TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽『近頃河原の達引』堀川猿廻しの段 西宮白鷹禄水苑

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毎年晩秋におこなわれる西宮白鷹禄水苑の文楽公演、今年の開催は10月30日と、例年よりやや早めだった。当日の天候は、寒すぎることのない爽やかな秋晴れだった。

 

 

 

第一部 『近頃河原の達引』堀川猿廻しの段 上演

今年の演目は『近頃河原の達引』、「堀川猿廻しの段」。上演は、与次郎の帰宅から段切まで。

この狭い貧乏家の物語は、狭い会場にぴったり。
会場が「狭い」といっても、それはネガティブな話ではない。この白鷹禄水苑の醍醐味は、なんといっても人形から客席までの距離の近さ。特にステージ的なものがあるわけではない普通の空間、地域の小さな集会所的なコンパクトな部屋に、無理やり舞台を立て込みしてあるので、お人形さんたちとわたしたち観客は、完全に「同居」してしまう。毎年書いているけれど、ここには、舞台の中に入り込んでしまったような独特の迫力と雰囲気がある。今年は、与次郎ハウスへお呼ばれした人の気分になれた。すいませんねえ、手土産もなく上がり込んじゃって……。
今回も大道具は非常に簡素で、下手側に簡易な戸口、上手側にのれん口を立てかけた程度のシンプルなものだった。特にのれん口の「のれん」に文楽小道具・大道具特有の「マジモン」ぶりが発揮されており、あまりに使い古され、擦れきったその風情に、ちいかわになりそうになった。「本物」の古布で作っているのか、それとも、文楽座で使い倒されすぎて「本物」になってしまったのかは、わからない……。

 

人形もまた、つつましく可憐な雰囲気で、とても良かった。
良すぎて、あまり、言うことがない……。
浄瑠璃の内容と人形・床があまりにマッチしていると、誰々がウマイとか、成績表的な「良かったところ」発表とか、御託めいたテクニック褒めとか、どうでもよくなってしまうんだよね……。だって、舞台が浄瑠璃の内容そのまんまだから、そのまんまとしか言いようがなくて……。そういう猿廻しの芸人の家へ本当に行ってきたようにしか思えないんだもん……。

詳しくは床本読んどいてください……。というのもなんなので、感じたことだけ簡易的にメモ。

玉佳さんの与次郎は、臆病で真面目そう。ママの前で大言壮語を吐くくだりと、おしゅんを布団に寝かせるために自分はうす座布団(?)を二つ折りにしてくるまって寝るところが、いかにもしょぼくて、優しくて、けなげ。拓跋した最高の技術でそう演じられているというよりむしろ、玉佳さんが与次郎そのものなのだろう。玉男様の与次郎は愚鈍感が最高だったけど、玉男様独特の愚鈍は、与次郎の本来の臆病さとはまた違う感じだからね……。玉男様もちいかわ(実はでかつよ)だが、玉佳さんは本当にちいかわだと思った。
ぽけっとした顔をしているというイメージの与次郎の人形だったけど、近くでよく見ると、頰がこけていた。やっぱり、困窮しているんだ。知らなかったが、猿廻しというのは、大道芸人の中でも最下級の身分とされるだそうだ。与次郎が異様にズタボロの家に住んでいるのも、顔がこけているのも、そういうことなのか……。
猿廻しでは、与次郎は竹竿?でパシパシと拍子をとる。本公演の大きなホールで観ている分には気づかなかったけど、わりと大きな音が出ていた。

おさるの手人形は、間近で見ると、ボロボロだった。何度も手入れを繰り返されているようで、独特の表情があった。おさるヘッド部分は、アンティークのぬいぐるみのように、毛がまだらに褪色したり、擦り切れていて、本物の生き物のような毛並みになっていた。擦れて味わい深く古びた着物も、民俗系の博物館・美術館に展示されている民芸品のようだった。
おさるたちは、与次郎が帰宅するときは彼にしがみついているだけで、放し飼いになっている。しかし、段切に猿廻しを披露するところでは白いリードがつけられている。このリード、与次郎がのれん口へ一度引っ込んだときにつけているのかと思いきや、実は帰宅する時点からおさるの腰には束ねられた状態でリードがつけられており、意外と芸が細かいなと思った。のれん口へ引っ込んだときに、これを解いて与次郎が持つってことね。

 
 
 
 
