TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽の本、買ってよかった10冊 <初心者向け編>

文楽を見始めて半年、そのあいだに買ってよかったおすすめ本をメモ。

1冊を除き、すべて新刊で購入可能。残り1冊も古書市場一般に流通しているので、比較的手軽に入手可能だと思う。

 

┃ 1. 文楽へようこそ

文楽へようこそ (実用単行本)

初めて文楽を観に行く前に、最初に買った本。文楽関連の本の中でいちばん買ってよかった1冊でもある。

技芸員が文楽まわりの文化について自分の言葉で解説するという形式で、人形遣い桐竹勘十郎氏、吉田玉男(当時・玉女)氏の談話、おふたりの思い入れのある演目ベスト10を中心にまとめられた文楽入門書。初心者向けで談話形式&写真多数、わかりやすい言葉だけで書かれており、リラックスして読める。

インタビューパートは知識が必要な芸談等でなく、おふたりが対談形式で和気あいあいと入門から現在に至る50年を語るという内容になっているので、まったく文楽を観たことがなくても特殊な職業の人の談話として読めて入りやすい。修行期間がきわめて長い特殊業界ではあるが、かと言って格式ばった業界ではないとわかり、修行の中で学んできたことには誰でも共感できる。演目ごとのセルフ解説はさすがにその演目を観たことがないとわかりづらい部分もあるが、何に気をつけて演じているか、平易な言葉で語られているので、文楽業界がどういう世界なのかがなんとなく感じ取れる。

しかしふたりセットで当然というノリで突然話が始まっていて、金婚式状態になっちゃっているため、買ったときは「何故ふたりセット???」と思ったが、業界公式カプということなんですね。先に言ってよ、も〜。と思っていたら、途中に突然「焦がれる二人の共演」という豪速球そのまんまなページが挟まってた。古典芸能業界スゲー。これで別に兄弟弟子とかではなくて、50年来の友達兼ライバル、お師匠様同士は名カップルだったとか、私の気を狂わせる気なのだろうか。

ほか、三味線・鶴澤清志郎氏、人形遣い・吉田一輔氏の大阪文楽ゆかりの地案内、太夫・豊竹呂勢太夫氏、三味線・鶴澤燕三氏の入門から現在に至るまでの芸道談話、付録で太夫・豊竹咲寿太夫氏作のコミックが載っている(これがある意味一番スゲー。どうなってんだ文楽業界)。

メインのおふたり含め個々の技芸員さんを知らない人でも大丈夫な内容になっているが、文楽世襲ではないためそれぞれの方の技芸員になる前の来歴と何故技芸員になったかの話は興味深い。私が驚いたのは燕三さんが帰国子女という話。舞台観てるだけだと大人しく真面目な感じで、まったくそう見えないので……。親が三味線弾きくらいの勢いだと勝手に思っていた。

また、表紙と巻頭ポートレートの写真がとても美しく、印象的(撮影・渡邉肇氏)。表紙とカバー袖のプロフィール写真はいわゆるカメラ目線のポートレートではなく、普通に舞台で人形を遣っているときと同じ表情で写っているのが面白い。特に勘十郎さんが焦点がどこにあるのかわからん感じの完全無表情になってて、良い……。ちなみに表紙や巻頭のポートレートはここ(http://shogakukan.tameshiyo.me/9784093108249)から大サイズ画像が見られる。

文楽へようこそ (実用単行本)

文楽へようこそ (実用単行本)

 

 

 

┃ 2. 上方文化講座 菅原伝授手習鑑

上方文化講座 菅原伝授手習鑑 

大阪市立大学で一般開講されている文楽講座を抄録したシリーズで、『曾根崎心中』『義経千本桜』『菅原伝授手習鑑』が出ている。技芸員による解説・談話、浄瑠璃の詞章の詳細な校註をはじめ、文楽の演出技法や歴史、近世文学、周辺文化、中国演劇等から演目を多角的に学ぶことができる。講師技芸員は太夫・竹本津駒大夫氏(『曾根崎心中』のみ竹本住大夫氏)、三味線・鶴澤清介氏、人形遣い桐竹勘十郎氏。

