TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 11月大阪公演『双蝶々曲輪日記』堀江相撲場の段、難波裏喧嘩の段、八幡里引窓の段、『面売り』 国立文楽劇場

今月のプログラムの技芸員インタビューは㊗️人間国宝認定🙌ということか、玉男さんだった。
いわゆる「ろくろポーズ」を遊ばされていたが、手のひらが下向きすぎて、15kgクラスの超絶デカネコを膝の上に乗せて撫で回しながらインタビューに答えているようだった。マフィアのボスがふわふわの猫を撫でながら電話してるアレみたいで、良かった。

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第一部、双蝶々曲輪日記、堀江相撲場の段。

直近の同演目上演、2021年9月東京公演では付かなかった段。舞台は掛け小屋の前、濡髪対放駒の相撲興行が跳ねた後から始まる。原作では、山崎与五郎のパパがやってきたり、悪者一同がはしゃいだり、与五郎が取り組みに負けた濡髪にピーチクパーチク拗ねたりと、様々な人物が入れ替わり立ち替わり登場する。かなり長い場面なのだが、文楽現行では相当に短縮され、濡髪と長吉の会話シーンにのみ絞られている。

あらすじ

南堀江で開かれている相撲興行が跳ねたあと、名うての関取・濡髪長五郎〈吉田玉志〉が小屋のさきに姿を見せる。濡髪は茶店の主人〈吉田玉征〉に頼み、さきほど取り組みを行った素人相撲からの挑戦者・放駒長吉〈吉田玉勢〉を呼び出してもらう。

やってきた長吉は呼び出し主が濡髪であることをいぶかしがるが、濡髪は彼に折り入って頼みたいことがあるのだった。それというのも、濡髪の親方筋・山崎与五郎(ものすごいアホ)が、幼稚なワガママで大騒ぎしているからである。与五郎と恋仲の遊女・吾妻をよその侍に身請けされそうになっており、その身請け主の侍というのが長吉の客なのである。そこで、長吉から侍にとりなしをしてもらい、吾妻の身請けを与五郎に譲ってほしいというのが濡髪の願いだった。ところが長吉もまた、その侍・平岡郷左衛門から与五郎に負けるわけにはいかないと聞いていたので、譲らない。しかし、長吉は、さきほどの相撲の取組で濡髪が自分に負けたのは、この願いを聞いてもらうための片八百長だと気づく。不快の念を示す長吉だったが、濡髪はぜひとも話をまとめたい。だが長吉の意地は固く、話し合いは決裂。二人は対立したままに別れいく。

舞台二重中央から上手に筵がけの大きな掛け小屋、壁に番付がかかり、その前には幟が立っているという書割。下手に茶屋の書割。それぞれに人形の出入り口。赤い毛氈のかかった茶屋の床机が二脚、上下に出ている。

濡髪は軍配団扇の紋の入った黒の羽織、黒地に白でなんかびらびらした模様が縫いつけられた着付。長吉は紫の繻子の着付になんか四角い模様が金で刺繍されている。二人とも上着の裾から町人風の素朴な柄の着物が覗いており、一般男性にしてはややデコラティブな出立。腰に長脇差を差している。濡髪は白い鮫鞘。また、濡髪が下駄履きなのが珍しい(歩く音はしない)。

 

2021年9月東京公演のおりには、玉志濡髪のあまりの颯爽ぶりに、観客全員が「誰!???!?!?!?!?」とビビり散らしたが、今回の「堀江相撲場」では、ずいぶんどっしりした雰囲気になっていた。濡髪は掛け小屋の木戸口から登場するのだが、かなりデッカ・ボディということか、小さな木戸口を「……(目視確認)」「のし……」と、首を大きく傾けてくぐっていた。
濡髪は前髪の若者出立の人形で、玉志さん本人の芸風(人形へのアウトプット)も非常に若々しい。少年と青年のあわいの年輩らしさがよく出ている。けれども、かしらの動かし方が丁寧なため、思慮深く上品な雰囲気がある。関取といえど無骨な方向、大衆的な方向に寄せないのがかなり独特。
こういった本来の素質とは異なる役を見ると、玉志さんは初代玉男師匠を大変に尊敬していたのだなと感じる。適当な映像を見て真似したというより、「師匠ならこうする」というのを感じるというか……。国立劇場設立以降の公演記録によると、初代吉田玉男に濡髪がついていることは一度もなく(昭和20年代など若い頃はやっていたらしい)、そうなると玉志さんも師匠の濡髪は直接見たことがないはずだが、師匠から話だけ聞いていて、それをイメージしながらやっているのかな。真面目に喋るときに、時々、「しゅっ……」と伸び上がるのとか、かなり、「らしい」。

