TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 5月東京公演『寿柱立万歳』『和田合戦女舞鶴』市若初陣の段『近頃河原の達引』堀川猿廻しの段、道行涙の編笠 シアター1010

5月東京公演、Aプロ。

 

 



寿柱立万歳。

冒頭に入れ事(アレンジ)で、若太夫襲名の祝儀が入っていた。
人形はやや古風というか、どこかひなびたところがあるのが面白かった。昔の映画の文楽のシーンや、あるいは旅芝居のシーンにありそうな感じ。祝いに呼ばれてやってきた感じがするのも良かった。

 

 

  • 義太夫
    太夫 豊竹咲寿太夫、才三 豊竹亘太夫、竹本織栄太夫/鶴澤清馗、鶴澤清𠀋、鶴澤燕二郎、鶴澤清方(前半)鶴澤籐之亮(後半)

  • 人形
    太夫=吉田簑一郎(代役)、才三=吉田文昇

 

 


襲名披露口上。

司会、各部ともに、挨拶の内容は大阪・東京共通。
本人のリクエストでやっているのかもしれないが、先代の事績を紹介するにもこの言い方だと、誰も得しなさすぎに思う。襲名公演の最大の祝いの場なのだから、本人の実績に触れることはできなかったのかな。襲名の賛否とは別に、お客さんは公演を楽しみに来ていること自体は事実なので、配慮頼むわ〜。

錣さんの挨拶は、「ウマ尽くし」でまとめられていた。錣さんは、ご自分が襲名した年(ネズミ年)の文楽劇場鏡開きだったか、通天閣の干支交代式典だったかの挨拶で「ネズミ尽くし」を披露し、誰もそれに気付けず恐ろしくスベり散らしたのに*1、まったく懲りていなくて、さすが切を勤める人は肝がジャイアントセコイア並みに太いと思った。それにしても、なぜ、「ウマ」? 今回の挨拶、誰も「新若太夫は“若太夫”を襲名するに相応しい実力がある」とは一切言わなくて、いや、あなたたちが襲名を承認したわけではないことは重々承知だが、「今後の芸道のますますのご発展をお祈り申し上げます」くらいの社交辞令も言わんのかい、それとも正直者なんか?と思っていたが、SHIKORO・ウマ・尽くしは、もしかして「(浄瑠璃が)上手い」にかけてるのか……? いや、あくまで、先代若太夫はいろいろな意味で「ウマかった」という話なのだが……。なんなんだこの話?
シアター1010は客席に強い傾斜がついている。中列席になったときに、オペラグラスで錣さんの手元をよく見てみたら、赤い紙のカンペが置かれているのが見えた。やっぱカンペ見とったんやな。カンペないと、ド忘れしたときに「大変な発言」をぶちかましかねないため、カンペ、大正解ッ。と思った。

勘十郎さんの挨拶、いまどきこの内容がパブリックな祝いの場にふさわしいと思っているのだろうか。誰か止めてほしい。というか、この話、聞いたことある。これにかなり近しい話題を呂太夫襲名のときも出してなかった?? なんでまたこの話??? いずれにしても、ほかにいくらでもネタがあるのではないかと思うが、本当、なんなんだ?????

團七は亀の甲より年の功。まとも。ふさふさのしっぽが4mくらいある亀。(結局亀なん?)(あれ、しっぽやないらしいで。苔なんやて)

いずれにしても、ご本人が口上挨拶を述べた錣さんの襲名のときの祝辞(錣さんの芸への真摯さとお人柄もといヤバさが同時にわかる内容)は、相当しっかりしてたんだと思った。

 

 

 

 

 

和田合戦女舞鶴、市若初陣の段。
大阪公演とは異なり、切のみ、市若の出から上演。端場がないため、夜の門前を表現する大道具がやや変更され、物見櫓が書割にされていた。

東京公演の会期も終わったので、東西合わせての素直な感想として書こうと思う。

「市若初陣」は滅多に出ない演目ということで、人形入りでは今回の襲名披露狂言が約35年ぶりの上演。実際に観てみた率直な感想は、「こんなもんなのかな?」だった。あるいは、「観たことないから比較しようがないし、良いか悪いかはよくわかんないかな!」。これが、「めっちゃおもしろかったー!」とならないところに課題があったのだと思う。

