TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 大阪7・8月夏休み特別公演『生写朝顔話』国立文楽劇場

勘十郎さんの人間国宝認定、おめでとうございます。

人形遣いは簑助さん、和生さんがいるので、次に誰かが認定されるのはだいぶ先だろうと思っていましたが、早々の認定。おめでたいことです。

勘十郎さんの活動では、外部公演への意欲的な参加が一番尊敬する。チャレンジングすぎる企画でも前向きに取り組み、執念深くキッチリ仕上げてくる根性がすごい。本公演でもみられる、「なんでわざわざそっちへいく!?!?!?!?」というフロンティアスピリット。本当に頑張り屋な方なんだと思う。頑張り屋っていうか、もはや狂気だな。自分が納得いかないことはやりたくないし、納得するようにしないと気が済まないタイプなのだろう。68歳にしてあの闘争心はすごい。でも社会性はある(大事!)。自分の老後もそうでありたい。

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第二部・名作劇場『生写朝顔話』は、明石浦船別れ・薬売り・浜松小屋・笑い薬・宿屋・大井川を上演。
通常よく付く宇治川蛍狩りをカットして、徳右衛門が笑い薬をゲットする「薬売りの段」を出しているのが今回の特色。

今回興味を持っていたのは、勘十郎さんが深雪をどう演じるかという点。
深雪はただの恋愛体質元気娘ではなく、零落の表情がある。そこがどうなるのか。直近公演のしっとり系の役に首をかしげることが多かったので、深雪は一体どうするつもりなんだろうと思っていた。しかしそれは杞憂に終わり、一番気になっていた「宿屋」では朝顔をしっとりと演じられていて、とてもよかった。でも、元気娘であることも忘れてはいない。深雪は実家逃走以降は零落した姿で表現されるのが基本かと思うが、儚さというより健康的な雰囲気が面白かった。

 

 

 

石浦船別れの段。

阿曾次郎は和生さん。和生さんここなの!?と驚いたが、かなり大人っぽく美しい佇まいの阿曾次郎だった。阿曾次郎は武士の中でも武芸者ではなく学者的なキャラクターだが、その説得力があった。和生は頭よさそうやから!
勘十郎さんは前述の通り、健康美輝く深雪。マジ吸い付いててよかった。そして、朝ごはんに丼飯3杯(約1,000kcal)食ってそうな元気ぶりだった。私も朝から丼飯3杯食って、イケメンを見たらめざとく追いかけ回せるようにしなくてはと思った。

しかし、和生さん阿曾次郎と勘十郎さん深雪では、カップルというより、兄妹に見えるな……。和生さんの大人っぽさ、勘十郎さんの幼さがそう見せているのか。お互いベストを尽くされていると思うが……。玉男さんはどちらに対しても相手役やってるけど、玉男さんだと、最低限恋仲には見えるのはなんでだろう。玉男さんにはどこかしらプレイボーイ感があるからなのか? 難しいと思った。

 

そして呂勢さん清治さんはなぜここ……。いや、そりゃおざなりにできない段だとは思いますけど……。

 

 

 

薬売りの段。

あらすじを簡単にまとめておく。

遠州・浜松の街道筋。不動尊の縁日の参拝客を当て込み、立花桂庵〈吉田簑一郎〉が落ちぶれた姿で薬を商っている。

桂庵はもともと、大内家の諸芸指導をつとめる秋月家(深雪の実家)へ出入りする医者だった。桂庵は深雪パパ・弓之助からの婿候補・宮城阿曾次郎の身辺調査依頼と、深雪に横恋慕する祐仙の依頼とを受け、祐仙をニセ阿曾次郎に仕立てようとしていたが、連れていった祐仙の言動があまりにもヤバすぎて一発でバレてしまい、追い出された果てにいまは浪人の身の上となっていた。

そこへ、嶋田で宿屋を営む戎屋徳右衛門〈桐竹勘壽〉が通りかかる。桂庵から煙草の火を借りた徳右衛門が一服していると、近所の百姓ズが向こうからやってきた。カモ到来とばかりに桂庵は、どんなことが起こっても腹が立たずに面白くなる「笑い薬」の口上をおもしろおかしく並べ立て、百姓たちがそれにたかる。そして徳右衛門もまた火を借りた例にと「笑い薬」を求め、帰っていく。

桂庵がヤレヤレとしていると、女衒・輪抜吉兵衛〈吉田簑紫郎〉が通りかかる。吉兵衛は摩耶が岳の婆に渡した小娘が逃げたので探していると桂庵に愚痴る(今回上演なしの「摩耶が岳の段」の内容)。桂庵は小娘を見つけたら知らせると請け合い、自分はお色気後家にモテた零落の果てにこのようになったと身の上を語る。そのご面相で意味不明なホラ吹くなと取り合わず去っていく吉兵衛に、桂庵は小娘を見つけての一儲けを企むのだった。

