TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽若手会『菅原伝授手習鑑』『生写朝顔話』「万才」「鷺娘」国立劇場小劇場

東京の若手会は2日間両日開催できて、本当に良かった。

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『菅原伝授手習鑑』茶筅酒の段、喧嘩の段、訴訟の段、桜丸切腹の段。
衝撃的な背伸び配役、そもそも佐太村を若手だけでやるという企画そのものがすごい。なんかもう、全体的に、「頑張ってるッッッッ!!!!!!」って感じで、とても若手会らしく、面白かった。

 

八重は紋秀さん。お辞儀の姿勢が非常に綺麗で丁寧。座り方も品がよく、ちんまりとした娘らしさがある。
クッキングのすり鉢ド下手シーンには紋秀さんのコメディアンとしてのこだわりを感じた。大根を切るとき、なぜか右手を怪我していたのには笑った。普通、右手に握っていた包丁がスベって左手を切っちゃった(><)という演技をする場面だと思うが、右手の手首を左手で抑えていた。あまりに包丁を振りかぶりすぎて手首を痛めたってことでしょうか……ってそんなわけねえだろ! 緊張してる紋秀さんはともかく、左(たぶん本公演でも八重の左やってる人)、合わせに行くな!! なんとかしてやってくれっ!!! と笑ってしまった。
それはともかく、全体的に落ち着いて整理された所作で、時代物らしい端正さがあった。ただ、八重がビックラコとする場面で、焦りすぎて人形の動きが突然速くなってしまうのが惜しい。左が合わせに行っているので(ここは合わせてくれてありがとう!!!!!)人形の仕草自体はおかしくはなっておらず、まじでそういう人には見えるが……。逆にいえば、ビックラコ&焦り演技が多い、お里やお三輪のような落ち着き皆無の暴れ娘をやれば映えるかもしれないと思った。
あとは肩を落として憂いを出す女方特有の演技……これがかなり惜しいところまで行っている。わざとらしく体をかしげたりしないのはとてもよい、だから、もう少し、うまく表情が出るようになれば、八重がもっと美しく可憐になるだろうと思う。
紋秀さんは2018年の若手会「新口村」で梅川を勤められた際、「ひ、左のほうが圧倒的に上手い!!!!(汗汗汗)」現象が起こっていたが、今回はそのような激烈な落差はなく、非常に自然な雰囲気になっていて、良かった。やはりどの方も少しずつ成長されてるんだなと感じた。

 

配役が発表されたとき、桜丸が紋吉さんということに驚いた。しかし、思っていた以上に良かった。
出来立て大福のような、モッチリした透明感のある美青年ぶり。赤坂塩野の豆大福*1を思い出させる、ムチムチな上品さ……。簑助さんの華奢で儚げな桜丸とは異なり、健康そう……なのに死ななくてはいけない悲哀が感じられて、芝居に雰囲気を与える佇まいも良かった。
2018年の若手会で「新口村」の忠兵衛もお似合いだったが、紋吉さんは若男が似合うのかもしれない。これも、本公演で相応の役が来るとより向上されるだろうと思う。紋吉さんは端正でゆったりした雰囲気が美点だと思うので、いろいろな役を拝見したいと思う。
しかしとにかくモッチリぶりがすごいな……紋吉さんのサンリオ系なビジュアルに引っ張られてるのかもしれないが……。かなりの柔らかみと弾力性を感じた。ぽむぽむ。

 

春〈吉田玉延〉は着付が綺麗。おそらく大阪公演〈吉田玉峻〉と人形共用だと思うが、二人とも女方というわけではないのに、華奢で小柄な雰囲気に美しく着付けられていた。どなたかお兄さんが指導しているのか。足が「まじかよ(汗汗汗)」状態になっていたのはご愛嬌。逆に千代〈桐竹勘次郎〉は着付がおそろしくいかつくて、バレーの国体強化選手みたいになっていたが、演技は落ち着いた雰囲気あって良かった。そしてこっちも足が「ま……まじかよ(汗汗汗汗汗)」状態になっていた。
ああいうポルターガイストな足、本公演では絶対に存在しないけど、なんで若手会になると毎年必ず発生するんだ? 研修生を入れてやってるのか?(いま人形の研修生がいるのかは知らない) とにかく頑張れ!!!!と思った。

 

松王丸〈吉田玉路〉、梅王丸〈吉田玉彦〉は雰囲気がうまく分かれていたのが良かった。
松王丸は座ったときの「じ〜っ……」とした雰囲気、梅王丸は立っているときの「すっ」とした雰囲気が良い。
玉路さん、本公演ではまったくもっていい役がつかないけど、師匠(玉男さん)をよく見てるんだなと思った。若手であの貫禄は立派だわ。すごい真面目そうに肩から二の腕をまっすぐに下ろし、わきをしめて手のひらを太ももに当てて座っていたけど、松王丸なら、脇をもうすこし開いたほうが、より姿勢が美しく見え、貫禄が出ると思う。(検非違使の真面目キャラや律儀な町人なら、いまの座り方がいいと思います)
玉彦さんは若手ながら相当うまく、本もよく研究していると感じ、個人的に若手の中で最も注目しているのだが、今回がいままでで一番いい役かな。落ち着いた所作に理知的な梅王丸の雰囲気が感じられて、良かった。玉也さんの弟子だけど、玉也さんとはまた違う雰囲気。将来が楽しみだと思った(親戚気分)。
おふたりとも、「喧嘩の段」の絡み、俵投げや取っ組み合いも頑張っておられた。本公演では人形が派手に動き回る観客サービス的な場面だけど、若手が観客サービスをするのはなかなか難しいね。本当に頑張って、かつ、落ち着いてやっていらっしゃたが、えらいことなっとった。ほんまもんの子供の喧嘩や。俵投げがアサッテの方向に飛んでいったのが味わいだった。