というのも、近年、長年断絶していた曲を久しぶりにかけて、成功した企画を見ているからである。2022年京都、24年松本の外部公演において復活上演がなされた『木下蔭狭間合戦』竹中砦の段は、少なくとも義太夫演奏は、めちゃくちゃ面白かった。「ええやん!この曲!」と感じた。現行上演が途絶えている曲でも、聴いたその場でわかる面白さ、現代に活きるものはあるのだと教えられた。この曲は、話の出来は別にという感じだし、特段メロディがいいというわけではない。演奏者(錣さんと藤蔵さん)の研究の努力と技術でクリアしていたのだと思う*2
それを考えると、「市若初陣」も、もう少しやりようがあったのかなと感じる。ノッペリして盛り上がりに欠けているのは厳しい。拍手が入っても、演出の一環になっていたように感じた。
政子が公暁丸への想いを語るシーンはかなり良い。身分が高い人にも庶民的な側面があったとはいっても、世俗に傾けず、気品を保ったまま愚かさを出すのは、そうそうできない。咲さん亡きいま、新若太夫さんならではの語りだと思う。板額の描写については、本当にそこだけをことさらに強調するのがベストなやりかたなのかと感じる。体力的に全部頑張るのが難しいので、ベターの範囲に落とさざるを得ないということだとは思うが、襲名記念のインタビュー等で「何歳になっても進化」という話題が出されているその「進化」は、具体的にどの部分をどうするつもりなのかが問われると思った。(それなりの名跡を襲名するからには、いま出来ていないといけないと思うが)

 

人形は、話の流れを見るに、演技が難しい演目だとは思う。ただ、大道具転換や人形の出入りといった見た目の変化があらかじめ仕込まれているにもかかわらず、かなりノッペリした印象になっているなど、結構厳しいよなぁと思う。
本来は、ずっと出っぱなしになっている板額が軸になる役目だと思う。実質、板額しか登場人物いないし。だが、勘十郎さんの特性がよくない方向に出て、活かせる側面が出せないままに終わってしまったと感じた。極端な話、老女形やドラマ描写をやらせたら、もっと上手い人がいるし、勘十郎さんにはもっと得意とする役が別にある。そのなかで、襲名披露という場で配役されたのなら、こなすべきところをこなした上で、「自分はここにこだわる」という魅力を見せて欲しかったな。

特性がよくない方向で出たというのは、長時間独り舞台になるにもかかわらず、すべての場面で演技の大きさや速さが均一になって、メリハリが出ていない点。そして、振り付けが単調なことも、ノッペリ化の一因となっている。具体的な指摘をすると、「天を仰ぐ」という振りを、全ての場面で繰り返している状態になっている。この振りが上演時間約60分の演目で10回以上ある(場面によっては数十秒後に繰り返しているところがある)。おそらくその場その場の感性でやっているからだと思うが、ご本人はここまで繰り返していること自体、気づいていないと思う。かしらの表情の不足は、右手だけで演技をして、左手=かしらが意識の外にいってしまっているのが原因になっていると思う。かしらを強く握りすぎなんじゃないかな。私は人形遣いではないので、実際のところはわからないけれど。今月は、人形の表現において、かしらの遣い方は本当に大切なのだと感じた。人形遣いは表現の幅をいかに持ち、ひとつの曲をどう設計するかが重要だと思った。

活かせる側面が出ていないというのは、「一生懸命さ」や「可愛らしさ」が役に反映できなかった点。勘十郎さんの良さは、人形が一生懸命に見えて、それが可愛らしいことだと思う。板額もまた、原作を読むと、夫や子供を一生懸命愛し、けなげに生きる可愛らしい女性と解釈することができる。剛力とその可愛さのギャップがイイというキャラだと思う。この点、同じ片はづしの主役級武家女性役でも、政岡、重の井、戸無瀬などとは異なっている。ここを狙えば、演技力や老女方の経験値での勝負は難しくても、切り口で見せられる。全編で均一にバタバタしているという形にとどまったのは、勿体無い。

 