これ、結構勉強になる。古典芸能のお勉強用書籍では演目ごとのあらすじをまとめた本がよく出ているし、初心者的にはまずそういうあらすじ本を買っちゃうのだが、正直な実感として、あらすじそのものには意味がないと思う。あらすじなら劇場で売ってるプログラム買えば十分だし、そのときの上演の演出にあわせたプラスアルファ解説も載っているので、鑑賞の助けとしてはそっちのほうがいい。そうではなくて、私にとって、古典芸能で演じられている話って、実際問題としてあらすじだけわかっても全然話の意味がわからないことのほうが問題なのだ。時代背景や当時の文化に対する理解がないと、そもそもなんでそんな話になっているのかそのものに引っかかってしまう。例えば『菅原伝授手習鑑』だとまず100%の人が引っかかる「忠義のために実子を殺す」という設定。武家社会で忠義が美徳とされるのはわかるが、仏教では殺生を戒めており、殺生戒は忠義より重いはずなのに何故実子を殺す話が美談になるのか。このシリーズはそういうひっかかりをときほぐす一助になる。『義経千本桜』だと化け狐伝承の解説や、勘十郎さん自身による人形の特殊演出(ケレン)の図解付き解説もあり。

上記のような講義抄録も面白いのだが、初心者的に一番惹かれるのはやっぱり技芸員さんの談話。各パートからの各演目のセルフ解説あり、会場からの質疑応答ありで大充実。みなさんもうちょっとおすましなさってくださいと思うほどに、わりとあけすけに話していて面白い。文楽協会・劇場制作部と技芸員がどういう関係にあるのかと、歌舞伎をどう思っているかの話には笑った。いや笑っちゃいけない。やっぱり技芸員さんも大変なんですね。

上方文化講座 曾根崎心中

上方文化講座 曾根崎心中

 
上方文化講座 菅原伝授手習鑑

上方文化講座 菅原伝授手習鑑

 
上方文化講座 義経千本桜

上方文化講座 義経千本桜

 

 

 

 

┃ 3. 簑助伝

簑助伝

 写真家・渡邉肇氏による人形遣い吉田簑助氏の写真集。よくある舞台写真やトリミングで人形遣いを切ってしまう人形のみの写真等ではなく、舞台上、バックステージ、稽古場、リハーサル、楽屋での簑助さん本人の姿を写したもの。すべてモノクロ。印象的なのは、冒頭のほうに入っている、楽屋の出入り口(?)近くの人形がたくさん並んでいる場所の前を、簑助さんがさっ……と歩いていく写真。背筋がしゃんと伸びて颯爽としていて、格好良い。それともうひとつ。楽屋で、文机にシナをつけて寝かせた女の人形に寄り添って、人形と喋っている写真。いや、本当は何をしているのかわからないのだが、人形と喋っているとしか思えないのだ。人形と見つめ合っている写真など、ほんとうに恋人同士のよう。

そういったドキュメントタッチの写真だけでなく、スタジオ撮影と思われるポートレートなども少しも入っていて、これがまた引き締まった写真で格好良い。撮影した写真家の方のご本業はビューティーフォト等スタジオで作り込んで撮る人物中心かと思うが、さすがプロのクオリティと思わされる。人間の肌、人形の道具の質感等が潰れておらず、美しく克明に写されている。

そして、巻末に収録されている勘十郎さんからの献辞が師匠LOVEに溢れすぎているのが微笑ましい。っていうか、すみません、ちょっと笑いました。はじめのほうは冷静に勘十郎さんから見た師匠、師匠から学んだことが書かれているのだが、途中から興奮してきて、舞台出るには無理せなあかんけど無理せんといてって、思ったことそのまま素直に文章にしちゃってるのが本当に心がこもってて、良い。また、勘十郎さんほかお弟子様方も写真の中に登場するが、お弟子様方の表情もとても良い。

写真家の方の自費出版で印刷・造本に凝っており、1万円近くする高級本だが、それを上回る価値とクオリティの一冊。

簑助伝

簑助伝

 

 

┃4.  文楽ハンドブック

文楽ハンドブック

文楽に関する基礎知識が手軽にまとまっている本。基礎教養本ではこれが一番よかった。

文楽の歴史、作劇要素等の定番セオリー、興行の仕組、技芸員紹介、演目ごとの解説、専門用語、参考文献紹介がわかりやすくまとまっている。あるある的な作劇要素の定番セオリー解説は初心者にはありがたい。

面白いのが技芸員紹介のページ。劇場で売っているプログラムにも名前・写真一覧が掲載されているが、本書では出版当時の技芸員全員の名前・写真・略歴(本名、入門年、師匠、初舞台、受賞歴等)と芸風のほか、ご本人がどういう方かのちょっとしたコメントが載っている。これが味わいがあって良い。「控えめで人当たりは柔らかだが、芯は強い」とか、技芸員さんの頑張りを見守る著者の方の優しい気持ちが伝わってくる。そんな中で、簑助様への「この人はどこかに憂いを秘めた、しっとりと露を含んだ花」という賛辞はすごすぎて爆笑した。

