TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 11月大阪公演『奥州安達原』朱雀堤の段、敷妙使者の段、矢の根の段、袖萩祭文の段、貞任物語の段 国立文楽劇場

第二部、奥州安達原、三段目。

2022年9月東京公演で出たばかりの演目ながら、東京よりも、かなり良かった。
明確によかったのは、人形の袖萩〈吉田和生〉、傔杖〈吉田玉也〉。役の性質を踏まえた芝居で、物語の世界観の強度が大幅に上昇していた。この二人のために、芝居の骨格ががっしりしたという印象。

袖萩の特筆すべきポイントは、零落の令嬢としての姿と、母としての姿の描写の巧みさ。
袖萩は、我が身を恥じてか、始終物怖じしているような仕草をしている。盲目であるから以上に体を伏せ、目線はずっと下がっていて、零落したけどやる気マンマンの朝顔(生写朝顔話)とは比べものにならないほどの痛々しさがあった。
『良弁杉由来』の渚の方など、和生さんは「自分の身分を恥じる演技」を、時々、する。品格表現や感情表現とはまた違う、その人の置かれた社会的状況を表現する演技として、上手いと思う。これはホンに書かれているわけではないというのがウマポイントであり、物語へ厚みを持たせるセンスの発露であると思う。
しかし、父母を裏切って「お嬢様」であることは捨てたけれど、そのかわりに「お母さん」になって、娘を守って暮らしていることは間違ったとは思ってはおらず、恥じていないのが、なにより、良かった。
袖萩には頻繁にお君を抱き寄せる演技がある。それがどれも良い。本当に「この子だけは絶対自分が守る!」という強い意志を感じる。そんな母を慕うお君が、袖萩のおなからへんに小さくなって抱きつくのも良い。かなり低め、おっぱいの陰に入る位置というか。人間の役者では叶わない、子供の人形の小ささをいかした場所。袖萩も、腕と袖でお君をしっかりと覆うように抱いてあげているのが、良い。浜夕の打掛をかぶって、ぴっちり閉じ、自分の顔も下げて、お君に雪や風が当たらないようにして抱いてやるところとか、お君が全然見えなくなるのが、ほんとに良かった。(袖萩テント)

お君〈桐竹勘次郎〉は、安心して母にぎゅーっと抱きついている姿が良かった。前回東京と同じ配役だが、東京公演より断然良かった。東京では芝居の間合いがめちゃくちゃになっていたり、所作の不自然さがかなり目立ったが、初日の段階で非常に良かった。本人の演技する態度自体も大幅に落ち着いていた。
未熟な人が和生さんと共演すると、芝居が大幅に改善する傾向があるように思う。和生さんがこちょこちょ(ガミガミ?)教えているのではないかと思う。客席からわかる範囲でいうと、お君が袖萩の手を引く場面で、時々、袖萩のほうが先にお君の手をガッと掴んで立つタイミング等を示唆してあげていた。焦りがちな人も、「ここではこうすればいい」というのがわかって、安心してできるのだと思う。和生さんが周囲に指導しているとか、周囲を立てるような芝居をしているというのは裏取りしたことではなく、私の推測だけど、それでも、やっぱり和生さんだけが、なんか違う。勘十郎さんや玉男さんではこうはいかない………………。
和生さんが指示を間違えたのか?、変なタイミングで袖萩の手を引くお君が小幕から出そうになったところがあったのは、ちょっと、可愛かった。ワワ…(チイカワ)みたいな感じに、ちょこちょこ……と引っ込んでいった。もちろん、二日目は間違わず、ばっちりでした。

 

傔杖も、彼の持つ謹厳さ、立場がしっかりとあらわれていた。
特に「朱雀堤」から上演すると、傔杖という人物の立場、建前、煩悶の表現は、非常に重要。建前がしっかり立っていないと、袖萩や浜夕のような感情を表に出す人物との対比、傔杖が普段は包み隠している内面の脆さや優しさがぼんやりする。今回はその建前がしっかりと立っていた。
なにがそれを醸し出しているかといえば、直線的な堅い動きの中で、止めるところでビッと止めるといった、操演のアクセントの持たせ方だと思う。大袈裟で大時代的な芝居をしているということではなく、そういった所作の端々が傔杖の威厳を少しづつ積み重ねていっているのではないかと思った。
目線の強さや、体の節々が固まっている老人めいた無骨さも、それらしさを醸し出している。玉也さんの持ち味が活かされる役だと思う。
傔杖が締まると、『奥州安達原』そのものも締まる。非常に重要な役だと思う。

