TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 4月大阪公演『国性爺合戦』国立文楽劇場

ぶおんぶおん! はまぐりの季節!! 

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第二部、『国性爺合戦』。
最初に、今回の上演部分へ至るまでのあらすじを、簡単にまとめておく。

大明国の思宗烈皇帝は、ウェイウェイしながら暮らしている。そこへライバル国である韃靼の将軍・梅勒王が使者としてやってきて、思宗烈皇帝の后・清華夫人を韃靼大王の妻として渡すようムチャ振りをしてくる。臨月の清華夫人を渡すわけにはいかないと困惑する家臣一同。そこへ右軍将・李蹈天が歩み出て、先年の飢饉の際、密かに韃靼と交渉して救援の穀物を受け取った経緯があるため、その恩返しに清華夫人を差し出すべきだと言い出す。大司馬将軍・呉三桂は、そんな話は信じられないと言って、逆に、民の飢えに構わず皇帝へ浪費を勧める李蹈天を批判する。梅勒王は怒って席を蹴立てるが、李蹈天が突然左の目をえぐって韃靼の大王に捧げると言う。梅勒王は李蹈天を忠臣と褒め称え、后を娶ったも同然と言って帰っていった。

帝の妹・栴檀皇女は、思宗烈皇帝から李蹈天の妻になれと言いつけられていた。皇女はそれを拒否し続けていたが、帝は女官たちに花戦(女たちが二組に別れ、桜や花の枝で打ち合う遊び)をさせて嫁入りするか否かを決めるという。皇女は自らも梅花を取って戦うが、女官たちは予め帝に言い含められていたため、皇女が負ける。呉三桂は戦の真似事はやがて本物の戦を引き起こすとしてそれを諌め、かつて思宗烈皇帝が追放した忠臣・鄭芝龍が今は日本の肥前平戸にいることを語る。そして、李蹈天は韃靼と内通していると見破る。思宗烈皇帝は呉三桂を李蹈天への嫉妬ゆえの言動だとなじるが、そうこうしているうちに、韃靼の大軍が城へ攻め込んでくる。

混乱の中、呉三桂の妻・柳歌君は栴檀皇女を連れて城を脱出する。呉三桂は韃靼軍に応戦するが、その裏で李蹈天の弟・李海方が思宗烈皇帝を突き刺す。帝は鄭芝龍や呉三桂の諌めに耳を貸さず李蹈天の甘言に乗せられたことを悔やみ、清華夫人のお腹にいる我が子だけは助けてほしいと願うが、李蹈天に首を打ち落とされる。駆けつけた呉三桂は、清華夫人を捕縛していた李海方を真っ二つにして后を奪還する。呉三桂は帝の遺骸から皇帝の証である印綬を回収し、清華夫人、そして柳歌君が残していった生まれたばかりの我が子を連れ、城を出る。

呉三桂と清華夫人は海登の港へたどり着くが、清華夫人は韃靼軍に撃たれて命を落としてしまう。呉三桂はやむなく后の腹を切り開き、赤子を誕生させる。そして、身代わりとして我が子を后の腹に押し入れ、港を後にする。
一方、栴檀皇女を連れた柳歌君も海登の港まで落ち延びてきていた。柳歌君は李蹈天の家臣と戦い、瀕死の重傷を負う。柳歌君は栴檀皇女を船に乗せて沖へ押し出し、陸で敵軍を防ぐのだった。

帝が殺され、滅亡の危機に瀕した大明国、どうなっちゃうの!? というのが、ここからの話。 

 

  

ここで舞台は日本へ移り、今回上演部分、平戸浜伝いより唐土船の段。

日本、肥前の国は松浦の里。ここでは和藤内〈吉田玉志/前期〉と小むつ〈吉田清五郎/前期〉という夫婦が海人仕事を営み仲良く暮らしていた。和藤内の父は大明国の忠臣で鄭芝龍という名だったが、帝から遠ざけられたため日本に渡ってきたという経緯があった。鄭芝龍は老一官と名を変えて日本人の妻を得、そのあいだに生まれたのが息子・和藤内。老一官が大明国を出てから、二十数年の月日が流れていた。

和藤内と小むつが浜辺で貝拾いをしてイチャついていたところ、信じられないくらいデカいはまぐりと鴫が嘴と貝殻を挟み合って「絶対離さん!!!!」と大喧嘩をはじめる。それを見た和藤内は、両軍を戦わせてその隙を討つという「漁夫の利」の軍法を悟る。様子を見ていてキモくなってきた小むつは笄ではまぐりの貝殻を開き、鴫の嘴を外してやる。鴫は飛び去り、はまぐりは海へと帰っていった。

そうこうしていると、浜辺に見慣れぬ作りの船が流れ着く。
船には、唐の装束を来た若い女……栴檀皇女〈吉田簑一郎/前期〉が乗っていた。不思議な言葉で話す栴檀皇女に小むつは笑い転げるが、和藤内は彼女の語る大明国の危機に驚く。和藤内はよその女に構ってばかりの夫にプリプリ怒る小むつを説得し、家へ父母を呼びにいくよう頼む。

小むつが家に向かったのと入れ替わりに、浜辺へ老一官〈吉田玉輝〉と母〈桐竹勘壽〉がやってくる。大明国の危機と栴檀皇女が逃れてきたことを知った老一官は、軍術に親しんだ和藤内とともに大明国へ渡ってその危急を救うことを決意するのだった。

定式幕が開くと、大海原を描いた浅葱幕に波を描いた手すり。浅葱幕が振り落とされると、平戸の浜。下手は浜辺、上手は砂浜と岸壁で、舞台中央奥に大岩。その前に、備中ぐわを持った和藤内、バスケットを持った小むつ夫妻が腰蓑をした海人姿で立っている。

第一の感想。

デカはまぐりデケエ!!!!!!!!!!!!!!

デカはまぐりがデカすぎて、話がまっっっったく頭に入ってこなかった。
私は玉志サンの和藤内を見に大阪へ来たのであって、デカはまぐりを見に来たのではないと思いつつ、デカはまぐりに目が釘付けになった。

そもそも鴫と喧嘩するデカはまぐりが出現する以前に、小むつが拾うベージュの貝(あれが一般に言うところの大サイズのはまぐりだよね?)や和藤内が拾うサルボウ貝のデカさも相当やばい。でも、波間から出現する「大蛤」、あまりにデカすぎる。鴫は普通なのに、なんではまぐりだけそうなるねん。
人間のスケール感に置き換えると、洗面台のボウルくらいあるジャイアントぶり。あんなデカかったら、鴫がどうとか以前に、和藤内に食いついて首捻じ切れる。デカはまぐりは貝殻をパカパカ開いてリラックスしておられたが、二枚貝ってリラックスしたときパカパカするのか? リラックスした貝からお口や足が出ているとかはわかるけど、開いてる貝って、普通、死んでないか?
いやそれはもうここでは置いておいて、開いてるとき、身、上側についとんの? 貝柱の筋力すごすぎだろ、と思った。

和藤内はデカはまぐりと鴫の喧嘩を頬杖つきながらウオッチしていたが、玉志サンご自身がデカはまぐりを凝視していたのが気になった。普段、玉志さんは自分に関係ない役の演技中は目を伏せていることが多いのに、なぜデカはまぐりは見ているのか。はまぐりがお好きなのか?デカはまぐり役の人の指導役なのか?と思っていたが、どうもデカはまぐりが鴫のくちばしを咥えた瞬間、和藤内のポーズを変えるためのようでした。

小むつに助けられたあと、デカはまぐりは砂に潜って海へ帰っていくが、デカはまぐり見すぎて、ここでやっと私も落ち着いた。人形の演技に全然集中できなかったわ……。
ただ、デカはまぐりのサイズ感は、『国性爺合戦』初演当時の資料(古典籍)でも文楽現行相当のジャイアントぶりなので、これらの同時代資料をもとに小道具を作っているのではないかと思う。*1

 

始終、和藤内と小むつがどうでもいい痴話喧嘩を延々しているのが良かった。この人ら毎日このノリでやっとんの!? 仲ええな!! と思った。ラブラブすぎる。少なくとも、普通、船が漂着して、中に弱った人が乗っていたら、水あげたり介抱したりする気がするが、ヨヨヨ……となっている栴檀皇女を完全無視して、完全に自分らの世界で痴話喧嘩をはじめていた。その様子を「え……?無視……?」という表情で見ている栴檀皇女も良い。

小むつは清五郎さん。清五郎さんらしい、背筋の伸びた品がよくスッとした雰囲気の、婀娜っぽい奥さん。なぜだかやっぱり面長な感じがするな。夫和藤内・玉志サン、父老一官・玉輝さん、母・勘壽さんと揃うと、ファミリー感があって良かった。こういう一家、いそう。

しかし、小むつが家に戻っていくと同時に老一官と母が「偶然通りかかる」という意図のわからない御都合主義展開には、「なんで?」と思った。小むつ、一回帰る必要あるか?

