TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 大阪7・8月夏休み公演『夏祭浪花鑑』国立文楽劇場

玉男さんが人間国宝に認定されることになった。本当によかった。この上なく嬉しい。

記者会見で話されていたのが、「とにかく嬉しい」「すぐに勘十郎さんに連絡したら、『おめでとう、おめでとう……』と3回言ってくれた」*1、「(和生さん、勘十郎さんと)三人で文楽を盛り上げていきたい」という話題だったのが、とても、玉男様、って感じだった。

玉男さんは、本当に幸せな人だと思う。




第三部、夏祭浪花鑑。

玉男さんの団七は、非常に堂々たる立派な体躯。その具体性こそが、今回の『夏祭』の最大のみどころだろう。
玉男さんは、人間国宝認定の記者会見では「60代、70代、80代それぞれの芸がある、60代は元気がある、70代は落ち着いて……」という旨を話されていた。これは初代吉田玉男師匠が話されていたことのようだが、玉男様。師匠が言うてはった60代の「元気」と、玉男様が思てはるというか、現実に玉男様がやってはる「元気」、示すところが、なかなか、けっこう、違うと思うでェェェェェエエエエエエエエ!!!!!!!!!!
というくらい、大元気な団七だった。師匠もいまごろ「えらい元気やな〜〜〜」と思っておられるだろう。もちろん、私がはじめて見たころからは玉男さんも変わってきているし、玉男さんご本人は「しんど〜〜無理〜〜」と思っているのかもしれないが、人形の安定性はやはりブッチギリ。追随できる人はいない。

玉男さんの団七は、むっちりと隆起した巨大な筋肉が印象的だ。上半身にボリュームがあり、分厚い筋肉に覆われているがゆえにやや動きにくそうにしているようにも見えるところがいい。「三婦内」後半で三婦ハウスの縁側にかけるときなど、座ってリラックスしている風のポーズでも、肩を広げてわりと広めに脇をあげているのが「筋肉むっちゃすごい人」に見える。

なかでも、玉男さんは、「腕をまっすぐ左右に差し出す」表現がうまい。腕をまっすぐに差し出した状態にしたとしても、強く引っ張ってはいない。人形の腕の長さに応じた位置に差し出している。そのため、腕は丸胴(人形の肉体部分)そのままの丸々とした太さを保っていて、団七の裸身が美しく表現されている。
これは、「天然」やカン、ましてや、たまたまの結果論ではない。腕の張り出しのうまさは、弟弟子の玉志さん(第二部・鱶七)にもいえることだ。ぱっと見の芸風は異なるものの、人形を美しく見せる技術という意味では、二人は非常によく似ている。師匠がいかに人形の姿の見え方を重視していたか、それを彼らがいかに受け継いだかが感じられる。未熟な人の場合、腕の張り出しは引っ張りすぎて細く見えたり、人形の芯がブレる失敗が多いので、冷静に適切な位置へ人形やその腕を差出せるというのは、やはり、技術なのだなと思った。

もうひとつ玉男さんの団七の特徴を挙げるとすれば、「若さ」が表現されていること。
団七が若く見えない人もいるので、玉男さんのこの状態は、本人の考えや技術によるものなのだろう。玉男さんのデカイ人形の役としても、団七はかなり若い造形になっていると思う。役として動きが大きいのはもちろんだが、松王丸や熊谷などの最後まで内面を見せずに演じるキャラクターと違い、感情が表へ出るのが早いというのもあるかもしれない。

 

団七は、玉男さんの個性に非常に合った役だと思う。また、初代玉男師匠といまの玉男さんの違いをもっともあらわす役でもあると思う。玉男さんが「自分は師匠とは違う」と気づいて独自路線へ向かっていったのがいつからなのかはわからないが、とにかく、不器用で天真爛漫そうな玉男さんが自分の道を見つけ、確固たる意志を持ってまっとうしているというのは、本当にすごいと思う。「この子、独特やでー」と気づいて、その路線に合わせて育てた師匠もすごい。なにもかもが、本当に、すごい。




以下、個別の段の感想。5月東京公演と配役が近いため、重複するところは省略。

 

住吉鳥居前の段、人形黒衣。

玉男団七はやっぱりヒグマだな。何を考えているのかわからない目つき。人間には理解できないし、太刀打ちできない。時々、まゆげをモソモソと上下させるのが、不気味。

釈放された団七が着ている水色の着物がメチャクチャ日焼けしているのがいつも気になっていたが、牢屋で着せられている粗末な囚人服なんだし、わざとかもしれないと思った。

いるのかいないのかわからない人形は、勉強の必要があると思う。

 



