TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

酒屋万来文楽『勧進帳』白鷹禄水苑

秋の恒例単発公演、西宮の白鷹文楽へ行ってきた。

和生さんの個人仕事のため、普段は女方が主役の演目が多い公演だが、今年は白鷹禄水苑の開場20周年記念で、能(居囃子)『安宅』上演と連動し、文楽も『勧進帳』の上演だった。

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勧進帳』って、まさかKAZUO-SAMAがBENKEI……!?
と思って焦ったが、 和生さんは富樫で、弁慶は玉佳さんの抜擢起用だった。

 

富樫は出で、能のワキ方のように、新関の理由と自分の役割を語る。この部分の、舞台の張り詰め方、異空間ぶり。
まず、間近で見る富樫の人形の美しさに息を飲んだ。
人形がとても大きい。人間原寸サイズに見えるというか、本当にそういう人がそこにいるようだった。ものすごく顔が綺麗な人がそこにいる感じ。ここの公演で見ると毎年そう思うのだけど、1年経つと忘れて、改めて見たときにびっくりする。
和生さんの富樫は2016年錦秋公演で拝見し、大きさと気品がとても印象に残っていた。当時は玉男さんの弁慶を近くで見たくて花道寄りの席を取っていたので、上手にいる富樫からは距離があったんだけど、間近で見るとこんなにも美麗だったのか。匂い立つような美しさがあった。ごくわずかに首を繰る仕草が本物の生き物のようだ。かなり小さな、顎先をよく見ていないとわからない程度の動きなので、それがよく見えるのは、このような小さい会場ならでは。
やっぱり、うまい人というのは、人形を人形でないもの、それでいて人間でもないものに見せる力があるのだなと思った。

そして、気品が強く香ってくるようだった。それでいて、生っぽい、みずみずしい美しさがある。黒い大きな目に光が入っているのが、生っぽく感じるのかな。以前観たときは白檀の香りがするみたいだと思ったけど、今回は切りたての百合の花のようだと思った。

左は和馬さん、足は和登さんでやっていたようだが、立ち姿の美しさとともに、手足の動きが流麗に揃っていて、とてもよかった。脇を開いて手を腰の位置に当てて身体を大きくみせ、足を軽く開いて袴の流れを綺麗に落としていた。富樫は、動作にともなう衣装の扱いが難しいと思う。また、様式美的な大きな動きが多いので、うまくさばいていかないとグチャグチャになると思うが、かなり良かった。弁慶が危なっかしい言動をして牽制のために一歩踏み出すところ、義経を呼び止めるところ、最後に義経の目礼を見ないように袖を掲げるところなど、急に大きく動くところの所作も自然で、ふんわりと空気をはらむ大紋の袖が大変優美。いずれも動きが速くなりすぎずにゆったりと弧を描くような動きで、検非違使のかしらの人形らしい気品が出ていた。さすが頼朝の名代として関守をしているだけのことはある。

 

弁慶は、玉佳さん初役。かなり若い雰囲気で、義経の乳兄弟のようだった。そして、人形の寸法相応の身体に見える。ややコンパクトで質朴な雰囲気があり、山伏らしい弁慶だった。
前半は、演技そのものはちゃんと行なっているが、メリハリの問題か個々の所作の意味がややわかりづらく、何をやっているのか直感的にわからない部分があった。所作が意味をなし、観客に伝わるまでには洗練されていないという印象。初役であるのと、狭い会場でお客さんに小道具等が当たらないように気を使ってやっているので、仕方ない。ただ、弁慶ピンでは多少頼りなくとも、富樫のリアクションを見ていると、弁慶が何をやっているかわかる状態だった。そういう意味でも、人形、ひいては文楽って、やっぱり、一人でやってるわけじゃないんだなと思った。和生さんは玉佳さん弁慶にとても注意して、やりやすいよう、勤められていたと思う。

それと、弁慶はデッカそうに思えるが、実際には弁慶より冨樫のほうが人形がデカいんだなと思った。そう思うと、玉男さんの弁慶の異様なデッカさはすごい。後半は富樫が座ってくれるので、弁慶が目立てるようになっていた。しかし、等身大の弁慶も、また良いものだ。

