TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 12月東京公演『仮名手本忠臣蔵』二つ玉の段・身売りの段・早野勘平腹切の段 国立劇場小劇場

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第一部、仮名手本忠臣蔵

「山崎街道出合の段」を略し、「二つ玉の段」与市兵衛の出から。なぜ金がいるかのくだりがないので、勘平、ただのアナーキーな強盗で、ニューシネマ感がある。
段切、「猪より先に逸散に翔ぶが如くに(急ぎける)」となっているが、勘平は少し怯えるように歩いているのが印象に残った。出と同様、周囲が暗闇で足元が悪いからなのか。それとも、おのれの行いがおそろしいからなのか。そういえば、冒頭で勘平がプイプイ回しているものが何なのか気になる。

斧定九郎は、玉勢さんがやると、若々しくシュッとした感じになる。人形は人形のはずなのに、舞台ではなぜか人形遣いの体格に近い印象になるのが、不思議。なにはともあれ、結果がどうなるとも、斧定九郎は若い人がやったほうがいいなと思った。

それにしても、あくまで人形の演技上ではあるが、斧定九郎、与市兵衛を突く前に結構斬ってるよね。とどめは刺し傷といえど、あそこまで切りつけていて、なぜ鉄砲で撃たれて死んだという勘違いになるのか。死体を谷へ蹴り落とす展開があるので、体についた傷はそのときついたと勘違いされた、という設定なのか。ちょっと無理がある気がする……。

いのししは特に新調されていなかった。

 

 

 

身売りの段、早野勘平腹切の段。

勘平役はいままで清十郎さん、和生さん、そして今回の勘彌さんと観てきたが、どういうイメージの勘平になるのか、人によって印象が結構違うなと思った*1。勘彌さんの勘平はかなり綺麗め、柔らかく優しげな美青年風。だらしなさや不潔な印象はなく、素直そう。背筋を伸ばして俯く表情には、ピンとした清澄さがあった。でも、2019年夏の和生さん勘平とは違って、生っぽい。どこか俗な感じがするというか、色気が強いところがあった。ある意味、人間の役者がやっているみたいで、それが悪く転ぶ寸前の感じがうまかった。あとは、ほかの人の勘平より、若そうに見えた。
勘平は前半は頰がぷっくりしたかしらを使っているが、原郷右衛門〈吉田勘市〉や千崎弥五郎〈吉田文哉〉が訪ねてきて以降、黒の着付に着替えてからは、顔が細いかしらに変わる。ただ、自分がやったことのおそろしさに堪え兼ねる表情は、頰がぷっくりしているときのほうが、少し幼い印象になるからか、それとも単に勘彌さんの演技に似合っているからなのか、より一層、取り返しのつかないことへの焦りや後悔を感じた。焦りと後悔でいっぱいになり、ぐっと俯いたまま微動だにしない姿に、見応えがあった。

おかるは簑一郎さん。おかるはどうにも「この子頭が悪いんでは」的印象が強いが、バカっぽく見えず、本当にそういう子、という印象になっていた。素朴な雰囲気ながら、冒頭で髪をとかす仕草にしても、最後の出立のとき籠からそっと勘平を見る仕草にしても、所作にどこか洗練されたものがあるからだろうか。別に軽薄な女でいいんだけど、そうじゃないおかるはなかなか面白い。簑一郎さん独特の「どこか洗練されたところのある田舎の人」役のよさが活きていたと思う。良い意味で、適度に特別感がない。あと、ちょっとやつれた感じに細身そうな、小柄そうな感じがよかった。

完全に印象論だけど、由良助の使者・原郷右衛門、千崎弥五郎の存在がしっくりこないように感じた。「山崎街道出合の段」を抜いているせい? そもそも、見取りにしているせい? いつもより「この人らなんで人んちに上がり込んで勝手放題言ってるの?」という違和感があるように思った。

 

床、聞いていて、芳穂さんはきっと腹切をやりたいんだろうなーと思った。あり余るエネルギーを感じた。一文字屋才兵衛が信じられないほど勢いよく出てくる。紋吉さんの才兵衛はサンリオオーラをまとっているので、「そこまでの人!?」感があって、ちょっと面白い(失礼)。音楽的盛り上がりとしては、勘平切腹以上のものがあった。その心意気のぶん、なにも知らないおかるの悲哀が際立っていて、良かった。しかしヨシホ最近Twitter大喜利やってくれないな! 飽きるのが早い!!
靖さんはやっぱり「普通の人」がうまいな。不思議な才覚。

 

