TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 4月大阪公演『妹背山婦女庭訓』初段〜三段目 国立文楽劇場

『妹背山婦女庭訓』の2公演分割での通し狂言企画、4月は三段目まで。

今月の上演形態では、朝〜夕方に上演されている近松半二ほか作『妹背山婦女庭訓』(初演1771年1月)と、夜に上演されている『曾根崎心中』とでは、戯曲としての性質がまったく異なることがよくわかった。

『妹背山』はやはり非常によく出来ている。『曾根崎心中』(初演1703年5月)から68年の時を経て、人形浄瑠璃ストーリーテリングの技術、エンターテインメントとしての演出力が大幅に上昇していることが理解できた。それは、見た目が派手だとか、趣向が入り組んでいるということではない。登場人物のドラマ、その彩りの豊かさがこの演目の最大の魅力だ。大判事と定高の確執、お雉が抱え込む葛藤は、近松門左衛門やその時代には描けなかっただろう。今回は上演されていないが、『妹背山』四段目に登場するお三輪の「女庭訓」ぶん投げぶりなど、近松半二(あるいはその時代)でないと描けないキャラクターだ。彼女は「血の通った女子」だ。たとえ、当時の「女子」がこのような振る舞いをすることのできない社会的抑圧下にあったとしても、それを逆手にとり打ち破る自己表現をしているのが、彼女の魅力。彼女はもはや他人に操られ、流される「人形」ではない。そして、能動性にあふれたお三輪と、あくまで周囲の境遇に流される「人形」である雛鳥をおなじ戯曲のなかに入れ込むのが、近松半二、と感じる。彼女もまた、最終的には浄瑠璃の流れのなかに回収されてしまうことも含め、よくできている。

 

『妹背山』を通し上演にかけたとき、もっとも注目が集まるのは「妹山背山の段」だろう。舞台中央の吉野川を挟んで人形・床とも妹山(下手)、背山(上手)に別れ、その時を代表する出演者を出して競演する。この形態は『妹背山』初演からのものと言われており、現代でもそのまま上演できる演出力を当初から備えていたことに驚かされる。様式美的で見た目が派手な演目といえば『菅原伝授手習鑑』の「車曳」などもあるわけだが、歌舞伎を取り入れて今の演出になっているわけではなく、この派手さはオリジナルというのが近松半二のセンス、人形浄瑠璃の華、そして落日の輝きを感じる。

ただ同時に、壮大な物語の構造や華やかな舞台装置に見合うだけの芸が必要とされる段であるとも言える。今回は、「みんな頑張ってるんだな」というのが、最大の感想だった。
今回は、というよりも、初めて観たときからずっとそうだったのかもしれない。近年何度も出ているだけあって、個々の出演者のパフォーマンスは良く、なんなら近年でもっとも良いとも思える。だが、「舞台としてまとまっているか」というと、「はい」とは答えづらい。表面上の派手さに覆われて見えづらくなる、本来的な部分をどこまで追うべきか。
具体的には、「定高と雛鳥」、「大判事と久我之助」がそれぞれ親子に見えづらいという点。親子の情の通じ合いをとおした親子感は普通の演目なら重要なポイントになるはずだが、この段でどこまで追求すべきか。たとえば今回、背山の人形は大判事玉男さん、久我之助玉佳さんという同じ芸統の人で固められていたが、親子らしさにはフォーカスされづらいことに、「山」の難しさを感じた。人形の場合、どうしても舞台装置の迫力に負けるという点、それ以外についても芸を競い合うというのがマイナスに働く場合がある点などがあるのだろう。
しかし、なるほどと思わされたのが妹山の床〈定高=竹本錣太夫、雛鳥=豊竹呂勢太夫〉で、二人で抱き合って泣き崩れる場面のシンクロ感、「ああやはりこの人たちは母と娘なのだ」という親子らしさに感じ入った。錣さん呂勢さんは語りの雰囲気がまったく違うし、役柄上の喋り方も違うため、そこまでは基本バラけている。それを経て、母娘二人の気持ちが重なりあい、抱き合って泣くシーンでトーンがシンクロするのが非常に効果的だった。その部分は、まるでひとりで語っているようだった。逆に! そうきたか!! と思わされた。

