TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 大阪夏休み特別公演『生写朝顔話』国立文楽劇場

勘十郎さんの人間国宝認定、おめでとうございます。

人形遣いは簑助さん、和生さんがいるので、次に誰かが認定されるのはだいぶ先だろうと思っていましたが、早々の認定。おめでたいことです。

勘十郎さんの活動では、外部公演への意欲的な参加が一番尊敬する。チャレンジングすぎる企画でも前向きに取り組み、執念深くキッチリ仕上げてくる根性がすごい。本公演でもみられる、「なんでわざわざそっちへいく!?!?!?!?」というフロンティアスピリット。本当に頑張り屋な方なんだと思う。頑張り屋っていうか、もはや狂気だな。自分が納得いかないことはやりたくないし、納得するようにしないと気が済まないタイプなのだろう。68歳にしてあの闘争心はすごい。でも社会性はある(大事!)。自分の老後もそうでありたい。

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第二部・名作劇場『生写朝顔話』は、明石浦船別れ・薬売り・浜松小屋・笑い薬・宿屋・大井川を上演。
通常よく付く宇治川蛍狩りをカットして、徳右衛門が笑い薬をゲットする「薬売りの段」を出しているのが今回の特色。

今回興味を持っていたのは、勘十郎さんが深雪をどう演じるかという点。
深雪はただの恋愛体質元気娘ではなく、零落の表情がある。そこがどうなるのか。直近公演のしっとり系の役に首をかしげることが多かったので、深雪は一体どうするつもりなんだろうと思っていた。しかしそれは杞憂に終わり、一番気になっていた「宿屋」では朝顔をしっとりと演じられていて、とてもよかった。でも、元気娘であることも忘れてはいない。深雪は実家逃走以降は零落した姿で表現されるのが基本かと思うが、儚さというより健康的な雰囲気が面白かった。

 

 

 

石浦船別れの段。

阿曾次郎は和生さん。和生さんここなの!?と驚いたが、かなり大人っぽく美しい佇まいの阿曾次郎だった。阿曾次郎は武士の中でも武芸者ではなく学者的なキャラクターだが、その説得力があった。和生は頭よさそうやから!
勘十郎さんは前述の通り、健康美輝く深雪。マジ吸い付いててよかった。そして、朝ごはんに丼飯3杯(約1,000kcal)食ってそうな元気ぶりだった。私も朝から丼飯3杯食って、イケメンを見たらめざとく追いかけ回せるようにしなくてはと思った。

しかし、和生さん阿曾次郎と勘十郎さん深雪では、カップルというより、兄妹に見えるな……。和生さんの大人っぽさ、勘十郎さんの幼さがそう見せているのか。お互いベストを尽くされていると思うが……。玉男さんはどちらに対しても相手役やってるけど、玉男さんだと、最低限恋仲には見えるのはなんでだろう。玉男さんにはどこかしらプレイボーイ感があるからなのか? 難しいと思った。

 

そして呂勢さん清治さんはなぜここ……。いや、そりゃおざなりにできない段だとは思いますけど……。

 

 

 

薬売りの段。

あらすじを簡単にまとめておく。

遠州・浜松の街道筋。不動尊の縁日の参拝客を当て込み、立花桂庵〈吉田簑一郎〉が落ちぶれた姿で薬を商っている。

桂庵はもともと、大内家の諸芸指導をつとめる秋月家(深雪の実家)へ出入りする医者だった。桂庵は深雪パパ・弓之助からの婿候補・宮城阿曾次郎の身辺調査依頼と、深雪に横恋慕する祐仙の依頼とを受け、祐仙をニセ阿曾次郎に仕立てようとしていたが、連れていった祐仙の言動があまりにもヤバすぎて一発でバレてしまい、追い出された果てにいまは浪人の身の上となっていた。

そこへ、嶋田で宿屋を営む戎屋徳右衛門〈桐竹勘壽〉が通りかかる。桂庵から煙草の火を借りた徳右衛門が一服していると、近所の百姓ズが向こうからやってきた。カモ到来とばかりに桂庵は、どんなことが起こっても腹が立たずに面白くなる「笑い薬」の口上をおもしろおかしく並べ立て、百姓たちがそれにたかる。そして徳右衛門もまた火を借りた例にと「笑い薬」を求め、帰っていく。

桂庵がヤレヤレとしていると、女衒・輪抜吉兵衛〈吉田簑紫郎〉が通りかかる。吉兵衛は摩耶が岳の婆に渡した小娘が逃げたので探していると桂庵に愚痴る(今回上演なしの「摩耶が岳の段」の内容)。桂庵は小娘を見つけたら知らせると請け合い、自分はお色気後家にモテた零落の果てにこのようになったと身の上を語る。そのご面相で意味不明なホラ吹くなと取り合わず去っていく吉兵衛に、桂庵は小娘を見つけての一儲けを企むのだった。

「笑い薬の段」で徳右衛門が笑い薬を持っている理由が明かされる段。丸本にはない内容で、明治期に増補され、大正時代に定着したと言われている。*1。それでも、笑い薬そのものは唐突に出てくるのね。桂庵はヤブ医者っぽいが、薬の効能が本物だったのはすごい。

 

全員がゴソゴソしていて情報量が多い段。
徳右衛門はまた勘壽さんだった。持ち役? 昔気質なジジイのきりっとした生真面目な風情があり、かつ、道端の岩に座る仕草で、ちょっと大義そうに腰をかけるのが良かった。本当にジジイな人形遣いさんは、「よっ…こいしょ」な座り方がうまい。ご本人も「よっ…こいしょ」してるから、人形の気持ちがわかるのかな。

 

 


浜松小屋の段。

全体的に登場人物の懸命さがそれぞれよく感じられて、好ましい雰囲気。
勘彌さんの浅香が色っぽく魅力的。ふっくらと柔らかに香気が漂う人妻ぶり(人妻だよね?)。やはりどこかちょっとケンがあるのが左幸子みたいで良い。『ひらかな盛衰記』お筆、『本朝廿四孝』濡衣など、この手の気丈な若めの老女方が非常に似合う人だと思う。艶麗さが物語に彩りと湿度を与える。

ただ、「浜松小屋」は、2017年9月東京公演で観た和生さん浅香・簑助さん深雪の舞台が忘れられないので、私には今の舞台のちゃんとした評価はもうできないと思った。あれとは違う文脈で強力に打ち出せるものが出来たときに、自分の中での浜松小屋の見方がまた変わるんだろうなと思う。

あとはかまぼこハウスのボロぶりがすごかった。

 

 


