TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 in Hyogo『義士銘々伝』弥作鎌腹の段 兵庫県立芸術文化センター

久しぶりに、兵庫県独自企画の文楽公演「文楽 in Hyogo」へ行ってきました。
本来は2年に1度の開催だそうですが、昨年の開催予定が新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止になったため、今年にスライドしてきたようです。

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第一部はトークショー
和生さんのお話だけ、断片的にメモする。

 

┃ メインゲスト・細川貂々さんについて

  • (大阪鑑賞教室公演のパンフレット掲載の細川貂々さんのあらすじ漫画について)読ませてもらっている。非常に特徴のある漫画で…………。(2019年に分割通し上演した『仮名手本忠臣蔵』の全あらすじ漫画は読まれましたかと聞かれ、ドキっとした人形のようなリアクションで)スミマセンそこは見てないんですが。
  • 細川貂々さんにペンネームの由来を質問し、高野文子の漫画に出てくる動物のテンからきているという説明を受け)…………。理由があるようでいまひとつわからない!(和生正直)

 

┃ コロナ禍での公演について

  • あした(7/8)コロナワクチンの2回目を打つ。玉男さんも一緒。副反応があるかもしれないと聞いているので、熱が出なければいいなと思っている。10日に仕事入れましたので!(剛毅和生) 若い人も、今日終わってから劇場へ戻って、1回目を打つ。最初は17:00にという話だったが、この公演の終演が16:00なので「それでは間に合わん」ということで、17:30集合にしてもらった。
  • 昨年の長期休演は、文楽の芸能史でもかつてないことだと思う*1文楽は戦時中でもやっていた。ぼくらも6ヶ月芝居なしで過ごしたのは初めて。きょうはたくさん来ていただいて、気をつけながら楽しんでいただければと思う。

 

┃ 「弥作鎌腹」について

  • 「Bunraku in Hyogo」では兵庫県に関係した演目を選ぶことになっており、「弥作鎌腹」は摂津の国が舞台ということで選ばれた。珍しい演目で、いままで2回くらいしかやったことがない。*2自分は芸歴50年ほどだが、前にやったのは25年前(1996年[平成8]4月文楽劇場公演)。珍しいからやってみようか、という話になった。
  • 「弥作鎌腹」をやろうという企画は3年前に出たものだが、去年はコロナの影響で中止になり、今年に繰り越された。
  • 今回は前半をカットし、後半から上演する。
  • 内容は、『仮名手本忠臣蔵』でいう勘平の段の外伝。弥作と和助の兄弟、悪人の七太夫が登場する。ただし後半が異なり、勘平をモデルとしている和助はまだ死なず、討入に出立するところで終わる。
  • 見どころは、弥作が七太夫・和助の両方に責められて、板挟みになるところ。弥作には発散するところがない。七太夫は強欲なところが見どころ。
  • 普通の演目とは雰囲気が違う曲。セリフが多い。上演機会が少ないので、洗練されていない部分があったりする。出演者それぞれの立場でやっているが、(おもしろいかどうかは)お客様に判断してもらうしかない。国立劇場でまたゆっくり観てみたいか、もういいか……。でも、まず一度は観ていただきたい。

 

┃ 配役について

  • 過去の公演では、弥作役で先代の玉男師匠、七太夫役で文雀師匠が出ていたが、今回はぼくが弥作、玉男さんが七太夫を演じる。役の入れ替えはその人のニンがあるので、ままあること。玉男さんとは、「七太夫のほうがやってておもしろいやなぁ〜」「そやなぁ〜」と話した。
  • 太夫=千歳さん・三味線=寛太郎さんは和生さんの指名ということで、その理由について)千歳さんは今の太夫さんで語り口が一番合っているから。寛太郎さんは、演目決定時ご健在だった寛治さんがこの曲を知っているということで、当時稽古ができたため。

 

┃ 千歳さん・寛太郎さんからの聴きどころメッセージ

  • 千歳さんより「それぞれのキャラクターの魅力が面白い曲。キャラクターを楽しませたい」
  • 寛太郎さんより「三味線だけで聴かせる場所が4箇所ある。楽しんでもらいたい」

 

トークショーは本来は漫画家・細川貂々さんと、飛び入り参加(?)の和生さんのお話を聞くというものだったようだが、司会者に問題があり、びっくりするほどトークショーとして成立していなかった。細川貂々さんは元々関東在住だったものの、宝塚好きが嵩じて宝塚へ移住したなど、いろいろ面白いエピソードをお持ちのようだったが、それが引き出されず、残念。