 

私が意外といちばん好きなのは、二段目。
その眼目である「芝六忠義の段」は、はじめて観たとき、意味がわからないと感じた。わからないというより、「理解しがたい、したくない」。たかだか「忠義」、しかも自分のメンツのために子供を殺す芝六が不自然に感じたのだ。芝六のそれは熊谷(一谷嫩軍記)や松王丸(菅原伝授手習鑑)とは違い、他の子どもを助けたいがための緊急の、あるいは物語上のやむを得なさというものはない。旧君である鎌足へ、自分の忠誠心を示したいためのものだ。そこに説得力のなさを感じ、「昔の話」で、しかも「表面的に作っているだけの話」だから仕方ないのかなと思っていた。一般的にもそう感じる方は多いのではないだろうか。

だが、現行上演のないものを含めて半二が関わった浄瑠璃を読んでいくうち、芝六がどのような意図に基づいたキャラクターなのか、自分なりにだんだんと理解できてきた気がする。近松半二が考える(あるいは描写を得意とする)もっとも「かっこいい」男性キャラクターというのは、理知的でクールな人物だろう。政治的目的のためには余事を考慮しない人物をヒロイックに描く傾向がある。現行上演のある演目でいうと、『鎌倉三代記』の佐々木高綱が象徴的。あるいは本作の鎌足もそうだろう。現行上演のない『蘭奢待新田系図』『桜御殿五十三駅』ではその傾向はさらに強い。東映ヤクザ映画の成田三樹夫小林旭くらいクールだ(より一層わかりづらくなる例え)。彼らはまさしく人の血の通わない「人形」である。ただ、半二は「人形」にはなりきれない人物にもまた思い入れがある。主役の身分が下がってくるとき、理知よりも人情に押されてしまい、「頭がよい行動をしきれない」キャラクターがあらわれる。たとえば『本朝廿四孝』の慈悲蔵、そして本作の芝六がそうではないか。彼らは、彼らなりに認識している「大義」のために、大きな逡巡を伴いながらも残酷行為におよぶ。彼らの身分が低いゆえに、あるいは「人形」ではなかったばかりに、それは愚昧で馬鹿げた行為にうつる。愚昧なら愚昧で、妻子を連れてサッサと逃げればよかったのに。彼らの行動が異様に見えるのは、そのどっちつかずの愚かさの悲しみ、惨めさの悲劇を描いているということじゃないかと思うようになった。芝六については、その動揺が、四段目に登場するもうひとりの鎌足の家臣・鱶七がなんの躊躇もなくお三輪を殺すことと対局的な描写になっているのが人物設定上のポイントだと思う。これらのドラマには、彼らの「弱さ」を受け止める目線があるのではないか。そして、大判事もまた「弱い人」だというのが、本作を構成する重要な要素だろう。そんな彼らの、義太夫として語られない部分にある惨めな悲しみは、なんか、好きだな。
(これが『傾城阿波の鳴門』の十郎兵衛になると、本当に救いようのない話、理解しがたい異常者になるのだが……)

 

今回、妹背山を「通し」と謳いながら四段目は上演されず、夏休み公演へ回されることについては、色々と思うことがある。
三段目で終わる場合、全通しと比較すると、物語のエネルギーは大幅に下がるという印象だった。全通しのときは、物語の躍動の中に出演者の個性や巧拙といった凸凹が消えてゆき、物語そのものに人形たちを突き動かす大きな流れがあることが感じられた。しかし四段目をカットしたこの上演形態だと、そこまでの迫力にはならない。もっと率直に言えば、全通しだと、下手なヤツのことは数段後には忘れられるんだよね。中途半端な通しは、物語の持つエネルギーと上演時間による「「「迫力」」」に頼れなくなるので、可もなく不可もなく以下の出演者の悪いところが目立つことになると思った。
四段目をカットしたことによる雛鳥・お三輪、芝六・鱶七のキャラクターの対比の消失は、食い足らなさとして大きい。対比の消失は作劇の核心にかかわるため、問題だと思う。

