TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽夢想 継承伝『二人三番叟』『義経千本桜』幽霊知盛『釣女』 国立能楽堂

「文楽祭」翌日、国立能楽堂で行われた若手有志公演「文楽夢想 継承伝」へ行った。


文楽夢想」は、若手有志による自主企画。過去には大阪で2公演行われており、今回は初の東京公演。今回は会場が国立能楽堂ということで、『二人三番叟』、『義経千本桜』幽霊知盛、『釣女』と、松葉目物をセレクトしての上演だった。

会場を選定するセンスは、二重丸。国立能楽堂はかなり音響がよく、義太夫の聞こえは良好だった。コンサートホール公演より、全然良い。やっているご本人たちには違和感があるようだが、自分は元々能楽堂の音響に慣れているのもあるのか、特に戸惑いはなかった。国立劇場以上に小さい音までしっかり聞こえるし、むしろ、好き。(国立能楽堂大好き)

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文楽夢想」は、若手の中でも若めの人と、芸歴が40〜50年ほど離れている師匠格が共演するというのが企画のキモだ。師匠は一種の客寄せパンダだろうと思っていたが、存外(?)、違った。実際に見てみて一番感じたのが、実力の差がものすごくはっきり出るということ。

師匠格とほぼ対等の役で同時に舞台に出るだけあって、若手会のように「よちよち頑張りまちたね〜えらいでちゅね〜」とかの、「頑張ってるんだから良い」的な呑気な感想は、まったく湧かない。逃げ場なし!! 実力まるわかり!!! ちいかわのように怯えてしまった!!!! そりゃ、「若造」がとっても一生懸命頑張っているのはとってもよくわかるんだけど、師匠はなぜ師匠なのか、至らない人は何が至らないのか、それがくっきりと立ち現れている。これが意図なのか偶然なのはわからないが、若手の勉強の場として、ものすごく効果的である。

観客へも、気づきの機会を生む。通常の公演だと、長く通って同じ演目を何度も観ることで、上手い人と下手な人の落差を感じ取り、「あの人はなぜ上手いのか」を理解できるようになるわけだが、この公演ならそれが一発でわかる。私自身にも大変勉強になった。




二人三番叟。

検非違使が玉峻さん、又平が玉男さん。

チワワと土佐犬が出てきたッッッ。って感じだった。玉峻さんは三番叟に出るのは初めてとのことだったが、手順の覚えやかしらをしっかりFIXさせるという点はちゃんとできていたと思う。ただ、玉男さんを目で追いすぎ、見過ぎ。本人の目線が自分の人形から外れていることが一番目立ってしまい、人形が目につかなくなってしまっていた。やるべきことはできているんだから、そのまま素直にやれば、玉男さんがあなたに合わせてくれるんじゃないかな、と思った。というか、曲に合わせていれば、合うと思う。見て合わせているというほどズレてなかったし。おまえはできるっ。自信を持てっ。

玉男さんは上手すぎですね。本公演に出る人ともまったく桁が違う。玉男さんご本人の所作はミニマムに畳まれており、ご自身のどでかさにかかわらず、人形のほうが目立っているのは、本当に、さすが。足元の動きなど、それ自体が能楽師のように優雅で、目障りにならない。そして、弟子に華を持たせる「ちょっぴり控えめ」感も、さすがでした。
しかしなんで眉毛をあんなぴこぴこさせてたんだ??? 玉男さんって、眉毛の使い方に結構特徴あるよね。でも、又平が眉毛をぴこぴこさせているのは、かわいいから、良い。
それにしても、技術の超越性もさることながら、69歳で三番叟踊れるって、玉男さん、元気だね。💧💧💧が爽やかでした。

 

『二人三番叟』は、演目として、今回上演の中で最も能楽堂という場にマッチしていた。三番叟は揚幕→橋ガカリ→本舞台と入場してくる。すべて本舞台上で完結させる本公演と違って、橋ガカリを歩く姿をしっかりと見せられるのが松葉目物らしさとなっており、よかった。そうそう、あの橋ガカリを歩く時間が、能楽らしいのよね。

 

