TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

くずし字学習 翻刻『女舞剣紅楓』五巻目 長町美濃屋内の段

翻刻浄瑠璃 『女舞剣紅楓』の翻字五巻目。

長町にある三勝の家。三勝は父・美濃屋平左衛門、娘・お通と貧しい暮らしを営んでいたが、どうも父とは訳あり風。実は平左衛門は小勝・三勝姉妹の実の父の弟で、死んだ兄に代わって姉妹を養育しつつ、家に残った借金を返済していたのだった。しかしその借金も今日で完済。小勝に遊女の勤めもさせずに済むと喜んでいた平左衛門は、押しかけてきた善右衛門&長九郎から三勝が負わされた巨額の借金を知って仰天。そんな美濃屋へ、さらに訳あり風な女が訪ねてくるが……。
この段は明治期の稽古本にも掲載されている有名な場面で、現在でも伝承がされているのではないかと思う。

 

それにしても、私がのろのろと記事を更新しているうちに、この『女舞剣紅楓』の翻刻玉川大学出版部から刊行されたようです(国会図書館が新規所蔵したことにより気づいた)。自分の手元では全文翻刻が終わっているので、全文アップできた後に読んで、読めなかったところの答え合わせをしようと思います。正確で校訂された文を読まれたい方は『義太夫節浄瑠璃翻刻作品集成』第六期をご参照ください。

 

 

 

いままでの翻刻

 

 

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五巻目

 

 

 

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此広い大坂に住所さえ長町と言。の葉種の露ふかき。うらのこがらし吹そらす。みのやとかきし

目印の暖簾の文字はふとけれど細き煙のかせ世帯。心に波のたへまなく。家内のるすに

只一人リ。台鼓のふすいが浄るりも。憂節しげく聞へける。主ジみのやの平左衛門。此頃興行の

台頭。太夫は娘三勝が。楽屋見舞いの戻り足。ふすいは見るより。平左様お帰りか。何ンとけふも

嘸入たでござりましよ。イヤハヤけふとい見ン物。何があの昔の。仏御前や静御前のやられた白

拍子の舞は。台頭と同し事じやと。北脇から中カ船場。モ丶近ン年のはづみやう。マア悦んで下さ
れは。三勝が北国落八橋物語。何の事はない打割ました。貴様もちといて見てござれと。娘

 

自慢を取リまぜて。咄すけいきもいさきよき。マア/\おめでたうござります。夫レといふも三勝様の

名代だけ。わしも台鼓やめて狂言のあどにでもやつてほしい。扨とお帰りを待たは。市蔵様の

御様子。此頃聞ケば近江とやら伏見とやら色々の取リ沙汰。あんまり心元トなさに。向ひがはの小勝様に

逢にいたれば。是もしかへとやら年ン明キとやら。すつきりと訳が知レぬ。モあんまり気遣イさに。マア

ちよつと問に参りましたが。どふでござりますと。小声に成ツて尋れば。ヲ丶馴染だけ迚奇特

/\。ア移ればかはる人の盛衰。去年ン迄も春迄も。市蔵様の旦那のと。這廻つたわろ

達チが。ア丶いふ御身にならしやつたれば。ひとりあほうの様にいふて。かともいひてがござらぬ。しつて

 

 

 

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の通り娘小勝が恩を見た旦那殿。殊に半七殿の訳も有レば疎にもならず。三勝や見ン

なが世話で木津村にマアひつそく。お淋しからふと思ふて。小勝もやつて仕廻ました。スリヤあの揚

代を取ラずにや。ヲ丶サ。ア平左様男じやなふ。どの様にしても三十両一分ンづゝはとれる小勝様。

しやか如来を親方にしてもそふはいかぬ。何ンとわたしらがお見廻申ても大事有ルまいかい。ホ丶人は

しらず貴様は別格。すきならば見廻しやれ。そんなら私も身揚して出かけましよ。気にかゝつたが

落付たと。咄す内よりがち/\と。寒さを忍ぶ平左衛門。ふすいは見るより。アめつそうな。重着してさへ

けふの寒さ。此冷るに素布子一つ。ちやつとま一つ着さしやませ。ハテ物好キなとすゝむれば。イヤサ人

 

には癖の有ル物。かう寒ふても重着すりや。気色が悪ルふて起て居にくい。しやう事なし

の素布子。テモ奇妙なこりやならぬ。聞てさへひや/\する。それはそふとけふは隙でもある。これ

から木津へ参ましよ。ヲ丶そりや寒いのに御太義。いてなら旦那に心得て。姉にあんまり呑

おんなと。よふいふて下されやと。いふもそこ/\出て行。アいつ見ても気がるい坊主と。いひつゝそろ

/\火燧箱。かち/\打て仏壇へ。灯明上ケて何故か。腰にさげたる帳面を。位牌へ備へ伏拝み。廻

向鉦さへせはしなく。なまいだア/\なまいた/\なまいだ。願以此功徳。みだ平等と。廻向の表へ立

帰る。浮名にふれし。三勝が。娘お通が手を引て。楽屋戻りの取リ形リも。伏見常盤にことならず。

 

 

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ヲ三勝戻りやつたか。きのふもいふたになぜにお通を連ていきやるぞいの。肝心の太夫に子が有ル

といふては見物の見込がない。コリヤぼんよ。あすから付イていくなよ。おりや夫レでもかゝ様ンがるすなら淋し

い。アレ聞て下さんせ。何ンぼでも聞事じやござんせぬ。ぢい様ンのいはんす事コレよふききやゝと。親へ気

兼もどこやらに。義理有ル中と聞へける。平左衛門はじろ/\と。お通が着ル物打ながめ。此着物はいつ仕て

着しやつた。サレバイナ聞カしやんせ。世にはしほらしいお方も有ル物。十七八な女中が此門トを通つて。此子

を見てはかはいがり。人形やつたり菓子やつたり。此つぎ/\も跡の月おこしてゞござんした。ハテなふ夫レはしほらし

い。なぜ呼込で礼いやらぬ。わしもそふ思ふてゐれど。るすの内斗リ間ちがふて逢ませぬ。したが此

 

廿日程根から見へぬげにござんす。夫レで此子が明ケ暮。おば様ンがお出んといふて。毎日門。口に待ツ

て居ます。ハ丶丶丶丶坊主めが又人形をしてやらふで。おぞいやつじやと咄シさへ。親子の中の水いらず。夫レは

そふと此半七様ンは見へぬかへ。イ丶ヤさたはなかつた。又此半七様ンでも有ルそ。けふ見へいでは済ぬ事。よも

や如在は有ルまいが。内の首尾でもわるいかと。心につもる思ひ種。物案じの体見るよりも。ハテ用

が有ルなら見へるであろ。其間におれも一休。坊主もこいと手を引て。奥の一ト間に入ル折から、色と悪

との二タ筋元結。あたまがちなる善右衛門。長九郎連レ立ずつと入リ。顔見るよりもハツトせしが。是は/\お

二人リ様。よふこそお出とあしらへば。何ンしやよふお出。わるふお出じや有ふがの。サア八十両の金いたそ。長九郎

 

 

 

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もしる通り切月さへ三度目。ことけふが絶体絶命。サア金渡せ請ケとらふ。ヲ丶長九郎が付イて居る。

金渡せサア受ケ取ル。返事はどふする三勝と。両人左右に上ケ股打。めつきしやつきのしゆらの鬼。責苦

を見るもかくやらん。三勝は気の毒の胸はさはげど押シしづめ。市蔵様の御難義を半七様ンが引

受ケて。救はしやんした恩の金。早速あげる筈なれど。ア丶これ/\おりや半七に借はせぬぞや。証文

の名当テはそなた。所詮金では得済すまい。ナア長九郎。いか様大和作り例れを当テにする口上なら。迚

も埒の明カぬ事。サアあるいたと両方から。両手を取ツて引立る。振リ払ふて。コリヤどふさんすどふするの

じや。連レていんで女房にする。ヱ丶穢しいいやらしい。手をさやつたら噛つくとこはさ悲しさ身もふるはれ

 

逃んとするを動かせず。いやでもおゝでも連ていて女房にすると。むりむたい。取付キかみ付キ追イ廻し。

ヱ丶めんどいと両人が引立て行後より。見兼て出る平左衛門。二人を掴んでづてんどう。箒おつ取りう

/\/\。打て/\打のめし。人の娘にわるぼたへいにあがらぬかとしめ付ると。ぐつとねめたる有様は。心地よくこそ

見へにけれ。三勝は小気味よく。それ見やんせのよい形リと。笑へは両人ふくれ顔。何ンとこゝらはあぢいな

所じやなア。質取て金借シて。質もおこさず金も返さす。その上にゑさし箒。シヤほんにおかしい

わい。ドレ家主で聞てこふと。立て行を。コリヤ/\待テ。たとへ三勝が金借ツてから女子の事。高が百匁か二

百匁。質のはちのとかさ高な。何ンほ程の事じや。済してしまふワレぬかせ。ヲ丶ぬかさいしや是見いと。

 

 

 

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懐中より証文取出し。是でもかゝぬか是でもかと。ひろげて見すれば。ヤア/\と思ひがけなく仰

天し。ヤアこりや三勝を書キ入証文。銀子四貫八百匁。ハツトせき上三勝が。胸ぐら取て引廻し。

サ丶丶丶女子のぶんで大胆な。大まいの金何ンで借リた何にした。おりやあんまりで物がいはれぬ。ヱツヱわれ

はなア。親の心子しらずと。はら/\落る涙をおさへ。コリヤわいらがほんの親はな。おれが為には兄貴。みのや

平左衛門といふてな長町の住人。死れる時枕元へおれを呼で。家に付イた借銭が凡十貫匁余り。

兄弟の娘を売ツて成リ共済してくれ。惣領息子も有ツたれど。生れ付た悪ル者故七つの年シから

内を追出す。所詮物には成まいけれど。若シ根性も直たら。勘当を赦してやつてくれと。借銭

 

の事と子供の事を。言死にした兄貴。アいとしやと思ふより。中村屋安右衛門といふおれが名をば。みの

や平左衛門といふ兄貴の名にかへて。十七年以来相続した此家。おのれやれ娘も売まい。借銭ン

も済そふと。心は鬼神ンとはやれ共。もとではなし気をもむ斗。利銀は重なる先キはせがむ。栓方な

さに。血の涙をこぼして。姉の小勝を自前奉公。ア兄貴の娘に勤をさす此金。一銭でも蹴込

ではどふも平左衛門が立ぬと思ひ。コリヤ是見い。極寒の冬でもどてら一ツ点。がた/\ふるふをこらへてゐ

るはな。身の為にせぬ兄への言訳。其誠が通じてや。けふといふけふ十七年目に。借銭ンの根切リして。アレ

見い。仏壇に備へて置イたは。借銭方の請取帳。是さへ済せば。モウ小かつに勤さそふやうがないと

 

 

 