太夫〈吉田簑紫郎〉って、若手会レベルではまじでどうにもなんない役で、それをやらせることに若手会の意味があるんだろうなと思った。後半はともかく前半。ただのホヤホヤジジイでいるときが相当難しいんだなと思った。今回は、後半、桜丸の出以降を重点的に稽古・研究したのかなと思ったけど、前半が曖昧になっているのはいかんともしがたい。後半の大げさな演技を大げさにやっているのは、それ自体の良し悪しは別として(勘十郎さんの真似をしてるんだろう)意図はよくわかる。しかしそれならなおさら、前半を引き締めてやらないと、この話で最も重要な白太夫の人格があやふやになると感じた。
ただ、最近、本公演でも佐太村やりすぎなので、いかに私がニワトリ頭でもそろそろ人形の演技を覚えてきてしまい、「おっこいつ間合いおかしいで!」とかのいらんことに気づきはじめたりしてしまったのもあるかも。

 

床では、芳穂さんの八重の語りが出色。喋りながらどんどん感情が高ぶっていき、涙で目と喉の奥が熱くなって、気持ちがザワザワと揺れ動くさまが存分に表現されていた。長いクドキでものっぺり一本調子だったり、単なる歌唱状態になっていないのは素晴らしい。
度々書いていることだが、現状の文楽では、女性表現が他の演者との差別化ポイントだと思っている(男性表現はちゃんとできて当たり前と解釈しています)。芳穂さんは声が明朗で太いタイプなので、「華奢な女声を出せるわけでもないから、地声いかしで明瞭にやれば良いのでは」くらいに思っていたが、今回の八重は予想以上のパフォーマンスだった。近年、道行などで女性役が配役されることがしばしば見られたが、こうして一人で語る場面に活かされたことに感動。八重はフンワリ系の娘さんだが、この調子で、強い意思を持った老女方が登場する演目にも期待したい。いつか、先代萩のような華麗さと強靭さを必要とする演目を聞くことができればと思う。

「訴訟の段」、全体は若々しく、かつ朗々とした雰囲気が出ていて非常に良かったのだが、白太夫のセリフ「善悪の差別なく」の「差別」を「サベツ」と発音していたのが気になった。これ、「シャベツ」だよね。前近代の文章では、「差別」の読みは一般的に「シャベツ」のはず。念のため確認したが、『菅原伝授手習鑑』の各種正本でも、ルビは「シャベツ」になっていた。なぜ「シャベツ」でなく「サベツ」で語るべきだと判断したのかは聞きたいな。実情としては、本人が佐太村や前近代の文章に慣れてなくて、そもそも「シャベツ」と読むことを知らないのだろうと思うが……。ただ、原文は守って欲しいので、本人だけでなく文楽全体として、こういうのってアリなの?と思った。

あとは「茶筅酒の段」の三味線、クッキングタイムでぱっと雰囲気を切り替えるのは難しいんだね……。かなりのっぺりして普通の芝居部分と地続きになってしまっており、「こんなことありえるの?」とびっくりした。そりゃ本公演では團七が弾くはずだわと思った。

 

  • 人形
    親白太夫=吉田簑紫郎、百姓十作=桐竹勘昇、女房八重=桐竹紋秀、女房千代=桐竹勘次郎、女房春=吉田玉延、松王丸=吉田玉路、梅王丸=吉田玉彦、桜丸=桐竹紋吉 

 

 


『生写朝顔話』宿屋の段、大井川の段。
こちらも若手会らしく、端正で枯淡な雰囲気。みんなめちゃくちゃ真面目にやっているためか、若手会なのになぜか枯淡化するのが味わい。静かでひんやりとした空気を感じる舞台だった。

 

次郎左衛門〈吉田玉翔〉はモッチリしていた。美男役らしく美男子ではあるのだが、現代的感覚のスラッとしたイケメンとは違って、明治時代の少年小説の挿絵にあるような肉感的な美丈夫系。武士ぶりを強く打ち出されているゆえだと思う。ゆえにじっとして朝顔の琴に耳を傾けている姿はしっかりとした佇まいで決まっており、美麗で良かった。
しかしまじでモッチリしとる、モッツァレラチーズ的な弾力感と重量感がすごい*2。桜丸といい、若手会、モチモチオーラがすごい。最近のコンビニスイーツの食感の流行を受けているのでしょうか。

朝顔は玉誉さん。おとなしげで哀れな雰囲気がよく似合っておられた。玉誉さんのなんともいえない地味女オーラはすごい。朝顔の歌を歌うところ、次郎左衛門こそが阿曽次郎だと聞いて突然駆け出すところをもっと派手にできればと思うが、琴は後述の通り床がやばすぎたので、ちょっとかわいそうだった。

岩代多喜太役の和馬さん、普通にうまくてビックリした。うまいというか、非常にキリッとしているというか、超シャッキリしていた。2017年に国立劇場で「宿屋」が上演されたとき、玉志サンが岩代多喜太をやっていて、死ぬほどのシャッキリぶりに「どういうセンス!!?!?!?!?」とめちゃくちゃビビったが、あの爆裂シャッキリの系譜を受け継ぐ若者が出てきたとは……。和馬さんには今後、和生さんが部分的にやっているシャッキリ役(塩谷判官や義賢)も勤めて欲しいと思った。
和馬さんは、以前、『傾城阿波の鳴門』のお鶴役をよく考えて遣っておられる姿を見て以来、注目していた人。今後、本公演の良い役で成長を拝見できればと思う。

なお、和登さんの下女お鍋もかなりシャッキリしていてちょっと面白かった。そこに和生オーラ出してきたか……。

 

床は、宿屋・大井川とも、やりたいことはとてもよくわかった。
おりこうさんなだけですまさないところは、非常に、「買った」! おえかきするとき、与えられたクレヨンだけを使って、太陽だから赤に塗り、空だから水色に塗り、地面だから茶色に塗る、みたいなことはせず、本から自分が感じた色を、自分のパレットで混ぜて作って塗ろうとしていることはよくわかった。浄瑠璃にもっとも重要な登場人物の魂の叫び、パッショネイトも感じる。あとは、全体を見渡した整理。緊張がほぐれ、慣れてこないと、どうしようもないので、時間はかかると思うが、頑張ってもらいたい。

琴は頑張ってもらうしかない! 笑ってしまった! あまりにすごすぎて、人形じゃなくて床を見てしまった。

 