笑い薬の段。

今回の祐仙は簑二郎さん。「家に帰ってきたら玄関ドアの前になぜか巨大ウシガエルがッッ!!!! 何をどうやっても全くどいてくれないッッッ!!!!!」って感じののんびりしたキモユーモラスさがあった。人形らしく、天然ボケ感のある、柔らかい雰囲気が魅力。勘十郎さんとはまた違ったチャーミングさで面白かった。
茶箱セットを取り出さないのが勘十郎さんとの大きな違いかな。茶箱の風呂敷包みは持っているが、風呂敷を取ってケースそのものを見せ、道具を取り出すくだりはなく、風呂敷包みを手すりの下へ下ろしてすぐに茶碗、茶筅などが舞台に並べられる。茶を立てるくだりもそれほどしつこくない。
お茶を点てる演技自体は結構わざとらしく、おもしろおかしくやっている。簑二郎さんの場合は、わざとらしくやっても押し付けがましさや重い印象がないので、いやらしくならない。デカいウシガエルが玄関ドアの前からどうしてもどいてくれない、でもウシガエルだから仕方ない的なウザさなのが良い。

岩代多喜太〈吉田玉輝〉は茶の湯にノーリアクション。融通がきかないくせに、どうでもいいことでノロノロされてもセカセカしてないい。さすが武士。やっぱり岩代多喜太(全身の毛がつながってそう)は玉輝だなっ!と思った。

 

人形は頑張っていたとは思うが、床がうまくいっていなくて、かわいそうだった。体力的にもってないんだと思うけど、どんどん声量が下がっていってしまい、祐仙が一番大笑いするところで大笑いができていない状態。前半、祐仙が出てきて人形の仕草で笑わせるところはお客さんも笑ってるんだけど、肝心の祐仙が笑い薬の効能で大笑いしてしまうところでは客席シーンとしてしまっていた。チャリ場を得意とする大ベテランがやってこの状態というのは、色々と考えるべきことがあると思った。

この段は、出演者の「どう見せたいのか」という考えが明瞭で、かつ、それがはっきり表現できていないと、面白くないのだなと思った。ここは「チャリ場」だから笑える、という本末転倒になっているように感じた。

 

 

 

宿屋の段。

今年の若手会の感想にも書いたが、この段、かなり人を選ぶなと思った。そこはかとない地方公演感が……。

前述の通り、勘十郎さん深雪は良かった。だいぶ少食になっている感があるが、それでも健康的な雰囲気があるのがおもしろい。丼飯1杯でおなかいっぱいになっちゃって調子が悪い、バスケ部元気女子的な……。
人形の手を琴手に差し替えるときは、下女に耳打ちしてもらうふりをしてやや後ろを向き、その影で手を差し替えているのだと思う。俯いて倒れこむかのように異様に下女へ寄りかかっていた。
琴の演奏自体は普通。阿古屋のように、本人の一世一代すべてを賭けた大げさなものではなく、座敷に呼ばれてやるレギュラー仕事として弾いてる感じ。でも、この「普通」が若造には出来ないということがよくわかる「演奏」だった。

 

床はもうひと押し、うら寂しさや柔らかみが出て欲しかった。岩代多喜太や徳右衛門はとても良いんだけど、深雪の描写が率直すぎる。恋人会いたさに浜松まで走ってきた感じがしない……。プログラム掲載のインタビューではいろいろ話されていたけど、ウーン……、正直言って、できてないのでは……。千歳さんが手を抜いているとは思わないが、それなりの芸歴なのだから、表現の幅を広げる努力が必要なのではないかと感じた。ここ数ヶ月、仕上がりに疑問を感じることが多い。

朝顔の琴歌の部分は、可愛い琴で良かった。良くも悪くも、お嬢様の手習い感があった。

 

「宿屋」は現行に至るまでに色々な増補・削除があり、冒頭にある、戎屋の使用人たちがワイワイ騒ぐくだり(松兵衛山)は、明治以降の増補だそう*2文楽座から発祥したもので、それ以外の座では明治末期ごろまでやっていなかったようだ。
人形の手代松兵衛がどれだけセクハラするかが人によって違うのが、私としての見所。時々すごい人がいるが、今回はかなりマイルドだった。玉彦っ! もっとやれっ! と思った。

 

 

 

大井川の段。

出た、文楽名物・小石のぬいぐるみ。見ると嬉しくなってしまう。
でもこの段、一度でいいから、めちゃくちゃ上手い人が床を勤める公演が観てみたいね。宿屋をやった人が継続してそのまま語るような。本公演では無理だろうから、単発公演に期待したい。

 

 

 

  • 人形役割
    宮城阿曾次郎 後に駒沢次郎左衛門=吉田和生、娘深雪 後に朝顔=桐竹勘十郎、明石の船頭=吉田簑悠、立花桂庵=吉田簑一郎、戎屋徳右衛門=桐竹勘壽、輪抜吉兵衛=吉田簑紫郎、乳母朝香=吉田勘彌、下女お鍋=吉田簑太郎、下女小よし=吉田和馬(前半)吉田簑之(後半)、手代松兵衛=吉田玉彦、萩の佑仙=吉田簑二郎、岩代多喜太=吉田玉輝、奴関助=吉田玉勢

 

 

 

ひさびさの本公演4時間上演。見応えがどっしりしていた。そして、お人形さんたちの前のめりすぎる勢いに押されて、疲れた。そうだったそうだった。あいつら、感情が激重で、受け止めようとするとめちゃくちゃ疲れるんだよなあ……。と、かつての2部制のときの感覚を思い出した。5月東京の『生写朝顔話』は公演中止で観られなかったけど、今回大阪で「浜松小屋」がついた状態で観られたから、良かった。

でも、なんとも、「まあ、仕方ないか……」みたいな気分になる部分も多かった。
古典芸能だから未熟な人が出ていても仕方ない。高齢の人は体力が追いついてなくても仕方ない。配役の当たり外れは仕方ない。文楽は少ない人数で切り回さなくちゃいけないから仕方ない。そうは思うんだけど、本当に「仕方ない」のかなあと思う。1つずつは許容できるけど、それが束になってると、どんどん「微妙」感が重苦しくなってくる。

特に、「笑い薬」はいろいろと課題がある。
本文中に書いた床の問題は致命的。はっきり言って許容できない。
そして、人形の祐仙役は、今後誰がやるようになっていくのだろう。正直言って、誰もいない気がする。人形の祐仙、いまの愛嬌ある雰囲気もいいんだけど、「わざとらしくやらないやり方」でやる人はおらんのかなと思った。
「笑い薬」はこのままいくと、上演できない段になっていくか、もしくは「この段は面白い、ということになっている」という"設定”の段になっていくような気がした。


今回から販売プログラムが改訂され、東京公演プログラムのような「出演の人形のかしら一覧」が掲載されるようになった。それに加え、『生写朝顔話』の舞台写真入り全段解説、『夏祭浪花鑑』の人形解説および丸胴図鑑が掲載されていた。読み応えがあり、とても参考になるコンテンツ改訂で、嬉しい。作っている人は大変だと思うけど、今後もこの路線で行って欲しい。特に、人形写真一覧、全段解説はかなり需要があるコンテンツだと思う。