 
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和生おしゅんは超絶美麗。
無駄のない清楚な所作、香るような透明感ある佇まいはさすが和生さん。雰囲気が非常に自然で、嘘やつくりごとのないおしゅんの内面が存分に表現されていた。後ろぶりになるところも「いかにも見せ場でーす!!!!!」という様子ではなく、彼女が後ろ向きになるのは、彼女が心のままに動いているからだと感じられた。
そうなんだよねえ、おしゅんって、「なんの遠慮も内証の、世話しられても恩に着ぬ」が言える人なんだよねえ。伝兵衛は正直言って真面目カスの部類だと思うが、他人がなにをどう言おうと彼女の伝兵衛への純粋な愛は変わらないし、その愛に押し付けがましさは微塵もない。それが表現できてこその、おしゅん役だよねえ……。そこは本当、和生さんならでは。
正直なところ、私は和生さんには与次郎をやって欲しかったのだが、おしゅんってやる人がやれば、本当にいい役なんだなーと思った。
しかしおしゅんの左うまいな。玉誉さんがママ役で出ちゃってるってことは、もしかして、和馬さん? 和馬さんは昨年の富樫の左もうまかったが、あの若さでこの水準まできているのは驚異的。なお、与次郎の左は玉翔さんとみました。この公演、左と足の小割も発表してくれないかなあ。トークショーの質疑応答タイムで質問すれば、教えてはいただけるんですが。

玉誉さんの与次郎ママも、品があって優しげな雰囲気がよかった。さすが与次郎とおしゅんのママだと思わされた。ただ、今回は口から上演しなかったので、三味線の稽古場面などがなく、活躍時間が短めなのが少し残念。

玉勢さんの伝兵衛はちょっと硬かったけど、真面目な雰囲気は好ましい。

 

段切では、おしゅん・伝兵衛は女の子おさるを連れていかない最後だった。本公演では、おしゅんが女の子おさるを抱っこして去っていくはず。
本公演でその演出を採用しているのは、『近頃河原の達引』を全段でとらえると、二人は猿廻しのふりをして京都を脱し、このあとの道行では、女の子おさるが二人と一緒にいる文言になっているからだと思う。
ただ、この曲はそもそもの成立過程に不明な部分が多く、最初は「猿廻し」だけが存在していて、前後の段は後付けとも言われているようなので、どちらでもいいのだと思う。

 

 

  • 義太夫
    竹本錣太夫/鶴澤藤蔵、鶴澤清志郎
  • 人形
    娘おしゅん=吉田和生、猿廻し与次郎=吉田玉佳、井筒屋伝兵衛=吉田玉勢、与次郎の母=吉田玉誉
    おさる=桐竹勘介

    吉田玉翔、吉田玉彦、吉田玉路、吉田和馬、吉田簑之、吉田玉延、吉田玉征、吉田和登

 

 

 

トークショー

第一部カーテンコール

いつのまにかそういう風習が成立した、西宮名物終演後の床メンバーのごあいさつ。本編終了後、そのまま和生さんには舞台へ戻っていただき、床のお三方を舞台に招いて、簡単にひとことずつお話をいただいた(藤蔵さんはひとことじゃすまないほどめっちゃ喋った)。

*以下、実際には仲が良い方々の日常会話状態でトークされていましたが、私のほうで適宜編集しています。和生トークは第二部に集約します。


太夫 雨が振ったらどうしようかと思っていましたが、晴れてよいお天気になって良かったです。先週も、東京・国立劇場の素浄瑠璃公演でこの「猿廻し」をやらせていただきました。こっちが先に演目が決まっていて、そのあとに国立劇場から話があり、それなら稽古(?)ということで、そちらも「猿廻し」にしました。
去年はここで『勧進帳』の弁慶を勤めさせていただきましたが、『勧進帳』やる、と聞いて、最初は「エエここでどうやるの!?」と思いました(笑)。
この4月から「切」に昇進しました。わたしが入門したころ、「切」といえば〇〇太夫*1竹本津太夫、竹本越路太夫という大御所3方でした。「ただいまの切ィ〜、竹本津太夫〜!!」と言われて、オオーッとなっていたところに、わたしが「切」になるとは。「ただいまの切、竹本錣太夫」と言われるのを聞くと、いまでも身も細る思いです(ブルブルしながら)。ちょっと細くなったでしょ(笑)。
11月大阪公演では、『一谷嫰軍記』「熊谷陣屋の段」の前を語らせていただきます。「前」は35分くらい、「後」は50分くらいですが、陣屋は「前」で決まると言われていて、「後」は落ちものと言われています。うちの内々ではですよ。一生懸命勤めたいと思います。

