TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 大阪7・8月夏休み特別公演『夏祭浪花鑑』国立文楽劇場

今年の夏休み公演第三部・サマーレイトショーは『夏祭浪花鑑』。
団七が玉男さん、義平次が玉志サンという私にとってベスト配役だったので、4連休を使って行ってきた。

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住吉鳥居前の段。

玉男さんの悠々とした団七がとても印象的。
ドーーーーーーーーーーーーーーーーンとしとる。他の登場人物とは異なるゆったりとした歩み、隆々とした筋肉が邪魔で動きにくいのかと思うほどの異様に丁寧な所作、もじゃもじゃしたまゆげを時々おもむろに「ぴこ……」とさせるさま……。
まじ、「埒外」の人……。
私が玉男さんに魅力を感じるのは、人形に何を考えているかわからない不気味さがあるところ。ものすごくいい意味で一般社会常識がなく、常人とはまったく違った思考回路で行動しているように見える。
この言い草で「ものすごくいい意味」って何だよって思われるかもしれませんけど、「常人には全く理解できない人物」というサイコサスペンス的な面白さ、こいつとは絶対分かり合えねえという迫力を感じる。

まずやばいのが、「住吉鳥居前の段」で、一寸徳兵衛〈吉田玉佳〉と出会って高札で打ち合い、お梶〈吉田一輔〉が止めに入るところ。
徳兵衛はお梶の叱咤にすぐ反応して高札を地面に置き、そちらへ向き直るが、団七はそれとは関係なく、高札に視線を向け、その棒の下の端まで手のひらでゆっくりと滑らせてから、地面に置く。なぜこいつは突然現れた自分の女房の介入(しかも久しぶりの対面)を無視したマイペース動作をしてるんだ……???
以降も団七は目線をずっと地面と水平にしていて、滅多なことでは他人を注視しない。微妙に目の焦点が合ってなさそうな、人形の顔貌のつくりそのまんまの表情をしているように見える。人の話聞いてるのか聞いていないのか。何かを考えているのはわかるけど、何を考えてるのかはまったくわからない、玉男さん特有の、人形の斜め上に「……」という吹き出しが浮かんでいる感。「人間がヒグマと戦うのは無理」的なものを感じる。義平次もよくこんな身長196cm体重110kg前科あり生真面目だけどちょっと足りない……的なヤツをよく挑発したな。殺されるに決まってんだろと思った。*1

 

玉男さんの立役は、その重量感や筋肉の質感が非常に印象的だ。
それはいったい何によって成立しているものなのか。今回のプログラムに『夏祭浪花鑑』についての玉男さんのミニインタビューが掲載されており、そのヒントになる言葉を見つけた。

遣う時の肝は二の腕で、自分の腕で団七の二の腕を下から支え張るようにして動かします。そうすると団七らしくなるんです。

ははあ、玉男さんの人形って肩から二の腕にかけての雰囲気がほかの人と決定的に違い、そこが筋骨のたくましさや人形の物理的大きさ以上の「大きさ」につながっていると思っていたけど、ご本人もそこを意識してやっていたんだなあ〜と思った。

……って、これ、文章で読むと「へえ〜〜〜」と思うのですが、実際の舞台を相当の前列席で見ても、なにをどうやっているのか、サッパリわかりません!! 自分の腕の上に団七の腕を直接乗せているという意味ではなく、差し金なり、大型の立役人形についている「ツキアゲ」という棒を使った支え方の話なんじゃないかと思うんですが、玉男さんの場合、動きにまったくカクつきがなく、差し金やツキアゲがほとんど見えない遣い方なので、わかって見ていても、具体的にどうしているかは、今回4回観ても全然わからなかった。

ところで、「住吉鳥居」での団七は、最初、牢人として縛られた姿で登場する。そのときに着てる水色の着物、なんかめっちゃ色あせてたんですけど、わざとなの? それとも照明焼け?