 

太夫はみんな良かった。どの方もひとりよがりにならず、登場人物になじんでいたと思う。一家の雰囲気が自然に感じられた。

 

以上、「平戸浜伝いより唐土船の段」は、とにかく「え?」「なんで?」ということが多すぎて、内容自体にまったく集中できなかった。

 

 

 

千里が竹虎狩りの段。

大陸に渡った老一貫・母・和藤内は、千里が竹で落ち合う。老一貫は、かつて大明国の臣下であったときに設けた娘が、今では高名な武将・甘輝の妻になっていると言う。彼女を頼るため、一家は甘輝の居城・獅子が城へ向けて、二手に別れて出発する。

和藤内が母を連れて千里が竹を歩んでいると、太鼓や笛の音で周囲がにわかに騒がしくなる。和藤内が身構えていると、巨大な虎が姿を見せる。虎を叩きのめそうとする和藤内だったが、母は畜生と力づくで戦って怪我をするな、異国にいても神は共にあると諌める。和藤内が伊勢神宮の守りを掲げると、虎は大人しくなり、和藤内や母に懐く。

そこへ、虎狩りの役人・安大人〈吉田勘市〉と勢子たちが現れる。その虎は韃靼王に捧げるため李蹈天が狩り出しているのだと騒ぐ安大人だったが、和藤内は李蹈天とはちょうどいいとばかりに奮起。和藤内が虎に伊勢神宮の守りをかけてやると、虎は天照大神の威徳で勢子たちに襲いかかって大騒ぎ。安大人は和藤内に従うことを誓う。和藤内は安大人たちのヘアスタイルを日本風にアレンジ&日本風ネームをつけて、一行は悠々と千里が竹を歩んでいくのだった。

舞台奥に竹林と岩の書割。舟底をあげて、ステージ一面平らにした上での上演。前列席だと、人形遣いの足首くらいまで見える状態だった。一番大きい和藤内の人形を遣っている玉志さんで、足首以下が手すりに隠れる程度。後列席だと足元まで見えたんじゃないかな。和藤内役は舞台下駄を脱いだり履いたりで、忙しそうだった。

 

虎が暴れまり、それを和藤内が取り押さえる荒物的なシーンだが、玉志サン和藤内は持ち前の真面目オーラをそのまま活かした、キリリと知的で果敢な人物といった雰囲気。単に派手な役に落とすのではなく、「軍法に心寄せる若者」という設定をいかしているようだった。玉志さんらしい、野生のプリンス感が出ていた。真面目感が強く、国民年金を滞りなく納めてそうだった。
時々、玉志サン特有の、動物のようにプルプルッ!と首を素早く振る動作をしていた。鱶七でもプルプルッ!としていたが、あれは玉志サン的なワイルド表現なのだろうか。ほかには誰もしていない、不思議な仕草である。
虎の背中をマッサージするようにススーッと長く撫でてあげる場面は、『一谷嫰軍記』組討の段の段切で熊谷が馬の背中をナデナデしてあげる仕草と同じだった。ネコにやってあげると、しっぽをピーンとするアレだな。ママは虎の首あたりをナデナデしてあげており、勘壽さんのネコ科動物愛を感じた。

この段から和藤内の衣装が突然ド派手になったのが面白かった。縄柄の黒い上着に、赤に金の水玉柄の襦袢。すそからは金の馬簾が覗き、エメラルドグリーンの房飾りのついた刀を挿している。髪型も変わって、サリーちゃんのパパのようなダブルツノスタイルに、ロングヘアを後ろに流していた。
また、ここから和藤内は、人形の首が襟元に埋まったように遣っていた。もうちょっと首をスッと伸ばせばいいのにと思っていたのだが、ここまでくるとわざとやってるのか?と思い始めた。筋肉の塊の猪武者のようなイメージなのだろうか。確かにこうしていると、わりと人形がスラリとスマートに見える玉志サンでも、マッスル・ダルマ・ボディのように見えるな。安大人に降伏を迫るときに、左肩をピクリといからせて遣っているのが上手かった。
また、通常後ろに流している髪を頭を振ることで部分的に前にもってきていた(胸元にかける)のは、人形の見た目に少女漫画的な華麗さが出て、有効だった。

なお、パパ&ママも大陸に到着して以降は、お着替えしていた。ママの衣装が帯を後ろで結ぶタイプになったのは、あとで縛られるシーンがあるから? 日本にいたときは、前にループ状の手を差し込む部分がある結び方だった気が。

 

虎は中に人が入ったデッカい着ぐるみで、お客さん大喜びだった。顔がデカく、毛がめちゃくちゃフワフワしていた。毛並みがとても綺麗だった。ちゃんとクリーニング&ファブリーズ(?)されてる感があった。
虎は安大人一行をマジパンチする他(吹き飛ぶツメ人形、巻き起こる風)、上手側で手すりを乗り越えて観客に肉球をアピールしたり、床に乗ったりと活発に動いていた。一度、虎が乗り出す場所の目の前の席になったんだけど、隣の席の方は、手すりを乗り越えた虎に手を振っていた。虎の中の人の知り合いだったのだろうか。床では、間合いを見計らって、三輪さんが扇子で叩いて追い払っていた。虎ぬいぐるみは足元(中に入っている人にとってはひざ)がフワフワの毛で滑るのか、舞台上をつるつる滑るような、不思議な動きをしていた。

それにしても、和藤内が掲げたり、虎の首につけたりする伊勢神宮のお守り、いわゆる「お守り」というか、神棚に置いておくお札みたいなサイズ。和藤内が降伏した虎に足をかけて極まるときに持っているときのお札と、虎に首輪的につけられるお札は、違うものだった。首輪をつける直前にすり替えて、首輪には小さいお札を使っていた。

 

安大人はどこかで見たような、そうでないような、ぽやーんとした顔をしていた。手代や祐仙とはまた違うほんわかフェイスだなと思っていたら、かしらは釣船なのね。三婦はインパクトのあるピンク顔だから、プログラムに書かれていなければ、そうだとわからなかった。

パンピー男子役ツメ人形の頭部が奇抜だった。あの藁を束ねたようなものは何なんだ。藁で包んである高級納豆とか、ポン菓子の包みを思い出した。果たしてあれは帽子なのか? 髪型なのか? 仕掛けとしては帽子状態だけど、「月代を剃ってちょんまげにしてやる」という話の流れからすると、ムーミンのミイみたいなヘアスタイルだって言いたいのかな。和藤内と母が勢子たちの髪を断髪してやるシーンでは、藁部分をスポッと抜いて、中のちょんまげを見せていた。

 

 

 

楼門の段。

老一官一家は、ついに五常軍甘輝の城の門前へ到着する。甘輝の妻に面会させて欲しいと頼む老一官だったが、衛士は一家を怪しみ、銃口を向ける。

騒ぎを聞きつけ、楼門の上に甘輝の妻・錦祥女〈吉田簑助〉が現れる。錦祥女は衛士らを諌めて、日本から来たと名乗る老一官らに事情を話すように求める。老一官は錦祥女が2歳のときに別れた父であることを名乗り、頼みたいことがあると言う。錦祥女が衛士の目を憚り父である証拠を求めると、老一官は逆に証拠はそちらにあると言う。錦祥女は大切に持っていた父の絵姿を開き、手鏡に映した老一官の姿と見比べる。門の下にいるのがまさに朝夕恋い慕っていた真実の父であることを確かめた錦祥女は涙を流し、楼門の下で同じく涙する老一官と、手に手を取り合えない再会を果たすのだった。

和藤内は錦祥女に甘輝将軍への取り次ぎを頼むが、甘輝は現在は韃靼の幕下についているため、城内に他国者を入れられない掟。そこで、老母が縄を打たれた上でなら韃靼への申し訳も立つとして、母のみが錦祥女の預かりとして城内に入ることになる。錦祥女は母の話を聞いて甘輝に取り次ぎ、遣水に流す色水で返答をすると告げる。夫の返事が応なら白粉を溶いた水を流し、否なら紅を溶いた水。こうして老母は縄をかけられて城内へ入り、老一官と和藤内は場外で返事を待つことになった。

舞台中央、長崎の崇福寺のような、1階が饅頭状の漆喰造りで2階に勾欄つきの楼閣のある、唐風の門。左右には石造りの城壁が伸びている。

錦祥女は簑助さん。官女ツメ人形の唐風の扇の陰から現れたその姿は、まさに蝶の化身のごとき可憐さ。輝くばかりの美麗さに、衝撃を受けた。あのヘン(失礼)な衣装でも、ここまで可愛く、美しいとは……。艶やかでいながら高い透明感。楼閣の上にいるというだけではない高貴さを放ち、輝いて見える。水晶の御簾がかけられ、翡翠でできた畳と瑠璃珊瑚の柱をしつらえた王宮に住まう姫君って感じ。王冠についた、蝶の触覚のような飾りから垂れ下がった部分を輝かせながらシャリシャリ揺らす仕草が効果的で、錦祥女の周囲にキラキラが浮かんでいるようだった。そして、そのきらめきが、錦祥女の涙のようにも思えた。

錦祥女が上手を向いて左手に手鏡をかかげ、ぐっと体を引いて腕を伸ばし、鏡に写した楼門下の父の姿を見つめる姿の愛おしげで切実な様子には、心を打たれた。漠然と、故郷の月を仰ぎ見るかぐや姫って、こんな感じなのかな?と思った。
赤い手鏡*2にはおもちゃみたいな仕掛けがあって、最初は普通の鏡だが、手元の操作で、老一官の顔が描かれた鏡面にパタン!と切り替わっていた。
錦祥女と老一官は楼門の上・下に隔てられ、お互いの姿がよく見えないような、距離のあるかたちでしか再会できない。が、あの楼門の大道具、物理的には別にそこまで高くはないよね。老一官の人形が背伸びすると、勾欄の下部に届きそうだ。それでも、数十mの高さのある壮麗な高楼のように見えるのは、簑助さんの演技の力だろうなと思った。最後、母が縛られるところで、緑の扇で悲しげに顔を覆うのも印象的だった。

それにしても、錦祥女はあれだけ客席から遠い位置での演技でも、「何やっとるかよーわからん」とならないのが、衝撃的。2回観たうちの最初の1回目は、舞台奥で高い場所という客席からの遠さを知らなかったので「双眼鏡持ってこればよかった!もっとよく見たかった!」と悔やんだ。それで2回目、双眼鏡持参の上で見に行った。双眼鏡を使うとたしかによく見えるんだけど、印象は双眼鏡ありなしでさほど変わらないのがまた驚きだった。むしろ、人形の演技って、双眼鏡で拡大して見るとアラがわかることがあるんだけど、それがないのがさらに衝撃的だった。

父・老一官は、錦祥女の演技にちょこちょことリアクションしていた。お父さんはこのあと出てこなくなっちゃうのが勿体無い。

 

床の呂勢さんは肩衣と見台につけたフサフサが史上最大のド派手さだった。そんな勝頼みたいな肩衣、バッチリメイクの歌舞伎役者が舞台で着るならともかく、スッピンで座ってる人が着ることあるんだ!?と思った。フサフサにメッシュが入っているのには、メッシュ流行がこんなところにも!!!!!と思った。ロセサン、髪型といい、どんどん独自のクセが強まってきている。見てのお楽しみということで詳細は書かないが、意味わからないくらい派手だから、みんな見に行って欲しい。

実は、楼門に関しては、ある太夫さんの芸談を読んで細かい予習をしてから行った。ただ、呂勢さんは芸の系統が違う等があるのか、それとは留意点が違うようだった。建築物としての楼門の高さ表現や、壮麗さの表現は、やりたいことはわかった。人物が高いところにいる/低いところにいる差をつけるのは、もっとあっていい気がした。というか、この点に関しては、ご本人はやってるつもりでも、簑助さんの表現力に競り負けているのだろうと思った。実際問題として、素人が聴いてわかるレベルにやりすぎても、うざいだろうなとも思う。
近松ものはツメ人形の語りに特徴があるらしいんだけど、衛士たちは、ツメ人形にしてはちゃんとした(?)喋り方をしていた。