義経が冨樫に呼び止められてからの弁慶は断然気迫が増して、とても良かった。玉佳さんが元来持っている等身大の純粋さや真面目さがよく出ていた。自分よりだいぶ手練れの富樫を説得するに足る弁慶だったと思う。ある意味、『ひらかな盛衰記』松右衛門内の樋口のような感じ。
そして、延年の舞がうまい!!!! ていうか、今回の弁慶の所作で、舞のところが一番うまかった。初役でこんなちゃんと踊れることってあるんだと素でびっくりした。玉佳さん、さすが弁慶の左を何度も勤めてるだけあるわ。いや、単に勤めてるだけならこんなにできるわけがないので、本当によく見て舞台を把握している修練によるものだと思う。「ありがとっ……!」感が出ていて、とても良かった。

しかし段切の六法を踏むところ、文楽人形だと、本当、可愛いな……。ここだけは完全に人間の真似をしているからだと思うけど(動きは人形独自の振りではあるが)、なんか、「頑張って生きてる」って感じがする。

 

義経は玉翔さん。上品でふっくらした雰囲気。あの大福オーラは一体何なんだ。この会場は舞台が狭いため、本公演ではずっと(舞台の)すみっこ暮らしをしている義経も、必要に応じて出たり入ったりしていた。最初は笠なしで出、一度引っ込んで笠のみで出、再度引っ込んで行李(あれ何て言うの?)を背負って出にしていた。本公演だと最初から笠を被っていた気がするが……?

 


床は、弁慶が錣さん、藤蔵さん。富樫が呂勢さん、清志郎さんだった。人形とあわせて結果的にバランス取れており、こちらの配役もとても良かった。
錣さんの弁慶というのは本公演では絶対ありえない配役だが、丸みと重みのある、重厚な弁慶だった。達磨のようと言えばいいのか。硬く丸々として、低い位置に重心があり、ゴロンとした雰囲気。錣さんらしく歌うようなところに『勧進帳』とは思えない華やぎがあり、独特で、良い。人形は若々しいが、声には手練れめいた迫力があるのが不思議なバランスを生み出していた。
呂勢さんは富樫の気品を立てており、やりすぎないようにしている印象で、騒がしくないのが良かった。呼び止めも迫りすぎず、また逆に刑事ドラマの尋問のようにもしすぎず、作為に走り過ぎないほどよい自然さ。かなり細かくコントロールしていることが感じられた。若干若い雰囲気があり、和生さんの富樫の舞台全体を食うような強い気品を良い意味で中和しているところがあった。
この公演は通常、太夫1人・三味線1人でやっているが、2人ずつ並ぶと、狭い会場では非常に迫力のある音を楽しむことができた。本公演では床下席が販売停止しているいま、ここまでの音圧で義太夫を聴ける機会は希少だ。かなり大きな音が出るので、床付近のお客さんはビックリしていた。やはり義太夫義太夫三味線というのは、お座敷の芸ではないのだなと思った。

 

普段はお囃子なし、太夫・三味線のみで演奏しているが、今回は『勧進帳』だからか、お囃子もついていた。お囃子も客席間近、下手側の袖で演奏していたので、かなり大きな音で聞こえた。お囃子さんに恨みは一切ないんですが、個人的に、お囃子なしで聴けるのがここの魅力でもあると思うので、次回からはまた太夫三味線だけで聴きたいなと思った。

 

今回は、大道具(舞台美術)は一切なし、もともとの会場の内装である漆喰の白壁+板張り床に、簡易な低い手すりを立てた至極シンプルなものだった。この公演ではフル上演を行わず、例年、45分程度まで切り詰めている。今回はどこまでカットするのかなと思っていたが、話の流れが掴めなくなるようなカットはなし。ただ、四天王はなかったことにされていた。そりゃ、奥行き2m程度しかない舞台に、弁慶・富樫・義経に加えて3人遣い×4番も並べないわな……。ただし、富樫が連れているツメ人形は、ちょっと喋ったり、弁慶にお酒を注ぐ役目があるせいか、2人ともちゃんといた。「おる!!」と思って、笑ってしまった。やっぱり2人目のほうは、カップラーメンを買うときはビッグサイズを買うタイプの顔をしていました。

 

 

 
 
 
 
