TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 6月大阪鑑賞教室公演『二人三番叟』『仮名手本忠臣蔵』二つ玉の段、身売りの段、早野勘平腹切の段 国立文楽劇場

大阪鑑賞教室、今年の演目は『仮名手本忠臣蔵』の勘平のくだり。「忠臣蔵」そのものですら最近の若いモンは知らないと言われているのに、お軽勘平とか、異次元の話では!?とそわついてしまった。

今年は玉志サンが後半配役ということで、行ったのは後期日程。近年は幹部が抜けての上演なので、どのグループもチャレンジ感が溢れた配役となっているが、どうなることか……?

 

二人三番叟。

  • 後期・午前の部
    義太夫
    三番叟 豊竹芳穂太夫、三番叟 豊竹咲寿太夫、竹本碩太夫、竹本聖太夫/鶴澤清馗、鶴澤寛太郎、鶴澤清公、鶴澤清允
    人形役割]
    三番叟[又平]=吉田文哉、三番叟[検非違使]=吉田玉勢

  • 後期・午後の部
    義太夫
    三番叟 豊竹希太夫、三番叟 竹本碩太夫、豊竹亘太夫、豊竹薫太夫/鶴澤清志郎、野澤錦吾、鶴澤燕二郎、鶴澤清方
    [人形役割]
    三番叟[又平]=桐竹紋吉、三番叟[検非違使]=吉田玉誉


午前の部は、それぞれの個性が出ていた。玉勢さん(検非違使)はかしらの表現、文哉さん(又平)は全身の見せ方に良さが出ていた。文哉さんは4〜5月の『義経千本桜』伏見稲荷での弁慶の人形の体幹の不用意なぐらつきが目についたが、こちらは人形がやや小さいからか、安定している。逆にいえば、玉勢さんは全身の見せ方、文哉さんはかしらの表現がもっと磨かれていけばと思った。
鈴振りのムーブは、「消毒しとんのか?」って感じだった。入口で小学生や中学生団体のおててに消毒液をふりかけてる係員さんがそういうムーブしとった。
イヤ、鈴を振ってくれい!!!!!!!!!!!!
三番叟二人の動きが全然揃ってないのは、かなり気になった。

 

午後の部は優雅な三番叟。舞踊の家に生まれた双子のおぼっちゃまが踊っているような、ふんわりとした柔らかさと趣がある。真面目オーラと端正オーラの強い玉誉さん(検非違使)・紋吉さん(又平)コンビゆえの見え方か?
こちらの鈴振りは、上品な奥様がはたきでポンポン風だった。
イヤ、鈴を振ってくれい!!!!!!!!!!!!(2回目)

 

午前・午後に共通して言いたいのだが、三番叟はもっと激しく踊るべきでは?
踊りがのっぺりしていて、又平が休憩しちゃうくだりが何やってるのかわからなくなっている。学生客が誰も笑っていなさすぎて、一般客(文楽劇場の地縛霊のみなさん)のあいだに焦りが走った。特に又平は再び踊り出すときはシャカリキにやるなど、クッキリとやって欲しいと思った。

 

 

 

解説。

  • 後期・午前の部=吉田簑太郎
  • 後期・午後の部=桐竹勘次郎

通常公演は人形解説のみ。内容はわかりやすくて良かった。私が初めて鑑賞教室で解説を聞いたときより、格段に内容が向上していると思う。社会に対しての文楽の位置付けの説明があるのが、良い。しかし、個別解説は、人形の説明だけなら、20分程度でいいのではと思った。

緊張しすぎて、間合いのない早口になってしまっているのは、落ち着け!!!! 話そのものはしっかり出来ているし、お客さんに語りかけたい気持ちはよく伝わってるので、焦らなくても大丈夫。自分では「遅いかな?」くらいのゆっくりさで喋るのが、実はちょうどいい。客が聞いて→考えるタイムラグをとったほうがいいよ。玉男様くらいのおっとり感で頼むわ。誰かお兄さんなり劇場職員の方なりが、練習に付き合ってあげればいいのにと思った。(一般的な会社だと、後輩のプレゼンの練習に、先輩がつきあってあげるよね?)