文楽ハンドブック

文楽ハンドブック

 

 

┃ 5. 七世 竹本住大夫 私が歩んだ90年

七世竹本住大夫 私が歩んだ90年

太夫竹本住大夫氏が引退後に自身の芸歴を振り返った本で、自伝的内容。

インタビュー形式で構成されており、住大夫さんの上品でやわらかな大阪弁をそのまま楽しむことができる。生まれてすぐに養家へ預けられて太夫を養父に持ち、華やかな大阪文化に触れながら育ち大学の法科へ進学、出征を経て戦後文楽へ入って頭角を現し、修行、三和会での地方巡業の時代ののち文楽協会での再スタート、先代吉田玉男氏ほか様々な技芸員との交流、そして引退に至るまでのエピソードがたっぷりと語られている。

太夫になってからの話も面白いのだが、一番興味深いのは実は幼少期、戦前の大阪のモダンな暮らしを語る部分。ご実家(養家)がお茶屋や花街でたばこ屋をされていたからか、とてもハイセンスな暮らしぶり。映画や歌舞伎、宝塚、落語、野球を観に行ったり、地下鉄や市電に乗ったり、百貨店に行って食堂でオムレツやカレーを食べたり、学校のきれいな先生に初恋をしたり。おしゃれすぎてめまいがする。  

ご自身でも語られているが、住大夫さんがとても幸せな人生を送られていることが伝わってくる、素敵な本である。

 

 

┃ 6. 人形有情 吉田玉男文楽芸談聞き書き

人形有情―吉田玉男文楽芸談聞き書き

著者の方が人形遣い・先代吉田玉男氏から聞いた来歴・芸談等の談話を氏の逝去後に出版したもの。

「何故この役でこういう演技をするのか」が大変理論的に語られている。師匠がやっていた、そう決まっているからとか以上に、演技ひとつひとつが深い考察と長い試行錯誤に裏打ちされていることがわかる。人形の遣い方は人形遣い・時代、あるいは太夫の語りによって変化するものであって、固定されたものではないと知ることができた。

この本、名人の芸談ということ以上に、著者の方が本当に本当に玉男さんが好きだったんだなということが伝わってきて、その点がほかの類書と違い、とても良い。文楽劇場から一緒に帰った話はまるで純真な高校生の初恋みたい。まあそもそも著者の方は玉男さんが舞台終わって帰る時間まで待ち伏せ(?)しているのだが、文楽劇場から地下鉄日本橋駅の入り口って徒歩1分程度しかかからないのに、すこしでも長く一緒にいたくて(?)トロトロ歩くとか、手をつないで階段を降りるとか、玉男氏についていってわざと乗り換えを回り道しちゃうとか、あまりにかわいすぎて……。そして玉男氏が亡くなる直前、最後に会った日の話には胸が締め付けられる。玉男氏ご本人がもう10年前に亡くなっていて、私は資料映像でしかお姿を拝見したことがないのになぜか親しみを感じられるのは、この著者の方の筆致のおかげだと思う。

人形有情―吉田玉男文楽芸談聞き書き

人形有情―吉田玉男文楽芸談聞き書き

 

 

 

 ┃ 7. 吉田簑太郎の文楽(新版 桐竹勘十郎文楽を観よう)

日本の伝統芸能はおもしろい〈5〉吉田蓑太郎の文楽 (日本の伝統芸能はおもしろい (5)) 

子ども向けの古典芸能入門本。

大型本なので写真が大きく見やすい。文楽をまったく知らない子どもにも親しみやすいよう、人形遣い桐竹勘十郎(当時・吉田簑太郎)氏がやさしい言葉で解説するという形式で、人形を中心に文楽のいろはが書かれている。私が買ったのは旧名時代に出た本なのだが、最近、桐竹勘十郎名義のほうで新装版も出ている。

面白いのが、技芸員さんたちが文楽劇場近隣の小学校で教えている文楽の実習授業の写真が載っている点。子どもたちが太夫・三味線弾き・人形遣いとなって『五条橋』の上演に取り組む様子を見ることができる。

最後に載っている、何故勘十郎さんが人形遣いになったのかの話が印象的。実際にはほかの本でもよく語られていることなのだが、この本では子ども向けだからか、子どもが実感できるような、学校の教室で起こったある思い出を交え……、ほかとすこし違う書き方がしてある。それがちょっとほろ苦くて泣けるのである。

 

 