 
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  • 義太夫
    竹本錣太夫、豊竹呂勢太夫/鶴澤藤蔵、鶴澤清志郎
  • 人形役割
    富樫=吉田和生、弁慶=吉田玉佳、義経=吉田玉翔、吉田玉勢、吉田玉彦、桐竹勘介、吉田玉路、吉田和馬、吉田簑之、吉田玉延、吉田和登
  • 囃子
    望月太明吉、藤舎敦生

 

 

 

技芸員さんのお話。

今回は、『勧進帳』終演後にカーテンコール形式で太夫・三味線出演者から一言ずつ挨拶、ドリンク休憩挟んだあとに和生さんトーク(ゲスト・玉佳さん)という構成だった。

 

太夫・三味線挨拶

太夫 突然寒くなりました(汗かきながら)(それがSHIKORO STYLE)。「弁慶」役は、今回で2回目。1回目はお能とのコラボで、居囃子の会で小鼓の久田舜一郎さんと一緒にやらせていただきました。文楽の『勧進帳』の弁慶は初役で、こんなに大変とは思いませんでした。
この会も一昨年は呂勢さんが病気でお休みされましたが、僕が病気のときは呂勢太夫さんにやってもらったり、千歳さんが休演したときは僕が代わりに出たりと、我々は持ちつ持たれつでやっています。

 

呂勢太夫 本日はありがとうございました。病気でしばらくお休みさせて頂いていました。僕がこの会に出させていただいているのは元々文雀師匠の指名ですが、藤蔵さんは僕が指名しました。アルコールのあるところに藤蔵あり。藤蔵あるところにアルコールあり。健康に留意して、出来る限りずっと続けられるようにしたいと思います。

 

藤蔵 なかなか外出しにくいところ、ありがとうございます。
僕は初舞台が『勧進帳』の裾の6人目でした。38年前、昭和58年7月の朝日座公演で、18歳の時。今回はカットしているんですが、本公演だと四天王が出てくるので、70分くらいある。一番印象に残っているのは、足が辛かったこと。「痺れる」んじゃなくて、もう、「痛い」。団治さん、いまの宗助さんが、後ろから「頑張れ〜っ!頑張れ〜っ!」と言ってくれました(後ろというのは、『勧進帳』に宗助さんも出演していて、藤蔵さんの左隣だったという意味です)
昨年2月に初めて弁慶をやらしてもらって、今回で2回目。裾にいるときは「早く終わらんかな〜」と思っていたが、シンに座ると長いとは思わない。やってみてよくわかった。(錣さんもうなずく)
一昨年の『傾城阿波の鳴門』は錣さん、呂勢さんにやってもらいたかったが、呂勢さんがお休みされた。今回、錣さん、呂勢さんで出来てよかった。本公演だと錣さんも呂勢さんも切場に出るので、今回のように並ぶことは珍しいと思う。

 

清志郎 久しぶりにお伺いして、楽しい舞台を勤めさせていただきました。ぜひみなさまも体に気をつけて、文楽に通ってきただければと思います。(若手らしく真面目な挨拶!)

 

第二部 和生さんのお話

和生 今日はこの狭いスペースで、弁慶さんもちょっと大変だったと思います。玉佳さんは、後で読んでお話ししてもらいます。

 

┃ 弁慶と富樫を持ってみよう

まず最初に、「よく聞かれるんで!人形の重さ!」ということで、富樫と弁慶の人形を観客の希望者数人に持たせるというサービスがあった。

持ち方そのものは人形遣いさんが指導してくれるのだが、当然のことながら、素人が持つと、なんというか……、「こういう人、畑とか田んぼに立ってはるよね〜〜……」って感じ。カカシみたいになりますね……。そう思うと、持つだけで人形の人となりや佇まいを表現できるベテランの人形遣いさんというのは、すごいものだと思います。

もちろん、お客さんは「わーい💓」というノリで持っていて、和生さんもそれを嬉しそうに見ているんだけど、和生さんはわりと真剣(マジ)で、「弁慶、低い!! 人形が下がってきてますよ!」とか「富樫はもっと上!!」と、シビアな指導をしていらっしゃった。
本人は上げているつもりでも、普通に持ったのではでは人形が立った状態にならず、男性でも相当腕を伸ばして差し上げていないといけないようだった。弁慶のお世話は玉路さん、富樫のお世話は和登さんだったが、和登さんも「袖から手は出さないで〜💦」など、細かくお客さんに教えていらっしゃった。