  • 義太夫
    宿屋の段=豊竹希太夫/鶴澤清𠀋、琴 鶴澤清方
    大井川の段=豊竹咲寿太夫/鶴澤清公
  • 人形
    駒沢次郎左衛門=吉田玉翔、戎屋徳右衛門=吉田文哉、岩代多喜太=吉田和馬、下女お鍋=吉田和登、朝顔=吉田玉誉、奴関助=吉田簑悠

 

 

 

万才、鷺娘。

万才の才蔵・勘介さんが非常に良かった。
人形の目線がしっかりしており、ゆったりした動きと止めの姿勢が非常に綺麗。単に振りを覚えているだけではなく、どういう所作を見せたいのかが明瞭になっている。相当研究されて、個別に稽古されているのではないだろうか。あるいは、本公演でちゃんと上手い人の舞台を見ているということだと思う。また、ぴよぴよヒヨコちゃんズな芸歴の方だと、「人形の首の下んとこで持ってまーす、体ぶら下がってまーす」感がまるだしの動きの人が多いけど、ちゃんと背骨がある生き物として動いているのが良かった。
才蔵の所作に負けず劣らず、アイパーの鮮やかさもめちゃくちゃすごかったのも良かった。そういう意味でも特別天然記念物級の奇跡の20代だと思う。

 

鷺娘、真剣にやってるのはよくわかったけど、作業的になっていて、お稽古中丸出しなのがいかんともしがたい。せめてもっと思いっきりやったほうがいいと思った。娘の高潮する恋心のパッショネイトが欲しい。
舞踊はセンスや才能に大きく左右されるので、言い方きついけど、配役自体のミスでしょうね……。もっと向いた役をさせてあげたほうがいいと思う。

 

床はなんかこう……、若手会っていうか……、地方公演風……?(disってません)
演奏中に床本を見ない人たちが並んでいて笑った。じっと見てたらいいってもんでもないし(亘さんは自分が語らないときに目を落としてチェックしてるけど)、上を見ていないと声が出ないのだろうが、こうも並ぶと面白くなってくる。
それにしても、おヤスはどこを見て語ってるんだろう……。反対側の壁に埋め込まれた照明を見てるんでしょうか……。

 

  • 人形
    太夫=吉田簑之、才蔵=桐竹勘介
    鷺娘=吉田簑太郎

 

 


若手会は毎年楽しい。本公演ではありえない色々なミラクルを目撃できる。

若手の方の場合、本公演では役に考えがまわりきっていなくて、何がやりたいかわからないことが多いが、若手会だと皆さんよく研究して取り組まれていると思う。
なにより、「表現したいものがある!」という気持ちを持っている人を見ることができるのがいいよね。若手会の場合、特に、登場人物の必死さと出演者の必死さがシンクロするところに感動がある。「表現したいものがある」という心は、今後長きに渡って重要なものになると思う。

今回、一番感じたのは、演目自体の持っている難しさだった。
佐太村が混沌として、登場人物=出演者のせいいっぱいぶりがそのまま舞台に現れていたのは、予想していた通り。これは仕方ないというか、むしろ、若手会特有の良さに転じたと感じた。
しかし、『生写朝顔話』の宿屋と大井川はある意味、佐太村どころではなく難しいのだと感じた。この演目は、人形も床も見せ場が多い娯楽曲というイメージがあると思う。ある意味、誰がやっても派手見えを担保できる、ある意味ラクな曲と捉えている文楽ファンは多いのではないか。
しかし誰がやってもそうなるかというと、決してそうならないということがよくわかった。数年前、ある外部公演で今回と同じく宿屋と大井川が出たが、若手会より上の人がやっていたにも関わらず、あまりにひどい出来で、こんなレベルの奴らを舞台に出すなと思った。今回は若手会ということもあって、さすがにそこまでは思わなかったけど、この演目、ちゃんとした人が勤めないとエライことなるわ、と思った。

 

本公演と若手会の比較という点では、人形に「佇まい」があるというのはすごいことなんだなーと、改めて感じた。
たとえば、和生さんなら気品がある、玉男様ならどっしりしている、清十郎さんなら悲惨そう、勘彌さんなら艶冶である、玉志サンならキラキラ、清五郎さんなら松竹大船調という、「その人が持ったらどうしてもそういう風に見える」のがあると思うけど、ああいうのは、人形に佇まいが出るまで技量が及んでいるってことなんだな。

そして三味線! さすがに本公演とは音が全然違うんだけど、あらためて、本公演でエエとこを勤めるような三味線のうまい人は、ほんまにうまい! と思った。これからみんな、どのように成長していくのだろう? みんな頑張れ、と思った。

 

どの方も、若手会の舞台の成果や反省をもとにまた頑張っていかれるのだと思う。最近はSNSがあるので、反省の弁を書いている場合、一般客にもそれが伝わる。本人は本気で書いてるんだと思うけど、本人が反省しているポイントというのは、裏を返せば出来ていると本人が思っている部分もわかるので、ある意味、興味深いなと思った。

これは明確な苦言として書くが、前々から義太夫聞かずにやってるなと思っていた人形さん、やっぱり義太夫聞いてないな。これはもう若手だろうがなんだろうが文楽の根幹に関わる致命的な問題で、本当、若手会でいるうちになおしたほうがいいと思う。

 

なにはともあれ、ひさしぶりの満席状態の国立劇場で、若い人の舞台を迎えられてよかった。満席だと拍手の音圧が違う。
大阪は緊急事態宣言延長の影響で両日休演になってしまったが、振替で1日だけでも上演できて、良かった。劇場ほか関係者の方々の努力には本当に頭が下がる。若い方の場合、客前でやることに大きな意味がありますもんね……。

現状、本公演ですら短時間公演になっている中、若手のみで4時間もの舞台を勤められたこと、とても嬉しく思う。また来年も、楽しみです。

 

 

 

備考

人形部お助けお兄さんズのご出演は、以下の通り。

  • 人形部
    吉田清五郎、吉田簑一郎、吉田勘市、桐竹紋臣、吉田玉勢

清五郎さんまでお手伝いされているのか!? そこまで大きなお兄さんが!?