 


↓ 2017年9月東京公演で『生写朝顔話』が上演されたときの感想。

 

↓ 当時開催された、玉男様トークショーのレポ。宮城阿曾次郎役についての談話があります。


┃ 参考文献

 

 

*1:番付への初出は大正9年5月竹豊座。ただし人形役割から推測すると、明治28年9月御霊文楽座の興行にはすでに出ていたとみられる。

*2:番付への初出は明治15年9月松島文楽座。

文楽 大阪夏休み特別公演『うつぼ猿』『舌切雀』国立文楽劇場

お子さま&大きなお友だちで犇めく親子劇場。
大きなお友だち」は本気の方が多く、お連れのお子さまにプログラムの技芸員一覧を見せながら、「この人とこの人は親子」等の英才教育を施していました。

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うつぼ猿。

前解説に亘さんが登場。実際に舞台で使う小道具を手に、そもそも「うつぼ(靭)」とは何か?という解説をしてくれたので、話の意味がわかりやすかった。靭とは矢入れ容器のことです。亘さんの説明によると、靭に毛皮で装飾を施すのは身分が高い人の楽しみだったそうだが、そんなに毛皮貼りたいか? そもそも毛皮を貼った靭の実物を見たことがなんでねぇ……。と思って文明の利器・インターネットで調べてみたところ、確かにフコフコしていたほうが楽しそうでした。

 

あらすじ

ある日、大名〈吉田文哉〉と太郎冠者〈桐竹紋吉〉が野山をお散歩していると、猿曳〈吉田文司〉とビッグなお猿〈桐竹勘介〉がむこうから歩いてくるのが見えました。お猿のビッグぶりを見た大名は、太郎冠者に「猿の皮を靭に貼るからもろてこい」と無茶振りをします。太郎冠者は無理やろと思いましたが、「エライ人が貸せゆうとる」と言張れと命じられ、しぶしぶ猿曳のもとへ行きました。

大名と太郎冠者の話を聞いていた猿曳は、猿の皮を貸しては猿が死んでしまうと言って断ります(当たり前)。大名は5〜7年借りたら返すと言い、太郎冠者は交渉を粘りますが、猿曳は承知しません。怒った大名は猿曳と猿を射殺そうとします。やむなく猿曳は自分でお猿を打ち殺そうとしますが、お猿は人間たちがそんな恐ろしい話をしているとは知らず、猿曳から杖を受け取って船を漕ぐ芸をしはじめました。健気な猿とそれを憐れむ猿曳を見た大名は思い直し、猿を殺すのはやめることにします。

喜んだ猿曳とお猿は、祝福の舞をおさめるのでした。

 


人形の所作は狂言に寄せていてよかった。最近この話永遠にしてるな……。
太郎冠者〈桐竹紋吉〉はかなり“太郎冠者”らしかった。狂言でかなり上の人が太郎冠者をやっているときに近いというか、舞台に出てきたときからヤバイオーラが漂っておられるというか、「この人大丈夫かな……? アルコール切れてはる……?」みたいな意味で……。でも、真面目そうな太郎冠者で、良かった。
後半、下手でずっと「じーっ……」としている紋吉さんを見たお子さまが、「あの人生きとる?」と言っていたのが良かった。生きとる。

大名が上手から下手のお猿に向かって弓を引く(矢を射ろうとする)のは、文楽人形の振り付けとして厳しい。復曲の経緯を調べていたとき(本作は一応、近松門左衛門『松風村雨束帯鑑』の復曲という位置付けなので)、たまたま、昭和30年代の復曲時に振付を担当した舞踊家・藤間紋寿郎の談話を見つけた*1。それによると、藤間紋寿郎は人形遣いの桐竹紋十郎の息子で、人形が下手向きになれないことは父親の仕事の様子を見てよくわかっていた。そのため、人形の体を斜め振りにして左遣いが人形の前に出ないように工夫したということだった。が、うーん、今回の上演は斜めさが足りないのか……。いずれにせよ、そもそも上手から弓を引くなって話で、無理があるなと思った。

猿の人形は三人遣い。動物としてのユーモラスさの表現が難しい。これこそホントは文司さんがやらないかんのとちゃう? 『端模様夢路門松』の大猿は「ゆらっ」「のさっ」「もぞ…」とした動物らしいひょうきんな動きがかなり良かったが、あれは相当うまい人がやってたのかなと思った。ディズニーやピクサーのアニメの動物の動きを見て欲しい。
ちなみに、お猿が足で扇子を持つ演技をするのは、文楽人形であることにこだわって藤間紋寿郎が作った振り付けだそう。確かに人間の役者にはできない面白みがある。

猿曳・文司さんの『網走番外地』みはたまらん。田中邦衛由利徹嵐寛寿郎のフレーバーを一気に摂取できる。でも猿やってくれ。 

 

今年入門した太夫お二人はこの演目で初舞台。私が観た回は、錣さんのお弟子さん・聖太夫さんだったが、なんというか、すごい貫禄がある子だな……。見た目だけなら7年目くらい……。実際、もともと地元で義太夫やってたようですが。今回は「ひとまず客前に出てみた」くらいの登場ではあるけど、入門者お二人とも、末長く健やかに勤められますよう、応援しています。

 

しかしなぜこんな渋い演目を子ども向け公演でやろうと思ったのか……。松葉目ものの中でも渋いほうじゃない? アニマルが出てくる→子どもは動物が好き→喜ぶ!的な発想なのかな……。近隣のお子さま、途中で飽きて騒ぎはじめ、絵本読まされてました……。(公演中に騒いでしまって絵本を与えられるお子さま、結構見るよね)

 

  • 義太夫
    猿曳 竹本藤太夫、大名 豊竹芳穂太夫、太郎冠者 竹本津國太夫、ツレ 竹本聖太夫(前半)豊竹薫太夫(後半)、竹本文字栄太夫/鶴澤清友、竹澤團吾、鶴澤友之助、鶴澤燕二郎(前半)鶴澤清方(後半)
  • 人形役割
    大名=吉田文哉、太郎冠者=桐竹紋吉、猿曳=吉田文司、猿=桐竹勘介(前半)吉田玉路(後半)

 


解説。

前半しか観てないからなんとも言えないが、これ、鑑賞教室の人形解説と同じだよね。説明の仕方を工夫しているでもなく、さすがに手抜き感漂う。子どもをダシに自分が文楽を観たい大きなお友だちが多い公演だとは思うけど、お子さんには高度すぎるのでは。

  • 吉田簑太郎(前半)桐竹勘次郎(後半)

 

 

 