 

しかし、このような「一部の段を抜いた時代物の通し」+「世話物や時代物の人気場面の見取り」というのは、明治大正期の人形浄瑠璃の番付によく見る形態だ*1。ある意味、往古を忍ばせる上演形態なのかもしれない。

 

 

 

以下、朝顔の観察日記。

 

第一部、初段、大序 大内の段〜小松原の段〜蝦夷子館の段

大内から小松原は人形黒衣。配役をよく確認せずに行ったので、誰がやっているのかクイズ状態になった。

鎌足、緊張した固い動きだが、かなり気品があるな、誰だ? 「芝六忠義」だと鎌足は出遣いで玉也さんだとわかるのだが、玉也さんにしては緊張してたし、そもそも(良くも悪くも)このような気品の強い遣い方ができる人だったのか? と思ったら、ここのみ玉彦さんなのね。あそこまで遣えるとはかなり驚いた。この段では、登場人物の身分が衣装、そして縁の上と下という目に見えるかたちで明確に表現されている。地べたをウロチョロしている段よりある意味では難しく責任が重いはずだが、立派。そして、「芝六忠義」の段切に登場する本役の鎌足とは雰囲気が違うのも、ある意味で興味深い。
同じくこの段のみ配役違いとなる定高〈吉田玉誉〉は優美な気品に満ちていた。本役の和生さんよりかなり女性的な雰囲気に寄っている。
安倍行主はただならぬ垢抜けぶり、黒衣でも清五郎だとわかったッ。いかにもな「やっとる、やっとる」感で身分の高さを見せるのではなく、垢抜けぶりで自然と出せるというのが、本当に、すごいッ。

大序を上演すると、昇殿を許された人とそうでない人と、身分がおのずと可視化される。また、前述の芝六の内面の弱さ、鎌足の異様な冷酷さを含めて、『妹背山』は、身分描写の的確さが重要になってくる演目なのではないかと感じた。声を高く抑揚をつけずに喋るとか、動作をゆっくりとさせるとかそういう次元以上に、その身分は物語にどう関わるのかということを踏まえた芝居の重要さを思う。

 

「小松原」で登場する久我之助〈吉田玉佳〉は、いままでに見た久我之助の中でも最も良い。人形の見た目そのままの、幼いまでの瑞々しさが漂ってくる。ある意味雛鳥より若い。久我之助は初代吉田玉男が得意としていた役ということで、玉佳さんもその足なりをやったことがあるのだろう。その清らかな佇まいを受け継いでいるのだろうか。「蝦夷子館」での豪華な衣装に身を包んだ凛々しい雰囲気、「妹山背山」での透明感も良く、若男がよく似合っていた。タマカ・アセリ(玉佳さん特有のちいかわのような「ワワッ」的な動き)があるのが、なんか、よかった。本当はだめだけどね。
「小松原」の久我之助は、床机に座る前の冒頭部のみ、腰にアミアミのきんちゃくを下げているが、中に入っているのは、もしかして、小鳥? ルアーかと思っていた。(奈良時代にルアーはない)