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思ふてな。コリヤ市蔵様へやつて仕廻た。ヤレ嬉しや忝や。千部万部のお経より。コノナ一冊の請取帳

は。兄貴が冥途の闇路をてらす広太無量の弔ひと。たつた今位牌へ上ケて。回向した借銭ン

なし。舞子さすさへ無念なに。我身を書込ンで八十両の借銭。コリヤわいらを売て喰とおもや

な。コレ此艱難はせぬはやい。半七殿の手前も有ルに所存者義理しらず。おれが心を無にする

と涙はら/\打はらひ。身体の底心の底。打明カしたる真実は聞も。哀に頼もしき。始終を聞て三勝

は。何と言訳詮方も。泣しづみてぞ居たりしが。ア丶有がたや忝や。千万無量の詞にも言ほしがた
き御恩の程いつの世にかは報ずべき。八十両のこの金も。半七様と相談で。市蔵様のお為なれば

 

さら/\我身の為ならずと。聞て驚く平左衛門。スリヤ半七殿と相談で。市蔵殿の御用にか。ハア

はつと斗に当惑しあぐみ。果たる風情なり。二人はそろ/\にじり寄。何と借たが誤りか。よふ此様

にぶちすへたなア。娘に金を衒して同志打ちの狂言かやい。そふせふより手を出して。盗をせい平左衛門

と。聞クよりぐつとせきのぼす。胸おさゆれば三勝が。泣ク程二人は付キ上り。サア金済せ受ケ取ラふ。金が

ないなら三勝せう。二つに一トつの返答せい。こな大衒め泥房めと。手は得さゝず悪ツ口を。聞ク無念さ

も親の事。思ひ過して涙をはらひ。皆お前のが御心。ながふと申シませぬ。日暮迄に才覚して

急度お済し申ませう。コリヤ/\娘。日暮レ迄はマア一ト時。わりや済す当テが有かよ。なふて何ンの

 

 

 

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申しませう。そんなら日暮レが一寸ン延ても引ツ立ていぬるぞよ。いかにもいなとは申ませぬ。よいは奥

へいて待ツて居よふ。必筈を違へなと。打連レ立ツて奥へ入。無念を忍ぶ平左衛門。見るめ苦しき三

勝が。とゝ様ンもちとの内お枕なされお気休めと。せわやく娘もふ便ンさに。すご/\。立て行跡に。

心一つで。とやかくと。夫トの遅さ待チ兼て見やる表テへ夫レならで、色もすがりの匂ひ有四十余りの

女房が。用有そふに表テ口の暖簾の家名に小うなづき。ちと御免ンなりませとずつと入。こな

さんが舞子の三勝殿といふのか。いかにもわたしでござんすが。けふはいかふ取リ込ンでおめにかゝるも

そこ/\。用ならあしたの事にしてと。我くつたくにあしらいも花のあたりをよけて吹クたばこのけふり

 

つきほなくいへ共いなぬ揚口。そろ/\あがつてそばにより。ついにあふた事はなけれど。五年以来聞

及んだ三勝殿。わしや大和の五条茜屋の半七が母でござる。ヱ丶と恟りアノそれはといはんと

せしが気味悪く。うろ/\するを見て取ツて。イヤこれ三勝殿。若シやわゝしうこなたをば。わゝりにき

たかと思はしやろがみぢんもそふした心はなし。草で育た大和の女子も梅の色よき難波の

女郎も。色に迷ふは同じ事。わしやこなさんに礼いひに来ました。アノ見るかげもない半七に

ほだされて。なんぼの出世も目にかけずかはいかつて下さる。かげで聞てどの母ても嬉しがるまい様が

ない。殊にお通といふ子迄もふけた三勝殿。まめで顔見て嬉しいと余念なければ気も落付。

 

 

 

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半七様の母御様迚。さつてもきつい御すいほう。そふ御存の上からは。何を隠さん様もなくしんじつ

ほんのかゝ様に。逢た心と打とけて底意渚の海士おぶね。こぎあふせたるごとく也。イヤはて世の中

に君傾城をれき/\が。嫁にするも有ならひ。ア丶早ふすいた同士。半七と夫婦にしてむつまじ

い顔見るならば老行末の楽しみと。明ケ暮思ふて居ますると。聞て飛立嬉しさに手を合す

れば其手を取。思ふ事儘ならぬこそ浮世なれ。わしやこなたに無心が有てきましたと。詞の中チよ

り是はいかな。頼ミの無心のとは他人向。どの様な仰でも背ぬが嫁の役と。いふに顔見るより涙ぐみ。

近頃無心な事ながら。半七と縁を切て下され。ヱ丶丶と恟り。アノ半七様ンとかへ。いかにも。そりやならぬ。

 

わしやいやじや。一チ夜流レのあだ夢も別れは惜き人心。まして馴初もふ五とせ。子迄なしたる半

七様炎の中には暮ラそふが。あなたをのいて片時も浮世の日かけが見られうか。むごいつれない

どうよくな。別れといふ字は聞てさへ。胸にしみ/“\悲しいと。恨涙にくれ居たる心ぞ思ひやるせなき。

ヲ丶悲しうなふて何ンとせう。去ながら此母がいふ一ト通り聞て下され三勝殿。アノ半七にはおそのと言

て。言号の女房が有。呼取てもふ三年祝言の日を極めても。こなたとふかい半七いかな事得

心せず。同じ内に住ながらつゐに一チ言ン物いはず。親父殿の腹立無理でもなし。嫁の親の方からは。

大事の娘をすもりにして妾狂ひする半七。聟には取ラぬ取戻すと。やつさもつさの一チ門中。私

 

 

 

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がそだてがあまいから半七が気儘すると。言ももとが気の廻り。根が親父殿は入聟。それ故尻

にしかれると一ツ家中にいはしては。親父様迄あほうになる。其上夫レを苦にやんで。おそのはとうから気

のかた煩ひ。聞ても居てゞござらふが。二月キ跡から此樋の上に出養生。日増におもる病の床。

見るも悲しさいぢらしさ。せめて一チ日夫婦にして此世の年もはらしてやりたさ。義理と情に詮方なく

子迄有二人の中を。縁切に来た此母が心の内を推量して。思ひ切て見てくだされ。かはいがらしやる半

七をふ孝者といはそふと。孝行者といはそふと。コレこゝがしんぼうじや。了簡をして下されと。語ルも

涙聞クも涙ともに。思ひの渕ならん。三勝はたゞうろ/\とのくも苦しくいな船の。いな共いはず胸せま

 

り。涙にむせびゐたりしが。つど/\母の詞をば聞クに思ひのむすぼふれ。とけぬ氷の釼キをば呑込ムつらさ

せつなさをこらへ涙の玉の緒も。きらねばならぬ縁ならば。逢ての上かとやせんと。心一トつにせめられて。

何とか胸を極めけん。我レと我身に暇乞ひむせぶ涙の顔を上。申お袋様ン。ふつつりと思ひ切リました。ヤア

すりやアノ半七と。縁切ツて下さるかと。とはれて猶もないじやくり。何はともあれわたしがのけば。半七

様ンのお名も出ぬといふ事は。よふしりぬいておりますれど。つゐした訳の中でもなし。五年以来馴なじ

み。子迄もうけていつしかに。去年より今年はふかう成リ。けふはきのふに増思ひ。神や仏の御異見でも。

思ひ切ル瀬のあらばこそ親にも子にも我身にも。かへていとしき殿御をはふ孝といはせしおその様ンの。

 

 

 

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お恨や。おふたり様のお嘆キが。あなたの御身にかゝるのが。わしや悲しうてならぬ故。あかぬ別れを致し

ます。思ひさらふと思ふ程恋の罪科思ひのしゆら。胸の煙はあびしやうねつ八かん地獄の涙のつ

らゝ。今身の上に責られてわく方もなき三勝が。心の内のせつなさを推量してたべお袋様。わ

しや義理詰になつたかと目元トうろ/\髪乱れ。わつと斗の託泣目も当テ。られぬ風情なり。

母も涙にくれながら。せな撫おろしなでさすり。ヲ丶道理じや/\。のいて下さる仏より。のかしに来た此

鬼が最前からの悲しさは。行末我身がいくつ迄。生キながらへるしらね共。一チ度に年シも寄ル思ひ。よう

のいて下さつた。三方四方の義理も立。半七が身の行末もよいが上にもよかれがしと。思ふも

 

親の因果からいぢらしいめを見ますると。逢を別れの嫁姑。顔見合せてハアはつと。嘆ク涙は湖の。

一チ夜に出来しもかくやらん。いつ迄いふても同し事もふ泣て下さんなと。しほ/\立てモ丶いにま

する。半七とこそ縁はきれ。孫のお通も有ル事なりや心はやつぱり嫁姑。煩はぬやうにして下

され。礼とてはいはね共。今から朝晩此母が、こなたの寿命を祈ます。ア苦しみの世界やと行ん

とするをコレ申。お通にちよつと逢てやつて下さりませ。ぢい様やばゝ様の所へはいつ行ク事でこさるや

と。逢たがつたおさな心。せめてツイ。顔なりと。言イもおはらず泣入レば。いや/\逢ますまい。縁きらし

ていぬるさへ悲しいに。孫の顔を見たなら猶悲しうて成ますまい。むごいきつい鬼ばゝじやと。いふて

 

 

 

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聞して下されと。互の涙くりかへし。見送クる足も行足もしどろ。もどろの憂別れ泣別。れてぞ

立帰る。始終を聞てや平左衛門。目を擦こすり奥より出。ヲ丶三かつよふのきやつた。千年ン万年ン

添よりも縁切ツて進せるが。半七殿へはきつい心中。したが日暮レ限りの八十両どふせうと思ふて

居る。イヤモウかういふ品に成たれば。半七様も見へまいし。ハテ善右衛門所へ参りましよ。お通か事を

頼ます。ソリヤ気遣ひ仕やるな。おれが乳でもなふらしてだいてねよふわいの。常からそなた

を廻してかた時はなさぬめろめ。ねざめ/\がおりやどふも成ルまいと。聞より三勝身をふるはし。畳

にくひ付泣さけびけふはいかなる悪日ぞ。かはいひ子にも夫トにも。あかぬ別れの数々は。何の報ひ

 

かあさましやと。又もさめ/“\くどき泣。平左衛門も倶涙。といふて一チ年ン中泣て斗リも居られまい。

勝手へいて顔でも洗や。物言やいふ程悲しうなる。サアまあ奥へと親と子が共に心を思ひや

りなく/\一ト間へ入にける。かく共しらず半七は。足もいそ/\門の口。ヤレ/\久しうこなんだといひ様

奥を指のぞき。なむ三客が有ルそふな。大方今ン度の台頭銀主のはり金や殿で有ふ。先ツ落

付キに一ツぷくと。たばこ引よせ遠慮なく。家内見廻し。コリヤ身体が直つたか。屋根ぶしんが出来た。

寒作りの拵か隣の酒屋のがつたらこ。賑やかな商売しやと。いへ共待テ共人切レなし。ハテめんよう

な。足おと聞クと飛で出る三勝。きつうおとなしうなられた。こんな時にはこつちから逢たう成ルが

 

