TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 12月東京公演『本朝廿四孝』二段目・四段目 国立劇場小劇場

今年の12月本公演は『本朝廿四孝』の二段目と四段目。例年と同じく、幹部抜きの配役だった。

 

↓ 全段のあらすじはこちらから

 

 

 

二段目、信玄館の段、村上義清上使の段、勝頼切腹の段、信玄物語の段。

この内容、大序と「諏訪明神百度石の段」(二段目の最初)をつけないと、意味がわかりづらいのではないだろうか。濡衣は、たとえばおかるのような意味での軽薄女ではないというのがこの物語のポイントのはずだが、これでは感情移入のしようがない。
そして、最初の2段は人形黒衣。幹部抜き配役に加え、中堅実力者が鑑賞教室に回っている状況だと、間持ちが難しいと感じた。


偽の勝頼〈桐竹紋臣〉は、おっとりした王子様風。盲目の設定もあるからか、俊徳丸的な雰囲気だった。少女漫画の病弱美少年風。その点では後述の玉佳さんの本物の勝頼と区別されていた。ただ、全体的におとなしい性格のキャラクターというのはわかるけれど、もう少しメリハリをつけるべきだろう。異様にさりげなく切腹しとる人になっとる。足がフラフラしてるのはかなり気になった。12月恒例の怪現象?

残念だが、濡衣〈吉田一輔〉と偽の勝頼は、恋人関係にまったく見えなかった。濡衣は、芝居の構造がみえず単調になっている。濡衣の恋心、二人の関係性がよくわからないのは、二段目最大の問題だと感じた。

切腹した偽の勝頼は村上義清に首を討たれる。そのとき、濡衣と常磐井御前〈吉田文昇〉が取り付くのが胴体のほうっていうのが、「そうなんだ〜」と思った。首は、いいのか? そりゃ、実際そうなったらどっちに飛びつくかは、それこそ、そうなってみないと、わからないけど。

常盤井御前は結構老けて見えた。動きが硬く、老婆のような印象。それが、いいのか、悪いのか。全通しになるとほかにも身分の高い老女方が複数出てくるので、トータルでみたときの差別化という意味では、一番年増な常磐井御前に老け表現が入るのは、わかる気がする。

玉佳さんのオドオド簑作(実は勝頼)は、オドオドぶりがうますぎ。あのピヨピヨヘタレ感、良い。トイレに行きたそうだった。正体が判明したあとはしっかりした目線に変わり、その区別も良かった。

村上義清〈桐竹勘次郎/吉田玉彦〉は、帰り際、勝頼と簑作がソックリなことに気づく振りがあるけど、ちょっと形式的で、結構、微妙。

 

「信玄物語の段」藤太夫さんの駕籠かきの喋り方が良すぎて若干笑ってしまった。ツメ人形とは思えないシッカリした喋り方だが、良い。確かに半二時代までいくと、ツメはぺちゃらくちゃらとめっちゃ喋るよね。この段、話の内容自体はかなり微妙だったので、ベテランがやってくれて良かった。あと、「十種香」で濡衣が持っている謎の袱紗の中身は、このとき切り取られた勝頼の袖なのだということがわかったのも、良かった。(「良かった」が多い文章)

 

そのほか、上手の柵にからまっている朝顔の色がランダムすぎじゃねとか、壁掛けの花瓶に入っているのは桔梗?信玄館だから?信玄餅アイス食べたいとか、床の間の掛け軸の絵が下手とか、その唐突な鉄球はなんなのかとか、いろいろなことが気になった。

 

 

 

四段目、景勝上使の段、鉄砲渡しの段、十種香の段、奥庭狐火の段、道三最期の段。

今月、一番、関心を持っていたのは「十種香」。このメンバーで「十種香」をやったらどうなるかに興味があった。
まず良かったのは、玉佳さんのドレスアップ勝頼。武将の嫡子らしい、線の強い貴公子の雰囲気が出ていた。所作は美少年の佇まいで、顔は可愛いけど、どことなく強そうだ。さすがに玉佳さんは師匠をよく見ていたのだろう。別にいま突然の思いつきでやっているわけではないのだ。それが文楽人形遣いなのだと思う。