藤蔵 ぼくはこの公演は文雀師匠のご指名で第1回から参加させていただいています。なんやコレ毎年言うてるけど……(笑)。最初はぼくが呂勢太夫を指名して呂勢くんが出とったのに、最近は呂勢は引っ込んで、錣さんばっかりが……(笑)。
毎年和生さんと「演目何やる?」と言うてるんですけど、「猿廻し」は三味線も見せ場があり、お客様にも飽きずに聴いていただけるものとして選びました。文楽の出し物はいろいろあるが、ここはスペースの制約があるので、大道具が難しいものや人形の番数が多いものはできない。その中で和生さんの顔の立つものを選んでいる。去年はまさかの『勧進帳』で……。でも「俊寛」とかやりましたよね? 最後の岩どうすんの!?って思いました(笑)。
11月公演では、僕は『勧進帳』の弁慶を弾きます! 清志郎くんは冨樫! ぜひお運びください。


錣さんは汗をかきまくりすぎて、袴へダバダバに汗が落ちており、「この人……、大丈夫かしら…………」という不穏感をかもしているのが良かった。

清志郎さんもコメントしてくださったんですが、すみません、何をお話しいただいたか、忘れました……。去年も今年も参加させていただきありがとうございます的な内容で、礼儀正しい挨拶でした。藤蔵さんが、ぼくと清志郎くんは芸風が同じで、師匠(鶴澤清治)も同じだから合ってるんだ的なことをおっしゃっていました。

 


第二部 人形トークショー(吉田和生×吉田玉佳)

第二部は、吉田和生による「文楽の手ほどき」。
でも、別にガイダンスはしてくれない。和生さんが勝手に喋り、勝手に質疑応答を開催する謎の会。今回は、与次郎を演じた玉佳さんが着付姿のままで参加してくださった。

 

和生 この話の主役は、人形ではなく、おさるさん(笑)。ここは会場が狭いので、よく観ていただけたかと思います。
ぼくの師匠・吉田文雀は、この演目が出ると、師匠の師匠、つまり吉田文五郎が「世話しられても恩に着ぬ……、ええ関係やなあ」(めっちゃしみじみと)といつも言うてたと語っていた。有名なおしゅんのクドキの一節で、どんなことをしてあげても恩着せをせず見返りを求めないおしゅんの心情が語られているが、文五郎師匠は“昔の芸人さん”で、随分浮名を流されたから(そうおっしゃったん)でしょうけど……(笑)。
ここで、与次郎をやった玉佳を呼びたいと思います。玉佳さ〜ん!!!!

玉佳 (拍手とともにめちゃくちゃ嬉しそうに登場)いまもちょっとお酒をいただいてきまして*2、お酒飲んだらよう喋るんですけど。

和生 玉佳さん、最近五十肩になったんやな! ぼくもこの年で五十肩! 僕は右肩、玉佳さんは左肩!(謎の和生・とっしょり・健康トーク

玉佳 痛いです……。
これだけ狭い中でやるのは大変で、もう七転八倒でした。これは介錯(小道具の出し入れなどをする黒衣)の芝居なんで、介錯が大変なんです。今日もあったんですけど、小道具が出てこないとか、遅れたりとか。

和生 介錯のせいにしとればええわな(笑)。

玉佳 (首ブンブーン)

和生 ぼくは、門口でかんざしがまさかあんなに入らんとは思わんかったわ〜(一家が寝静まった後、おしゅんが伝兵衛へのメッセージ代わりとして門柱に赤い玉のついたかんざしを差し込む場面があるが、あらかじめあけられている穴にかんざしがなかなか嵌らず、和生さんはかなり苦労されていた)。慣れてくると、少々時間がかかっても間に合うなとか、少々のことはええなと計算ができるようにはなりますけど。


会場からの質問:使用しているかしらについて

和生 今回のおしゅんには、師匠の「ネムリの娘」のかしらを使った。おしゅんは伝兵衛ひとすじで、「世話せられても」という心情がよく出ればと思って遣った。与次郎は優しいお兄さんなんですけど、母親のこともよく気にかけている。(玉佳さんをさして)この人物通り実直で、裏も表もない、ただ真面目に一生懸命な人です。
猿はどなたでもというわけにはいかない。猿は手人形で、この手遣いはちょっと“特殊技能”の方でないとできない。簡単にはいかず、「間」がいい人でないと。できる人とできない人がいる。今回のおさるさんは、勘介くんにやってもらった。引き取り式じゃないけど、ある程度専属になる。5年に1度とかしか出ないので、やったことがある人は少ない。

玉佳 ぼくが入ったころは、猿は勘十郎さんがやってました。ぼくはやったことありません。

和生 ぼくもやったことない。

玉佳 おさるをやると、少し、「手当」が出ると思います。

和生 “本公演でやれば”、ね!