 

 

 

甘輝館の段。

城内に入った老母は、縄を打たれながらも錦祥女の手厚いもてなしを受けていた。母が「むすび」が食べたいというのを「関取」と勘違いした腰元たちが廊下で立ちさわぐのを錦祥女〈ここから吉田一輔〉が注意していると、城の主・五常軍甘輝〈吉田玉男〉が帰館する。

甘輝は錦祥女に、韃靼王から加増を受け散騎将軍*3に任じられたと告げる。錦祥女はそれを祝い、日頃会いたいと願っていた父とその新しい家族が日本から来たこと、韃靼王を憚り縄をかけた母のみを城内に招いたことを報告する。

甘輝は母と対面し早速打ち解けるが、母の「大明国の再興を目指す和藤内に協力して欲しい」という願いにはすぐ返事ができないと言う。即答を迫る母に、甘輝は剣を抜いて錦祥女に差付けた。驚いた母は錦祥女を押しのけて娘を庇う。実は甘輝が散騎将軍に任じられたというのは、和藤内を討ち取るという命のもとのことだった。しかし錦祥女と和藤内が姉弟だとわかった今、妻の縁にひかされて命に背いたと思われては先祖の名を汚すとして、甘輝は錦祥女を殺してそうでないことを証明しようとしたのだった。先祖の体面に妻を殺そうとする甘輝、父と義母への孝行に殺されようとする錦祥女、血の繋がらない娘への義理のために彼女を守ろうとする母で、三人はもみ合いになる。

これ以上是非もないと悟った甘輝は、母を和藤内らのもとへ帰すよう促す。錦祥女はそれには及ばず、前々の約束があるとして、拒否の返答の紅を遣水に流すと言うのだった。

舞台全面に甘輝の館の大道具。舞台奥・中央に瓦燈口。上手のちょっと高くなったところに、錦祥女の化粧殿。障子が閉まった状態で、中は見えない。

ツメ人形に赤い傘をさしかけられて入ってくる甘輝は、検非違使のかしらに髪はお団子を結い*4、豊かな髭を蓄えている。堂々とした優雅な雰囲気、玉男さんらしい謹厳さがあり、突然コーエーテクモの歴史SLGの登場人物来たって感じ。ごん太武将オーラ、安定感と安心感がすごい。私が玉男様に求めているもののすべてがあった。

この段はどうにも冗長な印象があって、出演者は十分なパフォーマンスを出しているのに、観ていてきつい。左右のお客さんが寝ているのもわかる。甘輝が言う錦祥女を殺すべき理由は「芝居進行のための設定」以外のなにものでもない、かなり無理のあるもの。でも、そこいらあたりは、TAMAO・謎の・威厳でなんとなく疑問をさしはさむ余地がなくなっていた(文楽特有の激重説得力)。

錦祥女はここから髪型・衣装チェンジ。楼門のほうがヘアスタイル・衣装とも可愛いけど、このあと自害するから、それがしやすい拵えになるのは仕方ない。

 

 

 

紅流しより獅子が城の段。

ひとり化粧殿に籠もった錦祥女は、瑠璃の鉢に貯めた紅の水を遣水に流して涙する。

一方、遣水が流れ込む川にかかった橋の上で待ち構えていた和藤内は、紅の水が流れてくるのを見て甘輝の拒否を知り、城内に踊り込む。

甘輝と対面した和藤内は、改めて錦祥女の縁で加勢を頼むが、甘輝は女の縁に絆さないと受け入れない。二人が剣を抜きかけ、一触即発となったとき、錦祥女が現れる。錦祥女が着物をくつろげると、胸元は朱に染まっていた。彼女のために和藤内に加勢しない夫を説得するため、錦祥女は肝先を切っていた。さきほど川を流れてきた赤い水は、紅を溶いたものではなく、彼女の血だったのだ。

甘輝は命を賭しての錦祥女の勧めに従い、和藤内に味方することを誓う。甘輝は和藤内に延平王国性爺鄭成功の名を与え、共に将軍の装束に着替える。
その様子を見た母は安心し、娘だけを死なせては国の恥として、錦祥女の剣を取って自らの喉に突き立てる。母は和藤内・甘輝に対し、韃靼王を母の敵・妻の敵と思って討つようにと告げ、錦祥女とともに息絶える。和藤内と甘輝は勇み立ち、母と妻の言葉に従って韃靼を滅ぼし、大明国を再興することを誓うのだった。

錦祥女のメイク道具・瑠璃の鉢は、100均で売ってそうだった(失礼)。「紅を水に溶いて流す」って、小道具としてどうするんだろうと思っていたら、両手におさまるくらいの大きさのボウルの底部分に赤い水面を貼りつけておく→水面に入っているスリットから、色水に似せた赤く太いリボンを引き出して落とす→川の底で待機している黒衣が引っ張り、赤い水を流し込んでいるように見せる、という方式だった。

 

紅を流した錦祥女が障子を閉めると、大道具転換。舞台中央を流れる川にかかった石造りの橋の上に、上着をもろ肌脱ぎになって蓑をまとい、金のハチマキをしめ、笠と松明で顔を隠した和藤内が姿を見せる。勇猛な衣装ながら、キリッと爽やかに決めてくるあたりはさすが玉志サンだった。大団七のかしらでなぜあそこまで颯爽とした印象にできるのか、不思議。所作にキレがある以上の何かがある。ひとくちに同じ「キレがある」と言っても、勘十郎さんや玉也さんではこうはならないだろう。そのあたりは本当に個性としか言いようがない。

紅が流れてくる仕掛けは先ほどと基本的に同じで、川の水面(書割)上部に入ったスリットから赤いリボンを出し、下部から引っ張るというものだった。

 

さらに大道具転換、甘輝の城の壮麗な大広間(?)。舞台中央に、獅子が大口を開けたようなレリーフのついた間口の広い出入り口、左右の壁には唐獅子が描かれている。

なんといっても、玉男さん・玉志さんお二人のペア役は映える。
玉男さんのほうが悠々とした上手(うわて)のキャラクター、玉志さんが血気に逸った駆け出しのキャラクターになったときのペア役は、大変に相性が良い。数年前に大阪鑑賞教室で観た『絵本太功記』で、玉男さんが久吉、玉志さんが光秀をやったときのことを思い出した。こうやって玉男さんと玉志さんが並んでいるのを見ると、やっぱり玉志さんは相当若く見えるよなあと思った。同じように立ったり座ったりしているだけでも、だいぶ雰囲気が違う。人形の見た目の違い、芸歴なり経験の多寡、ご本人がたの年齢差ではなく、元来の持ち味として、玉志さんの人形には若々しく、みずみずしい雰囲気があるんだろうな。現実世界の一生懸命な若い人を見たときのような、若さゆえの生真面目さと懸命さがめいっぱいに溢れていて、この人の純粋な気持ちを守ってあげなくちゃ、という気分になる。

衣装の扱い、扇の扱い、あるいは体の前で両手をクロスさせ扇左肩に当てる姿勢は、やっぱり玉男さんのほうが圧倒的に上手い。豪華な衣装に似合った悠々とした所作も良い。玉志ぃ〜〜〜〜頼むぅ〜〜〜〜〜もうちょっと扇の位置を左肩側に下げてくれぇ〜〜〜〜〜扇の陰に和藤内の顔が隠れとるでぇ〜〜〜〜と思ったけど、まあ、和藤内クンも、唐の将軍の衣装は初めて着ますから。ということにしておいた。こういった細かい仕草は、どうにも甘輝の玉男さん、左・玉佳さん(だと思う)のように経験値を積まないと、難しいのだろうな。あとで今回の記録映像見たら、ご自分で気づくだろうけど。

それにしても、玉佳チャンには和藤内の左をやってほしかった。でも、みんなのアイドル・玉佳チャンはひとりしかいないから、しかたない😿

 

ところでこの段、甘輝と和藤内の衣装チェンジ後に、ツメ軍兵たちが椅子を出してくれるんだけど、木のフレームに座面・背面を張っただけの異様に素朴な椅子なのが謎だった。あと、ヤンキーが車に敷いているようなモケモケがかかっているのも面白かった。和藤内・甘輝の衣装チェンジ後の将軍風ファッションのうち、和藤内の冠のおでこ部分についているシールのような飾りがパイナップルのラベルみたいで、面白かった。

 

この段の床は藤太夫さん。藤太夫さんって、荒物的キャラがどんどん謎の方向にいってやしないか。和藤内も、妹背山の鱶七のような喋り方になっていた。さすがに鱶七ほど“べらんめえ”口調ではなかったけど、あの喋り方、謎。和藤内はそういう意味で卑俗なキャラなわけではないと思うが。鱶七は良かったけど、今回は玉志さんの和藤内のイメージとは相性悪いなと思った(すべての中心に玉志がある感性、それが私)。

 

 

  • 人形役割
    和藤内=吉田玉志(前半)吉田玉助(後半)、女房小むつ=吉田清五郎(前半)吉田簑一郎(後半)、栴檀皇女=吉田簑一郎(前半)吉田清五郎(後半)、鄭芝龍老一官=吉田玉輝、一官妻=桐竹勘壽、安大人=吉田勘市、錦祥女・吉田簑助(楼門)吉田一輔(甘輝館より)、五常軍甘輝=吉田玉男

 

 


国性爺合戦』、なんだか、SFCスーパーファミコン)末期のRPGのような内容だった。極端な話なのにどこか詰めが甘くてゆるい、不完全ゆえの思いつめに満ちた世界観を思い出し、懐かしかった。
空想上の「異国」のビジュアル、人形であることのマスコット感が、あのころのドット絵グラフィックと2頭身キャラを彷彿とさせるのかもしれない。妙に単純化されたキャラクターの性格、意味不明の極端な悲惨展開も、『ファイナルファンタジーVI』、『サガフロンティア3』、あるいは『聖剣伝説3』、『ルドラの秘宝』といったような、あのころのスクウエア的センスを感じる。
まさに、サガフロとか聖剣に、こういう話が混じっててもおかしくない。そう思うと、FFVIとか、浄瑠璃にできそうだよなあ。シドにうまい魚を食わせられなくて殺してしまうあの感じとか、魔大陸崩壊までどれだけシャドウを待てるのかとか、リルムとストラゴスのあまり説明されていないない関係とか……。あのころのゲームは、古典叙事詩的な性格が強かったのかな……。

