TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

くずし字学習 翻刻『女舞剣紅楓』六巻目 二つ井戸茜屋半兵衛貸座敷の段

『艶容女舞衣』の先行作である浄瑠璃、 『女舞剣紅楓』の翻字六巻目。

大和の酒屋・茜屋半兵衛は、息子・半七の放埓ゆえに病に陥った嫁・お園の養生のため、大坂へ転居した。半兵衛とその女房はお園を必死に看病していたが、お園の容体は思わしくない。とある夜、そんな茜屋へ不審な輩が入り込む……。

『女舞剣紅楓』でも出色となる聞きどころの段で、特に後半は『艶容女舞衣』では「酒屋」にあたる内容となっている。確かに面白い内容ではあるが、これを読むと「酒屋」の完成度がいかに高いか、よくわかる。

本作と「酒屋」との大きな違いは、本作ではお園と半七が直接顔を合わせ、お園が面と向かって恨み言を言う点。「酒屋」ではそこにいない半七に向かって語りかけ、自己完結して突き抜けた次元にいってしまっているお園さんだが、本作のお園は人間味があると申しますか、DV受けがち体質の女、相当男に都合のいい設定になっている。つまり、結構「普通」な印象。このあたり、本作がやがて上演されなくなり、「酒屋」が生き残った理由なのではという気がしないでもない。(実は『艶容女舞衣』でも、現代では断絶している段で半七とお園が顔を合わせるが、そこでのお園さんは結構狂っている)

もうひとつ気付くのが、プロットが『心中天網島』「紙屋」に似ているということ。
だらだらと不貞を働く夫をよそに家に仕える妻。彼女は義両親と親戚関係にある。妻は夫の不貞をなじるが、なぜか許している。別の男のもとへ走ったと思われた夫の不倫相手は、実は死ぬ気である。しかし夫は不倫相手の裏切りにばかり気を取られて、それを察せなかった。それに気づいた妻は不倫相手が死ぬのを止めて欲しいと願い、その捜索に夫を送り出す。この要素は天網島と共通している。

当時、どれくらい天網島系作品が存在していたかはわからないが、本作は延享3年(1746)初演で、『置土産今織上布』安永6年(1777)、『心中紙屋治兵衛』安永7年(1778)よりはかなり早い。*1なお、後半に登場する子どもの服に手紙がついているというのも後の「天網島」系作品にみえる設定だ(『天網島時雨炬燵』など)。

本作は天網島感を相当感じるが、「酒屋」には全くと言っていいほど感じないよね。換骨奪胎のうまさを感じる。おさんのキャラクターがお園に昇華されていると思うと、興味深い。「酒屋」でお園のパパ・宗岸がブチ切れて婚家に乗り込み、お園を連れ帰ってしまったという設定も、天網島と共通する設定である。「酒屋」は、親に無理やり連れ帰られたさらにその後に、やっぱり婚家で暮らしたくて帰ってくるという物語なので、「紙屋」の後日談とも言えるのかな。

また、物語の転機を作る「手紙」の設定も、天網島なら舞台が「紙屋」だからこそ面白いのだが、本作ではそのあたりが忘れられているのに比べ、「酒屋」では酒樽に手紙がついている設定を前に持ってきて、物語の舞台に着地させているのが面白い。「酒屋」は半七の書き置きの手紙を読むくだりが長すぎと感じる人がいるようだが、本作がそれ以上に直接会話で長々とまわりくどく展開させているのを見ると、逆に手紙で一括処理したテクニックはスゴイと思ってしまう。

あと、本作の半七は、治兵衛より相当のドクズでやばい。治兵衛のようなクズ可愛さが一切なく、参謀気取りでネットでイキってる痛いヤツみたいな感じがある。ここまでのイキリ野郎は玉男様が演じても相当厳しいかもしれない。

以上、最近図書館へ行けていないので、先行研究一切確認せず書き散らしてます。

 

 

 

いままでの翻刻

 

 

 

 

f:id:yomota258:20200706192935j:plain

六巻目

古郷は大和五条に名のみして。難波の里の冬籠まだ咲キ初ぬ白梅の。娘の病気

養生に二タ親添ていつよりか。二つ井戸に借座敷。手づから母の介抱も。所向キよける

薬鍋あをぐ。扇の風さへも身にしみ/”\とひつかけて。心一ぱい半分ンの。せんじやうさへ。常

 

ならぬ。心づかひぞやるせなき。奥よりそろ/\立出る親半兵衛は六十の。髪も半は白/\と。

一ト間を見やりなふ嬶。娘おそのが心持はどふじや。ちつと今夜はしづかなか。とろ/\とねよふ

としても。娘が咳が胴身にこたへおれも胸がいたふおじやる。ヲ丶道理其筈。半七が言号

といひ。根がこなたの姪なれば。我子よりは深い縁。気つかひは此わしも同し事。若もの事が

あつたら本ンの親御が麁抹にもしたかと思はしやろかと。思ふのはまだ義理づく。花のさかりを
かはいそうふに。逆さまな事見よふかと。案じ置がせらるゝと涙ぐめば。ハテそふじやと言て何ンと

せう。大和中の医者にかけてもげんがない故。此大坂に出養生。芝居でも見せたら

 

 

 

f:id:yomota258:20200706193110j:plain

気もはれうかと思ふたに。次第によはる顔の痩。そなたやおれが如在もなふ祈きたう

もして見れど。神仏ケの力ラにも助からぬ命はぜひがない。アノ病のもとは半七め故。三勝と

やらいふ舞子に喰付キ。祝言もせず嫌ひおる故。それからの気のかた。にくいやつとは思へ共。たつた一人

の忰。勘当もしられず。子は三界の首かせとはア丶よふいふた物でおじやる。御主人宇治屋市蔵

様は。奢の咎で。御代官さたと成ル。其騒動から半七めも。廿日余り内へ戻らず。ろくな事は仕

出しおるまいと。ぼさつもろくに咽を通さぬ。此寒いのにどこにおると案じるはまだ親の因果。

ア長カ生は恥多し。片時も早ふすくひ取リて給はれと。老の涙もしぶ/\と親子の道ぞせつ

 

なけれ。ア丶これ親父殿声が高い。半七が事を苦にやむおその。どこへじやと問る故。そなたの

命乞にたがへ参つたといふたれば。常からあどない生れ付キ。きつう嬉しかつたかいつにない笑ひ顔。

むごたらしいアノ半七を。あれ程迄に大切がりやる。心根がいぢらしいと。深き心をくみてしる。夫婦誠

の水入ず胸をいためる折からに。一ト間の内にこつ/\と。せくにせかれぬ半七が。あだし心を苦にやんで。

痩おとろへし娘のお園。障子をそつと押シ明ケて。お二人リ様まだお休遊ばさぬかへ。私も今ン夜は快ふ

ていつにないとろ/\と一ト寝入。モウおまへ方も御寝なつて下さりませ。久々の此病気。おあいそも

つきず様々の御気苦労。私が致す筈成ルを逆さまな御介抱。冥加ない勿体ない。わたしや。

 

 

 

f:id:yomota258:20200706193253j:plain

それが悲しうござります。ハテ扨コレわつけもない事いやる。早ふ息災にして。こちら二人リか六十日の

面倒を見て貰ハにやならぬ。モウ其様な心づかひがやつぱり病のさはりに成ル。随分とこちとら二人を。

遣ひ倒そふと思やいのと。心休める一チ言は仏の慈悲にもまさるべし。そんなら嬶アノ何仕やれ。今ン夜

はお園は顔も見直した。是といふも神仏のおかげ。あれが大和の氏神様へ。お神酒でもそなへて

お礼申。洗米を病人に戴かしや猶御利生がつよいげな。おれが宗旨は旦那からの付ケ渡りで。こんな

事は難行とて同行衆が嫌ふけれど。仮御開山のおしかりを受ケる共どふぞ本ン復がさせたい。ア丶

いかふひへてきた。粥でも焚ておまそふぞ。其間に奥の巨燵へおじや。嬶もおじやゝと打連レ

 

て奥へ伴ひ入にけり夜も早ふけて。しん/\と軒端は白く置ク霜に。店の足さへ寝入ル花。人の宝ラ

を当テにして。うそ/\来る大の男。うさんな形に頬かぶり家々見廻し茜屋の。戸口に耳寄セ又

立退。足でぐはつたり当タつて見。内の様子を窺ひすましうまい/\と小うな付キ。ぢんどうばらしの手垂

の刃。袖壁ぐつすり切リ明て。鐉はづし戸を打明ケ。内へはいつて悠々と。腰銃卵の火鐩出し。かち/\

打て火縄に付ケ。振廻し/\家内のすみ/”\。忍び足。長持の錠ねぢ明ケて。中をさがせど衣類斗リ。

こりやすこたじやと衣厨の引出し明ケても。/\ヱ丶どんな。びたひらなか入てない。ア表テ付キとは格別。

人の内にない物は銀じや。したが是程の暮しによもやないという事はと。奥の一ト間へ目をくばり大

 

 

 

f:id:yomota258:20200706193427j:plain

胆ふ敵を里姓にしてぞ忍び入ル。捨草のよるべ定めぬ半七は。人をあやめて顔さへも浮世を忍

ぶ頰かぶり。お通を連てうと/\と心一トつに二つ井の我カ門ト口へ立戻り入んとすれど敷居高く。うろ/\

すればぐはんぜなき。子はやすかたの安からで。とゝ様。かゝ様の内へいんで。早ふ乳飲で寝たいわいなふ。何

あほうめが。あの様なふ所存な。畜生面のかゝめに。何ンの逢イたい事で。やんがてとゝが抱て寝るぞ。

とはいひながら親故に。此寒いのに連レあるき。我子が手足の釘よりも。胸に打込ム生釘の憂

目に逢がぜひなやと。心からふる村時雨さらに。晴間もなかりける。折節我家の足音トに誰レか
はしらずとお通を抱。小かげに忍べば以前ンの盗人。金箱だかへ逃ケ出る奥より声をかけ。ヤア半七め。

 

盗迄ひろぐかと。追ツかけ出る親半兵衛我子と思ひおどしの抜キ身。肩先ちよつきり切リ付クれば。

さすがの盗賊せんとられ。つまづきころぶを引とらへ捻付クれば。アイ/\もふ御赦されて下さりませ。

ひよつとした出来心といふも聞ずくら満ざれ打つたゝいつする所へ。行燈提て母は立出。肩先キ

の血を見るよりも。ヤアこれ親父殿。いかにこらしめの為じや迚胴欲な刃物ざんまい。気は慥なかと

親の闇。てらす灯かげにすかし見て。ヤアわりや半七じやない。ヤアどれほんに。扨は儕レ盗人かと。初メて

ぞつとこはげ立夫婦はおど/\ふるひゐる。弱を付ケ込盗賊は。金箱だかへ立上り。ヤイくさり親仁め。

ようちよつきりやりおつたなア。したが是程のかすり疵。一ト箱には売リ値じや膏薬代に持ツて

 

 

 

f:id:yomota258:20200706193556j:plain

いぬ。おど骨立ると蹴殺すと。いふを立聞ク半七も。すはといはゞ赦さじとお通をかたへに窺へは。盗

人様がお帰りじや。そこ退きあがれと立行。裾をひかへてマア待た。待テとは親仁金が惜いか。イヤ惜しう

ない金やらふ。が。其かはりに異見がある。といふて又そちにゆかりかゝりの有おれでもなけれど。我

子の放埒にあぐみ果て。人の親の事迄思ひやられる。コレ嬶。三千世界に親子程有がたい

物が有ふか。年寄ツたおれが。あさがらの様な此手で。アノ究強な男に何ンと手むかひがしられう

ぞ。殊に盗人と知ツたら夜着引かぶつてかゞんでゐる。娘お園が煩ひを案しくらすに付ケても。此半

七めはどこにうろたへて居おるぞと。思ひ/\とろ/\寝入。仏壇の下タ戸棚捻切ル錠の音トに目

 

