TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 大阪7・8月夏休み公演『妹背山婦女庭訓』四段目 国立文楽劇場

第二部、妹背山婦女庭訓、四段目。

4月に上演された初段〜三段目の続き。通常は出ない「井戸替」、「鱶七使者(上使)」の口、「入鹿誅伐」を上演。

 

 


井戸替の段〜杉酒屋の段。

「井戸替」は2016年の若手会以来の上演。七夕に行われる井戸さらえの行事、「井戸替」の様子を描く。『妹背山』が出るなら毎回観たいくらい、風物や市井の賑わいの面白さがある。

「井戸替」の大道具は「杉酒屋」と同じお三輪ハウスの屋体。「井戸」替といっても、肝心の井戸は上手小幕の中の見えない場所にあるという設定だ。小幕からロープを張り、近所の衆の人形たちがもろ肌脱ぎになって掛け声とともにロープを引っ張る姿が愛らしい。

ご近所さんのリーダー、「土左衛門」さん〈吉田玉翔〉。名前が衝撃的すぎるのと、乳首が妙に上のほうについているのとで、話に集中できない。プログラムに掲載されている昔の舞台写真を見ると乳首は普通の位置なのに、なぜこんなにも上がったのか? 大胸筋を鍛えまくったのか? タマショー・インスタに書かれていた「休みを活かした、僕の進化」とは乳首の位置なのか? 話に一切関係ないことに気をとられる。
ワイルド感はよかった。本人そのままなのかもしれない。

 
 
 
 
 
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ほうきギターRock’n Rollでドンチャン騒ぎする近所の衆たちに、うるさすぎと家主さんが注意しに走ってくる。しかし家主さんも一緒に盛り上がってしまい、挙句、近所の衆が帰ったあと、家主さんは子太郎にお三輪への熱い思いのタケソング💓を披露する。以前観たときは気づかなかったが(というか、知らなかったが)、ここは「十種香」(本朝廿四孝)の替え歌になっているのね。初演当時はみな「十種香」を知っていたのか。*1

かねてから、子太郎のエプロンに書かている「マル子」のマークの左下と、マルの上部に、なにか黒い模様がついているのが気になっていた。今回、双眼鏡で見てみたら、ただの汚れだった。シミ抜きクリーニングに出さなくては。丸胴(人形の体の裸のぬいぐるみ部分)は、新調されたせいか、顔や手に比べて色白すぎて、サーファー焼けした人みたいになっていた。最近、脇役の裸の人形、いつもこうなっているよね。日サロ行く?

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道行恋苧環

人形は当然ながら勘十郎さんが明らかに一番上手く、物語から乖離して、ただただ、無心に踊っている。それは本当に名人芸。しかし、勘十郎さんが引っ張らなくては舞台が間持ちしないという状況だったと思う。3人一緒に踊っている感はない。

床は、清治+三味線の皆さんはいいのだが、太夫は「別撮り?」みたいな感じになっていた。音程が外れるなど、散漫。中止期間があった影響なのか?

 

 

鱶七使者の段。

普段は「鱶七上使」という名称で上演されるが、今回は「使者」。
通常は蘇我入鹿の出からはじまるところ、今回は金殿に勤める仕丁たちが噂話に勤しむ「口」も上演された。

鱶七〈吉田玉志〉は、「人形振り」のように、体をおおらかに左右へゆすっての出で、人形らしい動き。鱶七は「田舎モン」なのでいちいち大仰なリアクションをするが、エア頬杖などがポーズ取りに堕さず、持ち前の真面目オーラもあいまって「ものすごく素朴な人」として表現されている。「素朴」こそ、むしろ緻密な演技設計が必要であるというよい例だ。
上体にふんわりとボリュームを持たせた逆三角形体型の着付けが良かった。無理にゆるく着付けているのではなく、元々オーバーサイズで作られた服をざっくり着たような着こなしで、着崩れもなく綺麗にまとまっていた。懐手も「もともとそういう着付だったんです」というくらい、美しい姿。懐手を綺麗に決められるのは玉男さんだけだと思っていたが、玉男さんとはまた違う方向から追いついてきたか。
近年、玉志さんには鱶七役が度々来ているが、今までで一番よい。