 

和生 人形は構えて持つと、重い。横抱き(足遣いが人形を運搬するときの姫抱っこ)だと軽いんですけどね。富樫は舞台ではさらに太刀を吊っているので、もっと重いですよ。
富樫は差し上げていると、人形に視界を遮られて、前が見えなくなる。
(脇を締めて肘を曲げて見せながら)人形が人形遣いの体にくっついていては格好が悪い。大変でも体から離さんと。
(疲れてきて差し上げていられなくなり)人形の位置が低くなってくると、もう上げられなくなる。これが一番辛い。一度そうなってしまうと、技術ではどうにもできない。
(ひとしきりお客さんが持ち終わったのを見て)人形はこのあと下でバラバラになります。(衝撃発言)

 


┃ 玉佳さん、弁慶初役

和生さん、ここで玉佳さんを呼び出し。黒のタートルネックカットソーにジーンズ姿、デヘヘポーズで登場するみんなのアイドル・玉佳さん。

 

和生 汗だくになってしまったので、着替えてもらいました。玉佳さんは『勧進帳』の弁慶は初めてやな。

玉佳 今日はありがとうございます(デヘヘポーズ)。今回、弁慶は初めてです。本公演でも遣えるようになればと思います。(ものすごく弱々しい声で)

和生 玉佳さんの本公演の弁慶、いつごろになりますか……。
僕は富樫はなんどもやっていて、相手の弁慶はこれで5人目。文吾さん、勘十郎さん、玉男さん、巡業で玉也さんとやったことがある。僕の富樫はこれで最後かな。これでなかなか……。本公演で富樫をすることはもうないと思います。

玉佳 本当、重かったです。(引き続き、ものすごく弱々しい声)
こんな重いの、初めて、じゃないですけど、稽古のときは割と軽いんですけど、お客様が入ると緊張しているのか、重くて……。

和生 最初は力いっぱいいってるんや、ペース配分が悪かったんやな。見てて、途中から辛そうやなぁと思った。初めてやるときは、自分でもいろいろ考えて計算するが、どないにやっても力が入ってしまう。
本公演でも同じだが、初役で一番最初の舞台稽古のときは、周りが見えていなくて、「自分だけのこと」をやっているから、「できてる」気になってしまう。でも、どんどん落ち込んでくる。なぜかというと、何日か経つと、まわりの人や太夫さん、三味線さんも計算しだして、3〜4日目になると自分ができてないことがわかるから。
玉佳さん、「できた!」と思た?

玉佳 (プルプル)

和生 ダメなときもありますが、(やーめた!と)人形を下げるわけにはいかない。お客様がいますから。それでも「上げとく」のが人形遣い。本当にダメになってくると、握力がなくなり、人形の顔がうつむいてくる。


┃ 弁慶という役

玉佳 落ち込んでます。

和生 でも、やっとかないと、次やったときに出来ないから。
由良助や弁慶は、小手先の技術では出来ない役。その人の持っているものが必要になってくる。長〜い目で見ていただければと思う。

玉佳 弁慶は重いんですよ。

和生 勧進帳を読むところと、延年の舞のところは気を張らなくてはいけない。でも、「遊ぶ」部分が必要。

玉佳 左はこれまでにもいかして頂いてるんでわかるんですけど、主遣いは自分だけでは全然持てない。左と足、3人で……初めて……(消え入りそうな声で)

和生 早い段階で燃え尽きてしまった。

玉佳 「まだここか」って。

和生 見るのとやるのとは全然違う。舞台でやると出来ない。

 


ここから和生トークショー定番、ものすごい無作為な質疑応答。カテゴライズや順番、内容の重複などは私のほうで整理しています。


┃ 『勧進帳』について

Q 富樫は切腹覚悟で義経を見逃すと思いますが、どこから許していたのですか?