やっぱり、おかるママは、文楽でも有数のまともな人間だなと思った。人間としてまともだからこそ、一見、言動が愚かに見えるのだと思う。おかるママはあのあと、どうなったのだろうか。勘平や与市兵衛の死を知っていた平右衛門がなぜおかるの奉公先を知らなかったのか、気になる。
ていうか、おかるママ、一番郷右衛門とかが勘平をなじってる場面で奥へ引っ込むの、謎だな。そこを見届けなくていいんだ! もうそこにしかウサ晴らしないのに! と思った。

 

  • 義太夫
    二つ玉の段
    前半=豊竹希太夫/鶴澤藤蔵
    後半=豊竹睦太夫/鶴澤清介
    胡弓 鶴澤清允

    身売りの段
    豊竹芳穂太夫/竹澤宗助

    早野勘平腹切の段
    豊竹靖太夫/野澤錦糸
  • 人形
    百姓与市兵衛=桐竹亀次、斧定九郎=吉田玉勢、早野勘平=吉田勘彌、おかる=吉田簑一郎、与市兵衛女房=吉田文昇、一文字屋才兵衛=桐竹紋吉、めっぽう弥八=吉田玉征、種ケ島の六=桐竹勘昇、狸の角兵衛=豊松清之助/吉田和登、原郷右衛門=吉田勘市、千崎弥五郎=吉田文哉

 

 

 

全体的に、あっさりと清楚な印象だった。ただ、なんだか微妙に生っぽく、格差社会の果てに、気づいたら取り返しのつかない悲惨なことになった地方の一家の話っぽかった。淡々とどんどん怖い雰囲気になっていくのは、変に力んだ人が出ていないからか。率直に内容が表現されているように感じた。

勘平の雑な性格と、その報いをテキメンに受ける展開は、すごいと思う。雑な行動を取まくった挙句に他人にものすごい迷惑を掛け散らすクズは文楽にはウヨウヨいるが、すべてが雑ゆえに自分自身がここまで悲惨な最期を遂げるのはそうそうない気がする。切腹するのはいいけど、周りの奴ら、死に際に余計なこと言うなや……。

 

 

 

伝統芸能情報館の展示室で、「国立劇場の養成事業 心と技を伝えた50年」という企画展示をやっていた。

国立劇場が事業として行なっている歌舞伎俳優・竹本(歌舞伎音楽)・文楽技芸員・能楽三役・寄席囃子・組踊の養成について、どのような研修を行なっており、修了生がその業界でどれくらい活躍しているかを紹介するものだった。

文楽にとってこの養成事業が非常に重要であることは知っていたが、文楽よりも歌舞伎の竹本に占める修了生のパーセンテージの高さに驚いた。また、組踊(沖縄舞踊)は歌舞伎や文楽とは違って全日制ではなく定時制のように夜間に開講しており、学校や勤めと並立して通っている人が多いというのも勉強になった。

文楽の場合、修了生は1972年の開設から現在までで75名、うち45名が現役技芸員であるという。一期生には玉輝さん、津國さん、文字栄さんがいるはずなので、そのまま技芸員を続けられていれば今でも現役。ただ、展示によると一期生は10人いたらしいので、ほとんどの方がお辞めになったということになる。この残存率が多いのか少ないのか。辞めた人はなぜ辞めたのか。現役で残っている人はなぜ続けているのか、続けられるのか。
また、歌舞伎・文楽は研修のタイムテーブルも掲載されていた。おんぶにだっこしてもらえるのかなと思えて、「自習時間」が存在しているのがなかなか怖い。最近はコロナの影響で、通常より少し早上がりになっていると紹介されていた。また、稽古場の写真も展示されており、いまは太夫の研修をビニールのパーテーションを張って行なっているようで、いろいろと大変そうだった。

 

 

 

今年は新型コロナウイルスの影響で半年にもわたる休演となった。公演再開後も客足は減少したように思う。
4〜5月の『義経千本桜』の通しと、6月の玉志さんの団七が観られなかったのはかえすがえすも本当に残念。2月の錣さんの襲名公演が全日程できたのは本当によかったと思う。
自分自身は、休演期間でブランクがあいた分、なんとなくというか、馴れ合いで観ていた/聞いていた部分がなくなったと思う。もっとも印象が変わったのは三味線で、漠然とした印象論ではあるが、人によって結構音が違うなということに気づいた。映像配信だと人による違いがさらに顕著に感じるように思う。基本的に後ろにいくほど上手い人が弾くシステム、うまくできてると思った。
来年もこのような小分け公演体制や外部公演の中止は続くと思うが、文楽を応援していきたいと思う。そしてひたすら、技芸員さんのご健康をお祈りするばかり。

 

 

 

 

*1:勘十郎さんも見たことあるはずだけど、全然記憶がない……。