めどの方の文昇さんも良い。文昇さんはこれくらいの立場の「高貴な奥様」がよく似合う。華美すぎないシルバーモノクロームの雰囲気が、いかにもそれらしい。

今回の玉志さんは蘇我入鹿に配役。持ち前のキラキラ感と貴公子感、得意の国崩し系の黒い輝きによって、ストレートに悪のプリンス像を描いていた。個人的には玉志サンには芝六をやってほしかったが、野生のプリンスオーラがいきた役だった。
入鹿は最初、僧形で登場し、のちに束帯姿へ改める。僧形と束帯では髪型・衣装が異なるので、当然、人形の演技が変わってくる。僧形のときは所作をコンパクトにまとめ、大きく体を動かすことは控えられていた。僧形の際、「ハッハッハッ」という床の演奏に合わせて頭を振る部分がある。その所作は、昨年11月上演『一谷嫩軍記』「熊谷陣屋の段」の段切付近の僧形の熊谷役での所作と同じものだった。武士系のキャラなら左右に振るはずだが、玉志さん的に、僧形のキャラは頭を傾けることによって振るという処理に統一しているのか? 姿によって人形の演技が変わるといっても、派手になった際よりもやや控えめにする等、その場その場での相対的なものだと思っていたので、本人の中でルールがあることに驚いた。もっとも、入鹿は衣装が変わるからといって性根が変わるわけではなく、僧形もあくまで「コスプレ」なので、演技をある程度統一していい気もする。
大嗤いするところでは、顔を振るたび、その振り方をいちいち変えているこだわりには、びびった。かなりのこだわり。というか、こだわりを通り越して奇人の域にいっていた。さすがだと思った。
しかし入鹿の束帯って「いくら帝でもそんな格好するか?」というド派手にイキったものですけど、あれは北九州のヤンキーの成人式のような感覚なんですかね? 冠のトサカ部分がクソ長すぎて、午後の「太宰館」の奥からの出のときには、鴨居に当たらないか、玉志さんがめちゃくちゃ気にしていた。いやいや引っかかってもいいからまっすぐ前を見てくれ。

蝦夷子館」の段切では、大判事・入鹿ともに人形がかなり早く決まる。大判事の玉男さんも入鹿の玉志さんも、人形が早く決まることを厭わず、幕が閉まるまでの間が長くてもヒヨらない人だが(なんとなく人形を揺らして間を埋めようとする人もいるけど、そういうことを絶対しない)、二人揃って出てくると、うーん、人形が早く決まっとる!!!!!感と、こいつら根性座っとる!!!!!!感がすごくて、若干、面白い。

 

それはともかく、「蝦夷子館」の冒頭に登場する雪人形2つのリアリティレベルの違いが気になって眠れない。現行の舞台では、写実的な束帯姿の男性の人形と、雪を饅頭型に固めて葉っぱで耳つけました的な雪うさぎが登場する。が、この部分は現行上演では原作をはしょっており、カットされている部分に、雪うさぎのほうも「耳のあたりの出来栄えがグレート!!」と女中たちから褒められるくだりがある。そこまで具体的な褒め言葉が出るからには、うさぎも本来リアルなうさぎのように思える。(重箱の隅つつき)

 


二段目、猿沢池の段〜鹿殺しの段〜掛乞の段〜万歳の段〜芝六忠義の段。

以前の東京での通し上演とは異なり、昼食休憩挟んで二段目。これ重要。ツメ人形はめし食わないと落ち着かないんだよッッ。

猿沢池から鹿殺しは人形黒衣。

天智天皇、以前に観た勘彌さんの少女漫画的王子様感(六本木で遊んでそうとも言う)とは異なり、「本当に身分が高いから態度がシンプルに鷹揚な人」って感じになっている。と思ったら、勘壽さんか。なるほどこれは似合っている。天智天皇にかしづく采女が紋臣さんであることを含め、感覚的なリアリティがある配役。身分の高い人をどう表現するかは人によってやり方が異なるけれど、「鷹揚感」を出す(というか、出せる)人は珍しい。勘壽さんの気品が生きていますね。

藤原淡海〈豊松清十郎〉は、惜しい。これだと本当に尾羽打ち枯らした浪人だ。今回は、本来身分がずっと低いはずの久我之助のほうが遥かに颯爽とした姿に仕上がっているため、見え方に損をしているのだと思うが、気品のなさはかなり気になった。四段目を同時上演していない以上、もうちょっと綺麗目、身分をやや匂わせるように遣わないと、存在感ごとなくなる。少なくとも首が前に出ているような姿勢の悪さは改善して欲しい。
清十郎さんは手術・療養のため、6月以降はしばらく休演するとのことだが、ほっとした。同じ気持ちの方も多いのではないだろうか。検査を勧めた勘彌さんグッジョブ。