 

 

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色の癖。ドリヤお通めが顔見よふと明る一ト間の内よりも。お通はようねておりますと。いふ顔じろ

/\ながめやり。どふじやきつう色がわるいの。どふでも初日の出た当座。酒が過キた物じやあろ。たし

なみや/\。扨と。彼内々の八十両宇治屋の隠居からくる筈が。御病気でこぬ故に段々の延引。

そなたのいかひ世話であろ。したがどふやらかうやら調ふた。落付キ給へと懐中より。どつかり下に八

十両。三勝見るより飛立斗。なければ済ぬ此金の。かふ調ふもまだ縁の。尽ぬ命の宝ぞと

手に取リ上しが下に置き。半七様ン。此金はどふして出来たへ。サレバサ。しりやる通リ親父とはふ付キ合で。二両

三両の金さへ自由にならぬ身の上。八十両といふ金高。急に才覚の仕様もなし。どふがなと

 

思ふ内。親父の内へ大和から取寄セられた此金。てうど八十両指当て入ルでもなし。ほしや/\と思ふから

サア悪ルい事は染り安い。彼いつぞや衒から請取ツた。吉慶よしの贋小判おれが手に有た故。金箱へ

摺かへて当分遁れの一工面と。聞て三勝アノてゝご様ンの金を贋金と摺リかへて。ハテ四五日の間

を渡し。又取かへて置ク分ン。マア善右衛門へ済してしまやと。いへど心も済やらず。若も夫トの難ン義もや

と。心付ク程身を切ル思ひ。ほしうてならぬ八十両半七が傍へ指戻し。モウ此金は入ぬわいな。ソリヤ又なぜ

に。度々切月か過た故せん方なさに。わしや善右衛門様の所へ行筈に成たわいなと。いふに驚キ

ヤアわれはと。いはんとせしがそりや誰レに相談して。相談相手は私が胸。夫レではわれどふも立ツまい

 

 

 

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がな。立ツの立タぬのといふはとつと昔の事。合せ物ははなれ物。人の心は花染と。歌に紛らすうき

思ひ。胸に涙を押シ込の。襖に顔をそむけゐる。半七はさはげ共さすがに何と男気の。こら

ゑ袋の口しめて。金懐中しずつと立。かたへに有あふ鏡台の。鏡をはつしと抜キ打に。切はなして

両手に持。合せ物に限らず。かう堅う鋳立テたる天下一の鏡でさへ。一念ンを以ツて切ル時は此通リに

放れる。破鏡再び照らさすといふてみがき立た此鏡も。かうわれ/\に成時は満足な顔は見ら

れぬぞよ三勝。相談相手の胸の鏡をナ打わつては物がない。照すも曇るも砥のこ

のかげん。思案して置ケ後にこふと。はれぬ心を押なだめ立て行をマア待ツたと。奥より出る平

 

左衛門お通を連レて。半七殿。鏡をみがく砥の粉をやりましよ。コレ爰にゐるお通といふ。かはい

ひ砥の粉で。曇切た胸の鏡をとぐ様にと。子にひかされて半七が。胸をなだむる教

訓も。仇に成リ行思ひ子の。お通を連レて立出れば。かゝ様なふといふ声に思はずわつと三勝が。コレなふ

待てとかけ出るを。コリヤ/\。爰がしんぼうと。歎ク娘を引連レてとゞむる涙行恨後チの哀を残し行。もと

はうは気で逢馴初て。ふかう成ル程逢れはせいで。隣座敷に引クしやみも。我身の上と三勝

が。涙にむせぶ思ひ草。奥には二人の牛頭馬頭が。三国一じや酒に成すましたしやん/\。嘸半

七様ンが憎ふて/\成ルまい。わしやみぢんも心はかはらぬぞへ。金のかはりに女房になれと。せがみ立テられ

 

 

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返事もならず。ほんにかなしい身の上では有わいなア。お通がねざめに乳も呑ずにヱ丶かはいやと。

死るに極めし心根の。誠としらで半七はかはる心のつれなさを。思ひ晴さん頰かぶり一ト腰さいて

門口に。たゝずむ思ひ泣涙。内と外とにふたせ川。かはる心ぞぜひなけれ。今さら善右衛門が所へ

やつてはどふも男が立ぬ。思へば憎いやつじやなアと。露それぞ共白草の内には三勝奥口見廻し

忍び出んとする後へ。三勝どこへとずつと出る善右衛門。人に酒をしいて置イてヱ丶憎いぞへ/\。何と半

七に心残りなか。イ丶ヱ残るの残らぬのとは。ふたり思ひの有ル人の事。わしやもふ一筋にソリヤ誰を。はて

お前をいな。そふ思ふて給はれば。拙者も急度心中立るじやてや。ナアニうそばつかり。今こそそふ

 

いはんすれお前の所へいたならば。つゐ飽んすで有ふな。何ンの/\。こちの親父を八まん地獄で鯷に

する法も有レ。君と我レとはふたばの松よ。松がいやならふたばの檜の木。てんとびやゝらいたまらぬと抱

付ケば。ヲ丶嬉しと。又しめかへし機嫌取リ。ぬけて出んと思ふ気をしらぬ夫トは立聞キの。足もわな/\身もふる

ひ。歯を喰しばる無念さの。涙ほのほをあらそへり。ふたりじやらつくまん中へ。酔つぶれたる長九郎。

むまいな/\。そふいふ事を半七めに見せたら。嘸業をにやしおろ。ア見せてやりたいなアと。思はずしらず

のてんごうも胸にこたねる数々のつもる恨ぞせつなけれ。そりやそふと善右衛門様。今奥で平左

に相対してさつばりとすました。何ンのかのゝない先キに。今宵すぐに三勝殿を大和へ連レてごさり

 

 

 

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ませ夫レは千万お働。そんならついでに駕の世話も。其段もはたらいて返しの約束でモウこゝへ。

こりや近年ンの手廻し。したが一所に連レ立ツつては人目立ツ。おれは先キへいて待ツて居る。三勝連れて世話

ながら跡から追付ケきて貰ふ。サアこりや急にいそがしい平左衛門宜しう。三勝。長九郎。やがて/\と言捨て

表テへ出れば。半七は見付ケられじと酒桶の。かげに隠れてやり過し。もはや心も突詰の二尺三寸ぬき

はなし。ねたばを合す。折も折。サア駕が来た三勝殿お乗なされと長九郎が。いふに今さら気も

乱れ。とゝ様モウ今参ります。ついたら必便リを待。おりや最前ンから襖の内で。暇乞をしておいた。

けがせぬ様に気を付ケよと。涙を見せぬ襖ごし。是今ン生の別れと涙ながらに駕にのり。

 

何と長九郎様ン。とても行同し道おまへはたんと酔てそふな。相輿はいやかへ。是は千万ン忝いと。足も

よろ/\酔つかれ。現の闇に乗駕の。中をかはして三勝か。逃たもしらず籠の鳥。舁出す

かけ出す門の口。ふ心中者思ひしれと。簾ごしに半七がぐつと突込む一ト刀。ヤレ人殺しと駕舁が。

打捨逃ケる駕の内。朱に染しは長九郎。なむ三宝三勝め取リ逃したか無念ンやと。くはつとせき上

せき上し。ぜひに及ばぬ長九郎。日頃の悪事思ひしれと。又一ト刀切ラれてはつと酔ひもさめ。まけじとぬいて

半七が。肩先すつぱり切付クる。疵も覚へず半七はやら腹立に血をあやし。眼もくらみ気もくら

み死物狂いさひのめつた切。ソレ人殺しと四方よりより棒てん手に取まけば。無念ンの眼コに三勝が

 

 

 

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おもかげ立テば大勢を。西よ東よと追フて行。おはれて逃クる其隙に。内より飛出る平左衛門隣

の酒桶うつむけに。かづけた所へ又ばら/\。あばれ者は南へと。詞につれて大勢が。打テよたゝけと行跡に。

酒桶引上。此間に/\。はつと思へど三勝が。行衛を尋みだれ髪打みだれてぞ行空の

 

(六巻目へつづく) 

 

文楽 気になる人形遣い4人 −勝手に技芸員名鑑2 細雪篇−

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お気に入りの技芸員さんを紹介する記事、第2弾。今回は、私が良いと思っている女方人形遣いさん4人について書きます。

文楽人形遣いというのは、浄瑠璃に即した人物造形を求められます。しかし、浄瑠璃はいつも同じ文章、人形もみんな同じ顔をしているはずなのに、人形遣いによってその人形から受ける印象はかなり変わってきます。娘役なら、極限的に可憐な人がいたり、ちょっと色っぽく傾く人がいたり、少しぼんやりした子に見える人がいたり。同じ役であっても、配役によってだいぶ印象が変わるというのが、私にとっての文楽の人形の魅力です。

文楽は現在休演が続いていますが、その間の施策として、昨年文楽劇場で上演された『仮名手本忠臣蔵』の舞台映像ダイジェストがYoutubeで期間限定公開されており、様々な人形遣いさんの演技を映像で見られるようになっています。今回は、これらの公式映像を紹介し、人形使いさんたちの舞台実演を一緒に観ていただけるよう記事を構成してみました。
(『仮名手本忠臣蔵』映像はこのブログの埋め込みからはダイレクトに再生ができないため、再生ボタンを押すと現れる「この動画はYoutubeでご覧ください」というリンクからYoutubeへ飛んでご覧ください)

INDEX

 

 

┃ 1. 桐竹勘壽(きりたけ・かんじゅ)

#老女方 #おばあちゃん #奥様 #熟女マニア #世話物 #辛口の悪役 #清々しさ #画数が多い

 
 
 
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写真右から2番目 『摂州合邦辻』合邦女房

 

旧家で大切に育てられたお嬢様がレディになり、宮家に嫁いでより上品な奥様になりました的な品のある人。洗練性と知的な品格があり、派手な芝居のない役であっても観客を舞台全体に惹きつけ、印象を深める。

配役は、奥様、おばあちゃん系が多い。
『菅原伝授手習鑑』寺子屋の段、源蔵の女房である戸浪は、寺子屋のおかみさんとして「山家育ち」のイモ・チルドレンをうまくいなしつつ、しかしながら都から落ちてきたワケアリ奥さんの色気も漂わせているのが絶品。寺子屋に通う子供たちが熟女マニアになってしまいそうな勢いであった。