 

 

 

 

*1:ここの塩大福、まじ美味しい。超おすすめです。最寄駅は赤坂見附・赤坂。最近店舗が引っ越して少し遠くなってしまいましたが、国立劇場の行き帰りに是非お立ち寄りください。

*2:いま、わが家の冷蔵庫に肉のハナマサで買った巨大モッツァレラチーズ(700g)が眠っているので、つられてそう思ってしまうのかもしれません。

文楽 6月大阪鑑賞教室公演『五条橋』『卅三間堂棟由来』国立文楽劇場

6月鑑賞教室公演は、大阪府の要請により、土日休演、平日のみの開催。今回はたまたま平日のチケットを買っていたので、観ることができた。

っていうか、玉志サンの出演がある後期日程、18日(日曜日)が元から休演設定で、基本土日しか行けない自分は「なんでやねん」と思いながら平日を買っていたんですが、世の中なにがプラスに転ぶかわかりません。

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五条橋。

午前の部

義太夫
牛若丸 豊竹睦太夫、弁慶 豊竹亘太夫、豊竹咲寿太夫、竹本碩太夫/野澤勝平、鶴澤寛太郎、鶴澤清公、鶴澤燕二郎、鶴澤清方

人形役割
牛若丸=吉田玉誉、弁慶=吉田玉翔

午後の部

義太夫
牛若丸 豊竹希太夫、弁慶 豊竹咲寿太夫、竹本小住太夫、竹本碩太夫/鶴澤清馗、鶴澤清𠀋、鶴澤友之助、野澤錦吾、鶴澤清允

人形役割
牛若丸=桐竹勘次郎、弁慶=吉田簑太郎


みんな頑張っていた。

特に人形。この手の若手中心配役・舞踊要素が強い演目だと、振りを順番通りにやってるだけになりがちだが、今回は「なにを見せたいのか」や「ここにだけはこだわってちゃんとやりたい」というのが伝わってきた。後半日程初日に行ったが、若手レベルが初日からここまでちゃんとできていることは普段まずありえないから、個別に稽古してるんじゃないかなと思った。
午前の部は弁慶の左と足、午後の部は弁慶の足がよかった。特に午後の弁慶の足は、思い切りのよさが気持ちよく、人間の役者にはできない人形ならではの表現になっていて、良かった。あと、午前の部の弁慶がムチムチプリンな感じなのは面白かった。

午前の部は三味線のばらつきが気になった。午後の部は良かった。

 

 

 

解説 文楽へようこそ。

午前の部
豊竹希太夫/鶴澤友之助/吉田玉誉

午後の部
豊竹亘太夫/鶴澤清公/吉田玉翔

 

ノゾミ・バインダーがかなり分厚くなっていた。私とオソロじゃなくなった。悲しい。

希さんは解説係として、毎年、毎公演、何をどう話すかを工夫されていて、本当に立派だと思う。たとえば自分のお客さんなりにヒアリングして、内容を研究してるのかな。
希さん以外も、今回は解説が全体的に良かった。私がはじめて鑑賞教室に行ったときに比較しても、非常にわかりやすくなっていると思う。
太夫解説で最近定番化している、同じフレーズの別人設定での語り分け。年齢・性別・人格によって口調が変わる(声色ではなく)ということをわかってもらうには非常に良いと思う。ほんとうは、文楽は本を絶対視する(本をもとにキャラクター研究を行う)ことも来場者に知ってもらうほうがよいと思うので、「今回は特別版をやります」、「違う年齢や性別に変えると、ちょっとしっくりこなかったり、笑ってしまったりするのは、本に書いてあるのと違うからです」とかの言葉を添えると、良さそうに思うが。

三味線の解説に関しても、シチュエーションを事前に観客に説明してから、長めのフレーズを演奏するというのは理解しやすい。三味線の演奏が何を表現しているのか(メロディ自体に意味が付随しているのと、演奏のテクニックで意味を表現していることはまた違うというのも含めて)は、ある程度文楽を見慣れていて、ハイレベルの三味線の演奏を聞いたことがある人じゃないと、ほとんどわからないと思う。そんな中で、直感的にわかるシチュエーションとフレーズを使って説明するというのは、工夫されてると思うわ。

人形も、こういう、もう一歩踏み出した解説があると、面白そうだなと思う。たとえば、姫と町の奥さんの動きの違いとか。……って、これを説明するとなると、相当の技量の人がやらないと、ハ?何が違うの?ってなるとは思いますが、そこは頑張ってもらうということで。

演目解説では、午前の部、午後とも、現行『卅三間堂棟由来』の前日譚部分を解説していた。『卅三間堂棟由来』は、『祇園女御九重錦(ぎおんにょうごここのえにしき)』という浄瑠璃の三段目のみを抜き出したものが独立して、新しい演目名がついているという状態。なので、『祇園女御九重錦』にたちもどると、いま上演がある「平太郎住家」以前の段に、平太郎&ママとお柳の出会いの場面が描かれている。それを過去に復活上演したときの写真も交えて説明していて、わかりやすかった。そう、平太郎は弓が得意という件、意外と重要だから……

なお、『祇園女御九重錦』最後の段、平太郎&みどり丸は完成した三十三間堂を訪れる。みどり丸は「おかーさんだあ!」とばかりに喜び、平太郎は三十三間堂を射抜く通し矢を披露して、無事父の仇を討つことで物語は幕を閉じる。
それにしても、『義経千本桜』もそうだけど、帝(朝廷)に親を殺されて何かの原料にされておきながら、子供がそれに復讐しようとせず、悲しみながらも受け入れる展開、いまでは結構奇異に思える。でも、柳はさすがに木なので、たとえば自分のうちが所有していた山から切り出した木材が、立派な公共建築物に使われたら、そりゃ、見学に行くかもしれないと思った。

 