天智天皇に付き添う女官たちが淡海からの言葉を「伝言ゲーム」をしているが、大変失礼ながら顔的に、なんか、途中で話が違うことになっていってそうだった。最後のほうになると「日本橋駅からこっち来るとこにあるコクミンドラッグでみたらし4本パック78円で売っとったで」とかになってそう。


「鹿殺しの段」では、しかが登場すると、客席のツメ人形のみなさんが
「しか…」
「バンビ…」
「あ〜…」
「痛そー…」
「死んだ…」
とつぶやいていた。
本当に声を出して中継するのがさすが大阪公演のお客さん。もっとも、このシーンは文楽でも屈指の「観客が喋っちゃう」シーンだと思う。東京公演でも「あ〜…」という声が上がる。文楽を代表するアニマル、『忠臣蔵』のいのししや『冥途の飛脚』のいぬは「(笑)」くらいなのに、しかには人を喋らせる魔力があるのだろうか。こんなに声が上がる生き物、タコ映画『海魔陸を行く』のタコくらいだよ。*2
しかぬい(鹿のぬいぐるみ)は、奈良公園で売ってるだろっていう嘘くさい化繊感、蛍光オレンジ風の色合いに味があり、ちょこんとしたシッポのついたプリプリのお尻が可愛かった。かなり綺麗だったが、新品になったのか、クリーニングされたのか。
しかし(ギャグではないです)、芝六はなんでわざわざ興福寺春日神社の監視下にある鹿を殺しちゃったのかね? 少し離れたところの山にも、鹿、いくらでも湧いてるよね。入鹿誅伐に使う鹿は、鹿ならなんでもいいというわけではないのか?

それはともかく、大道具(森を描いた幕)、前からこんなだったっけ?

 

三作〈吉田玉彦〉はとてもおりこうそうで、とてもよかった。かなり上品な雰囲気で、「山家育ち」感はない。桜丸かという気品。実際問題としてはやりすぎだと思うけど、三作に込めた気持ちはよくわかる。首をすっきり見せてしっかりと前を向き、常にまっすぐに構えていること、うなずきなどの所作が小ぶりでゆったりしていることによるものだと思うが、この年でよくここまで遣うなと思った。玉彦さん、現時点では師匠の玉也さんとはまったく違う方向にいっているのが不思議。「万歳」での踊りも愛らしく、よい。(このとき三作が肩にかけている謎の布って、お雉のエプロンなのね。直前までつけていたものがいつの間にかなくなっていると思ったら、ここにきていたのか)
三作が鹿殺しの犯人を記した手紙を書く部分は、原作から文章をカットしすぎて、意味がわからなくなっている。「幼心のやさしくも真実案じ、侘住みの手習。文庫破れ双紙。筆食ひしめし、何やらん。七ついろはの清書文章…」は抜かないほうがいいと思う。杉松に渡す手紙を書く時間よりも、杉松が出て行ってから机に向かって書き物している時間のほうが長く見えてしまうと、手紙に目が行きにくくなり、話がわかりづらくなると思う。

お雉〈吉田勘彌〉も大変素晴らしい。ちょっとワケあり風の美人奥さん感、芝六のことを好きそう感、湧いて出た無数の居候の面倒見が良さそう感、いずれも良い。くるくるちょこんと愛らしい姿が魅力的。勘彌さんの女方は、身体が小柄で華奢に見えるのが、やはり、良い。そこは、簑助さんに非常に似ている。気分が高ぶると予備動作なくパッと動くところは、人形の感情の高ぶりがよく感じられ、足すらついていっていない、彼女の心の燃焼に心惹かれた。大きく動いていても、決してドタバタと音を立てて騒いでいるようには感じられないのも、上手い。
人形と関係なくご本人の話だが、勘彌さんはホワイトブロンドがまじでホワイトブロンドになっていて、揖保乃糸の最高級品のようになっていた。白髪の綺麗な人によくある透明感のあるシルバーではなく、ここまで不透明度の高い白は本当にすごい。少女漫画のようだった。

