TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 10月地方公演『義経千本桜』椎の木の段、すしやの段『桂川連理柵』六角堂の段、帯屋の段、道行朧の桂川 神奈川県立青少年センター

今年の地方公演も景事がなくて嬉しいッ。(素直1)



昨年は平塚に吹き飛ばされた神奈川公演、今年はもとの神奈川県立青少年センター(桜木町)へ戻ってきた。
昨年の平塚振替は会場に天井の耐震工事が入ったためだが、前がどんなのだったか忘れたので、変化はよくわからなかった。ホール自体の内装、設備が大きく変わったわけではないようだった。

お囃子は今回も下手舞台袖に設置したパーテーションの中で演奏していた。以前は完全に蓋をするように区切ってパーテーションを立てていたと思うが、今回は舞台側を開放して、楽器や演奏の様子が少し見える状態だった。本公演だとすだれの隙間からしか見られない楽器を直接的に見ることができて、面白かった。

ちなみに、プログラムは700円だった。

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昼の部、『義経千本桜』、椎の木の段。

若い人が良かった。がんばって生きてる感があった。

善太〈吉田玉峻〉は、おこちゃまキャラのわりに、首の座りがドッシリしていて、ちょっと笑ってしまった。「そこまで?」レベルで、権太の子。なんかこう、子猫を見て「この腕のガッシリ具合……、将来どえらい立派なデカネコになるでぇっ!」と予感する感じ。確かにガキ大将系の子役なのかもしれないが、役作りでこうしているというよりも、師匠の遺伝要因が大きいと思われた。ただ、それなりに幼い子どもの役なので、もうちょっと体を大袈裟に振って、ヨタヨタとした子供っぽさを出したほうがよさそうだった。

六代君〈吉田和馬〉も良い。いままで見たことがないほど、テンション低い出。なんとか歩いてはいるけれど、グデ〜ッとしている。そりゃそうだ。六代君は疳疾でグッタリしているのだ。聞こえる、聞こえるッ!! 「六代君はしんどいんやで……。箱入りのおぼっちゃま育ちが無理に歩かされとって、つらいんやで……」という和生の声が!!!!!! という感じだった。和馬さんは、毎回、出に真剣で、その人物の状態をしっかり表現しているのが、良い。

若葉の内侍〈桐竹紋秀〉、若手といっても紋秀さんはだいぶとお兄さんなのだが、非常に良かった。女官らしいスラリとして気品のある雰囲気がよく出ている。所作をやわらかく抑えているのが良い。若葉の内侍単体だと高身長美女風だが、小金吾、あるいは維盛に対する時にはやや人形を下げて目線を上めにもっていくのも、さりげないが人形同士の体格の違い、若葉の内侍の儚さが出て、良かった。
最近髪の毛のペカり具合が紋秀さんに完全に負けていたが、この日だけは勝った。地方公演だとグリースなどをおもいきりつけられない等(シャンプーが自宅のものじゃないから落ちきらないとか)があるのか??? とにかく勝った。

一番驚かされたのは、「前」を語った超若手、聖太夫さん。スルスルと床の帷が上げられたとき、え、こんな若い子大丈夫?三味線にベテランをつけているわけでもないのに、ちょっと早いんじゃない?と思った。しかし、ものすごーく、しっかりしていた。曲としてしっかりまとまっており、伸びやか。なんなら、本公演で割り振られる掛け合いのような、部分的な役よりも良く出来ていた。ひとつの場を任されているという自覚がある語りだった。その場その場で元気にやればOK!になってしまっていなかった。
拵えがないというのはいい。あたかも上手いかのように聞かせるための小細工がない。もともと義太夫を習っていた人はこの手のクセが出やすそうという偏見があったが、かなり素直。元の先生がいいのか、錣さんの指導がいいのか、それとも素質か。基礎や本質を会得するまでは、このまま素直にいくといいと思う。

 

小金吾〈吉田文哉〉は肩を使った演技を意識したほうがいいと思う。武士キャラの「凄み」や「諦め」は肩の表現によるところが大きい。権太に凄むところは、肩をしっかり突き出すべきだと思う。そのほか、姿勢や演技のタイミングなど気になるところが多々あり、見よう見真似になっている感じがした。ご本人が自分ひとりだけで勉強している状況なのではという気もして、よくわかっている人がどうにか指導してあげてほしいが……。