 

出演者陣では、なにより、ママ役の勘壽さん大活躍だった。
勘壽さんでないとできない役だと思った。地味な外見、控えめな言動、でも、芯のしっかりぶりは和藤内より上を要求される。出演時間も長いし、大役。ママがしっかりしていないと、もともとゆるい話が崩壊する。

そう、この『国性爺合戦』、ずいぶん話がゆるいなと思った。
派手な舞台装置やトラ着ぐるみ・デカはまぐりといった奇抜な演出、和藤内や甘輝将軍の華々しさで見た目はスペクタクル的だけど、内容は「はぁ……」って感じ。錦祥女の心理とか、ママが自害する説得力とかを文面だけで見たら、ずいぶん粗雑だなと思う。
錦祥女の自害は、そういうお涙頂戴設定が書きたかっただけとしか思えない。ママの自害に関しても、日本の誇りのためにと言われてもそれは「外国」を意識しはじめた初演当時の、「日本」と「外国」の対比への興味本位であろう、以上の理解は難しい。身を切るような差し迫った緊迫感や高揚感がない。

彼女らの悲劇あくまで設定であって、内面の発露や葛藤がもたらしたものではない。そのうえでかなり難があるのは、彼女らに共感し、それを受け取る人物が不在であることだな。古典というのは基本的に時代を超えた普遍性があるからこそ残っているわけが、この作品は時代を超えた普遍性がないものの一例だと思う。

でも、こういう話こそ、出演者の力でドラマになり、緊迫感や高揚感が出て、面白い舞台になるんだなと思った。それが舞台モノの一番エキサイティングなところだと思う。勘壽さんは、その意味で、今回の舞台の面白さにもっとも貢献している人だと思った。

 

途中から中国が舞台になるためか、三味線のヲクリ、メリヤスなどの演奏が、いつもとちょっと違うのも面白かった。お囃子もドラが入ったりと、(想像上の)中国風。人形の衣装も全員特殊だし、ツメ人形たちも、男性は髭を描かれて足を吊っていたり、女性も大きな半円状の襟がついた衣装だったりと、日本にいる人々とはだいぶ違った。個人的には、とにかく、男性のおツメたちの独自すぎる頭部が気になった。

 

 

 

後半日程の最初の日の夕方、突然、簑助さんの引退が発表された。

今公演千穐楽をもっての引退。あまりの突然さに驚いた。最近は移動の少ない役の一場面だけのご出演だったり、東京は休演されたりしていたが、ここまで急に宣言されるとは。この告知を見た時、最初は「錦秋公演を以って引退」かと思ったもん。

あの銀河一の可愛さがもう見られなくなるなんて、あまりにも寂しい……。

私は、簑助さんは一生芸人を貫くと思っていた。それに、客だって、(こんなこと言ったら簑助さんに対して本当に失礼だけど)どんなにほんのちょっとの出演しか叶わなくなったとしても、簑助さんが舞台に立ってくれているだけで嬉しい、それだけで大きな価値があると思っていただろう。今回の錦祥女にしても、これ以上の演技ができる人は存在しない。

それを、「人形遣いとして持てる力はすべて出し尽くしました」と本人が言い出すとは……。

その引き時を宣言できる芸人であるということが、すごい。勇退だと思う。

急遽、千穐楽のチケットを押さえた。現状、大阪府の感染状況は悪化が続いていて、このあとの日程、上演続行可能かはどんどん危うくなってきていると思うが……、とにかく、無事に千穐楽を迎えて欲しいと思うばかり。千穐楽、どういう気持ちで幕があくのを見ればいいのか、まだ、心が定まっていない。

 

 

*1:江戸期に描かれた『国性爺合戦』イラストのデカはまぐりvs鴫バトルシーンを集約した論文を見つけました(そういう趣旨の論文ではありませんが)。5ページ目(125P)に載っています。
黒本・青本と浄瑠璃絵尽し本一黒本『こく性や合戦』をめぐって一
上記で集約されている以外にも、ジャパンサーチなどで「こくせんや」等で検索し、検出された古典籍を見ると、たくさん潮干狩りできます。

*2:おかるが持っているような折りたたみ式ではなく、四角のフレームの下部にハンドルがついているタイプ。

*3:天子を護衛する軍の長官。

*4:あのお団子のてっぺんに刺さってるカエンタケみたいなやつは何?と思っていたのですが、昔の役者絵を見たら、珊瑚の簪を挿しているということがわかりました。

文楽 3月地方公演『二人三番叟』『摂州合邦辻』『本朝廿四孝』『釣女』高崎芸術劇場

3月の地方公演は、行こうと思っていた府中・藤沢が中止になったため、久々に出張して高崎公演へ行った。

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高崎芸術劇場は、高崎駅から徒歩6分ほどにある大型劇場施設。駅から屋根つきの空中通路で直結しており、アクセスはとても快適。

2000人収容の大型コンサートホールも備えている劇場だけど、文楽公演は「スタジオシアター」という、ステージ低め・席が可動式の、現代演劇向け設計らしいシンプルなスペースで行われた。今回の収容人数はおそらく500席くらいだろうか。客席千鳥でなく全席販売しており、平日公演ながら昼夜ともほとんど全部埋まっていた。

出した音が率直に聞こえる音響設計のようで、音楽ホールのような残響、反響は起こらないようだった。語った通り、そのままの音が聞こえる印象。詞の部分がはっきり直接的に聞こえるのは良いが、地の伸ばし部分や音を揺らす部分は、本当にきれいに処理されていないと、ブツッと切れて聞こえていた。三味線も同じで、弾いたそのままが率直に聞こえる印象だった。ニュアンス表現のテクニックが出るので、うまい人ほどうまく聞こえると思った(そのまんま)。

床は一般的な地方公演会場と同じ設営で、出語り床が客席へ張り出して設置されていた。一般のホールよりスペースに余裕があるのか、延長床がさらに右側に設置され、大人数が座れるようになっていた。壁側には本公演同様の出入り扉までついていて、地方公演ながら本格的。おかげで、『二人三番叟』『釣女』でも、出語り床に太夫・三味線が全員並んでの演奏が可能になっていた。本舞台は定式幕が張れないらしく、備え付けの黒い簡素な中央開きの幕を開閉する方式になっていた。

ところで、入場時にミネラルウォーターのペットボトルを無料配布でもらったんだけど、どういうサービス? 群馬県で採水されたオリジナルブランドとかでもなく、普通の商品。ホール内のスタンドカフェが営業中止しているための措置なのか? チケット料金がかなり低価格なのに、いいのかな、すまんのうと思ってしまった。

↓ 空中通路から撮った会場。絶妙に邪魔な位置にあるビックカメラ看板が味わい深い。

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昼の部『摂州合邦辻』。

和生さんの玉手御前がとても素晴らしかった。玉手御前がいったいどういう人物であるか、「合邦住家」がどんな話であるか、蒙を啓かれた思い。

以前、和生さんがトークイベントで、このような話をされているのを聞いた。

師匠(故・吉田文雀)の教えでいまも有難いと思っているのが、「役のとらえ方、考え方」についての部分。この人物は何を訴えて帰るのか? 何をしたい? 何者? 侍なら、石高はいくらなのか? ……こういった、サキ・アト・ウラのものの見方を師匠から学んだ。

文楽 トークイベント:吉田和生「『大経師昔暦』について」文楽座話会 - TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

「この人物は何を訴えて帰るのか? 何をしたい?」……、まさに、これが表現された玉手御前だった。

文楽にとって、浄瑠璃原文を正確に表現することは非常に重要で、それが最も大切であると思っていた。しかし、玉手御前は何をしようとする役なのか、彼女の本質を表現するためには何をどう表現されているべきかを、自分はよく考えていなかったな、ずいぶん無神経だったと思った。

玉手御前にとって一番大切なのは俊徳丸を守ることで、そのような誠心をそなえていることが彼女の本質であり、その崇高さが玉手を浄瑠璃のヒロインたらしめている。「合邦」でよく言われる、玉手の邪恋が本心か芝居かというのはあくまで趣向であって、彼女の本質とは関係ないんだな。
玉手御前を「やり甲斐のある好きな役」と語る先代吉田玉男師匠の談話が『吉田玉男 文楽藝話』に収録されている。そこでは「俊徳丸への恋が本物かどうか議論になるところですが、その真偽のほどは置いて」と語られており、「え、そこを置くの?」と思っていたけど、なぜこの部分を略したかがわかった気がした。
もちろん、合邦を怒らせるための狂態あるいは嬌態の演技はちゃんとやっている。だけど、そういう派手な部分以外の、彼女の誠心が顕れたなにげない所作にこそ意味がある。立体的な、そして、人を思いやる心をもった人間の息遣いを感じるような芝居だった。その表現が本当に素晴らしく、「合邦」の見方がかなり変わった。

最も印象的だったのは、玉手御前が父・合邦や母の胸にじっと身を寄せるときの、ただただ純粋で、まじりけない気持ちがあらわれた姿。玉手御前は見た目はものすごい美女なのだけど、そこだけは少女のよう。彼女の真実がここにあらわれているんだなと思った。家の戸口で中に入る許しを請うときには、ほんのわずかに、両親との別離の覚悟の悲しみが細かな露となって彼女のうえにとどまっている、寂しげな佇まいに哀れを感じた。

そして、玉手御前はとても美しかった。実際にはいつも使ってる普通のかしらなのだろうけど、そうとは思えないほどの凄艶さだった。ほおがふっくらした、大きな真珠をイメージさせる、気品のある美貌。しかしどこかに少し険と毒があり、かなり大人っぽく見える。だけど、険や毒のように感じられたものは、彼女の決意があらわれたものだったのだなと思った。それも、とても良いと感じた点だった。あとは、母に手を引っ張られて暖簾の奥へ引っ張り込まれるときの「イヤ〜〜〜〜〜イヤイヤイヤ〜〜〜!!!」ぶりが可愛くて良かった。散歩中に意地でも動かなくなったワンコのようで、かなり駄々をこねていた。

和生さんは、2月の『伽羅先代萩』の政岡の、感情が人形のかたちを借りてあらわれたような限りない純粋さが、本当に素晴らしかった。この玉手御前も、おなじ意味で、彼女の心そのものが限りない純度をもって結晶化していると感じた。和生さんは本当に、格が全然違う次元にきたんだなと思った。