卅三間堂棟由来。

午前の部

義太夫
中=豊竹芳穂太夫/竹澤團吾
奥=竹本織太夫/鶴澤燕三

人形役割
進ノ蔵人=吉田文哉[代役]、平太郎の母=桐竹紋秀、お柳=豊松清十郎、横曾根平太郎=吉田玉志、みどり丸=吉田玉路


午前の部は、燕三さんの三味線が非常に良かった。
燕三さんの三味線によって、ここ最近のしっとり演目では会心のクオリティだった。燕三さんの三味線を聞きにいくだけも価値がある公演だった。去年12月東京の『芦屋道満大内鑑』、4月の『傾城阿波の鳴門』と、一部の出演者が落ち着いた演目の雰囲気を描写できていない(していない)ことに非常に不満を抱いていたので、満足。
今回の三味線は、段全体を見渡したコントロールに秀でていると感じた。というか、この演目(柳)、こんないい曲だったんだ、と思った。燕三さんが雰囲気を的確に三味線で描写することで、舞台全体に対してバッチリ手綱を引いて、ほかの出演者をリードしている。燕三さんって他の出演者に配慮して演奏する方の人だと思うけど、ご自身がリードすると、ここまで舞台がうまくいくんだなと思った。

かなり音量を絞って、観客にじっと耳を澄まさせるような場面も多く、高い表現力を感じた。織太夫さんは普段、頑張ってるのはわかるんだけど、声の大きさや質に頼りすぎになっていると感じることが多かった中、燕三さんの三味線の描写をよく聞かれていて、いきすぎないよう考えて語っていらっしゃったと思う。
燕三さんは他の出演者や客を信頼しているんだなと思った。三味線の音を繊細にするというのは、それだけ繊細な表現が太夫にも求められ、また、客にもそれを感じ取る感性を求められる。自己主張が強い人や、「わかりやすい」ことがサービスだと思っている人にはできない。なにより、太夫や客を信用していないと出来ることではない。その信頼と、太夫や客をリードしていく姿勢がすごいなと思った。

 

人形・お柳役の清十郎さんも、とても良かった。
まさに柳の葉が風に揺れるような、柔らかく優しい雰囲気。清十郎さんの持ち味が存分に出ていた。うーん、さすが文楽業界の北川景子文楽では、人間ではない異類の化身の女というのは、絶世の美女として表現しなくてはならないそうだ。清十郎さんだと、容姿のみならず、内面が涼やかに美しい女性として表現されているのが良い。
泣いているところから顔を上げたり、顔を上げているところからふとうつむいたりといった姿勢の変化に気持ちの変化があらわれているのが良かった。泣いて自分の気持ちに溺れきっていたところにふと我に返ったり、喋っているうちに急に悲しくなったり。ほんの少しのあいだに、感情が刻々と変化していくさまが面白い。

 

平太郎は玉志サン。平太郎は平民の衣装だけど、武芸(弓)の達人で両親が武士階級なので、かなり綺麗目にいくかと思いきや、結構世話風に寄せてるんだなと思った。特に前半、ボ〜ッとした喋り方をしているうちは、かなりラフめに遣ってるのね。
最初、そこまでパンピー風に寄せていくとは思っていなくて、原作にある鳥目の設定(夕方になってくると目が見えなくなる)でやってるのかと思ったよ。木遣り音頭へ移行する直前、喋り方が武士になるところからは超・絶・シャキッッ!!!!!!としていたので、床に合わせているということか。

個人的には、玉志さんの個性なら、はじめからシャキッとしててもいいと思う。そのほうが派手見えするし。とは思うけど、『大経師昔暦』の茂兵衛役や『心中天網島』の孫右衛門役をみると、世話味のある役の技量もかなりある人だと思うので、やりたいようにやってもらうのが一番だなと思った。
今回は上演時間が短いカット版なので「平太郎は武芸の達人」という設定がわかる人にしかわからないことになっているけど、『妹背山婦女庭訓』の芝六や『本朝廿四孝』の慈悲蔵のような、出演時間や心理描写が長い役だと、遣い分けは映えると思う。

あと、枕屏風の陰で寝ているみどり丸を覗き込むときの覗き込みがすごかった。どんだけ覗き込んでんねん。

 

平太郎ママ役の紋秀さんのhair styleが今までにないことになっていて、思わずオペラグラスで確認した。ペカ紋秀を愛していた私としては非常にショックですが、今後も観察していこうと思います。平太郎ママ役自体は、綺麗に遣っていらっしゃって、良かったです。

 

 

午後の部

義太夫
中=竹本小住太夫/鶴澤清志郎

奥=竹本靖太夫/野澤錦糸

人形役割
進ノ蔵人=吉田勘市、平太郎の母=桐竹紋臣、お柳=吉田一輔、横曾根平太郎=吉田玉佳[6/10〜11 代役]、みどり丸=吉田和馬

 

午後の部は平太郎役の玉助さんが病気休演で、玉佳さんが代役。玉助さんには悪いけど、玉佳さん平太郎を観られてちょっとラッキー。玉佳さんらしく、真面目で素直そうな平太郎だった。午前の部の玉志サンとは異なり、登場から最後までシュッとした雰囲気。平太郎はかなりお母さん孝行な人だが、ママにきっちり仕えている感じだった。

 

午後の部で良かったのは、和馬さんのみどり丸。手先があんまり起用に動かないちんまりした感じが良かった。普通の大人の人形だと、手先が一番こまごまと動いて、肘、肩と胴体に近くにつれ可動域が狭くなっていく感じがあるけど、このみどり丸(子供の人形)だと、手先が不器用で、何をするにも体全体でひょかひょか動いてる感じ。肘から先の表情を少なくすることで子供っぽく見せるというのはなるほどなあと思った。
和馬さん、以前、『傾城阿波の鳴門』の子役おつるをやっていたときも思ったが、その人形が何者に対する感覚の鋭さというか、センスがあるな。同世代に対して、今後、大きな技量の差にあらわれてくるかもしれない。

 

勘市進ノ蔵人が唐突に上手くて、笑った。勘市、浮いとる、浮いとる。
あと、平太郎の母〈桐竹紋臣〉がお柳〈吉田一輔〉より若い雰囲気っていうか、可愛い系なのが味わいだった。簑助さんが引退された今、ロリババア系というか、美魔女系キャラの新境地だった。

 

 

 