すしやの段。

権太〈桐竹勘十郎〉は、手負い以降が光った。善人だが思慮の浅い父に対する、粗暴者の必死の訴えの感があった。「椎の木の段」、「すしや」の中盤までの段階では、演技が首(かしら)と手の振りに頼っていて、肩(上体)が動いていないため、大きな人形らしい迫力がなかった。大丈夫かこれと思っていたが、手負いになって以降に体力を残したということなのか。
全部をまんべんなくナアナアでやる(=手抜き)という方向にいかなかったのは、勘十郎さんらしいと思う。勘十郎さんの権太は過去にも見たことがあるが、むしろ今回のほうが良いと感じるのは、大ぶりな演技を手負い以降に絞り込んだことにより、全体像にメリハリがついたからだろうか。いろいろな点で、権太は座ったまま、というのが良かったのかもしれない。
勘十郎さんは、手負いの役に思い入れがあることをインタビュー等で繰り返し語っている。しかし、いち観客からすると、実際には当たり外れがあると感じる。久我之助(妹背山婦女庭訓)、平作(伊賀越道中双六)、官兵衛(木下蔭狭間合戦)は手負い演技自体が目的化して人物が物語から遊離し、「?」という感じになっていたのに対し、本蔵(仮名手本忠臣蔵)やこの権太は、人物が芝居に溶け込み、ドラマをより一層盛り上げていて、秀逸である。ご本人の中で、いったいなにが違うのだろう?

お里〈吉田清五郎〉は、おませ風に見えて純朴なお里のキャラクターがよく出ていた。維盛に対する態度が「憧れ〜💓」という感じにほんわかとしているのがかわいい。本当にどこにでもいる、普通の若い娘さんという感じ。パパが去ったあとに維盛に近づくところで、体の前で軽く腕を組むような姿勢にして、腕(下腕の外側)で控えめにチョイ…チョイ…と押しているのが良かった。このあたりのお里の所作が「下品」になってしまっている人が時折いるが、お里はおてんばな田舎娘であっても夜鷹ではないので、落とし所はこれくらいが適切かと思う。床の準備をするくだりは枕をあんまり近づけないのがかわいいのだが、もっとグイッと思い切りやらないと、何やってんだか見えん!!! もっといったれ!!!!!! 女子の女子感出しには妄想が一番大事なんだよ!!!!!!!!!(ゲス煽り)
あとはどこを「もう一押し」するかで個性が出るのではと思った。むしろ、そこが核心かと思う。

玉志さんの維盛を見たのは今回が2回目。鮓桶を下げた天秤棒をかついで出てきた瞬間、キラッキラにキラキラしていた。あいかわらずキラキラして出てきよったなと思ったが、しかし、前回とは大きく異なる部分があった。それは、しっとり感。憂いが濃く滲み、しっとりとした艶のある維盛だった。吸いつくように湿度を帯びた冷たい頬、伏し目がちなまつ毛からは露が落ちんばかりといった風情。零落の憂いが出たというのは、前回の「田舎モンにしては浮いてる美麗さ」から、かなりステップアップしたと思う。出でのやつれたようなうら寂しい雰囲気、弥左衛門に上座へ据えられての一族を思い出しての嘆き、そして、若葉の内侍・六代君との再会の束の間の喜びの表現が繊細で、非常に良かった。
前半の維盛はシケのある人形ではあるが、前までこんな色っぽい雰囲気があっただったろうか? 結構驚いた。クールで清潔感のある佇まいが玉志さんの人形の美しさの根幹だけど、最近やや優美さに寄ってきていたのが、ここにきて艶という深さに転じたのは、とても良かった。本当にこの人うまくなった、というか、表現の幅が広がったなと思う。若男のかしらは初代吉田玉男の最大の得意役だと思うが、初代健在のおりの美男子役は、こんな感じだったのだろうか。
それにしても、高貴さが突き抜けすぎて、「♪雲井に近き御方に」(※従三位)を通り越して、オンザ雲井、皇位継承権ありそうな感じになっていた。このやりすぎ感、まさに玉志。
最後の出(シケをなくしてでんちを脱ぎ、刀を差した姿)は本来の持ち味に回帰して颯爽とキラキラしており、そこも良かった。すらりとした背筋、しゅっとした顎が、玉志流美男子の真骨頂ですね。

弥左衛門は文司さんに似すぎていて、面白かった。いや、文司さんが弥左衛門に似ているのか? 文司弥左衛門は荒っぽい印象、キツい印象がなく、田舎のいいお父さん感があって、良かった。この手のジジイ役にキツい印象を持たせず表現できるのは、個人の特性だろうが、上手い。
しかし、すしやの主人が道端に落ちていた死体の一部を持って帰るって、普通に考えたら、すしのネタにする展開になるよな。すし桶に保管しただけというのは、かなり、マイルド(?)。首を贋首として差し出すならなおさら、胴体のほうは証拠隠滅のためにすしのネタにするだろ(??)。

 

そのほか、すしや・後の希さんは、登場人物たちの若さ、あるいは逸る気持ちの勢いが出ていて、非常に良かった。
床で三味線の音が不自然な人が何人かいるのが気になった。会場の音響の問題? 本人もしくは楽器の不調? 『桂川』のほうでは特に気にならなかったのだが。