┃ 8. 頭巾かぶって五十年 文楽に生きて

頭巾かぶって五十年―文楽に生きて

人形遣い吉田簑助氏の自伝。

戦前の幼い頃、人形遣いだった父に連れられて劇場や楽屋へ通っていたころから、入門・襲名・分裂時代を経て敬愛する兄弟子・先代桐竹勘十郎と死別するまでが書かれている。大変清廉で気品のある文章は簑助さんのお人柄を感じさせる。

心に残るのは、お師匠様のいまわのきわに、お師匠様が何か指を動かしているのを見てはっと気づき、お師匠様が大切にしていた娘のかしらを渡してあげて、人形を動かしたお師匠様がまもなく息を引き取ったという話。ご自身の体験された話のはずなのにどこかご自身の話でないような、淡く儚い雰囲気の不思議な筆致で、白っぽく掠れた古いサイレント映画を観ているような感覚になる。

文楽が因会と三和会に分裂し、お金のないなかで旅の巡業を続けていたころの話も、実際はとても大変なことだったろうに、儚げなロマンチックさがあり、おとぎ話のよう。自分に黙って三和会から抜けたお父上を一方的に罵倒して(簑助さんでもそんなことするのかとびっくり)家の中で冷戦状態になり、やがてその状態のままお父上は亡くなったが、亡くなる前に一度だけ酒を飲んだ話には涙。木下恵介大先生に映画化してほしいよ(時空に無理が……)。

でもそれだけではなく、若い頃、ある太夫さんへ愛人からの手紙を奥様やご贔屓さんの目の前で取り次いで大炎上させた等の失敗(?)エピソードも載っていて楽しい。

簑助さんは文章が本当にお上手なのだと思う。本書のみ刊行年が25年前と古いため古書でしか入手できないが、ぜひ復刊してほしい。滋味あふれる名著。

頭巾かぶって五十年―文楽に生きて

頭巾かぶって五十年―文楽に生きて

 

 

 

┃ 9. なにわの華 文楽へのいざない 人形遣い 桐竹勘十郎

なにわの華 文楽へのいざない: 人形遣い 桐竹勘十郎 

┃10. 文楽をゆく 

文楽をゆく (実用単行本)

それぞれ人形遣い桐竹勘十郎氏、同・吉田玉男氏のファンブック的な本で、舞台写真とインタビューを中心に構成されている。本人の芸風や師弟関係に関する細かい話も多いのであまり初心者向けではないが、ミーハーなら買わなきゃいかんでしょということですかさず買った。

勘十郎さんのほうはご自身の談話が大変充実していて、フンワリやさしい雰囲気の語り口が魅力的。オマケでついている、自身で振り返る出演舞台の思い出一覧は最高。私のお気に入りエピソードは「初めての東京公演。極度の緊張で出演途中に倒れて気がついたら楽屋で寝ていた」と「瓢箪棚から飛び降りる場面があるので、家の近くの公園に夜な夜な通いすべり台から下の砂場へ飛び降りる練習をして、カップルに怪しい視線で睨まれた」です。

玉男さんのほうは完全にファンブック仕様で、所々に挟まっているお若いころの写真と舞台裏がどうなっているかのページがまことにありがたみある。人形の拵え(着付け・組み立て)をしているめがね姿の玉男様はまじ最高素敵すぎて拝んだ。いとありがたし。あと技芸員さんて特殊業界のせいか年齢がわからん時空がおかしい外見の人がようけおるけど、玉男様のお弟子様ってなかでも年齢が謎な方多いなと思いました(生年月日が載ってるので、実年齢がわかります)。

文楽をゆく (実用単行本)

文楽をゆく (実用単行本)

 

 

 

 

 

 

 ┃ 番外編 買って失敗した本、公式動画が観られるウェブサイト

逆にコリャ買って失敗したなと思ったのは、小説家などが書いているクチの文楽入門本類。というのもあの手の本、文楽ファン向けではなく、その小説家のファン向けに書かれているので、著者に興味がないと内容にいっさい興味が持てない。それと、編集者が甘いのか、内容がおかしくてもそのままになっていることがある。劇場で売っているプログラムの巻頭にいつも著名人からの寄稿が載っているが、とくに興味のない著名人の文楽談義はあれくらいのボリュームで十分かなと思う。

ほか、ウェブサイト・文化デジタルライブラリーの「舞台芸術教材で学ぶ」ページの文楽項目も大変参考になった。文化デジタルライブラリーは舞台映像や解説映像などの動画も収録されていて、演目によっては校注付きの床本もダウンロードできるのが良い。特に人形の動かし方、拵えの詳細な実演動画を見られるこのページ(http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc5/index.html)は異様にボリュームがあってやたら見応えがある。サイトのつくりがちょっと古いので、iPhoneから観られないのが難点。リニューアルして欲しい。