 

 

もうひとつは、登場人物たちを取り巻く情景が感じられるようになったこと。前回東京公演では、登場人物たちを取り巻く空気や雪の冷たさがまったくわからないという致命的な問題点があった。しかし、今回は、人形・床ともに、口を開くのも辛いような寒々しさが表現されていた。
見た目として、袖萩が弱々しくヒヨヒヨとしていることと、その反転として、しっかりとお君を覆う演技が度々入るというのが大きい。前述の、浜夕の打ち掛けでテント風にお君を覆い、寒風や雪を防いでやるところなど、痛ましいほどの寒さが顕著。
寒さは視覚だけではない。床は、配役は東京と同じだけど、寒さが明快になっていた。身も蓋もないが、「袖萩祭文」と「貞任物語」とのあいだの切る位置が変更になったからだと思う。今回は、本作で一番の寒さが描かれる、寒さで倒れた袖萩をお君が介抱する場面が「貞任物語」のほうに行った。凍死しかけの袖萩は、実に寒そうに小さな声でシャビシャビと喋っていた。公演を見た日は11月にもかかわらず気温27、28度の夏日だったが、冷えた空気が感じられた。
東京では、お君が気を失った母に一生懸命着物を着せ掛けたり、冷たい雪を我慢して手で掬って母への気付けの水にする場面はかなり白々しく感じられた。しかし今回は、人形・床ともに「寒さ」への描写力が上がり、悲哀が強く滲んでいた。
寒さによって、奥州から来た復讐に燃える兄弟と、その兄と縁を結んだお嬢様の悲哀のドラマが克明となっていたと思う。




◾️

以下、各段の感想。

朱雀堤の段、人形黒衣。

袖萩がかまぼこハウスからおずおずと這い出てくる姿が印象的。和生袖萩は、這い回るような所作が多く差し挟まれるのが特徴だった。上体を低くして顔を伏せ気味にしたまま、周囲を探るように手を動かしている。朝顔(生写朝顔話)や俊徳丸(摂州合邦辻)でよく見る、わりとちゃんと立っている演技とは違う気がする。また、『近頃河原の達引』の与次郎ママだと、首をかしげて耳を相手に向けるような仕草をする場合が多いが、そういうのとも違って、かなり顔を伏せている感じだった。失明して間もなく、目が見えないことに不慣れで、立ち歩きがつらいほどに栄養状態が悪いということなのかな。娘のかしらのはずだけど、うら寂しさもあって、かなり大人っぽいのも印象的だった。
八重幡姫と生駒之助の祝言のところで袖萩が着ている打掛は、『菅原伝授手習鑑』筆法伝授の段の戸浪とお揃い……?

お君は、演技の間合いが大幅に整理されており、「祝言の酌の間合いが焦りすぎ」という東京公演での致命的問題点が解消されていたのが良かった。

恋絹〈桐竹紋吉〉は、2022年9月東京公演とは結髪が異なり、普通の町人女性の結い方だった。東京公演では立兵庫(阿古屋などの傾城役の結髪)だったが、なぜ変えたのだろう? 東京は最後に「道行千里の岩田帯」がついていて、そこでは確かにこの結い方だったと思うが……。
プログラム掲載の「登場するかしら」では、恋絹は「ねむりの娘」を使っていることになっていたが、娘にしては顔が大きく、目元や顎の尖り方がむっちりしていて、傾城?と思ったが。
夏休み公演では、「登場するかしら」と実際の舞台とで異なっている役があった(こちらは気のせいとか私の想像ではなく、確実に違うかしらが振られていた)。この欄、プログラムを制作する際、過去流用でコピペされているのではと思うが、実際の舞台との違いがある場合は張り出し等をして欲しい。和生なんとかしてくれ。

