TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 3月地方公演『二人三番叟』『摂州合邦辻』『本朝廿四孝』『釣女』高崎芸術劇場

3月の地方公演は、行こうと思っていた府中・藤沢が中止になったため、久々に出張して高崎公演へ行った。

f:id:yomota258:20210323130151j:plain

 

 

 

高崎芸術劇場は、高崎駅から徒歩6分ほどにある大型劇場施設。駅から屋根つきの空中通路で直結しており、アクセスはとても快適。

2000人収容の大型コンサートホールも備えている劇場だけど、文楽公演は「スタジオシアター」という、ステージ低め・席が可動式の、現代演劇向け設計らしいシンプルなスペースで行われた。今回の収容人数はおそらく500席くらいだろうか。客席千鳥でなく全席販売しており、平日公演ながら昼夜ともほとんど全部埋まっていた。

出した音が率直に聞こえる音響設計のようで、音楽ホールのような残響、反響は起こらないようだった。語った通り、そのままの音が聞こえる印象。詞の部分がはっきり直接的に聞こえるのは良いが、地の伸ばし部分や音を揺らす部分は、本当にきれいに処理されていないと、ブツッと切れて聞こえていた。三味線も同じで、弾いたそのままが率直に聞こえる印象だった。ニュアンス表現のテクニックが出るので、うまい人ほどうまく聞こえると思った(そのまんま)。

床は一般的な地方公演会場と同じ設営で、出語り床が客席へ張り出して設置されていた。一般のホールよりスペースに余裕があるのか、延長床がさらに右側に設置され、大人数が座れるようになっていた。壁側には本公演同様の出入り扉までついていて、地方公演ながら本格的。おかげで、『二人三番叟』『釣女』でも、出語り床に太夫・三味線が全員並んでの演奏が可能になっていた。本舞台は定式幕が張れないらしく、備え付けの黒い簡素な中央開きの幕を開閉する方式になっていた。

ところで、入場時にミネラルウォーターのペットボトルを無料配布でもらったんだけど、どういうサービス? 群馬県で採水されたオリジナルブランドとかでもなく、普通の商品。ホール内のスタンドカフェが営業中止しているための措置なのか? チケット料金がかなり低価格なのに、いいのかな、すまんのうと思ってしまった。

↓ 空中通路から撮った会場。絶妙に邪魔な位置にあるビックカメラ看板が味わい深い。

f:id:yomota258:20210326003802j:image

 

 

昼の部『摂州合邦辻』。

和生さんの玉手御前がとても素晴らしかった。玉手御前がいったいどういう人物であるか、「合邦住家」がどんな話であるか、蒙を啓かれた思い。

以前、和生さんがトークイベントで、このような話をされているのを聞いた。

師匠(故・吉田文雀)の教えでいまも有難いと思っているのが、「役のとらえ方、考え方」についての部分。この人物は何を訴えて帰るのか? 何をしたい? 何者? 侍なら、石高はいくらなのか? ……こういった、サキ・アト・ウラのものの見方を師匠から学んだ。

文楽 トークイベント:吉田和生「『大経師昔暦』について」文楽座話会 - TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

「この人物は何を訴えて帰るのか? 何をしたい?」……、まさに、これが表現された玉手御前だった。

文楽にとって、浄瑠璃原文を正確に表現することは非常に重要で、それが最も大切であると思っていた。しかし、玉手御前は何をしようとする役なのか、彼女の本質を表現するためには何をどう表現されているべきかを、自分はよく考えていなかったな、ずいぶん無神経だったと思った。

玉手御前にとって一番大切なのは俊徳丸を守ることで、そのような誠心をそなえていることが彼女の本質であり、その崇高さが玉手を浄瑠璃のヒロインたらしめている。「合邦」でよく言われる、玉手の邪恋が本心か芝居かというのはあくまで趣向であって、彼女の本質とは関係ないんだな。
玉手御前を「やり甲斐のある好きな役」と語る先代吉田玉男師匠の談話が『吉田玉男 文楽藝話』に収録されている。そこでは「俊徳丸への恋が本物かどうか議論になるところですが、その真偽のほどは置いて」と語られており、「え、そこを置くの?」と思っていたけど、なぜこの部分を略したかがわかった気がした。
もちろん、合邦を怒らせるための狂態あるいは嬌態の演技はちゃんとやっている。だけど、そういう派手な部分以外の、彼女の誠心が顕れたなにげない所作にこそ意味がある。立体的な、そして、人を思いやる心をもった人間の息遣いを感じるような芝居だった。その表現が本当に素晴らしく、「合邦」の見方がかなり変わった。