一方、『近頃河原の達引』堀川猿回しの段の与次郎の母は、貧苦の中、近所の子どもに三味線を教えて家計の足しにしている。痩せたおばあさんの人形で、貧乏に疲れてはいるが、下世話ではなく、じんわりと優しそうな雰囲気を湛えていて、こじんまりとした庶民の日々の営みを感じさせる芝居だった。盲目の母は、与次郎や娘カップルたちが騒ぎちらす中、すこし頭を傾けて周囲によく耳を済ましているのと、三味線の稽古のときの三味線の構え方がリアルだった(特に三味線の胴に手首を引っ掛ける角度)。こうしたわざとらしくないディティールにこれまで過ごした歳月や生活が滲み出て、世話物の空気を作り出すのだなと感じた。

と、ずいぶん長いこと、勘壽さんといえばお母さん・おばあちゃん役だと思っていたのだが、最近、「いいなあ」と感じるのは、カラッとした品のある男性役。
印象的だったのは、『心中天網島』北新地河庄の段の太兵衛、『曲輪文章』吉田屋の段の喜左衛門といった世話物の旦那役の円熟ぶり。太兵衛は主人公・治兵衛に嫌がらせをする悪役だが、商人としては裕福な部類で、主人公である治兵衛よりも金を持っており、遊びや遊所での身のこなしを知っている。喜左衛門は新町の大きな揚屋・吉田屋の主で、大店の主人にふさわしく世渡りに長け、腰は低いが洗練された佇まいの人物。零落した主人公・伊左衛門にも、かつての上客だった頃と変わりない態度で接する。両者とも単調ではなく、絶妙のニュアンスを必要とする役。この2つの役のベースとなる上品さと、それぞれの性質に基づくニュアンスの演じ分けにはかなり納得させられた。とにかく、垢抜けているんですね。気張らないのにセンスがある人ということが伝わる。姿勢や歩き方、背の伸ばし方や肩との関係、袖のさばき、あごの使い方等のちょっとしたニュアンスで垢抜けた印象が出ているのだろう。双方とも、少し近代的な、知的な佇まいがあるのも印象的。*1

勘壽さんを観ていて思い出すのは、加藤泰の明治ものの映画。日差しがやや強くなってきた春の初め頃のような、気分の高揚する空気感の中を通り過ぎていく、清々しく気持ちのよい心根をもった登場人物たち。共通するのは、上品で洗練されているが、ただ上品なだけではなく、人柄や体温といった生っぽいリアリティを感じさせるところに、味があるという点。きっとむかしはこういう人がいたんだろうと思わされる。誰も見たこともない300年前の上方の商家の、手垢で暗く光る古びた木の柱、人が通るところだけ少し擦れて色が褪せたのれん、清潔に磨き上げられた床板は人が歩くときゅっきゅと音を立て、部屋の片隅の奥まったところには少し湿った埃の匂いがしている。文楽劇場の書割の商家まで立体的に見えてくるというのは、他の方にないのではないかと思う。映画では人間の役者を使いセットを組んでいるのでリアリティは格別だが、人形浄瑠璃で観客にイマジネーションを与える余地のある芸というのは、すごい。文楽人形のかしらは意図的に余地を残して「未完成」に作られており、人形遣いが遣うことで「完成」すると聞いたことがあるが、芸にもそれがあるのだろうか。観客がいて、観客の想像力があって成立する佇まいであると感じる。

ところで勘壽さんは私の中では道端での遭遇率が高い技芸員さんのおひとり。帰り際などに時折「あら、勘壽さんが歩いていらっしゃるわ☆話しかけてみようかしら☆」と思うも、実際には「あ……」あたりですでに数十メートル引き離されている。上品な雰囲気からゆっくりエレガントなイメージがあったけど、超すばやい勘壽さんだった。(本当にすばやい)

 

《動画で観る勘壽さん》
『仮名手本忠臣蔵』七段目 祇園一力茶屋の段 斧九太夫(2019/国立文楽劇場
こちらは時代物に登場するタイプの「上品な悪役」。結構いいご身分の侍なのに、実は由良助を裏切っているという、やらしい辛口の上品さが冴えてます。このときは床の竹本三輪太夫さんともマッチしていて、とても良かったですね。三輪さんの上品クソジジイは最高です。(映像26:36あたりから登場、グレーの着物を着たジジイ)

 

 

 

 

┃ 2. 豊松清十郎(とよまつ・せいじゅうろう)

#娘 #悲惨 #悲劇のヒロイン #美青年 #清純 #文楽業界の北川景子 #レア苗字 #アイドルブログ  

 
 
 
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写真左 『艶容女舞衣』お園

 

突然ですが、私はいつも清十郎がひどい目に遭いますようにと願っています😌🙏

人に向かってそんな願いないだろ!!! と思われるかもしれませんが、文楽見てる人はみんな清十郎がひどい目に遭いますようにと願っているに違いない(巨大主語)。

現代文楽随一の儚く清純な雰囲気、薄幸のヒロインオーラに満ち満ちた人。不幸な役、悲惨な役、ひどい目に遭う役が映え、『奥州安達原』環の宮明御殿の段で貧苦の挙句凍え死ぬ袖萩、『出世景清』六条河原の段で無体に拷問される小野姫など、やたら悲惨な目に遭う役が異様に似合う。ズタボロな落ちぶれぶり、漂う不幸オーラが尋常ではない。文楽には悲劇が多いが、清十郎さんは文楽的悲劇とはまた違う、不幸、薄幸な感じがいい。*2
個人的にはシンプルなド悲惨役、ただただ惨たらしく殺されるという悲惨すぎる『国言詢音頭』の菊野が好みだった。菊野は生きながら臓物を抉られるという「そんな役あるか!?」という衝撃の悲惨役。犯人・初右衛門に捕まってからは首を締め上げられるので体が宙に浮き、腕はそこに預けるかたちになるので、胴体と足の動きで感情や痛みを表現しなければならない。その身をよじる仕草に静かな悲惨みがあり、だんだん体がバラバラになって死んでいくのが生臭くなくも真に迫って、さすが清十郎と思わされた。

悲惨な役の中でも、現代文楽に意義ある演技だと感じたのは、『心中天網島』天満紙屋内の段のおさん。夫治兵衛は遊女・小春に入れ揚げて家に居つかず、小春と相談した上で別れさせてもなおウジウジと小春に執着し続ける、なのにおさんはそれでも治兵衛を立てようとするというシチュエーションは、現代においては理不尽すぎる。“昔”は近松の登場人物って“リアル”だと言われていたんだろうけど、それは“昔”のジェンダー観からそう感じられていたのであって、現代ではとてもじゃないけど美化できない。特に、おさん・小春には「シチュエーション」は感じても、彼女らそれぞれの固有の人格を感じないのが殊に厳しいところだ。
その上で、現代において近松ものを上演するには、女性登場人物をどう表現するかが鍵になると思っている。清十郎さんのおさんは、家の中であっても対外的な面・至極プライベートな面の演じ分けをすることで、どうしたらおさんのような登場人物が現代に生き得るかが表現されていたと思う。お店の切り盛りや子供の世話をしているうちは、商家に生まれ育ち商人の妻になった女性として責任をもった態度でさかんに動き回っているが、夫・治兵衛と二人きりになると、いままでこらえていたものが一気に溢れ出したようにいっしんに心情を訴えていて、家の中にしか社会がない彼女が、最低最悪のクズ男をそれでもまだ信用しようとする純粋さを哀れに思ったものだ。普通にやっては単なる古臭い造形のところ、シチュエーションからくる受動的悲惨さを抑え、彼女自身の感情を表現することで、今日に共感できるリアルさが描出されていた。

また、同じ方向性では、『艶容女舞衣』酒屋の段のお園を清純に演じておられたのもよかった。お園は一切家に帰ってこない夫・半七を3年も待ちわびているというおさん以上にありえないクソシチュエーションに耐えている女だが、それを単なる旧弊で悲惨な女性にせず、彼女のいっしんさを引き立てて清楚に演じておられたのがよかった。お園の特性は突き抜けたいっしんさであり、単なる受け身の悲劇のヒロインではないことが舞台上に表現されていた。そして、お園さんはシチュエーションがありえなさすぎ&本人に勢いがありすぎて共感一切不可能の文楽一狂った女だが、そういう意味でのクソヤバ女になっていなかったのも良かった。*3

女方以外だと、「勧進帳」義経の切り花のようなみずみずしさが印象的。私は、文楽において「意味なし美男」の役って結構難しいんじゃないかと思っている。文楽はお人形さんなので「顔がいい」のは当たり前で、容姿は美しくて当然、そこがスタートライン。なので、そこから、その容姿をどう見せていくか。あのときの義経はその着地点を見据えた遣い方だったと思う。兄に疎まれ、わずかな家臣とともに陸奥に下るしかない悲劇の貴公子ぶりが際立っていた。義経は長時間笠をかぶってうずくまっている状態が続き、派手な見せ場も少ないのに、よくぞ印象に残る義経像を描写されたものだと驚いた。

あと、清十郎ブログは更新頻度のムラぶりや、そこはかとなく不安にさせてくる頻繁な改行が地下アイドルっぽくて、良い。弟子が出来たときのブログはめちゃくちゃ爆笑した。(リンクは貼らないので、「豊松清十郎 ブログ」で検索してください)

 

《動画で観る清十郎》
『妹背山婦女庭訓』四段目 杉酒屋の段・道行恋苧環 烏帽子折求女(たぶん2016/国立文楽劇場
人形特有の、透明感ある美男子。勘十郎さんと勘彌さんに囲まれてキーーーーー!!!!!!とされたら、並の男なら切腹してしまいそうですが(その前に心筋梗塞で倒れそう)、まったく動じていないのが良いです。求馬・実は藤原淡海は、大義に凝り固まっていはいるがそれ以外の中身はまったくない、虚構的な美男子。その中身のなさを、通し上演の中で良い意味で表現されていたと思う。良い意味でまったく人柄が感じられず、「中身がない」と「技芸がない」は違うということを思い知らされた。通し上演だと物語そのもののカロリーが高いので、中身のない役は重要である。(映像1:03くらいから登場、黒い着物を着た若い男性)

 

 

 

 

┃ 3. 吉田勘彌(よしだ・かんや)

#娘 #姫 #高貴 #色気 #気品 #クズ男も時々やってます #最近老女方もいい #隣の奥さん #隣家の男子高校生が勉強手につかない

 
 
 
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写真左 『鎌倉三代記』時姫

 

「ありえない」色気と気品を持った人。

以前にも書いたことがあるが、女方人形遣いさんでもその女性像が現実寄りの人と、フィクション寄りの人がいる。勘彌さんは「ありえない」、フィクション寄りの女性像。生臭さの一切ない、近づきがたい色気を放ち、まさに人形浄瑠璃ならではの虚構を構築している。なんともいえないその「高嶺の花」感がたまらない。お高く止まってるのとはまた違う、生来の高貴さというか、他人をバッタ程度にしか思ってなくて自然体にこっちを下に見てきそうな、神々しいまでの雲の上の天然美女オーラが良い。キラキラ輝く宝石をふんだんにあしらった、老舗メゾンの、しかしモダンなジュエリーのような、眩く繊細な輝きが魅力だ。