記事冒頭の記した「芝六の弱さ」という意味では、今回の芝六=簑二郎さんという配役は、ある意味で合っているのかもしれない。ともすれば簑二郎さんの欠点とも思われる「どこかオドオドしている」という点が、芝六のクールになりきれない人物像には合っているように思われた。いわゆる「上手い」ことだけが役をしこなせる素質となりうるわけではないと感じさせられる。芝六を的確に演じられる人となると、他により「上手い人」がいるだろうが、これはこれで良いのだと思えた。

芝六ファミリーは貧しさの中、本来よせあつめのはずの人々が、一生懸命、それぞれの努力によって幸せに生きているのだという印象が美しく出ていた。

鎌足は、采女と並ぶとガングロすぎて、サーファーみたいだった。


以上はよいところだが(鎌足サーファー説も?)、二段目は、異様に長く感じた。床については、正直、いろいろと言いたくなるものがある。もろもろ、チグハグな印象を受けた。
千歳さんは10代前半の子の語り方をもっと研究したほうがいい。糸滝(嬢景清八嶋日記)もそうだけど、その年代の描写が著しく欠落して、幼稚に傾きすぎだと思う。酒に酔った芝六の喋り方も本当にそれでよいのか、よく考えてほしい。そして、三作も芝六も、長時間喋るキャラがあまりに作為的な喋り方をしていると、押し付けがましくて疲れる。
また、これはもうどうしようもないが、自分が観た日に「芝六忠義」で三味線のトラブルがあり、最後まで微妙におかしい音のままだった。富助さんには富助さんの考えがあることは理解したいが、この演目において最初から最後までトラブルが解決されないのはかなりのストレス。素人目には三味線交換すればいいのにと思った。


天智天皇は、目が見えないためにここがド田舎のクソヤバボロ家で、自分がやばい居候になっているとは気づいていない設定になっている。いや気づくだろ普通。なんかかびくさいとか、床がねちゃねちゃしっとりしてるとか、御器被りが足を登ってくるとか、めしがおかず少ないとかで。と思うも、平安時代以降は「里内裏」といって、天皇が関白などの家に「居候」することがあったそうなので、それを発想源にした設定なのかもしれない。里内裏には普通に近所の人とかが見学に入り込んでたみたいだし、売掛金回収の人が入ってくるのも普通だったのかも。

 

 


第二部、三段目、太宰館の段〜妹山背山の段

三段目は、「山」よりも「太宰館」が好き。後室定高〈吉田和生〉と大判事清澄〈吉田玉男〉の競い合うような覇気は今回も見事。大判事と定高の対立構図の緊張感、そのシャープさがよく出ている。確執のある関係といってもバラけはなく、和生さんと玉男さんの息があっているからこそ表現できるシンクロ感と重みがある。床が若手であってもその緊迫感は緩まない。むしろ、彼らの若々しいツメの粗さがプラスに作用する舞台だった。

和生さんの定高の特徴は、「止め」の精緻さと強さだろう。そこに定高という女性の気性の激しさと人物の大きさが現れる。打掛を引き上げてすっと歩く姿は優美だが、止まるときはバシッと力強く止まる。いわゆるただの「奥さんキャラ」「ママキャラ」ではなく、夫亡き後、家と娘を守って戦ってきた定高ならではの描写だ。力みの描写があるのが、良い。いかにもドラマティックな場面ではなく、あらかじめ普通の場面で人品を表現しておくというのも、和生さんらしい。そして、定高は、目元が真っ赤に紅潮して見えるときがある。そういうところも、和生さんならではだった。
人形については、妹山、ことに定高の出のあとのほうが、後戻りできない張り詰めた空気感がよく表現されていた。実際のところはわからないけど、和生さんて、共演している人に、いろいろと言ってるんじゃないのかな。和生さんが出ている段が全般的に「ちゃんとしている」のは、そういうことなのではないか。共演している人がそれを持ち帰ってくれるといいなと思う。