「笑い薬の段」で徳右衛門が笑い薬を持っている理由が明かされる段。丸本にはない内容で、明治期に増補され、大正時代に定着したと言われている。*1。それでも、笑い薬そのものは唐突に出てくるのね。桂庵はヤブ医者っぽいが、薬の効能が本物だったのはすごい。

 

全員がゴソゴソしていて情報量が多い段。
徳右衛門はまた勘壽さんだった。持ち役? 昔気質なジジイのきりっとした生真面目な風情があり、かつ、道端の岩に座る仕草で、ちょっと大義そうに腰をかけるのが良かった。本当にジジイな人形遣いさんは、「よっ…こいしょ」な座り方がうまい。ご本人も「よっ…こいしょ」してるから、人形の気持ちがわかるのかな。

 

 


浜松小屋の段。

全体的に登場人物の懸命さがそれぞれよく感じられて、好ましい雰囲気。
勘彌さんの浅香が色っぽく魅力的。ふっくらと柔らかに香気が漂う人妻ぶり(人妻だよね?)。やはりどこかちょっとケンがあるのが左幸子みたいで良い。『ひらかな盛衰記』お筆、『本朝廿四孝』濡衣など、この手の気丈な若めの老女方が非常に似合う人だと思う。艶麗さが物語に彩りと湿度を与える。

ただ、「浜松小屋」は、2017年9月東京公演で観た和生さん浅香・簑助さん深雪の舞台が忘れられないので、私には今の舞台のちゃんとした評価はもうできないと思った。あれとは違う文脈で強力に打ち出せるものが出来たときに、自分の中での浜松小屋の見方がまた変わるんだろうなと思う。

あとはかまぼこハウスのボロぶりがすごかった。

 

 


笑い薬の段。

今回の祐仙は簑二郎さん。「家に帰ってきたら玄関ドアの前になぜか巨大ウシガエルがッッ!!!! 何をどうやっても全くどいてくれないッッッ!!!!!」って感じののんびりしたキモユーモラスさがあった。人形らしく、天然ボケ感のある、柔らかい雰囲気が魅力。勘十郎さんとはまた違ったチャーミングさで面白かった。
茶箱セットを取り出さないのが勘十郎さんとの大きな違いかな。茶箱の風呂敷包みは持っているが、風呂敷を取ってケースそのものを見せ、道具を取り出すくだりはなく、風呂敷包みを手すりの下へ下ろしてすぐに茶碗、茶筅などが舞台に並べられる。茶を立てるくだりもそれほどしつこくない。
お茶を点てる演技自体は結構わざとらしく、おもしろおかしくやっている。簑二郎さんの場合は、わざとらしくやっても押し付けがましさや重い印象がないので、いやらしくならない。デカいウシガエルが玄関ドアの前からどうしてもどいてくれない、でもウシガエルだから仕方ない的なウザさなのが良い。

岩代多喜太〈吉田玉輝〉は茶の湯にノーリアクション。融通がきかないくせに、どうでもいいことでノロノロされてもセカセカしてないい。さすが武士。やっぱり岩代多喜太(全身の毛がつながってそう)は玉輝だなっ!と思った。

 

人形は頑張っていたとは思うが、床がうまくいっていなくて、かわいそうだった。体力的にもってないんだと思うけど、どんどん声量が下がっていってしまい、祐仙が一番大笑いするところで大笑いができていない状態。前半、祐仙が出てきて人形の仕草で笑わせるところはお客さんも笑ってるんだけど、肝心の祐仙が笑い薬の効能で大笑いしてしまうところでは客席シーンとしてしまっていた。チャリ場を得意とする大ベテランがやってこの状態というのは、色々と考えるべきことがあると思った。

この段は、出演者の「どう見せたいのか」という考えが明瞭で、かつ、それがはっきり表現できていないと、面白くないのだなと思った。ここは「チャリ場」だから笑える、という本末転倒になっているように感じた。

 

 

 

宿屋の段。

今年の若手会の感想にも書いたが、この段、かなり人を選ぶなと思った。そこはかとない地方公演感が……。

前述の通り、勘十郎さん深雪は良かった。だいぶ少食になっている感があるが、それでも健康的な雰囲気があるのがおもしろい。丼飯1杯でおなかいっぱいになっちゃって調子が悪い、バスケ部元気女子的な……。
人形の手を琴手に差し替えるときは、下女に耳打ちしてもらうふりをしてやや後ろを向き、その影で手を差し替えているのだと思う。俯いて倒れこむかのように異様に下女へ寄りかかっていた。
琴の演奏自体は普通。阿古屋のように、本人の一世一代すべてを賭けた大げさなものではなく、座敷に呼ばれてやるレギュラー仕事として弾いてる感じ。でも、この「普通」が若造には出来ないということがよくわかる「演奏」だった。