最も印象的だったのは、玉手御前が父・合邦や母の胸にじっと身を寄せるときの、ただただ純粋で、まじりけない気持ちがあらわれた姿。玉手御前は見た目はものすごい美女なのだけど、そこだけは少女のよう。彼女の真実がここにあらわれているんだなと思った。家の戸口で中に入る許しを請うときには、ほんのわずかに、両親との別離の覚悟の悲しみが細かな露となって彼女のうえにとどまっている、寂しげな佇まいに哀れを感じた。

そして、玉手御前はとても美しかった。実際にはいつも使ってる普通のかしらなのだろうけど、そうとは思えないほどの凄艶さだった。ほおがふっくらした、大きな真珠をイメージさせる、気品のある美貌。しかしどこかに少し険と毒があり、かなり大人っぽく見える。だけど、険や毒のように感じられたものは、彼女の決意があらわれたものだったのだなと思った。それも、とても良いと感じた点だった。あとは、母に手を引っ張られて暖簾の奥へ引っ張り込まれるときの「イヤ〜〜〜〜〜イヤイヤイヤ〜〜〜!!!」ぶりが可愛くて良かった。散歩中に意地でも動かなくなったワンコのようで、かなり駄々をこねていた。

和生さんは、2月の『伽羅先代萩』の政岡の、感情が人形のかたちを借りてあらわれたような限りない純粋さが、本当に素晴らしかった。この玉手御前も、おなじ意味で、彼女の心そのものが限りない純度をもって結晶化していると感じた。和生さんは本当に、格が全然違う次元にきたんだなと思った。

 

合邦は玉也さんが休演され、代役で玉志さん。玉志さんの合邦は昨秋の地方公演でも観たが、そのときからは雰囲気が変わっていた。
役作りが違うとかではなく、よりストレートになっていた。こしらえた装飾や作為がなく、合邦の懸命さと一心さがご本人のそれと一致しており、たいへんに清新な印象だった。合邦は、自分が正しいと思ったことにはなりふり構わない行動をとる。言い換えると、なりふり構わない行動を「とることができる」、まことの心で生きている人物だ。それを率直に表現していたことが、とても良かった。「なんかやってる」芝居感を出したほうが受けはいいと思うのだが、そこを排しにいったのはすごいなと思った。
冒頭、不義者の玉手のことは思い切ったと言いながら、もう死んだのだから可哀想と言ってやってくれと女房に言われて一瞬逡巡し、首を振って「ア丶イヤ/\……」とするところ、最初はうなだれや迷いの意味で首を振っているようなのに、最後に詞がかかってくるところで思い切るように強く振るのは、合邦の親心と一本気さが出ていて、ストレートで良かった。そして、玉手が帰ってきて、しかし素直に「うれしーーー!!!!」とは言えず、娘に背を向けて上手で「ちょこん」とひざを抱えて座るときの悲しそうな姿(寂しそうにしている様子が若山富三郎的というか、ちょっと動物っぽいのが玉志さんらしい)。
玉志さんは2月の『先代萩』の八汐も最終週はかなりストレートな方向にいっていたが、ご本人の変化の時なのか、それとも和生さんとの相性によるものなのか。今後が気になる。

俊徳丸は玉佳さん。人形が目を閉じているとははっきりわからない後方席から見ても、目が不自由であることがわかる所作だった。常に肩を竦めて、周囲に気を張ったような表情(というか、顔の向け方ですね)、かなりおそるおそる歩いている。ストーリー上、俊徳丸は目が不自由になって間もないので、その状態で他人の家に居候していたら、確かにそうなるだろうと思った。

 