 

磯之丞〈吉田清五郎〉は最初にむしろをめくった駕籠から姿を見せるとき、BLの受みたいな腰つきになっていた。めちゃくちゃビックリした。総受としか言いようがない。人形遣いは逆側のむしろを下ろしたまま遣っているのでご本人はわかってないと思うけど、うーん、すごいことなっとる。と思った。そのままでいっていただきたい。

琴浦〈桐竹紋臣〉は、フワフワとシャボン玉が跳ねるような、柔らかく軽やかな動き。生身の体重を感じさせない浮遊感がある。これもどうやっているのかはわからないが、ほかの人にはない動き方。着付けに遊女の艶麗さが出ているのも良かった。でも結構綺麗に着付けてあるので、品がある感じ。襲いかかってくるキモ男〈大鳥佐賀右衛門=桐竹亀次〉から、時々逃げ遅れているのが可愛かった。

一寸徳兵衛は玉佳さん。爽やかな徳兵衛で良かった。そう、かなり爽やか。人間でいうと吉沢亮レベルの爽やかイケメンだった。玉佳さんの人形の醸し出す、現代の若手俳優的なイケメン感も文楽七不思議のひとつ。毛抜きがめちゃくちゃデカいのには笑った。無心にヒゲを抜いているのが可愛かった。

あとはやっぱり玉也さんの三婦が上手い。老人特有の仕草の雑さが的確。「住吉鳥居前」で床几にかけるときのラフさ。己が納得いくように(?)悠々と座る団七とは対極的である。「三婦内」でも、のちほど出てくるキリキリした義平次とはまったく違うタイプになっており、面白い。お辰と対話する際は、彼女の気迫を押し返すように下手へ凄むとき、奥側の肩(右肩)を若干落としているのがさりげなくも上手い。こわばった表情が出て、姿勢が綺麗に見える。常時、肩をM字にして、首は前に投げ出している姿勢も良かった。これらが鼻につく小芝居になっていないのが、さすがベテラン。

 

それにしてもなんでこんなに玉ブラザーズ第三部に固まっとるん? 何かの記念公演か?っていうほどビッシリとひしめいておられた。

 

 

 

釣船三婦内の段。

清十郎さんのお辰が出色。いままでの清十郎さんにはない艶冶な佇まいが非常に鮮烈。上体をやや前のめりに傾けて腰をひねった病的に傾いだような姿勢、三婦に迫る身の乗り出し方に色気が強く出ていた。元々が清楚な雰囲気の方なので、それが変にヤニついたものにはならない。
お辰は普通にやっていればおつぎと見分けのつかないキャラになりそうなところ、一応普通の奥さんに落ち着いたおつぎとは全く違う、気の若い情熱的な女性として成立していた。文楽業界の藤純子や、と思った(普段は北川景子)。

ふっくらした頰に大きな目の老女方のかしら。水色の玉のついた涼しげなかんざし。トレードマークの日傘、傘地は水色で、露先は赤。閉じたときに赤がちらついて美しい。着物は黒にうっすらと模様が入っているが、ほぼ見えず、真っ黒に見える。扇子はダークグレーで柄なし。簑助さんが使っていた柄入りの扇子は私物なのかな。

三婦の居宅に来訪し、おつぎと話しているあいだは昭和のバーのママ的なさっぱりと伊達っぽい雰囲気。三婦から磯之丞を預けることはできないと言われると、少しかしらを震わせ三婦を注視し「ン!?」という表情をする。ここで一度、三婦に向き直って迫る。
鉄弓で顔を焼くくだりは他の人とはやや違いがあり、顔のかなり中央めに鉄弓を当ててすぐに人形を後ろに倒し、火傷の傷を頰の中央あたりにつけていた。火傷は顔のかなり側面(こめかみ〜耳の前)につける人が多いと思うので、目立つ位置につけるのは本人の判断だろう。側面につけていると、中央から上手寄りの座席の観客には見えないので、顔の中央に寄せるやりかたは上手いと思う。顔の目立つ位置に傷をつけることがお辰の覚悟、という趣旨の話なわけだし。顔の側面に貼られると、ぶっちゃけようわからん。
三婦に火傷の傷を見せつけるくだりは、首をかなり強く奥手前へ繰る演技。大きく首を後ろに向かせて奥で一旦溜めを作り、振り返りを大きく強調した動き。もちろんそういう型ではあるのだが、非常に派手な見せ方で、清十郎さんがここまでやるのは意外だった。やや病的なまでの色気で、そのアンバランスさに興味を惹かれた。