入鹿が帳台の奥へ去ったあと、鱶七は欄干の間に寝そべって、両手を大の字に広げる。玉志さんは欄干の柱に鱶七のおててを「ピト…」とセットしていた(謎の几帳面さが発動)。鱶七が両手を広げるとちょうど階段の横幅にぴたりと合うのだが、鱶七の両手を広げた幅に合わせて大道具が作られているのか、大道具の横幅の基準に合わせて人形が作られているということなのか。

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今回の「金殿の官女」はすべてツメ人形。鱶七へのイタズラはマイルドだった。玉志はあんまりスカートめくらん。逆鉾ダンスはかわいい。人間がやったら昭和の宴会芸だが、愛らしいのは、人形ならでは。

 

 

 

姫戻りの段〜金殿の段。

「金殿」って、もう少し、なんとかなったりすることは、あるんだろうか。

玉志さんは、鱶七の真の姿、金輪五郎を美丈夫(美がまじでビューティーの意)として表現しているのは、とてもいい。鱶七の配役当初は「正体をあらわすとキラキライケメン化する」という発想にドキモを抜かれた。しかし、前近代の物語では「男性がドレスアップ」系の展開は定型パターンとしてよくみられ、それを踏まえた落とし込みをしているのだと思う。鱶七との違いをつけるため、金輪五郎では人形を構える位置を高めにする、余分な手数は切って動作のスピードを上げるなど、非常によく研究してある。
また、今回は、前回ちょっとなあということになっていた衣装の仕込みの着崩れがなく、引き抜きも一発で綺麗にこなしていた。引き抜きはまじで完璧にキマッていた。キューティーハニーのようだった。介錯のみなさんも、すごい。これらの細かい技術は向上してきている。
以上のようなご本人の努力は非常によくわかる。でも、「物語」的な部分は、シャッキリとした演技にするだけでは、間が持たないですよね。見た目だけで観客を圧倒する英雄性が必要になってくる。性根だとか内面性だとかのない、ただただスケール感の大きい英雄性。過剰な期待だと思うが、今の玉志さんには手が届くことだと思う。初代玉男師匠の域を目指して頑張って欲しいと思った。もろもろの改善状況をかんがみるに、前から順番に対応してってんのかもしれんが、ああ、ソワソワしてきた。

今回指摘するのもなんだが、お三輪の馬子唄は開き直りすぎでは。少なくとも勘十郎さんは、お三輪の馬子唄を「屈辱的なこと」として描写していない。単に自分が楽しくて踊っていると思う。私は勘十郎さんが物語上の文脈のある演技をしないことは本人の意思であるとみており、今後も変わることはないと思っている。そうなると、客の立場からすれば、せめて床はしっかりと「恥辱」を描写して欲しいところ。床だけに全面的な責任を押し付けるのは忍びないが、お三輪が屈辱を味わわなくては、周囲に対する異様な憎悪=疑著の相のある女にならないので、誰かなんとかしてくれ。と思った。

 

話が前後するが、「姫戻り」も、段に説明以上の役割をもたせるのは難しいのかな。床はいつも頑張っていると思うんだけど、人形。橘姫は、物語の趣旨を踏まえた演技を意識してほしいと思った。求馬への恋心、物語の狙いである庶民の娘/貴族の姫の対比を表現するための高貴さを表現しないといけない。同じく恋心・対比描写の含まれる『本朝廿四孝』(2022年12月東京公演)でも同じようなことになっていたが、もうちょっと頑張ってほしいと思った。

 

 

 

 

入鹿誅伐の段。

通常「金殿」で終わるところ、今回は入鹿が鎌足に討たれるまでを上演。原作そのままではなく、四段目末尾と五段目をくっつけた内容となっている。

「終わらせなくてはいけないから一応書いときました」がピュアに結晶化した、本当に中身一切なしの話だった。「金殿」で終わると、お三輪が唐突に悲惨な目に遭っただけで、結局この娘さんどう報われるんだ?と宙吊りに感じるけど、最後までやるとそれはそれで全く意味なしで、困惑。演出をいろいろいじれば盛り上がらせることができるだろうとは思うが、「上演しない」が正解なんだろうな。

アオダイショウサイズのゴールデンパイソンが飛んだり、入鹿の首がプオーンと飛んだりの演出はいかにも「オモチャ」。てか、あの金の龍、『祇園祭礼信仰記』で湧くヤツと同一龍? 金龍ラーメンの上でうねってるくらいの龍出せない? 鎌足が唐突にデカい鎌を持ってきているのは、仕方ない。鎌は鎌足ファミリーの家宝なので。