 

合邦は玉也さんが休演され、代役で玉志さん。玉志さんの合邦は昨秋の地方公演でも観たが、そのときからは雰囲気が変わっていた。
役作りが違うとかではなく、よりストレートになっていた。こしらえた装飾や作為がなく、合邦の懸命さと一心さがご本人のそれと一致しており、たいへんに清新な印象だった。合邦は、自分が正しいと思ったことにはなりふり構わない行動をとる。言い換えると、なりふり構わない行動を「とることができる」、まことの心で生きている人物だ。それを率直に表現していたことが、とても良かった。「なんかやってる」芝居感を出したほうが受けはいいと思うのだが、そこを排しにいったのはすごいなと思った。
冒頭、不義者の玉手のことは思い切ったと言いながら、もう死んだのだから可哀想と言ってやってくれと女房に言われて一瞬逡巡し、首を振って「ア丶イヤ/\……」とするところ、最初はうなだれや迷いの意味で首を振っているようなのに、最後に詞がかかってくるところで思い切るように強く振るのは、合邦の親心と一本気さが出ていて、ストレートで良かった。そして、玉手が帰ってきて、しかし素直に「うれしーーー!!!!」とは言えず、娘に背を向けて上手で「ちょこん」とひざを抱えて座るときの悲しそうな姿(寂しそうにしている様子が若山富三郎的というか、ちょっと動物っぽいのが玉志さんらしい)。
玉志さんは2月の『先代萩』の八汐も最終週はかなりストレートな方向にいっていたが、ご本人の変化の時なのか、それとも和生さんとの相性によるものなのか。今後が気になる。

俊徳丸は玉佳さん。人形が目を閉じているとははっきりわからない後方席から見ても、目が不自由であることがわかる所作だった。常に肩を竦めて、周囲に気を張ったような表情(というか、顔の向け方ですね)、かなりおそるおそる歩いている。ストーリー上、俊徳丸は目が不自由になって間もないので、その状態で他人の家に居候していたら、確かにそうなるだろうと思った。

 

それにしても、「合邦」は、休演が4人も出ていてヤバかった。
見に行く前日の夜に、知人の方から「玉志さんが代役で合邦になってますよ」と聞いて、文楽協会のサイトを見た。そうしたらほかにも休演・代役告知が出ており、切の三味線・燕三さんが休演、燕二郎さん代役という発表に仰天した。玉志さんと清五郎さん(文昇さんの代役で合邦女房)、それと当日発表になった切・咲さん代役の織太夫さんはわかるけど、あんな若い人が突然、巡業先の客前で、プレッシャーに負けず弾けるのかと思った。
めちゃくちゃ(私が)緊張しながら迎える合邦切、燕二郎さんは譜面台を出し、一生懸命弾いていらした。いくら譜面台を出していても、三味線さんは演奏の合間にしかめくれないのだし、大丈夫かしらとドキドキしたが、最後まで弾ききれて、本当、よかった……。たどたどしかろうが、お客さんの前で最後まで弾くのが大事だからね……。こんな音響悪い会場で、太夫も本役の人でないのに、よく頑張ったと思った。そして、この代役でいこうという決定をされた、ご出演の技芸員さん方も凄いと思う。単なる演奏技術だけで言ったら、そりゃ無理があるよ。でも、若い子に、やろう、と胸を貸してくれる人たちで、良かったです。*1

床は、配役変更もあって大変そうだった。混沌としていた。合邦女房の表現が荒いのが惜しい。彼女だけは一切紛れのない本心で行動するので、話し方などの表現に揺れがあると不自然な印象になり、話のピントがぼけると思った。人形でそれなりの人が配役されるのは、そのためなのだなと思った。

 

 
昼の部の最初についている『二人三番叟』、人形、ちょっと惜しい。片方の人形が若干ずれてるのは、床の音とどうタイミングを合わせるかの問題か。床を聞いていなくて合っていない部類とは違って、聞いてからやっているためにちょっと遅いのではという感じがした。兄弟弟子だからか、振りの認識違いはないようだし、そこがクリアされれば二人の人形の振りは合ってくるのではないか。
義太夫と人形のずれ、もしくは義太夫のリズムを無視した人形の動き、神経質になってきているのか、最近かなり気になって、神経がそば立つ。

 


今回はチケットを公演直前に取ったため、昼の部は2階席になった。と言っても、かなり小さい劇場のため、完全に空中に張り出しているような2階席ではなく、1階席の後方が1m程度高くなっているという仕様だった。
2階席からだとステージがやや覗き込みになり、人形が二重の屋体外に出たときは人形使い3人の全身が見えるのが興味深かった。2階から見ると、人形がよりいっそう一生懸命生きているように見えて、良かった。合邦が段切で門口にある生首閻魔様を拝むとき、人形をうまくかがませるために、人形遣いが舞台下駄を片方脱いでいるのが見えた。我々が普段見えていないところで、いろいろやっているのだなと思った。あとは、小道具出し入れ等をしてくれる黒衣さんが後見のように待機している際、黒衣のワンピ風仕立ての下がどうなっているかわかって、勉強になった。

 

  • 『二人三番叟』
    義太夫
    豊竹靖太夫、豊竹咲寿太夫、竹本碩太夫/野澤勝平、鶴澤寛太郎、野澤錦吾、鶴澤燕二郎
    人形役割
    三番叟(又平)=吉田玉翔、三番叟(孔明)=吉田玉誉
  • 『摂州合邦辻』
    義太夫
    中=竹本南都太夫/鶴澤清𠀋
    前(切)=竹本織太夫(代役。豊竹咲太夫休演につき)/鶴澤燕二郎(代役。鶴澤燕三休演につき)
    後=竹本織太夫/竹澤宗助
  • 人形役割
    合邦道心=吉田玉志(代役。吉田玉也休演につき)、合邦女房=吉田清五郎(代役。吉田文昇休演につき)、玉手御前=吉田和生、奴入平=吉田玉勢、浅香姫=吉田一輔、高安俊徳丸=吉田玉佳

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夜の部、『本朝廿四孝』。

十種香。
勝頼は玉男さん。強い輝きを放つ、美々しく勁い佇まい。武将の嫡子らしい、堂々とした雰囲気。今回は十種香から出してるから「何事!?」と思うけど、景勝上使がついていたり、通し狂言で出していたら、この勝頼像はかなり説得力があると思う。景勝が登場する公演なら、その対照に置かれるべきプリンス像として、映えるだろう。
しかしあの体幹ごん太ぶりは本当に一体何なんだ。あまりに体幹がシッカリしているため、めちゃくちゃ強い光輝を放っているように見える。腰〜上体の構え方がほかの人と違うのだろうか。若干状態を前に傾けつつも、背筋は力みなく、まっすぐにスッと伸ばしている。なんというか、アスリート系貴公子というか……。玉男さんてお若いころからこういう勝頼だったのかな……。刀を杖にして思案する場面が眩すぎて、「キャーッ」って感じだった。

八重垣姫は簑二郎さん。大人しい、深窓のおっとり姫君という風情の八重垣姫だった。
簑二郎さんは人形が後ろ向きになるとき、かなり低い位置に構える傾向があると思う。この姿で出となる十種香の八重垣姫では、姫が絵像を仰ぎ見て、亡くなったまだ見ぬ許嫁にいまでも憧れている雰囲気が強く出ているのが印象深かった。壁にかけた絵像に手を合わせションボリしているところは、本当にションボリしていて(通常ミノジロオ比)、良かった。真ん中の間をのぞいてから、「やっぱ、違うよネ……」と一度絵像の前に戻るところが特に良い。奥庭との対比として、大変有効。

対照的なのが清五郎さんの濡衣で、黒い衣装がよく似合う、婀娜っぽいお姉さんだった。やや顔を突き出して横を向き、首を根元限界まで見せ、若干体を捻ったような姿勢。よーーーく見てしまうと不自然で怖いのだが(こういうのは簑助さんもそうなんだけど)、一連の動作として見ると、色気に感じる。しかし、大名の姫君である八重垣姫とは違う、腰元としての品があるのが良かった。10月に観た勘彌さんの濡衣より、大人っぽい印象だった。

それにしても、元々の設備の問題なのか、照明の色味がちょっとドキツイのが気になった。勝頼の出、なぜか紫っぽいライトが当たっていて、いや、まあ、確かに今回は勝頼が玉男様だからそれでもいいかもしれんけど、勝頼に当てる照明とちゃうやろと思った。(私の玉男様に対するイメージ→「独特な紫使い」)


奥庭。
八重垣姫の見せ方が通常の演出と異なっていた。最初に出現するキツネは黒衣、八重垣姫が火焔の衣装になっても人形遣いの着付の引き抜きはなし。
本公演でよくある演出(最初のキツネを八重垣姫役が出遣いで遣う、八重垣姫が火焔の衣装になる際人形遣いも衣装引き抜きで派手な衣装になる)より「地味」なのだが、人形を引き立て、八重垣姫の心情を描写する舞台演出として非常に効果的だと感じた。八重垣姫が火焔の衣装になって以降も、人形遣いは全員出遣いではあるが、人形が目立つ速度・所作にしていて、八重垣姫が非常に際立っていた。
特に、八重垣姫の孤独さがよく出ていたのが良かった。最初のキツネが出遣いでないのは、かなり効果的。あれを静かに終わらせると、諏訪明神の霊験の不思議、暗い庭にひとり現れる姫のうら寂しい気持ち、それを振り切っての決意がよく引き立つ。

簑二郎さんはおそらく八重垣姫初役だと思うが、初役ならご自分が存分目立つ演出でやればいいところ、よくよく考えられてのことだろう。今後もこの演出でいかれるとしたら、八重垣姫役への習熟によって、素晴らしい舞台に成長していくだろうと感じた。もちろん、せっかくの大役なんだから、ご本人自身が派手な振る舞いをしてもいいと思うけど。

奥庭は、文楽の中でも意図的に派手に見せることを趣旨としてきた演目だと思う。『吉田栄三自伝』によると、昭和初期には、八重垣姫役の人形遣いは松竹から毎回違う演出を求められたと聞く。しかし、10月に観た清十郎さんの八重垣姫もあわせて考えるに、いま現在の上演で、人形遣いでなく八重垣姫を目立たせる演出というのは、むしろ新鮮で的確なものであると思う。いままでに見た奥庭で、もっとも面白い演出だと思った。