玉佳 どうぶつ手当が出るんです。猿とか、虎とか。鳥やちょうちょのような"さしがね”(棒がついているタイプの小型のいきもの)も。人形遣い以外の仕事になるんで、手当がつくんです。

和生 どうぶつが出てきたら、「あの人、いくらで遣ってはる」って思ってください(笑)


会場からの質問:ここは狭いという話題が出たが、やりやすい舞台というのはあるのか

和生 「遣いやすい舞台」というのはあります。しかし、ぼくたちは与えられた舞台で、どんな空間でも、とにかくやってます。
たとえば、愛媛県内子座は、ホールとは違って雰囲気はある。ぼくは愛媛県出身という縁でよくやらせて頂いていますが、人形にとって特別やりやすいというわけではない*3。落語の桂米朝さんはよく使われていて、あそこは小屋自体に雰囲気があるから、枕なしでスっと落語が語れるとおっしゃっていた。
来年の10月で東京の国立劇場が閉場になり、東京公演は転々としなければいけなくなるようです。実はぼくらも、どこでどうなるのか、聞かされていません。でも、ここ(奥行き210cmの舞台)で俊寛やれば、あとは少々“アレ”でも、怖いことはない!!!!!

玉佳 ここでやらしてもろうたら、次もできる気がします(???)。
昨日まで湯布院で『伊賀越道中双六』沼津をやってて(湯布院蓄音器文楽のこと)、そこはすごかったですね……。狭くて……。道具も飾ったりして……。3人おったら狭くて……。あそこでやったら、どこででもできる!!!!!!!!

突然食いつく司会(主催者) エッ!!! そんなに狭いんですか、どれくらいですか!!!!

玉佳 (ここの半分くらいしかないことを説明。確かに湯布院は本当に狭い。古民家を改造した旅館の広間でやっているんですか、いわゆる、田舎のちょっと大きい家の座敷なので。普通にふすま4枚分くらいの間口しかないです)

主催者 (うちよりやばい会場があったっ!!!と安心したような表情)うちは、いつも、関西舞台さん(大道具制作・設営)に、210cmの奥行きでって言って、やってもらっているんです。私が素人でよくわかってないから、無理ばかり言ってるんですけど、もう、わからないから、言うだけ言ってみよ!と思って。さっき、錣太夫さんが「ここで勧進帳!?」と去年びっくりされたという話を伺って、(思っていた以上にドン引きされていたことを知って)ドキドキしました。

和生 人形遣いとしては、お客様との距離が短い会場なので、お客様と目が合わないよう、一箇所に焦点を合わさないようにしてやっています。
それに、これだけ近いと、いろいろ言ってるのが聞こえたでしょう? 「右!」とか「しっかり持て!」とか。われわれ、いろいろ言いながらやってるんです(笑)。

 

会場からの質問:文楽ではあらかじめ代役を用意しているのか(アンダースタディはあるのか)

和生 あらかじめ決められた代役はない。人形遣いの場合、主遣いが休演になったら、その役の左を遣っていた人が代役として勤める。代役が急に来たとき、「出来ません」ではダメで、スッと出られるようになっているかどうかが重要。代役は出世の手段のひとつで、代役がスッとできるように勉強しておくのがその人の器(言葉は正確ではありません。こういうニュアンスで語っておられました)。ただ、役によっては上の人が出る場合もあります。

 

会場からの質問:まだ来てないもので、やりたい役は何か

玉佳 そうですね……、僕は一番遣いたかった、『伊賀越道中双六』の十兵衛を湯布院でやれたので、嬉しいです。ほかは保名とか、????(すみません、聞き取れなかった。「もろのり」と聞こえたけど、薩摩守忠度? なんやろ?)とか遣ってみたいなと思ってるんですけど……、まだなかなか……。