  • 義太夫
    竹本小住太夫、豊竹亘太夫、竹本聖太夫、豊竹靖太夫/鶴澤清公、鶴澤清志郎、鶴澤清方、鶴澤友之助

  • 人形
    三番叟[又平]=吉田玉男(左=吉田玉路、足=吉田簑悠)、三番叟[検非違使]=吉田玉峻(左=吉田玉誉、足=吉田玉征)
  • 口上=吉田簑太郎、かいしゃく=桐竹勘次郎、吉田簑之、吉田玉延
  • 幕柝=吉田簑太郎




勘十郎・玉男挨拶(プログラム掲載なし)。

つなぎで勘十郎さん・玉男さんが登場し、企画説明。父兄挨拶というか、夫婦漫才というか。
勘十郎さんからは、若手たちの頑張りにご声援よろしくお願いしますという旨の挨拶。
玉男さんは直前の『二人三番叟』に出ていたため、息を整えてからの登場で、汗をフキフキされていた。そして、玉男さんは、普通に、次の演目をわかっていなかった。勘十郎〜言うといて〜〜〜〜〜。

 




義経千本桜』渡海屋の段より“幽霊知盛”。
「抑是は桓武天皇九代の後胤。平の知盛幽霊なり」から「早風につれて。眼をくらまし飛ぶがごとくに(かけり行く)」までの抜粋。

玉翔さんが知盛役、清允さんが錣さんを相方に三味線を勤めた。

玉翔さんは、若手会以上に一生懸命背伸びをしている感じ。知盛という役や、初代玉男師匠へのリスペクトが感じられる。大変気を張って頑張っておられたと思うけど、役に飲まれすぎたかな。私は玉翔さんを評価しており、もはやただの「若手」ではないと思っている。人形を通して何を表現したいのかを持っていて、それを舞台でみせていく意識がある人だ(ご本人が実際どう考えているかは知りません)。番付で上になっている人たちよりも、ずっと上手いと思う。そのためあえて指摘するが、今回の知盛は単に振り付けを見せる状態になってしまっていたと思う。本人の持つシャープさは出ていても、知盛という人物の持つまっすぐな意思の表現に至っていない。具体的には、目線(というか顔が向いている方向)が怪しく、場面(会話相手)による所作の違い、動きのメリハリがついていないのが原因だと思う。あまりに大きな役だという重圧に負けて、ご本人の戸惑いが前に出ちゃってる感じ。知盛にとって、意思を表現する目線の強さと動きのメリハリはなによりも重要で、それこそが彼の性根とイコールだと、こちらも勉強になった。
普段から心掛けをされているであろう、「人形をしっかりと差し上げ続ける」「人形の体幹を安定させる」という部分がこなされていることは、見て取れた。知盛ははじめておやりになった役かと思うが、そういう意味では、信じられないほど人形がシッカリしているのは、確か。これができているんだから、迷っては、いけない。

段切、橋ガカリが長すぎて、「飛ぶがごとくにかけり行く」はずの知盛の退出がモタついて見えるのは気になった。人形の演技の向きは、何方向も「正面」が存在する能舞台にあわせて工夫されていたようだが、能楽堂の特性と役の性質を擦り合わせた演技プランを検討する必要があるようだ。

ご本人の頑張りとは別次元の話として、「幽霊」のくだりだけを抜き出して知盛を演じるのは、若い方には至難なのではと感じた。信念の見せ方が重要になる知盛において、町人のふりをしていた銀平の部分と、気品と信念にあふれる平家の貴公子・武将である知盛との差分を見せられないのは厳しい。若い人の場合、渡海屋の頭から出して文脈を成立させたほうがうまくいきそうだ。
人形は知盛のみ、お安(安徳天皇)や典侍の局を出さないのも、難易度を上げていたと思う。大道具がないというのも、上級者以外にはハードルになりますね。上手い人だと、より一層人形が引き立って、いいんだけど……。

 

清允さんも曲の勢いに飲まれてついていくのに精一杯という感じだった。しかし困難な箇所は錣さんがサッと入ってフォローしており、安心して弾けたのではないだろうか。太夫と三味線は二人で一体ということが、「ベストコンビ」とは違う意味であらわれていたように思った。