ただ、デモンストレーションについては、出来ない人、すなわち、わかってない人にやらせても、説明として成立しない。本人にもわかってないのに、客にわかるわけがない。特に口開きの文七を使った、睨み、驚き、笑い。勉強のためやらせるのなら、上の人がしっかり指導して欲しい。鑑賞教室はじまって1週間経ってるのに、間合いのおかしさについて誰も何も言ってあげなかったの? あまりにひどいと思ったし、本人にもかわいそうだよ。

 

それにしても、今年の無料配布プログラムに載っているあらすじまんが(作・細川貂々)のおかる……、「おかるってそんな顔だっけ!??!???!!」と思った。あと、塩谷判官の雑魚オーラがやばかった。演目説明で言われて初めて塩谷判官ってわかったよ! 荷物持ちのツメ人形かと思った。

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仮名手本忠臣蔵、五〜六段目。

  • 後期・午前の部
    義太夫
    二つ玉の段=豊竹亘太夫/鶴澤友之助、胡弓 鶴澤清允
    身売りの段=竹本小住太夫/野澤勝平
    早野勘平腹切の段=竹本織太夫/鶴澤燕三
    人形役割]
    百姓与市兵衛=吉田勘市、斧定九郎=吉田玉翔、早野勘平=吉田一輔、おかる=吉田簑紫郎、与市兵衛女房=吉田簑一郎、一文字屋才兵衛=吉田簑之、めっぽう弥八=吉田玉路、種ケ島の六=吉田玉延、狸の角兵衛=豊松清之助、原郷右衛門=吉田玉輝、千崎弥五郎=桐竹勘次郎

  • 後期・午後の部
    義太夫
    二つ玉の段=豊竹咲寿太夫/竹澤團吾、胡弓 鶴澤清方
    身売りの段=豊竹靖太夫/鶴澤清𠀋
    早野勘平腹切の段=豊竹睦太夫/竹澤宗助
    人形役割]
    百姓与市兵衛=桐竹紋臣、斧定九郎=吉田簑太郎、早野勘平=吉田玉佳、おかる=桐竹紋秀、与市兵衛女房=吉田文司、一文字屋才兵衛=吉田和馬、めっぽう弥八=桐竹勘介、種ケ島の六=吉田簑悠、狸の角兵衛=吉田和登、原郷右衛門=吉田玉志、千崎弥五郎=吉田玉彦


午後の部、玉佳さんの勘平が素晴らしかった。
勘平のストレートさ、青さ、真面目さと、玉佳さんの持ち味が一致して、清新な勘平になっていた。たるんだところや脂浮きのない、清潔な印象であることが好ましい。
特筆すべきは、決めるところをしっかり決めていること。「二つ玉の段」で死骸の懐の財布を盗み、走り去ろうとするところ。「早野勘平腹切の段」で腹を切り、原郷右衛門と千崎弥五郎を左右に制するところ。いずれも勘平の心、そして物語が「パッ!」と切り替わるところが強く抑えられていることによって、ドラマが大きく動くのが見える。そこまでは、ごく普通の人間と同様の動きしかしないんだけど、決めるところでは、ぐっと手足を伸ばし、張り出して、ぎゅっと止める! これこそ、人形の所作だよなあ。決めの所作で人形の背筋が曲がってしまったり、腰と肩の関係が崩れることなく、きっちり一発で綺麗な姿勢に決めてくるのはさすがだ。
玉佳さんは、本公演の本役としてはいわゆる「いい役」はなかなか回ってこない人だけど、しっかりしている人というのは、しっかりしているのだと思った。