与市〈吉田玉志〉は、個々の所作、トータルでの設計ともに大阪公演よりも洗練されており、完成度が高かった。東京は所作がかなり整理され、優美で品格のある人物像になっていた。
その上で、もうひと押ししても良かったと思う。たとえば、浄瑠璃の文言そのままに所作を寄せすぎな点。浄瑠璃の文言で「夫は(中略)飛び上がり、見付の石に駆け上がり、塀に手を掛け」となっているところ、本当に文字通りに演技をしていた。浄瑠璃通りに所作を整理して綺麗に見せているところは、玉志さんらしい。でもここ、与市の内面を考えると相当に混乱しているはず。それを暗にあらわす予備動作を挟み込むことで、彼の内面をより表現できるのでは。実際、玉志さんは、普段はそのような演技を頻繁にやっているわけだし。しかし今回それがかなり控えめなところをみると、まずは文章に精緻にやろうとしているのか、与市は非常に端正な人なのだという理解なのか。現状だと、ちょっと即物的かな。あまりに文字通りだと、「普段は水槽の底の土管の影でじっとしているが、えさが投入されるとスゥーッと寄ってくるどじょう」になる。(知り合いの息子さんがどじょう飼ってるらしいんだけど、息子さんを喜ばそうと思って、その子が寝てる間に「おともだち」としてえびを投入したら、どじょうがスゥーッと寄ってきて一口で食ったらしい)(文楽的悲劇)
与市も主役なんだから、もうちょい出しゃばってくれ。次回『和田合戦』が出たときに、また頼むわ。と思った。

そのほかの人形、政子〈吉田簑二郎〉の良さは大阪公演の感想で述べた通り。自然な佇まいの中、老いた尼将軍の愚かさを的確に表現している。人間の愚かさは、並木宗輔作品では重要な観念である。簑二郎さんの持つ特性がかなりプラスに活きたかたちで、まさに適役だと思う。
綱手〈吉田玉誉〉は東京公演後半が非常に良かった。出しゃばる役ではないが、最後に自害を決意するところなど、少ない「しどころ」の中に気持ちの変わり目がきちんと表現されていた。
市若〈桐竹紋吉〉もかなり良かった。子供のあどけない所作が可愛らしく表現されつつ、子供なりに一生懸命頑張っていることがよくあらわれていた。東京公演では大阪公演よりもけなげさが滲んでおり、かなりよくなったと思う。

 

「市若初陣」を人形入りの舞台で見られて良かったと思うのは、与市が火付盗賊改の衣装を着ているのがわかったこと*3
『和田合戦』の大序には、与市の役目(仕事)は「評定」であり、「与市はいま町の警備に行っている」という描写がある。文章で浄瑠璃を読んでいただけでは、ただの状況説明で、意味のある文章だとは捉えていなかった。でも、実際の舞台であの衣装を見て、与市は「法」を司る立場なんだ、と思った。火付盗賊改の姿だと、彼が実朝に代わって罪人を取締り、法を執行しなければならないことが視覚化される。古典だと、物語理解を促進させる舞台表現上の担保は、衣装というかたちでもかかってるんだなと思った。

上演形態としては、大阪と同じく、端場をつけたほうがよかったと思う。切だけだと、単なる残酷話に感じられてしまう。ただの残酷話ではないことをいかにわかってもらうかが、『和田合戦女舞鶴』の要だと思う。

日程最後のほうで、人形でありえないミスがあった。本当にがっかり。ただ、これが起こりうることをしているから、舞台全体の印象がこうなるのだろうなと妙に納得した。介錯がすぐ動いたのと、相手役が動じなかったことは褒められる。

 

 

 

 

近頃河原の達引、堀川猿廻しの段、道行涙の編笠。

稽古娘〈前半配役=吉田玉路〉は、前期配役の人は不慣れなのかかなり固い状態だったが、引っ込み側に媚を売るような仕草をするところだけ、かなり立っていた。悪目立ちだとは思うが、彼なりに、この子の末路を示しているということなのか。この娘、ただの習い事や暇つぶしで三味線習ってるわけじゃないですよね。そこをどう表現するかが重要で、その意味では、チョイ役ながらあなどれない。後期配役〈吉田和馬〉はプロ・稽古・娘だった。和生の声が聞こえた。