 うちの解釈では、義経を呼び止めた時点で、富樫は許すことを決めている。弁慶も、「あ、許してくれるんや!」と思う。
能の『安宅』は最後まで富樫と弁慶は敵対するが、歌舞伎・文楽の『勧進帳』は弁慶と富樫に通じ合うものがある。なぜそうなったかを考えていたが、『勧進帳』が成立した幕末・明治には、『安宅』が成立した中世から「武士道」が変化したからではないかと考えている。「武士は相身互」の取り方が違っている。『勧進帳』では、富樫が許す、弁慶も「これで許してくれる」という「あ・うんの呼吸」がある。能では酒も飲まないですしね。


Q 玉佳さんは先代玉男師匠の弁慶の足も遣っていたのですか? 師匠の思い出があれば教えてください。

玉佳 僕は先代師匠の足はいっていなかった。

和生 タイミングの問題。まずご本人が弁慶を遣った回数が少ないので。

玉佳 僕は文吾さん、玉幸さんの弁慶の足からやっていた。
師匠の思い出はあんまりない………………(え!?!?!??!?)。「おしょはん」は手数が少なくて、肚の芸を見せる人。すごいなと思てる。そう思って遣っています。

 


┃ 文楽一般について

Q 高い下駄を履いてやるんですね。足遣いの人も、あんなに強く足踏みするのは大変そうだと思いました。

和生 はじめは下駄なしでやろうかと思ったが、人形が大きいので、履くことにした(このあたり、ちょっと違うかも)。玉佳さんは、案外(下駄の高さが)高いの持ってきたなと思った。それで、ちょっといじわるして、富樫の人形をこーんな高く差し上げたりした(笑)。
ここは床が板なんで、足遣いも痛いと思う。足遣いはずっとしゃがんでいるが、変なところに自分の足を投げ出されては困る。床面には「なんもなく」してもらわないと、下駄を履いて動けない。「何にもない」という前提でやってます。

 

Q 太夫さんによってノリは変わるのですか?

和生 多少……。ただ、「ちょっと待って」とは言えない。うちは三権分立ですから、その中でお互い勝手にやっています。こう言ったら何ですけど、歌舞伎の方は羨ましいなと思います。合わせてもらえるので。

 

Q 練習はどうしているのですか?

玉佳 人形は3人で遣っているので、こういう公演では稽古はまずできません。最初はイメトレ。1人では本当はできないんですけど、1人でなんとかできるようにと思って、劇場へ行って人形を借りてやったり。僕は左で勉強してたんで、振付は覚えてるんですけど。

和生 初役といってもゼロじゃないから。左や足でいってるから、何をするかはわかってるんです。玉佳さんの師匠の初代吉田玉男師匠は、よく、「足を遣っている間に左を覚え、左を遣っている間に主を覚え」と言っていた。今はビデオという手っ取り早いものがあるから、みんなそっちに走ってるけど。3人でやる稽古は舞台稽古の1度だけ。今回も1回だけやった。主遣いさえしっかりしていれば、なんとかなる。

 

Q 手を見せてください。

和生 (左手の手のひらを見せながら)女方だと、薬指と小指の付け根にタコができる。これは女方だけで、立役にはできない。僕は(女方と立役を)フラフラしとるけど……。

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┃ 役について

Q 富樫をやるには、人間国宝にならないといけないのですか?

和生 そんなことはないけど……(笑)、うちでは「足10年、左10年」といって、長い時間をかけて足や左を遣い、ツメ人形や端役をやりながら勉強していかなくてはならない。
(格の高い役を遣うには)その人の才能、努力……。それなりの努力をしないといけない。そして、(役をもらっても)じゃあ!次は!となると、もう一段階、二段階が必要になる。


Q 本公演での配役は、誰が、どのように決めるのですか?

和生 配役は、その人のニン、性格をみて、劇場の制作が考えて決める。(腕を懐に入れてモゾモゾモゾモゾしながら)そのへんは僕らも立ち入らなくて……。今は過去の演目、配役がパソコンに入っている(データベース化されている)ので、その記録を見て決めてるんじゃないかなー……。
劇場の制作は技芸員や専門家という意味で、詳しくわかっている人というわけではない。詳しくわかるようになったら、つけられなくなるだろう。
先日「安宅」をここでやったときは(僕が決めたが)、玉佳さんに弁慶をやらせるのもさすがに気の毒なので、自分でやった。

(参考:白鷹禄水苑のウェブサイトに、和生さん弁慶の写真が載っています。コンパクトにどっしりしてます。 宮水ホール - |生粋の灘酒 白鷹株式会社

 

Q したくない役は断れますか?