NHKから出ている『夏祭浪花鑑』のDVDに収録されている「三婦内」では、先代豊松清十郎がお辰を演じている。その芝居をある程度受け継いでいるのかと思ったが、演技がだいぶ違っていた。
先代豊松清十郎はかなり柔らかい演技で、やや年配感がある。今回観ていてかなり気になった「立ち直つて襟かき合はせ」のくだり、当代の清十郎さんは文章と異なり一度軽く立ち上がって裾を直す→座って帯を直す仕草のところ、先代清十郎は座ったままではあるが文章通りに襟を直している。これはなぜいまの清十郎さんがそうしているのか気になる。また、当代清十郎さんのお辰は顔に鉄弓を当てる前後で三婦に2度凄む箇所があったが、先代は後半の1回のみ、しかも「凄む」まではいかない振り。役に対する考え方が結構違うんじゃないか。当代の清十郎さんの演技は、三婦に対する描写を見る限り、今の師匠である簑助さんのほうに近いのかなと思った。

 

三婦女房おつぎは簑二郎さん・勘彌さんダブルキャストで、両方の回を見た。
それぞれの持ち味による雰囲気の差があって面白かった。また、両者で微妙に演技が違っていたのも興味深かった。
ひとつめの違い。「三婦内」は、幕が開いた時点で磯之丞・琴浦の人形が舞台に出ているが、それに加えて最初からおつぎが舞台に出ているかどうか。簑二郎さんの場合は、琴浦・磯之丞の痴話喧嘩へ割って入るように、二人の喧嘩がやかましくなってからの出。勘彌さんの場合は、最初から舞台に出ており、二人の喧嘩を聞きながら魚を焼いている。以前観た勘壽さんも確か最初から出てる派だったかな。
ちなみに、焼き魚を焼く丹念さは簑二郎さんのほうが上でした。上っていうか、かなり焼き魚に集中していて頻繁に裏返したり位置を移動させたりしていて、料理人みたいになってた。正直言ってやりすぎ。それを見ていたら自分も焼き魚が食べたくなって、夕ご飯を焼き魚にしてしまった*2。勘彌さんは家事の一環といったふうに火箸で炭をつつきながら火力を調整していた。魚はあまり動かさずにじっくり焼く方法で、これは勘壽さんと同じやり方だと思う。
ふたつめの違い。三婦は昔は喧嘩っ早かったことをおつぎが語るくだり。手に持ったうちわを使った演技が異なっていた。簑二郎さんは三婦の口真似をしているように演じ、「チョット橋詰へ出てもらおう」というセリフを言い切ったあとで、まるで三婦がそうしていたかのようにうちわを強く床へ叩きつけていたが、勘彌さんは「ウチの人がこう言うてました」といったような身振りで、すべてを説明し終わったあとにうちわを軽く伏せて「話終わりました」とアクセントをつけるような、柔らかめの仕草だった。

 

三婦内・後半は錣さん。かなり良い。
お得意の女性描写で、お辰の美麗さと可愛らしさをあわせもった侠気を表現されていた。お辰にどこか柔らかい甘みがあるのが最大の特徴。単に侠女というだけでない、ひとりの人間、女性としての彼女の人となりが感じられて、よかった。簑助さんがお辰を演じるときには、かなり可愛く振っていたので、お辰が簑助さんだったら、かなり似合っていたと思う。

前半(お辰が一度奥へ引っ込むまで)と後半(アホ二人組の出から)の三婦の描写の違いも面白かった。アホ二人組が踏み入ってきた時点で声をかなり低く落としていたのには、態度に荒っぽさはないながらも、彼の鋭敏さと凄みを感じる。非常に低くつぶやかれる「ナンマイダ」の異様な調子が印象的。前半、お辰やおつぎに相対していたときにあった、気っ風のよい町人としての矜持とはまた違ったものである。先述の『夏祭浪花鑑』のDVDには、越路太夫の「三婦内」が収録されているが、それとはまた違った表現の仕方だ。越路太夫の場合、アホ二人組の出の時点ではまだ空惚けており、三婦が念珠を切ってから描写が変化し、侠客の言動としていた。それよりも早い段階で、三婦の警戒心(本性)を表現しているということだろう。
そのほか、前半含めて三婦の喋り方がたいへんリアルで人柄を感じさせるものであることも面白かった。観客にも語りかけるようなコトバにしている。その軽妙さが祭りに浮き立つ大坂の情景に彩を添えていた。

そういえば、宗助さんのマスコット度が上がっているような気がした。錣さんがボリュームアップしたのか? ソースケさんがカワイくなったのか? 「ちょこん」としていて、幸せを呼びそうな感じになっていた。当たり前ですが三味線自体はちゃんとしてます。

 

 

 

長町裏の段。

今回、非常に注目していたのが、義平次に玉志さんが配役された点。
一寸徳兵衛が来るかと思っていたので、義平次ほどいい役がきたことに驚き。それは嬉しかったんだけど、玉志さんの誠実さと清潔感溢れる芸風で、真逆とも思えるあの小汚いクソジジイをどう演じるのか、かなり興味を引かれた。
ではどのような義平次だったか?