和生 ぼくは一応全部やらしてもらいました。もう特別やりたい役というのはない。
ちょっと前には、『菅原伝授手習鑑』道明寺の菅丞相をやってみたいやなと言うてたんですが、師匠が亡くなった今では、覚寿へ回らないといけないんで。
おやっさん(師匠)が元気だったころ、制作に言われたことがある。和生さん、何かやりたい役ある?って。そのときは「菅丞相と良弁さん(『良弁杉由来』二月堂)」と答えた。なんで!?と言われたが、うちのおやっさんが亡くなったら、ぼくがおばあさん(良弁杉では渚の方)をやらないかん。師匠が元気じゃないとできない。
あ、良弁さんはやりました❤️ 師匠の渚の方で。3回しか遣ったことないです。
そういうことで、われわれは限られた人数の中でやってます。歌舞伎でも、いくらすぐれた役者さんでも、「その役が来ない」という方がいらっしゃる。文楽でも、山城少掾ほどのその道を極められた方でも、九段目(仮名手本忠臣蔵)をやったことがない。それと、自分がいくら「やりたい、やりたい」と言ってやっても、評判がよくないことがある。

 

会場からの質問:舞台で、おもしろいことはありますか?

和生 おもしろい!? しょっちゅうおもしろいことはありますが、われわれの中ではおもしろくても、一般の方に通用するか。
こちらの先代さん(初代吉田玉男)が与次郎をやったとき、昇二郎*4と一緒に、ちょっといたずらしたろって。本公演だと七輪へ本当に火を入れるのですが、与次郎の持っているきせるの先にマッチの頭を折って詰めて。与次郎が七輪にきせるをかざしたら、ポン!と煙が出て、先代さんがワッ!とびっくりされてました(笑)。
(玉佳さんに)言うで、言うてもええな? 今日は、与次郎の稼ぎの袋の中に、金がなかったな。
(注:与次郎がござを広げて今日の稼ぎを数えるくだりで、本来は白米の中に小銭が入っていないといけないが、白米しか入っていなかった)

玉佳 お金がなかった……。

和生 実入りないわーー!!!(笑)

玉佳 介錯人が入れ忘れたんです……。僕もびっくりしました……。*5

和生 これ文章にしたって、おもしろくない(笑)


11月公演の出演

和生 『一谷嫩軍記』の相模を勤めます。相模は、殺されたのが敦盛だと思っていたら実は息子の小次郎だったという悲劇的な女性で、その気持ちの切り替えをどうするかという部分になると思います。

玉佳 ぼくは『一谷嫩軍記』のほうの義経と、『勧進帳』の弁慶の左に出ます(デヘヘ)。

和生 『勧進帳』の弁慶、ぼくもココ(白鷹)でやったことありますって、国立にちゃんと言っとかんと……。
『一谷嫩軍記』は、義経が何か言って、弁慶さんが制札に書くから、ややこしなったんですけどねー……。
ここでの公演は、来年もまた、藤蔵さんと「何にしますかー!」と相談して、やりたいと思います。

 

 

 

今回もまた、出演者もお客さんも会場も素敵な雰囲気で、暖かな気分になれる、すばらしい公演だった。

実は、実際に舞台を観るまでは、ちょっと気がかりなことがあった。
この公演の1週間前、国立劇場で行われた素浄瑠璃の会(10月22日開催)でも、錣さん・藤蔵さんの猿廻しを聴いた。繊細な表現力に富んだ、大変に素晴らしい演奏だった。なんといっても、錣さんの語りの自然さが良い。ズタボロ貧家でささやかに暮らしている人々の雰囲気がとてもよく出ている。本当にそういう人たちが、本心のままに喋っているという雰囲気。技巧が高くひとつひとつが丁寧ではあるが、それだけに溺れず、より深い世界の探求を求めている。そして、太夫三味線とも、いわゆる「わかりやすさ」に走らず、やや潰し気味の老婆の喋り方や、三味線でいうと音量を極限まで下げる表現など、観客を信じていないとできないチャレンジ精神やオリジナリティに溢れているのも良かった。
ただ、あまりの素晴らしさに、この曲のもつ世界観や滋味をより高い精度で表現するには、音のみが一番なのではと思った。これ来週の西宮どうすんねん。そりゃ和生さんはうまいけど、拙い人もいるわけで、人形が床の邪魔をしてくれるんとちゃうか。と思った。錣さんはああ見えて意外とほかの人に対する配慮が細かくて、時折、良くも悪くも周囲に合わせにいくところがあるし、藤蔵さんは人を過信するところと、それと相反して(相関して?)演奏にある意味自分勝手なところがあるから、取り合わせが悪いんじゃないか……。