印象に残っているのは『玉藻前曦袂』訴訟の段の傾城亀菊。亀菊は薄雲皇子より女御に召された遊女という設定で、突然御殿に傾城の姿で登場し、御殿勤務の人々の人生相談に答えるという、いかにも芝居らしいめちゃくちゃな役。立兵庫に豪奢な打掛の傾城姿で禿を引き連れ御殿に入ってくる姿からしてかなりスパークしているが、美貌・教養・度胸を兼ね備えた傾城ぶりで、驚異的にしっくりきていた。

一方、『一谷嫰軍記』熊谷陣屋の段の藤の局は、イキオイで人の陣屋へ押しかけてきたという文楽らしいパッショネイト炸裂の役ながら、平家の公達の妻である元来の身分や気位の高さを感じさせる怜悧な美貌と威厳が光っていた。
文楽では身分の表現というのは極めて重要だ。しかし、単に所作をおっとりする、丁寧にするというだけだと、それは身分表現とはちょっと違うと思う。『義経千本桜』すしやの段後半の維盛の言動*4などで顕著だが、時代物での身分の高い人というのは、現代の感覚、あるいは家臣等のパンピーとはものの考え方が根本的に違い、人を下に見ている。藤の局には、そのある意味では冷淡な、天然の身分高い人感があったのがとてもよかった。何が彼女をそう見せているかはわからなかったが(本当はそこをわかりたいし、この記事にも書きたかったのだが)、作ったような「身分」感ではなく、生まれ持っての気品で相模や熊谷を圧倒し、あまりにもナチュラルに上座にチョコ!と座っていたのがとてもイイ(これの娘・姫役バージョンで、『妹背山婦女庭訓』の橘姫も「お三輪とはあからさまに身分が違う」、雲の上のお嬢様感がかなりよかった)。
しかし、藤の局はそれだけではない。息子・敦盛のこととなると情緒が溢れるほどに満ち満ちて、青葉の笛に頬ずりする場面のしっとりした柔らかさは強く印象に残っている。これによって人物像が単調にならず、藤の局に流れる血の暖かさ、人間味がそこに表現されていた。

勘彌さんは、人形の体が華奢に、小柄に見える遣い方も魅力的。人形ならではの「ちょこん」とした可憐な佇まいが愛くるしい。基本的に人形のかしらや衣装は全員共用で、誰もがほぼ同じものを使っているはずなのに、人形遣いさんによって体格や佇まいがかなり違って見える。勘彌さんは女方人形遣いの中でも人形に華奢な可憐さがあって、かなり好み。抜襟の度合いなどの着付、体をちぢめてコンパクトに構える等で「ちょこん」とした佇まいを出しているのだと思うが、見た瞬間まじで可愛い😍ので、出てきて、座るだけで、もう、大満足。
『菅原伝授手習鑑』佐太村の八重は、白太夫の息子三兄弟の嫁たちの中でも一番若い、娘風の奥さん。観たのは内子座の下手桟敷前方席。舞台に対してほぼ真横から見るような状況だったが、普通はかなり見づらいところ、義父白太夫のほうに少し身を乗り出して、一生懸命にきゅっと顔を向を向ける八重の横顔があまりに愛らしくて、胸キュン。席の観づらさを忘れる可愛さだった。微妙に背骨S字湾曲風なチョコ座りが良かったですね。

最近グッとくるのが、「隣家のお色気奥さん」系の役。
『桂川連理柵』のお絹の色っぽさは超絶品。お絹は隣家の14歳の娘と過ちを犯した夫・長右衛門を本人に気づかれずフォローするため、隣のアホ丁稚を買収したり、難癖つけてくる義弟・儀兵衛を言いくるめたりと、アレコレ忙しく立ち回り、最後、夫と2人きりになるまで、寡黙にじっと耐えている。そのうちの冒頭、六角堂の段では、お絹は冒頭、お高祖頭巾姿で登場する。目元だけが見える覆面のお高祖頭巾って不気味な印象で、いままで何がいいんだかわからなかったが……、……………イイ!!!!! 人形の顔がほとんど見えないなんてもったいないと思ったけど、逆!!!!!! むしろ、ちょっとしか見えないのが良い。人形はお高祖頭巾・笠など、顔を覆うものを被っているとかしらの動きのニュアンスがわかりづらくなると思うが、それをプラスに転化させるかしらの遣い方。お高祖頭巾からすこしだけ覗いている目元から、秘めた美貌と想いがこぼれ出ているようで、超最高だった。

最後に不規則発言をするが、文楽ビキニアーマーの姫騎士が出てくる演目が上演されたら、その強気な姫の配役は絶対勘彌さんに飛んでくると思うわ。

 

《映像で観る勘彌さん》
『仮名手本忠臣蔵』九段目 山科閑居の段 妻お石(2019/国立文楽劇場
隣の奥さんシリーズ時代物ver。気品ある老女方。お石は文楽忠臣蔵でも非常に難しいとされる九段目にのみ登場し、息子・力弥の許嫁である小浪母子に対し、本心を隠して拒絶し続けるという複雑な役。雪景色に映える黒い着付、冷たく張り詰めた美貌が最高です。漆黒の衣装の女方は良いですね。衣装が落ち着いているぶん、内面から放たれる美しさが浮き上がります。(映像3:37あたりから登場、黒い着物を着た女性)

 

 

 

 

┃ 4. 桐竹紋臣(きりたけ・もんとみ)

#娘 #姫 #ロリ #おぼこ #お嬢様も意外といい #婀娜っぽい系もいい #舞踊 #正月1演目目レギュラー

 
 
 
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写真中央 『妹背山婦女庭訓』采女(残念ながら出遣いの公式写真がなかった……)

 

ロリキャラ。若手会に出てるけど、絶対若手のレベルじゃないだろ!!めっちゃ浮いとるわ!!!!!と思わせる、純粋な可憐さと洗練性を併せ持つ人。

恋する若い娘役での可憐さ、恋人へのひたむきさが大変印象的。『伊達娘恋緋鹿子』火の見櫓の段のお七は、フンワリと花びらが舞うような愛らしさだった。舞台に降りしきる雪とあいまって、やわらかで儚げな佇まいが可愛らしかった。お七は後半、髪を振り乱して火の見櫓に登り、恋する男のために半鐘を打つという激しい行動に出る。それでもガサツだったり強靭だったりする印象に転ばず、いっしんで可憐な印象であり続けるというのは、稀有な才覚かと思う。大きな動きを伴っていても所作の整理が的確に行われており、動きに雑味や濁りがないのも大変に良かった。「人形がどこを見ているのか」という目線の的確さも印象的で、その目線の演技のうちに、目の前に恋人がいてもいなくても、その恋人だけを見ているという人形らしい限りない純粋性が表現されていた。

一方、おぼこくない、洗練された美貌の娘役も見事。中でも『新版歌祭文』野崎村の段のお染役がバチッとはまっていたのが強く印象に残っている。そのときは在所娘のお光が勘彌さん、都会娘のお染が紋臣さんで、お客さん全員「「「「逆では?????」」」」と思ったのだが(巨大主語)、実際はじまってみたら、そのお染は、都会の大店のお嬢さんが在所でめちゃくちゃに浮いている!!という異次元感が非常によく出ていて、驚かされた。お里や久作、ひいては久松といった在所の人々とはもう芯から何もかもが違うことが見た瞬間ピンとくる、実に都会的で上品な美麗さ。おぼこ娘が似合うというのはご本人の外見に引っ張られた思い込みだったなと思った。
洗練された美貌といえば、『夏祭浪花鑑』の傾城琴浦も上品で、かつ色っぽくて、可愛かったなあ。いい匂いがしそうなべっぴんさんがクソ男にやきもちを焼いてプンプンしているのがエロ可愛かった。お客さんみんなそう言うてました(巨大主語)。

また、舞踊がお上手で、景事(舞踊演目)への配役が多い。舞踊は上手い人と下手な人の落差が激しく、やばい事故が起こりがちなため、所作の綺麗な紋臣さんが出ていると安心する。特に、正月一発目の演目への出現率の高さがすごい。初春公演・第一部最初の演目は例年景事が据えられているが、2020年1月初春公演まで、4年連続で配役*5。個人的には、『二人禿』の妹禿チャンの小悪魔ロリ可愛さが思い出される。通常の演目でも、道行のような舞踊要素が強い演目は優位。昨年の若手会『妹背山婦女庭訓』道行恋の苧環のお三輪役では、共演者を圧倒する迫力だった。舞台のバランスが崩れるほどの覇気、おそらく他の人を無視してやってんだと思う。次にお三輪の役がくるのはずっと先になるであろうから、それでいいと思う。

こう言ってしまうのもなんだけど、紋臣さんは毎公演良い役がつく方ではない。が、それを感じさせないほどに所作が非常に洗練されている。一瞬しか出てこないチョイ役のような苦しい配役が続くこともあるのに……。客からは窺い知れない努力によるものなのだろう。もっといい役がつけば、もっと上にいける人だと思う。
今年の若手会は中止になってしまったのでわからないが、さすがに来年は若手会から外れていることを願ってやまない。

(ちなみにご本人の写真は、文楽劇場友の会のバックステージツアー記事に載せてあります。舞台見学のアテンドと人形のレクチャーをしてくださいました)

 

《動画で観る紋臣さん》
『仮名手本忠臣蔵』二段目 桃井館力弥使者の段・本蔵松切の段 娘小浪(2019/国立文楽劇場
おぼこぶり炸裂の好配役。これも出遣いじゃなくて残念ですが、黒衣である分、人形の可憐さが引き立ちます。恋する力弥の顔をぼーーーっと見ながら、ちょこ、ちょこ……と近づいていく姿がなんとも愛らしい。小浪の純粋な恋心を、紅潮した目線が語っています。小浪は大名の姫君等ではなく、大きくはない藩の家老の娘ということで、ちょっと地味目お嬢様なのも良いです。(映像10:43あたりから登場、紫の振袖を着た娘さん)

 

 

 

ここで紹介しているのは、「私が好きな人」です。

前回記事でも書きましたが、文楽の技芸員さんは歌舞伎や落語等に比べて知名度が低く、初めて文楽を観に行くと、「親戚におった気がする……」としか思えないおじさん・お兄さんたちが舞台上にビッシリひしめいていることに衝撃を受けます。まじ誰ひとりとしてわからん。おじさんバリエの取り揃え具合がすごいことだけはめっちゃわかる。

しかし、ずっと通っていると、その人ならではの魅力を持っている技芸員さん、地味な役でもキッチリこなして舞台を盛り上げる力を持った技芸員さんがいることに気付きます。初めて観たときから「この人は!」と思うこともあれば、通っているうちに意外な魅力に気づくこともありました。