舌切雀。

人形黒衣。
すべてが怖すぎ。時事ネタを取り入れましたとか、つづらからたくさんおばけが出てきますとか、そういう問題じゃないクソヤバ案件が大量に盛り込まれていた。

あらすじ

むかしむかし、あるところに、おじいさん・善兵衛〈吉田勘市〉とおばあさん・お竹〈吉田玉助〉という夫婦が暮らしていました。お竹はヤバい鬼婆で、洗濯糊を食い荒らすスズメにブチ切れており、それを日頃放置するじいさんにもイラついていました。お竹がわざとらしく糊壺を置いておくと、さっそく子スズメがやってきて糊をつつき始めます。お竹は腹いせに子スズメを捕まえて舌をチョッキンしてしまいました。

そこへ善兵衛が帰ってきました。善兵衛はハサミの血の跡を見て何事かと尋ね(表現が怖い)、事情を聞くと、スズメを哀れんで隣山のスズメ屋敷へ詫びに行くと言います。たかがスズメと引き止めようとするお竹を突き飛ばし、善兵衛は隣山へと駆けていくのでした。
隣山のスズメへたどり着いた善兵衛が藪へ声をかけると、親スズメ〈桐竹紋秀〉が姿を見せます。善兵衛は親スズメにお竹の凶行を詫びますが、親スズメは善兵衛の日頃の信心により子スズメ〈桐竹勘次郎〉は助かったと言い、お礼の品を渡します。善兵衛が袋を開けてみると、その中には金銀小判の財宝が入っていました。

それを陰から見ていたお竹は、自分も宝が欲しいと親スズメにねだります。作り笑顔の親スズメは、妼へ善兵衛を屋敷へ案内するよう言いつけ、お竹にはビッグなつづらをプレゼントします。大喜びしたお竹は早速つづらをオープンしますが、中から出てきたのは(文楽劇場独特の味わいのある)バケモノたち。お竹は驚いてブッ倒れてしまいます。

お竹は善兵衛に介抱されて息を吹き返し、今後は仏門に入っていままでを反省すると言います。善兵衛はその心を褒めてスズメに謝るように勧めます。改心を聞いた親スズメは、「竹に雀」の縁で末の世まで二人を守ると告げ、たくさんの仲間たちを呼び出して大騒ぎするのでした。おしまい。

爺さん役のカンイチうますぎて激浮き、婆さんの着物がヒョウ柄、親スズメが八頭身など、現実と妄想の境界が曖昧になった悪夢の世界。

とにかく、前近代の擬人化セオリーに則ったスズメ人形さんたちが怖すぎ。そもそも、昔話の〈舌切雀〉の話自体、人間がやったらマフィアの見せしめかってくらい恐怖な話だが、八頭身のスズメはつづらの化け物なんぞ話にならんレベルのホラー。いまでは動物の擬人化ってマスコット風に可愛く描かれるけど(たとえばミッキーとかミッフィーちゃんとか)、江戸時代以前の御伽草子等では、獣や鳥の顔に人間の体がドッキングした姿で描かれることが多い。文楽の『舌切雀』に登場するスズメさんたちもその手法に則っており、顔はリアルなスズメ、体は八頭身の人間、手足も鳥類の羽と爪の生えた足。頼むせめて『銀牙』方式にしてくれッッ!!!(リアルアニマルが人語を喋る系)と叫びたくなる。

親スズメは気品がありすぎてすごかった。天智天皇平清盛かっていう気品だった。長者風の衣装を着ていたので、スズメ界ではそれくらいの位があるのかもしれない。でも八頭身が気になりすぎて気が狂う。この親スズメは紋秀さんなんですけど、黒衣なのでヘアスタイルチェックできなくて残念です。でも今月は第三部の清十郎さんのヘアスタイルがいつもと微妙に違っているのにかなり気を取られたので、紋秀さんのヘアスタイルチェックは9月のお楽しみということにしようと思いました。

 

お竹がもらったつづらの中には、3匹のバケモノが入っている。

その1、人頭の大蛇。近くの席のお子さんが激泣き。「かえりたい〜!!!!」と絶叫されていた。かわいそう。せっかく文楽劇場へ遊びに来てくれたのに、トラウマ植え付ける必要ないやろ。子どもが喜ぶ方向でびっくりさせりゃいいのにと思った(これ普通に真面目な批判です)。おめめがLEDとしか思えない光り方をしていたが、本当にLEDだそうだ。充電式というのが笑った。

その2、人頭のワシ。ワシのボディに『良弁杉由来』の志賀の里に出てくるワシを使ってるだろと思った。経費節減だろうか。小道具さんの苦労が偲ばれる。節約感が一番怖い。ていうか、「人頭」が1つめのバケモノとフリテンこいてるのと、鳥類であることがスズメとかぶってるのが気になる。

その3、ホネホネロック(死語)だけは、チープで愛くるしい見た目。踊りながら体がバラバラに分解するのが可愛かった。お竹はホネホネロックと野球対決をするが、その際、「OH!TAKE」と文字の入った赤い袖なし羽織を着る。もちろん「OHTANI(大谷翔平選手)」のパロディなんだけど、「ONITAKE」って書いてあるのかと思ってたよ!

 

スズメズはクライマックスで総踊りをしてくれるのだが、みんなスズメ・ボディに不慣れなせいか、正直言って何やってるのかよくわからなくて、笑った。最後に宙乗りさせられるために緊張されているのか、踊りにまったく気がいっていないような異様に下手な人とかがいて、もう、カオスだった。これも子ども向け公演らしくて、良い。

 

  • 人形役割
    爺善兵衛=吉田勘市、婆お竹=吉田玉助、親雀=桐竹紋秀、子雀=桐竹勘次郎、雀の家来=桐竹勘介、吉田玉路、腰元=吉田和馬、吉田簑之

 


世の中、初見感想ほど旨いものはないと言われているが、夏休み公演の親子劇場は最高の初見感想潮干狩りスポット。身も蓋もない感想とリアクションを観測できる。とはいえ2年目、3年目のお子さまもいて、そういうお子さまは、引率の親御さんよりも詳しく過去の公演を覚えておられるようだった。数年前の公演の細かい演出の話をされていた。親子劇場って、文楽の普及に効果があるんだなと思った。

 

今回は『舌切雀』の縁で文具メーカー・フエキ糊とコラボし、ご来場のお子さまにオリジナル文楽フエキ糊をプレゼントしていた。
…………………………。
センスが独特すぎないか……? 『舌切雀の』雀サンは、洗濯糊を食った罰で舌を切られたのですが……。それなら『先代萩』やったとして、菓子屋とコラボできるということか……?
なお、文楽劇場の基準では、「お子さま」とは18歳以下の方だそうです。私、精神年齢が小学4年生くらいなのですが、なんとか18歳ということにならないでしょうか。

 

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*1:国立劇場上演資料集<603> 靱猿・信州川中島合戦 ・桜鍔恨鮫鞘・関取千両幟・義経千本桜』日本芸術文化振興会/2016 掲載。でも、この談話で一番印象深かったのは、父・桐竹紋十郎は息子が3人いたにも関わらず、彼らには後を継ぐことを求めず、うまい人がいたら名前をもらって欲しいと言っていたという件。桐竹紋十郎は、人形は義太夫だけでなく、ありとあらゆる音楽で演技をすることができると考えて様々なジャンルに挑戦していたけど、文楽人形は3人で持っているため、自分だけがいくら頑張ってもほかの2人がついてきてくれないとどうしようもないと思っていた。だから、息子たちには1人でできることをやるように言っていたという話。でも、いまって、誰が桐竹紋十郎を継ぐことができるんだろう?