おしゅんは清十郎さん。あいかわらずというか、「夜職の子」感がすごい。決して高級店ではなく、場末なお店で働いてそうなのも、すごい。絶対ちいかわのモモンガのおかおバッジかばんにつけてる。
伝兵衛のことを好きそう感は、さすが清十郎さんと言うべき秀逸さ。「そりゃ聞こえませぬ〜うう伝〜兵衛〜さん〜」のくだり、「さん」で伝兵衛に「ピト」とくっつくところに真心がこもっていた。伝兵衛との距離感の取り方(家族とは近寄り方を区別している)、目線の遣い方など、良い。
雰囲気の安っぽさは手紙を書く場面などの姿勢の悪さによるものだと思う。もう少ししゃきっとしてもよいのでは。紙に顔近づけすぎで、めっちゃ目ぇ悪そうだった。ここまで煤けていていいんかいという疑問があるが、現状の清十郎さんだとこうなるだろうなと思った。
おしゅんは、通常、ファミリーが寝静まったあとに、家の外に出て門口に赤い玉のついた簪を挿し、尋ねてくる伝兵衛のための目印にする。しかし今回は、簪を挿していなかった。前と切の分離位置的にできない? 直前の「市若初陣」でも板額が障子に簪を挿す場面があるから、重複を避けるため?(あれはあれで、「柱に簪挿して鍵になるって、どういう状態? 2枚の障子のまんなかの合わせ目に挿すならわかるけど」というよくわからなさがあるが)

錣さんは最近、「猿廻し」配役が無限ループしているが、それだけあって、ママの語りが非常に洗練され、濃厚になっている。やはりママがこの浄瑠璃の核心だと思う。なんにもできない真心だけの人をどう表現するかは非常に難しいが、ママの慈愛や涙がよくわかる演奏だった。物語の要石としてしっかり機能していた。
おしゅんのクドキも、良い。「『そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん』を〈みんな〉知っていた」というかつての時代をイメージさせる艶がある。艶があるといっても、それは可憐さで、艶麗すぎないのも良い。錣さんにしては、おしゅんは薄毛だった。(体毛の話)(浄瑠璃に毛が生えているので。錣さんは)
会期当初は、猿廻し部分の三味線〈竹澤宗助〉の押し出しが弱く、これだとちょっとなぁと思った。が、会期最後のほうは、ひとまず弾き出しはハッキリしたものになっていて、良かった。錣さんも、会期最後は、与次郎にあえてキツイところができていたのが良かった。猿を叱るところではなく、ふつうに歌う部分が、時々、強まる。彼なりに一生懸命に妹の門出を祝う決意、妹と別れる辛さが出ているように感じた。
浄瑠璃の出来とは関係ないが、錣さんは、2月に続き、白湯汲みを出していなかった。口上なしでいきなり演奏しはじめる役やからいらん✌️とかなのか。あと、SHIKORO・汗・ガードがかなり進化していた。そこが進化するってのがあり得るんだ。と驚いた。それと、床本に、なんか、びっしり、書いてあった。付箋もくっついていた。口上でカンペ見るはずだッピ!

そのあたりはいいのだが、舞台全体としては、相当にスカスカな状態だった。え、これ、ほかのお客さんみんなどう思ってんの、と、上演中にわりと素で驚いた。浄瑠璃に全然合ってない人、いるのかいないのかわからない人、自分本位にやりすぎている人が一演目に固まると、舞台そのものがかなり「?????????」な感じになるというか……。
よくよく考えてみれば、この演目、「上手い人」でしか観たことなかったのかな。でも、「この演目初めて見た」って人同士で想像でやらせてるわけでもないのに、ここまでスカスカになるもんなのかな。経験が浅い人にこの演目の良い役をやらせた外部公演を見たことがあるけど、そのときは、出演者の緊張は感じられながらも、舞台としてちゃんと成立していた。ちゃんとしてる人はちゃんとしてるんだなということを、いまさらながら思った。
今回の問題は、同じような配役だった正月公演の『平家女護島』の悪い点が引き継がれてしまっていることだと思う。「自然」によくなることはありえないだろうなーと思った。まじでありえんやろ、なんでこれが許容されとんのじゃってところもあるので。

 