和生 断れない(KAZUO KIPPARI)。「ハイっ」と言って、「イヤヤナ〜」と思って20日間やることもある。来た役は、お客様に楽しんで頂けるように、やる。

 

Q それぞれの役の左遣い、足遣いがどなただったか、教えてください。

和生 富樫の左は和馬、足は和登。弁慶の左は玉勢、足は玉路。義経は……?

玉佳 左が玉彦、足が玉延……?(もはや弁慶が大変すぎて、ほかのことに気が回っていないご様子でした)

和生 今回は、左や足も初めての人がたくさんです。

 


┃ 若手について

Q みなさん、どういうきっかけで入門してくるのですか? 必ずしも親が技芸員とは限らないと思うのですが。

玉佳 僕はサラリーマンの息子。でも、おばさんが文楽を好きだった。身内に誰か好きな人がいなきゃ、なかなかなろうと思わない。みなさんもぜひ入れてください。(突然の研修生募集)

和生 入るきっかけは人それぞれ。実際の舞台を見て感動して入ってくる人もいる。
最近は大学卒で入ってくる人もいて、入門者の年齢層が上がっている。うちでは、大卒の子を見ると「え! 大学出て文楽入るん? “アホ”やなあ!」と言う。本当は、中学を卒業してすぐ入るのがいい。なぜかというと、人形遣いは最初、足遣いからはじめるが、年いってくると姿勢的に辛い。変な中腰でずっといなくてはならない。中学出てすぐ入って、若いうちに足遣いを終わらせておくのが一番いいと考えている。でも、うちの弟子にも大卒いますけどね。

 

Q 若い人は、最初はどういうことをするのですか?

玉佳 僕は高校を出てから研修生になり、入門しました。入ったときは小幕の開け閉め、小道具の出し入れ、師匠方の草履を回したり(運んだり)することからはじめます。

 


┃ 会場について

Q このような狭い場所でやるために、人形の演技は変更しているのですか? 義経が最後に富樫を見るのは、今回だけですか?

和生 基本的には大きい劇場でも、こういう狭い場所でも、演技は変わりない。ただ、ここは横に広くお客さんが入っているので、人形の背中を見せっぱなしにならないよう、全体的に「ハ」の字型になるようにしようと言った。
義経が最後に富樫を見るのは、いつもやっている。

 

Q 大きな劇場でやる心得は、このような小さな会場とは違いますか?

和生 会場の大きさは関係ない。寸法(舞台間口など)で多少やり方は変えても、基本的には同じ。ただ、ここはお客様が近く、目の高さが合うので、お客様と目線を合わさないようにしている。前を見ていても、焦点を合わせない。
(今回ここで初めて文楽を見たというお客さんに)本公演は会場が大きいから、舞台までかなり距離があるんで! それだけはわかっといてください! 上演時間も1時間になります!


最後に、和生さんのフリーコメント。

和生 今はコロナ禍で対策も多く、パッと劇場へ入ることもできなくなっていて、お客様も少し辛抱して頂かないといけなくなっている。
(初めて文楽を見るときのコツは)歴史のことを少し頭に入れておいて頂くということ。芝居と歴史は同じではないが、歴史の知識が多少ないと、わかりづらい。最近は、うちに入ってきた人も、「忠臣蔵」と言ってもスッと伝わらない。
ただ、お芝居は感性のもので、合う合わないがある。古典芸能だからすごいんだ、すごいんだと言っても難しい。音楽と同じ、クラシックが好きな人がいればポピュラーが好きな人もいる。
我々は、「3回見て!」と言っている。演目も、面白いもの、面白くないものがある。3回見て、それでもダメなら手を引いてもらう。

 

 

ちなみに、このトークショー、客席の後ろのほうから玉翔さんがコッソリ覗いていたのが良かったです。玉翔さんも、少し出てもらえたら良かったですね。

 

 

今回の『勧進帳』を観て、やっぱり、人それぞれに、それぞれの良さがあるなと思った。そして、玉男さん、玉志さんの良さも、改めてよくわかった。どの方も、その人にしかないものを持っていると思った。