誰に対しても人間的感情を持たない、至極冷淡な悪人に振り切った義平次で、面白かった。ぬるさがない。悪人としてスッキリしており、現代的。蚊を払ったり周囲を注視したり、あるいは人を追い立てたりといった仕草が神経質で、義平次に狡猾さや冷淡さの印象が強く出て、適役となっていた。

ジジイながら、かなり体格よさげに遣っていたのも印象的。義平次は三婦のような侠客ではなく、ずる賢いだけのパンピージジイ。なので、わりと普通の老爺っぽく遣う人も多いように思うが、身長180cmはあるぞあのジジイ状態だった。痩せて腰はまっすぐ立たんくなってきたが、毎日ジム行って筋トレしとるゾイ。って感じ。姿勢は悪いけど背中自体は曲がっておらず、足腰が妙にしっかりしてるのが玉志サンらしいというか、半端ないカクシャクジジイになっていた。あの玉志特有のカクシャク感はほんま何やねん。ただ、これが突飛かというとそうでもなく、「三婦内」ではデッカいじじいだなと思うものの、「長町裏」で玉男さんのガチムチ団七と並ぶと、かなり馴染んでいた。

義平次は、初代玉男師匠が得意としていた役。初代玉男師匠の義平次の映像を確認してみたが、玉志さんがやっているものとイメージがかなり近しかった。体格の良さも、実は同じ。玉志さんは晩年の玉男師匠の演技をかなり細かく研究しているようなので(私の憶測)、今回の義平次も師匠に寄せているのではないかと思う。*3

あと、玉志さんはどんだけすごい大役でも常時ブルーグレーの袴なのがトレードマークだが、今回はさすがに義平次だからかいつもと違い、かなり明るめの生成色の袴だった。夏狂言なので上も白、最近は髪もかなり白くなっておられずので、照明当たると全身真っ白状態で、本人が思っているよりもある意味かなり目立ってるのではないかと思った。義平次の人形は茶色の着物に赤く塗られた顔なので、人形は引き立っていた。

 

義平次は、沼から上がってきて舅のガブのかしらに変わって以降、着付が左前になるのね。『夏祭浪花鑑』は何度か観たことのある演目だけど、今回はじめて気づいた。後半の義平次は「なかなか死なないクソジジイ」ではなく、団七の罪悪感が見せた幻覚なのかもしれない。
っていうか、玉志さんまじで素早すぎて、超素早いゾンビ状態になってました……。井戸周りで団七と追いかけ合い、団七の刀を避けるところとか、そういうゾンビゲーかと思った。

あと、玉男さんも殺陣が常にマジなので、ドキドキした。義平次が団七の背中へおんぶ状に乗っかるくだり。そこで団七が刀を自分の左右両脇背後へ刺し通すが、団七の右脇側は真後ろに義平次の人形遣いがいるので多少遠慮するかなと思うところ、普通に刺していて、玉志刺さっとらんのかと心配になった。避けているのか、刺さってるけど黙っているのかはわかりません。

団七が井戸のある上段から義平次を船底へ蹴り飛ばし、義平次が手すりに突き当たって後ろ向きに決まるところは、玉男さん・玉志さんおふたりの人形の姿勢へのこだわりが非常によく出ていた。また、足遣いや左遣いの方もそれをよく理解していて、とても良かった。義平次の足の人は相当頑張ってたと思う。落ちてすぐかがんでいたので、団七がとても見えやすくなり、義平次も姿が綺麗に決まっていた。あそこまで瞬間的に回避して、すぐ引っ込むのは、そうそう簡単に出来ることではないと思う。

 

団七は、裸になって以降の、大きな肢体を存分に使った端的な所作が美しい。長い手足をめいっぱい伸ばした、と思ったら、まだそこからさらにぐんと伸びる。団七の人形の特徴を最大限に使った、全身が張り切った大の字のポーズの美しさ。アスリートのストレッチのようだ。大の字のポーズ、腕がたるみなく、本当に左右に真一文字に張っていて、人形らしい華麗さと力強さが出ていた。
どんどん「型」を決めていくという定型演技にもかかわらず、それが様式美なり、芝居事なりといった線路が引かれているようには見えない。まるで団七が筋肉のささやきに耳を傾け、それに従って体を動かしているかのような至極自然な動き。かれは頭ではなく、肉体でものを考えているのだろう。「筋肉とて人を恨むのだ」。