午後の部では、玉志さんの原郷右衛門もよかった。かしらの表現が大変に秀麗。上下左右振りだけにとどまらない、押し引きや強弱、緩急を含めた立体的な動きに、芝居としての強度がある。郷右衛門の、一緒に出てきた千崎弥五郎よりも背が低く背中が少し丸まってきた年輩ながらも、彼の持つ老武士としての謹厳さが非常によく出ていた。
スウォッシュのような、あるいは筆記体のようなストロークなどの動きの軌跡や、起点と末尾の処理が非常に丁寧であることは見逃せない。私、最近、西国三十三所巡礼の納経帳(御朱印集め)をやっていまして、納経所でお寺の人に文字を書いてもらうのをじっと観察してるんですが、それを見ているときの面白さと同じ感覚。最初に紙に筆を下ろしたときに止めで滲んでいく墨や、スッと払ったその先端まで美しいカーブを描く筆跡、迷いのない終点での力強い力み。文字自体の美しさとともに、動きの美しさがあるんですよね。文楽だと、書とは違って軌跡は見えないのだけれど、玉志さんの人形を見るときは、どんなラインを描いているか、どんな止めをしているかにも注目していただきたいです。鋭利そうに見えて、非常に優雅で繊細。
やはり、玉志さんは、初代玉男師匠の芸をできるだけ忠実に受け継ごうとしているのだと思う。初代玉男師匠は、映像で見ると、かしらの微細な動きにかなりのこだわりを持っていることがわかる。かしらだけでも演技が成立しているというか……。郷右衛門は、あくまで脇役で派手な演技もない分、かしらのみで彼の実直な人となりを表現していた。そして、微細な動きを中心としながらも、非常に大きな動き、鋭い動き、あるいは長時間の止めを躊躇しないのも、玉志さんのおもしろさだろう。
しかし、玉志サンの髪型のやる気あるなしは本当に何なんだ? 玉志さんの芸にやる気がなかったことは一度も見たことがないが、髪の毛はランダムでやる気がなくなるのが、意味不明です。それとも、ああいうスタイリングなのか??????

紋臣さんの与市兵衛も、一体、何なんだ??? 配役決めたのが若干変質者入ってはる方なのか? それとも「シュークリームにカラスミをトッピングしたら旨いかも!」的な発想なのか? 確かに、カラスミ味のプチシュー的な、可愛い爺さんになっていたが。そりゃ、与市兵衛はヒヨコにはできない役だけど……、なんかこう、「この人がやる必要、ある?」っていう役を頻繁にやらせるのは、どうなんだろう……???

千崎弥五郎〈吉田玉彦〉は、原郷右衛門が勘平の誠心を認め、連判状を取り出すところで戸の外を見回す部分がしっかり演じられていて、千崎弥五郎が何をやっているのかよくわかるのが良かった。午前の部は何をやっているのか、よくわからなくなっちゃっていたので……。
タマヒコは、まるで玉志サンの息子かのようについてきてるが、他人。あえて言えば叔父と甥。てか、タマヒコ、髪型変えた?

おかるの紋秀さんは、真面目そうなおかるだった。良くも悪くも、「普通の子」な印象だね。ママ〈吉田文司〉と髪の毛チェックしあう姿が愛らしかった。それにしても紋秀さん久しぶりに見たわ。自分が4月と5月、紋秀さんが出る回を取らなかっただけなんだけど。すごくペカッとしていた。

 

 

午前の部は、やわらかうどんって感じ。
出演者のみなさんは、非常に頑張っておられると思った。過去の名演映像や録音をよく勉強しているように感じた。ただ、その研究が舞台に落ちるまで、もう何段階かのステップが必要な印象。いくら長谷川潤が美人だからといって、私が長谷川潤の髪型やメイク、ファッションを表面的にコピーしても、長谷川潤のもつ美しさにはなり得ないというか……。パーツごとの外面的なかたちに気がいって、細切れの印象になっている気がした。物語全体がどういう波を描いていくのかや、人物の気持ちの変わり目が意識され、出てくるようになればと思った。