文楽 大阪夏休み特別公演『夏祭浪花鑑』国立文楽劇場

今年の夏休み公演第三部・サマーレイトショーは『夏祭浪花鑑』。
団七が玉男さん、義平次が玉志サンという私にとってベスト配役だったので、4連休を使って行ってきた。

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住吉鳥居前の段。

玉男さんの悠々とした団七がとても印象的。
ドーーーーーーーーーーーーーーーーンとしとる。他の登場人物とは異なるゆったりとした歩み、隆々とした筋肉が邪魔で動きにくいのかと思うほどの異様に丁寧な所作、もじゃもじゃしたまゆげを時々おもむろに「ぴこ……」とさせるさま……。
まじ、「埒外」の人……。
私が玉男さんに魅力を感じるのは、人形に何を考えているかわからない不気味さがあるところ。ものすごくいい意味で一般社会常識がなく、常人とはまったく違った思考回路で行動しているように見える。
この言い草で「ものすごくいい意味」って何だよって思われるかもしれませんけど、「常人には全く理解できない人物」というサイコサスペンス的な面白さ、こいつとは絶対分かり合えねえという迫力を感じる。

まずやばいのが、「住吉鳥居前の段」で、一寸徳兵衛〈吉田玉佳〉と出会って高札で打ち合い、お梶〈吉田一輔〉が止めに入るところ。
徳兵衛はお梶の叱咤にすぐ反応して高札を地面に置き、そちらへ向き直るが、団七はそれとは関係なく、高札に視線を向け、その棒の下の端まで手のひらでゆっくりと滑らせてから、地面に置く。なぜこいつは突然現れた自分の女房の介入(しかも久しぶりの対面)を無視したマイペース動作をしてるんだ……???
以降も団七は目線をずっと地面と水平にしていて、滅多なことでは他人を注視しない。微妙に目の焦点が合ってなさそうな、人形の顔貌のつくりそのまんまの表情をしているように見える。人の話聞いてるのか聞いていないのか。何かを考えているのはわかるけど、何を考えてるのかはまったくわからない、玉男さん特有の、人形の斜め上に「……」という吹き出しが浮かんでいる感。「人間がヒグマと戦うのは無理」的なものを感じる。義平次もよくこんな身長196cm体重110kg前科あり生真面目だけどちょっと足りない……的なヤツをよく挑発したな。殺されるに決まってんだろと思った。*1

 

玉男さんの立役は、その重量感や筋肉の質感が非常に印象的だ。
それはいったい何によって成立しているものなのか。今回のプログラムに『夏祭浪花鑑』についての玉男さんのミニインタビューが掲載されており、そのヒントになる言葉を見つけた。

遣う時の肝は二の腕で、自分の腕で団七の二の腕を下から支え張るようにして動かします。そうすると団七らしくなるんです。

ははあ、玉男さんの人形って肩から二の腕にかけての雰囲気がほかの人と決定的に違い、そこが筋骨のたくましさや人形の物理的大きさ以上の「大きさ」につながっていると思っていたけど、ご本人もそこを意識してやっていたんだなあ〜と思った。

……って、これ、文章で読むと「へえ〜〜〜」と思うのですが、実際の舞台を相当の前列席で見ても、なにをどうやっているのか、サッパリわかりません!! 自分の腕の上に団七の腕を直接乗せているという意味ではなく、差し金なり、大型の立役人形についている「ツキアゲ」という棒を使った支え方の話なんじゃないかと思うんですが、玉男さんの場合、動きにまったくカクつきがなく、差し金やツキアゲがほとんど見えない遣い方なので、わかって見ていても、具体的にどうしているかは、今回4回観ても全然わからなかった。

ところで、「住吉鳥居」での団七は、最初、牢人として縛られた姿で登場する。そのときに着てる水色の着物、なんかめっちゃ色あせてたんですけど、わざとなの? それとも照明焼け?

 

磯之丞〈吉田清五郎〉は最初にむしろをめくった駕籠から姿を見せるとき、BLの受みたいな腰つきになっていた。めちゃくちゃビックリした。総受としか言いようがない。人形遣いは逆側のむしろを下ろしたまま遣っているのでご本人はわかってないと思うけど、うーん、すごいことなっとる。と思った。そのままでいっていただきたい。

琴浦〈桐竹紋臣〉は、フワフワとシャボン玉が跳ねるような、柔らかく軽やかな動き。生身の体重を感じさせない浮遊感がある。これもどうやっているのかはわからないが、ほかの人にはない動き方。着付けに遊女の艶麗さが出ているのも良かった。でも結構綺麗に着付けてあるので、品がある感じ。襲いかかってくるキモ男〈大鳥佐賀右衛門=桐竹亀次〉から、時々逃げ遅れているのが可愛かった。

一寸徳兵衛は玉佳さん。爽やかな徳兵衛で良かった。そう、かなり爽やか。人間でいうと吉沢亮レベルの爽やかイケメンだった。玉佳さんの人形の醸し出す、現代の若手俳優的なイケメン感も文楽七不思議のひとつ。毛抜きがめちゃくちゃデカいのには笑った。無心にヒゲを抜いているのが可愛かった。

あとはやっぱり玉也さんの三婦が上手い。老人特有の仕草の雑さが的確。「住吉鳥居前」で床几にかけるときのラフさ。己が納得いくように(?)悠々と座る団七とは対極的である。「三婦内」でも、のちほど出てくるキリキリした義平次とはまったく違うタイプになっており、面白い。お辰と対話する際は、彼女の気迫を押し返すように下手へ凄むとき、奥側の肩(右肩)を若干落としているのがさりげなくも上手い。こわばった表情が出て、姿勢が綺麗に見える。常時、肩をM字にして、首は前に投げ出している姿勢も良かった。これらが鼻につく小芝居になっていないのが、さすがベテラン。

 

それにしてもなんでこんなに玉ブラザーズ第三部に固まっとるん? 何かの記念公演か?っていうほどビッシリとひしめいておられた。

 