釣船三婦内の段、以降人形出遣い。

「三婦内」の浄瑠璃はちょっと流しすぎだと思う。三婦を頑張っているということなのだろうが、どの人物も同じ速度・テンポで喋っており、間も均一になっている。これだと話がお茶漬けのようにサラサラと流れてしまい、芝居の食感がない。テンポが均一だと、人形も演技にアクセントを持たせられなくなってしまう。止め、溜めを作ってリズム感を持たせるべきだろう。この段、5月東京公演ではどうなんだこの出来と思ったが、今回の大阪公演は別の意味でさらにどうかと思った。これで固まらないようにしてもらいたい。

人形は、小道具を省略しすぎて見た目のメリハリに欠ける部分があるように感じた。
おつぎが「三婦はむかしはやんちゃしていた」と語るところ、右手にうちわを持ってアクセントに使いながら演技する場合が多いと思うが、簑一郎さん(代役)はうちわなし。また、お辰が顔を焼いて倒れるところで、通常「薬よ水よ」でおつぎが紙包みの薬(最近は赤の紙包み?)と湯呑みを出し、三婦といっしょに水や薬を飲ませて介抱するが、今回は出さずにそのまま介抱していた。小道具がなく人形そのままのみだと、見た目がシンプルすぎて非常にのっぺりする。小道具なしでやるなとは言わないけれど、人形演技そのものだけで勝負するには、ちょっと足りないものがあるのではないかと思った。

 

個々の人形自体は、悪いわけではない。

玉也さんの三婦は、見た目そのまんまの雰囲気なのが良い。いかにもそれらしいのに、余計なものがない、気っ風のいいジジイ。

お辰〈吉田勘彌〉のさっぱりとした気質は、東京と変わらず、良い。ただ、浄瑠璃が流れすぎだったので、あっさりしすぎて終わってしまったのが、惜しい。
こしらえは東京と同じで、日傘は水色に黒の骨のもの。扇子はパールがかった水色に白で柄が入ったものだった。お辰の扇子は人によって違う場合がある気がするのだが、私物なのかな? いわゆる人形用の小道具というより、本物の女性用の扇子のように見える。

和生さんの義平次は、5月東京に続き、めちゃくちゃ小言を言ってきそうで、「和生〜」オーラがあって、良かった。独特の「オイボレ」観点すぎて、すごい。自分がどういう言動をすると若造どもが煙たがるのか、よく観察していらっしゃる。でもこの「和生」っぷり、「道具屋」がついていないと、もったいない。やっぱり、「道具屋」、いる。

私が観たことのある義平次の、人形遣いの違いによる特徴比較。みなさん、クソジジイのベクトルが違います。

f:id:yomota258:20230819013121j:image

居候のくせにけんか中の琴浦〈桐竹紋秀〉、磯之丞〈吉田清五郎〉は、良い。おこ!というより、ぷいー!という感じ。
惜しいのは、きせる(たばこ)の扱い。琴浦はたばこの煙で磯之丞にちょっかいを出すが、紋秀さんってたばこを吸ったことがないのかな? それ自体が良いとか悪いとかじゃないんだけど、点火するとき、もう少しすぐに口をつけて吸わないと、火がついていないように見えると思う。時代独特の風俗を表現する演技は、細かくこだわってほしいところ。
(こういう細かいこと、指摘しても無駄級に終わってる人に対しては書く気ない。紋秀さんは誰かが言ったらすぐ気づいてなおりそうだから、書いた)

 

 

 

「長町裏」は床、人形とも、5月東京公演から大幅に改善されていた。5月東京公演では、床は始終がなり立てている状態、人形は逆に始終ヘナヘナしている状態になっていたが、いずれも解消された。東京より明らかに良い。

 

やっぱり、和生さんは人に合わせていたんだな。和生さんは、和生さん自身が本当にいいと思っていることだけをやってほしい。客のためにも。
しかし、どのみち和生さんは、「義平次はどんどん弱っていく」とは考えていないことがわかった。『女殺油地獄』のお吉だと、斬られたあとは「どんどん弱って動きが緩慢になっていく」という演技をしているが、義平次ははじめからわりと緩慢で、オールドホラー映画のゾンビのような動きだった。最後は電池が切れたように死んだ。やはり、ガブのかしらになった義平次は人間ではない(?)という解釈なのか。
義平次が団七にいちゃもんをつけ、彼の脇差に足をかけているとき、鍔が小刻みにチャキチャキと鳴る音がする。意識して鳴らせているようだったが、これが非常に有効で、団七の我慢の綱に下げられた鈴が、綱がピンと張りきって揺れるのにつれて鳴っているようだった。