今回の鑑賞教室公演は、午前の部の燕三さんが本当に良かった。

全体的には、若手会のような、「みんな頑張ってる」という雰囲気だった。そりゃ、頑張ってたらなんでもいいとは思わないし、実際問題として足りない部分もたくさんあるんだけど、目的意識をもって頑張っておられるのがわかって、とても良かった。

また、午前の部と午後の部の力量の違いがかなりはっきり出ていると思った。大阪の鑑賞教室の配役の慣例上、そうなって当然ではあるのだが(そうなるように配役されているし)、ある一定以上の水準の人と、若い人では、何が違うのかがよくわかった。
一段通しての物語の緩急や、感情の起伏表現の全体コントロールが全然違う。午後の部はどのパートも全体的にのっぺりしていた。これではこの演目、間持ちしない。こういう全体設計を通したメリハリコントロールって、一体どのタイミングでできるようになるのかな。それでいうと、午前の部の燕三さんのリードというのは本当に重要なことで、織太夫さんにはその萌芽を感じた。

あとは、平太郎のような、気が優しくて力持ちというか、真面目でおおらかというか、「えーと……、あの、ご天然の方……?」みたいなキャラは、玉男さんの独壇場だなと思った。玉志さんと玉佳さんは清楚度や真面目感が非常に高いので、玉男さんとはまた違った味ではあるのだが……。性格がおおらかそうだとか、奥さん子供に本当に優しそうな佇まいって、かなり難しいのかもしれない。

 

個人的には、学生向けの鑑賞教室に『卅三間堂棟由来』はあんま向かないのではと思う。「柳」は、鑑賞者側に求められる浄瑠璃リテラシーがかなり高いと思う。それと、親の立場が理解できないと(お柳に感情移入できないと)かなり厳しい演目のように思うが……。なんでこれが鑑賞教室に的確だという判断になっているのかは不思議。無難だということはわかるが。

今回、学生さんたちはほとんど来ていないようだった。私が行った日程では、学校団体が全キャンセルになっており、客席がものすごいガラガラだった。終演時の退場整理もしなくていいほど、人が入っていない。観客50人もいなかったのでは(清十郎ブログによると本当に50人、30人だったみたい……)。公演企画のメインターゲットのはずの「文楽を初めてご覧になる肩」はほぼいない状態、キャンセルチケットを拾ったオタク&もともと予約してたオタクが集結しただけだろ的な……。ゆっくり観られたので、良かったちゃあ良かったですが、劇場側は相当大変なことになっているだろうだと思った。

世間一般はこういう状況の中、来月、オリンピックは有観客で開催出来るというのが意味不明……。何のために4月25日が休演になったのか。

 

 

 

若手公演クラウドファンディング、無事2nd目標の200万円を達成し、舞台をDVDすることになったようです。
これでもし無観客上演要請がきても、上演できるとのこと(まじ?足出てるだろ)。DVDは1枚6,000円で返礼品として追加されているので、当日行かれない方は是非お申し込みください。

そうそう、その2nd目標のためにまた独特のセンスの返礼品が追加されていたんですが……、公演前後に出演者とオンライン懇親会ができるというリターン、技芸員2人対しお客さん側の参加可能人数が2名で、「それは…… 懇親会というより…… 面談では……?」と思いました。中高生時代を思い出しますね……。私が申し込むなら、将来の展望とか今取り組んでいること、今後の自己研鑽の計画をお伺いしたいです。(進路面談?)

 

 

 

文楽 5月東京公演『心中宵庚申』国立劇場小劇場


5月公演は第一部しか観られず。最近のよかったこと、横浜のへびが出てきたことだけです。

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第一部、心中宵庚申。
上田村は人形黒衣、以降は出遣い。

上田村のお千代パパ、平右衛門が玉志サンだった。玉志ジジイ……って感じのすごく真面目そうなジジイだった。根性だけで起き上がっている系で、体の位置が低く、左脇の丸めた布団に寄りかかり、体を二つ折りにして、かなり病んでいた。上演中、どんどん具合悪くなっていた。胃が悪いのでしょうか……。帰ってきた千代〈桐竹勘十郎〉が近づいてきたときに、ちょっと、「ウン……!ウン……!」とうなずいているのがよかった。
しかしなんというか、玉志さんから勘十郎さんは絶対生まれないだろと思った。お舅さんとお嫁さんって感じに見えるのが味わい深い。

半兵衛〈吉田玉男〉の出は、武家出身らしいクッキリした動き。お千代ファミリーの人たちはかなり世話がかっているので、半兵衛の出で突然雰囲気が変わり、「何者?」って感じだった。


八百屋は、清治サンの三味線がめちゃくちゃ上手いということがよくわかった。いや清治が三味線上手いことはお客さん全員知ってることなんですが、やっぱり上手い、と思った。音が繊細だ。私は、人形の演技が上手い人というのは、動きはじめ・動きの終わりが上手いと思っていると思うんだけど、三味線も同じだなと思った。音の入りや末尾の精緻さが場の雰囲気を作り出すんだなと思った。

クソババア・伊右衛門女房〈吉田文司〉。クソババアといっても、『心中宵庚申』の場合、彼女の悪辣さは表立って描かれていない。なぜいじめてくるのかわからないこと自体はいいんだけど、難しいと思うのは、ほかのキャラとリアリティレベルに整合性がなさすぎること。半兵衛やお千代のようないかにも芝居じみた善人テンプレキャラの真横にこれがいるというのが難問。若干いじわるババア風にする(桂川のおとせのようにする)人が多いと思うけど、やりすぎると原作から乖離するので、もやっとしたキャラになりがち。それを払拭できる人はいるのだろうか。『心中宵庚申』、いままで2回観て、今回で3回目だが、伊右衛門女房の演技に納得できたことがない。

玉男さんは、勘十郎さんの抱きついてくるタイミングや抱きつき方を見切ってるんだろうなと思った。勘十郎さんてものすごい勢いで抱きつきにいくけど、受け止めが良い塩梅の位置。右上腕で受け止めて、2人の人形の姿勢を綺麗に見せている。それと、抱きとめ方がちゃんとまともな夫だった。恋に溺れた若者や不倫してるヤツではない。さりげなくやっているけど、このあたりはかなり夫婦役の配役次第だと思った。