 

 

  • 義太夫
  • 井戸替の段
    • 竹本小住太夫/鶴澤藤蔵
  • 杉酒屋の段
    • 豊竹芳穂太夫/野澤錦糸
  • 道行恋苧環
  • 鱶七使者の段
    • 口=竹本碩太夫/鶴澤燕二郎
    • 奥=竹本錣太夫/竹澤宗助
  • 姫戻りの段
    • 豊竹希太夫/野澤勝平
  • 金殿の段
  • 入鹿誅伐の段
    • 鎌足 豊竹睦太夫、淡海 竹本南都太夫、入鹿 豊竹芳穂太夫、橘姫 豊竹咲寿太夫、玄上太郎・金輪五郎 豊竹薫太夫、荒巻弥藤治 宮越玄蕃・竹本文字栄太夫/竹澤團吾

  • 人形
    丁稚子太郎=吉田玉勢、土左衛門(ご近所さんのうち一番下手にいる人)=吉田玉翔、五州兵衛(下手から2番目)=桐竹勘介、藤六(上手から2番目)=吉田玉路、野平(一番上手)=吉田和馬、お三輪母=桐竹紋臣、求馬 実は 藤原淡海=吉田玉助、家主文字兵衛=吉田簑一郎、橘姫=吉田一輔、お三輪=桐竹勘十郎、宮越玄蕃=吉田玉誉、荒巻弥藤次=桐竹勘次郎、蘇我入鹿=吉田玉輝、漁師鱶七 実は 金輪五郎=吉田玉志、豆腐の御用=吉田簑二郎、藤原鎌足=吉田文司、玄上太郎=吉田玉彦

 

 


勘十郎さんと、「井戸替」と「鱶七使者」は良い。ほかは単調。

単調というのは、ドラマの情感、量感に欠けているという意味。さすがに初見客ではないので(数えたら、『妹背山』の四段目を見るのはこれで8回目だった)、だんだん、良し悪しの差がわかるようになってくる。話が面白いのは当たり前なので、公演の評価はそこに集約されてくる。そういった「引き算」が自分の中で次第に大きくなってきているような気がする。

『妹背山』四段目は、勘十郎さんがいないとどうしようもない演目になっている。ただ、勘十郎さんも、お三輪は人形が軽く見え、お初(2023年4月大阪公演『曾根崎心中』)ほどには体力対応がうまくいっていないのかもしれないと感じた。脇を成長させるという意味で今回の配役になっていたのだろうが、現状、脇は、その登場人物が物語上どういう意義をもつのかという意識なくやっているのではという状態だと思った。

今回は夏休み公演の会期が例年より1週間長く設定されていた。自分が行ったのは本来なら千穐楽にあたる日だったが、「千穐楽」でこれかーと思った。

 

重要な役に、小道具の構え方がおかしかったり、装身具が乱れっぱなしの人形がいた。客としてこれを指摘するのはいくらでもできるのだが、自分で気にならないのか。
今月のプログラムのインタビューページで、藤蔵さんが語っていた「弟子に教えていること」は、本当に重要なことだと思う。「道楽せんと何でもきっちりせないかんで」。文楽だけでなく、芸術関係の〈わざ〉は、すべて、「きっちり」をまっとうすることに尽きると思う。

 

「通し狂言」と銘打っても、四段目だけ取り出して上演したのでは、見取りとしか感じない。人形配役も4月とは変わっているから、「通っている」感は全くない。人形の役は通してつけるようにしてほしい。
なんか最近、無限に同じこと書いてるな。

 

↓ 第二部 ダイジェスト動画

 

↓ 2023年4月大阪公演『妹背山婦女庭訓』初段〜三段目の感想。

 

↓ 『妹背山婦女庭訓』全段のあらすじ


 


2Fロビーに飾られていたお三輪の人形。後ろを覗き込めたので、髪型をじっくり見ることができた。

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大神神社から授与された杉玉。

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展示室にいたきつね。どうぶつ、暑すぎると、こういう無の表情&ポーズで、ドテッと寝てますよね。

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*1:「十種香」の該当部分、戦前の録音を国立国会図書館デジタルコレクションで聞くことができます。

五代目竹本錣太夫/豊沢新左衛門 1932
♪身は姫御前の果報ぞと〜(身は家主の阿呆ぞと〜)