 

 

釣船三婦内の段。

清十郎さんのお辰が出色。いままでの清十郎さんにはない艶冶な佇まいが非常に鮮烈。上体をやや前のめりに傾けて腰をひねった病的に傾いだような姿勢、三婦に迫る身の乗り出し方に色気が強く出ていた。元々が清楚な雰囲気の方なので、それが変にヤニついたものにはならない。
お辰は普通にやっていればおつぎと見分けのつかないキャラになりそうなところ、一応普通の奥さんに落ち着いたおつぎとは全く違う、気の若い情熱的な女性として成立していた。文楽業界の藤純子や、と思った(普段は北川景子)。

ふっくらした頰に大きな目の老女方のかしら。水色の玉のついた涼しげなかんざし。トレードマークの日傘、傘地は水色で、露先は赤。閉じたときに赤がちらついて美しい。着物は黒にうっすらと模様が入っているが、ほぼ見えず、真っ黒に見える。扇子はダークグレーで柄なし。簑助さんが使っていた柄入りの扇子は私物なのかな。

三婦の居宅に来訪し、おつぎと話しているあいだは昭和のバーのママ的なさっぱりと伊達っぽい雰囲気。三婦から磯之丞を預けることはできないと言われると、少しかしらを震わせ三婦を注視し「ン!?」という表情をする。ここで一度、三婦に向き直って迫る。
鉄弓で顔を焼くくだりは他の人とはやや違いがあり、顔のかなり中央めに鉄弓を当ててすぐに人形を後ろに倒し、火傷の傷を頰の中央あたりにつけていた。火傷は顔のかなり側面(こめかみ〜耳の前)につける人が多いと思うので、目立つ位置につけるのは本人の判断だろう。側面につけていると、中央から上手寄りの座席の観客には見えないので、顔の中央に寄せるやりかたは上手いと思う。顔の目立つ位置に傷をつけることがお辰の覚悟、という趣旨の話なわけだし。顔の側面に貼られると、ぶっちゃけようわからん。
三婦に火傷の傷を見せつけるくだりは、首をかなり強く奥手前へ繰る演技。大きく首を後ろに向かせて奥で一旦溜めを作り、振り返りを大きく強調した動き。もちろんそういう型ではあるのだが、非常に派手な見せ方で、清十郎さんがここまでやるのは意外だった。やや病的なまでの色気で、そのアンバランスさに興味を惹かれた。

NHKから出ている『夏祭浪花鑑』のDVDに収録されている「三婦内」では、先代豊松清十郎がお辰を演じている。その芝居をある程度受け継いでいるのかと思ったが、演技がだいぶ違っていた。
先代豊松清十郎はかなり柔らかい演技で、やや年配感がある。今回観ていてかなり気になった「立ち直つて襟かき合はせ」のくだり、当代の清十郎さんは文章と異なり一度軽く立ち上がって裾を直す→座って帯を直す仕草のところ、先代清十郎は座ったままではあるが文章通りに襟を直している。これはなぜいまの清十郎さんがそうしているのか気になる。また、当代清十郎さんのお辰は顔に鉄弓を当てる前後で三婦に2度凄む箇所があったが、先代は後半の1回のみ、しかも「凄む」まではいかない振り。役に対する考え方が結構違うんじゃないか。当代の清十郎さんの演技は、三婦に対する描写を見る限り、今の師匠である簑助さんのほうに近いのかなと思った。

 

三婦女房おつぎは簑二郎さん・勘彌さんダブルキャストで、両方の回を見た。
それぞれの持ち味による雰囲気の差があって面白かった。また、両者で微妙に演技が違っていたのも興味深かった。
ひとつめの違い。「三婦内」は、幕が開いた時点で磯之丞・琴浦の人形が舞台に出ているが、それに加えて最初からおつぎが舞台に出ているかどうか。簑二郎さんの場合は、琴浦・磯之丞の痴話喧嘩へ割って入るように、二人の喧嘩がやかましくなってからの出。勘彌さんの場合は、最初から舞台に出ており、二人の喧嘩を聞きながら魚を焼いている。以前観た勘壽さんも確か最初から出てる派だったかな。
ちなみに、焼き魚を焼く丹念さは簑二郎さんのほうが上でした。上っていうか、かなり焼き魚に集中していて頻繁に裏返したり位置を移動させたりしていて、料理人みたいになってた。正直言ってやりすぎ。それを見ていたら自分も焼き魚が食べたくなって、夕ご飯を焼き魚にしてしまった*2。勘彌さんは家事の一環といったふうに火箸で炭をつつきながら火力を調整していた。魚はあまり動かさずにじっくり焼く方法で、これは勘壽さんと同じやり方だと思う。
ふたつめの違い。三婦は昔は喧嘩っ早かったことをおつぎが語るくだり。手に持ったうちわを使った演技が異なっていた。簑二郎さんは三婦の口真似をしているように演じ、「チョット橋詰へ出てもらおう」というセリフを言い切ったあとで、まるで三婦がそうしていたかのようにうちわを強く床へ叩きつけていたが、勘彌さんは「ウチの人がこう言うてました」といったような身振りで、すべてを説明し終わったあとにうちわを軽く伏せて「話終わりました」とアクセントをつけるような、柔らかめの仕草だった。

 

三婦内・後半は錣さん。かなり良い。
お得意の女性描写で、お辰の美麗さと可愛らしさをあわせもった侠気を表現されていた。お辰にどこか柔らかい甘みがあるのが最大の特徴。単に侠女というだけでない、ひとりの人間、女性としての彼女の人となりが感じられて、よかった。簑助さんがお辰を演じるときには、かなり可愛く振っていたので、お辰が簑助さんだったら、かなり似合っていたと思う。

前半(お辰が一度奥へ引っ込むまで)と後半(アホ二人組の出から)の三婦の描写の違いも面白かった。アホ二人組が踏み入ってきた時点で声をかなり低く落としていたのには、態度に荒っぽさはないながらも、彼の鋭敏さと凄みを感じる。非常に低くつぶやかれる「ナンマイダ」の異様な調子が印象的。前半、お辰やおつぎに相対していたときにあった、気っ風のよい町人としての矜持とはまた違ったものである。先述の『夏祭浪花鑑』のDVDには、越路太夫の「三婦内」が収録されているが、それとはまた違った表現の仕方だ。越路太夫の場合、アホ二人組の出の時点ではまだ空惚けており、三婦が念珠を切ってから描写が変化し、侠客の言動としていた。それよりも早い段階で、三婦の警戒心(本性)を表現しているということだろう。
そのほか、前半含めて三婦の喋り方がたいへんリアルで人柄を感じさせるものであることも面白かった。観客にも語りかけるようなコトバにしている。その軽妙さが祭りに浮き立つ大坂の情景に彩を添えていた。

そういえば、宗助さんのマスコット度が上がっているような気がした。錣さんがボリュームアップしたのか? ソースケさんがカワイくなったのか? 「ちょこん」としていて、幸せを呼びそうな感じになっていた。当たり前ですが三味線自体はちゃんとしてます。

 

 

 

長町裏の段。

今回、非常に注目していたのが、義平次に玉志さんが配役された点。
一寸徳兵衛が来るかと思っていたので、義平次ほどいい役がきたことに驚き。それは嬉しかったんだけど、玉志さんの誠実さと清潔感溢れる芸風で、真逆とも思えるあの小汚いクソジジイをどう演じるのか、かなり興味を引かれた。
ではどのような義平次だったか?