自分が「この人は!」と思ったとしても、他の人にはその人のよさが理解されていないことがあります。お客さんの注目は、有名な人・いい役をやる人へ極端に偏るのだなと感じたり。これには、文楽は業界が小さすぎて、個々の技芸員さんに関する情報はほとんど外へ露出することはなく、どういう人だかわかんないから、というのが大きいのでしょう。また、文楽にはどういう評価軸があるのかが観客間で共有されていないのもあるとも思います。どこを見たらいいかのとっかかりが全くわからないと理解のしようがなく、いちいちそこまで考えて舞台を見切れないというのも事実だと思います。自分もそれは同じです。
(人形の場合、番付で格付けがわかるため、それを評価軸にする方法がありますが、番付、「わかる人にはわかる」としか言えない書き方がされているので、なかなか見破れません。まんなからへんの文字、尋常じゃなくほっっっそいし)

一方で、「この人はすごい」という言説が大きくない人であっても、知り合いの方などと話すと、その方も同じようにその技芸員さんを評価しているということもよくあります。さっきの話とは真逆ですけど、「見ている人は見ている」と言いますか、言葉に出さないだけで、やっぱりみんな実はよく見ているんだな〜と思います。やはり人と話すことは大事だと思います。

「私が好きな人」というのは「上手い人」(あるいは「有名な人」「いい役をやる人」)とは違った評価軸ですが、「私はなぜその人を好きか」というのを語らないと、そういった会話もはじまらないので、こういった記事を書いてみたいと思ったのでした。

 

 

 

┃ バックナンバー

第1弾記事はこちら。吉田簑助さん、吉田和生さん、桐竹勘十郎さん、吉田玉男さん、吉田玉也さん、吉田玉志さんについて書いています。

 

 

 

 

 

*1:むかしの文楽のパンフレットを読んでいたときに知ったんだけど、勘壽さんて昔は若い男性役に期待されてたそうだ(勘壽さんの若手時代のパンフだったので、そういう書き方だった)。それが時を経て、太兵衛や喜左衛門のようなキャラクターに結実したのかなあ。ずっと女性の役をやってきたと勝手に思っていたので、意外だった。

*2:自分が清十郎is不幸の偏見を持っているのではないかと思い、2019年の配役を調べてみたが、なかなか不幸づくしだった。

  • 1月 クズ男が公金横領(梅川/冥途の飛脚) 不幸度★★★★★
  • 2月 隣家のおじさんと心中する14歳(お半/桂川連理柵) 不幸度★★★★★
  • 3月 金持ちのお嬢様に男をとられ、尼になる(お光/新版歌祭文) 不幸度★★★★★
  • 4月 コンビニの前のいぬのように桜の木に繋がれる(雪姫/祇園祭礼信仰記) 不幸度★★★☆☆
  • 5月 おっ、これは不幸じゃないぞ!何も考えてないクズ男!(藤原淡海・求馬/妹背山婦女庭訓) 不幸度☆☆☆☆
  • 6月 ザ・文楽な悲劇、息子見殺し(千代/菅原伝授手習鑑) 不幸度★★★★☆
  • 7〜8月 田舎者を侮って惨殺される(菊野/国言詢音頭) 不幸度★★★★★
  • 9月 クズ夫が家に帰ってこない(お園/艶容女舞衣) 不幸度★★★★★
  • 10月 好きな男と延々すれ違い。でもすれ違ってるだけで死に別れてるわけじゃないからな〜(深雪/生写朝顔話) 不幸度★★☆☆☆
  • 11月 クズ夫が家に帰ってこないReturns(おさん/心中天網島) 不幸度★★★★★
  • 12月 おっこれも比較的まともだ!都会のイケメンと恋に落ちる海女!(千鳥/平家女護島) 不幸度★☆☆☆☆

と、私の計算では2019年の清十郎不幸率は90%だった。比較として配役や芸風が近い勘彌さんの不幸率を計測してみると、33%。勘彌さんはうすらクズの美青年役も多いのであまり参考にはならないかもしれない。老女方系だと和生さんは不幸率60%だった。

*3:現代文楽的でたまに起こる事故、「登場人物のサイコパスぶりが素直に発現」。

*4:維盛の妻子を守って命を落とした小金吾に対し、「生きては忠義を尽くせなかった」というようなことを言う場面があり、結構怖い。

*5:2016年は第一部に豊竹嶋太夫引退公演があったため景事が第二部に回っており、そこにご出演。それ以前は2014年、2012年に配役あり。

くずし字学習 翻刻『女舞剣紅楓』四巻目 堀江宇治屋市蔵住居の段

翻刻浄瑠璃 『女舞剣紅楓』の翻字四巻目。
放蕩が過ぎた宇治屋の若旦那・市蔵は、隠居した父親・教貞によって蔵へ閉じ込められてしまう。市蔵を心配する手代・半七は毎日蔵の外からに話しかけていたが、市蔵は半七がいないと泣いてしまうまでに。そんな宇治屋へ、小勝・三勝姉妹がこっそり忍んでくる。……って、文楽に出てくる娘さんはもれなく恐ろしくカシマシイので、予想通りの大騒ぎになります。

 

 

いままでの翻刻

 

 

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四巻目

世の中は。一トつかなへば又二つ。三津のうらはに隠れなき堀江の浜に一ト構。表付キさへ

かうばしき其名も宇治屋市蔵は。ほたへ過たる身の奢。親教貞の耳に入こらしめ

の為押シ込て。日のめも見へぬ蔵住居。見る目笑止と半七が。廿日斗の逗留に内と

外トとの咄伽。案じに心草臥て。昼寝の夢を結び居る。儘ならぬ身も儘なるも。人

目のせきがふたと成リ。逢れぬ首尾に逢たいは。色と情の一ト病。小勝はぬしの内の品聞クつら

さより日をかさね。顔見ぬ胸の晴やらではでな所体を町風に。作るとすれど取リ形を。よ

 

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そめ包の頰かぶり風にも。心おく庭の露路の戸口にしよんぼりと。佇跡よりヲ丶イ/\。小声

に呼ンで忍び足。顔を隠せし古今綿。かざす袂のあどなさに。かはゆらしさそまさりけり。ほんに

姉さん嗜んせ。何ぼ心がせくにもせよ。しらぬ所へめつたむしやうに咎られたらどふさんすと。いへば

小勝は吹出し。市蔵様ンに逢たい。連レていてたもらんかと。頼んだわしより頼まれたそなたが。半七

様ンに逢たかろが。利口そふにやられるは。そりやおまへ知レた事。跡月から夕■迄。独ばつかりねた

物と。指合くらず兄弟が。色を取リ持ツ粋な同士。それはそふと折角きても。ぬしのござる所が知レ

ぬ。誰レぞ馴染の男衆が。内になら頼たいとしほり戸覗て。ア誰レやらねて居る人が有ル。ドレ/\

 

と指覗き。ア丶待んせや。着物に見しりが有ル。あれは慥に半七様ン。おこさふにも戸はしめて有ル

爰からは呼れまいし思案はないかとあせる内。小石ひらふて三勝は。障子目当にばら/\/\。目を

さまして大あくび。子供めからがほでてんがうあつたら夢をさまさしたと。つぶやき/\起上るを。爰じや/\

とこて招き。半七見るより興さめ顔。是は何ンじや兄弟づれ。爰へはどふして来りしと。露路の鐉

はづす間も。待チ兼て走リ入。コレ市蔵様ンに逢にきた。早ふ逢してくだんせとと。取リ付クよりも涙声。ヲ丶

道理/\。ふかい馴染の市蔵様。廿日余り逢はずじや物。顔の見たいは尤じやが。見付ケた物はなかつたか。

ひとりさへめに立ツ風。ふたりながらひつそろへて向ふ見ずなわろ達。マアそなたは何しにおじやつた。めつ

 

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ほふな嗜みやと。呵れば寄ツて胸ぐら取リ。コレかさから出てしからんすな。内かたのもめが有レは市蔵

様は見へぬ筈。それに又お前迄。なぜ長町へござんせぬ。子持チに成ツてもふいやか。わしにばつかり気を

もまし。落付キ顔が憎い故。姉様ンと連立ツて。お前をこんやは連レにきた。そふ心得て居さんせと。子のある

中は遠慮なく。ほんの女夫のごとく也。ア丶いかに女子じやとて。よう物を合点しや。生れてから今日

迄。堅い物には筆の軸。ほんにやれ/\。あらい風にも当テぬ様に。そだてられた若旦那。此蔵へ押シ込

て鍵は隠居の腰に付ケ。朝夕の食事さへ窓からの出し入。寒うても着の儘に。夜ルは薄い木綿

蒲団たつた一枚。おいとしいやら悲しいやら。ア心からとは言ながらあんまりなと思ふ故。親旦那に訴訟す

 

れど。おれ次第にして捨ておけと。呵られてしやうことなし。せめてものうさはらしと蔵の窓と縁先キ

から。夜もすがらの浮世咄し。それ故今ては半七が。片時も傍に居ぬと。力ないやら泣てばつかり。

是が外へ出られる物かと。語る内にも。小勝は涙。親は子を憐むが浮世のならひじやないかいな。

いかにこらしめなれば迚あんまりむごいなされかた。よもや夫レではお命もたまるまい。どふぞ思案をし

て下さんせ半七様ンと取付ケば。とかうの詞三勝も涙に袖をあらひけり。折から勝手に人音はなむさん

宝親旦那。見付ケられては叶はぬとうろたゆれば。ふたりも倶にうろ/\と。三勝は奥の庭。小勝は直ク

に縁の下。別れてこそは隠れ居る。程なく隠居教貞は始抹にかたまる堅親仁。常精進

 

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も算用づく。夜昼わかぬたのしみは。念珠の数と紙屑の世話に浮世を遁れしが。遁レがたきは

恩愛に気強くいへどおもやつれ。おも手代の長九郎と御堂参りの道よりも。今市の善右衛門

打列て立帰り。半七けふも奇特の留主番。したがのらめをあまやかし。馳走などはせなんだかと。

問れて半七。イヤ昼食をまいつてから。御寝なつたやら音トも致さず。淋しさにとろ/\と致しました。

したがけふは早いお下向。いかなる事やと尋れば。コリヤ半七息子の泥房にかゝつて。一チ門ン中へ世話をか

け。後生所で有ルまいと。引ずつて戻つた物。早ふなうて何ンとせう。此善右衛門は用人ン。こゝらの様な楽人

とは違ふはやい。ノウ長九郎そふでないか。おつしやればそんな物。何ンのよとくもない事に。御一ツ家衆廻り

 