床、十種香は、やはり八重垣姫のクドキの「かつよりさま」の「か」の音が気になる。そこにもう少し、八重垣姫の希求の気持ちが入っているといいな……。ただこのような細かいことが気になるというのは、それだけ達者であるということだと思う。奥庭は、三味線と琴が噛み合ってないのが謎だった。

 

 


『釣女』。
大名〈吉田文哉〉と太郎冠者〈吉田玉助〉の所作が狂言の所作になっていないのは、なぜ……? この演目、狂言の所作になってないと、意味なくない……?
意図的にやっているのなら理由を知りたいところだが、狂言の所作を排したところでそれ以上の舞台効果を上げているかといったらそうではなく、残念。特に太郎冠者は、狂言を知らないお客さんにでも「いつもの文楽と違うな」とわかるレベルで演じたほうがいいと思う。立ち方ひとつにしても、それによって舞台の雰囲気が変わる。そうして世界を切り替えないと、妙に大味な話にすぎない。

っていうか、あいつらの言動、知恵を使う方向が大幅に間違っているというか、必死になる方向性があまりにしょぼすぎて、古典芸能フレーバーがないと、福本伸行ワールドと化すというか、『ハンチョウ』とか『イチジョウ』状態になっちゃうから・・・・! と思った。

↓ 大槻、即座に文楽人形になれそうなお顔立ちが・・イイ・・・・

1日外出録ハンチョウ(1) (ヤングマガジンコミックス)

美女〈桐竹紋秀〉と醜女〈桐竹紋臣〉は姉妹っぽくて良かった。家の中がすごいやかましそう。本当にどうでもいいことだが、美女の左、普通は絶対やらない人がやってなかった……? 人手不足を通り越して、過疎地……、いや、限界集落……? と思った。

床はなんというか、自由な人が集まってきてしまったというか、三味線も含めてサファリパークな感じで、「そうかっ!(突然肩を組みながら)」と思った。床のみなさんの他人に一切興味なさそうな感じが話に合っていて、良かった。そこはかなり狂言ぽい。

 


夜の部は1階席だった。先述の通り、定式幕ではなく中央開閉の幕を代用した会場だったのだが、幕の間に微妙に隙間があいていたため、幕が閉まった状態でも、座席の位置によって若干内側が見えた。段切、幕が閉まったあと、トトトト……と下手へ帰っていく八重垣姫や醜女が見えて、可愛かった。客が見てないところでも愛らしいのがよかった。そして、わりとすぐ帰るんだなと思った。私も1秒でも早く家に帰りたいと思った。(高崎から自宅まで2時間強)

 

  • 本朝廿四孝
    義太夫
    十種香の段=竹本千歳太夫/豊澤富助
    奥庭狐火の段=豊竹靖太夫/野澤錦糸、ツレ 鶴澤寛太郎、琴 野澤錦吾
    人形役割
    花作り簑作実は武田勝頼=吉田玉男、腰元濡衣=吉田清五郎、八重垣姫=吉田簑二郎(奥庭 左=吉田一輔、足=吉田簑之)、長尾謙信=吉田玉志、白須賀六郎=吉田玉彦、原小文治=吉田玉路
  • 釣女
    義太夫
    太郎冠者 豊竹睦太夫、大名 竹本小住太夫、美女 竹本碩太夫、醜女 豊竹芳穂太夫/竹澤團七、竹澤團吾、鶴澤清𠀋
    人形役割
    大名=吉田文哉、太郎冠者=吉田玉助、美女=桐竹紋秀、醜女=桐竹紋臣

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今回の地方公演は、和生さん、簑二郎さんの人形演出に対する考えを感じ取ることができる舞台だった。観客として、様々な示唆を受けた。
和生さんは通常から大役も多く、トークショー等でお話を伺う機会もあったので、どういう考えを持たれているかはボンヤリとではあっても察する機会があったが、いままで知り得なかった、簑二郎さんの見解が感じ取れたのが非常に良かった。中堅以下の方だと、なかなか芸に対する考えを知りうる機会もないので、面白かった。行ってよかった。

今回は事前解説がいつもよりちょっと長いように感じた。詳しく話して欲しいというリクエストがあったのかな。『摂州合邦辻』と『本朝廿四孝』、説明したところでわかってもらえる内容ではないので、長いなら長いで、大変だと思った。

 

↓ 2020年10月地方公演の感想

 

 

 

  • 2020年度3月地方公演
  • 昼の部
    『二人三番叟(ににんさんばそう)』
    『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』合邦住家の段
  • 夜の部
    『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』十種香の段、奥庭狐火の段
    『釣女(つりおんな)』
  • http://takasaki-foundation.or.jp/theatre/concert_detail.php?key=235

*1:いま、エンジロ・インスタ見たら、梅田にある揚げたて芋けんぴが食える店について熱弁していて、のどかだ、と思った。私は芋はじゃがいも派なので、東京駅などにあるカルビー直営の揚げ芋屋に関心があります。

文楽『端模様夢路門松』『木下蔭狭間合戦』竹中砦の段 ディスカッション(木ノ下裕一・桐竹勘十郎・鶴澤藤蔵) ロームシアター京都

『端模様夢路門松』『木下蔭狭間合戦』上演ののち、第三部は「ディスカッション」として、木ノ下裕一さん・勘十郎さん・藤蔵さんのトークショー

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もくじ

 

 

はじめに 『木下蔭狭間合戦』上演史


本題に入る前に、トークショーの話題をより楽しんでいただくため、『木下蔭狭間合戦』の上演史を解説しておく。

『木下蔭狭間合戦』の初演は寛政元年[1789]1月、豊竹此吉座。当時は「太閤記物」が流行しており、本作はその時代の流れを象徴している。
同じ「太閤記物」でその決定打となった『絵本太功記』は、本作の初演から10年後の寛政11年[1799]7月、道頓堀若太夫芝居初演。

『木下蔭狭間合戦』は、戦前まで舞台上演が続いていた。人形付きでの上演は、昭和9年[1934]1月四ツ橋文楽座が最後となっており、今回の上演はそれ以来、87年ぶり。ただ、この時点ですでに珍しい曲となっていたようで、当時の番付には「偖初春興行の文楽座は数々の名作至芸の打揃ふた中に珍らしく「木下蔭狭間合戦」竹中官兵衛のだんを津太夫(引用者注・三世)が」と書かれている。その前の上演は大正9年[1920]なので、そこから14年ぶりの上演だった。*1

浄瑠璃では、その後も上演が行われることがあった。
昭和40年[1965]9月に、四代目竹本津太夫・六代目鶴澤寛治の演奏がNHKラジオで放送*2
また、それから38年後、平成14〜15年[2002〜2003]に早稲田大学演劇研究センターの研究・企画*3によって素浄瑠璃復活が試みられ、九世竹本綱太夫(後に源太夫)・鶴澤清二郎(現・藤蔵)が2003年5月に国立文楽劇場、12月に早稲田大学小野記念講堂で演奏を行なっている。
今回の義太夫演奏は、三味線に2003年の復活に携わった藤蔵さんが起用されており、早大の企画をベースに行なっている旨が配布パンフレットに書かれていた。今回端場がないのは、上記の演奏いずれもに端場がついていないため先例に倣うことができず、本企画のために新規で復元するのは難しいという判断だったのだろうか。しつこいけれど、実に惜しいことだ。

『木下蔭狭間合戦』の全段解説はこちらから。

備考 早稲田大学21世紀COEプログラム「演劇の総合的研究と演劇学の確立」での『木下蔭狭間合戦』素浄瑠璃復活に関しては、早大リポジトリを「木下蔭狭間合戦」で検索すると、報告や解説、演者インタビューを読むことができる。→早稲田大学リポジトリ

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ディスカッション(トークショー


以下に概略を示しますが、2日開催の両日でお話の内容が一部異なっていたため、内容を編集・統合しています。これそのままの構成で話していたというわけではありません。ご了承願います。


┃ 『木下蔭狭間合戦』の復活企画経緯について

木ノ下裕一 ロームシアターさんからこの話をいただいた際、文楽の今後につながる内容にしたいと考えた。
まず、2018年の秋の地方公演の際、静岡公演の勘十郎さんの楽屋を訪問し、「こういう企画があり、新作と時代物を」と説明して、引き受けていただいた。その時点で「竹中砦」をやりたいと思っていたが、そう言ったら断られそうなので、黙っていた。
その後、新作は勘十郎さんが若い頃に作った『端模様夢路門松』をやりたいとお願いして、勘十郎さんも再演したかった演目ということで、お引き受けいただいた。肝心の「竹中砦の段」については、演目を申し上げたところ、絶句された。

桐竹勘十郎 いつもやっているような演目の中からやればいいのかと思っていた。『木下蔭狭間合戦』は、外題は聞いたことはあるが、見たことがなく、だいたいの話しか知らなかった。

鶴澤藤蔵 ぼくは2003年に父(当時九代目綱太夫、後の源太夫)と文楽劇場・早稲田で素浄瑠璃でやったことがあり、人形が入るとどうなるのかなァと思っていたので、二つ返事で引き受けた。

太夫を誰にお願いしようかという相談になったが、四代目津太夫師匠がNHKラジオでやったことがあるので、津駒さん(当時)にお願いすることにした。「津駒さ〜ん、竹中砦やってくれませんか〜?」とお願いしたら、絶句していた(笑)。去年はコロナのために中止になって、今年はどうなるかなあと話していたが、あまりに大変な曲なので、「今年中止になったら、来年は無理や」と言っていた(笑)。

 

 

  

┃ 昭和初期で断絶した理由

木ノ下 かつては『絵本太功記』より上演回数が多かったのに、なぜ『木下蔭狭間合戦』は上演されなくなったのでしょう。(注:江戸時代〜近代の上演記録を調べると、実際には『絵本太功記』のほうが圧倒的に上演回数が多いはずです。何か違うことをおっしゃろうとして、言い間違いされたのか?)