錣さんの知盛は、執念深そうなのが良かった。人形特殊衣装、特殊演出とかで見てみたい感じだった。

 
 
 
 
 
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  • 義太夫
    竹本錣太夫/鶴澤清允

  • 人形
    平知盛=吉田玉翔(左=吉田玉佳、足=桐竹勘介)
  • 口上=桐竹勘次郎
  • かいしゃく=吉田簑悠、桐竹勘昇
  • つけ・幕柝=桐竹勘次郎




若手座談会「俺の話を聞いてください…」。

産経新聞記者の亀岡典子さんを司会に、聖太夫さん、清允さん、玉峻さんが登場。舞台に鬘桶を置いて(国立能楽堂の備品?)、上手から亀岡さん、聖太夫さん、清允さん、玉峻さんという順で着席。今回の舞台の感想、勉強になったと感じたこと、入門のきっかけなどを簡単にお話ししてもらった。

 

▶︎今回の舞台の感想と、勉強になったと感じたこと

玉峻さんは、いままでに三番叟の役がきたことはなくとも、後見などで控える機会はあり、舞台はよく見ているつもりだったが、見るのとやるのとでは大違いというのが一番の感想だったようだ。師匠ばかり見てしまったという自覚はあったようで、それがわかってるならヨシ!!と思った。ちなみに、終わったあとに玉男さんからもらったコメントは「お疲れ様」だったらしい。そこは、自分から「師匠ぉぉぉぉぉーーー!!!!!!!!!!! どうでしたかぁぁぁぁぁーーー!??!?!??!!!」とトイレの中まで追いかけて、聞こう!!!!!!!

清允さんはついていくのに必死というのが一番の感想だったらしい。一緒に演奏した錣さんからかなり細かい指導を受けたようで、「どのように弾くと太夫がやりやすいか、やりにくいか」などを詳しく教えてもらったと語った。いまの経験と技術ですぐさま理解できるかできないか関係なく指導があったようで、清允さんはその長期的な教えにこたえられる人であり、ご自身の現在位置を理解し、今後を見据えた勉強の感覚を持っていらっしゃるのだなと思った。

太夫さんは座談会の時点ではまだメイン舞台を勤めていないので、稽古についてのお話。白湯汲み(弟子が床の横に控えていること)で師匠の演奏はいつもよく聞いているはずだが、真横で声を聞くというのは初めての経験で、伝わってくるのものがまったく違うと感じたようだ。また、「釣女」では師弟で醜女・美女役とあって、舞台で真横に並ぶのは初めてで、緊張しているそう。そして、能楽堂国立劇場等と音の印象がまったく異なり、「音が返ってくる」感じが全然違うとのことだった。音響の印象が会場によって違うこと自体は太夫さんがよく仰ることではあるのだが、お若いのに、テンパってがむしゃらな大声になるのではなく、音響をよく聴いて、どうしたらいいか考えているのは、立派。

 

▶︎入門のきっかけ

玉峻さんは、親御さんが舞台芸術全般を好きで、子供のころからご両親とともに様々な舞台を見に行っていたそうだ。大学4年生になり、就職活動に行き詰まっていた際にお父様から研修生募集のことを教えてもらい(というか勧められ)研修生に応募したとのこと。

清允さんは、大学の授業で、音楽で食べていく道のひとつとして文楽技芸員があることを知り、いろいろあって研修生に応募したそうだ。(音大とか芸術学部系卒なのか?)

太夫さんは、地元でお世話になっていた先生(もともと地元で義太夫を習っていたという経歴のはず)が呂勢さんと知り合いで、呂勢さんから研修生制度を紹介されたのがきっかけということだった。

 

▶︎舞台生活の喜び

玉峻さん、清允さんはともに、「それまで出来なかったことが出来るようになること」が嬉しいと語った。その語り口の真剣さに、若者らしいひたむきさを感じ、いいなあ、としみじみ感動した。

太夫さんは「舞台が終わったあとのラーメン」。素直に生きてるッ。それにしてもさとちゃん、なんでラーメンインスタやめちゃったの? 錣さんはSNSやるの、許してくれてるよね? 本人がめんどいだけ?

