TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽若手会『菅原伝授手習鑑』『生写朝顔話』「万才」「鷺娘」国立劇場小劇場

東京の若手会は2日間両日開催できて、本当に良かった。

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『菅原伝授手習鑑』茶筅酒の段、喧嘩の段、訴訟の段、桜丸切腹の段。
衝撃的な背伸び配役、そもそも佐太村を若手だけでやるという企画そのものがすごい。なんかもう、全体的に、「頑張ってるッッッッ!!!!!!」って感じで、とても若手会らしく、面白かった。

 

八重は紋秀さん。お辞儀の姿勢が非常に綺麗で丁寧。座り方も品がよく、ちんまりとした娘らしさがある。
クッキングのすり鉢ド下手シーンには紋秀さんのコメディアンとしてのこだわりを感じた。大根を切るとき、なぜか右手を怪我していたのには笑った。普通、右手に握っていた包丁がスベって左手を切っちゃった(><)という演技をする場面だと思うが、右手の手首を左手で抑えていた。あまりに包丁を振りかぶりすぎて手首を痛めたってことでしょうか……ってそんなわけねえだろ! 緊張してる紋秀さんはともかく、左(たぶん本公演でも八重の左やってる人)、合わせに行くな!! なんとかしてやってくれっ!!! と笑ってしまった。
それはともかく、全体的に落ち着いて整理された所作で、時代物らしい端正さがあった。ただ、八重がビックラコとする場面で、焦りすぎて人形の動きが突然速くなってしまうのが惜しい。左が合わせに行っているので(ここは合わせてくれてありがとう!!!!!)人形の仕草自体はおかしくはなっておらず、まじでそういう人には見えるが……。逆にいえば、ビックラコ&焦り演技が多い、お里やお三輪のような落ち着き皆無の暴れ娘をやれば映えるかもしれないと思った。
あとは肩を落として憂いを出す女方特有の演技……これがかなり惜しいところまで行っている。わざとらしく体をかしげたりしないのはとてもよい、だから、もう少し、うまく表情が出るようになれば、八重がもっと美しく可憐になるだろうと思う。
紋秀さんは2018年の若手会「新口村」で梅川を勤められた際、「ひ、左のほうが圧倒的に上手い!!!!(汗汗汗)」現象が起こっていたが、今回はそのような激烈な落差はなく、非常に自然な雰囲気になっていて、良かった。やはりどの方も少しずつ成長されてるんだなと感じた。

 

配役が発表されたとき、桜丸が紋吉さんということに驚いた。しかし、思っていた以上に良かった。
出来立て大福のような、モッチリした透明感のある美青年ぶり。赤坂塩野の豆大福*1を思い出させる、ムチムチな上品さ……。簑助さんの華奢で儚げな桜丸とは異なり、健康そう……なのに死ななくてはいけない悲哀が感じられて、芝居に雰囲気を与える佇まいも良かった。
2018年の若手会で「新口村」の忠兵衛もお似合いだったが、紋吉さんは若男が似合うのかもしれない。これも、本公演で相応の役が来るとより向上されるだろうと思う。紋吉さんは端正でゆったりした雰囲気が美点だと思うので、いろいろな役を拝見したいと思う。
しかしとにかくモッチリぶりがすごいな……紋吉さんのサンリオ系なビジュアルに引っ張られてるのかもしれないが……。かなりの柔らかみと弾力性を感じた。ぽむぽむ。

 

春〈吉田玉延〉は着付が綺麗。おそらく大阪公演〈吉田玉峻〉と人形共用だと思うが、二人とも女方というわけではないのに、華奢で小柄な雰囲気に美しく着付けられていた。どなたかお兄さんが指導しているのか。足が「まじかよ(汗汗汗)」状態になっていたのはご愛嬌。逆に千代〈桐竹勘次郎〉は着付がおそろしくいかつくて、バレーの国体強化選手みたいになっていたが、演技は落ち着いた雰囲気あって良かった。そしてこっちも足が「ま……まじかよ(汗汗汗汗汗)」状態になっていた。
ああいうポルターガイストな足、本公演では絶対に存在しないけど、なんで若手会になると毎年必ず発生するんだ? 研修生を入れてやってるのか?(いま人形の研修生がいるのかは知らない) とにかく頑張れ!!!!と思った。

 