それにしても、「合邦」は、休演が4人も出ていてヤバかった。
見に行く前日の夜に、知人の方から「玉志さんが代役で合邦になってますよ」と聞いて、文楽協会のサイトを見た。そうしたらほかにも休演・代役告知が出ており、切の三味線・燕三さんが休演、燕二郎さん代役という発表に仰天した。玉志さんと清五郎さん(文昇さんの代役で合邦女房)、それと当日発表になった切・咲さん代役の織太夫さんはわかるけど、あんな若い人が突然、巡業先の客前で、プレッシャーに負けず弾けるのかと思った。
めちゃくちゃ(私が)緊張しながら迎える合邦切、燕二郎さんは譜面台を出し、一生懸命弾いていらした。いくら譜面台を出していても、三味線さんは演奏の合間にしかめくれないのだし、大丈夫かしらとドキドキしたが、最後まで弾ききれて、本当、よかった……。たどたどしかろうが、お客さんの前で最後まで弾くのが大事だからね……。こんな音響悪い会場で、太夫も本役の人でないのに、よく頑張ったと思った。そして、この代役でいこうという決定をされた、ご出演の技芸員さん方も凄いと思う。単なる演奏技術だけで言ったら、そりゃ無理があるよ。でも、若い子に、やろう、と胸を貸してくれる人たちで、良かったです。*1

床は、配役変更もあって大変そうだった。混沌としていた。合邦女房の表現が荒いのが惜しい。彼女だけは一切紛れのない本心で行動するので、話し方などの表現に揺れがあると不自然な印象になり、話のピントがぼけると思った。人形でそれなりの人が配役されるのは、そのためなのだなと思った。

 

 
昼の部の最初についている『二人三番叟』、人形、ちょっと惜しい。片方の人形が若干ずれてるのは、床の音とどうタイミングを合わせるかの問題か。床を聞いていなくて合っていない部類とは違って、聞いてからやっているためにちょっと遅いのではという感じがした。兄弟弟子だからか、振りの認識違いはないようだし、そこがクリアされれば二人の人形の振りは合ってくるのではないか。
義太夫と人形のずれ、もしくは義太夫のリズムを無視した人形の動き、神経質になってきているのか、最近かなり気になって、神経がそば立つ。

 


今回はチケットを公演直前に取ったため、昼の部は2階席になった。と言っても、かなり小さい劇場のため、完全に空中に張り出しているような2階席ではなく、1階席の後方が1m程度高くなっているという仕様だった。
2階席からだとステージがやや覗き込みになり、人形が二重の屋体外に出たときは人形遣い3人の全身が見えるのが興味深かった。2階から見ると、人形がよりいっそう一生懸命生きているように見えて、良かった。合邦が段切で門口にある生首閻魔様を拝むとき、人形をうまくかがませるために、人形遣いが舞台下駄を片方脱いでいるのが見えた。我々が普段見えていないところで、いろいろやっているのだなと思った。あとは、小道具出し入れ等をしてくれる黒衣さんが後見のように待機している際、黒衣のワンピ風仕立ての下がどうなっているかわかって、勉強になった。

 

  • 『二人三番叟』
    義太夫
    豊竹靖太夫、豊竹咲寿太夫、竹本碩太夫/野澤勝平、鶴澤寛太郎、野澤錦吾、鶴澤燕二郎
    人形役割
    三番叟(又平)=吉田玉翔、三番叟(孔明)=吉田玉誉
  • 『摂州合邦辻』
    義太夫
    中=竹本南都太夫/鶴澤清𠀋
    前(切)=竹本織太夫(代役。豊竹咲太夫休演につき)/鶴澤燕二郎(代役。鶴澤燕三休演につき)
    後=竹本織太夫/竹澤宗助
  • 人形役割
    合邦道心=吉田玉志(代役。吉田玉也休演につき)、合邦女房=吉田清五郎(代役。吉田文昇休演につき)、玉手御前=吉田和生、奴入平=吉田玉勢、浅香姫=吉田一輔、高安俊徳丸=吉田玉佳

f:id:yomota258:20210326003848j:image

 

 

 

夜の部、『本朝廿四孝』。

十種香。
勝頼は玉男さん。強い輝きを放つ、美々しく勁い佇まい。武将の嫡子らしい、堂々とした雰囲気。今回は十種香から出してるから「何事!?」と思うけど、景勝上使がついていたり、通し狂言で出していたら、この勝頼像はかなり説得力があると思う。景勝が登場する公演なら、その対照に置かれるべきプリンス像として、映えるだろう。
しかしあの体幹ごん太ぶりは本当に一体何なんだ。あまりに体幹がシッカリしているため、めちゃくちゃ強い光輝を放っているように見える。腰〜上体の構え方がほかの人と違うのだろうか。上体を若干前に傾けつつも、背筋は力みなく、まっすぐにスッと伸ばしている。なんというか、アスリート系貴公子というか……。玉男さんてお若いころからこういう勝頼だったのかな……。刀を杖にして思案する場面が眩すぎて、「キャーッ」って感じだった。