人形と床が噛み合ってないことはかなり気になった。温度差があるのは一旦置いておいて、物理的にタイミングが合ってなくない? 肝心の切腹ががもたつきすぎている点については、不慣れであること自体は仕方ないので、メソッドによって解決するほうがよいのではと思った。はっと気づいた瞬間切腹するのは、それができるのであれば芝居としてドラマチックではあるが、肌脱ぎ自体に不慣れな人には、かなり難しい。現状は、左は準備してるけど、右が慌てすぎて動きが非常に乱雑になっており、何をやっているのかわからない。私はこの段を観たことがあるので、勘平が切腹することは頭で知っているんですけど、学生さんたちは「???」だったのでは。もっと前から肌脱ぎを始めたほうがよい気がする。
切腹をスムーズにできるかどうかという問題は、実は午後の部もある程度同じことが起こっていたけど、あんまりもたつくと話が変わってくるので(「弥作鎌腹」のように、しょぼい奴が見苦しく切腹する話になる)、注意が必要だと思った。

それにしても、斧定九郎の玉翔さんは、なぜ、和事風の柔かい雰囲気にいったのか? いかにもな前受け狙いに行くつもりがないことはわかったが、ご本人の持ち味をいかした、颯爽としたみずみずしい雰囲気でいったほうがいいように思った。

 

 

鑑賞教室ならではの、配役による違いを見る楽しみ。

わかりやすい点としては、午前の部、午後の部で、人形が使用する小道具が一部異なっていた。
斧定九郎が出のとき持っているもの。午前の部の玉翔さんは破れ傘を差しての出、午後の部の簑太郎さんは糸経(と言うらしい。菰みたいなやつ)をかぶっての出だった。
また、おかるママこと与市兵衛女房も、出のときに持っているものが異なっていた。午前の部の簑一郎さんは細い杖。午後の部の文司さんは赤いうちわだった。

脇役の見比べ。
一文字屋は、ともにちょっとチャリが入った役ながら、午前・午後で若干雰囲気が異なる。
午前の部の簑之さんは、軽やかな太鼓持ち風。午前の部は全体的に演技がノッペリしている人が多かったので、一人だけ軽快で、よい意味でパッと浮いていた。
午後の部の和馬さんは、世慣れた商人風。「女衒は人の間に入る商売やで、いろんな人と仲良うしとかなアカンのやで?」とか言われてるんでしょうか。おかるからお茶をもらって、オ!コラドウモ!フー!ゴクゴク!ゴッツォサン!してるのが可愛かった。
一文字屋は脇役だけど、雰囲気がしっかり抑えられていて、2人とも良かった。演技が硬くならないのは、大いなる成長。和馬さんは、ご本人はものすごい緊張した顔をされていたが、人形はリラックスしてました!
おかるとママと勘平がちんたら暇乞いしているとき、一文字屋は暇そうに駕籠に肘をついて「ハヤクシテヨー」的に待つ演技があると思うけど、今回の一文字屋がやっていたかどうか、見忘れた。

原郷右衛門は、午前と午後で段切の決めが異なっていた。
正面向いて決まるのは同じなのだが、午前の玉輝さんはかしらを震わせて涙をこぼしていた。午後の部の玉志さんは、かしらを動かさず、まゆをあげて涙をこらえ、目に貯めているふうにしていた。玉輝さんと玉志さんが同じ役に配されることは時々あるが、観ていると、演技がそこそこ違っている。裁量の多い役なのだろうが、兄弟弟子でも解釈や表現したいことは違うのだなと思った。

 