玉男さんは先述のインタビューで、先代玉男師匠の団七についてこう語っている。

私が入門した当時、団七は先代の(桐竹)勘十郎師匠がつとめられることが多くて、うちの師匠はたいてい殺される舅の義平次を遣っていました。ですから団七の足遣いはやっていないんです。左遣いだけですね。師匠の団七は極め極めがはっきりしていて余分な動きはされない。それなのに形が美しく迫力がある。後ろ向きの姿が特に綺麗でした。

いまの玉男さんの団七も、動きにブレがなく、非常に精緻である。ここで語られている先代の描いた団七の線上にあるのだろう。力強い表現や体幹のごん太さなど、芸風は違っていると思うが、「荒物」っぽさに振り切らないあたり、根幹は師匠を引き継いでいるんだなと思った。
ちなみに後ろ姿は「背筋すごすぎ」と思いました。人形自体には背筋ないですが、背筋がすごすぎて、『刃牙』を思い出しました。

 

団七の左は、「長町裏」ではそれまでの段とは違う人をつけていると思う。その人がやっぱりうまいです。

 

 

 

 

  • 人形役割
    釣船三婦=吉田玉也、倅市松=桐竹勘昇(前半)吉田玉征(後半)、団七女房お梶=吉田一輔、こっぱの権=吉田玉翔、なまの八=吉田玉誉、玉島磯之丞=吉田清五郎、団七九郎兵衛=吉田玉男、役人=吉田玉延(前半)吉田玉峻(後半)、傾城琴浦=桐竹紋臣、大鳥佐賀右衛門=桐竹亀次、一寸徳兵衛=吉田玉佳、三婦女房おつぎ=吉田簑二郎(前半)吉田勘彌(後半)、徳兵衛女房お辰=豊松清十郎、三河屋義平次=吉田玉志

 


休憩時間込み2時間の上演ながら、濃度が高く、大変に充実した舞台だった。
人形の配役が非常に充実していて、抜かり・たるみ一切なし。ここではすべての人について書くことはできなかったが、どの方もたいへんに力が入っているのが印象的だった。

玉男さんの衝動殺人犯役では、『女殺油地獄』与兵衛『国言詢音頭』初右衛門インパクトがすごかったが、団七もすごい。どれも衝動殺人の場面が芝居として見せ場になっている演目だけど、玉男さんには、古典芝居としての華だけにとどまらない、何かがある。主人公の内面描写に現代性があり、所作がリアリスティックに感じられる。

玉男さんの衝動殺人犯役は、人を殺すという発想に至ることの不気味さ・不可解さが存分に描かれている。インタビュー等読む限り、玉男さんは団七をわざと異様な人物として描いているわけではなさそうなので、団七からそこはかとなく漂ってくる不穏さは、もともとの持ち味のなせるものだと思う。玉男さんの場合、団七は「住吉鳥居前」や「三婦内」ではどこかぼーっとしているが、義平次を殺すくだりだけ正気になっている感じがするのが怖くて良い。団七がちゃんと相手の顔を見ているの、そこからでしかない!

団七が本当は舅を殺したくなかったのは事実だと思うけど、それでも一線踏み越えるヤバイ精神性が感じられる。ご本人は団七に同情を集めようとしてやってると思うのでこう言っては本当に失礼なんだけど、どっちかというと義平次に同情してしまう。本当は殺したくなかったら殺さないよ、普通は。そこで留まらずにやるやつは狂ってんだよ。団七の段切のセリフ「悪い人でも舅は親……」には、本当にこいつそう思ってんのか?独自の感性で言ってるだろ!という、背筋が凍りつくものがある。玉男さんにはぜひとも、『伊勢音頭恋寝刃』の福岡貢もやって欲しいと思う。

 