  • 義太夫
  • 人形
    権太倅善太=吉田玉峻、権太女房小仙=吉田簑一郎、主馬小金吾武里=吉田文哉、六代君=吉田和馬、若葉の内侍=桐竹紋秀、いがみの権太=桐竹勘十郎、娘お里=吉田清五郎、弥左衛門女房=桐竹勘壽、弥助 実は 平維盛=吉田玉志、すしや弥左衛門=吉田文司、梶原平三景時=吉田玉輝

 

 

 

夜の部、桂川連理柵、六角堂の段、帯屋の段、道行朧の桂川

解説の芳穂さんが「“初めて文楽を観る”という方に桂川の設定を説明したら、目をキラキラさせていた(下世話興味の意)」という話をされていた。いや、下世話なことはいいんですよ。カス夫が近所の中学生を妊娠さすまでなら、コンビニに売ってるB6サイズの地獄のレディコミみたいで。でも、こういうのって、スカッとするオチがないと、娯楽として成立しないんですよね。
たとえば、お半を追いかけようと門口を飛び出した長右衛門にブランドブタを運搬するダンプが突っ込んできてズタズタに轢かれる→溢れ出てきたブタにかじられ跡形もなくなる→ブタを引き取ったお絹が酪農家をはじめ、ズタズタから発想した日本初の「ミルフィーユとんかつ」を売り出し大成功する「とんかつの段」がついているくらいしてくれないと……。*1

芳穂さんは、「良いと思ったところでは遠慮なく拍手してください」と添えていたのが良かった。これで会場が温まったと思う。あらすじを「言う」だけの解説をしてしまう人もいますけど、それならチラシを読めばわかることですよね*2。生であるからこその観客への語りかけって、良い。

 

桂川』は、出演者の技術に大きな意義が出る演目だと思う。そういう意味では、勘彌さん(お絹)、藤太夫さん(帯屋前)、錣さん(帯屋切)は、とても良かった。

勘彌さんのお絹は相変わらずとても良かった。ほとんど何も言わず、先の見えない苦境にじっと耐え続けるお絹を見ると、勘彌さんが『文楽名鑑』で『心の旅路』を好きな映画に挙げておられたのがわかる気がするな。ゴチャゴチャした飾り付けをしなくとも、彼女の内面を目元の演技でしっかり見せていたのが良かった。長吉への目配せウインク(両目だけど)は最高。

帯屋・前の藤太夫さんが良かった。帯屋は、チャリ場の代表曲のように言われながら、床に対してお客さんが誰も笑っていないことがあるじゃないですか。人形の所作には笑っているのに、太夫の語りに対してはノーリアクション的な……。話(台本そのもの)ではなく、自分自身が面白いのだという自分本位な語りになってしまうと、そういう事故が起こるのだと思う。藤太夫さんはそのあたり冷静な人で、面白さを自分自身ではなく、話のほうへ話のほうへと寄せていく。キャラクターの特性に立ち返って、どこをどう飾りつけ、どこを引き算すればより面白くなるのか、よく計算されている。儀兵衛の性悪さに似合わない妙に素直な言動の表現など、持ち味の独特の世話味も発揮されており、帯屋にうってつけの人だと思った。

錣さんの帯屋の後(切)は、かなりハマっていた。「紙屋」(心中天網島)といい、現代の価値観からすると相当に不自然な話を巧く聞かせる人だなと思う。「感情を込めて朗読する」だけではこうはならないはずで、あらゆる意味での「矛盾性」というものを上手く表現している。現代の価値観からしても観客が納得しやすいお絹の述懐はもちろん素晴らしい。しかし、観客がもっとも理解しがたい、長右衛門のきわめて表面的でその場その場次第に心情が流されていく様子の描写は、稀有である。擁護のない、その突き放した表面性(長右衛門本人は本気)こそがこの物語を現代に読み解く鍵なのだろうと思った。非常に技巧的で、こういう語り方をする人は今、ほかにいない。

おふたりとも、従来の「帯屋」の退屈な印象が払拭されており、とても良かった。間の詰まり方など、今後、本公演での配役で進展していくのを聴きたい。

 

 