松王丸〈吉田玉路〉、梅王丸〈吉田玉彦〉は雰囲気がうまく分かれていたのが良かった。
松王丸は座ったときの「じ〜っ……」とした雰囲気、梅王丸は立っているときの「すっ」とした雰囲気が良い。
玉路さん、本公演ではまったくもっていい役がつかないけど、師匠(玉男さん)をよく見てるんだなと思った。若手であの貫禄は立派だわ。すごい真面目そうに肩から二の腕をまっすぐに下ろし、わきをしめて手のひらを太ももに当てて座っていたけど、松王丸なら、脇をもうすこし開いたほうが、より姿勢が美しく見え、貫禄が出ると思う。(検非違使の真面目キャラや律儀な町人なら、いまの座り方がいいと思います)
玉彦さんは若手ながら相当うまく、本もよく研究していると感じ、個人的に若手の中で最も注目しているのだが、今回がいままでで一番いい役かな。落ち着いた所作に理知的な梅王丸の雰囲気が感じられて、良かった。玉也さんの弟子だけど、玉也さんとはまた違う雰囲気。将来が楽しみだと思った(親戚気分)。
おふたりとも、「喧嘩の段」の絡み、俵投げや取っ組み合いも頑張っておられた。本公演では人形が派手に動き回る観客サービス的な場面だけど、若手が観客サービスをするのはなかなか難しいね。本当に頑張って、かつ、落ち着いてやっていらっしゃたが、えらいことなっとった。ほんまもんの子供の喧嘩や。俵投げがアサッテの方向に飛んでいったのが味わいだった。

太夫〈吉田簑紫郎〉って、若手会レベルではまじでどうにもなんない役で、それをやらせることに若手会の意味があるんだろうなと思った。後半はともかく前半。ただのホヤホヤジジイでいるときが相当難しいんだなと思った。今回は、後半、桜丸の出以降を重点的に稽古・研究したのかなと思ったけど、前半が曖昧になっているのはいかんともしがたい。後半の大げさな演技を大げさにやっているのは、それ自体の良し悪しは別として(勘十郎さんの真似をしてるんだろう)意図はよくわかる。しかしそれならなおさら、前半を引き締めてやらないと、この話で最も重要な白太夫の人格があやふやになると感じた。
ただ、最近、本公演でも佐太村やりすぎなので、いかに私がニワトリ頭でもそろそろ人形の演技を覚えてきてしまい、「おっこいつ間合いおかしいで!」とかのいらんことに気づきはじめたりしてしまったのもあるかも。

 

床では、芳穂さんの八重の語りが出色。喋りながらどんどん感情が高ぶっていき、涙で目と喉の奥が熱くなって、気持ちがザワザワと揺れ動くさまが存分に表現されていた。長いクドキでものっぺり一本調子だったり、単なる歌唱状態になっていないのは素晴らしい。
度々書いていることだが、現状の文楽では、女性表現が他の演者との差別化ポイントだと思っている(男性表現はちゃんとできて当たり前と解釈しています)。芳穂さんは声が明朗で太いタイプなので、「華奢な女声を出せるわけでもないから、地声いかしで明瞭にやれば良いのでは」くらいに思っていたが、今回の八重は予想以上のパフォーマンスだった。近年、道行などで女性役が配役されることがしばしば見られたが、こうして一人で語る場面に活かされたことに感動。八重はフンワリ系の娘さんだが、この調子で、強い意思を持った老女方が登場する演目にも期待したい。いつか、先代萩のような華麗さと強靭さを必要とする演目を聞くことができればと思う。

「訴訟の段」、全体は若々しく、かつ朗々とした雰囲気が出ていて非常に良かったのだが、白太夫のセリフ「善悪の差別なく」の「差別」を「サベツ」と発音していたのが気になった。これ、「シャベツ」だよね。前近代の文章では、「差別」の読みは一般的に「シャベツ」のはず。念のため確認したが、『菅原伝授手習鑑』の各種正本でも、ルビは「シャベツ」になっていた。なぜ「シャベツ」でなく「サベツ」で語るべきだと判断したのかは聞きたいな。実情としては、本人が佐太村や前近代の文章に慣れてなくて、そもそも「シャベツ」と読むことを知らないのだろうと思うが……。ただ、原文は守って欲しいので、本人だけでなく文楽全体として、こういうのってアリなの?と思った。

あとは「茶筅酒の段」の三味線、クッキングタイムでぱっと雰囲気を切り替えるのは難しいんだね……。かなりのっぺりして普通の芝居部分と地続きになってしまっており、「こんなことありえるの?」とびっくりした。そりゃ本公演では團七が弾くはずだわと思った。

 

  • 人形
    親白太夫=吉田簑紫郎、百姓十作=桐竹勘昇、女房八重=桐竹紋秀、女房千代=桐竹勘次郎、女房春=吉田玉延、松王丸=吉田玉路、梅王丸=吉田玉彦、桜丸=桐竹紋吉 

 

 


『生写朝顔話』宿屋の段、大井川の段。
こちらも若手会らしく、端正で枯淡な雰囲気。みんなめちゃくちゃ真面目にやっているためか、若手会なのになぜか枯淡化するのが味わい。静かでひんやりとした空気を感じる舞台だった。