それにしても、玉志さん、本当に細い。もはや濡髪の人形のほうが胴周りが太い気がする。タンパク質をたくさん摂取してほしい。

 

長吉〈吉田玉勢〉は真面目で可愛らしい雰囲気。玉勢さんの真面目さがもっとも良い方向に出ていると思う。所作も綺麗。玉志さんがか・な・り長吉を横目に凝視していたが(ちびまる子ちゃんでいうとはまじのような表情)、お兄さんウインドウをお吹かせ遊ばされているのだろうか。

 

初日から見たからか、ところどころ、ヤバ事件が発生していた。

 

 

 

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難波裏喧嘩の段。

ここからは2021年9月東京公演でも上演された場面。
濡髪が与五郎のためとはいえ侍2人を殺害してしまい、大坂の町から逃げざるを得なくなるというエピソード。

段切で、濡髪が下手小幕に引っ込むのは、玉志さんのオリジナル演技なのか? 文章は「一散に足を早めて」となっているので、人物の動きとしては走り去るのは適切だと思う。初日は小幕を開けてもらえず、ぶつかりそうになっていた。ぶつからずにすんだのは、濡髪が自分で幕を開けていたから……。野っ原に突然発生する暖簾。二日目は小幕に人がつき、普通に開けてもらっていた。なお、2021年9月東京公演の際は、会期前半は舞台上で決まっていたが、後半は細くへ引っ込む演技に変えていたと記憶している。そのときも小幕を開けてもらえず、幕にべしょっとぶつかっていた。かなしみ。
今回改めて、この人、細かいところまで本当に気が回っているなと思ったのは、アホ侍2人〈平岡郷左衛門=桐竹紋吉、三原有右衛門=吉田玉翔〉との立ち回りで、次々襲いかかってくるアホを体よりも先に目線(顔)で追う仕草。ひとりが倒れたら、一瞬、首をひねって、次のやつをぱっ!と見てから、動く。ステゴロの達人感がある。
そして、ここまでの濡髪は、左に上手い人がついてるのではないか、と思った。

 

この段、「与五郎、吾妻と逃げられてよかったね♪」みたいな雰囲気で終わるが、あいつ、本当は奥さんいるから。早く家に帰れッ。

 

 

 

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八幡里引窓の段。
遠方へ去ろうとする濡髪は、旅立ちの前に5歳のとき別れた実の母に会いにくるも、再婚した母の義理の子・十次兵衛は、皮肉にも濡髪の追手を命じられていたという話。

玉男さんは南方十次兵衛初役とのこと。結構武士に寄せてくるかな(というか、玉男さんがやると勝手にそうなるかな)と思っていたが、かなり町人寄せだった。というか、『卅三間堂棟由来』の平太郎に近い感じだった。平太郎も武家に生まれたものの田舎でパンピー生活をしている役なので、玉男さんの中では似ているということなのかも。若い雰囲気で、人あたりがよく、ふんわりと優しげな印象がある。

十次兵衛はスタタタタと家の前まで来てすぐ、ちょこ!と片足を家に踏み入れたあと、一旦しゅっと足を戻してから、もう一度ちょこ!と家に上がる。何してんだ???と思っていたが、初代吉田玉男聞き書き文楽藝話』にこの部分への言及があった。