がさめ。なむ三半七めが忍び込。悪ル遣ひの金につまり。盗ひろぐと気か付イて。ヱ丶憎いやつ。

此果がろくな者には成リおるまい。おどしの抜身でこらそふと。くらさは暮し我子じやと思ひ

詰た一念ンで。雲つかむ様な男を。六十に及だおれが手迄負せて捕へたは。親の威光を切

にきた。天道様の力ぞや。コリヤこな男よふ聞。盗人に成ル人ン間迚別にはへる種もない。そち迚

も生れし時は。男の子が出来ためてたいと分相應に心祝ひ。千ン年ンも万ン年ンもと思ふは世

界の親のならひ。其二親が有ルか。ないかもしらね共。そふいふ身分に成たと聞カば。此世にあらば

涙の渕。先キ達ツたらはめいどの迷ひ。憎やかはいの雲霧に覆はれよもうかむせは有ルま

 

 

 

f:id:yomota258:20200706193741j:plain

いぞ。すべき人の異見は其筈。家尻切れて金盗まれ。後立る所を此様に。異見の仕人が

新しいか。此詞を用ひて。今から心を持直しふつ/\盗を思ひとまれ。かういふも皆我子のかはいさ。

此異見した功徳で。半七めが心を直れかしと。思ひ廻してよその子でも悪業者はふ便ンなと。しん

みの異見に母親も。年寄ツたこなたやわしが。此の様に苦にするとは露程も思ひおるまい。こちら

は当テねど此ばちが。ひよつと。あいつが身に当タらふかと。そればつかりが悲しいと親の慈悲心恩愛を。

表テに立聞ク半七が。胸にしみ込有がた涙身もよもあられ霜氷。肝につらぬく親と子

の心ぞ。思ひやられける。さすが無法の盗賊も。思ひがけなき異見に逢イ。しほ/\そろ/\ひざ

 

まづき腰かけて居た金箱を。突出し/\目をこすりしよげに成ルこそ殊勝なれ。半兵衛は

涙をはらひ。折角はいつてたゞもいなれまい。といふて此金皆やつては。旅がけの娘が養生入用

の程もしれぬ。望姓ほどおまそふと。箱の蓋取リ封押シ切。金取上て老眼にためつすがめつ。

ヤアこりや。十日戎の贋小判。是はといふに盗人も。ドレ/\/\私もと見て又恟り。ハアはつと斗にあ

きれ果。赤面の体見るよりも。夫婦はふ思議にコレ盗殿。此贋小判をきつい驚キ。様子知ツて

か何故と。問れてハット座を居直り。ア丶世の中に人の身の。因果も報へば此様に的面にむ

くふ物か。もと私も。後からの盗賊でもござりませぬ。ちいさいから放埓ゆへ。幼少にて勘当請。

 

 

 

f:id:yomota258:20200706193848j:plain

終に親も私を。苦に病ミ死の後チ迄も。産付イた我性根。是迄なしたる悪ルだくみ数も限り

も尽されず。女子兄弟もござれ共。こちにはしれどあつちには。ちいさい時に別れし故傍で見て

さへしらぬ同士。親の事も妹が事も。塵共灰共思ひ出さず。積る悪ク事の其中に。コレ此贋

小判は。いつぞや宇治屋市蔵殿で。八十両の二重取。其時作りし此小判と。聞て扨はと半七が。お

どろく内に二親も。其市蔵殿といふは。こちらが為には三代のお主。其又小判が。跡の月大和から取

寄セた正真とかはつたは。ハテめんようなどうしてと。夫婦目と目を見合せて。此摺かへ人は半七め。そち

斗か悪ク業でもおじやらぬ。現在の我子でさへ。親を掠る此しだらと聞に付ケても面目なく。内へ

 

も入ラれず半七は消も。入リたき風情なり。ムウそんならアノ此内は。宇治屋のお手代半七殿の

所か。テモ天命の恐ろしや。最前ン奥へはいつた時は。大まいの金盗負せた。ヤレ嬉しや仕合せやと

悦びいさんだ此金が。我手で贋た小判とは。よく/\運に尽たるか。非常の宝ラは身に付カぬと亡

父母が手引にて。此家へ這入最前より。結構な御教訓を聞た上。人をだました其罪が。我身

に報ふといふ事をしらしめ給ふ親の慈悲。ハア勿体なや。恐ろしや。是より心を入レかへて。真人間に

成リますぞ。是もあなたの御異見故とほつくり折ツた発起の心。テモ出かさしやつた合点がいた

かと思ひがけなき悦びは。余所の卒塔婆に水手向回向をするもかくやらん。モウいかふ更まし

 

 

 

 

f:id:yomota258:20200706194213j:plain

た。私はお暇申ます。御縁もあらば又重て。そんならモウいにやるか。必今のを忘れまいぞ。女

子兄弟も有ルとやら。倶々かせいで。立身して今の恥をすゝぐが肝心。用が有ラば遠慮なふ。ちよこ

/\ござれと挨拶も始メにかへてほれ/\と。妻もせめては酒でもと。いへど長居も恐れぞと。

出行跡は鐉をかけても胸はしまりなき。半七を苦にしほ/\と。一ト間にこそは入にけれ。表テに見
合す顔と顔。半七殿か。勝二郎か。委細は表テで聞て居た。意趣の有ルわれなれど。今のを聞

て夢にすると。隔なければ。イヤもふきつい親御の気苦労。早ふいんで逢しやんせ。わしらが

やうにさつはり殺して仕廻ウては。取かへしがならぬぞやと。いふに恟り疵持ツ足。ソリヤ誰レを殺して。ハテ

 

二親を殺しては。跡の祭りと気がゝりの詞は様子しつてかと。問もとはれず気もどまくれ。

イヤモウ廿日余りいにそゝれくれ。権柄そふに戸も扣かれまい。いつそどこで泊ろかい。ハテやくた

もない。そんならおれが仕様が有ルと。以前ン切たる袖壁から戸口を明て。サアはいつてモウ寝やんせ。又

其中と足早にもときし。道へ立帰る。半七お通を抱上て。思ひも寄ラず盗人に引入レられて我内へ。

戻れど親の気も兼て。奥を見やりてしよんぼりと。障子の内にほそ/”\とお園が閨の灯

を。見るに付ケてもいとゞなを。おもき病もいかゞぞと。心がゝりの故々に。只ぼうぜんとたゝずみて。寝入し

お通を抱おろし。下に寝させば目をほつちり。あたりうろ/\見廻して。とゝ様。爰はよその内じや。おりや

 

 

 

f:id:yomota258:20200706194358j:plain

かゝ様とねたいわいなふ。かゝ様なふと泣出す口に袖あてコリヤ/\/\。かしこい者じや泣クな/\。コリヤとゝがいふ

事よう聞ケよ。アノかゝはな。大和といふ遠い所へわれを捨ていきおつて。わが内はモウないぞよ。それ

でもおりやいにたい物。かゝ様/\なふとじだんだふみ泣さけべば半七も。何とせん方おろ/\涙。子は此

様にしたふ物。母共子共思ひおるまい。ヱ丶むごいやつ。畜生めと。子のかはいさにいとゞ猶胸にせ

きくる。憂思ひ。コリヤよふ聞よ。爰はな。ばゞ様やぢい様の所じやはい。今から泣ずとおとなしう。御あ

いその尽ぬやうに。大きう成ツて此とゝが五十年忌も弔ふてくれ。かしこい者じや合点せよ。ア丶

思へば/\此娘は果報つたなき生れ性。母めはつれなし此親は。人をあやめてあすしれず。嘸お二タ

 

人の親達チの。お世話に成ルでござりませう。是迄つくすふ孝の上。逆様な御回向受ケるが。何ン

ぼう悲しい/\と。ふ覚の涙にかき曇声をも。立ずないじやくり。それとしりてや障子の内。お

園が影にお通をば。見せじと隠すかく袖の。我身も倶に肘枕。空寝入して居たりける。おそ

のがおもきやまふより。恋の重荷の現なく。布団持ツ手もたよ/\と。半七が身に引きせて

枕あてがい傍に寄リ。顔つれ/\と打守り。心から迚いとしぼや。いかふやつれさんしたなふ。此寒いのに我カ

内で。着の侭で寝る様な身の持やうがござんすか。最前盗人に親御様の御異見。聞いてゞ有ツ

たかしらぬが。わしやあの一ト間で泣てばつかり。お年寄ラれしおふたり様に御孝行こそなされず共。

 

 

 

f:id:yomota258:20200706194549j:plain

ちつとはお心やすめる様に。気を入レかへて下さんせコレ手を合しておがみます。何ンの女子の出過た

と思しめすもしりながら。かういふも皆お前のいとしさ。わしや。もふどふで死る命みぢんも未

練は残さねど。お前のことが案じられ是一つが思ひの種。いへば恨もたアんと有レど。けし程もいわ

ぬぞへ。いはぬ心を推量して。たつた一ト言かはゐやといふて給はれ半七様ン。わしや片時もヱ丶忘れぬ。

夢に見るのを楽しみに。暮すわいなと声くもりふとんにひしとしがみ付キ。かこち涙の露雫。

きゆる間ちかき半七が。歯を喰ひしばるふとんの内枕も。倶にうきぬべし。泣寝入リせしお通は

目を明き。コレおば様。/\。爰はおまへの内かや。ヲ丶お通ようおじやつたのと。いだきよすればいだかれて。

 

なじみし様子ふしぎさに半七は起直り。コリヤお通あれはよそのおばじやはやい。ついに見もせぬ

人をめつそふな。女子さへ見りやおば/\と。子供では有わいと。いだきとらんと立寄ルを身をすし

かいて涙ぐみ。ヱ丶あんまりじや半七様ン。いかに気にいらぬわしじや迚爰へきてからモウ三年ン。

祝言もせず他人向。つい言事さへとが/\しう。笑ひ顔も見せもせず。三勝殿へ心ン中立テ。わし

は。死ンでもしまへかしと。思はんすはしれて有レ共。在所生れの此わしと。人馴さしやつた三勝殿。譬

ていはゞ深山木と都の花。粋とやらぶ粋とやら訳さへしらぬわしなればお気に入ぬもむりな

らず。ふつつり悋気。せまいぞと嗜んで見ても情けなや此マア。女子には何が成ル。さりと

 

 

 

f:id:yomota258:20200706194717j:plain

はつれないどふよくなと。女心のぐど/\とか。こち歎ケくぞ道理なり。半七も目を押シぬぐひ。何ン

にもいはぬ誤つた。去ながら此お通は。どふして又近カ付キと。ふしぎはれねばさればいな。いつぞや芝居戻り

に長町で。みのやといふ暖簾の外トに。一人リ遊びのこのお通。扨は三勝の所ぞと兼て聞イたる目

印シに。見れば見る程此子の面ざしお前に其侭生キ写し。悋気する気も打忘れ。いとしや内でうま

りやつたら。分ン相應に守リでも取ツて。一人リ遊びはさせまいにと思ふよりいとしう成。住吉参り

や生玉の慰にかこ付ケて。此子の顔見によそながら人形やつたり愛したり。夫レ故かわしを見

りや。おば様が通らしやるとなじむ程猶かはゆふなり。コレ此着て居やるつぎ/\も。私が此春

 