玉男さんの団七は、義平次にイビられる部分、ついに義平次を殺してしまう部分、泥から這い上がった義平次を追いかける部分、メリヤスのみになって踊りのように動く部分と、場面場面のメリハリがしっかりとつけられ、非常に良かった。刀をつき立ててメリヤス・お囃子に合わせ踊るように動く部分は、団七の肉体性をいかしたどっしりと迫力のある動きで、玉男さんならではの重量感がある。

玉男団七は、「悪い人でも舅は親」……とはまったく思ってなさそうだ。「すいか、そのまんまやと冷蔵庫入らんから、割っときました」くらいしか思ってなさそう。でも、これがまさに文楽らしくて、いいんだよな。いかにも主役、男伊達といったようにヒロイックに演じて、同情を引こうとしないところが、良い。ただの殺人鬼。絶対近づかんとこって思う。人の命が軽かったころの、物語。

 

床は、声を抑える部分がきちんと作られていて、安心した。5月がなぜああなってしまっていたのか。太夫2人が自分で気づいたのか、燕三さんがなにか言ってくれたのか。なんにしろ、よかった。

 

  • 義太夫
  • 住吉鳥居前の段
    • 口=豊竹亘太夫/野澤錦吾
    • 奥=豊竹睦太夫/鶴澤清友
  • 釣船三婦内の段
    • 切=竹本千歳太夫/豊澤富助
    • アト=豊竹咲寿太夫/鶴澤寛太郎
  • 長町裏の段
    • 義平次 豊竹藤太夫、団七=竹本織太夫/鶴澤燕三
  • 人形
    釣船三婦=吉田玉也、倅市松=豊松清之助[前半]吉田和登[後半](8/6?-8休演、代役・吉田和馬)、団七女房お梶=吉田一輔、こっぱの権=桐竹紋吉(7/30-31休演、代役・吉田玉誉)、なまの八=吉田簑太郎、玉島磯之丞=吉田清五郎(7/28-31休演、代役・吉田玉翔)、団七九郎兵衛=吉田玉男、役人=吉田玉峻、傾城琴浦=桐竹紋秀、大鳥佐賀右衛門=吉田簑之、一寸徳兵衛=吉田玉助、三婦女房おつぎ=桐竹勘壽(8/6-8休演、代役・吉田簑一郎)、徳兵衛女房お辰=吉田勘彌、三河屋義平次=吉田和生





人形は、玉男さん、和生さんとも、非常に良い。円熟の名人芸。なのに、「無難」「待ってました」の範囲におさまっていないのが、良い。

それにしても、玉男さんも、「三毛別羆事件」が文楽化されたらヒグマ役は絶対玉男様だろっていうくらいヒグマのように見えて、意外に人に合わせてるんだなと思った。いや、玉男さんは相手役の演技に反応すると言ったほうが正しいかもしれない。団七の異常性、殺意の鋭利さでいうと、2021年大阪7・8月公演(義平次=玉志さん)はベストアクトだったかもしれない。あのときは、舞台が凍てつくような、異様な殺気に満ち溢れていた。

 

しかし、『夏祭』を観ていると、「いうてこの人ら、いまの夏より全然涼しかったんでしょ???」と思ってしまう。江戸時代は江戸時代で瓦でヒートアイランドしていたらしいが、さすがに今のように朝から晩まで終わってるほど暑くはなかったに違いない。その程度で人を殺すとは、団七はわがままじゃ。*2

 

公演内容自体は良いのだが、同じ演目を繰り返すことには違和感がある。もはやほとんどのお客さんが異様に感じているのではないだろうか。
この『夏祭』にしても、大阪は2年前に同じく夏休み公演で出たばかりだよね。夏狂言なら、『伊勢音頭恋寝刃』ではだめなのか?