 

▶︎今後やってみたい役

玉峻さんは「師匠(吉田玉男)がやっているような役をやってみたい」。治兵衛など近松の二枚目、師匠が襲名で遣った熊谷など。

清允さんは、師匠(鶴澤清介)から「合邦」が弾けるようにと言われているそうだ。三味線の立つ曲ということだろうか。(ほかの曲名も挙げられていた。「尼ヶ崎」だったかな……)

太夫さんは、「尼ヶ崎」をやってみたいとのこと。もともと義太夫を習っていた方ならではの回答かも。

 

20分と短時間ながら、かなり聞き応えのある座談会だった。「勉強になったと感じたこと」のような、登壇者の内面にある考えを引き出すことを聞くのは、さすが新聞記者の方の司会。普通のトークショーだと、こういった突っ込んだ話をする司会者はまずいない。プロの司会者は、良くも悪くも、話が止まらないように定番のことしか聞かないし。この方、ほかの外部公演のトークショー司会もして欲しいな。若い技芸員さんたちも懐いているようで、安心して素直に話している様子が見て取れて、良かった。

最後のつなぎタイムに、本日(9月26日)が誕生日ということで、サプライズお祝いで勘昇さんが登場。今後の「文楽夢想」の展開を聞かれて「まだなにも決まってないです」とかなり正直なことを言ってしまっていたのが可愛かった。

 

あと、聖太夫さん・清允さん・玉峻さんがトコトコトコ〜っと橋ガカリから一生懸命急いで歩いてくる様子は、ツメ人形が出てきたみたいで、かなり、良かった。(失礼)

 

  • 聞き手=亀岡典子
  • 竹本聖太夫、鶴澤清允、吉田玉峻




釣女。

残念ながら、普通に、良くない。単なるワチャワチャになっちゃってたな。特に人形。「笑える演目なのだ」というウケ狙い、笑ってもらえるという思い込みが全面に出て、人形がどう見えているかへの考慮がないように感じた。舞台上に人形がいるように見えず、人形遣い自体しか見えなかった「丁寧」にやっている方もいるのだが、「丁寧」は当然やるべきことであり、それ以上のものがないと、このような演目は、厳しい。結果的に雑な見え方になってしまっていたのは、非常に残念。

そして、もっと積極的に狂言の勉強をしてほしい。「釣女」は、狂言の所作をしっかりと取り入れて「古典」「虚構」のエクスキューズを作らないと、ただの時代錯誤な演目になってしまう。仮に狂言の所作を取り入れないという理由や意図があるのなら、それこそ文楽人形遣いとしての飛び抜けた技術が必要だ。本公演でも問題の多い演目だけど、勉強していない先輩を手本にする必要はない。本当に、勉強してほしい。

『釣女』は登場人物の人数が多いこともあって「生身の人間」(だけ)がひしめいているように見え、人形遣いの余計な仕草が非常に目立つ状態だった。人形遣いの全身が見えるような舞台では、自分自身の所作もコンパクトに畳んでいかないといけないと思った。

 

美女の勘十郎さんは、抜群にしっかりしていた。美女は狂言の文法上にない所作だけど、文楽女形の「かわいさ」を抽出して純化した造形になっており、本来の文楽では嫌われる「中身のなさ」をうまく使いこなしている。こういった「既存物をもとにした展開」「特性を理解したパロディ」は、勘十郎さんは本当にうまくて、映像クリエイターでいうと庵野秀明のような才能だと思う。本公演ではわかりづらい勘十郎さんの才能をはっきり見ることができて、良かった。ちょっと控えめなのも、良い。

 

美女役の聖太夫さんは、決められたセリフを言うので精一杯という感じ。まだお若くて発声が不自然なため厚化粧感があり、なんなら若干醜女に寄っちゃっていたが、透明感のある美人さんをやるぞー!という気持ちだけは感じられた。
ほかの方々は、一応、お兄さん枠での出演だと思うが、それならなおさら、研鑽の必要があるように思った。