振袖をとめた時の切れはしで。縫て着せたる此小袖。殿御は傍に置キながら祝言もせす。

年たけてとめがひもなき此袖。涙をつゝむばつかり。女房の着ル物さへ見しらぬ様なお前を

ば。是程迄にいとしいかとつもり/\し恨をば。一チ度にわつとせき上る心そ。思ひやられけり。始終を聞

て半七は。指うつむいて居たりしがやう/\顔を上。ヲ丶尤じやこらへてたも。そなたを嫌ふと

いふではなけれど。五年ン以来なじんだ三勝。世の浮名にも立テられて娘迄有ルやつを。人手に遣

ては男が立ぬとゑしれもない義理立テて。そなたと言親達チに苦労をかけ。迷ひ迷ふた

三勝め。人らしいうあつでも有ル事か。土根性がくさつて。善右衛門が所へうせおつた。お通を付ケやつては。

 

 

 

f:id:yomota258:20200706194838j:plain

猶一分ン立ぬ故。それで連レてきたわいのと。いふもそなたへ面目なく。一ツ寸遁れに隠したも。隔る

心はみぢんもないと聞て驚き。ヱ丶そんなら三勝は縁切ツて。善右衛門が所へいてか。ヱ丶人でなし畜生

面。嬉しがりそなわしでさへ腹が立てならぬ物。お前の心が思はるゝふ心中者義理しらず。此子は

かはゆふなかつたかと夫トの心思ひやり。倶に恨のくどき言上に上こす誠なり。いやまだ其上に。何や

らかやら間違ひの有たけ。此あげくは千日で。首斗の正月かなするであろと。人を殺した身の

上を。とはず語りの詞の端。それとしらねど気にかけて。ヱ丶めつそうな半七様ン先キ折リをす

る様な。仮初にもいまはしいと。詞の内に奥よりも。ドレ/\夫婦がいつ迄も。かみのかたいやうに

 

祝はふと。のし/\出る母親は。昔小袖のいつてうらうちかけ着ながし神棚の三方携へ傍に置キ

何と半七。しんみの女房程誠な者は有まいがな。三勝と縁切ツたら。お園と祝言いやとはいはれ

まい。コレ此三ン方は。そなた達チの氏神様へ。お園が病気も平癒し。そなたの心も直つてめで

たく祝言する様にと。夫婦が祈つた御利生で。けふといふけふむつまじい夫婦合の挨拶此一対の

神酒徳利はながゑとくはゑの銚子の心。此折リ形は蝶花形。洗米のかはらけは取リも直さず

祝言の盃キ。此母は酌人やら仲人やら取結ぶ日が大赦日。暦見るにも及ぬサア嫁御呑ンで

さしや。おれも嫁入した時はモウとつとむかし。盃キの仕様も忘れた。せめてまねび斗リ也と二タ親

 

 

 

f:id:yomota258:20200706195001j:plain

か心休め。お園の胸も落着ク為耆婆扁鵲の薬より。此盃キの一滴は嫁御の為には寿

命の薬。養老の滝菊の酒にも勝らんと嫁にすゝむるかはらけの。土に成ツても此御恩忘れ

はせじと戴いてさすも今さら。恥紅葉。染てかいなきゑにしとは。思へど母の気休めと。取上る手も

半七が。涙にふるふかはらけの酒。よりさきにひたすらん。ヲ丶めでたい/\。親父殿も嘸悦び。是から

お通はそなたの娘。親子の盃さそふと思や。かはゐや寝入てたはいがない。嘸便なふ思はふと。せな撫

さすり撫おろし。ハテめんようなとつぎ/\の。小袖の縫目ときほどき。中より出る一ツ通の上がき

は。半七様三勝より。見るより半七取リ上て。又まいすめがたは言かと。思ひながらも封押シ切ひら

 

き見れば書キ置キの事。是はと三人驚く中チ。母は気をせきトレ/\ちやつとゝ。倶に立寄リよみ下せば

何々妻をしたふ秋の鹿。子を思ふ夜ルの鶴我身一つにせまり候へ共。浮世の義理にからまれ

て。添に添れぬ品と成思ひ設ぬ憂別れ。馴初し始よりつゐに一度も御機嫌もそこ

なひ申さず。死る今端に詮方なく。御腹立テさせまし別れしが。是のみ悲しさ限りなく候。只ふ

便なるは娘お通。くれ/”\宜しう頼上参らせ候。よし/\我身はかいなき御縁ンお園様と御ン中よう。

かへす/”\も親御様へ御孝行のみ頼上参らせ候。御なつかしさの較々は。海を硯とくみなす共つきぬ

名残のもしほ草。涙にかきくれわかちなく。惜き筆。とめ参らせ候。サテハ。善右衛門所へ行気で

 

 

 

f:id:yomota258:20200706195300j:plain

はなかつたか。ハアはつと斗に気も乱れとやせんかくやと当惑に。お園も倶に憂歎き。いとし

やそふいふ心かと。三人顔を見合せてさらに。わかちはなかりけり。母は涙の顔を上。譬どのやうな

事が有ツても。一生いふまいと思ふたれ共いはねばならぬ今のしぎ。三勝にふ心ン中させたは此母が拵へ

事。何角の様子を打明ケて。義理詰にしてのかしたが。死る覚悟で有ツたかい。さ程悲しい退去も。義

理にはかたれぬ物かいのとわつと斗に泣くどけば。初メて聞たる半七も。そふいふ事とは露しらず恨

だ我身が恥しいよしない犬の畜生のとかはいそふにいふまい物。コリヤまあどふした因果ぞと。

立たり居たり狂気のごとく悔歎ぞ哀なり。お園も涙押シぬぐひ。コレ申半七様。三勝

 

殿を殺しては此園がどふも立タぬ。お通に迷ひお前にひかされまだうろ付イてゐさしやるも

知レまい。早ふ尋てとめてたべわしや気がせけると気をもめば。母も倶々ヲ丶それ/\。もしもの

事が有ツたらば此母は人殺し。そふしやといふてどこを当テにハテ長町の裏通リ木津難ン波の外

へは行まい跡の間ではせんがない。サア/\早ふと引立て気ならねばうてうてん。そんならちよつと

いてきませう。必お通を頼ますぞへハテそれいふに及ぶ事か。三勝殿の事故にお前の心に遠

慮が有。たとへどふいふ義理づくも命にかゆる事有ふか。そんならいきます母者人。お園さら

ばと言捨て逸散に走リ行。コレ申早ふ戻つて下さんせへきつさう聞して半七とかげ見ゆる

 

 

 

f:id:yomota258:20200706195421j:plain

迄のび上り/\。どふやらめつたにやりとむないと血筋の虫にこたへてや。後チの哀を白露の末は。

涙の種ならん折から表テへ。捕手の役人捕ツた/\と込入レば。母もお園も何故と思ひ寄ラねば

驚くにぞ。親半兵衛は走リ出。此家には左様な覚なし外を御詮議下されと。いはせも果ずヤア

あらがふまいぬかすまい。宇治屋の手代長九郎を殺したるそちが忰半七。此家におる事よくしつ
たり。遁れぬ所是へ出せと。聞て二親嫁諸共ハツト思へど合点行ず。其又長九郎を殺したと

は何を証拠に。ヤアこいつ慮外なる証拠のせんぎ。長九郎が息有ル内相手は茜屋半七肩

先キにかすり疵。それを証拠と有からは。遁れぬ所と聞クより三人ハアハツト。胸もだく/\気も

 

うろたへどぎ/\するを突のけ押シ退。サア半七めを家さがしと奥へ入んとする所へ。すつくり出くる

以前ンの盗人。長九郎を殺したは半七ではない此勝二郎。証拠は則コレ見られよ肩先キのかす

り疵。サア縄かけて引れよといふに半兵衛。ヤアあの。そちはさつきに来たア丶これ/\さつきには

いつたおりや盗人。必何ンにもいふまいぞと。覚悟の体は最前ンの恩がへしとぞ悟れ共。それ共いわ

れず三人が顔を。見合す斗也。捕手の役人とつくと見定め。扨は儕レは先キ達ツて。夜番彦六

を殺したる勝二郎といふやつな。悪事の次第露顕の上早とくよりのお尋者。長九郎を殺せし

と自身の白状神妙/\。それ縄かけといふ間もなく捕ツたとしめる三寸ン縄。ア丶コレまあ

 

 

 

f:id:yomota258:20200706195528j:plain

待ツてと半兵衛がよらんとするをコレ/\爰な人。聞イての通り先キ達ツて。夜番彦六を殺したる

お尋者の勝次郎。一人切ツても。千人切ても解死人にとらるゝは命一トつ。長九郎殺したはいにがけの

駄賃。何ンにもいふて下さんなと。覚悟はすれど心根のうきは涙に顕はせり。そふいふこなたに何ン

にもくど/\とは言ませぬ。コレ此半兵衛が手を合して拝ます。何ンぞ。言置ク事でもござらぬか。

ふしぎの縁でふしぎの別れ。おりや。悲しうて成リませぬと我子のかはりに立ツ恩を顔で礼いふ。ば

かり也。ヤアむやくの諄隙どると引立れば勝二郎。暫く御待チ下されと顔を上ケてコレ申シ半兵衛

様。此。私が懐に入レて有ル物取リ出して。彼人が戻つてなら。かんまへて見せて下さりませ。ヲ丶見せま

 

せうと手をさし入。懐中より取リ出すは思ひがけなき迷子札。書キ付ケ見れば。長町三丁目。みのや

平左衛門内勝次郎。ヤア扨は小勝や三勝が兄貴か。思ひがけなき縁のはしと母もお園も

驚けば。面目もなき此形リとはら/\落る涙の下。ちいさい時から悪ク業でかうじ隠れの悪ル性

根。迷子札を付ケながら勘当しられた勝二郎。ついに縄目の親の罰。勘当なれば。妹に縁

はなけれど。三勝が。ゆかりかゝりの此縄目。せめて迷途の二タ親に。妹が為に成リましたと。いふ

て昔の勘当が赦されたいと涙ぐみ。明ケてはいはねど三勝によしみ重ねし半七が。かはりに立し

真実の。血筋にかゝる憂縄目心の内のせつなさを。ふ便/\と半兵衛も。母もお園も

 

 

 

f:id:yomota258:20200706195635j:plain

一時に。わつと涙の露おろし。袖や袂に肌さむき。早引立る捕リ手の者よその哀をしら波の。

罪もむくひも身一トつに引や真弓の弦切レて。見送クる思ひ。行思ひ。残る涙の乱れ原結ぶ夢か

や現かと。見上ケ見おろす有為無常さだめ。なき世のならひかや

(七巻目へ続く)

*1:『天網島時雨炬燵』は、もっとも早くこの外題が見えるのが寛政3年(1791)だが、この外題でいま『天網島時雨炬燵』と呼ばれている内容を上演していたかは不明。

くずし字学習 翻刻『女舞剣紅楓』五巻目 長町美濃屋内の段

翻刻浄瑠璃 『女舞剣紅楓』の翻字五巻目。

長町にある三勝の家。三勝は父・美濃屋平左衛門、娘・お通と貧しい暮らしを営んでいたが、どうも父とは訳あり風。実は平左衛門は小勝・三勝姉妹の実の父の弟で、死んだ兄に代わって姉妹を養育しつつ、家に残った借金を返済していたのだった。しかしその借金も今日で完済。小勝に遊女の勤めもさせずに済むと喜んでいた平左衛門は、押しかけてきた善右衛門&長九郎から三勝が負わされた巨額の借金を知って仰天。そんな美濃屋へ、さらに訳あり風な女が訪ねてくるが……。
この段は明治期の稽古本にも掲載されている有名な場面で、現在でも伝承がされているのではないかと思う。

 

それにしても、私がのろのろと記事を更新しているうちに、この『女舞剣紅楓』の翻刻玉川大学出版部から刊行されたようです(国会図書館が新規所蔵したことにより気づいた)。自分の手元では全文翻刻が終わっているので、全文アップできた後に読んで、読めなかったところの答え合わせをしようと思います。正確で校訂された文を読まれたい方は『義太夫節浄瑠璃翻刻作品集成』第六期をご参照ください。