藤蔵 昔は通し上演の興行が多かった。通しでやたっときに、筋がややこしいからではないか。かなりちゃんと見ないと、人間関係がややこしい。みんなが知っている話の『太功記』のほうがわかりやすい。『木下蔭狭間合戦』は、よっぽと通な人が好きだったんじゃないか。

木ノ下 『木下蔭狭間合戦』全段でみると、当吉と石川五右衛門が幼少だったころから、それぞれが大物になる数十年もの長い時間を描いていますもんね。

勘十郎 大河ドラマなら、一年間観ないといかん内容。『太功記』なら、有名な十段目(尼崎の段)だけでもマアマアわかる。

 

 

 

┃ 2003年の素浄瑠璃復活

木ノ下 藤蔵さんは、2003年に素浄瑠璃で「竹中砦」が復活された際の三味線を演奏されました。そのときはどのように作り上げていったのですか。

藤蔵 2003年に父と素浄瑠璃で復活した際は、昭和40年[1965]に四代目津太夫・先代寛治師匠がNHKラジオで素浄瑠璃をやったときの音を元に、豊澤仙糸師匠(四代?)の朱を照らし合わせ、ここが違うなどと言いながら父と作り上げた。いろんな人がやっていて、どれが「ホンマ」かはよくわからない。人気のある曲なので、いろんなやり方をしていたのではないか。父は「風(ふう)」を重視していたので、麓風(東風)を意識した復活になった。

木ノ下 「風」とは何ですか。

藤蔵 有名なのは、豊竹座と竹本座の曲風の違いを言う「西風」「東風」。『妹背山婦女庭訓』「山の段」の背山は「西風」、妹山は「東風」と言われる。
「風」の前に人の名前がついているものは、その曲が最初に書き下ろしで舞台にかかったときに演られた太夫の芸風のこと。「竹中砦」は、豊竹麓太夫が初演で語ったので「麓風」という。ほかに「麓風」と言われるのは、『絵本太功記』「尼崎」、『日吉丸稚桜』「駒木山」など。こう言うと、似たような感じとわかると思うけど。「竹中砦」の水盃をしているところの「ツンツンツントーン」と、「尼崎」の「水揚げかねし風情なり」の「ツーンツーントーン」のところなど、似ている。

きょうは、そのときに父が使った床本を持ってきた。ぼくは三味線弾きなので、自分では使わないんですけど。古い本で、竹本越前大掾(五代目竹本染太夫)→六代目染太夫→五代目弥太夫→九代目染太夫*4八代目竹本綱太夫に渡った。昭和41年に国立劇場で復活させたいという話が出たとき、それを父(当時五代目織太夫)が語るようにという話があり、八代目綱太夫師匠から譲られた。
床本には、わかる人が見たらどう演奏するかわかるような記号が書かれている。たとえば最初のほう、官兵衛が縁下から出てきた犬清を睨む「じろりと見遣り」のところには、「コハ」と書いてある。これは、三味線の「コハリ」から出る/「コハリ」の音階に寄るということ。この床本にはいろんなことが書いてあるので、虎の巻として使った。いろんなヒントがある。
床本は基本的に人に見せないものだが、ほかの人にはわからないよう、二つ折りにして袋状に綴じてある間に、自分が考えたこと、苦労したことのメモが入っていた。

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2003年に素浄瑠璃をやったときは、直前の東京公演で『加賀見山旧錦絵』「長局の段」の役がきていて、その舞台が終わってから「竹中砦」のお稽古をしていた。めちゃくちゃえらい(しんどい)。「長局」は陰に籠もってグーッとなる内容。「竹中砦」は発散型。

 


┃ 人形の復活

勘十郎 『木下蔭狭間合戦』は、非常に長いこと人形つきの上演が断絶していた。人形つきで上演していた時代の写真は数枚しかなく、木ノ下さんから提供してもらったのを見た。昭和41年の国立劇場の復活計画が頓挫した後、また復活させようという話が出たとき、かしら割を作ったらしいが、それも中止された。
復活は、曲があるのとないのとではえらい違いがある。今回は曲がすでに素浄瑠璃で復活されていて、CDが聴けるというのが大きい。

官兵衛には、口アキの鬼一を使った。鬼一は、50〜60代の男性に使うかしらで、『鬼一法眼三略巻』の吉岡鬼一法眼からきているかしら。本を読んで音を聞いたときに、鬼一だと直観的にわかった。
関路は婆のかしらかとも思ったが、老女方にした。女方は男性のかしらに比べて種類が少なく、娘(未婚、10代)、老女方(既婚、20代〜40代程度)の上は婆しかなく、悩ましい。千里は娘だが、単に若い娘というわけではなく、子供がいるちょっと特殊な立場。
2003年に素浄瑠璃を復活した綱太夫師匠も、かしらの見当をつけて語っていた(綱太夫も官兵衛は鬼一と解釈)。ちゃんとかしらに何を使うのか踏まえていないと、太夫は表現ができない。太夫の指導では「かしらを見てこい」という言葉がよくあり、今回、錣さんもかしらに何を使うかの確認に来た。
話はそれるが、父(先代桐竹勘十郎)のおもしろい話がある。舞台本番で若い太夫さんが語っていたとき、父にとってそれは「かしらが違う」語りだったため、父は上手に寄り、床のほうに人形の顔を向けて、「これ!これやで!」とかしらを猛アピールしていたらしい(笑)。

大道具の参考には、古い道具帳があった。不思議だったのが、「竹中砦」は逆勝手(人形の出入りが上手からになる舞台のこと)であること。普通、逆勝手になる演目には理由がある。たとえば、『仮名手本忠臣蔵』「山科閑居の段」では、本蔵が力弥に槍で突かれる場面がある。人間の役者なら左右どちらでも構わないが、人形で演じるとなると、下手側から突かれるようにしないとならない。上手から突くと、力弥の左遣いが前に出て(客席側に来て)人形を遮ってしまうので、見苦しくなる。そのため、文楽では下手の一間から槍を持って出てきた力弥が上手の本蔵を突くことになっている。しかし、「竹中砦」にはそのような場面は見当たらないので、どうしてかなと。強いて言えば、官兵衛が烽火台に刀を投げ込んで狼煙をあげるところは、下手から上手に向かって刀を投げるが……。いろいろ考えたが、最後に春永が出るからではないかと思った。段切、幕が閉まるとき、官兵衛が屋体で義龍の首を抱いて極まるのに、総大将の春永が下手にいては決まらない。やはり上手じゃないかと。また、そのままでは官兵衛と春永の目線の高さが合わないので、春永は最後は馬に乗って極まることにした。

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木ノ下 床では、素浄瑠璃と人形つきとでは、演奏にどのような違いがありますか。

藤蔵 演奏への気合いは同じだが、人形つきの場合、人形の見せ場があるなら、その間を大きくとってあげる必要がある。歌舞伎の竹本のように人形に合わせて弾くわけではないが、「こないいきます!」(ここでこう動くんですよ)というサインを出してあげる。また、人形が退出しきっていないのに次の場面がはじまってしまわないよう、退場のタイミングを作ってあげたり。この曲はまだ何べんもやっていので、そういうのもまだハマってないけど。

 

 

 

┃ 三味線について

木ノ下 今回は、床に予備の三味線を一挺置いて演奏されていましたね。

藤蔵 激しい曲なので、三味線は二挺用意した。リスクがある曲は、必ず替え三味線を用意する。本公演なら、もし糸を切ったり、皮を破いても、壁をコンコン!と叩けば床世話の人に横の扉からすぐ予備を出してもらえるが、ここ(床が仮設置で三味線側に扉がない)では間に合わないので、自分のすぐ横に置いておいた。

「竹中砦」は官兵衛が出てくるまでのマクラが重い雰囲気で、一番しんどい。「三段目」の雰囲気を出さなくてはならない。その後、犬清切腹→千里自害→注進と続くが、犬清切腹後の水盃が一番難しい。ほかは惰性やぶちかましでも成立するが、静かなところはそうはできないので、大変。押さえたところ、しっとりしたところの変化を弾くのがしんどい、だから前半が大変。
太夫も、調子が激しところ/落ち着いたところが急に切り替わる部分、急に落ち着いた詞(コトバ)に戻るところが大変なのではないか。太夫も生き物ですから、自分のしんどい息を押さえながら語る。『一谷嫰軍記』「熊谷陣屋」で、熊谷が首桶を掲げながら「言〜〜〜上〜〜〜〜す〜〜〜〜!!!!」と大音声で言ったあとに、義経が落ち着いて喋りはじめるところなどの、「戻ってくる」ときのしんどさがある。

そのあと、2回目の注進が激しく長い。しんどく、いっぱいいっぱいになって弾く。ただ、ここは馬力でいけるんですけど。昭和9年文楽座で、三代目津太夫と一緒に演奏した(四代目鶴澤)綱蔵先生という方はよく手が回る方で、「竹中の砦に光る機関銃」とうたわれた(笑)。

木ノ下 舞台稽古の際、たくさんの三味線を並べていらっしゃったことに驚きました。

勘十郎 来たら、楽屋に置いてある荷物が藤蔵さんのだらけ。藤蔵さんの、藤蔵さんの、これも藤蔵さんの、なんでこんな藤蔵さんのが(笑)

藤蔵 2月の東京公演の千穐楽(2月22日)で、この公演にも使おうと思っていた三味線の皮を破ってしまって。京都の三味線屋さんにすぐ送って、27日に間に合いますか?と電話したが、「ちょっと難しいかもしれませんね」と言われたので、いくつかの三味線のうちどれにするか、試していた。しかし、本番直前になって「張り終わりました!」という電話がかかってきた。棹を持ってきていなかったので、急いで文楽劇場へ取りに行った。

木ノ下 三味線はどのような使い分けをしているのですか。

藤蔵 三味線それぞれに、音の個性がある。その三味線自体が大きい音がするとか、世話物向き、景事向きなど。持っている三味線が何に向いているかは、何回か弾いているうちにわかるようになる。
大きいホールで使うときは、さら(新品)の、皮が張りたてのものを使うと、打ち撥の「パパッ」という音がしっかり出る。時代物の「ノリ」という打楽器のような派手な手は、さらの三味線でパーッと弾くと「らしい」音が出る。こういうときに「鳴らん」三味線でやると、三倍えらい(しんどい)。思てるのと違う、「ボコ…」という音がすると疲れる。
逆に、『艶容女舞衣』の酒屋、『仮名手本忠臣蔵』の勘平腹切は、わざと「鳴らない」ものを使う。芝居の雰囲気で、「鳴らんほうがいい」。また、赤姫が出てくるようなもの(『本朝廿四孝』十種香など)は、「チーン」といういい音がするものが良い。
皮が張り終わり、出来上がってきてすぐは、弾き込んでいかないと音が違う。この三味線も、明日は音が違うと思う。事前にずっと弾いていないと、音があったまってこない。しかしそのままだと糸が痛んでしまっているので、楽屋に来て、弾いて、糸を替えて舞台に出る。