誰に対しても人間的感情を持たない、至極冷淡な悪人に振り切った義平次で、面白かった。ぬるさがない。悪人としてスッキリしており、現代的。蚊を払ったり周囲を注視したり、あるいは人を追い立てたりといった仕草が神経質で、義平次に狡猾さや冷淡さの印象が強く出て、適役となっていた。

ジジイながら、かなり体格よさげに遣っていたのも印象的。義平次は三婦のような侠客ではなく、ずる賢いだけのパンピージジイ。なので、わりと普通の老爺っぽく遣う人も多いように思うが、身長180cmはあるぞあのジジイ状態だった。痩せて腰はまっすぐ立たんくなってきたが、毎日ジム行って筋トレしとるゾイ。って感じ。姿勢は悪いけど背中自体は曲がっておらず、足腰が妙にしっかりしてるのが玉志サンらしいというか、半端ないカクシャクジジイになっていた。あの玉志特有のカクシャク感はほんま何やねん。ただ、これが突飛かというとそうでもなく、「三婦内」ではデッカいじじいだなと思うものの、「長町裏」で玉男さんのガチムチ団七と並ぶと、かなり馴染んでいた。

義平次は、初代玉男師匠が得意としていた役。初代玉男師匠の義平次の映像を確認してみたが、玉志さんがやっているものとイメージがかなり近しかった。体格の良さも、実は同じ。玉志さんは晩年の玉男師匠の演技をかなり細かく研究しているようなので(私の憶測)、今回の義平次も師匠に寄せているのではないかと思う。*3

あと、玉志さんはどんだけすごい大役でも常時ブルーグレーの袴なのがトレードマークだが、今回はさすがに義平次だからかいつもと違い、かなり明るめの生成色の袴だった。夏狂言なので上も白、最近は髪もかなり白くなっておられずので、照明当たると全身真っ白状態で、本人が思っているよりもある意味かなり目立ってるのではないかと思った。義平次の人形は茶色の着物に赤く塗られた顔なので、人形は引き立っていた。

 

義平次は、沼から上がってきて舅のガブのかしらに変わって以降、着付が左前になるのね。『夏祭浪花鑑』は何度か観たことのある演目だけど、今回はじめて気づいた。後半の義平次は「なかなか死なないクソジジイ」ではなく、団七の罪悪感が見せた幻覚なのかもしれない。
っていうか、玉志さんまじで素早すぎて、超素早いゾンビ状態になってました……。井戸周りで団七と追いかけ合い、団七の刀を避けるところとか、そういうゾンビゲーかと思った。

あと、玉男さんも殺陣が常にマジなので、ドキドキした。義平次が団七の背中へおんぶ状に乗っかるくだり。そこで団七が刀を自分の左右両脇背後へ刺し通すが、団七の右脇側は真後ろに義平次の人形遣いがいるので多少遠慮するかなと思うところ、普通に刺していて、玉志刺さっとらんのかと心配になった。避けているのか、刺さってるけど黙っているのかはわかりません。

団七が井戸のある上段から義平次を船底へ蹴り飛ばし、義平次が手すりに突き当たって後ろ向きに決まるところは、玉男さん・玉志さんおふたりの人形の姿勢へのこだわりが非常によく出ていた。また、足遣いや左遣いの方もそれをよく理解していて、とても良かった。義平次の足の人は相当頑張ってたと思う。落ちてすぐかがんでいたので、団七がとても見えやすくなり、義平次も姿が綺麗に決まっていた。あそこまで瞬間的に回避して、すぐ引っ込むのは、そうそう簡単に出来ることではないと思う。

 

団七は、裸になって以降の、大きな肢体を存分に使った端的な所作が美しい。長い手足をめいっぱい伸ばした、と思ったら、まだそこからさらにぐんと伸びる。団七の人形の特徴を最大限に使った、全身が張り切った大の字のポーズの美しさ。アスリートのストレッチのようだ。大の字のポーズ、腕がたるみなく、本当に左右に真一文字に張っていて、人形らしい華麗さと力強さが出ていた。
どんどん「型」を決めていくという定型演技にもかかわらず、それが様式美なり、芝居事なりといった線路が引かれているようには見えない。まるで団七が筋肉のささやきに耳を傾け、それに従って体を動かしているかのような至極自然な動き。かれは頭ではなく、肉体でものを考えているのだろう。「筋肉とて人を恨むのだ」。

玉男さんは先述のインタビューで、先代玉男師匠の団七についてこう語っている。

私が入門した当時、団七は先代の(桐竹)勘十郎師匠がつとめられることが多くて、うちの師匠はたいてい殺される舅の義平次を遣っていました。ですから団七の足遣いはやっていないんです。左遣いだけですね。師匠の団七は極め極めがはっきりしていて余分な動きはされない。それなのに形が美しく迫力がある。後ろ向きの姿が特に綺麗でした。

いまの玉男さんの団七も、動きにブレがなく、非常に精緻である。ここで語られている先代の描いた団七の線上にあるのだろう。力強い表現や体幹のごん太さなど、芸風は違っていると思うが、「荒物」っぽさに振り切らないあたり、根幹は師匠を引き継いでいるんだなと思った。
ちなみに後ろ姿は「背筋すごすぎ」と思いました。人形自体には背筋ないですが、背筋がすごすぎて、『刃牙』を思い出しました。

 

団七の左は、「長町裏」ではそれまでの段とは違う人をつけていると思う。その人がやっぱりうまいです。

 

 

 

 

  • 人形役割
    釣船三婦=吉田玉也、倅市松=桐竹勘昇(前半)吉田玉征(後半)、団七女房お梶=吉田一輔、こっぱの権=吉田玉翔、なまの八=吉田玉誉、玉島磯之丞=吉田清五郎、団七九郎兵衛=吉田玉男、役人=吉田玉延(前半)吉田玉峻(後半)、傾城琴浦=桐竹紋臣、大鳥佐賀右衛門=桐竹亀次、一寸徳兵衛=吉田玉佳、三婦女房おつぎ=吉田簑二郎(前半)吉田勘彌(後半)、徳兵衛女房お辰=豊松清十郎、三河屋義平次=吉田玉志