 

次郎左衛門〈吉田玉翔〉はモッチリしていた。美男役らしく美男子ではあるのだが、現代的感覚のスラッとしたイケメンとは違って、明治時代の少年小説の挿絵にあるような肉感的な美丈夫系。武士ぶりを強く打ち出されているゆえだと思う。ゆえにじっとして朝顔の琴に耳を傾けている姿はしっかりとした佇まいで決まっており、美麗で良かった。
しかしまじでモッチリしとる、モッツァレラチーズ的な弾力感と重量感がすごい*2。桜丸といい、若手会、モチモチオーラがすごい。最近のコンビニスイーツの食感の流行を受けているのでしょうか。

朝顔は玉誉さん。おとなしげで哀れな雰囲気がよく似合っておられた。玉誉さんのなんともいえない地味女オーラはすごい。朝顔の歌を歌うところ、次郎左衛門こそが阿曽次郎だと聞いて突然駆け出すところをもっと派手にできればと思うが、琴は後述の通り床がやばすぎたので、ちょっとかわいそうだった。

岩代多喜太役の和馬さん、普通にうまくてビックリした。うまいというか、非常にキリッとしているというか、超シャッキリしていた。2017年に国立劇場で「宿屋」が上演されたとき、玉志サンが岩代多喜太をやっていて、死ぬほどのシャッキリぶりに「どういうセンス!!?!?!?!?」とめちゃくちゃビビったが、あの爆裂シャッキリの系譜を受け継ぐ若者が出てきたとは……。和馬さんには今後、和生さんが部分的にやっているシャッキリ役(塩谷判官や義賢)も勤めて欲しいと思った。
和馬さんは、以前、『傾城阿波の鳴門』のお鶴役をよく考えて遣っておられる姿を見て以来、注目していた人。今後、本公演の良い役で成長を拝見できればと思う。

なお、和登さんの下女お鍋もかなりシャッキリしていてちょっと面白かった。そこに和生オーラ出してきたか……。

 

床は、宿屋・大井川とも、やりたいことはとてもよくわかった。
おりこうさんなだけですまさないところは、非常に、「買った」! おえかきするとき、与えられたクレヨンだけを使って、太陽だから赤に塗り、空だから水色に塗り、地面だから茶色に塗る、みたいなことはせず、本から自分が感じた色を、自分のパレットで混ぜて作って塗ろうとしていることはよくわかった。浄瑠璃にもっとも重要な登場人物の魂の叫び、パッショネイトも感じる。あとは、全体を見渡した整理。緊張がほぐれ、慣れてこないと、どうしようもないので、時間はかかると思うが、頑張ってもらいたい。

琴は頑張ってもらうしかない! 笑ってしまった! あまりにすごすぎて、人形じゃなくて床を見てしまった。

 

  • 義太夫
    宿屋の段=豊竹希太夫/鶴澤清𠀋、琴 鶴澤清方
    大井川の段=豊竹咲寿太夫/鶴澤清公
  • 人形
    駒沢次郎左衛門=吉田玉翔、戎屋徳右衛門=吉田文哉、岩代多喜太=吉田和馬、下女お鍋=吉田和登、朝顔=吉田玉誉、奴関助=吉田簑悠

 

 

 

万才、鷺娘。

万才の才蔵・勘介さんが非常に良かった。
人形の目線がしっかりしており、ゆったりした動きと止めの姿勢が非常に綺麗。単に振りを覚えているだけではなく、どういう所作を見せたいのかが明瞭になっている。相当研究されて、個別に稽古されているのではないだろうか。あるいは、本公演でちゃんと上手い人の舞台を見ているということだと思う。また、ぴよぴよヒヨコちゃんズな芸歴の方だと、「人形の首の下んとこで持ってまーす、体ぶら下がってまーす」感がまるだしの動きの人が多いけど、ちゃんと背骨がある生き物として動いているのが良かった。
才蔵の所作に負けず劣らず、アイパーの鮮やかさもめちゃくちゃすごかったのも良かった。そういう意味でも特別天然記念物級の奇跡の20代だと思う。

 

鷺娘、真剣にやってるのはよくわかったけど、作業的になっていて、お稽古中丸出しなのがいかんともしがたい。せめてもっと思いっきりやったほうがいいと思った。娘の高潮する恋心のパッショネイトが欲しい。
舞踊はセンスや才能に大きく左右されるので、言い方きついけど、配役自体のミスでしょうね……。もっと向いた役をさせてあげたほうがいいと思う。

 