あとは二股大根がよかった。いつも同じ大根だけど、いつもイイ感じに「ふたまた〜」ってます。二股大根のお世話をする丁稚役の玉彦さんが転びそうになって、ちょっとひやっとした。


道行も團七さんが圧倒的に上手い。当然一番良い三味線を使っているだろうけど、単にそれだけじゃない。床に近い席だったからかもしれないが、誰が弾いているか、意外と(?)聞き分けができるなと思った。
今回の庚申参りカップルは、玉翔さん、紋吉さん。大きくなっても一緒に遊んでいる年の離れた兄妹みたいで、可愛かった。

 

 

 

出演者それぞれの個性がよく出た舞台だった。

なんというか、まともな人を集めた配役になっていた。中途半端な人が混入していると間持ちしない演目だからだと思うけど、正直なところ、このメンツ集めるなら別の演目をやって欲しい。もしくは、この演目をやるなら、人形の配役を変えて欲しい。半兵衛を玉志さんにするか、千代を和生さんにして欲しい。半兵衛の武士らしさをどこまでやるかは人によると思うので、そのあたりも含め、見てみたい。

紋秀さん、玉翔さん、紋吉さんは、一瞬しか出てこない役でも、ちゃんとどういう人物かわかるように遣っていらっしゃるのは面白いと感じたが、この役ではかわいそうだと思った。

 

5月公演は9日〜26日の公演が予定されていたが、9〜11日は緊急事態宣言の休業依頼のため中止。12日に初日を迎えたものの、休演日17日の翌日から千穐楽までは、出演者に感染者・濃厚接触者が確認されたため中止と、大幅な中止日程が出た。そのため、わずか5日間の上演で終わってしまった。こんな儚いことが世にあろうか。感染された方が早くよくなるよう、祈るばかり。9月公演までには、みんな、ワクチン接種できるのかな……。

 

公演が減少するなか、若手のみなさんが8月に自主公演を企画しているようだ。
その開催資金の一部をクラウドファンディングで集めているとのことで、私も孫にお小遣いをあげる気分で、少しばかり出資した。
色々みんなで相談してやっているのだとは思うが、目標金額が異様に低くて、1桁間違って入力しはったんとちゃうかと不安にさせてくる。当然のように即日目標達成していた。そして返礼品が即日なくなってしまったため、ただいま追加返礼品を考えているご様子。うーん、のんびりしとる。私は玉男様私服チェキか、パティスリー・タマショーのレシピブック希望です。

 

 

  • 義太夫
    上田村の段=竹本千歳太夫/豊澤富助
    八百屋の段=豊竹呂勢太夫鶴澤清治
    道行思ひの短夜=お千代 豊竹藤太夫、半兵衛 豊竹希太夫、豊竹咲寿太夫、竹本文字栄太夫/竹澤團七、竹澤團吾、鶴澤清𠀋、野澤錦吾
  • 人形役割
    下女お菊(丁稚がしらのヤツ)=吉田玉峻、下女お竹(鼻動きのヤツ)=吉田玉延、下女お鍋(娘のヤツ)=吉田簑悠、姉おかる=吉田簑二郎、駕籠屋=吉田玉征&豊松清之助確[前半]、女房お千代=桐竹勘十郎、百姓金蔵=吉田文哉、島田平右衛門=吉田玉志、八百屋半兵衛=吉田玉男、丁稚松=吉田玉彦、伊右衛門女房=吉田文司、下女さん=吉田和馬、甥太兵衛=桐竹亀次、西念坊=桐竹紋秀、八百屋伊右衛門=吉田玉輝、庚申参り(若男)=吉田玉翔、庚申参り(娘)=桐竹紋吉 

 

 

 

 

 

 

今月は文楽公演があまりに儚く終わってしまったので、特別企画公演の感想も書いておこうかな……。

 

5月22日、国立劇場大劇場で行われた特別企画公演〈二つの小宇宙―めぐりあう今―〉「変化(へんげ)と人間と ―羽衣伝説―」を観に行った。

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「羽衣伝説」を、天女=中村雀右衛門と漁師伯龍=吉田玉男(人形)が共演して描くという企画。

 人間と人形が同じ舞台に存在したとき、どう見えるかというのが鍵になるが、意外と違和感がなかった。違和感がないっていうか、なんや感じが違うんが二人おるなとは思うんだけど、え、人間と人形でしょ、という不自然さはない。良い意味で「違う人」たちって感じ。

 

これには、舞踊劇であることが大きいと思う。雅楽・神楽をベースに新作された曲に合わせで人間・人形が無言で舞い踊っていた。人間・人形とも、曲のテンポに合わせた動作。人間・人形とも舞踊では生っぽいリアルな動きが排され、音楽によって所作がコントロールされるというのは大きいなと感じた。文楽人形の場合、ある動きをひとつするにしても予備動作が存在するので、人間の役者と同居した際に、サイズ感以上にその点が不自然に見えないよう、コントロールをしていくのは大変だったのではと思うが……。

 

伯龍は、文楽の古典演目の若男よりも、かなり芯がしっかりとした動作に寄せられていた。武人とかの芯の強さではなく、良弁上人のような、間合いが大きくゆったりしていることによる芯の強さ。人間との共演でも存在感が劣らない最大の要因は、これだと思う。なにげなく見ていると、観客もゆったりした雅楽の速度に慣らされるので何も感じないが、実際には相当ゆっくりした演技だと思う。顔をそっと上げる、横を向ける動作にしても、時間をかけて、ゆったりと動いていた。実際には、ああいう軽い拵えの人形をゆったり遣うのは、かなり大変だと思う。座り姿勢でじっとしているときは、まじで空中で静止している状態。このゆったりした所作が単なる剛毅さに見えないのは、伯龍の目線がとてもピュアだったからだと思う。ゆっくりと、「しぱ…しぱ…」とまばたきをするのが印象的だった。一生懸命生きてそうだった。