楽しみだった段ではあるが、今月、一番難しさを感じたのも、「十種香」だった。
「十種香」は相当に人を選ぶ演目だと思った。
「十種香」でもっとも大切なことは、私は、優雅さだと思う。人形も床の演奏も、ゆったり感をもっと大切にしたほうがよかったんじゃないでしょうか。大名の御殿の奥座敷や姫君の様子を表現するような優美な雰囲気ではなく、書割が書割にしか見えなかった。せっかちな芸風の人をここに配するのは、無理があると思う。

八重垣姫は、簑二郎さんの良さが出る役ではない。ミノジロオのかわいさはそこじゃない。むしろ、悪さを引き立ててしまっている。頑張ってはいると褒めたいところだが、最低限、客が笑うような所作は改めて欲しかった。笑うほうも失礼だとは思うけど、田舎娘のようなセカセカした動きをしているのは事実なので、もはやこの反応は仕方ない。扇や袖袂の扱いの雑さも気になる。
簑二郎さんは、技術や経験といったこと以前に、ご本人の気後れが一番足を引っ張っていると感じた。簑二郎さんは、おかるママや芝六の奥さんのような、「普通の人」系主役の自然さが良い人だと思う。一般的には、そっちのほうが難しい。向き不向きはあれど、それができるんだから、ミノジロオは、できるっ!自信を持てっ!と言ってやりたい。

もうひとつ、その人の良さが出ない配役だと感じたのは三味線。藤蔵さんはトークショーで「十種香」のようなしっとりした曲は苦手と発言していたことがあるけど、確かに……。良く言えば、謙信が出てきてからのほうがイキイキしている。三味線がキツめでも、それをいかして戦国期の武将の館の深部(と幼く愛らしい姫君のギャップ)という表現に寄せれば、それは面白いと思う。しかし、そこまでいかないもどかしさを感じた。少しのニュアンスのことだと思うけど……、そこが一番難しいんでしょうね。
ロセサンは良かった。が、引きずられてしまった部分もあったし、詞だけの部分は良くても、やっぱり文楽はひとりでやっているわけではないので、ちょっと難しい感じだった。

 

そういうわけで、「十種香」はかなり残念に感じたが、「狐火」の八重垣姫の出遣いの左〈桐竹紋臣〉・足〈桐竹勘昇〉が頑張っていたから、総体では、まあもういいかと思った。

紋臣さんは簑二郎さんによく合わせにいけたなと思った。そもそも紋臣さんご自身は、(言い方悪いけど)雑な所作は絶対にしないわけで、おそらく本人も八重垣姫をこういう動きの役とは思っていないだろう。そこを合わせにいくのは、人をよく見ていると思った。先月の玉佳さんの弁慶左に続き、立派。

この「狐火」の出来自体がいいとは思わない。しかし、若手出演者の頑張りを見るという意味では(紋臣さんは若手ではないが)、文楽のファンとして、満足できる内容だ。地方公演でも同じ感想を抱いたけれど、私は、もはや「狐火」の全員出遣いを、違う意味で受け取っているのかもしれない。

 

今回の全般的なこととしては、人形は濡衣と八重垣姫の芝居上の区別がないことが非常に気になった。八重垣姫については、今回この人だからだから特別によくないという話ではなく、ほかの誰がやっても「八重垣姫」にはなり得ないだろうと思う。「十種香」に関しては、勘十郎さんでも相当どうかと思うもの。上述の優雅な雰囲気がいかに出せるかに加え、勝頼への恋心を表現するとなると、難易度が高すぎる。「もっと“上手い”人を」と思うこと自体をやめたほうがよさそうだと感じた。

それにしても、二段目と四段目を続けて上演すると、「十種香」で突然出てくる八重垣姫の恋に恋している感が強調されるというか、「いや、絵じゃん……」感がすごい。
八重垣姫の浮世離れした恋心と、濡衣の異様に生々しい経歴とのギャップが浄瑠璃の眼目とは思うけど、この上演形態では、本当に、「いや、絵じゃん……」。やっぱり全通しにして、三段目や道行がほどよく挟まり、二段目の記憶が薄まったあたりで「十種香」を観るのが一番いいのかもしれない。もっとも、絵から抜け出てきたような勝頼様が登場できるなら、何も問題ございません!