非人の六が持っている「欠け茶碗」が東京公演とは変わっていた。東京公演では、木目そのままが見える木の椀だった気がする。今回の大阪公演では、外が黒で中が赤の塗り椀になっていた。

 

 

 

◾️

敷妙使者の段〜矢の根の段〜袖萩祭文の段〜貞任物語の段。人形出遣い。

人形は、出演者のキャラクターと登場人物のキャラクターが一致しており、とてもよかった。傔杖、浜夕、敷妙、義家、貞任、袖萩、いずれも良い。

浜夕〈吉田簑二郎〉は自然な優しさが魅力的だった。それなりに身分が高い人物でがあるが、娘たちに対する感情の見せ方の普通の人らしさが良い。愛娘と孫を心配し、陰からそっと見ようとするときの静かでゆっくりとした動きは、芝居のセオリーとしてのゆったりさを超えて、寒さに構わず外へ出てきた彼女の心情をそのままに表しているようで、簑二郎さん独特の浜夕になっていた。簑二郎さんはやっぱり、人物の優しい内面にフォーカスした芝居がいいな。

敷妙〈吉田清五郎〉は、超美人。東京と変わらず、スラリと立つ百合のような美女。色白なほおがスッとほっそりして見える。人形の構え方でそう見せているのか、うなずきの仕掛けを使って少しうつむかせているのか。清五郎さんの人形は、首はすっきり立っているので、うなずきの仕掛けを使って本当に顔を少しうつむかせていると思う。私も清五郎の人形を見習って随時ちょっとうつむこうと思います(二重顎太郎)。

玉佳・八幡太郎・義家、良すぎ。あまりにも良すぎる。タマカ・チャンは源氏の貴公子が似合いすぎ。苗字、絶対、「源」だと思う。(絶対違う)
寒空の下、供をひとりだけ連れて御殿へやってきて(あの傘持ち、むしろ、何?)、枝折戸の前で「ちょこ…」と座っている様子。鎧装束に改めて去りゆく則氏を呼び止め、右肩を突き出して正面向きに決まる姿。清和源氏〜って感じだった。

玉男さん貞任は、あいかわらず素晴らしい。則氏の不気味さもいいし、貞任の本性をあらわしたときの巨大さとシャープさも華麗。
貞任は大きな動きが連続して入る役。その動きのひとつひとつが華麗に決まっている。過去の感想にも書いたけど、器械体操の選手のような、無駄のない美しい躍動。見ていて気持ちがいい。下手へ向き直り、上体を90度に前方へ折り曲げ、ぱっと髪を振り上げて直立に戻る動作の弧の大きさと止めの優美さなど、衝撃的。あそこまで大きく動くと普通はぐらつくし、直立しなおしたときに慣性でブレが出るんだけど、そういった見た目上の無駄が全然ない。則氏の姿のときは動きが徹底して抑え込まれているので、貞任の鮮やかな動きが大きく映える。
しかし人形がまじでデカい。ネットによくあるウケ狙いの極端誇張ではなく、本当にデカい。今回、2Fロビーに貞任の飾り人形(全長100cm)が置かれており、参考として、舞台用の人形は150cmと書かれていた。いやいや……私より小さいとかありえへんやろ。公家の時点で絶対190cmはあるて。東北在住のころ日々ヒグマと戦っていたために異常屈強になったとしか思えん……。しかも貞任になったらモフモフ毛で200cm余裕で超えとるで……。と思った。
玉男さんはプログラム掲載のインタビューで「幕切れでは宗任に負けないように人形を高く差し上げて遣うつもりです」と語っていた。普段からクソデカなのにまだそれ以上に張り切るのか!?!??!??!と衝撃的だったが、しかし、人形を安定して高く差し上げ続けることは、本当、立役の技能としては重要で、大切なことだなと思う。
今回、気づいたのは、大きく動くところで、いかにかしらの演技をお留守にしないかという問題。これはもう本当に難しいのだと思う。人形が大きく動くところで、その動き自体に気を取られて、かしらがオマケになってしまう場合がある。要するに、かしらが芝居をしていないときがあるのだ。それに対し、玉男さんは、トップレベルに細かく気をつけている部類。それでも一瞬飛ぶときがある。その飛びが若干の味でもあるのだが。玉志さんはこの点さらにツメが細かく、すべてが芝居として構成されており、相当に細かく気をつけているんだなと思った。