八重垣姫は簑二郎さん。大人しい、深窓のおっとり姫君という風情の八重垣姫だった。
簑二郎さんは人形が後ろ向きになるとき、かなり低い位置に構える傾向があると思う。この姿で出となる十種香の八重垣姫では、姫が絵像を仰ぎ見て、亡くなったまだ見ぬ許嫁にいまでも憧れている雰囲気が強く出ているのが印象深かった。壁にかけた絵像に手を合わせションボリしているところは、本当にションボリしていて(通常ミノジロオ比)、良かった。真ん中の間をのぞいてから、「やっぱ、違うよネ……」と一度絵像の前に戻るところが特に良い。奥庭との対比として、大変有効。

対照的なのが清五郎さんの濡衣で、黒い衣装がよく似合う、婀娜っぽいお姉さんだった。やや顔を突き出して横を向き、首を根元限界まで見せ、若干体を捻ったような姿勢。よーーーく見てしまうと不自然で怖いのだが(こういうのは簑助さんもそうなんだけど)、一連の動作として見ると、色気に感じる。しかし、大名の姫君である八重垣姫とは異なる、腰元らしい品があるのが良かった。10月に観た勘彌さんの濡衣より、大人っぽい印象だった。

それにしても、元々の設備の問題なのか、照明の色味がちょっとドキツイのが気になった。勝頼の出、なぜか紫っぽいライトが当たっていて、いや、まあ、確かに今回は勝頼が玉男様だからそれでもいいかもしれんけど、勝頼に当てる照明とちゃうやろと思った。(私の玉男様に対するイメージ→「独特な紫使い」)


奥庭。
八重垣姫の見せ方が通常の演出と異なっていた。最初に出現するキツネは黒衣、八重垣姫が火焔の衣装になっても人形遣いの着付の引き抜きはなし。
本公演でよくある演出(最初のキツネを八重垣姫役が出遣いで遣う、八重垣姫が火焔の衣装になる際人形遣いも衣装引き抜きで派手な衣装になる)より「地味」なのだが、人形を引き立て、八重垣姫の心情を描写する舞台演出として非常に効果的だと感じた。八重垣姫が火焔の衣装になって以降も、人形遣いは全員出遣いではあるが、人形が目立つ速度・所作にしていて、八重垣姫が非常に際立っていた。
特に、八重垣姫の孤独さがよく出ていたのが良かった。最初のキツネが出遣いでないのは、かなり効果的。あれを静かに終わらせると、諏訪明神の霊験の不思議、暗い庭にひとり現れる姫のうら寂しい気持ち、それを振り切っての決意がよく引き立つ。

簑二郎さんはおそらく八重垣姫初役だと思うが、初役ならご自分が存分目立つ演出でやればいいところ、よくよく考えられてのことだろう。今後もこの演出でいかれるとしたら、八重垣姫役への習熟によって、素晴らしい舞台に成長していくだろうと感じた。もちろん、せっかくの大役なんだから、ご本人自身が派手な振る舞いをしてもいいと思うけど。

奥庭は、文楽の中でも意図的に派手に見せることを趣旨としてきた演目だと思う。『吉田栄三自伝』によると、昭和初期には、八重垣姫役の人形遣いは松竹から毎回違う演出を求められたと聞く。しかし、10月に観た清十郎さんの八重垣姫もあわせて考えるに、いま現在の上演で、人形遣いでなく八重垣姫を目立たせる演出というのは、むしろ新鮮で的確なものであると思う。いままでに見た奥庭で、もっとも面白い演出だと思った。

床、十種香は、やはり八重垣姫のクドキの「かつよりさま」の「か」の音が気になる。そこにもう少し、八重垣姫の希求の気持ちが入っているといいな……。ただこのような細かいことが気になるというのは、それだけ達者であるということだと思う。奥庭は、三味線と琴が噛み合ってないのが謎だった。

 

 


『釣女』。
大名〈吉田文哉〉と太郎冠者〈吉田玉助〉の所作が狂言の所作になっていないのは、なぜ……? この演目、狂言の所作になってないと、意味なくない……?
意図的にやっているのなら理由を知りたいところだが、狂言の所作を排したところでそれ以上の舞台効果を上げているかといったらそうではなく、残念。特に太郎冠者は、狂言を知らないお客さんにでも「いつもの文楽と違うな」とわかるレベルで演じたほうがいいと思う。立ち方ひとつにしても、それによって舞台の雰囲気が変わる。そうして世界を切り替えないと、妙に大味な話にすぎない。