 

 

 

いままでの翻刻

 

 

f:id:yomota258:20200414225525j:plain

五巻目

 

 

 

f:id:yomota258:20200511191300j:plain

此広い大坂に住所さえ長町と言。の葉種の露ふかき。うらのこがらし吹そらす。みのやとかきし

目印の暖簾の文字はふとけれど細き煙のかせ世帯。心に波のたへまなく。家内のるすに

只一人リ。台鼓のふすいが浄るりも。憂節しげく聞へける。主ジみのやの平左衛門。此頃興行の

台頭。太夫は娘三勝が。楽屋見舞いの戻り足。ふすいは見るより。平左様お帰りか。何ンとけふも

嘸入たでござりましよ。イヤハヤけふとい見ン物。何があの昔の。仏御前や静御前のやられた白

拍子の舞は。台頭と同し事じやと。北脇から中カ船場。モ丶近ン年のはづみやう。マア悦んで下さ
れは。三勝が北国落八橋物語。何の事はない打割ました。貴様もちといて見てござれと。娘

 

自慢を取リまぜて。咄すけいきもいさきよき。マア/\おめでたうござります。夫レといふも三勝様の

名代だけ。わしも台鼓やめて狂言のあどにでもやつてほしい。扨とお帰りを待たは。市蔵様の

御様子。此頃聞ケば近江とやら伏見とやら色々の取リ沙汰。あんまり心元トなさに。向ひがはの小勝様に

逢にいたれば。是もしかへとやら年ン明キとやら。すつきりと訳が知レぬ。モあんまり気遣イさに。マア

ちよつと問に参りましたが。どふでござりますと。小声に成ツて尋れば。ヲ丶馴染だけ迚奇特

/\。ア移ればかはる人の盛衰。去年ン迄も春迄も。市蔵様の旦那のと。這廻つたわろ

達チが。ア丶いふ御身にならしやつたれば。ひとりあほうの様にいふて。かともいひてがござらぬ。しつて

 

 

 

f:id:yomota258:20200511191503j:plain

の通り娘小勝が恩を見た旦那殿。殊に半七殿の訳も有レば疎にもならず。三勝や見ン

なが世話で木津村にマアひつそく。お淋しからふと思ふて。小勝もやつて仕廻ました。スリヤあの揚

代を取ラずにや。ヲ丶サ。ア平左様男じやなふ。どの様にしても三十両一分ンづゝはとれる小勝様。

しやか如来を親方にしてもそふはいかぬ。何ンとわたしらがお見廻申ても大事有ルまいかい。ホ丶人は

しらず貴様は別格。すきならば見廻しやれ。そんなら私も身揚して出かけましよ。気にかゝつたが

落付たと。咄す内よりがち/\と。寒さを忍ぶ平左衛門。ふすいは見るより。アめつそうな。重着してさへ

けふの寒さ。此冷るに素布子一つ。ちやつとま一つ着さしやませ。ハテ物好キなとすゝむれば。イヤサ人

 

には癖の有ル物。かう寒ふても重着すりや。気色が悪ルふて起て居にくい。しやう事なし

の素布子。テモ奇妙なこりやならぬ。聞てさへひや/\する。それはそふとけふは隙でもある。これ

から木津へ参ましよ。ヲ丶そりや寒いのに御太義。いてなら旦那に心得て。姉にあんまり呑

おんなと。よふいふて下されやと。いふもそこ/\出て行。アいつ見ても気がるい坊主と。いひつゝそろ

/\火燧箱。かち/\打て仏壇へ。灯明上ケて何故か。腰にさげたる帳面を。位牌へ備へ伏拝み。廻

向鉦さへせはしなく。なまいだア/\なまいた/\なまいだ。願以此功徳。みだ平等と。廻向の表へ立

帰る。浮名にふれし。三勝が。娘お通が手を引て。楽屋戻りの取リ形リも。伏見常盤にことならず。

 

 

f:id:yomota258:20200511191640j:plain

ヲ三勝戻りやつたか。きのふもいふたになぜにお通を連ていきやるぞいの。肝心の太夫に子が有ル

といふては見物の見込がない。コリヤぼんよ。あすから付イていくなよ。おりや夫レでもかゝ様ンがるすなら淋し

い。アレ聞て下さんせ。何ンぼでも聞事じやござんせぬ。ぢい様ンのいはんす事コレよふききやゝと。親へ気

兼もどこやらに。義理有ル中と聞へける。平左衛門はじろ/\と。お通が着ル物打ながめ。此着物はいつ仕て

着しやつた。サレバイナ聞カしやんせ。世にはしほらしいお方も有ル物。十七八な女中が此門トを通つて。此子

を見てはかはいがり。人形やつたり菓子やつたり。此つぎ/\も跡の月おこしてゞござんした。ハテなふ夫レはしほらし

い。なぜ呼込で礼いやらぬ。わしもそふ思ふてゐれど。るすの内斗リ間ちがふて逢ませぬ。したが此

 

廿日程根から見へぬげにござんす。夫レで此子が明ケ暮。おば様ンがお出んといふて。毎日門。口に待ツ

て居ます。ハ丶丶丶丶坊主めが又人形をしてやらふで。おぞいやつじやと咄シさへ。親子の中の水いらず。夫レは

そふと此半七様ンは見へぬかへ。イ丶ヤさたはなかつた。又此半七様ンでも有ルそ。けふ見へいでは済ぬ事。よも

や如在は有ルまいが。内の首尾でもわるいかと。心につもる思ひ種。物案じの体見るよりも。ハテ用

が有ルなら見へるであろ。其間におれも一休。坊主もこいと手を引て。奥の一ト間に入ル折から、色と悪

との二タ筋元結。あたまがちなる善右衛門。長九郎連レ立ずつと入リ。顔見るよりもハツトせしが。是は/\お

二人リ様。よふこそお出とあしらへば。何ンしやよふお出。わるふお出じや有ふがの。サア八十両の金いたそ。長九郎

 

 

 

f:id:yomota258:20200511191812j:plain

もしる通り切月さへ三度目。ことけふが絶体絶命。サア金渡せ請ケとらふ。ヲ丶長九郎が付イて居る。

金渡せサア受ケ取ル。返事はどふする三勝と。両人左右に上ケ股打。めつきしやつきのしゆらの鬼。責苦

を見るもかくやらん。三勝は気の毒の胸はさはげど押シしづめ。市蔵様の御難義を半七様ンが引

受ケて。救はしやんした恩の金。早速あげる筈なれど。ア丶これ/\おりや半七に借はせぬぞや。証文

の名当テはそなた。所詮金では得済すまい。ナア長九郎。いか様大和作り例れを当テにする口上なら。迚

も埒の明カぬ事。サアあるいたと両方から。両手を取ツて引立る。振リ払ふて。コリヤどふさんすどふするの

じや。連レていんで女房にする。ヱ丶穢しいいやらしい。手をさやつたら噛つくとこはさ悲しさ身もふるはれ

 

逃んとするを動かせず。いやでもおゝでも連ていて女房にすると。むりむたい。取付キかみ付キ追イ廻し。

ヱ丶めんどいと両人が引立て行後より。見兼て出る平左衛門。二人を掴んでづてんどう。箒おつ取りう

/\/\。打て/\打のめし。人の娘にわるぼたへいにあがらぬかとしめ付ると。ぐつとねめたる有様は。心地よくこそ

見へにけれ。三勝は小気味よく。それ見やんせのよい形リと。笑へは両人ふくれ顔。何ンとこゝらはあぢいな

所じやなア。質取て金借シて。質もおこさず金も返さす。その上にゑさし箒。シヤほんにおかしい

わい。ドレ家主で聞てこふと。立て行を。コリヤ/\待テ。たとへ三勝が金借ツてから女子の事。高が百匁か二

百匁。質のはちのとかさ高な。何ンほ程の事じや。済してしまふワレぬかせ。ヲ丶ぬかさいしや是見いと。

 

 

 

f:id:yomota258:20200511191933j:plain

懐中より証文取出し。是でもかゝぬか是でもかと。ひろげて見すれば。ヤア/\と思ひがけなく仰

天し。ヤアこりや三勝を書キ入証文。銀子四貫八百匁。ハツトせき上三勝が。胸ぐら取て引廻し。

サ丶丶丶女子のぶんで大胆な。大まいの金何ンで借リた何にした。おりやあんまりで物がいはれぬ。ヱツヱわれ

はなア。親の心子しらずと。はら/\落る涙をおさへ。コリヤわいらがほんの親はな。おれが為には兄貴。みのや

平左衛門といふてな長町の住人。死れる時枕元へおれを呼で。家に付イた借銭が凡十貫匁余り。

兄弟の娘を売ツて成リ共済してくれ。惣領息子も有ツたれど。生れ付た悪ル者故七つの年シから

内を追出す。所詮物には成まいけれど。若シ根性も直たら。勘当を赦してやつてくれと。借銭

 

の事と子供の事を。言死にした兄貴。アいとしやと思ふより。中村屋安右衛門といふおれが名をば。みの

や平左衛門といふ兄貴の名にかへて。十七年以来相続した此家。おのれやれ娘も売まい。借銭ン

も済そふと。心は鬼神ンとはやれ共。もとではなし気をもむ斗。利銀は重なる先キはせがむ。栓方な

さに。血の涙をこぼして。姉の小勝を自前奉公。ア兄貴の娘に勤をさす此金。一銭でも蹴込

ではどふも平左衛門が立ぬと思ひ。コリヤ是見い。極寒の冬でもどてら一ツ点。がた/\ふるふをこらへてゐ

るはな。身の為にせぬ兄への言訳。其誠が通じてや。けふといふけふ十七年目に。借銭ンの根切リして。アレ

見い。仏壇に備へて置イたは。借銭方の請取帳。是さへ済せば。モウ小かつに勤さそふやうがないと

 

 

 

f:id:yomota258:20200511192159j:plain

思ふてな。コリヤ市蔵様へやつて仕廻た。ヤレ嬉しや忝や。千部万部のお経より。コノナ一冊の請取帳

は。兄貴が冥途の闇路をてらす広太無量の弔ひと。たつた今位牌へ上ケて。回向した借銭ン

なし。舞子さすさへ無念なに。我身を書込ンで八十両の借銭。コリヤわいらを売て喰とおもや

な。コレ此艱難はせぬはやい。半七殿の手前も有ルに所存者義理しらず。おれが心を無にする

と涙はら/\打はらひ。身体の底心の底。打明カしたる真実は聞も。哀に頼もしき。始終を聞て三勝

は。何と言訳詮方も。泣しづみてぞ居たりしが。ア丶有がたや忝や。千万無量の詞にも言ほしがた
き御恩の程いつの世にかは報ずべき。八十両のこの金も。半七様と相談で。市蔵様のお為なれば

 

さら/\我身の為ならずと。聞て驚く平左衛門。スリヤ半七殿と相談で。市蔵殿の御用にか。ハア

はつと斗に当惑しあぐみ。果たる風情なり。二人はそろ/\にじり寄。何と借たが誤りか。よふ此様

にぶちすへたなア。娘に金を衒して同志打ちの狂言かやい。そふせふより手を出して。盗をせい平左衛門

と。聞クよりぐつとせきのぼす。胸おさゆれば三勝が。泣ク程二人は付キ上り。サア金済せ受ケ取ラふ。金が

ないなら三勝せう。二つに一トつの返答せい。こな大衒め泥房めと。手は得さゝず悪ツ口を。聞ク無念さ

も親の事。思ひ過して涙をはらひ。皆お前のが御心。ながふと申シませぬ。日暮迄に才覚して

急度お済し申ませう。コリヤ/\娘。日暮レ迄はマア一ト時。わりや済す当テが有かよ。なふて何ンの

 