西宮の当日、実際に舞台を観たら、これはこれでいいと思える舞台で、安心した。人形がつくと、そのちんまりさゆえに、あの貧家により一層のちんまり感が出ていた。みな一生懸命で、技術的な拙さがむしろ良い方向に出ている。そりゃ、文楽座全体からすると、もっと上手い人っていうのは何人もいるんですけど、彼らの健気さが人形たちの健気さと一致して、なんともいえない味わいになっていた。

錣さんも藤蔵さんも、加減することのない演奏だった。疑ってすみませんでした。素浄瑠璃でも、ここでの演奏でも、拍手が起こるのが三味線が最後のひとばちを下ろして、その音が消えてからというのが、このおふたりの演奏の素晴らしさを象徴していると思う。
また、この公演は、文楽好きの人以外にも、会場付きのお客さん*6がいる。文楽に詳しくない人も結構混入しているはずなんだけど、どんな人にも余韻をたのしむ余裕をもたせることができる演奏といってもいいだろう。

 

それにしても、和生さん、最近、タマカ・チャンお目立ち演目をセレクトしてきよるな。トークショーもここ数年、玉佳さん同伴でやってるし(もーわしでは喋ることあらへんー、飽きられとるー!的なことおっしゃってましたが)、玉佳さんへこの公演を譲ろうとしているのだろうか。今後、ここでタマカ・パーティはじまったら最高だな。


ついでながら。国立劇場の素浄瑠璃公演で、演奏が猿廻しに入ったところで藤蔵さんが「アウアウ」と吠えていたのは、猿の鳴き声なのかと思っていた。が、この西宮の人形入り舞台で観たら、そこ、普通に、猿、まだ、おらんかった。猿がおるから、大きい声でなんか掛け声かけてはるんかナ〜と思ってたが、吠えているのは、純粋に、藤蔵だった。純粋・藤蔵・ボイス。ここは動物園か?

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この公演が行われた前日、兵庫の宝塚大劇場へ、宝塚歌劇蒼穹の昴』(雪組)を観に行った。

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まぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、あまりにキラキラしていて、まじびっくりしましたね。エンターテインメントのプロフェッショナルとして厳しい訓練を受けてきた人の技術力を思い知らされた。また、経営・企画制作側の「いかに客を楽しませるか」に振り切った仕事にも唸らされた。
宝塚でセンター付近にいる方は芸歴10年前後だと思うが、「自分の芸は客を愉しませるもの」と徹底的に教え込まれたプロの仕事。その点では、文楽は「若手」という立場に甘えていると感じた。地方公演で残念に感じたことがあっただけに、大阪での文楽公演になぜ客が集まらないかのひとつの答えが見えてしまった気がして、こたえるものがあった。(文楽でも誠実にやっている人もいるだけに、なおさら)

舞台の上はこの世のものとは思えないほどキラキラしているのに、宝塚大劇場の施設のノリや、来ているお客さんが「文楽劇場と完全に一致」状態なのには、びびった。そして、そんな「生きてゐるツメ人形」なみなさんで、2500席の大劇場が満席なことにも、びびった。

あと、超キラキラの男役スターを見て、なぜ玉志さんの人形はあんなにキラキラしているのか、よくわかりました。

本当に、いろいろと、大変勉強になりました。また見に行きたいと思います。

 

↓ noteへ書いた感想。

 

 

 

*1:聞き取れなかった。

*2:この公演の休憩時間には、主催者から無料の振る舞い酒が出ます。かなり良いお酒です。

*3:内子座文楽に適切な会場かといえば、正直、あんまりいい環境ではないと思います。舞台が狭すぎて人形がかなりこんがらがった見えになるのと、音響がかなり厳しい感じがしますね。あそこも主催者=内子町がとてつもない善意の人々で、「よくわかってない」ゆえにスーパー無茶振りをして技芸員さん大混乱のおもしろ会場だと思います。

*4:和生さん、勘十郎さん、玉男さんの同期。若いうちに退座。

*5:ピンチな玉佳さんが今回どうしていたかというと、とりあえず入っていたお米をごそごそより分けるような仕草をして、小銭袋を出してもらってごそごそして、なんとなくごまかしてらっしゃいました。

*6:この会場は能関係をはじめとした伝統芸能系のイベントをほかにも主催しているので、能楽好きの人なども流入しているみたいですね。拍手マナーについては文楽より能のほうがタイミングに品位を求められるので、抑制ある拍手はその影響があるかもしれませんが。