床はなんかこう……、若手会っていうか……、地方公演風……?(disってません)
演奏中に床本を見ない人たちが並んでいて笑った。じっと見てたらいいってもんでもないし(亘さんは自分が語らないときに目を落としてチェックしてるけど)、上を見ていないと声が出ないのだろうが、こうも並ぶと面白くなってくる。
それにしても、おヤスはどこを見て語ってるんだろう……。反対側の壁に埋め込まれた照明を見てるんでしょうか……。

 

  • 人形
    太夫=吉田簑之、才蔵=桐竹勘介
    鷺娘=吉田簑太郎

 

 


若手会は毎年楽しい。本公演ではありえない色々なミラクルを目撃できる。

若手の方の場合、本公演では役に考えがまわりきっていなくて、何がやりたいかわからないことが多いが、若手会だと皆さんよく研究して取り組まれていると思う。
なにより、「表現したいものがある!」という気持ちを持っている人を見ることができるのがいいよね。若手会の場合、特に、登場人物の必死さと出演者の必死さがシンクロするところに感動がある。「表現したいものがある」という心は、今後長きに渡って重要なものになると思う。

今回、一番感じたのは、演目自体の持っている難しさだった。
佐太村が混沌として、登場人物=出演者のせいいっぱいぶりがそのまま舞台に現れていたのは、予想していた通り。これは仕方ないというか、むしろ、若手会特有の良さに転じたと感じた。
しかし、『生写朝顔話』の宿屋と大井川はある意味、佐太村どころではなく難しいのだと感じた。この演目は、人形も床も見せ場が多い娯楽曲というイメージがあると思う。ある意味、誰がやっても派手見えを担保できる、ある意味ラクな曲と捉えている文楽ファンは多いのではないか。
しかし誰がやってもそうなるかというと、決してそうならないということがよくわかった。数年前、ある外部公演で今回と同じく宿屋と大井川が出たが、若手会より上の人がやっていたにも関わらず、あまりにひどい出来で、こんなレベルの奴らを舞台に出すなと思った。今回は若手会ということもあって、さすがにそこまでは思わなかったけど、この演目、ちゃんとした人が勤めないとエライことなるわ、と思った。

 

本公演と若手会の比較という点では、人形に「佇まい」があるというのはすごいことなんだなーと、改めて感じた。
たとえば、和生さんなら気品がある、玉男様ならどっしりしている、清十郎さんなら悲惨そう、勘彌さんなら艶冶である、玉志サンならキラキラ、清五郎さんなら松竹大船調という、「その人が持ったらどうしてもそういう風に見える」のがあると思うけど、ああいうのは、人形に佇まいが出るまで技量が及んでいるってことなんだな。

そして三味線! さすがに本公演とは音が全然違うんだけど、あらためて、本公演でエエとこを勤めるような三味線のうまい人は、ほんまにうまい! と思った。これからみんな、どのように成長していくのだろう? みんな頑張れ、と思った。

 

どの方も、若手会の舞台の成果や反省をもとにまた頑張っていかれるのだと思う。最近はSNSがあるので、反省の弁を書いている場合、一般客にもそれが伝わる。本人は本気で書いてるんだと思うけど、本人が反省しているポイントというのは、裏を返せば出来ていると本人が思っている部分もわかるので、ある意味、興味深いなと思った。

これは明確な苦言として書くが、前々から義太夫聞かずにやってるなと思っていた人形さん、やっぱり義太夫聞いてないな。これはもう若手だろうがなんだろうが文楽の根幹に関わる致命的な問題で、本当、若手会でいるうちになおしたほうがいいと思う。

 

なにはともあれ、ひさしぶりの満席状態の国立劇場で、若い人の舞台を迎えられてよかった。満席だと拍手の音圧が違う。
大阪は緊急事態宣言延長の影響で両日休演になってしまったが、振替で1日だけでも上演できて、良かった。劇場ほか関係者の方々の努力には本当に頭が下がる。若い方の場合、客前でやることに大きな意味がありますもんね……。

現状、本公演ですら短時間公演になっている中、若手のみで4時間もの舞台を勤められたこと、とても嬉しく思う。また来年も、楽しみです。

 

 

 

備考

人形部お助けお兄さんズのご出演は、以下の通り。

  • 人形部
    吉田清五郎、吉田簑一郎、吉田勘市、桐竹紋臣、吉田玉勢

清五郎さんまでお手伝いされているのか!? そこまで大きなお兄さんが!?

 

 

 

 

*1:ここの塩大福、まじ美味しい。超おすすめです。最寄駅は赤坂見附・赤坂。最近店舗が引っ越して少し遠くなってしまいましたが、国立劇場の行き帰りに是非お立ち寄りください。

*2:いま、わが家の冷蔵庫に肉のハナマサで買った巨大モッツァレラチーズ(700g)が眠っているので、つられてそう思ってしまうのかもしれません。