また、玉男さんの人形特有の、なにか思っていることはあるんだろうけど、口には出さない、寡黙な雰囲気――人形の斜め上に、常に「……」の小さな吹き出しが浮いている――がよく感じられた。人形は元々喋らないけど、そうではなく、喋らなさそうな人に見えるのが良かった。

 

実際には、天女と伯龍が同時に本舞台に立っている場面は非常に少なかった。お互いをそっと見守っている過程の描写が多く、接近する演技はほぼない。時勢柄かもしれないけど、手に手を取り合うとかはなし。両者が背後に近づきあうところでは、さすがに現実のサイズ感の違いが「逆に」よくわかる。人形が小さく思えるというより雀右衛門デカいなという感じで、地母神というか、観音様?と思った。伯龍の背後に天女が立つ時、伯龍の左(玉佳さん)が「緊張している人形」のようにめっちゃ緊張していたのがよかった。いつも空気にそよぐように「ゆら〜ん」としてるのに、常時「シュッ!」としておられた。

 

漁師伯龍は、古典演目にはない拵えの人形。かしらは目がパッチリした描き眉の源太(若男?)、前髪センター分けで月代なしのポニテヘア。往年の時代劇の美青年といった佇まい。かしらは、当日の配布プログラムに乗っていた玉男様インタビューに「若男」というキーワードが使われていたが、優しい顔の源太のように見えた。衣装はコバルトブルーの石持の着付に白の袴。足元は素足。稽古公開の写真ではこの格好だったが、本番では、ペールブルーの袖のない水干のようなものを上に羽織っていた。左は吉田玉佳、足は吉田玉路。左・足は黒衣だが、プログラムにも名前掲載あり。

 

 


詞章の聞き取りはほとんどできなかった。字幕が出ていたが、席の都合で上演中はほぼ観られず、話はよくわからなかった。「羽衣伝説」というと、地上に降りてきた天女の羽衣を漁師が隠してしまい、天女が天に帰れなくなったので漁師と結婚し子供をもうけるが、やがて天女が羽衣を発見し、天に帰っていく話……とイメージされると思う。しかし、今回の天女と漁師伯龍は恋人同士や夫婦には見えなかった。雀右衛門さんの地母神オーラのすごさと、伯龍の人形の「じっ……」ぶりは何?と思っていたが……

帰宅後、配布プログラムの中に挟み込みで詞章が入っていることに気づいた。それによると、本作はどうも「羽衣伝説」の後日談という建てつけのようだった。
天へ帰った天女が地上へ様子を見に来ると、そこには成長した子供が一人で暮らしていて、彼もまた天女に何か不思議なものを感じるが、天女は再び天へ帰っていく……という話なのかな。最後、天女が下手花道を走り去っていくとき、上手花道から「じっ……」とそれを見る伯龍のあどけない表情が印象的だったが、なるほどね。

 

 

 

舞台美術として、樹木をベースにした大型の生け花がステージ中央に飾られていた。ちょっとしたガレージくらいの大きさがあった。伯龍さん、周囲をうろ……としていましたが……、あれは伯龍の家なのかな? 生け花を美術として扱うと聞いて、ああ、「やってみた」がやりたいのね……と思ってたが、なんというか、そういう、「在所で自然に馴染みながら暮らしている人が住んでいるあばら屋」の美的表現に見えて、面白かった。文楽や歌舞伎の俊寛のボロ着や伊左衛門の紙衣は、リアリティ追求でなく美的表現で作られているが、ああいう感じ。書は、意義がよくわからなかった。

薫物で山田松香木堂が参加していた。上演中にオリジナル調合の香を焚いていたようだが、結構前方席だっけど、マスクをしていたためか、正直あまりよくわからず……。
その限りの感覚ではあるが、伝統的な香木の香りというより、アロマ用に売られているもののような、フレグランス的用途な洋風の香りを感じた。前、山田松香木堂のお店へ行ったとき、色々お線香を試させていただいた。そのとき、アロマ用に作られたものも試させてもらったんだけど、お店の人が「華やかな香り」とおっしゃっていた商品と匂いの傾向が似ていた。ただ、燃焼の都合なのか、シーンによって調合を変えているのか、時々、もうちょっと渋い香りにも感じられるときがあった。

演奏の声楽部分は、個人的にはマイクなしでやって欲しかった。むしろ、くっきりはっきり聞こえる必要ないんでは、と思った。

 


客席をみると、おそらく前方は雀右衛門ファン、後方はコンテンポラリーアートのファンの人なんだろうなと思った。
この手の企画は、基本的にはコンテンポラリーアートファンの人向けだな。こういう古典芸能異業種コラボ、もしくはモダンアップデートって、企画としては非常によく見るけど、なんかこう……、古典芸能に詳しくないほうが、面白いよね……。私も、古典芸能を見るようになる前のほうが、この手の企画を「なんかすごい!なんかかっこいい!」というふうに、受け止められていたと思う。今となっては、「ここまで金かけた企画でも、こうなるんだ〜……」というのが、素直な感想……。

 

でも、玉男さんの良さが改めて感じられたので、観て良かった。玉男さんの人間の役者との共演は、令和改元のイベントで、野村萬斎・市川海老蔵と寿式三番叟を踊っていたことが思い出される。その動画配信を観たときにも思ったのだが、玉男さんの人形は、人間のスケール感と同等の存在感がある。

当日配布のプログラムに出演者インタビューが載っており、雀右衛門さん・玉男さんがそれぞれお互いについて書いていた。その雀右衛門さんコメントの中に、次のような言葉があった。

玉男さんは立役のお人形を遣われることが多いですが、人形を支えて動かすために「体の芯が鍛えられていなくてはならない」と常々おっしゃいます。(以下略、歌舞伎の女方でも同様の旨)

玉男様の体幹力は、やっぱり、意識的になされているものなんだ……。と思った。玉男さんは、文楽公演でも、人形が出てきたとき、明らかに胆力が違うオーラがある。他の人とは、動きのベースが違う。玉男さんならではの、立役の新しい解釈だと思う。今回は、人間の役者である雀右衛門さんと共演することによって、それがより一層はっきりわかって、良かった。