 

 

f:id:yomota258:20200511192356j:plain

申しませう。そんなら日暮レが一寸ン延ても引ツ立ていぬるぞよ。いかにもいなとは申ませぬ。よいは奥

へいて待ツて居よふ。必筈を違へなと。打連レ立ツて奥へ入。無念を忍ぶ平左衛門。見るめ苦しき三

勝が。とゝ様ンもちとの内お枕なされお気休めと。せわやく娘もふ便ンさに。すご/\。立て行跡に。

心一つで。とやかくと。夫トの遅さ待チ兼て見やる表テへ夫レならで、色もすがりの匂ひ有四十余りの

女房が。用有そふに表テ口の暖簾の家名に小うなづき。ちと御免ンなりませとずつと入。こな

さんが舞子の三勝殿といふのか。いかにもわたしでござんすが。けふはいかふ取リ込ンでおめにかゝるも

そこ/\。用ならあしたの事にしてと。我くつたくにあしらいも花のあたりをよけて吹クたばこのけふり

 

つきほなくいへ共いなぬ揚口。そろ/\あがつてそばにより。ついにあふた事はなけれど。五年以来聞

及んだ三勝殿。わしや大和の五条茜屋の半七が母でござる。ヱ丶と恟りアノそれはといはんと

せしが気味悪く。うろ/\するを見て取ツて。イヤこれ三勝殿。若シやわゝしうこなたをば。わゝりにき

たかと思はしやろがみぢんもそふした心はなし。草で育た大和の女子も梅の色よき難波の

女郎も。色に迷ふは同じ事。わしやこなさんに礼いひに来ました。アノ見るかげもない半七に

ほだされて。なんぼの出世も目にかけずかはいかつて下さる。かげで聞てどの母ても嬉しがるまい様が

ない。殊にお通といふ子迄もふけた三勝殿。まめで顔見て嬉しいと余念なければ気も落付。

 

 

 

f:id:yomota258:20200511192603j:plain

半七様の母御様迚。さつてもきつい御すいほう。そふ御存の上からは。何を隠さん様もなくしんじつ

ほんのかゝ様に。逢た心と打とけて底意渚の海士おぶね。こぎあふせたるごとく也。イヤはて世の中

に君傾城をれき/\が。嫁にするも有ならひ。ア丶早ふすいた同士。半七と夫婦にしてむつまじ

い顔見るならば老行末の楽しみと。明ケ暮思ふて居ますると。聞て飛立嬉しさに手を合す

れば其手を取。思ふ事儘ならぬこそ浮世なれ。わしやこなたに無心が有てきましたと。詞の中チよ

り是はいかな。頼ミの無心のとは他人向。どの様な仰でも背ぬが嫁の役と。いふに顔見るより涙ぐみ。

近頃無心な事ながら。半七と縁を切て下され。ヱ丶丶と恟り。アノ半七様ンとかへ。いかにも。そりやならぬ。

 

わしやいやじや。一チ夜流レのあだ夢も別れは惜き人心。まして馴初もふ五とせ。子迄なしたる半

七様炎の中には暮ラそふが。あなたをのいて片時も浮世の日かけが見られうか。むごいつれない

どうよくな。別れといふ字は聞てさへ。胸にしみ/“\悲しいと。恨涙にくれ居たる心ぞ思ひやるせなき。

ヲ丶悲しうなふて何ンとせう。去ながら此母がいふ一ト通り聞て下され三勝殿。アノ半七にはおそのと言

て。言号の女房が有。呼取てもふ三年祝言の日を極めても。こなたとふかい半七いかな事得

心せず。同じ内に住ながらつゐに一チ言ン物いはず。親父殿の腹立無理でもなし。嫁の親の方からは。

大事の娘をすもりにして妾狂ひする半七。聟には取ラぬ取戻すと。やつさもつさの一チ門中。私

 

 

 

f:id:yomota258:20200511192746j:plain

がそだてがあまいから半七が気儘すると。言ももとが気の廻り。根が親父殿は入聟。それ故尻

にしかれると一ツ家中にいはしては。親父様迄あほうになる。其上夫レを苦にやんで。おそのはとうから気

のかた煩ひ。聞ても居てゞござらふが。二月キ跡から此樋の上に出養生。日増におもる病の床。

見るも悲しさいぢらしさ。せめて一チ日夫婦にして此世の年もはらしてやりたさ。義理と情に詮方なく

子迄有二人の中を。縁切に来た此母が心の内を推量して。思ひ切て見てくだされ。かはいがらしやる半

七をふ孝者といはそふと。孝行者といはそふと。コレこゝがしんぼうじや。了簡をして下されと。語ルも

涙聞クも涙ともに。思ひの渕ならん。三勝はたゞうろ/\とのくも苦しくいな船の。いな共いはず胸せま

 

り。涙にむせびゐたりしが。つど/\母の詞をば聞クに思ひのむすぼふれ。とけぬ氷の釼キをば呑込ムつらさ

せつなさをこらへ涙の玉の緒も。きらねばならぬ縁ならば。逢ての上かとやせんと。心一トつにせめられて。

何とか胸を極めけん。我レと我身に暇乞ひむせぶ涙の顔を上。申お袋様ン。ふつつりと思ひ切リました。ヤア

すりやアノ半七と。縁切ツて下さるかと。とはれて猶もないじやくり。何はともあれわたしがのけば。半七

様ンのお名も出ぬといふ事は。よふしりぬいておりますれど。つゐした訳の中でもなし。五年以来馴なじ

み。子迄もうけていつしかに。去年より今年はふかう成リ。けふはきのふに増思ひ。神や仏の御異見でも。

思ひ切ル瀬のあらばこそ親にも子にも我身にも。かへていとしき殿御をはふ孝といはせしおその様ンの。

 

 

 

f:id:yomota258:20200511192917j:plain

お恨や。おふたり様のお嘆キが。あなたの御身にかゝるのが。わしや悲しうてならぬ故。あかぬ別れを致し

ます。思ひさらふと思ふ程恋の罪科思ひのしゆら。胸の煙はあびしやうねつ八かん地獄の涙のつ

らゝ。今身の上に責られてわく方もなき三勝が。心の内のせつなさを推量してたべお袋様。わ

しや義理詰になつたかと目元トうろ/\髪乱れ。わつと斗の託泣目も当テ。られぬ風情なり。

母も涙にくれながら。せな撫おろしなでさすり。ヲ丶道理じや/\。のいて下さる仏より。のかしに来た此

鬼が最前からの悲しさは。行末我身がいくつ迄。生キながらへるしらね共。一チ度に年シも寄ル思ひ。よう

のいて下さつた。三方四方の義理も立。半七が身の行末もよいが上にもよかれがしと。思ふも

 

親の因果からいぢらしいめを見ますると。逢を別れの嫁姑。顔見合せてハアはつと。嘆ク涙は湖の。

一チ夜に出来しもかくやらん。いつ迄いふても同し事もふ泣て下さんなと。しほ/\立てモ丶いにま

する。半七とこそ縁はきれ。孫のお通も有ル事なりや心はやつぱり嫁姑。煩はぬやうにして下

され。礼とてはいはね共。今から朝晩此母が、こなたの寿命を祈ます。ア苦しみの世界やと行ん

とするをコレ申。お通にちよつと逢てやつて下さりませ。ぢい様やばゝ様の所へはいつ行ク事でこさるや

と。逢たがつたおさな心。せめてツイ。顔なりと。言イもおはらず泣入レば。いや/\逢ますまい。縁きらし

ていぬるさへ悲しいに。孫の顔を見たなら猶悲しうて成ますまい。むごいきつい鬼ばゝじやと。いふて

 

 

 

f:id:yomota258:20200511193110j:plain

聞して下されと。互の涙くりかへし。見送クる足も行足もしどろ。もどろの憂別れ泣別。れてぞ

立帰る。始終を聞てや平左衛門。目を擦こすり奥より出。ヲ丶三かつよふのきやつた。千年ン万年ン

添よりも縁切ツて進せるが。半七殿へはきつい心中。したが日暮レ限りの八十両どふせうと思ふて

居る。イヤモウかういふ品に成たれば。半七様も見へまいし。ハテ善右衛門所へ参りましよ。お通か事を

頼ます。ソリヤ気遣ひ仕やるな。おれが乳でもなふらしてだいてねよふわいの。常からそなた

を廻してかた時はなさぬめろめ。ねざめ/\がおりやどふも成ルまいと。聞より三勝身をふるはし。畳

にくひ付泣さけびけふはいかなる悪日ぞ。かはいひ子にも夫トにも。あかぬ別れの数々は。何の報ひ

 

かあさましやと。又もさめ/“\くどき泣。平左衛門も倶涙。といふて一チ年ン中泣て斗リも居られまい。

勝手へいて顔でも洗や。物言やいふ程悲しうなる。サアまあ奥へと親と子が共に心を思ひや

りなく/\一ト間へ入にける。かく共しらず半七は。足もいそ/\門の口。ヤレ/\久しうこなんだといひ様

奥を指のぞき。なむ三客が有ルそふな。大方今ン度の台頭銀主のはり金や殿で有ふ。先ツ落

付キに一ツぷくと。たばこ引よせ遠慮なく。家内見廻し。コリヤ身体が直つたか。屋根ぶしんが出来た。

寒作りの拵か隣の酒屋のがつたらこ。賑やかな商売しやと。いへ共待テ共人切レなし。ハテめんよう

な。足おと聞クと飛で出る三勝。きつうおとなしうなられた。こんな時にはこつちから逢たう成ルが

 

 

 

f:id:yomota258:20200511193653j:plain
色の癖。ドリヤお通めが顔見よふと明る一ト間の内よりも。お通はようねておりますと。いふ顔じろ

/\ながめやり。どふじやきつう色がわるいの。どふでも初日の出た当座。酒が過キた物じやあろ。たし

なみや/\。扨と。彼内々の八十両宇治屋の隠居からくる筈が。御病気でこぬ故に段々の延引。

そなたのいかひ世話であろ。したがどふやらかうやら調ふた。落付キ給へと懐中より。どつかり下に八

十両。三勝見るより飛立斗。なければ済ぬ此金の。かふ調ふもまだ縁の。尽ぬ命の宝ぞと

手に取リ上しが下に置き。半七様ン。此金はどふして出来たへ。サレバサ。しりやる通リ親父とはふ付キ合で。二両

三両の金さへ自由にならぬ身の上。八十両といふ金高。急に才覚の仕様もなし。どふがなと

 

思ふ内。親父の内へ大和から取寄セられた此金。てうど八十両指当て入ルでもなし。ほしや/\と思ふから

サア悪ルい事は染り安い。彼いつぞや衒から請取ツた。吉慶よしの贋小判おれが手に有た故。金箱へ

摺かへて当分遁れの一工面と。聞て三勝アノてゝご様ンの金を贋金と摺リかへて。ハテ四五日の間

を渡し。又取かへて置ク分ン。マア善右衛門へ済してしまやと。いへど心も済やらず。若も夫トの難ン義もや

と。心付ク程身を切ル思ひ。ほしうてならぬ八十両半七が傍へ指戻し。モウ此金は入ぬわいな。ソリヤ又なぜ

に。度々切月か過た故せん方なさに。わしや善右衛門様の所へ行筈に成たわいなと。いふに驚キ

ヤアわれはと。いはんとせしがそりや誰レに相談して。相談相手は私が胸。夫レではわれどふも立ツまい

 

 