っていうか、あいつらの言動、知恵を使う方向が大幅に間違っているというか、必死になる方向性があまりにしょぼすぎて、古典芸能フレーバーがないと、福本伸行ワールドと化すというか、『ハンチョウ』とか『イチジョウ』状態になっちゃうから・・・・! と思った。

↓ 大槻、即座に文楽人形になれそうなお顔立ちが・・イイ・・・・

1日外出録ハンチョウ(1) (ヤングマガジンコミックス)

美女〈桐竹紋秀〉と醜女〈桐竹紋臣〉は姉妹っぽくて良かった。家の中がすごいやかましそう。本当にどうでもいいことだが、美女の左、普通は絶対やらない人がやってなかった……? 人手不足を通り越して、過疎地……、いや、限界集落……? と思った。

床はなんというか、自由な人が集まってきてしまったというか、三味線も含めてサファリパークな感じで、「そうかっ!(突然肩を組みながら)」と思った。床のみなさんの他人に一切興味なさそうな感じが話に合っていて、良かった。そこはかなり狂言ぽい。

 


夜の部は1階席だった。先述の通り、定式幕ではなく中央開閉の幕を代用した会場だったのだが、幕の間に微妙に隙間があいていたため、幕が閉まった状態でも、座席の位置によって若干内側が見えた。段切、幕が閉まったあと、トトトト……と下手へ帰っていく八重垣姫や醜女が見えて、可愛かった。客が見てないところでも愛らしいのがよかった。そして、わりとすぐ帰るんだなと思った。私も1秒でも早く家に帰りたいと思った。(高崎から自宅まで2時間強)

 

  • 本朝廿四孝
    義太夫
    十種香の段=竹本千歳太夫/豊澤富助
    奥庭狐火の段=豊竹靖太夫/野澤錦糸、ツレ 鶴澤寛太郎、琴 野澤錦吾
    人形役割
    花作り簑作実は武田勝頼=吉田玉男、腰元濡衣=吉田清五郎、八重垣姫=吉田簑二郎(奥庭 左=吉田一輔、足=吉田簑之)、長尾謙信=吉田玉志、白須賀六郎=吉田玉彦、原小文治=吉田玉路
  • 釣女
    義太夫
    太郎冠者 豊竹睦太夫、大名 竹本小住太夫、美女 竹本碩太夫、醜女 豊竹芳穂太夫/竹澤團七、竹澤團吾、鶴澤清𠀋
    人形役割
    大名=吉田文哉、太郎冠者=吉田玉助、美女=桐竹紋秀、醜女=桐竹紋臣

f:id:yomota258:20210326004126j:image

 

今回の地方公演は、和生さん、簑二郎さんの人形演出に対する考えを感じ取ることができる舞台だった。観客として、様々な示唆を受けた。
和生さんは通常から大役も多く、トークショー等でお話を伺う機会もあったので、どういう考えを持たれているかはボンヤリとではあっても察する機会があったが、いままで知り得なかった、簑二郎さんの見解が感じ取れたのが非常に良かった。中堅以下の方だと、なかなか芸に対する考えを知りうる機会もないので、面白かった。行ってよかった。

今回は事前解説がいつもよりちょっと長いように感じた。詳しく話して欲しいというリクエストがあったのかな。『摂州合邦辻』と『本朝廿四孝』、説明したところでわかってもらえる内容ではないので、長いなら長いで、大変だと思った。

 

↓ 2020年10月地方公演の感想

 

 

 

  • 2020年度3月地方公演
  • 昼の部
    『二人三番叟(ににんさんばそう)』
    『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』合邦住家の段
  • 夜の部
    『本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)』十種香の段、奥庭狐火の段
    『釣女(つりおんな)』
  • http://takasaki-foundation.or.jp/theatre/concert_detail.php?key=235

*1:いま、エンジロ・インスタ見たら、梅田にある揚げたて芋けんぴが食える店について熱弁していて、のどかだ、と思った。私は芋はじゃがいも派なので、東京駅などにあるカルビー直営の揚げ芋屋に関心があります。