貂々さんについて少し書いておくと、2015年、釈徹宗さんに連れられて『絵本太功記』を観たのが文楽との出会いだったそうで、一度ですっかり馴染むことができたそうだ。千歳さんのファンで、毎日新聞の企画で好きな技芸員さんと対談できることになったときも、千歳さんを指名されたとか。
貂々さんが例年描かれている鑑賞教室のあらすじ漫画についても、お話があった。6ページの尺が与えられているが、そのうち冒頭1ページは「これまでのあらすじ」を描かなくてはいけないため、残り5ページでまとめるのが大変だけど、面白いということだった。あのあらすじ漫画、貂々さんの作風と文楽の身も蓋もなさが悪魔合体して、なんともいえない独特の味になっていて、大好きです。「寺子屋」やった年の源蔵のサイコ感はまじで最高でした。

 


第二部、『義士銘々伝』弥作鎌腹の段。

忠臣蔵の外伝もので、文楽現行ではこの段のみが上演されているという断片的な演目(素浄瑠璃では「赤垣源蔵出立の段」も演奏可能)。
和助(『仮名手本忠臣蔵』でいう勘平)の兄で、田舎で百姓をしている弥作が主人公。和助の討入への出立を前に、弟と義理はあるが悪人の七太夫とのあいだで板挟みになる弥作の苦悩を描いている。

あらすじ

弥作は義理のある村の代官・芝村七太夫の依頼により、弟・萱野和助を彼の仲介で婿養子に出すことにする。しかし和助には主君・浅野家の仇を報じるため、今宵江戸へと出立し大石と共に討入をするという計画があったのだった。

弥作〈吉田和生〉が思い悩んでいると、七太夫吉田玉男〉が結納品を持って催促にやってくる。七太夫は婿紹介のマージンを抜くため、なんとしてでも今日和助を連れて帰りたい。弥作は延引を頼みごまかそうとするが、強欲な七太夫切腹する振りをしてゴリ押ししようとする。やむなく、和助は討入のため江戸へ出立することを告白する弥作だったが、七太夫はますます盛り上がって和助をもらっていくと言う。

その押し合いへしあいの中、酒を買いに出ていた弥作の女房・おかや〈吉田文昇〉が帰ってくる。驚いたおかやは揉め事に割って入る。そして、七太夫は夕刻までこの場から引き取り、弥作は七太夫がいないうちに和助を説得することになる。

おかやがあまりにも思い詰めた様子の弥作を心配していると、当の和助〈吉田玉佳〉が帰宅する。婿養子の件は断ってくれたか、いまにも討入へ出立すると兄夫婦へ告げる和助。弥作は七太夫が辞退をどうしても承引してくれないと言うが、和助は弥作が七太夫に討入の件を話してしまったことを知って激昂。七太夫を殺して切腹すると言い出す。弥助は大事のことは喋っていないと誤魔化し、七太夫は金さえ貰えれば引き下がるだろうとして和助から5両を借りる。和助は家に残る兄を気にかけながら、おかやに伴われて船着場へと向かう。

それと入れ替わりに、槍を手に身拵えした七太夫が踏み込んでくる。弥作は結納品と和助から借りた5両を七太夫に差し出し、婿養子の辞退を申し出る。しかし七太夫は聞き入れず、弥作を引きずり回した上、役人へ大石らの討入を注進すると言って飛び出していく。覚悟した弥作は鉄砲を持ち出し、畦道を走っていく七太夫を撃ち殺す。

家へ戻った弥作は、傍にあった刀で切腹しようとするが、百姓の身では気後れして手が震え、叶わない。弥作は壁にかけてあった草刈鎌を取り外し、腹へ突き立てる。そこへ和助を送っていったおかやが帰ってくる。暗くなっても灯のついていない我が家の暗闇を不思議に思うおかやの手に触れたのは、断末魔の苦しみで七転八倒する弥作だった。おかやが驚いているところへ、兄の様子を心配した和助が戻ってくる。和助に介抱された弥作は、実は討入の次第を七太夫に喋ってしまったこと、それを注進しようとする七太夫を殺してしまったことの次第を語る。弥作は自分が役人を殺したゆえに和助にも難儀が及ぶとして、急いで出立するように言う。息も絶え絶えの兄を見捨てられない和助だったが、構わず旅立つように促す弥作の想いに涙を流し、おかやは夫との別れを嘆き悲しむ。
そこへ突然、狸の角兵衛〈吉田玉彦〉が現れ(まじで突然現れる)、浅野浪人の討入を代官所へ注進すると言って駆け出そうとするが、和助の手裏剣で討ちとめられる(玉彦、秒の出演時間)。

こうして和助は門出の血祭りを祝う弥作を残し、東へと旅立っていくのだった。 

 

 