 

f:id:yomota258:20200511193821j:plain

がな。立ツの立タぬのといふはとつと昔の事。合せ物ははなれ物。人の心は花染と。歌に紛らすうき

思ひ。胸に涙を押シ込の。襖に顔をそむけゐる。半七はさはげ共さすがに何と男気の。こら

ゑ袋の口しめて。金懐中しずつと立。かたへに有あふ鏡台の。鏡をはつしと抜キ打に。切はなして

両手に持。合せ物に限らず。かう堅う鋳立テたる天下一の鏡でさへ。一念ンを以ツて切ル時は此通リに

放れる。破鏡再び照らさすといふてみがき立た此鏡も。かうわれ/\に成時は満足な顔は見ら

れぬぞよ三勝。相談相手の胸の鏡をナ打わつては物がない。照すも曇るも砥のこ

のかげん。思案して置ケ後にこふと。はれぬ心を押なだめ立て行をマア待ツたと。奥より出る平

 

左衛門お通を連レて。半七殿。鏡をみがく砥の粉をやりましよ。コレ爰にゐるお通といふ。かはい

ひ砥の粉で。曇切た胸の鏡をとぐ様にと。子にひかされて半七が。胸をなだむる教

訓も。仇に成リ行思ひ子の。お通を連レて立出れば。かゝ様なふといふ声に思はずわつと三勝が。コレなふ

待てとかけ出るを。コリヤ/\。爰がしんぼうと。歎ク娘を引連レてとゞむる涙行恨後チの哀を残し行。もと

はうは気で逢馴初て。ふかう成ル程逢れはせいで。隣座敷に引クしやみも。我身の上と三勝

が。涙にむせぶ思ひ草。奥には二人の牛頭馬頭が。三国一じや酒に成すましたしやん/\。嘸半

七様ンが憎ふて/\成ルまい。わしやみぢんも心はかはらぬぞへ。金のかはりに女房になれと。せがみ立テられ

 

 

f:id:yomota258:20200511193953j:plain

返事もならず。ほんにかなしい身の上では有わいなア。お通がねざめに乳も呑ずにヱ丶かはいやと。

死るに極めし心根の。誠としらで半七はかはる心のつれなさを。思ひ晴さん頰かぶり一ト腰さいて

門口に。たゝずむ思ひ泣涙。内と外とにふたせ川。かはる心ぞぜひなけれ。今さら善右衛門が所へ

やつてはどふも男が立ぬ。思へば憎いやつじやなアと。露それぞ共白草の内には三勝奥口見廻し

忍び出んとする後へ。三勝どこへとずつと出る善右衛門。人に酒をしいて置イてヱ丶憎いぞへ/\。何と半

七に心残りなか。イ丶ヱ残るの残らぬのとは。ふたり思ひの有ル人の事。わしやもふ一筋にソリヤ誰を。はて

お前をいな。そふ思ふて給はれば。拙者も急度心中立るじやてや。ナアニうそばつかり。今こそそふ

 

いはんすれお前の所へいたならば。つゐ飽んすで有ふな。何ンの/\。こちの親父を八まん地獄で鯷に

する法も有レ。君と我レとはふたばの松よ。松がいやならふたばの檜の木。てんとびやゝらいたまらぬと抱

付ケば。ヲ丶嬉しと。又しめかへし機嫌取リ。ぬけて出んと思ふ気をしらぬ夫トは立聞キの。足もわな/\身もふる

ひ。歯を喰しばる無念さの。涙ほのほをあらそへり。ふたりじやらつくまん中へ。酔つぶれたる長九郎。

むまいな/\。そふいふ事を半七めに見せたら。嘸業をにやしおろ。ア見せてやりたいなアと。思はずしらず

のてんごうも胸にこたねる数々のつもる恨ぞせつなけれ。そりやそふと善右衛門様。今奥で平左

に相対してさつばりとすました。何ンのかのゝない先キに。今宵すぐに三勝殿を大和へ連レてごさり

 

 

 

f:id:yomota258:20200511194058j:plain

ませ夫レは千万お働。そんならついでに駕の世話も。其段もはたらいて返しの約束でモウこゝへ。

こりや近年ンの手廻し。したが一所に連レ立ツつては人目立ツ。おれは先キへいて待ツて居る。三勝連れて世話

ながら跡から追付ケきて貰ふ。サアこりや急にいそがしい平左衛門宜しう。三勝。長九郎。やがて/\と言捨て

表テへ出れば。半七は見付ケられじと酒桶の。かげに隠れてやり過し。もはや心も突詰の二尺三寸ぬき

はなし。ねたばを合す。折も折。サア駕が来た三勝殿お乗なされと長九郎が。いふに今さら気も

乱れ。とゝ様モウ今参ります。ついたら必便リを待。おりや最前ンから襖の内で。暇乞をしておいた。

けがせぬ様に気を付ケよと。涙を見せぬ襖ごし。是今ン生の別れと涙ながらに駕にのり。

 

何と長九郎様ン。とても行同し道おまへはたんと酔てそふな。相輿はいやかへ。是は千万ン忝いと。足も

よろ/\酔つかれ。現の闇に乗駕の。中をかはして三勝か。逃たもしらず籠の鳥。舁出す

かけ出す門の口。ふ心中者思ひしれと。簾ごしに半七がぐつと突込む一ト刀。ヤレ人殺しと駕舁が。

打捨逃ケる駕の内。朱に染しは長九郎。なむ三宝三勝め取リ逃したか無念ンやと。くはつとせき上

せき上し。ぜひに及ばぬ長九郎。日頃の悪事思ひしれと。又一ト刀切ラれてはつと酔ひもさめ。まけじとぬいて

半七が。肩先すつぱり切付クる。疵も覚へず半七はやら腹立に血をあやし。眼もくらみ気もくら

み死物狂いさひのめつた切。ソレ人殺しと四方よりより棒てん手に取まけば。無念ンの眼コに三勝が

 

 

 

f:id:yomota258:20200511194359j:plain

おもかげ立テば大勢を。西よ東よと追フて行。おはれて逃クる其隙に。内より飛出る平左衛門隣

の酒桶うつむけに。かづけた所へ又ばら/\。あばれ者は南へと。詞につれて大勢が。打テよたゝけと行跡に。

酒桶引上。此間に/\。はつと思へど三勝が。行衛を尋みだれ髪打みだれてぞ行空の

 

(六巻目へつづく) 

 

文楽 気になる人形遣い4人 −勝手に技芸員名鑑2 細雪篇−

f:id:yomota258:20171111131403j:plain

お気に入りの技芸員さんを紹介する記事、第2弾。今回は、私が良いと思っている女方人形遣いさん4人について書きます。

文楽人形遣いというのは、浄瑠璃に即した人物造形を求められます。しかし、浄瑠璃はいつも同じ文章、人形もみんな同じ顔をしているはずなのに、人形遣いによってその人形から受ける印象はかなり変わってきます。娘役なら、極限的に可憐な人がいたり、ちょっと色っぽく傾く人がいたり、少しぼんやりした子に見える人がいたり。同じ役であっても、配役によってだいぶ印象が変わるというのが、私にとっての文楽の人形の魅力です。

文楽は現在休演が続いていますが、その間の施策として、昨年文楽劇場で上演された『仮名手本忠臣蔵』の舞台映像ダイジェストがYoutubeで期間限定公開されており、様々な人形遣いさんの演技を映像で見られるようになっています。今回は、これらの公式映像を紹介し、人形使いさんたちの舞台実演を一緒に観ていただけるよう記事を構成してみました。
(『仮名手本忠臣蔵』映像はこのブログの埋め込みからはダイレクトに再生ができないため、再生ボタンを押すと現れる「この動画はYoutubeでご覧ください」というリンクからYoutubeへ飛んでご覧ください)

INDEX

 

 

┃ 1. 桐竹勘壽(きりたけ・かんじゅ)

#老女方 #おばあちゃん #奥様 #熟女マニア #世話物 #辛口の悪役 #清々しさ #画数が多い

 
 
 
この投稿をInstagramで見る

国立劇場(東京・半蔵門)(@nationaltheatre_tokyo)がシェアした投稿 -

写真右から2番目 『摂州合邦辻』合邦女房

 

旧家で大切に育てられたお嬢様がレディになり、宮家に嫁いでより上品な奥様になりました的な品のある人。洗練性と知的な品格があり、派手な芝居のない役であっても観客を舞台全体に惹きつけ、印象を深める。

配役は、奥様、おばあちゃん系が多い。
『菅原伝授手習鑑』寺子屋の段、源蔵の女房である戸浪は、寺子屋のおかみさんとして「山家育ち」のイモ・チルドレンをうまくいなしつつ、しかしながら都から落ちてきたワケアリ奥さんの色気も漂わせているのが絶品。寺子屋に通う子供たちが熟女マニアになってしまいそうな勢いであった。

一方、『近頃河原の達引』堀川猿回しの段の与次郎の母は、貧苦の中、近所の子どもに三味線を教えて家計の足しにしている。痩せたおばあさんの人形で、貧乏に疲れてはいるが、下世話ではなく、じんわりと優しそうな雰囲気を湛えていて、こじんまりとした庶民の日々の営みを感じさせる芝居だった。盲目の母は、与次郎や娘カップルたちが騒ぎちらす中、すこし頭を傾けて周囲によく耳を済ましているのと、三味線の稽古のときの三味線の構え方がリアルだった(特に三味線の胴に手首を引っ掛ける角度)。こうしたわざとらしくないディティールにこれまで過ごした歳月や生活が滲み出て、世話物の空気を作り出すのだなと感じた。

と、ずいぶん長いこと、勘壽さんといえばお母さん・おばあちゃん役だと思っていたのだが、最近、「いいなあ」と感じるのは、カラッとした品のある男性役。
印象的だったのは、『心中天網島』北新地河庄の段の太兵衛、『曲輪文章』吉田屋の段の喜左衛門といった世話物の旦那役の円熟ぶり。太兵衛は主人公・治兵衛に嫌がらせをする悪役だが、商人としては裕福な部類で、主人公である治兵衛よりも金を持っており、遊びや遊所での身のこなしを知っている。喜左衛門は新町の大きな揚屋・吉田屋の主で、大店の主人にふさわしく世渡りに長け、腰は低いが洗練された佇まいの人物。零落した主人公・伊左衛門にも、かつての上客だった頃と変わりない態度で接する。両者とも単調ではなく、絶妙のニュアンスを必要とする役。この2つの役のベースとなる上品さと、それぞれの性質に基づくニュアンスの演じ分けにはかなり納得させられた。とにかく、垢抜けているんですね。気張らないのにセンスがある人ということが伝わる。姿勢や歩き方、背の伸ばし方や肩との関係、袖のさばき、あごの使い方等のちょっとしたニュアンスで垢抜けた印象が出ているのだろう。双方とも、少し近代的な、知的な佇まいがあるのも印象的。*1

勘壽さんを観ていて思い出すのは、加藤泰の明治ものの映画。日差しがやや強くなってきた春の初め頃のような、気分の高揚する空気感の中を通り過ぎていく、清々しく気持ちのよい心根をもった登場人物たち。共通するのは、上品で洗練されているが、ただ上品なだけではなく、人柄や体温といった生っぽいリアリティを感じさせるところに、味があるという点。きっとむかしはこういう人がいたんだろうと思わされる。誰も見たこともない300年前の上方の商家の、手垢で暗く光る古びた木の柱、人が通るところだけ少し擦れて色が褪せたのれん、清潔に磨き上げられた床板は人が歩くときゅっきゅと音を立て、部屋の片隅の奥まったところには少し湿った埃の匂いがしている。文楽劇場の書割の商家まで立体的に見えてくるというのは、他の方にないのではないかと思う。映画では人間の役者を使いセットを組んでいるのでリアリティは格別だが、人形浄瑠璃で観客にイマジネーションを与える余地のある芸というのは、すごい。文楽人形のかしらは意図的に余地を残して「未完成」に作られており、人形遣いが遣うことで「完成」すると聞いたことがあるが、芸にもそれがあるのだろうか。観客がいて、観客の想像力があって成立する佇まいであると感じる。