 

 
 
 
 
 
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以上、「十種香」が厳しいと書いたが、それ以前の「景勝上使の段」、「鉄砲渡しの段」は、かなり、相当、ウーーーーーンと思った。いや、話の内容的に面白くなり得ない段なのでいいんですけど、床、口の中で発音しているようなキャンキャンめの語り方の人が連続して出ていて、人形も「誰も出てへん」(出てます)となると……、な感じ。さらっと流れてもかまわないので、端場ならではの良さをもう少し見たいところ。

しかし、景勝役の紋秀さんは良かった。姿勢がとても綺麗で、丁寧。
紋秀さん、最近、変わったね。人形の姿勢に対する心がけが違う。動きも美しく品がある。同世代から頭ひとつふたつ、抜けた印象。特筆したいのは、会話内容などを強調する際に軽く伸び上がる所作。その伸びる方向へ向かって体をまっすぐに上げること、上げた状態で揺れなく静止すること、綺麗なまま自然にもとの姿勢へ戻すことって、結構難しいと思う。先代玉男師匠の弟子のタマ・ブラザーズはみんな自然にやるので、師匠がきつくしつけていたのか?と思っていたが、意外なところからこなせる人が現れたなと思った。
スタンバイ姿勢がもたず、「道三最期」含めて崩れがちだったのは、惜しい。多分、本人はちゃんとやってるつもりなんだと思う。客席から見ても長時間「ビシッ⭐️」とした姿勢が保てる人というのは、やはり上手いのだと思った。紋秀さんも、そうなって欲しい。肩のシルエットの作り方に、コツがあるとみました。

 

「十種香」のアト、「道三最期」は、内容のお義理感がさらにすごい。アトは、八重垣姫が決まったら一旦定式幕を引くか、浅葱幕を落としたほうがいいような……。「道三最期」も、大序と「諏訪明神百度石の段」がないと、意味不明。

みなさん頑張ってるんですけど、観客としては、話を聞いていてもおもしろくなさすぎるため、人形をしっかり持てているかの実技テストの審査員状態になった。
審査員コメント「きちんとまっすぐ立てている人が多い。ただ、その衣装に合わせた適切な持ち方になっていない人形がいるのではないか。今後の研究を期待している」

 

 

  • 義太夫
    • 信玄館の段[御簾内]
      (前半)竹本聖太夫/鶴澤燕二郎
      (後半)豊竹薫太夫/鶴澤清允
    • 村上義清上使の段
      竹本南都太夫/竹澤團吾
    • 勝頼切腹の段
      竹本織太夫/鶴澤燕三
    • 信玄物語の段
      豊竹藤太夫/竹澤宗助
    • 景勝上使の段
      竹本碩太夫/鶴澤友之助
    • 鉄砲渡しの段
      豊竹咲寿太夫/鶴澤寛太郎
    • 十種香の段
      豊竹呂勢太夫/鶴澤藤蔵
    • 奥庭狐火の段
      豊竹希太夫/鶴澤清志郎、ツレ 鶴澤清允(前半)鶴澤燕二郎(後半)、琴 鶴澤清方
    • アト[御簾内]
      豊竹薫太夫(前半)竹本聖太夫(後半)/鶴澤清方
    • 道三最後の段
      豊竹亘太夫/野澤錦吾
  • 人形
    奴角助(下手の眉毛が立体的なほう)=吉田玉峻、奴掃兵衛(上手の平面顔のほう)=吉田簑悠、腰元濡衣=吉田一輔、奥方常磐井御前=吉田文昇、村上義清=桐竹勘次郎(前半、12/6-7休演、代役・吉田玉彦)吉田玉彦(後半)、勝頼実は板垣子息=桐竹紋臣、板垣兵部=桐竹亀次、簑作実は武田勝頼=吉田玉佳、武田信玄=吉田文司、長尾謙信=吉田玉勢、長尾景勝=桐竹紋秀、花守り関兵衛 実は 斎藤道三=吉田簑紫郎、八重垣姫=吉田簑二郎(狐火 左=桐竹紋臣、足=桐竹勘昇)、白須賀六郎=桐竹勘介、原小文治=吉田簑之(前半)吉田玉延(後半、12/17-19?休演、代役・吉田簑之)、山本勘助=吉田玉輝

