ハレンチ』状態)→時平は桜丸・八重の亡霊に苛まれ、ついに菅秀才に討たれて平和が戻るというオチになっていた。ここで最高なのが、「ありゃまー」みたいな他人事態度の春藤玄蕃に時平が「おまえが寺子屋で真面目に仕事しなかったからこうなったんだろうがっっっっっ!!!!」とブチ切れて張り倒すところ。玄蕃、早く直帰したいばっかりに(?)適当にやってたもんね。やっぱ怒られるのね。あと、時平が耳から蛇を出すところ。なぜ。どうやって。というくだりをぜひ舞台で観たいので、本公演の通しあたりでもいいので、上演して欲しい。

 

あとまじで本当に勝手なことを付け加えさせていただくと、寺子屋は千歳さんに語って欲しかった(素直すぎ)。12月の東京鑑賞教室の寺子屋は、床が千歳さん×富助さんで、松王丸が玉志さんの回があることを祈っています。っていうかそれしかないやろと思います。その配役がなかったら仇討の白装束で国立劇場に参上仕らなくてはいけないので……。

 

帰り、松山空港の凄まじい保安検査の行列に並ぶ〇〇様をお見かけ申し上げて涙がこぼれた。めっちゃ自然にほわほわ並んではったけど、やばい。その人、ただのほのぼのおじいちゃんちゃいますからっ! National Treasure of Japan ですからっ!!! わかります〜〜〜!?!? 日本最高クラスの Very Important Person なんですっ!!!!! と焦ってしまい、あやうく出発ロビーで絶叫して警備員に取り押さえられるところだった。

 

↓ 前回内子座文楽へ行ったときの記事

 

 

 

内子・松山紀行。休憩時間に売られていた柑橘味の炭酸飲料「じゃからサイダー」。「じゃばら」というかぼすのような甘みのない柑橘を使った大人の味。果実名の「じゃから」というのは伊予の方言の語尾「〜じゃから」とかけたものらしい。確かにランチを食べたお店の人、「海鮮丼はどこじゃったかの〜」と言っていた。その海鮮丼、私のです……。(混みすぎてお店の人がパニックになっており、最終的に客同士でホール内を運営)

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今年はちょっとだけ観光も。内子座から少し離れた場所にある、街並み保存地区。古い街並みながら、あくまで普通に人が住みつつ観光化しているせいか、小綺麗で不思議な雰囲気。まじでまったく音がしない、時が止まったような空間。時々トンビがピーヒョロ言ってるくらい。

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前日夜に行った道後温泉本館。内部構造のフリーダムな豪壮さが本当に良い。ここも親戚の家に行ったかのような親切かつ大味なお接待が良い。

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*1:その1。あるとき、歌舞伎座の三階席から花道に出ている玉三郎を見ていたら、花道脇の席に座っている爺さんが手を掲げている。ライトがまぶしいのかな?と思っていたが、よく見たら合掌していた。その2。国立劇場で前のほうに座っていたら、隣の爺さんが簑助様におもくそ合掌していた(ド直球)。