ところで勘壽さんは私の中では道端での遭遇率が高い技芸員さんのおひとり。帰り際などに時折「あら、勘壽さんが歩いていらっしゃるわ☆話しかけてみようかしら☆」と思うも、実際には「あ……」あたりですでに数十メートル引き離されている。上品な雰囲気からゆっくりエレガントなイメージがあったけど、超すばやい勘壽さんだった。(本当にすばやい)

 

《動画で観る勘壽さん》
『仮名手本忠臣蔵』七段目 祇園一力茶屋の段 斧九太夫(2019/国立文楽劇場
こちらは時代物に登場するタイプの「上品な悪役」。結構いいご身分の侍なのに、実は由良助を裏切っているという、やらしい辛口の上品さが冴えてます。このときは床の竹本三輪太夫さんともマッチしていて、とても良かったですね。三輪さんの上品クソジジイは最高です。(映像26:36あたりから登場、グレーの着物を着たジジイ)

 

 

 

 

┃ 2. 豊松清十郎(とよまつ・せいじゅうろう)

#娘 #悲惨 #悲劇のヒロイン #美青年 #清純 #文楽業界の北川景子 #レア苗字 #アイドルブログ  

 
 
 
この投稿をInstagramで見る

国立劇場(東京・半蔵門)(@nationaltheatre_tokyo)がシェアした投稿 -

写真左 『艶容女舞衣』お園

 

突然ですが、私はいつも清十郎がひどい目に遭いますようにと願っています😌🙏

人に向かってそんな願いないだろ!!! と思われるかもしれませんが、文楽見てる人はみんな清十郎がひどい目に遭いますようにと願っているに違いない(巨大主語)。

現代文楽随一の儚く清純な雰囲気、薄幸のヒロインオーラに満ち満ちた人。不幸な役、悲惨な役、ひどい目に遭う役が映え、『奥州安達原』環の宮明御殿の段で貧苦の挙句凍え死ぬ袖萩、『出世景清』六条河原の段で無体に拷問される小野姫など、やたら悲惨な目に遭う役が異様に似合う。ズタボロな落ちぶれぶり、漂う不幸オーラが尋常ではない。文楽には悲劇が多いが、清十郎さんは文楽的悲劇とはまた違う、不幸、薄幸な感じがいい。*2
個人的にはシンプルなド悲惨役、ただただ惨たらしく殺されるという悲惨すぎる『国言詢音頭』の菊野が好みだった。菊野は生きながら臓物を抉られるという「そんな役あるか!?」という衝撃の悲惨役。犯人・初右衛門に捕まってからは首を締め上げられるので体が宙に浮き、腕はそこに預けるかたちになるので、胴体と足の動きで感情や痛みを表現しなければならない。その身をよじる仕草に静かな悲惨みがあり、だんだん体がバラバラになって死んでいくのが生臭くなくも真に迫って、さすが清十郎と思わされた。

悲惨な役の中でも、現代文楽に意義ある演技だと感じたのは、『心中天網島』天満紙屋内の段のおさん。夫治兵衛は遊女・小春に入れ揚げて家に居つかず、小春と相談した上で別れさせてもなおウジウジと小春に執着し続ける、なのにおさんはそれでも治兵衛を立てようとするというシチュエーションは、現代においては理不尽すぎる。“昔”は近松の登場人物って“リアル”だと言われていたんだろうけど、それは“昔”のジェンダー観からそう感じられていたのであって、現代ではとてもじゃないけど美化できない。特に、おさん・小春には「シチュエーション」は感じても、彼女らそれぞれの固有の人格を感じないのが殊に厳しいところだ。
その上で、現代において近松ものを上演するには、女性登場人物をどう表現するかが鍵になると思っている。清十郎さんのおさんは、家の中であっても対外的な面・至極プライベートな面の演じ分けをすることで、どうしたらおさんのような登場人物が現代に生き得るかが表現されていたと思う。お店の切り盛りや子供の世話をしているうちは、商家に生まれ育ち商人の妻になった女性として責任をもった態度でさかんに動き回っているが、夫・治兵衛と二人きりになると、いままでこらえていたものが一気に溢れ出したようにいっしんに心情を訴えていて、家の中にしか社会がない彼女が、最低最悪のクズ男をそれでもまだ信用しようとする純粋さを哀れに思ったものだ。普通にやっては単なる古臭い造形のところ、シチュエーションからくる受動的悲惨さを抑え、彼女自身の感情を表現することで、今日に共感できるリアルさが描出されていた。

また、同じ方向性では、『艶容女舞衣』酒屋の段のお園を清純に演じておられたのもよかった。お園は一切家に帰ってこない夫・半七を3年も待ちわびているというおさん以上にありえないクソシチュエーションに耐えている女だが、それを単なる旧弊で悲惨な女性にせず、彼女のいっしんさを引き立てて清楚に演じておられたのがよかった。お園の特性は突き抜けたいっしんさであり、単なる受け身の悲劇のヒロインではないことが舞台上に表現されていた。そして、お園さんはシチュエーションがありえなさすぎ&本人に勢いがありすぎて共感一切不可能の文楽一狂った女だが、そういう意味でのクソヤバ女になっていなかったのも良かった。*3

女方以外だと、「勧進帳」義経の切り花のようなみずみずしさが印象的。私は、文楽において「意味なし美男」の役って結構難しいんじゃないかと思っている。文楽はお人形さんなので「顔がいい」のは当たり前で、容姿は美しくて当然、そこがスタートライン。なので、そこから、その容姿をどう見せていくか。あのときの義経はその着地点を見据えた遣い方だったと思う。兄に疎まれ、わずかな家臣とともに陸奥に下るしかない悲劇の貴公子ぶりが際立っていた。義経は長時間笠をかぶってうずくまっている状態が続き、派手な見せ場も少ないのに、よくぞ印象に残る義経像を描写されたものだと驚いた。

あと、清十郎ブログは更新頻度のムラぶりや、そこはかとなく不安にさせてくる頻繁な改行が地下アイドルっぽくて、良い。弟子が出来たときのブログはめちゃくちゃ爆笑した。(リンクは貼らないので、「豊松清十郎 ブログ」で検索してください)

 

《動画で観る清十郎》
『妹背山婦女庭訓』四段目 杉酒屋の段・道行恋苧環 烏帽子折求女(たぶん2016/国立文楽劇場
人形特有の、透明感ある美男子。勘十郎さんと勘彌さんに囲まれてキーーーーー!!!!!!とされたら、並の男なら切腹してしまいそうですが(その前に心筋梗塞で倒れそう)、まったく動じていないのが良いです。求馬・実は藤原淡海は、大義に凝り固まっていはいるがそれ以外の中身はまったくない、虚構的な美男子。その中身のなさを、通し上演の中で良い意味で表現されていたと思う。良い意味でまったく人柄が感じられず、「中身がない」と「技芸がない」は違うということを思い知らされた。通し上演だと物語そのもののカロリーが高いので、中身のない役は重要である。(映像1:03くらいから登場、黒い着物を着た若い男性)

 

 

 

 

┃ 3. 吉田勘彌(よしだ・かんや)

#娘 #姫 #高貴 #色気 #気品 #クズ男も時々やってます #最近老女方もいい #隣の奥さん #隣家の男子高校生が勉強手につかない

 
 
 
この投稿をInstagramで見る

国立劇場(東京・半蔵門)(@nationaltheatre_tokyo)がシェアした投稿 -

写真左 『鎌倉三代記』時姫

 

「ありえない」色気と気品を持った人。

以前にも書いたことがあるが、女方人形遣いさんでもその女性像が現実寄りの人と、フィクション寄りの人がいる。勘彌さんは「ありえない」、フィクション寄りの女性像。生臭さの一切ない、近づきがたい色気を放ち、まさに人形浄瑠璃ならではの虚構を構築している。なんともいえないその「高嶺の花」感がたまらない。お高く止まってるのとはまた違う、生来の高貴さというか、他人をバッタ程度にしか思ってなくて自然体にこっちを下に見てきそうな、神々しいまでの雲の上の天然美女オーラが良い。キラキラ輝く宝石をふんだんにあしらった、老舗メゾンの、しかしモダンなジュエリーのような、眩く繊細な輝きが魅力だ。

印象に残っているのは『玉藻前曦袂』訴訟の段の傾城亀菊。亀菊は薄雲皇子より女御に召された遊女という設定で、突然御殿に傾城の姿で登場し、御殿勤務の人々の人生相談に答えるという、いかにも芝居らしいめちゃくちゃな役。立兵庫に豪奢な打掛の傾城姿で禿を引き連れ御殿に入ってくる姿からしてかなりスパークしているが、美貌・教養・度胸を兼ね備えた傾城ぶりで、驚異的にしっくりきていた。

一方、『一谷嫰軍記』熊谷陣屋の段の藤の局は、イキオイで人の陣屋へ押しかけてきたという文楽らしいパッショネイト炸裂の役ながら、平家の公達の妻である元来の身分や気位の高さを感じさせる怜悧な美貌と威厳が光っていた。
文楽では身分の表現というのは極めて重要だ。しかし、単に所作をおっとりする、丁寧にするというだけだと、それは身分表現とはちょっと違うと思う。『義経千本桜』すしやの段後半の維盛の言動*4などで顕著だが、時代物での身分の高い人というのは、現代の感覚、あるいは家臣等のパンピーとはものの考え方が根本的に違い、人を下に見ている。藤の局には、そのある意味では冷淡な、天然の身分高い人感があったのがとてもよかった。何が彼女をそう見せているかはわからなかったが(本当はそこをわかりたいし、この記事にも書きたかったのだが)、作ったような「身分」感ではなく、生まれ持っての気品で相模や熊谷を圧倒し、あまりにもナチュラルに上座にチョコ!と座っていたのがとてもイイ(これの娘・姫役バージョンで、『妹背山婦女庭訓』の橘姫も「お三輪とはあからさまに身分が違う」、雲の上のお嬢様感がかなりよかった)。
しかし、藤の局はそれだけではない。息子・敦盛のこととなると情緒が溢れるほどに満ち満ちて、青葉の笛に頬ずりする場面のしっとりした柔らかさは強く印象に残っている。これによって人物像が単調にならず、藤の局に流れる血の暖かさ、人間味がそこに表現されていた。

勘彌さんは、人形の体が華奢に、小柄に見える遣い方も魅力的。人形ならではの「ちょこん」とした可憐な佇まいが愛くるしい。基本的に人形のかしらや衣装は全員共用で、誰もがほぼ同じものを使っているはずなのに、人形遣いさんによって体格や佇まいがかなり違って見える。勘彌さんは女方人形遣いの中でも人形に華奢な可憐さがあって、かなり好み。抜襟の度合いなどの着付、体をちぢめてコンパクトに構える等で「ちょこん」とした佇まいを出しているのだと思うが、見た瞬間まじで可愛い😍ので、出てきて、座るだけで、もう、大満足。
『菅原伝授手習鑑』佐太村の八重は、白太夫の息子三兄弟の嫁たちの中でも一番若い、娘風の奥さん。観たのは内子座の下手桟敷前方席。舞台に対してほぼ真横から見るような状況だったが、普通はかなり見づらいところ、義父白太夫のほうに少し身を乗り出して、一生懸命にきゅっと顔を向を向ける八重の横顔があまりに愛らしくて、胸キュン。席の観づらさを忘れる可愛さだった。微妙に背骨S字湾曲風なチョコ座りが良かったですね。