 


┃ 人形の演技について

勘十郎 官兵衛はかしらが鬼一なので、あんまり動かないようにした。その上、官兵衛は矢が当たって休みをもらっている身なので、気をつけた。鬼一は顎(おとがい。アゴ)の使い方が重要。鬼一のアゴは細くなって少し前に出ている。文七の頬がちょっとこけると、鬼一になるイメージ。
じっとしている役は難しい。自分はだいたい動かす方、動かしたいんですけど。どうしても手をグッと出してしまったり。うちは先代から動かす役。玉男さんはわりとじっとしている。今日もじっとしている役(小田春永役。出てきてすぐに座ったら段切までそのままじっとし続ける)。これは先代からそう。

官兵衛が清松と対面するところは、わざとらしく鎧櫃の上に下ろしてもらった。文章通りなら、当吉に背負われたままのはずだが、当吉役の玉志くんに「一回下ろして」と頼んで。

木ノ下 舞台稽古でこの演出を初めて拝見したとき、いくさの象徴の鎧櫃の上で、それとは真逆のイメージの子供が平和に眠っているというコントラストに「これは!」と思わされました。(すみません、言葉あいまいです)

勘十郎 当吉はエエ役ですね〜。当吉やりたかった。出番の時間が短い上に、最後に出てきて、いいところをパァーッと持っていく。

 

 

┃ 『端模様夢路門松』について

勘十郎 昭和59年に初演し、その後何回か再演した後、もう一度やってみたかったが、声がかからなかった演目。長いことやっていなかったが、木ノ下さんからリクエストを受け、これでよかったらとお応えした。
スペシャルゲスト・門松くんが登場。おひざに門松くんを孫のように乗せる)
この本は、30歳くらいのときに、ある日突然思い立って書いた。ツメだけの芝居があってもおもしろいんちゃうかと。それまでに、ツメ人形で解説をやったことがあり、それを舞台の袖から見て笑ったりしていたのが発想元。ブワーッと一気に書いた。小学校の作文は書くのに何日もかかったのに(笑)。

木ノ下 早く主遣いになりたい、三人遣になりたいという気持ちが現れていたのかもしれませんね。当時は足を遣っていたのですか。

勘十郎 足と、簡単な左を遣っていた。足を最後に遣ったのは、父が病気になり、最後に団七を遣ったときの足だった。余談だが、そのときあまりにも丸胴(裸になる人形に使う胴体)がボロボロだったので、新調して、刺青をぼくが描いた。

ツメ人形は、入門してすぐ、誰でも触ることができる人形。三人遣いの人形は、衣装をつけて出来上がったら、その人の許可がなくては、他の人は一切触ることはできない。でも、ツメは廊下に吊ってあり、誰でも触ることができる。よく使うお百姓さんや町人(の胴体)はいつでも出来ていて、頭を挿すだけで使えるようにしてある。

木ノ下 頭の後ろにある釘で吊るしてあるんですね。

勘十郎 鏡の前で、見よう見真似で練習する。そんなことをやっているうちに、ツメ人形が好きになる。いろんな顔があって、みんな好きなかしらがある。配役が出て、「ア!軍兵やな!」とツメ人形の役(大ぜい)がついていると、みんなバーッと取りに行って、取り合いになる(笑)。
ツメ人形だけで芝居する話というのがあって、『一谷嫰軍記』「脇が浜宝引きの段」は面白い。登場するお百姓さんのツメ人形それぞれに個性がある。太夫も、ちゃんと語れる上のほうの方がやる。ツメだけで芝居が成立する。

ツメ人形のかしらは普通、文楽劇場所有のものだが、門松くんは個人のもの。ぼくの弟弟子の簑二郎が彫った。彼が研修生(3期生)のとき、研修の一環で当時ご健在だった鳴門の人形師・大江巳之助さんのところへ泊まりがけで行って、人形のかしらがどのように作られているのかを学ぶため、大江さんの指導を受けて彫った。でも、自分ではほとんど彫っていないと言っていた。チョコ…と恐々彫っていたら、大江さんに取り上げられて、大江さんが彫ってしまう(笑)。

門松くんの頭はあつかましいほど大きい(笑)。本当はツメ人形の頭はもっと小さい。三人遣いの人形を引き立てるために、三人遣いより小さくなっている。だから本当はもっと彫り込んでいかなくてはいけないんですけど。門松くんは初演のときからこれを使っていて、ぼくがずっと預かっている。

初演のときは、豊竹嶋太夫さんに太夫を頼んだ。嶋太夫さんは、「ツメだけで芝居するんか?」と絶句していた。ツメ人形には感情を込めたらいかんと、こんこんとお説教をされて、それはわかってるんですが、こういうのをやりたくて、とお願いして、ご理解をいただき、語っていただいた。初演の三味線には、燕三さん(当時燕二郎)や藤蔵さん(当時清二郎)にも出てもらった。 

 

 

┃ これからやりたいこと

藤蔵 今回の「竹中砦」は官兵衛の出からの上演だったが、本当は端場からやりたかった。壬生村(九冊目)も人形つきでやりたい。せっかく父とああだこうだやって、復活させたので(2005年に文楽劇場早稲田大学で素浄瑠璃を演奏)。父も形になることを願っていた。父は20歳ごろ、(八代目野澤)吉彌さんに教えてもらったらしい(とおっしゃっていたと思うが、綱太夫の談話を確認すると、野澤吉彌の指導を受けたのは16歳ごろという発言がある)父と「壬生村」をやったCDコロムビアから出ている。次回実現したらと思う。文楽劇場で竹中砦と壬生村がかかりますように。

勘十郎 「竹中砦」に端場をつけ、「壬生村」と一緒に、もうちょっと形を整えて上演できたらと思う。『木下蔭狭間合戦』も、五右衛門が出てくるだけでも魅力的。父は埋もれている面白い演目がたくさんあるとよく言っていた。もっとやらないかん、もったいないと、『摂津国長柄人柱』なんかをやりたいと言っていた。ぼくは明日68歳になり*5、父が亡くなった歳を超える(父が亡くなった年齢になるまでは「こういうふうに過ごす」という目標・目安があったというようなことを話されていましたが、それが何だったか、忘れました……)。この年で、あんな長い時間人形が持てるのは冥利に尽きる。これからの68歳で、何ができるか。次の年も、また次の年も。いつかまた復活物ができればと思う。

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……というわけで、『端模様夢路門松』、『木下蔭狭間合戦』、ディスカッション、合わせて約4時間に及ぶ長丁場だった。こんな長時間公演、久しぶりだ。

なにはともあれ、この公演が開催できて本当に良かった。1年待って、やっと上演できてよかったと思ったのは、主催者・出演者だけでなく、われわれ観客も同じ思い。観客の中には、去年チケットを購入して中止に落胆し、今年改めてまた取り直した方がかなりいたのではないだろうか。自分もなんとか再企画して頂きたくて、形に残る要望をしないとと思い、払い戻しのチケット返送の際に要望の手紙を入れたりしたけど……、本当に再企画され、そして公演が無事に実現して、感無量だった。

今回の公演を通して、自分自身の文楽の見方について気づいたことがあった。この公演自体は大変面白いものだったけど、私が文楽に求めているのは、古典芸能としての、何度も上演を重ねることによって完成された練度なんだな。本公演でなんども上演を重ねられているものの練度の高さ、古典芸能の「伝統」そのものの重みをいままでになく実感した。『木下蔭狭間合戦』も『端模様夢路門松』も、国立劇場文楽劇場の本公演に採用され、この先数十年に渡ってなんども上演され、「珍しい復曲作品」でなくなったときにこそ、価値が出るのだと思う。そして、文楽がこの先も長く続いてゆくよう、ファンの立場から守っていかなくてはならないと思った。

 

ところでこの企画、京都市の文化事業予算等を財源にしているのだろうか? パンフの販売あるのかなぁと思って行ったら、なんとパンフと床本を無料配布でもらえた。客席案内のスタッフは潤沢、場内で使う不織布の荷物袋も配布。なにより出演者にレベルの高い技芸員を揃えているし、舞台装置も本公演相当。にっぽん文楽もおふねパワーでかなりの資金力を感じたが、京都のみなさんありがとうございますと思った。また、ロームシアターからは昨年の中止時、今年の会場変更時ともに、説明の電話連絡を頂いた点も有り難かった。今回の会場変更もわざわざ電話がかかってきて、どういう変更になっているかを案内していただきました。

ただ、ロームシアターも木下さんも勘十郎さんも、SNS等にこの公演の舞台写真を載せていないのが非常に勿体無い。報道にもほとんど出ていないのではないだろうか。気になった人が後から追ったり、観に行った人が知人に「こういうの行ったよ」と伝えづらいのは、もったいないことだと思う。

 

 

この公演本編の記事

 

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*1:さらにその前は、大正5、2年、明治44、41、38年……(以下略。文楽座・彦六座合算)となっており、実際に上演がもっとも多かったのは江戸時代、文化・文政・天保期である。江戸時代を通しての上演回数は、『木下蔭狭間合戦』65回、『絵本太功記』171回。近代での上演回数は、『木下蔭狭間合戦』24回、『絵本太功記』48回。カウントは『演劇学』第33号(早稲田大学演劇研究室/1992年3月)所収、宮田繁幸「近世における人形浄瑠璃興業傾向について−義太夫年表資料を中心として−」による。この資料は、義太夫年表に収録されている興業をカウントしているとのこと。これによると、ほかの太閤記物では『三日太平記』(近松半二ほか作、明和4年[1767]初演)が人気だったようだ。『三日太平記』は江戸時代には80回上演されているが、近代に入ると上演が途絶える。

*2:これが放送されたのって、当時大河ドラマで『太閤記』やってたから?

*3:21世紀COEプログラム「演劇の総合的研究と演劇学の確立」のうち古典演劇研究(人形浄瑠璃コース)の活動による。

*4:ここで一度豊竹山城少掾に渡ってから、八代目綱太夫、三代目津太夫に渡る? 「竹中砦」の伝承された床本は、どうも2冊あるみたいですね。

*5:勘十郎さんの誕生日は公演翌日。閏年の2/29生まれなので、平年は3/1がバースデーになるということのようです。閏年の29日生まれの人って、ふだんは誕生日いつになるの?と思っていましたが、意外なところで知ることができました。