 

「祭文」の呂勢さんは、いいんだけど、やっぱり、普通のセリフと歌の区別がほぼない。前回の東京公演も、今年正月の「阿古屋」でもそうだったので、ご本人の考えとしてわざとやっているのだろうか。でも、芝居が単調に聞こえる。
清治サンは、今後ずっとこういう感じでやっていくのかな……。東京公演は本当に驚くほど良かったのだが、あれは当時何か思うことがあっての、渾身の演奏だったのかな……。

「貞任物語」は東京同様に錣さんだが、前述の通り、切る位置が変わったため、袖萩とお君が枝折戸の外で凍える場面も演奏。この部分の寒々しさは印象的だった。
袖萩の描写も秀逸で、女性を語らせたらやはりこの人、と感じた。文楽浄瑠璃)にとって女性描写は本当に重要なはずなのに、なんか?な感じになりやすい要素だと思う。普通にあからさまな手抜きや、男子小学生が想像したレベルの「女性」が横行している。そんな中、社会的背景やその人物の個性を踏まえた女性描写がなされているのは嬉しいことだ。

 



  • 義太夫
    • 朱雀堤の段=豊竹藤太夫/鶴澤清志郎
    • 敷妙使者の段=豊竹希太夫/鶴澤清𠀋
    • 矢の根の段=豊竹芳穂太夫/野澤錦糸
    • 袖萩祭文の段=豊竹呂勢太夫鶴澤清治
    • 貞任物語の段=切・竹本錣太夫/竹澤宗助
  • 人形
    袖萩=吉田和生、娘お君=桐竹勘次郎、かさの次郎七=吉田玉彦、六=吉田文哉、瓜割四郎糺=吉田簑太郎、八重幡姫=桐竹紋臣、平傔杖直方=吉田玉也、志賀崎生駒之助=吉田玉誉、傾城恋絹=桐竹紋吉、とんとこの九助=桐竹勘介、妻浜夕=吉田簑二郎、敷妙御前=吉田清五郎、八幡太郎義家=吉田玉佳、桂中納言則氏 実は 安倍貞任=吉田玉男、外が浜南兵衛 実は 安倍宗任=吉田玉助

 

 

 

◾️

2022年9月東京公演で出たときには「これだとちょっとなぁ……」という印象の『奥州安達原』だったが、今回はよかった。落ちるところまで落ちた人々の運命の結末、悲哀の感慨があったし、寒空の下、雪が寂しく舞い散る情景が感じられた。近松半二時代の浄瑠璃は設定がケバケバしい分、こういった情緒が舞台に立ち現れてくると、全然見応えが違うよなあ。派手な物語にこそ、情景描写はとても重要、と思った。

『双蝶々曲輪日記』と同じく、初日・二日目に観たせいか、端々にやばいところがあった。人形でドジがあるとか、左が追いつかないとかはわかるのだが(ダメだけど)、床が「?」なのは、あまり稽古できていないということなのか? 頑張って!!!!!!!!!!!!!

 

 

↓ 2022年9月東京公演の感想。

 

↓ 全段のあらすじ解説。


 

 

2Fロビーに置かれていた貞任の飾り人形。おててなど、細かいところまで舞台用そっくりに作られている。

所蔵クレジットは「国立劇場」となっていたが、閉場に伴い大阪へ引っ越してきたのだろうか。

f:id:yomota258:20231114213105j:image

かしらは大江巳之助作、衣装着付は桐竹紋造。元々個人蔵だったものが寄贈されたようです。

f:id:yomota258:20231114213057j:image

手を差し込む穴もあります
f:id:yomota258:20231114213050j:image

おててもホンモノと同じ
f:id:yomota258:20231114213101j:image

大きさ比較🥹
f:id:yomota258:20231114213053j:image