儀兵衛は玉志さん。儀兵衛配役は3回目か? キャラ全然合ってねえだろ的な配役ながら、ご本人のたゆまぬ努力によってか、当初の目が笑ってない感やサイコパス感はどんどん緩和されてきており、「六角堂」でのお絹へのおひざタッチセクハラも堂に入ってきた。しかしあのプロポーズ感はまじで謎。手付けやゆうとるやろうが。玉志儀兵衛は頻繁に首を左右へ振るのだが、あまりにも素早くかつスムーズにブルブルっと振るため、キュイキュイキュイ!と、鳩の鳴き声みたいな音が聞こえて、怖かった。首振り、得意すぎ。
儀兵衛とおとせが叱られてむくれるところで、儀兵衛が持っていたほうきが倒れ、どさくさ紛れにチョッカイを出していた長吉に当たるという演出がある。下手へ向かって歩いていく長吉へほうきが自然に当たる(=後ろから倒れてきたほうきに対して長吉役がリアクションをする)というのがオーソドックスな手法かと思われるが、今回は明確に儀兵衛が長吉をほうきで軽くシバく演技に変更されていた。長吉役がほうきへのリアクションを忘れる場合があることへの対策だろうか。今回の長吉役はおそらく初役〈吉田玉勢〉なので、手順をわかりやすいようにしてあげたのか。ところどころに差し挟まれる二人での踊りパートもちゃんと「二人で踊ってる」感があって、弟分をちゃんとリードしてあげている感じだった。玉志さん、お兄ちゃんなとこ、あるやん。実際のところはわかりませんが。

以前、玉也さん長右衛門を見たときは、正直向いてないよなあという感想が第一だったが、今回はかなり改善されていた。あえて改善という言葉を使ったけれど、長右衛門役を前向きに研究された結果だと思う。
長右衛門は、スター系や個性派系の人には難しい、演技力系の人向けの役だと思う。文章だけでは非常にその場しのぎの手前勝手な人物のため、人形演技で内面的苦悩をうまく表現していかないと、相当に難しいことになる。あるいは、和生さんのおさん(心中天網島)のように、現代的解釈ができる人物像に仕上げていく人が現れるといいのだが……。

 

三味線については、太棹三味線で小さな音を安定して出すというのは難しいのだなと思わされた。15%以下はすべて一気に0%!みたいな感じになっちゃってるというか……。6月大阪鑑賞教室公演の「判官切腹」もそうだったが、微細なディティールというのは、技術的に、そしてなによりメンタル的に、難しいんだろうなと思った。

 

桂川恒例 長吉さんの鉢巻巻き方図鑑 更新しました。

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  • 義太夫
    • 六角堂の段
      豊竹亘太夫/鶴澤清公
    • 帯屋の段
      前=豊竹藤太夫/竹澤宗助
      切=竹本錣太夫/鶴澤藤蔵
    • 道行朧の桂川
      お半 豊竹芳穂太夫、長右衛門 竹本小住太夫、豊竹薫太夫/鶴澤清馗、鶴澤清公、鶴澤清方


  • 人形
    女房お絹=吉田勘彌、弟儀兵衛=吉田玉志、丁稚長吉=吉田玉勢、母おとせ=吉田簑一郎、親繁斎=吉田勘市、帯屋長右衛門=吉田玉也、娘お半=吉田簑紫郎

 

 

 

「すしや」は、全体的に文楽らしい面白さがあって、良かった。今年の正月のすしやは本当に終わっていたので(笑いごとではなくマジで)、これが見られて、良かった。
それにしても、人生いろいろを感じさせる「すしや」だった。若さで精一杯頑張る人、似合った役が来て本領発揮の人、それなりに済ませる人、体力が落ちてもピントを合わせるところを決めてやりきる人。地方公演だからこそ来たランクアップ役をしっかりやりきった方々には賞賛をおくりたい。手抜きについては、手は抜いても雑ではないのがベテランのいいところともいえる。しかし、それなら、地方公演は若い人に譲ったほうがいいのではと思った。

桂川』は、出演者のパフォーマンスは大変結構だった。でも、演目自体はもうやらなくていいです。(素直2)

 

会場内のロビーに、初代吉田玉男の大きな写真が5点飾られていた。熊谷、徳兵衛、由良助、忠兵衛、良弁。忠兵衛は、まだ国立文楽劇場ができる前、大阪公演が朝日座だった時代のものだった。渋い。前まではこのような展示はなかったと思うが、揃いの額であるところをみると、どなたかの私物? 主催関係者に初代玉男強火勢の方がいらっしゃるのだろうか。

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

*1:このブログ、一時期よく無料漫画サイトの広告が出たんですが、桂川の記事にまさに桂川みたいな漫画の広告が出てて、それはおもしろそうでしたよ。「不妊治療を続けていたがなかなか赤ちゃんを授からず苦しい日々が続く中、夫が会社の頭悪そうな新入社員女子と浮気して妊娠させ、その女がイキって自宅へ乗り込んできて夫もその女を擁護」みたいな話。

*2:と書いたが、最近、地方公演のチラシの解説、かなりの怪文書になってるよね。せめてあらすじ説明は物語の展開通りの時系列にしたほうがいいと思う。