屋体の中の二人、また、後ろに控えている平岡丹平と三原伝蔵への手前もあって、心を取り直して形を整え、気取って『母者人、女房、只今帰った』となります。

吉田玉男 文楽藝話』P.195

この「心を取り直して形を整え」というのが、踏み込み直しのことなのだろうか。
また、
文楽藝話』には、南与兵衛が手にしている扇子での演技の重要性についてセルフ解説が語られている。扇子の扱いは、今回プログラムの玉男さんの談話でも触れられていたが、どうだろう。
自分が見た初日〜二日目だと、全般にかなりやわらかめで、全体設計含め、玉男さんはまだ役にピントを合わせている途中のように感じられた。玉男さんは変に何かをコピったりせず、また、師匠をそのまま踏襲するわけではなく、自分が納得するまでピント合わせをする傾向があると感じている。それはとても好ましいことで、2018年2月東京公演での『女殺油地獄』与兵衛初役の際は、会期前・中・後にかけて変化し深みが出てゆく与兵衛像に感銘を覚えた。「玉男さんの南方十次兵衛」ができあがってくるのは、会期中盤、後半にかかってくるかな。大阪近郊在住の方は、ぜひ、最後まで見届けてほしい。
母と女房に濡髪を逃す示唆をして戸口を出て、おでかけ前に後ろ姿になるところの安定性は、さすが玉男さんだと思った。ぴんと凛々しく香気に満ちた背中で、意志の強い目線も美しく、男性役の後ろ姿として、とてもすばらしかった。

細かな演技の良し悪しは別として、人物造形の全景については、少し、考えることがあった。以前、勘十郎さんがやったときにも感じたが、南方十次兵衛は、知的な雰囲気を出さないと間持ちが難しいと思う。
並木宗輔作品や近松半二作品に描かれる最も「かっこいい男性」は、「頭のいい男性」。頭が切れる思慮深い男性が中心にくるのは、現行の人形浄瑠璃文楽)の演目の特性だと思う。十次兵衛は武士/町人のあいだを行き来することが人物像の特徴で、表現の上でもそれが重要だと言われているけれど、それは彼の知性と仁愛がなすもの。いまの状態だと、仁愛はあるんだけど、知性はかしら(検非違使)の造形以上の部分は、どうだろ。玉志さんの濡髪が賢そうすぎることもあって、十次兵衛の人物像がふわっとしてしまっていると感じる。
究極的には、この役、玉志さんか和生さんのほうが似合うと思う。2月東京公演の「引窓」は、どちらかの方の十次兵衛が見たいな……。

 

「引窓」の濡髪はあいかわらずシュッとした雰囲気。大時代的な芝居はなく、かなりスマートで現代的な印象になっている。濡髪を太らせて見せる方法自体は、あると思う。着付のゆとりの持たせ方、かしらの構え方。この演目は、濡髪がドスコイに見える(本当にドスコイだっつってんだろ)+古臭いレベルで大仰な演技のほうが「それらしい」とは思うが、玉志さんは玉志さんでわざとやっていそうだ。いかつく見せるにしても、かしらを襟に埋めて猪首っぽく見せるのとかは、他の役で時々やっているし。なぜこのようなスマートさを志向しているのか、お伺いしてみたいところだ。
個人的には、ベタな話だからこそスマートな主人公像を描くというのは、非常に現代的に感じられる。さすがに現代で「関取=人気No.1イケメン職業!」という当時の価値観に共感できるかというと厳しい面もあるし、主人公たる「気持ちのいい若い男性」の表現としては、着地点として理解できる。

 

 

濡髪ママ〈桐竹勘壽〉は、上品なところが良い。カミソリをものすごく慎重に研いでいるのも良い。権四郎(ひらかな盛衰期)より研ぎ研ぎしていた。ママは、濡髪を引窓の綱で縛って十次兵衛を呼び出すところで、家の入り口の柱につかまり外に向かって呼びかける姿がスラリとしていた。
それにしても、濡髪の前髪を落とす芝居って、人形だと実際に覗き込んでやることができないので、難しそう。勘壽さんは濡髪の右ふさ・中央ふさ・左ふさの順番に剃りたい派のようだけど、違うところにひっかかってしまう場合があり、左の人(左からは見える、というか、見てもらう)と話し合いながらやっていらっしゃった。勘壽さんも、人形を遣いながら喋るときは、人形の陰に隠れるのね。なんだか可愛かった。

 

おはや〈吉田一輔〉はその演技で何を見せたいのかが曖昧になっていると感じた。一番引っかかるのは、引窓を閉める演技。引綱を引き終わったポーズ取りそのものを力一杯やってしまってる。引っ張り終わった姿をポーズ(型)としてキメてしまうと、引窓の開閉とそれに応じた彼女の心理に目がいかなくなると思う。
映像で見た限り、簑助さんのおはやは演技が違っていた。引き終わりで綱に巻きついてそのラインと一体化した姿になり、顔は下手へそらすという自然な所作だった。引綱を強調するのと、顔を大きくそらしているのは、演出的に重要なポイントだと思う。簑助さんも、いつも同じ演技だったというわけではないとは思うけど、師匠の演技を踏襲する/しないを、みなさん、一体、どういう判断でやっているのだろう。