 

床はもうひと押し、うら寂しさや柔らかみが出て欲しかった。岩代多喜太や徳右衛門はとても良いんだけど、深雪の描写が率直すぎる。恋人会いたさに浜松まで走ってきた感じがしない……。プログラム掲載のインタビューではいろいろ話されていたけど、ウーン……、正直言って、できてないのでは……。千歳さんが手を抜いているとは思わないが、それなりの芸歴なのだから、表現の幅を広げる努力が必要なのではないかと感じた。ここ数ヶ月、仕上がりに疑問を感じることが多い。

朝顔の琴歌の部分は、可愛い琴で良かった。良くも悪くも、お嬢様の手習い感があった。

 

「宿屋」は現行に至るまでに色々な増補・削除があり、冒頭にある、戎屋の使用人たちがワイワイ騒ぐくだり(松兵衛山)は、明治以降の増補だそう*2文楽座から発祥したもので、それ以外の座では明治末期ごろまでやっていなかったようだ。
人形の手代松兵衛がどれだけセクハラするかが人によって違うのが、私としての見所。時々すごい人がいるが、今回はかなりマイルドだった。玉彦っ! もっとやれっ! と思った。

 

 

 

大井川の段。

出た、文楽名物・小石のぬいぐるみ。見ると嬉しくなってしまう。
でもこの段、一度でいいから、めちゃくちゃ上手い人が床を勤める公演が観てみたいね。宿屋をやった人が継続してそのまま語るような。本公演では無理だろうから、単発公演に期待したい。

 

 

 

  • 人形役割
    宮城阿曾次郎 後に駒沢次郎左衛門=吉田和生、娘深雪 後に朝顔=桐竹勘十郎、明石の船頭=吉田簑悠、立花桂庵=吉田簑一郎、戎屋徳右衛門=桐竹勘壽、輪抜吉兵衛=吉田簑紫郎、乳母朝香=吉田勘彌、下女お鍋=吉田簑太郎、下女小よし=吉田和馬(前半)吉田簑之(後半)、手代松兵衛=吉田玉彦、萩の佑仙=吉田簑二郎、岩代多喜太=吉田玉輝、奴関助=吉田玉勢

 

 

 

ひさびさの本公演4時間上演。見応えがどっしりしていた。そして、お人形さんたちの前のめりすぎる勢いに押されて、疲れた。そうだったそうだった。あいつら、感情が激重で、受け止めようとするとめちゃくちゃ疲れるんだよなあ……。と、かつての2部制のときの感覚を思い出した。5月東京の『生写朝顔話』は公演中止で観られなかったけど、今回大阪で「浜松小屋」がついた状態で観られたから、良かった。

でも、なんとも、「まあ、仕方ないか……」みたいな気分になる部分も多かった。
古典芸能だから未熟な人が出ていても仕方ない。高齢の人は体力が追いついてなくても仕方ない。配役の当たり外れは仕方ない。文楽は少ない人数で切り回さなくちゃいけないから仕方ない。そうは思うんだけど、本当に「仕方ない」のかなあと思う。1つずつは許容できるけど、それが束になってると、どんどん「微妙」感が重苦しくなってくる。

特に、「笑い薬」はいろいろと課題がある。
本文中に書いた床の問題は致命的。はっきり言って許容できない。
そして、人形の祐仙役は、今後誰がやるようになっていくのだろう。正直言って、誰もいない気がする。人形の祐仙、いまの愛嬌ある雰囲気もいいんだけど、「わざとらしくやらないやり方」でやる人はおらんのかなと思った。
「笑い薬」はこのままいくと、上演できない段になっていくか、もしくは「この段は面白い、ということになっている」という"設定”の段になっていくような気がした。


今回から販売プログラムが改訂され、東京公演プログラムのような「出演の人形のかしら一覧」が掲載されるようになった。それに加え、『生写朝顔話』の舞台写真入り全段解説、『夏祭浪花鑑』の人形解説および丸胴図鑑が掲載されていた。読み応えがあり、とても参考になるコンテンツ改訂で、嬉しい。作っている人は大変だと思うけど、今後もこの路線で行って欲しい。特に、人形写真一覧、全段解説はかなり需要があるコンテンツだと思う。

 


↓ 2017年9月東京公演で『生写朝顔話』が上演されたときの感想。

 

↓ 当時開催された、玉男様トークショーのレポ。宮城阿曾次郎役についての談話があります。


┃ 参考文献

 

 

*1:番付への初出は大正9年5月竹豊座。ただし人形役割から推測すると、明治28年9月御霊文楽座の興行にはすでに出ていたとみられる。

*2:番付への初出は明治15年9月松島文楽座。