番。毎日/\いかひ御苦労。サテあの蔵の封印は。何故とうらどへば。ハテ家の名前の市蔵を。押シ込

て置クからは。たとへ親でも金銀を。自由にしやう様はない。ヲ夫レでマア当分ンは。世間ンの取リ引は元トより。

豆板一つの出し入もせまい為。相談して金蔵に。付ケて貰ふた一門ンの封印ン。改メにくる隙ついへと。機

嫌の悪ルいも理り。けふは何ンぞ御馳走申そふ。コリヤ半七。ひしこと芋の焚たので善右殿に御酒一トつ。

進ぜる用意言つきやれ。サア世話ながらこなたへと。行んとせしが立どまり。ソレくはつと奢て花鰹。忘

れまいぞと先キに立。三人打列入にけり。半七跡を見送クりて。サアしてやつた此間に。早ふ/\と手を取レば。

こはさ寒さに身もふるひ。もふよがありかへと立出る。折もこそ有レ長九郎が。小戻りして見る共しらず。

 

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小勝が塵を打はらひ。最前もいふごとく鍵は隠居の腰に有レば。お側也はどふも叶はぬ。窓から

ちよつと逢斗。それでよいかといふ後に。半七夫レはわるからふと。声かけられて恟りし。小勝をちやつと押シ

かこへば。仕やんなとふから見て置イたと。いふにふたりも手持なく。もぢ/\してぞ居たりけり。是は又いつに

ない半七のうぢ付キやう。長九郎と女郎の一トつ買もする男。ぶ粋な事もせぬわいの。深いなしみ

の若旦那。逢たさに見へたであろ。迚も世話をやく気なら。かはいそふに窓からとはいはず共。合鍵して

なと戸前を明ケ。長九郎が逢してやろ。ヤアすりや貴様が飲込で。ハテ長九郎は男じや。ならぬこと

はならぬといふ。成ルといふたら金輪際。詞違へる者じやない。爰はおれに任せ置キ。教貞様が呼ンでご

 

ざる。そなたは早ふ奥行きや。ヱ丶夫レは忝い。あなた方より半七が。骨身にこたへて忘れはせぬ。コレ小勝

様教貞様の呼しやるのに。いかずにゐては首尾が悪ルい。わしは奥へ行程に。てきを頼んでゆるりつと。

逢たら直クにいぬるやう。ナ合点か。いぬる様にと飲込せ。一ト間の内へ入にけり。小勝は嬉しさ飛立ツ斗リ。忝い

長九郎様ン。かふした所を世話やいて下さんすのがほんの情。どふもお礼の詞がないと。いふ顔つく/“\打守り。

イヤ礼には及ぬ。去年ン十月十五日。ぽんと町の借座敷で。いふた事覚てか。ヱ丶其時はむごい返事

それからてうど百日余り。夜に増日に増惚てはゐれど。じつとこたへてしんぼうするは。こんな時節を

待ツたのじや。コレ/\/\長九郎様ン。そりやさもしいム丶聞へた。そふいわんすりや市蔵様ンに。逢してやらふと

 

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いはんしたも。ヲ丶嘘も嘘まつかいな赤嘘。何ンと相談する気はないか。夫レ共にいやなれば。半七が此

内へ。昼中カに女郎を連レて参りましたと。我等が注進。夫レいふたら市蔵殿は。ア丶よいざまで有ふがなア。

但見物なされるか。どふじや/\とせり立テられ。あれ程きつい御異見に又悪様にいかれなば。いか成ルうき

めに逢給はん。是は又よしない所へきた事では有ルぞいなと。心一トつにおさめ兼。暫し詞もないじやくり。ム丶返事

のないはいやさふな。さらば注進申そふと。立て行を引とゝめ。ヲ丶せはしない。どふせうやら今思案の最中と。

和らぐ詞に。コレ/\/\もふ物いふまい相場がしれた。きつう高下のない先キに。手付ケ渡そと抱付クを。突

のけてヲ丶上ミずり。どふせうも知レぬ内に。それならば注進せうか。手付ケ渡そか返がへかと。のつ引キならぬ

 

此場のしぎ。胸にやき金さすごとく。きうびへ登るかんしやくを。おさへ兼しが。コレ長九郎様ン。ハテ夫レ程に

思ふてなら。どふなとじやわいな。したが爰を聞て下さんせ。お前も知ツてゐさんす通リ。突出しの初メから。

深い御恩に預つた市蔵様。たつた一トこと是切で。思ひ切て下さんせ。おまへの為にならぬ故。わたしは

思ひ切ましたと。訳立た其跡で。直クにおまへと抱れて寝よ。夫レ迄のしんぼうを迚もの事にお情

と。誠しやかになたむれば。さすが鬼神に横道なし是ばつかりはうなづいて。夫レてはこちもさつぱりと。心が

晴て忝い。たつた今市蔵に逢せ。直クにのかすが合点か。ハテ疑の深いお方。何ンのうそをつかふぞと

口にはいへど心には。今一チ度お顔を見るならば。それが此世の暇乞。死るが高と究たる。心ぞ思ひやら

 

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れたり。折もこそあれ。悪者の勝次郎門口より。長九郎様。/\と大声にて入来れば。是はと驚く

其内に。首尾を見合せ物かげへ。小勝は隠れ入にけり。長九郎は覚有疵持ツ足の気味悪く。

逃んとするをア丶これ/\。こなさんの名はいふたれど。用事の有のは市蔵殿。贋金仕に逢にきた。逢せ

て貰をとわめく声。半七も三勝も何事やらんと立出て。身をひそめてそ聞ゐたる。わりや

仕業師の勝次郎じやないか。大それた事いふが。こちの旦那市蔵殿が。贋金をしられた。何ぞ

証拠が有か。コレお手代。ない事をいふ物か。いつぞや京の先斗町て。大納言様の冠装束。ノソレ。

ヱ丶悪ルい呑込。貴様も覚へて居られる筈。其時奥で市蔵から。直キにおれが受ケ取た。八十両

 

いふ金。上包にしつかりと。名判が有レは先キ様にも。慥な出所の小判じやと此比迄打込。此間封を切

て見たれば皆贋金。こんなこはい事して置イて。鼻はさんで済か。サア市蔵を爰へ出しや。金

をかへて貰はにやならぬ。夫レ共いやなら思案が有ルと。腰をすへたるねだり者持テあましてそ見へにける。

事がなふへの長九郎。よい事にして打うなづき。ハテ夫レは一大事。ワリヤ旦那にあはざ済ムまいと。蔵へしら

せの窓の戸を。たゝけば内より押開き。顔の色さへ青さめて日かけに咲し朝顔の露にしほれしごとくに

て。涙ながら指覗き。誰レじや。おこしたは誰レじやいやい。イヤ誰でもない勝次郎じや。ヱ丶有リさまは。身

体に似合ぬ。よふ贋金を遣やるなふ。隠れて居すと爰へ出や。顔ふみにじつて礼いふと。わめく

 

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をじろ/\打守る。其元トはさいつ頃。京都先斗町において。桜川大納言殿よりの使イ。今川大学殿

といふ。雑掌にてはあらざるかといふを打けし。ヤアそりや何の事じや。今川の大学のと。爰の内で

はやる書物の事。こちらは夢にも見た事はない。脇道へすべらすな。コリヤ大盗人めとわめきごゑ。

聞キ兼て半七がずつと寄ツてコレ若カい人。ハテよい所へよふこそ/\。ヱ其装束の事に付イて。こつちにも詮

義が有ルと。いへ共さらに驚ず。そちの詮義は扨おいて。こちのせんぎは。市蔵に頼れて。冠装

束買てやつた代金に。贋金をつかんだ故かへにきたと。いふに市蔵ふしぎはれず。其装束は。某を取

かへ子の印シとして。桜川大納言殿より下されたではなかりしか。ハテどめつそうな事いふわろ。八十両で誂

 

買てやつた証拠を見せうと一ツ通を取出し。爰でよむ聞はれや。一札の事。一ツ其方殿を頼ミ。大納

言家の冠装束。代金八十両にて我等買もとめ候所実正也。跡はよむに及ぬ。あてなは此勝

二郎。買主宇治屋市蔵判。ナント覚が有ふがの。此上に酢のこんにやくのと。埒が明ぬと是からすぐ。

此一ツ通に小判を添。代官所へ一ト走リ。返ン事次第じやサア/\と。いやおふいはせぬせつぱのなんぎ。訳を知ツたる

長九郎が空うそふくぞ恐ろしし。市蔵ハツト驚きて。扨は其時装束を。頂戴せしとの墨付キに。

我印ン判を居させしは。アノ証文で有しよな。スリヤ。大納言の種といふは偽り事か。ハア。ア丶勿体なや

教貞様を。誠の親でないと心得。言こそせね心では。町人に養はれし。此身のふ運と明ケくれに。ふ足

 

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で暮せし冥加しらず。御赦されてと斗リにて。夢のさめたる心地にて涙に。むせぶぞ道理なる。半七は

始終を聞キ。扨は大勢一トつに成リ。若旦那を衒しな。代官所へ引ずり出し。一チ々に詮義せうか。イヤ/\夫レでは市

蔵殿。ばつと沙汰する奢の段。一ト先ツ此場は納めんと胸押シなでゝ傍に寄リ。段々聞ケば御尤。贋金子

十両。只今替て進ぜたいが。見らるゝ通り市蔵様も。あのごとくに押シ込られて難義の中カ。暫く

の内用捨して下され。コレ此形が目にかゝらぬか。八十両といふ金を。手に持て居る身体なら。こんな

世話はせぬわいの。装束屋への立テ金。おれが待ツてもあつちに待ぬ。代官所でかへて貰をと立上る。今

暫しと留てととまらぬ悪ル者は。足元見ての高ゆすり。隠れて聞居る善右衛門。ずつと出て懐

 

より。金八十両投ケ出し。コレ半七。難義の体じや借てやる。埒明ケていなしてしまや。ヱイそれは忝や。然ら

ば暫し借用と。金取リ上るをコレ半七。お手前も知ル通り。大和中に隠れもない。金借の善右衛門。もしも

の事が有ツた時。こつちから望んで借金。あてがなうて言出そか。コレちよつと証文さしやらぬか。ア丶それは

よい御念。サア市蔵様。預リ手形と硯料紙を取リ出せば。コレ半七。てきが手形は望にない。借リ主はみのや

の三勝。請判は茜屋半七。それでなければ借サれぬと。思ひも寄ぬ手形の望。ハット思へど手詰の難

義。夫レはお安い事ながら。此所に三勝がとうぢ付クを長九郎がイヤこれ半七。三勝はきてそふな。マア呼

出しあたつて見や。ヲ丶それ/\。天に口。壁に耳を揃て出した八十両と。いふにぜひなく。三勝はおめず

 

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臆せず立出て。私が手形で済事なら。何枚なりと致しませうと。硯料紙を引寄スれば。善右衛門

ゑつぼに入ハア出来た。半七の主なれば切て出ねばならぬ所。扨と手形の文言ンは。八十両を銀に直し。

四貫八百目也。ソレ/\。ホウきつい手も見事じやは。時にと。右之銀子慥に預リ申候。来ル霜月

晦日に相済マして申候。万ン一チ日チ限に相済ミ申さず候はゞ。我等其元ト様の女房に成リ申べく候。と

いふに三勝ぎよつとして。コリヤまあ何ンの事じやいな。其様な証文を書事は。いやでござんす。アタめつ

そふなと筆も紙も投ケ付クれば。ム丶いやか。いやなら金といやでござんす。ドレこつちへ戻して貰はふ

と。取上るを半七がちやつとおさへて待ツた/\。いかにも。証文書せましよと。三勝が傍に寄リ。コレ其

 