あとは玉男さんって、人形が立てる音にかなり気を遣ってるんだなと思った。もともといらない動きは一切しない人だが、いらない音も立てない。逆に、立てるべき音はキッチリ目立つように立てる。足拍子だけでなく、小道具の取り扱い、人形が手を握る音などのコントロールが細かい。人形が立てる小さな物音は、意外と後ろの席まで聞こえるけど、たまたま鳴っちゃってるわけじゃないんだなと思った。
音については、玉志さんも相当気を使っていると思う。特に鳴らすタイミング。義平次が団七の脇差の柄に足をかけ、チャキチャキいわすタイミングが上手い。足遣いの人も意図をよく理解しているのだと思う。あの音、タイミングよく入ると気持ちいい。床を本当によく聞いて、そのリズムや間合いに必ず合わせにいっているのだと思う。私が観た回で一度、床でこのくだりに若干出遅れがあり、柄を鳴らすきっかけが確保できなかったときがあった。やはり人形演技の手順だけをやってるわけではなく、細かく床を聞いてコントロールしているのだなと思った。

 

しかし玉男様、本当に元気だよね……。
ことし68歳になられると思うが、よく体力が持つなと思った。ゆったりとした正確な動きはかなりの安定性が必要なので、相当体力がないとできないはず。また、こういう動きが激しい役だと、人によっては上演中に見ていてハラハラすることがあるが、玉男様の場合はそんな心配はなく、暑い季節はときどき(><)な表情におなり遊ばせるのが「汗が目に入って大変そう……❤️」くらい。今回も、団七が後ろ向いてるときに一緒に汗拭いてるのが良かった。
ちなみに玉志サンはことし65歳のようです(『文楽ハンドブック』情報。誕生日は8月11日!)。どんだけすばやい65歳やねん。かなり痩せておられるのが心配ではありますが、玉男さんとは別の意味で相当元気あるなと思いました。みんな健康でいて欲しいです。

 

それにしても、玉志サンの団七はいつ見られるのか。去年の大阪鑑賞教室中止が本当に悔しい。玉志サンは玉ブラザーズの中でも先代玉男師匠の雰囲気をもっとも色濃く受け継いでいると思われる人なので、義平次がベスト配役だとは思いますが、平右衛門や鱶七を見ると、ぜひとも団七も見たい。

そういえば、ある回、舞台袖から舞台を観ている人形遣いさんの姿が見えた。ほんとはその役の左をやれればいいんだろうけど、せめてということだろう。この方は今回だけじゃなく、よく舞台を観ている(目障りという意味ではない)。今回の公演では、ほかにも舞台袖から見ている方をお見かけした。本当みんな頑張ってるな、と思った。

 

 

 

おまけ

住吉大社へ行ってみました。

住吉鳥居前の段」でも鳥居の奥に見えている太鼓橋、湾曲がすさまじすぎてびびりました。これ毎年人転げ落ちとるやろ。年取ったらもう登れん。池にはかめさんがいっぱいいて、悠々と泳いでいらっしゃいました。路面電車にも乗れて、面白かったです。あの路面電車の唐突感、すごいですね。

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*1:わかりあえない存在、というと、吉村昭の小説『高熱隧道』を思い出す。ゼネコン技師の主人公は、黒部峡谷での水路トンネル掘削にあたり、大自然の脅威と戦う。この小説で個人的にすごく印象的だったのが、主人公ら技師たちが掘削工事の現場作業者(人夫)たちと最後まで全く分かり合えなかったこと。それぞれが持っている「常識」があまりにも違いすぎて、最終にトンネル工事は成功し自然は制圧できても、自分とはまったく違う他者の意思を思い通りにすることはできないという、不気味なわだかまりが残る。今回の団七は、あの不穏なラストシーンを思い出しす。

*2:日本一交差点のところにあるやよい軒のテイクアウトで、焼き鯖弁当。お持ち帰りだけなら遅くまで営業しているので、文楽劇場近辺に宿泊で、大阪市に営業時間規制がかかっているときはおすすめ。

*3:ひとつ、玉志さんより当代の玉男さん(2018年9月東京公演で義平次役)のほうがうまいなと思った箇所がある。義平次が団七の差している脇差を抜いて挑発するところ、玉志さんは若干持ち重りを感じさせながらもスラリと抜いていたが、玉男さんは引き抜いたとき、そのまま地面に一旦刃を落としていた。確かに町人の老爺の体力では、あの脇差を片手で抜いてそのまま構えることはできないだろう。よく考えられた演技だと思う。初代玉男師匠の昭和57年、58年の義平次役の映像を見ると、玉志さん以上にそのままスッと抜いている。ただ、初代玉男師匠は演技をどんどん改良していくタイプなので、晩年の映像も検証してみたい。