「道行涙の編笠」は、堀川を旅立った伝兵衛とおしゅんが猿廻しに身をやつし、こざる(「お初」のほう)を連れて彷徨するという内容。「猿廻し」の節を取り入れた曲は面白いが……、異様に舞踊が上手くて洗練された人形さん同士で出るならともかく(そういう意味では清十郎さんは良いけど)、そうでないなら、謎の段。
床は三味線がめちゃくちゃ。三輪さんと小住さんが素知らぬ顔でやっているのはすごい。

 

 

 

 

  • 義太夫
    • 堀川猿廻しの段
      前=竹本織太夫/鶴澤藤蔵、ツレ 鶴澤清公
      切=竹本錣太夫/竹澤宗助、ツレ 鶴澤寛太郎 
    • 道行涙の編笠
      おしゅん 竹本三輪太夫、伝兵衛 竹本小住太夫、竹本碩太夫/竹澤團七、竹澤團吾、鶴澤友之助、鶴澤清允

  • 人形
    稽古娘おつる=吉田玉路(前半)吉田和馬(後半)、与次郎の母=吉田文司、猿廻し与次郎=吉田玉助、娘おしゅん=豊松清十郎、井筒屋伝兵衛=吉田一輔

 

 

 

今回の襲名披露が、文楽ファンのあいだでどう捉えられているのかは、興味深い。
文楽を観るようになって以降、何度か襲名披露公演を見てきた。実際問題として、ファン以外のお客さんにまで喜んでもらい、襲名してよかったと言われ、それに相応しいパフォーマンスを発揮する人がどれだけいたか。襲名ってなんだろうと思う。集客施策なら集客施策でいいのだが、こんなよくわからない公演体制の中でやるんかいという違和感がある。結果的に、最近の文楽公演に覚える違和感を濃縮したようなことになってしまっていたと思う。

 

衣装・演技の改変にしても、あるいは語り分けなどにしても、それは方法であって、目的ではない。それによって「何を表現したいのか」という根幹がないと、意味がない。本公演の舞台は方法を利用してなにを成し遂げるかを見せる表現の場だ。そして、検討というプロセスなくして表現は存在し得ない。
和生さんは、あるトークショーで、「師匠が亡くなってから、芝居の話をできる人がいなくなった」と話していた。文脈的には、「だから、師匠が自分にしてくれたように、こんどは自分が弟子をいろいろなところに連れていって、感性を磨かせて、しっかり育てる」という話題だった。それはいい話。でも、裏を返せば、和生さんは、勘十郎さんや玉男さんを「芝居の話をする相手」と見なしていないってことだよね。この人冷静だぁと思った。勘十郎さんからしてもそうで、勘十郎さんの考える「芝居」のことを、ほかの2人に相談ができないんじゃないか、あるいは、外にも、相談できる人がいないのではないかと思った。

 

今月は12月公演と同じシアター1010(北千住)で公演。12月とは異なり、2階席も販売していた(たぶんセンターブロックのみ)。2階は2階で面白そう。
今回は、さまざまな場所の席をとってみた。『ひらかな盛衰記』特設ページの燕三さんインタビューでも話に出ていたが、この会場、確かに席によって聞こえ方が違う。床の正面直線上にくる席だと、太夫・三味線の声がストレートに聞こえる。そのライン上であれば、下手席でもかなり直接的な聞こえ方になる。なんなら、マイク入ってるのかというほど大きい音で聞こえる。それ以外の席だと、前方ブロックであっても、聞こえ方が「普通」な感じがした。*4
客層は国立劇場公演時代と違っていると感じる。12月公演の時点では、国立劇場からの継続客(のみ)が来場しているように感じた。しかし、今月の来場者は、地方公演の来場者と近い雰囲気がある。言い換えれば過去の常連客が離脱してきているとも言えるが、地方公演来場者的な方々は継続来場してくれるのか(会場が変わっても来場してくれるのか)。今後どうなっていくのかな。

 

清五郎さんがお辞めになったのは、本当に残念。あれだけ上手い人が、と思う。退座の決定は今月ではなく、もっと前だと思うが、今、代役告知だけで発表するのが本当に良い方法だったのかと思う。いろいろと事情があるのかもしれないが、文楽をいつも見にくるお客さんにとって、清五郎さんは大切な人だと思う。

 

 

↓ 大阪公演の感想。

 

 