おかしいといえば、十次兵衛に連れられてやってくる平岡丹平と三原伝蔵、体の関節が全部外れちゃった💀みたいな動きしてない……? 羽織袴の武士といえど雑魚キャラのかしらを踏まえた品性でもいいと思うけど、動き自体がぎこちないのは、何……? 寄り合いで体の関節が全部外れてぐにゃぐにゃになる薬を飲まされてきたのかも。

 

床は、いろんなやり方があるとは思うけれど、かなりのぺっとしているように感じた。過去の録音と比べると、口調と間合いがかなり均一になっていて、特に濡髪はこれだと「デッカ・ボディ」を表現する間合いが全然足りないと思うが、どうなんだろう。十次兵衛も町人の軽妙さがあまりないように感じた。濡髪はともかく、十次兵衛は前回公演はこうではなかったと思うのだが……。
逆に、小住さん〈中〉は濡髪をえらいわざとらしい作り声でやってるなと思っていたけど、あれは、「関取口調」をやりたいということなのね。もう少し間合いをモッタリさせ、喉に脂肪がついたようなモチモチした口調にすると、よくわかるようになるかもと思った。



  • 義太夫
    • 堀江相撲場の段
      長五郎 豊竹睦太夫、長吉 豊竹希太夫/鶴澤清馗
    • 難波裏喧嘩の段
      長五郎 竹本津國太夫、郷左衛門 竹本南都太夫、有右衛門 竹本文字栄太夫、吾妻 豊竹咲寿太夫、与五郎 豊竹亘太夫、長吉 竹本太夫/鶴澤寛太郎
    • 八幡里引窓の段
      中=竹本小住太夫/野澤勝平
      切=豊竹呂太夫/鶴澤清介

  • 人形
    濡髪長五郎=吉田玉志、茶屋亭主=吉田玉征(前半)桐竹勘昇(後半)、放駒長吉=吉田玉勢、平岡郷左衛門=桐竹紋吉、三原有右衛門=吉田玉翔、山崎与五郎=桐竹勘次郎、藤屋吾妻=吉田玉誉、下駄の市=吉田簑悠(吉田簑之全日程休演につき代役)、野手の三=吉田玉延、女房おはや=吉田一輔、長五郎母=桐竹勘壽、南方十次兵衛=吉田玉男、平岡丹平=桐竹紋秀、三原伝蔵=吉田簑紫郎

 

 

 

面売り。

面売り娘〈吉田勘彌〉とおしゃべり案山子〈吉田玉佳〉が出会い、娘の売る「天狗」「福助」「ひょっとこ」「おかめ」の面を使っておもしろおかしく舞い踊るという景事。

 

はじまる前、客席に、素で、「これ、いる?」と言っている正直者のツメ人形がいらっしゃったが、幕が開いたら、意外にもちゃんとしていた。ちゃんとしているっていうか、普通に面白い。なぜならば、配役がちゃんとしていたから……(正直者のツメ人形2号)。
床も人形も安定し、朗らかかつ華やかな雰囲気がしっかり作られていて、見どころ聞きどこもしっかり抑えてあった。古典芸能らしい陽気な軽さが出ているのも良かった。

景事として変化に富み、構成に工夫があるのも良い。娘が次々に売り物の面をつけ、それに沿った案山子の話芸に合わせて舞い踊るというシンプルな内容だけど、面が4つあるため、変化がある。「団子売」に似ているが、こちらの方が変化が大きく、ひとつずつのタームも短いので、「次は?次は?」となる。また、彼らが持っていた小道具類が「コスプレ」にどう使われるかが見どころになっているので、飽きずに見られた。踊りの振り付けも人形らしさが生かされていた。「おじさん」には結構ハードな運動量だけど!