「妹山背山の段」での大判事の出のピリピリとした緊張は大変に見事。大判事は、その重々しい足取りの中に、わずかな震えがみえる。立ち止まったときにも人形が小刻みに揺れているが、それは持ち方の不安定さによるものではなく、意図的に過剰に力んで持つことによって振動させているのだろう。ふだん人形が絶対的に安定している玉男さんならではのテクニックだ。思い詰めるあまり、人形の身体に力がみなぎり(人形の身体、であることが重要)、歯を食いしばっている様子が感じられる。過剰とも思える上体の傾きも上手い。
玉男さんは、なにをして、なにをしないかの処理が非常に上手い。玉男さんの芸は一概に「動かない」と表現される場合が多いが、つぶさに見ていくと、意外にいろいろと「やっている」。いまの玉男さんは初代吉田玉男と「全然違う」と言われているが、その観点でいうと、根底にある考えは、やはり近いのではないかと思わされる。初代吉田玉男、いまの玉男さんは、動かないのではなく、「なにをして、なにをしないか」の引き締めが非常に緊密なのだ。前述の「蝦夷子館」段切の決めで玉男さん、玉志さんは動かないという話もそのひとつだろう。文楽において、「動かない」芸とは一体どのようなものなのかを考えることが必要なのではないかと感じている。

 

それにしても、清治さん、譜面見て弾いていますよね。膝元にiPad置いて。いずれにせよiPadというのが清治感あるわと思った。

 

吉野川は、静かに流れるようになっていた。前はもっとカタカタカタカタ言っていた気がする。そして、手動なのね。機械かと思っていた。

 

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  • 義太夫
  • 初段 
    • 大序 大内の段
      豊竹薫太夫、竹本聖太夫、竹本碩太夫、豊竹亘太夫、竹本小住太夫/鶴澤清方、鶴澤清允、鶴澤燕二郎、野澤錦吾(注:演奏順はこれとは異なる)
    • 小松原の段
      久我之助 豊竹靖太夫、雛鳥・采女 豊竹咲寿太夫、小菊 竹本南都太夫、桔梗 竹本文字栄太夫、玄蕃 竹本津國太夫/竹澤團吾
    • 蝦夷子館の段
      口=豊竹亘太夫/鶴澤清公
      奥=豊竹藤太夫/鶴澤清志郎
  • 二段目
    • 猿沢池の段
      豊竹希太夫/鶴澤寛太郎
    • 鹿殺しの段
      竹本碩太夫/野澤錦吾
    • 掛乞の段
      豊竹靖太夫/鶴澤清馗
    • 万歳の段
      竹本織太夫(代役。豊竹咲太夫全日程休演につき)/鶴澤燕三、ツレ 鶴澤燕二郎
    • 芝六忠義の段
      竹本千歳太夫/豊澤富助
  • 三段目
    • 太宰館の段
      豊竹睦太夫/野澤勝平
    • 妹山背山の段
      〈背山〉大判事 豊竹呂太夫、久我之助 竹本織太夫/鶴澤藤蔵[前]、鶴澤清介[後]
      〈妹山〉定高 竹本錣太夫、雛鳥 豊竹呂勢太夫鶴澤清治[前]、竹澤宗助[後]、琴 鶴澤清允
  • 人形
    蘇我蝦夷子=吉田文哉[大内]/吉田文司[蝦夷子館]、中納言行主=吉田清五郎、大判事清澄=吉田玉翔[大内]/吉田玉男蝦夷子館・太宰館・妹山背山]、宮越玄蕃=吉田玉勢、後室定高=吉田玉誉(大内)/吉田和生(太宰館・妹山背山)、采女=桐竹紋臣、藤原鎌足=吉田玉彦[大内]/吉田玉也[芝六忠義]、荒巻弥藤次=桐竹紋秀、久我之助=吉田玉佳、雛鳥=吉田一輔、腰元小菊=桐竹紋吉、腰元桔梗=吉田簑太郎、めどの方=吉田文昇、蘇我入鹿=吉田玉志、天智帝=桐竹勘壽、藤原淡海=豊松清十郎、禁廷の使=吉田玉路、猟師芝六=吉田簑二郎、倅三作=吉田玉彦、女房お雉=吉田勘彌、大納言兼秋=吉田勘市、米屋新右衛門=吉田簑紫郎、倅杉松=吉田玉峻(前半日程)吉田玉延(後半日程)、鹿役人=吉田和馬、興福寺衆徒=桐竹亀次、注進=吉田玉翔