速いなオイ。

というのが、率直な感想。え!?!?!?!?!?!?!?!?!?!? と思っているあいだに、すべてが終わる。上演時間1時間ほどだったが、体感30分。

トークショーで和生さんが「詞が多い」とおっしゃっていたが……、地が少なく、詞で話をつないでいく構成なのかと思っていたら、詞だけでどんどんまくし立てていくということだったのね。ラリーの速いポンポンポンとした喋り、演奏速度そのものが速い。普通の人形の8倍の分量のセリフを4倍の速度で喋ってんじゃないかという高速展開だった。普通の文楽の映像を2倍速、4倍速で観ている感じ。それに伴って人形の動きも非常に速くなり、猥雑なものとなっていた。

在所のごく普通の善人が切腹するという話はたいへんに残酷ながら、この速さのせいか、どこか軽めな印象。
弥作が七太夫を射殺する場面は、あまりに突然の思い切りのよさに驚き。『冥途の飛脚』の忠兵衛のような、それまでウジウジヒヨヒヨしていたのに、変に突然振り切ってくる奴のヤバさがあった。雑な凶悪犯罪おかす奴って、こういう感じだと思う。村山新治監督の映画『七つの弾丸』を思い出した。

 

 

 

人形は全体的にあまり整理がついていない状態で、和生さん・玉男さんレベルがやって、ここまでガチャガチャした印象になるのは滅多にないなと思った。ふだんのお二人にある、心地のよい間合い、動きの余白がないというか……。これを意図的にやっているかどうかというと、在所が舞台の世話物的な場面だからというのは確実にあるにしても、不慣れによる部分も大きいんじゃないかと思った。和生さんも玉男さんもおそらく初役だし……。

 

和生さんのこれほどせわしない役は初めて見た。弥作は真面目な性格だが、常にソワソワして落ち着きがない。そして、真面目ゆえにかものすっ……ごく腰が引けた性格で、忠兵衛をさらにヘタレさせて、ショボーンとさせたような人。顔だけは頭よさそうなのに……。過去の国立劇場の上演記録を確認すると、かしらは検非違使を使っていたようだが(当時の配役は初代吉田玉男)、今回は孔明のようにも見えた。ただ、ひとりで思案する場面ではすっくと伸ばした背筋が彼の生真面目さを表現し、いくら腰が引けていても、あくまであらゆるものごとに対して誠実である人柄が感じられた。思い悩む仕草は和生さんらしい。
百姓の弥作は刀では怖気付いてしまってどうにも切腹できず、鎌で腹をさばくのが哀れ。めちゃくちゃ残酷で、痛そうだった。文楽を観るようになってかれこれ5年半近く、もはや刀での切腹はなんとも思わなくなってきた私ですが、鎌は怖い。なんか、内臓に引っかかりそうで……。
それとまったくもってどうでもいいことだが、弥作はかなりの美髪だった。終盤で切腹するので髪をさばくのだが、女方のようなサラサラヘアーぶり。結い癖も少なく、ツルンと綺麗に落ちており、シャンプーのCMに出られると思った。それと、紺色にだんごみたいな柄の、謎の着物が面白かった。

 

性悪・七太夫は玉男さん。玉男さんも、こんなに粗野な所作の役は珍しい。ただこれは結構いいと思った。義太夫が早口だったり、動きが速くやや乱雑になっていることもあってか、小物悪人感が出ていた。その点は、以前観た『夏祭浪花鑑』の義平次役より良かった。雑じじいをやろうと思えばここまでできるんだな……。でも、かさにかかって弥作に凄むところ、肩をいからせて横を向く仕草はビシッとしており、玉男ムーブだった。
後半、七太夫が畦道を駆けていくところは、遠見の人形だった。おプチでかわいかった。

 

あとは文昇さんを久しぶりに見た!! 本公演をずっと休演されていて心配だったけど、通常営業通りに女房おかやを演じていらして、良かった。思わず出で拍手した。ご無理のない範囲で、本公演にも早く復帰できるといいのですが……。
和助役・玉佳さんは、凛々しくてよかったです。

弥作ハウスの大道具は、在所の百姓家らしいおんぼろなものだった。そのなかでひときわ目をひく、奥にかかったのれんのパッチワークぶりがすごかった。貧乏でつぎはぎしてるっていうより、もはや「そういう手芸」状態。ドアノブ、トイレのふた、電話など、家中のありとあらゆるものにカバーがかかっている部類の家なのではないかと思った。 

 

 

義太夫は千歳さんらしい語り。パキパキと畳み掛けるような展開。弥作と七太夫の軽薄で腰を浮かせてやりあうような掛け合いは、文楽だから以上の意味で手より先に口が出る人々といった印象。元気よく、歯切れが良い。
ただ、速くまくしたてるような曲ではあるのだろうけど、それでもちょっと速い印象。人形の動く間合いをみていないようだった。人形の動きがせわしなくなってしまうのは、それもあるだろう。千歳さんは過去に「新口村」が「速すぎだろっ!」っていう演奏だったことがあるので(終演後、周囲のお客さんが「速いわ!」と叫んでいた)、速度コントロールが苦手とか、そういう傾向があるのもしれない。
三味線がベテランなら手綱を引けると思うが、若手だと、まず、自分が間違えずに弾くだけでせいいっぱいだよね。頼むトミスケなんとかしてくれと思った(無理I)。錦糸さんは弾いたことあるよね、錦糸さんなんとかしてくれ(無理II)。稀曲上演だとかなりしっかりした三味線さんがついていることが多いが、相当力量がある三味線さんでないとコントロールできないのだなと思った。