手形を書イてたも。それでも済ねば女房に。ハテそれ迄には金を済す。でもマアよう思ふて見て

下さんせ。お前の為なら今爰で。火に入ル迚もいとはねど。現在夫トの見る前で。サアそなたの其。せつ

ない心根を。知ていふ半七じや。サアこれお主の為。夫トの為。頼ム/\と持添る。筆の命毛きへなばきへよ。

銀が敵のうき身ぞと。すゝめるおれが胸の内。思ひやつてたもいのと頼ム心を市蔵も。隠れし小勝

もそつと出。つらきは同じ夫マ思ひ。我故かゝる御難義と。声も得立ず忍び泣。末は思ひとかきく

もる。おぼろ月日の其下に。我名と宛名。書キ認め。半七も名判をすへ。是でよいか御らうじませ。

ドレ/\。ヲ丶よし/\。印ン判は筆の軸でも。手形の書人が三勝慥ゝ。扨我等はお暇申。長九郎。其内

 

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逢ふ。モウお帰りなさるか。ア丶善右衛門様きつい仕合。歩のよい金を慥な借物。ちつと飲に参ふかい。

ヲ丶いつなりと振舞/\。勝手におしやと証文を押シ戴て立帰る。サア金の工面がよくば。早ふかへて

貰ひたい。お手代殿どふでごんすと。せり立るに半七は口惜ながら金取上。此贋金の出所も。装束の

作者も。詮義すれば忽に。しれるとは知ツたれど。了簡して今は帰す。重て此家へふん込ムと。たゝきの

めすぞ早帰れと。金打付クれば取リ上ケて。是さへ取レば言分ンなし。詮義があらば勝ツ手になされ。お暇申スと

悪ル者は。長九郎とうな付キ合イ足早にこそ立帰る。半七件の贋金を人に見せじとおさめ置キ。コレ三勝。

モウ爰に用はない。小勝殿を連レてきて。市蔵様にちよつと逢せ。くれぬ内に早ふいにや。アイそん

 

なら姉様ン呼出して。逢せましたらいにやんしよと。身つくろひして居る所に。三勝に用が有ル。いなせ

てくれなと立出るは。思ひも寄ぬ教貞老。書物箱を小脇に抅。十徳着ながら座敷を

杖。つく/“\見廻す顔色に市蔵も気味悪ルく。窓をしめれば三勝半七。隠れ所も中庭の。

穴にも入たき風情なり。教貞どつかと座に直り。舞子の三勝とはお手前か。ハテめづらしい能

女房。此親仁は此年シ迄。終に茶屋揚屋の座敷。上つた事もおじやらぬ。元トより舞子も。

媚人も一座した事がない。一生の思ひ出。願ふてもなきついて。盃なりとしてみたい。ヤイ/\銚子

盃持ツてこいと案の外なる機嫌の体。心済ねど半七が気転きかして酒肴。取合せてぞ

 

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持出る。ドレ近カ付キに成ル為。呑でさそふ。半七酌といつにない一トつ受ケてついとほし。年寄リの盃キ。気

にいらずお一トつ参れと。三勝が前に置キ肴鉢引寄スれば。コレハ/\冥加ない思い設ぬお盃キ。下さ

れませうと取リ上る。それは過分なさらば祝ふて生ぐさ物。ハア久しぶりでひしこに対面。かげん見て

からはさまふと。手に受ケれは長九郎。ア丶申御隠居様。常精進なさるゝ身で。鰯をなぜにあがり

ますといふをも聞ず口にいれ。常精進を取リ置イて。此教貞は還俗する。証拠を見るかと十

徳を引退れば。郡内の裾も見じかき昔羽織。あたまはかますの投頭巾興はさめ。てこそ見へ

にけれ。教貞膝を立テ直し。年寄つて此姿。気違ひか共思はふが。めつたにとぼける親仁じや


ない。家の主ジ市蔵は。此かいに又と有ルまい大たわけ。押込ンで置イたれば。けふからおれが宇治屋の市蔵。

身体を取リ戻し。家の仕置キはおれがすると。心詞も達者作り朝寝嫌ひと見へにけり。長九郎

は今迄の我儘が成ルまじと。気の毒ながら手をつかへ。是は尤至極な御思案。そふなされすば成リま

すまい。しかし。其義を私共へ仰られるに。其は箱は何故御持参なされました。ヲ丶おれもけふから寺

入して。そちに学文ン習為。サアお師匠と書物箱引寄セて。行義つくるぞおかしけれ。コレハ又かはつ

たお望ミ。成ル程御師範申シませうが。何をお習なされます。ヲ丶夫レにはおれが望有ル。家の旦那をそゝ

なかし。あほうにする学文を。教てくれい長九郎と。ぐつと言出す一ト■に。恟したる二人より。長九郎が

 

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胸板に。釘打たるゝよりこたゆれど。じつとおさめてハア丶丶丶。いつにない御酒をあがり。御酔狂を遊ばすか

と。いひも果ぬに教貞は。立上つてたぶさをつかみ。ぐつと引よせじだんだふみ。ヱ丶扨々につくい儕レはなア。

何ンじや。おれを酒の酔にしおるのか。是迄は隠居役。今市蔵に成ルからは。隅々迄構はにやならぬ。

かういへば躮めが。ひいきする様なれど。まんざらあれ程のあほうでもなかつた。儕レが見せの頭をして。物

事自由にする段から。色々のたわけを教へ。マア有ふ事か有ルまい事か。氏系図もなき町人が。お

公家様の落し子じやと。冥加なや勿体なや。百万ン宝の宝ラをも子にはかへぬ世のならひ。金は躮

が砂とする。躮はうぬがあほうにする。アレ見よふ便ンや市蔵めが。心からとは言ながら。日のめを拝ぬ

 

夜国の住居。天の網のかゝらぬ内。捕てしめたは親の慈悲。じひと思へど寝覚にも。屋の内

でひへはせぬか。若気の短気が出よふかと。思へば願ふた後生も涙であへて仕廻たはやい。憎い

やつと突放し。いかりつ泣つ腹立涙せぐり。上たるむせび泣御心共お道理共。詞はなくて半七が。背

撫さするも涙なり。元来根づよふ仕込ミし悪ル者みぢんもひるまず。そりや御隠居様御むた

いじや。善にもせよ悪にもせよ。主の御意はそむかれませぬ。こなたの子のあほうはしからず。おれ一人リを

悪ル者になさるゝは。わるい/\ずんど悪ルい。ム丶すりや。善悪に限らず。主の言付ケ背ぬな。サアそこが

君ン臣和するの道理。気に入ルが道じや物。何ンの詞を背ませう。ム丶面白い/\。主の詞を背かすば。

 

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太義ながら半七。此杖で長九郎が。どう腰のぬける程。ぶつて/\ぶちのめせ。長九郎たゝかれい。

市蔵といふ主人の言付ケ。サアいやおふは有ルまいといふに恟りイヤ夫レは。主の詞を背くのか。ソレ半七と

杖投ケやり。早ふ/\とせり立れば。願ふてもないお主の御用と。杖追ツ取て振リ上れば。わりや見事お

れをぶつか。イ丶ヤおれはぶたね共。旦那の言付ケ。せう事ないといふ内に投ケてくれんと取付クを引ぱづし

てもんどりうたせ。起上る胴骨を。おれよさけよと遠慮なくたゝみかけて打のめせば。三勝は小気

味よくもちつとたゝいて/\と。そばであせるも道理なれ。長九郎顔をしかめてアイタ/\。旦那さま。

おつしやつた通たゝかれました。ヲ丶てかした/\。ついでに暇をやる程に。すぐに出てうせおらふ。ヱ丶。但シいや

 

なら召シ遣ひ。又半七に言つきよか。ア丶いやゝの/\。命在ツての奉公じや。コリヤ半七。覚ておれと

にらみ付ケ。へらず口して出て行。かゝる所へ町の役人あはたゝ敷クかけ来り。代官所より市蔵様を。明

日早々連レてこいと町中へのお使。おしらせ申スと言捨てとつかはとして立帰る。教貞ハツト胸ふさ

がり。扨は天命まぬかれず。奢の沙汰が聞へしかと。がつくりと成ル有様に。二人リも[革可]*1て顔見合倶に。

胸をぞいためける。思案を極め半七が小声に成ツて申御隠居様。若旦那を代官所へ出しまし

ては覚束ない。今宵の内いづかたへもお供致しませう。イ丶ヤさふは成リにくい。三勝の志。物かげで聞たが。

戻したい物も有レど。市蔵めを正さぬ内。長九郎めに金銀を。自由にさせまい為ばつかり。

 

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一チ門中と相談して。金蔵ラに封を付ケさせ。いかに自分ンの金じや迚。気儘に封も切ラれず。三勝へ

の礼も得いはず。是程迄義理ばつて。一生偽りいはぬ教貞。親が子をぬけさせて知ラぬとはいはれぬ。

どふであいつは。此宇治屋の家に疵をかな付ケおらふ。ハテ何ンとせう。憂目を見るは躮も覚悟。あす

うせたら十ヲが九つまんそくでは戻るまい。聞ケばあいつが相かたに。小勝とやらいふ女郎が有ルげな。此箱を

筐にながめよと。渡してたもれ頼んだぞ。ア丶五六年生キ過キた。くるしうおじやると言捨てなく/\奥へ入に

けり。小勝は夢かと転び出。現在憂目に逢イ給ふをしつて居ながら恐ろしい。代官所へやります

とは。ほんに気づよい親御様。それにマア何ンじややら。死ンだお方か何ンぞのやうに。筐とはいまいましいと。

 

書物箱を投ケ付クれば。ふたもはなれてばら/\と。砕ける中に鍵一トつ。半七目早くヤア是は蔵の

鍵。ヱ丶有がたしといたゞけば。二人リも案に相違して伏拝/\。戸前の錠を引明ケて。早ふお出と市蔵が。

手を引出んとする所へ。長九郎取てかへし。市蔵が奢の様子。早代官所へ聞へし故。明日お呼ばさるゝをちく

でんせうとはのぶといやつら。そふはさせぬと取リ付クを。半七得たりと身をかはし。腕捻上ケてゑりがみつ

かみ。蔵の戸前へねぢ付ケてよは腰どうと踏とばし。又取リ付クをひつ掴蔵へ投ケ込ムさそくの早

わざ。外トよりひつしやり戸前に錠。サア/\此間に/\と四人打連レ逸散に跡をも。しらずして

 
(五巻目に続く)

*1:革+可で「あきれ」