最近グッとくるのが、「隣家のお色気奥さん」系の役。
『桂川連理柵』のお絹の色っぽさは超絶品。お絹は隣家の14歳の娘と過ちを犯した夫・長右衛門を本人に気づかれずフォローするため、隣のアホ丁稚を買収したり、難癖つけてくる義弟・儀兵衛を言いくるめたりと、アレコレ忙しく立ち回り、最後、夫と2人きりになるまで、寡黙にじっと耐えている。そのうちの冒頭、六角堂の段では、お絹は冒頭、お高祖頭巾姿で登場する。目元だけが見える覆面のお高祖頭巾って不気味な印象で、いままで何がいいんだかわからなかったが……、……………イイ!!!!! 人形の顔がほとんど見えないなんてもったいないと思ったけど、逆!!!!!! むしろ、ちょっとしか見えないのが良い。人形はお高祖頭巾・笠など、顔を覆うものを被っているとかしらの動きのニュアンスがわかりづらくなると思うが、それをプラスに転化させるかしらの遣い方。お高祖頭巾からすこしだけ覗いている目元から、秘めた美貌と想いがこぼれ出ているようで、超最高だった。

最後に不規則発言をするが、文楽ビキニアーマーの姫騎士が出てくる演目が上演されたら、その強気な姫の配役は絶対勘彌さんに飛んでくると思うわ。

 

《映像で観る勘彌さん》
『仮名手本忠臣蔵』九段目 山科閑居の段 妻お石(2019/国立文楽劇場
隣の奥さんシリーズ時代物ver。気品ある老女方。お石は文楽忠臣蔵でも非常に難しいとされる九段目にのみ登場し、息子・力弥の許嫁である小浪母子に対し、本心を隠して拒絶し続けるという複雑な役。雪景色に映える黒い着付、冷たく張り詰めた美貌が最高です。漆黒の衣装の女方は良いですね。衣装が落ち着いているぶん、内面から放たれる美しさが浮き上がります。(映像3:37あたりから登場、黒い着物を着た女性)

 

 

 

 

┃ 4. 桐竹紋臣(きりたけ・もんとみ)

#娘 #姫 #ロリ #おぼこ #お嬢様も意外といい #婀娜っぽい系もいい #舞踊 #正月1演目目レギュラー

 
 
 
この投稿をInstagramで見る

国立劇場(東京・半蔵門)(@nationaltheatre_tokyo)がシェアした投稿 -

写真中央 『妹背山婦女庭訓』采女(残念ながら出遣いの公式写真がなかった……)

 

ロリキャラ。若手会に出てるけど、絶対若手のレベルじゃないだろ!!めっちゃ浮いとるわ!!!!!と思わせる、純粋な可憐さと洗練性を併せ持つ人。

恋する若い娘役での可憐さ、恋人へのひたむきさが大変印象的。『伊達娘恋緋鹿子』火の見櫓の段のお七は、フンワリと花びらが舞うような愛らしさだった。舞台に降りしきる雪とあいまって、やわらかで儚げな佇まいが可愛らしかった。お七は後半、髪を振り乱して火の見櫓に登り、恋する男のために半鐘を打つという激しい行動に出る。それでもガサツだったり強靭だったりする印象に転ばず、いっしんで可憐な印象であり続けるというのは、稀有な才覚かと思う。大きな動きを伴っていても所作の整理が的確に行われており、動きに雑味や濁りがないのも大変に良かった。「人形がどこを見ているのか」という目線の的確さも印象的で、その目線の演技のうちに、目の前に恋人がいてもいなくても、その恋人だけを見ているという人形らしい限りない純粋性が表現されていた。

一方、おぼこくない、洗練された美貌の娘役も見事。中でも『新版歌祭文』野崎村の段のお染役がバチッとはまっていたのが強く印象に残っている。そのときは在所娘のお光が勘彌さん、都会娘のお染が紋臣さんで、お客さん全員「「「「逆では?????」」」」と思ったのだが(巨大主語)、実際はじまってみたら、そのお染は、都会の大店のお嬢さんが在所でめちゃくちゃに浮いている!!という異次元感が非常によく出ていて、驚かされた。お里や久作、ひいては久松といった在所の人々とはもう芯から何もかもが違うことが見た瞬間ピンとくる、実に都会的で上品な美麗さ。おぼこ娘が似合うというのはご本人の外見に引っ張られた思い込みだったなと思った。
洗練された美貌といえば、『夏祭浪花鑑』の傾城琴浦も上品で、かつ色っぽくて、可愛かったなあ。いい匂いがしそうなべっぴんさんがクソ男にやきもちを焼いてプンプンしているのがエロ可愛かった。お客さんみんなそう言うてました(巨大主語)。

また、舞踊がお上手で、景事(舞踊演目)への配役が多い。舞踊は上手い人と下手な人の落差が激しく、やばい事故が起こりがちなため、所作の綺麗な紋臣さんが出ていると安心する。特に、正月一発目の演目への出現率の高さがすごい。初春公演・第一部最初の演目は例年景事が据えられているが、2020年1月初春公演まで、4年連続で配役*5。個人的には、『二人禿』の妹禿チャンの小悪魔ロリ可愛さが思い出される。通常の演目でも、道行のような舞踊要素が強い演目は優位。昨年の若手会『妹背山婦女庭訓』道行恋の苧環のお三輪役では、共演者を圧倒する迫力だった。舞台のバランスが崩れるほどの覇気、おそらく他の人を無視してやってんだと思う。次にお三輪の役がくるのはずっと先になるであろうから、それでいいと思う。

こう言ってしまうのもなんだけど、紋臣さんは毎公演良い役がつく方ではない。が、それを感じさせないほどに所作が非常に洗練されている。一瞬しか出てこないチョイ役のような苦しい配役が続くこともあるのに……。客からは窺い知れない努力によるものなのだろう。もっといい役がつけば、もっと上にいける人だと思う。
今年の若手会は中止になってしまったのでわからないが、さすがに来年は若手会から外れていることを願ってやまない。

(ちなみにご本人の写真は、文楽劇場友の会のバックステージツアー記事に載せてあります。舞台見学のアテンドと人形のレクチャーをしてくださいました)

 

《動画で観る紋臣さん》
『仮名手本忠臣蔵』二段目 桃井館力弥使者の段・本蔵松切の段 娘小浪(2019/国立文楽劇場
おぼこぶり炸裂の好配役。これも出遣いじゃなくて残念ですが、黒衣である分、人形の可憐さが引き立ちます。恋する力弥の顔をぼーーーっと見ながら、ちょこ、ちょこ……と近づいていく姿がなんとも愛らしい。小浪の純粋な恋心を、紅潮した目線が語っています。小浪は大名の姫君等ではなく、大きくはない藩の家老の娘ということで、ちょっと地味目お嬢様なのも良いです。(映像10:43あたりから登場、紫の振袖を着た娘さん)

 

 

 

ここで紹介しているのは、「私が好きな人」です。

前回記事でも書きましたが、文楽の技芸員さんは歌舞伎や落語等に比べて知名度が低く、初めて文楽を観に行くと、「親戚におった気がする……」としか思えないおじさん・お兄さんたちが舞台上にビッシリひしめいていることに衝撃を受けます。まじ誰ひとりとしてわからん。おじさんバリエの取り揃え具合がすごいことだけはめっちゃわかる。

しかし、ずっと通っていると、その人ならではの魅力を持っている技芸員さん、地味な役でもキッチリこなして舞台を盛り上げる力を持った技芸員さんがいることに気付きます。初めて観たときから「この人は!」と思うこともあれば、通っているうちに意外な魅力に気づくこともありました。

自分が「この人は!」と思ったとしても、他の人にはその人のよさが理解されていないことがあります。お客さんの注目は、有名な人・いい役をやる人へ極端に偏るのだなと感じたり。これには、文楽は業界が小さすぎて、個々の技芸員さんに関する情報はほとんど外へ露出することはなく、どういう人だかわかんないから、というのが大きいのでしょう。また、文楽にはどういう評価軸があるのかが観客間で共有されていないのもあるとも思います。どこを見たらいいかのとっかかりが全くわからないと理解のしようがなく、いちいちそこまで考えて舞台を見切れないというのも事実だと思います。自分もそれは同じです。
(人形の場合、番付で格付けがわかるため、それを評価軸にする方法がありますが、番付、「わかる人にはわかる」としか言えない書き方がされているので、なかなか見破れません。まんなからへんの文字、尋常じゃなくほっっっそいし)

一方で、「この人はすごい」という言説が大きくない人であっても、知り合いの方などと話すと、その方も同じようにその技芸員さんを評価しているということもよくあります。さっきの話とは真逆ですけど、「見ている人は見ている」と言いますか、言葉に出さないだけで、やっぱりみんな実はよく見ているんだな〜と思います。やはり人と話すことは大事だと思います。

「私が好きな人」というのは「上手い人」(あるいは「有名な人」「いい役をやる人」)とは違った評価軸ですが、「私はなぜその人を好きか」というのを語らないと、そういった会話もはじまらないので、こういった記事を書いてみたいと思ったのでした。

 

 

 

┃ バックナンバー

第1弾記事はこちら。吉田簑助さん、吉田和生さん、桐竹勘十郎さん、吉田玉男さん、吉田玉也さん、吉田玉志さんについて書いています。

 

 

 

 

 

*1:むかしの文楽のパンフレットを読んでいたときに知ったんだけど、勘壽さんて昔は若い男性役に期待されてたそうだ(勘壽さんの若手時代のパンフだったので、そういう書き方だった)。それが時を経て、太兵衛や喜左衛門のようなキャラクターに結実したのかなあ。ずっと女性の役をやってきたと勝手に思っていたので、意外だった。

*2:自分が清十郎is不幸の偏見を持っているのではないかと思い、2019年の配役を調べてみたが、なかなか不幸づくしだった。

  • 1月 クズ男が公金横領(梅川/冥途の飛脚) 不幸度★★★★★
  • 2月 隣家のおじさんと心中する14歳(お半/桂川連理柵) 不幸度★★★★★
  • 3月 金持ちのお嬢様に男をとられ、尼になる(お光/新版歌祭文) 不幸度★★★★★
  • 4月 コンビニの前のいぬのように桜の木に繋がれる(雪姫/祇園祭礼信仰記) 不幸度★★★☆☆
  • 5月 おっ、これは不幸じゃないぞ!何も考えてないクズ男!(藤原淡海・求馬/妹背山婦女庭訓) 不幸度☆☆☆☆
  • 6月 ザ・文楽な悲劇、息子見殺し(千代/菅原伝授手習鑑) 不幸度★★★★☆
  • 7〜8月 田舎者を侮って惨殺される(菊野/国言詢音頭) 不幸度★★★★★
  • 9月 クズ夫が家に帰ってこない(お園/艶容女舞衣) 不幸度★★★★★
  • 10月 好きな男と延々すれ違い。でもすれ違ってるだけで死に別れてるわけじゃないからな〜(深雪/生写朝顔話) 不幸度★★☆☆☆
  • 11月 クズ夫が家に帰ってこないReturns(おさん/心中天網島) 不幸度★★★★★
  • 12月 おっこれも比較的まともだ!都会のイケメンと恋に落ちる海女!(千鳥/平家女護島) 不幸度★☆☆☆☆

と、私の計算では2019年の清十郎不幸率は90%だった。比較として配役や芸風が近い勘彌さんの不幸率を計測してみると、33%。勘彌さんはうすらクズの美青年役も多いのであまり参考にはならないかもしれない。老女方系だと和生さんは不幸率60%だった。

*3:現代文楽的でたまに起こる事故、「登場人物のサイコパスぶりが素直に発現」。

*4:維盛の妻子を守って命を落とした小金吾に対し、「生きては忠義を尽くせなかった」というようなことを言う場面があり、結構怖い。

*5:2016年は第一部に豊竹嶋太夫引退公演があったため景事が第二部に回っており、そこにご出演。それ以前は2014年、2012年に配役あり。