 

人形は、面売り娘、案山子とも、役の持つチャーミングさをよくいかした所作。
案山子が出てくるとき、玉佳さんが満面の笑みだったのが良すぎた。ダメだけど。なんであんだけおる兄弟弟子の中でひとりだけめちゃくちゃスマイルなの!?
勘彌さんも、持ち味であるちょっとおしゃまな雰囲気が面売り娘のキャラクターとして立ち現れていて、かつ、どんどん変化していく踊りをほどよいカジュアルさでこなしていくのが良かった。日本舞踊的な処理をしすぎないというのがポイントなのかもしれない。

簡単に人形の着付メモ。
面売り娘は少し変わった出立で、ほかの役では見ないような短冊状の頭巾(水色に赤のバイピング)をかぶり、でんちのようなものを着ていた。面をぶら下げた、長い棒を挿した納豆包状の藁の束(『良弁杉由来』「桜の宮物狂いの段」の花売り娘が持っているようなやつ。「弁慶」というらしい)が商売道具。赤い着物の裾をからげていて、足あり。
おしゃべり案山子というのは大道芸の軽口師的なもの? 「??説経」(??部分は忘れた)と書かれた笠を長い棒の先につけたものと扇子を持っている。水色の手拭いをかぶり、黄色の格子の着付(中は卵色の花柄風下着)に裾絞りのパンツ。最初の場面のみ、茶色の羽織を着ている。

 

床は明るく走り出すような弾き出しがとても良かった。いつもこういった演奏がベストとは限らないのだが、この演目の「軽さ」が逆に味になっていて、楽しい気分になれた。

 

 

  • 義太夫
    面売り 豊竹呂勢太夫、案山子 豊竹靖太夫、豊竹亘太夫、豊竹薫太夫、竹本織栄太夫/鶴澤藤蔵、鶴澤友之助、野澤錦吾、鶴澤燕二郎、鶴澤清方

  • 人形
    おしゃべり案山子=吉田玉佳、面売り娘=吉田勘彌





『双蝶々曲輪日記』は、話自体が面白いので、普通に面白かった。でも、正直なところ、今回の「引窓」は、メリハリがないと感じた。メリハリのある物語構造をいかした聞き応え、見応えであってほしかったな……。

逆に、まったく期待していなかった(というか、観劇当日、開演前に隣の席の人が読んでいたプログラムで目にするまで存在に気づいていなかった)「面売り」は、気分のいい演目だった。身も蓋もないが、景事は、上手い人が出ると面白い。

 

感想そのものから話はズレるけれど、「スマートに見える人形は、なぜスマートに見えるのか」について、最近、よく考えている。スマートに見える人形の特徴を抽出していくと、以下のような事項が挙げられると思う。

  1. かしらに不要な傾き、グラつきがない。
  2. 顔と頸部の関係性がブレない。
  3. 顎が上がっていない。若干顎を引いている。
  4. 首(頸部)がスラリと見える構え方をしている。首を衣装に埋めない。
  5. 動いても、動き終わったら、もとの位置に戻る。動作につれた位置ズレがない。位置というのは、左右前後高さを含めた三次元的なもので、人間でいう鎖骨の中央のくぼみが一発でもとの位置に戻るイメージ。

立役でも女方でも、人形がとても「スッ」として見える方がいるけど、そういう方はこのいずれかの要素を持っている場合が多いと思う。いずれにせよ「かしらをどう見せているか」という話で、文楽人形においてかしらは本当に雄弁だということを、近頃、しみじみと感じる。
今回の濡髪は、かしらを用いた演技が非常に多く、また、これらの要素を多く持ち合わせているがために、粗野でモタついたイメージのある「関取」から離れ、スマートな雰囲気に寄っていっているのだと思う。4と5を変えて、首を襟に埋め、ブルンとぶれのある動作にすれば、関取らしくはなるだろうな、と思った。

 

今回、ひさびさに大阪の初日へ行った。みなさん、「散髪、したて…⭐️」な感じで、良かった。玉志さんは髪の毛をだいぶすいていた。髪の毛が喉から手が出るほどほしい人に憎悪されそうなことしとるなと思った(?)。
それにしても、特に人形さんは初日にミスをしても、二日目ですぐに直る人は直るのね。それ自体はすごいのだが、じゃあ、舞台稽古はどんな騒ぎになっているのか、若干気になる。

 

↓ 2021年9月東京公演の『双蝶々曲輪日記』感想

 

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