 


休憩時間込み2時間の上演ながら、濃度が高く、大変に充実した舞台だった。
人形の配役が非常に充実していて、抜かり・たるみ一切なし。ここではすべての人について書くことはできなかったが、どの方もたいへんに力が入っているのが印象的だった。

玉男さんの衝動殺人犯役では、『女殺油地獄』与兵衛『国言詢音頭』初右衛門インパクトがすごかったが、団七もすごい。どれも衝動殺人の場面が芝居として見せ場になっている演目だけど、玉男さんには、古典芝居としての華だけにとどまらない、何かがある。主人公の内面描写に現代性があり、所作がリアリスティックに感じられる。

玉男さんの衝動殺人犯役は、人を殺すという発想に至ることの不気味さ・不可解さが存分に描かれている。インタビュー等読む限り、玉男さんは団七をわざと異様な人物として描いているわけではなさそうなので、団七からそこはかとなく漂ってくる不穏さは、もともとの持ち味のなせるものだと思う。玉男さんの場合、団七は「住吉鳥居前」や「三婦内」ではどこかぼーっとしているが、義平次を殺すくだりだけ正気になっている感じがするのが怖くて良い。団七がちゃんと相手の顔を見ているの、そこからでしかない!

団七が本当は舅を殺したくなかったのは事実だと思うけど、それでも一線踏み越えるヤバイ精神性が感じられる。ご本人は団七に同情を集めようとしてやってると思うのでこう言っては本当に失礼なんだけど、どっちかというと義平次に同情してしまう。本当は殺したくなかったら殺さないよ、普通は。そこで留まらずにやるやつは狂ってんだよ。団七の段切のセリフ「悪い人でも舅は親……」には、本当にこいつそう思ってんのか?独自の感性で言ってるだろ!という、背筋が凍りつくものがある。玉男さんにはぜひとも、『伊勢音頭恋寝刃』の福岡貢もやって欲しいと思う。

 

あとは玉男さんって、人形が立てる音にかなり気を遣ってるんだなと思った。もともといらない動きは一切しない人だが、いらない音も立てない。逆に、立てるべき音はキッチリ目立つように立てる。足拍子だけでなく、小道具の取り扱い、人形が手を握る音などのコントロールが細かい。人形が立てる小さな物音は、意外と後ろの席まで聞こえるけど、たまたま鳴っちゃってるわけじゃないんだなと思った。
音については、玉志さんも相当気を使っていると思う。特に鳴らすタイミング。義平次が団七の脇差の柄に足をかけ、チャキチャキいわすタイミングが上手い。足遣いの人も意図をよく理解しているのだと思う。あの音、タイミングよく入ると気持ちいい。床を本当によく聞いて、そのリズムや間合いに必ず合わせにいっているのだと思う。私が観た回で一度、床でこのくだりに若干出遅れがあり、柄を鳴らすきっかけが確保できなかったときがあった。やはり人形演技の手順だけをやってるわけではなく、細かく床を聞いてコントロールしているのだなと思った。

 

しかし玉男様、本当に元気だよね……。
ことし68歳になられると思うが、よく体力が持つなと思った。ゆったりとした正確な動きはかなりの安定性が必要なので、相当体力がないとできないはず。また、こういう動きが激しい役だと、人によっては上演中に見ていてハラハラすることがあるが、玉男様の場合はそんな心配はなく、暑い季節はときどき(><)な表情におなり遊ばせるのが「汗が目に入って大変そう……❤️」くらい。今回も、団七が後ろ向いてるときに一緒に汗拭いてるのが良かった。
ちなみに玉志サンはことし65歳のようです(『文楽ハンドブック』情報。誕生日は8月11日!)。どんだけすばやい65歳やねん。かなり痩せておられるのが心配ではありますが、玉男さんとは別の意味で相当元気あるなと思いました。みんな健康でいて欲しいです。

 

それにしても、玉志サンの団七はいつ見られるのか。去年の大阪鑑賞教室中止が本当に悔しい。玉志サンは玉ブラザーズの中でも先代玉男師匠の雰囲気をもっとも色濃く受け継いでいると思われる人なので、義平次がベスト配役だとは思いますが、平右衛門や鱶七を見ると、ぜひとも団七も見たい。

そういえば、ある回、舞台袖から舞台を観ている人形遣いさんの姿が見えた。ほんとはその役の左をやれればいいんだろうけど、せめてということだろう。この方は今回だけじゃなく、よく舞台を観ている(目障りという意味ではない)。今回の公演では、ほかにも舞台袖から見ている方をお見かけした。本当みんな頑張ってるな、と思った。

 

 

 

おまけ

住吉大社へ行ってみました。

住吉鳥居前の段」でも鳥居の奥に見えている太鼓橋、湾曲がすさまじすぎてびびりました。これ毎年人転げ落ちとるやろ。年取ったらもう登れん。池にはかめさんがいっぱいいて、悠々と泳いでいらっしゃいました。路面電車にも乗れて、面白かったです。あの路面電車の唐突感、すごいですね。

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*1:わかりあえない存在、というと、吉村昭の小説『高熱隧道』を思い出す。ゼネコン技師の主人公は、黒部峡谷での水路トンネル掘削にあたり、大自然の脅威と戦う。この小説で個人的にすごく印象的だったのが、主人公ら技師たちが掘削工事の現場作業者(人夫)たちと最後まで全く分かり合えなかったこと。それぞれが持っている「常識」があまりにも違いすぎて、最終にトンネル工事は成功し自然は制圧できても、自分とはまったく違う他者の意思を思い通りにすることはできないという、不気味なわだかまりが残る。今回の団七は、あの不穏なラストシーンを思い出しす。

*2:日本一交差点のところにあるやよい軒のテイクアウトで、焼き鯖弁当。お持ち帰りだけなら遅くまで営業しているので、文楽劇場近辺に宿泊で、大阪市に営業時間規制がかかっているときはおすすめ。

*3:ひとつ、玉志さんより当代の玉男さん(2018年9月東京公演で義平次役)のほうがうまいなと思った箇所がある。義平次が団七の差している脇差を抜いて挑発するところ、玉志さんは若干持ち重りを感じさせながらもスラリと抜いていたが、玉男さんは引き抜いたとき、そのまま地面に一旦刃を落としていた。確かに町人の老爺の体力では、あの脇差を片手で抜いてそのまま構えることはできないだろう。よく考えられた演技だと思う。初代玉男師匠の昭和57年、58年の義平次役の映像を見ると、玉志さん以上にそのままスッと抜いている。ただ、初代玉男師匠は演技をどんどん改良していくタイプなので、晩年の映像も検証してみたい。