また、一昨年や昨年も思ったが、和生さんは本当、若い人、共演者に目を配ってるんだなと思った。この会って、和生さんがしっかりしているから、クオリティを保てているのだと思う。さらには、和生さん目的のお客さんもかなり多いと思う。そういう中で、一緒に出演している床のメンバー、人形の若い人たちを立ててトークをしているのが良いなあと思う。尊敬する。
そして、この公演、床のメンバーもほんとしっかり稽古されてるんだと思う。単発公演でここまでの水準まで仕上げてきているものは、ほぼないと思います。

なお、上演中、和生さん、マジで玉佳さんの弁慶をジッと見ていた。和生さんがあんなにも他人を注視しているのは、レア!

 

今回、「へえ!」と思ったのが、和生さんの「富樫は強力を呼び止めた時点で弁慶を許している、弁慶も富樫が許してくれることを悟っている」という話。
自分は、富樫はもちろんすべては承知した上で、弁慶とのそれまでのやりとりで彼が信頼に足る人物だということを理解し、最後に、頼朝の立場含めてすべてを賭けられる人物かを試すために(あるいはその口実を明確に作るために)剛力を呼び止めたのだと思っていた。つまり、この時点では、富樫は弁慶を99%信用していても、弁慶はまだ富樫を信用していないと思っていた。
しかし、剛力を呼び止めた時点で二人が通じ合っていたというのは、実際の富樫の演技と照らし合わせると、なるほどなと思わされた。富樫は、弁慶の出〜勧進帳を読む等のやりとりまでは、白い首をぐっと伸ばして弁慶を見据えている。しかし、弁慶が九字を切るあたりになってくると、彼を警戒心高く強く注視することはなく、首をすくめて襟に埋めるようなポーズになる。これが不思議で、これがどういう意味なのか気になっていたのだが、そのときには弁慶をどう許すか、すでに考えていたのだろうか。質疑応答で演技の意味を聞こうかとも思ったが、これ聞いたら「あなたの演技、伝わってません」と言っているようなモンだから失礼なので止したが、やめといてよかった(?)。
今回のお話を伺って、今後『勧進帳』を見るとき、人によって解釈の違いはあると思うが、人形・太夫の富樫役の人を見る目が変わってくるなと思った。

 


そして、ものすごく漠然としたことを言うが、今回の上演やトークショーを通じて、私は文楽が好きだけど、一歩引いて見ていたいなと思った。
配役にしても演目にしても、国立劇場なり文楽劇場に言いたいことはいろいろあるんだけど、我々、結局、どこまでいっても幕外の人間であり、技芸員さんなり、文楽公演なりに対して、一線を引いた敬意が必要だと思った。あらかじめ結果を用意しているような固まった価値観で見るなら、もう、本物の舞台を見る必要はない。やっぱり、もっとストレートに、実際の眼前にある舞台の上の一つ一つを見ていきたいと、改めて思った。でも文句は言う(え?)。
そして、和生さんの話されていた、「(本質的な意味でものがわかっていたら)配役ができなくなる」というのは、その通りだと思う。

それにしても、和生さんのお話の「お芝居は感性のもので、合う合わないがある」というのは、本当、そうだよなあと思う。これがすごくよくわかるのが能楽堂。能のときはみんな観ていても、狂言になると退出するお客さんがいる。それも数人レベルではなく、結構な数。最高レベルの狂言師が出演していても、そう。これには色々理由があるとは思う。しかし、世間一般では狂言のほうが人気がある、とっつきやすいかのようなイメージがあっても、能楽堂のお客さんは必ずしもそうではないということだと、しみじみと思う。
あとは、これも一種の感性の問題なのだろうけど、「わからないものをわからないままに受け入れる」という感覚を持っている人でないと、古典芸能を見るのはなかなか難しいと思った。

また、「文楽のお話をわかるには、歴史の知識が多少必要」というお話。字義通りの部分もあるけど、私としては、『太平記』や『平家物語』のような古典文学の知識が必要だと感じている。能の鑑賞に、中世の仏教観の知識が必要なように。江戸時代の人は、「正史」でない「物語」をどう受け取っていたのか。とても興味深いことだと思う。