 

 

 

本公演が4時間あると、やっぱり、「観劇」というより「体験」という感じがして、面白い。

しかし、上演時間が長く、内容的に難易度が高い段が多い番組編成だと、話を繋ぎとめられる人が出演している必要がある。前に「勘助住家」が出たときにも感じたが、『本朝廿四孝』って、話が難しすぎて、配役が相当に万全の体制じゃないと無理なんじゃないでしょうか。誰もシンを作れないまま4時間が漫然と進行する状況はしんどかった。
本公演を最初に観たのは、6日目だった。この時点では、もう一週間近くやってこれではかなりまずいと感じた。最後のほうに観たときには、各所、改善されていた。少しでもよい方向へ向かえたことは、良かったと思う。

12月本公演、幹部抜きで時代物の大編に挑戦することは、とても良い企画だと思っている。極端なところでいうと、「信玄館」、「十種香」のアトは、御簾内で新人太夫2人が交代で語っていた。これはまさに12月ならではのチャンスだ。このクオリティをどう解釈するかについては、ファンのあいだでもいろいろな見解があるとは思う。でも、どんだけ文句言っても、ファンとしてはあくまで「見守り」でいたいとは思う。ただ、最近は配役の傾向上、普通の本公演でも「え?」という状態のことがあるので、今後が心配である。(普通の本公演でクオリティが低いのは大激怒です)

今年の後半は、勘彌さんが休演しているのがかなり痛かった。やっぱり勘彌さんは上手い。文楽にはなくてはならないない人だわ。2月の復帰を楽しみにしています。

 

 

 

12月の文楽プレミアムシアター配信『本朝廿四孝』を購入した。

1988(昭和63年)4月大阪公演での「十種香」「奥庭狐火」を収録。「十種香」は竹本越路太夫鶴澤清治、勝頼=初代吉田玉男、濡衣=吉田文雀、八重垣姫=吉田簑助

これで観ると、初代吉田玉男の勝頼は超絶キラキラ系ながら、相当に武張った雰囲気がある。強い気品と男性的な線の強さを両立させている。文楽の勝頼については、役の考え方が歌舞伎での二枚目的描写とは異なっており、あくまで武将の嫡男であることを表現すべきという芸談が多い(豊竹山城少掾鶴澤友次郎など)。この勝頼は、まさにその通りの姿だった。以前、当代の玉男さんの勝頼を見たとき、「強そうすぎでは……」と思った記憶があるが、普通にしていても強そうな玉男さんが師匠リスペクトで武将感を強調すると、確かにああなるなと思った。
初代玉男に特徴的なのは、足腰がめちゃくちゃ強そうな点。長袴を蹴って歩く姿や、立っている姿勢が、尋常じゃなく、すごい。そここそが武張った印象の根源だと思うけど、これはご本人がキラキラ系だからこそできる足だなと思った。普通の人が真似したらガンダムになる。

簑助さんの八重垣姫は可憐で愛らしく、後ろ姿だけでもめちゃくちゃ可愛い。可愛すぎる。柔らかさと幼さがマッチしたふわっと飛び上がるような所作、まさに文章から受けるちっちゃ可愛い八重垣姫のイメージそのまま。表現力としてもタイプとしても、この域の八重垣姫を見るのは、いまの文楽では非常に難しいだろう。

越路太夫の演奏も、決して声そのものが典雅なわけではない中での、どきつさ・深刻さとはまた違った角を感じる時代物らしい雰囲気があり、面白かった。