本編とは全然関係ないが、今年もやはり「団七と同じように、腕に和風の絵がびっっっしりと描いてある人⭐️」が文楽劇場のまわりをウロウロと歩いておられた。文楽劇場の立地は本当にすごいと思う。




 

↓ 玉男さんの人間国宝認定の記者会見記事。動画入り。

 

↓ 『夏祭浪花鑑』今回公演の記事。写真が多めで、玉男様のお話も少し掲載されています。

玉男さんには珍しく、団七の人形の見せ方について、師匠から学んだこと、教わったことが具体的に述べられている。

ただ、玉男さんが「先代の芸風を受け継」いだ人なのかというと、ちょっと違うよね。玉男さんは、師匠とは異なる素質を持ちながら、師匠からの教えを守り、独自の境地を確立させた人だと思う。そんな玉男さんのいう「もっともっと師に近づきたい」とは一体どういうことなのか。玉志さんが目指している境地とはどう違うのか(玉男さんが玉志さんをどう見ているのかは、かなり、知りたいですね)。弟子は師匠をそのまま写し取っていればいるほど良いといったような、「伝統芸能あるある美談」以上のものとして、深掘りしてインタビューしたものを読んでみたい。

 

↓ 2023年5月東京公演『夏祭浪花鑑』の感想。団七は勘十郎さん。

 

↓ 参考 『夏祭浪花鑑』住吉鳥居前/道具屋/三婦内/長町裏で使用される三人遣いキャラの衣装のまとめ論考。
人形という制約の中で夏衣装らしく見せる工夫などが記載されています。お中(東京公演の道具屋にのみ登場)、どことなくカジュアルなカッコしてんなーと思っていたら、浴衣風着付けってことなんですね。
衣装をつけた人形の写真、特殊衣装を広げた写真のほか、初代吉田玉男の団七、吉田文雀の義平次の舞台写真あり(おそらく1993年7・8月大阪公演)。舞台稽古の写真と思われ、全員出遣いで、文雀さんの左として和生さんっぽい人が写っています。足はどなたなんだろう?
※利用者登録していれば自宅閲覧可

 

 

 

おまけ

公演中止になりチケットが飛んだ日があったので、布引滝へ行ってきた。

f:id:yomota258:20230817113710j:image

布引滝は兵庫県にある。滝というから六甲山の奥深くとかにあるのかと思っていたが、意外と市街地に近く、最寄駅はなんと新神戸駅新神戸駅の市街地側(地下鉄乗換や三宮)ではなく、裏手の山側の出口から散策用の歩道がダイレクトに繋がっており、簡単に徒歩で行くことができた。

新神戸駅を出るとすぐに森(山)の中に入り、傾斜した道を登る所要時間は20分程度だったと思う。小さな滝を見ながら谷川沿いの道を登っていくと、空がひらけた場所に出て、そこに布引滝(雄滝)がある。
布引滝は熊野の那智の滝、日光の華厳の滝と並んで日本三瀑布に数えられているそうだが、荘厳華麗な那智の滝華厳の滝とはだいぶ雰囲気が異なり、森の中にある泉に注いでいるメルヘンな滝、という感じだった。たしかにお人形さんがうろうろしていそう(?)なスケール感。散策ルートは柵で囲われており、滝の周囲に入ることはできないが、滝が注いでいる丸い池の真正面に休憩所が設けられており、ベストアングルから滝が流れ落ちる様子を眺めることができる。

自然がたっぷりの清涼スポットながら、夏休み期間でも人出はほどほどで、みんなベンチに好きに座って心ゆくまでゆっくりできる状態だった。滝の近くにかき氷やおでんを出す茶屋があり、自販機も備え付けられていたのが便利だった。

f:id:yomota258:20230817113805j:image

布引滝周辺は、地元の方にはハイキングスポットとして愛されているようだった。布引滝からさらに山上へ行けるルートがあり、たくさんのハイキング客の方々とすれ違った。山上には、静かな貯水池があった。さらに上には登山ルートがあるようだった。

ところで、神戸市の観光サイトに「遊歩道が整備されているので街歩き用のスニーカーでOK🙆‍♀️」と書かれてるのを真に受けてファッション的なスニーカーで行ったのだが、大変なことになった。「街歩き」って、すさまじい傾斜の坂!が激烈!!多い!!!神戸!!!!でいうところの「街歩き」ね……。「遊歩道」といっても、地形に沿って建ってる山寺の奥の院までの参道、みたいな感じだった。これから行かれる方には、トレッキングシューズか、ある程度グリップが効くスポーツブランド系のスニーカーをおすすめします。

 

 

 

 

 

*1:ちなみに、勘十郎さんは人間国宝に認定されたとき、最初に簑助さんへ電話したらしい。簑助さんも、何度も「おめでとう」と言ってくれたそうだ。

*2:ただ、温暖化の影響で一番温度が上がっているのは冬らしく、昔の冬の寒さは激烈だったそうだ。「袖萩祭文」は本当に死ぬほど寒いし、何かの曲の詞章にある「八寒地獄」というのは比喩ではないのかもしれない。