和生さんの話だと、太夫三味線の稽古はだいぶ以前からしているようだ。演目決定した3年前から稽古を開始していたらしい。ただやはり人形含めて何度も場数を踏まないと、どうしようもないのね。国立劇場主導の稀曲上演や復曲、『出世景清』『木下蔭狭間合戦』など外部公演での復活企画は、義太夫の稽古も人形入れた舞台稽古も、よほど何回もしてるんだろうなっと思った。

 

 

 

  • 人形
    百姓弥作=吉田和生、芝村七太夫=吉田玉男、女房おかや=吉田文昇、萱野和助=吉田玉佳、狸の角兵衛=吉田玉彦
    人形部=吉田玉勢、吉田玉翔、吉田玉誉、桐竹勘介、吉田玉路、吉田和馬、吉田玉峻、吉田玉延、桐竹勘昇、吉田玉征、吉田和登

 

 

 

平日昼間の関西での公演だったが、滅多に出ない曲ということで、行ってみた。

うーん、確かにこれは「滅多に出ない曲」になるだろうな! と思った。
つまらないとかではなく、これを面白いと感じるには観客側の修練が必要だなという部類の内容。『仮名手本忠臣蔵』をはじめとしたベーシックな演目を十分理解している人を楽しませるために書かれたような、通好みの構成だと感じた。本来、本公演でしかできない、渋い曲だと思った。

さて、このイベント自体は和生さんの個人仕事のため、和生さんが主役の弥作をやっているのだと思う。しかし、ヘタ……ショボ……とした、真面目で純粋で根性なしの弥作は、玉男さんのほうが似合いそうだなと思った。玉男さんの「ものすごく素直な男性」「ものすごいヘタレ」という超得意役柄にマッチしそうだ。七太夫のような気品のある性悪ジジイも、和生さんのほうが巧そう。過去の公演では弥作を初代吉田玉男師匠、七太夫吉田文雀師匠が演じていたそうだが、それをそのまま弟子に引き継ぐ配役でもよさそうである。*3

この演目が本公演で出るとしたら、太夫は錣さんにやって欲しいかな。千歳さんとは違う観点からの描写になりそうだと思った。

 

 

 

最後に、こういうことは言いたかないけど、主催者へのクレーム。

トークショーがあまりにもひどすぎ。司会が司会としての役割をまったく果たしておらず、ゲストの話を引き出すどころか邪魔している状況。和生さんはもともとゲスト出演の予定はなく、好意で参加してくれたそうだが、和生さんがいなかったらもっとひどいことになっていただろう。司会は諸事情により本来の方が出演できず代役だったとのことだが、それでもゲストを尊重しないような進行はアカンやろ。それと、配布パンフレットに誤植が散見されたのも残念。主役の役名が間違っているという致命的なものもあった。

単発公演は主催者が“本当に”文楽に敬意を抱いているかどうかでクオリティが大幅に左右される。いままでも「どうなの」という公演はたくさん見てきた。ただ今回は特にひどい。せっかくいい出演者を迎えているのだから、最低限、文楽という芸能や出演者へ敬意を抱き、程度の低い不手際のないようにして頂きたいと思った。おわり。

 

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↓ 2017年公演の感想

 

*1:明治19年コレラ大流行による休演は、大阪の文楽ではたしか最長5ヶ月だった……と思う。たまたまこないだ読んだ倉田喜弘『芸能の文明開化 明治国家と芸能近代化』(平凡社/1999)に書いてあった。このときは芸能によって休止期間が違っていて、寄席などの大衆芸能は休演期間がさらに長かったはず。

*2:文楽協会設立以降の公演だと、1971年(昭和46)10月朝日座公演、1978年(昭和53)2月国立劇場公演、1981年(昭和56)4月朝日座公演、1996年(平成8)4月文楽劇場公演。

*3:1971年(昭和46)10月朝日座公演  弥作=二代目吉田栄三、七太夫=初代吉田玉男 *和助=吉田文雀
1978年(昭和53)2月 国立劇場公演 弥作=二代目桐竹勘十郎、七太夫=初代吉田玉男
1981年(昭和56)4月 朝日座公演 弥作=初代吉田玉男、七太夫=二代目桐竹勘十郎
1996年(平成8)4月 文楽劇場公演 弥作=初代吉田玉男、七太夫=吉田文雀