↓ 東京での装飾。のぼりを立てられない会場のため、吊り下げ。

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↓ のぼりの代わりなのか? 建物外壁に懸垂幕が出ていた。

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↓ 『和田合戦女舞鶴』。文楽ブロマイド(私物)。昭和10年前後に販売されていたものと思われます。

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『和田合戦女舞鶴』大阪公演への批判として、板額に陣羽織を追加したのは効果的でないと書いた。最後に、その理由を述べておく。

一番大きいのは、物語の趣旨に合っていないこと。陣羽織は、いまもっとも回避されなくてはならない「戦」で着用するものだ。封建社会では女性はこどもと同じく「一人前ではない」とは言っても、板額が陣羽織を着ていては「護衛」の範疇を超えてしまう。*5政子と実朝が戦を構えても構わないのなら、市若は死ぬ必要がない。話の前提が覆る。そして、板額は、前の段(板額門破り)で与市から「武力で解決できるならもうしてる」と叱られたばかりなので、力に頼るようなイキった格好をしているのは不自然に思える。

ただ、この点が無視されている理由は推測できる。『和田合戦』人形入りの近年最後の上演では、「板額門破り」を本当に「板額が門破りをする」という場面だけ上演して、「夫与市から力押しを叱られる」「城九郎資国(板額の義理の父)が目の前で切腹する」という、物語のテーマ上重要となる板額の心が折れるシーンをカットしている(上演時の床本がそうなっている)。*6仮に過去の上演時の記憶や床本だけで内容を理解した場合、板額は(極端な言い方をすれば)「自分の力が認められたと思い込んでいる、馬鹿力の何も考えていない女」という素朴な解釈になってもおかしくないか。と思った。

ルックとしての問題もある。緊張に静まり返り、板額自身も不安を覚えているという、一番抑えて芝居をしたほうがよい冒頭部で一番派手な衣装をつけてしまうと、後半が「地味」に見えるようになって、ノッペリ化が一層進む。板額専用衣装の打掛も引き立たない。
というか、ここで板額が派手な格好をしてしまうと、冒頭でもっとも観客の目を引くべき、武者姿に着飾った市若の可憐さが立たなくなる。私観では、この演目、市若をしっかり立てないと(積極的に観客の視線を市若へ誘導しないと)、話がおかしくなってくると思う。今回、話が白々しく見えたのは、市若を立てられていないからじゃないかな。板額にとって別に大事そうに見えなかった。

 

『和田合戦女舞鶴』は、単独で見ても(読んでも)、この異様な残酷さがなんの意味をもっているのか、わからない。浄瑠璃作者・並木宗輔の生涯を通した作風の変遷のなかに位置付けて、はじめて理解ができると思う。

並木宗輔は、浄瑠璃作者のキャリアを豊竹座で開始した後、一旦豊竹座を辞して歌舞伎作者へと転向し、その後竹本座へ所属。そこからふたたび豊竹座へ戻って、生涯を閉じた。今日でも上演される傑作『仮名手本忠臣蔵』などの作品は、歌舞伎作者から竹本座へ移動したころに書かれたものである。豊竹座へ戻ってから書かれた『一谷嫩軍記』は遺作となった。
『和田合戦女舞鶴』は、豊竹座を辞する前の作品だ。当時の並木宗輔は、様子がおかしくなっていた。心を尽くした犠牲(身替わり)であっても結局無意味、子供はなんのために死んだのか、いったいこの「建前」になんの意味があるのかという、見世物ですらない異様に残虐な作品を書いていた(そのような作品に関わっていた)。『和田合戦』は豊竹座を辞めるよりまあまあ前の作品で、不穏さがあらわれてきた頃の作品だが、『鶊山姫捨松』は、辞める直前の作品だ。『鶊山』は現行上演部分も大概だが、その後の廃曲となっている部分に、それどころではなくドン引きするような段がある。

私の所感だが、当時の並木宗輔は、人間不信が極まっていたのだと思う。登場人物の姿は現実の人間の姿であり、人間は所詮なんらかの外的なものに操られる人形でしかないという彼の思考をあらわしているのではないかと思う。並木宗輔の作品で、人物が鎧櫃などの「絶対入んねぇだろ」っていう小さい箱に格納されるシーンがやたらあるのは*7、登場人物は所詮「人形」なのだという諦念による意図的な演出だと思う。