また、現状の鑑賞教室は、若い人が「そこそこ」の役をやる公演として、ベテランのそれと比較される場面も多い。ふだんはなにげなく見ている、ベテランのうまさがわかる公演でもある。
人形については、たとえば「家の上り口の段差」が顕著である。段差を登るときの処理が、ベテランは上手い。ベテランは、ちゃんと、「んしょ!」と、お人形さん自身が自分の身体を使って上がっている。
自分の演技の番(セリフ)じゃないときにどうしているかも、ベテランと若手ではなかなかに違う。若い人は、どうしたらいいのかわからない人も多いのだと思う。わざとらしくなんかしろということではなく、ちょっとした佇まいや目線で差がつくのだと思うが……、やはり、人形は、何もしていないときが難しいですね。
若い人だと、人形を構える高さが動くたびに変わる人がいるのが気になった。それと、これは若い人に限らないが、なんか、人形の高さがそれぞれでバラついてないか……? と思った。

 

 


玉男さんは出ないし、玉志さんも脇役だし、どうしようかなと思っていた今年の鑑賞教室だが、玉佳さんの渾身の勘平を見られたので、行って良かった。玉佳さんがうまいのは知っていたが、玉佳さんは私が思っていた以上にうまい人なのだと思った。本公演でも、ぜひ、いい役を。
玉志サンが玉佳勘平をじーーーっと見ていたけど、かわいい弟弟子が心配だったのかな。それとも、アドバイスする用に見てたのかな。

そんな玉志さんはやる気がはみだしすぎて、「玉佳を食う気か???」と思った。ああ〜……この人、そういえば江戸家老でしたねぇ〜……。そういう意味では由良助に張るっていうか……。と、そもそもの原郷右衛門の身分を思い出した。やりすぎ&ご本人のルックスもあって、ひとりだけ激浮きの名人芸のようになっていた。名人芸ですが。

 

率直な感想としては、特に六段目は話の本質部分が渋めなので、なかなか難しいなと思った。すべての出演者の芸が、文楽としての物語のうねりのダイナミックさに統合されていくまではいっていないなというのが正直なところ。物語として統合されず、ぱらけている。これからの人生で頑張ってくれ!
そして、勘平は難しいわ。あいつ愚か者だもん。愚か者をどう表現するかは、難しいよ。2020年12月の東京公演で勘平役をやっていた勘彌さんは、相当うまいわ。よくいきなりあそこまで出来たなと、いまさらながら思った。
あと、和生勘平は、切腹が超スムーズ&速いわと思った。さすが人間国宝じゃ。(そこじゃない)

 

今年の鑑賞教室は学生団体の観劇も復活したため、自分も小学生・中学生団体と一緒の回になった。お若い方々は、開演5分前に、緞帳が引き上げられ定式幕が見えただけで盛り上がっておられて、良かった。定式幕が開く直前に入る柝の音で一瞬で静かになるのも、えらいわ……。
ヤングのご様子としては、娘さんたちのあいだで、オーガンジーのふんわりリボンを髪の束ねたところに結ぶのが流行ってるらしい学校があったのも、良かった。中高くらいだと、そういう謎の局所的な流行あるよね。流行りに乗らず、開演前や休憩時間にクラスメイトから顔を背けて座り、すごく生きづらそうにしている子がいて、応援したくなった。(一番いやがられるやつ)

そんな学生さんや文楽劇場の地縛霊ズが並ぶ客席に、技芸員さんが素で混じっていて、笑った。確かに、時々、いる人だけど。

 

それにしても、近年の鑑賞教室の、「客も初心者だが、出てる人がいちばんの初心者」的配役は、なんか、こう、もう、本当、すごいよね。これ、今後、どうなるんだろう……?

 

 

 

鑑賞教室は終演が早いので、午後の部が終わったあとは遊びに行けます。ちょっとだけ大阪住まいの気分になれて、好きな時間です。

中之島まで散歩。

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はり重のビーフカツカレー。

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四天王寺。この人が飛び出してくるのは相当ヤバイのでは!?

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もちろん、大好きなサンマルコのカレーも食べました。

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