醜女役の錣さんはさすがのすさまじい貫禄で、かなり強烈な醜女ぶりが良かった。本公演での女性役にみられる「異常な毛深さ」がポジティブな方向に活かされたというか……(?)。「若造」たちを気にせずやっていたのも、錣さんらしくて、良かったです。

 

舞台に錣さん、聖太夫さん、亘さん、靖さんと並んでいると、「酒屋(艶容女舞衣)」の「五人組の長(三人遣い)とそれにくっついてきたその他のツメ人形」にしか見えなくて、相当、面白かった。(失礼)
錣さんは「釣船」のかしらにそっくりだと思った。なんか、立方体な感じが。(失礼)




  • 義太夫
    太郎冠者 豊竹靖太夫、大名 豊竹亘太夫、美女 竹本聖太夫、醜女 竹本錣太夫/鶴澤友之助、鶴澤清公、鶴澤清志郎、鶴澤清方

  • 人形
    大名=桐竹勘昇(左=吉田玉翔、足=桐竹勘次郎)[吉田簑之休演により左記配役へ変更]、太郎冠者=吉田玉路(左=吉田一輔、足=吉田玉征)、美女=桐竹勘十郎(左=吉田簑太郎、足=吉田簑悠)、醜女=桐竹勘介(左=吉田玉佳、足=吉田玉延)
    口上=吉田簑太郎
    かいしゃく=吉田玉誉、吉田簑之、吉田玉峻
    幕柝=吉田簑太郎

 

 

 

前述の通り、「自分なりにがんばりました❣️」という発表会公演というだけではなく、実力がはっきりわかる企画になっているのが、とても良いと思った。誰がどう見ても、「ちゃんとした芸」と「未熟な芸」との差がわかるわけじゃないですか。頑張っているからといってなにもかもを手放しで褒めるのは、失礼だなと思った。あえて自分たちが批判を受けやすい企画でお客さんの前に出るというのは、本当に勇気のいることだと思うけど、その心意気は、本当に素晴らしいと思う。
(師匠方も、なんじゃその横におるスカタンは!!!おまえらどないな教育してんねん💢💢💢というお叱りをモロに浴びる、マジでまたとないレベルのものすごい機会だと思いますが……)

最近本当によく思うのだが……。若い頃にチヤホヤされたのを無邪気に真に受けてしまい、それ以上勉強することなく自己肯定して、成長しないままこの年齢になっちゃったんだなーという人、いるじゃないですか………………。お客さんは「若い子にはまずは励まし」と思って褒めるんだけど、その人の人生にとっては逆効果になってしまうというのは、怖い……。
褒められたからといって誰もが怠慢になるわけではなく、たとえば勘十郎さんの場合は、お客さんのチヤホヤが逆に強迫観念となり、お世辞で褒められるのではなく師匠や親と並ぶような本物の力を身につけなきゃと思って死に物狂いで頑張って、本当に実力をつけたんだと思う(私の想像です)。けれど、克己心でそこまでできる人、そうそういないですよね。「ちゃんとした人」ほど「ダメなところがあったらはっきり言ってください」と言うのがわかる気がする。

本当に大変だと思うけど、今後もこの企画を継続していただきたい。基本的には彼らの「お客さん」が来場されているのだと思うが、そこに甘えず「誰にでも楽しんで見てもらえる企画」として作られているのは、とても良いと思う。より一層、いろいろなタイプの文楽のお客さんに見てもらえる公演になるといいですね。

最終的にこの中で何人がものになるのかはわからないけど、自分がやりたいこと、やるべきことをしっかりと見据えて、頑張ってほしい。

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当日の配布パンフレット。人形さん主催の公演らしく、左や足、口上などの普段は公開されない配役まで掲載。

おそらく小割帳を模したデザインになっているのだと思うが、説明しないとお客さんに伝わらないと思う。会場では「見方がわからない」という声も挙がっていたので、人形代表がつなぎタイムなどに説明するのも良いのではないでしょうか。
お囃子については、このパンフ、公演案内、どこにも表記がなかった。が、いつもの人たちじゃない感じがした。確かに、小規模外部公演だと稀に「いつもと同じ人」じゃない人たちが出ている公演もありますね。

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