江戸時代は「天下泰平」といわれた。「武家諸法度」は、二代秀忠が制定した当初には、武士の嗜みとして文武弓馬の鍛錬が謳われていたが、五代綱吉時代には、文武と忠孝、礼儀を守ることが重要であるとされるようになった。さらに時代がくだり、六代家宣時代には、武士が磨くべきは文武の道、人倫、風俗の正しさを守ることと定められるようになった。武士には、戦をはじめとした「武力」(弓馬の道)を行使する「命のやりとり」はなくなった。しかし、彼らは乱世とはまた違ったものに圧迫され、「命のやりとり」を強要されるようになったのではないか。本作は鎌倉時代が舞台だが、江戸時代のこの状況を写しとった構想がされているのではないか。あるいは、武家の世界を舞台にしながらも、町人百姓そのほかすべての人にも言えることとして描かれているのではないかと思う。

この観念のなかで、板額や与市はいったいなにを表現したキャラクターなのか。なぜ並木宗輔はここまでの社会への問題意識を持っていたのか。それを現代にどう解釈し表現するかは、文楽全体のテーマでもあると思う。

 

 

 

 

*1:「キラッと(きラット)」「がんばりマウス」みたいな、ちいかわなら「ワァッ!」と叫んでちびりながら80cmは飛び上がるギャグが散りばめられていた。

*2:ただし、「竹中砦」も、新規で演出(演技)をつけた人形は、かなり微妙だった。微妙だと言う意味は、この「市若初陣」と同じ。一段トータルでみてのメリハリがなく、単調。新規振り付けで人形遣いさんたちが慣れてないから云々というより、人形が同じ位置からずっと動かないなど、演出構想そのものがフラットになりすぎている(全体を通してどう見せるかというメリハリの意識がない)と感じた。再演が期待される演目ではあるが、このまま同じことをされても困るなという印象。

*3:この特徴的な衣装のため、与市と初代吉田玉男は、1997年の秋の全国火災予防運動期間イベントにおいて大阪市中央区の一日消防署長を勤めたらしい。当時の新聞に、文楽劇場の前で「一日消防署長」のたすきをかけ、ポーズをキメる与市の写真が掲載されている。本編で与市の持っている小道具はがんどう(前方を照らすためのメガホン状の灯籠。入ってきたときだけ持っていて、すぐ下ろす)だが、特別に采配(棒の先にチューリップ型の白いふさふさがついたやつ)を持たせていたようだ。当時『和田合戦』の上演があったわけでもないのに、何故、与市。記事の文脈からすると、一日消防署長の本体は玉男師匠で、与市はなんらかの形で指名キャスティングされたようだ。こんなマイナー演目のキャラ、しかも玉男師匠の持ち役だったわけではないはずだが、どういういきさつがあったのだろう。
朝日新聞大阪本社版1997年11月11日夕刊12面より。左玉佳さん、足玉翔さん?
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*4:音の聞こえといえば、口上、錣さんだけマイク感のない、肉声のような声で聞こえるのが不思議だった。大阪でも東京でもそうだったが、呂勢さん含めほかの人はマイクONな声なのに、錣さんだけ、特別デカ声というわけでもないのに、肉声の聞こえ方。地の声の音域によるもの? 後列の人にはどう聞こえていたんだろう。

*5:江戸時代のリアルタイム一般社会では、警護にあたる武士が陣羽織を着用する事実自体はある。しかし、文楽の衣装割り付けでは、陣羽織を着用するのは武将ないしは討手の大将なので、そう見えることになる、という意味。

*6:歌舞伎の場合はどうか。一般に出版されている台本集をめくってみると、「与市に力押しを叱られる」「資国が目の前で切腹する」場面が記載されている。しかし、近年の(といっても1988年と1965年)上演記録をみると、資国の配役がついていないので、文楽とおなじく、門を打ち破ったあとのシーンをカットしていると思われる。与市に叱られるシーンがあるかは不明。1965年上演当時の『演劇界』の劇評を見ると、原作解説として「与市に力押しを叱られる」「資国が目の前で切腹する」シーンの存在が紹介されていた。上演の内容は詳細な言及がなかったため、不明。

*7:なんなら、『和田合戦』にもある。