 

 

 

2階のお弁当売店が営業再開。再開したとしても業者が変わるかと思っていたが、同じテナントだった。そういえば去年の秋くらいから、1Fロビーで軽食のワゴン販売が始まっていたが、ここの業者さんだったのかな。お弁当メニューは過去にあったものがそのまま復活していた。ここまで元どおりになるとは思っていなかったので、こんなことってあるんだと驚いた。ただし、柿の葉寿司は「ゐざさ」ではなく、「たなか」になっていた。

文楽弁当 華。以前と入っているおかずは変わらず。天ぷらのしきりに入っているごま塩、一体何にかければいいんだということを、3年ぶりに思った。私は、天ぷらとごはんに適当にかけています)

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第三部コラボで、福井県鯖江市のキャラクター、「ちかもんくん」が来場していた。すげーでかかった。商工会議所とかの青年が「中の人」だったりするのか……? 文楽劇のお客さんはそんなこと意に介さず、おもいきり突撃していた。ちかもんくんは1Fロビー、2Fロビーを移動してお客さんに愛想を振りまきまくっていたが、視界が狭いようで、付き添いの人に手を引かれて、ソロソロと、マイ楽屋へ帰っていっていた。

(となりの人は付き添いの人。私ではありません)

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帰り、新大阪に着いたら、新幹線が人身事故で止まっていて、終わったかと思った。
新幹線って、止まると、運行再開までのあいだ、電光掲示板に「ただいま現場に警察が到着しました。準備でき次第、現場検証を開始します」とかの実況中継が流れるのね……。
たまたま自分が予約していた列車が運行再開後すぐの発車対象になったため、幸運にも60分遅れで東京へ帰ることができた。今回は自宅までの終電接続に間に合ったが、今後、同じような事態で帰れなくなることがあるかもしれない。対策を考えておかなくてはと思った。

(意外とみんな「ふーん」って感じの新大阪駅改札)

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*1:たとえば、明治9年3月文楽座では妹背山通し+野崎村、明治22年1月の彦六座では妹背山通し+新口村+廓文章という番組編成になっています。ただ、いつでもオマケがくっついていたわけではなく、明治23年1月文楽座だと妹背山オンリーでの通し上演。このときは、山と杉酒屋のあいだに、現在では失われている派手な入れ事の段が入っていたようです。

*2:『海魔陸を行く』:昭和25年(1950)公開の実写映画。海でのんびりと暮らしていたところを捉えられて魚屋に売られたタコが配達中に脱走し、妻子の待つ海へ帰るべく大冒険するという内容。あらすじだけなら「ああそう、子供向けですか?」って感じなのだが、生きている本物のタコが主演という衝撃的すぎるキャスティングで観客のド肝を抜いてくる怪作。アクションもすべて実写、ノースタント。上映時、タコが段差を落ちたり、ピンチになったりするたびに客席から「ああぁ〜!!!」という声が上がる。おそらく、主演のタコは何匹か用意されていて、危険なシーンでは本当に死んでいると思う。現在なら動物虐待で絶対不可能というか、それ以前の「なにか」を感じる、本当にやばい映画。