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文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

なぜ文楽は「わからない」のか〜「新曲」としての『曾根崎心中』〜 [文楽 4月大阪公演『曾根崎心中』国立文楽劇場]

いつもは夏休みの小学生の「朝顔の観察日記」みたいな、「きょうは赤むらさきいろの花がさいて、10時ごろにしぼみました。明日もさいてほしいです」的な感想を垂れ流している私ですが、今回は、ちょっと切り口を変えて書いてみようと思います。

今回の記事は、文楽に対する「わからない」とは何かということ、それをクリアするコンテンツとして『曾根崎心中』をとらえることがテーマです。また、その中で『曾根崎心中』を「新作」として留め続けるにはどのようなことが必要なのかについて、勘十郎さんのお初を切り口として論じています。

もちろん、朝顔の観察日記つきです!

 

INDEX

 


┃ 古典芸能の「わかる」「わからない」論

激走するクソでかい恐竜。
クセ強フェイスで謎フォルムの土偶
名前と味と色と食感が独特すぎる「ねるねるねるね」。
世の中には、よくわからないけど面白いものって、たくさんありますよね。
なんだかわからないのに、魅力的。なんだかわからないから、より惹きつけられる。
でも、「わからない」ことが否定的にとらえられるのが、古典芸能ッ!!!!!!

文楽について、初心者の方で、「わからなさそう」「わからなかった」ということばを口にされる方は多い。
逆に、「意外とわかった」と言う方もまた多い。
こんなにも「わからない」「わかる」に食いつかれるのは、なぜなんだ!!!!!!
わかるとかわからないとかじゃない!!!! 恐竜が猛スピードで走ってたら嬉しいだろ!!!!!!!!!! 土偶のぬいぐるみ欲しくなるだろ、私はぬいキーホルダー買った!!!!!!!!!!(すみません、正確にはハニワです。国立博物館で買いました。) 「ねるねるねるね」で遊んだことがないやつ(純粋に食用に供する)だけが石を投げろ!!!!!!!!! あ、でも、もしかして最近のヤング、「ねるねるねるね」食ったことない? 「ねるねるねるね」の仲間で、水につけて、なんかやばそうな粉をつけるとぶどうみたいになるやつって、いまもある??

と叫びたくなる、文楽に限らない古典芸能の関係者、ファンの方は多いのではないだろうか。
恐竜は細かいことがよくわからなくても許されるのに、なんで文楽はあかんのじゃ!!!! こっちも年がら年中恐竜が吼えちらかすジュラシックパーク営業中じゃ!!!!!!!!! と思ってしまう。

その「わからない」という感情を、「なんでもいいから見てみて」と否定するのはたやすい。また、「わかる」ために芸術文化を見たり、「わかる」「わからない」で芸術文化をはかるのは間違っていると告げることも、また容易である。
文楽の場合、大阪公演へ行くと、理解度まちまちな方々(←上品な言い方)がぎょうさん!!!!!!常連として!!!!!!!!!場内に!!!!!!!遊ばされるので!!!!!!!わからなくても、本当に大丈夫ではあるのだが、私は、「なんでもいいから見て」とか、「わかるわからないで判断するものではない」と言ってしまうのは、ずいぶん暴力的な行為だと思う。
なぜならば、それらは、「わからない」ことへの不安が言わせる言葉だからだ。「わからない」というのは「不安」の言い換えだ。「不安」を覚えていること自体を否定することはできない。いかに不安を解消するか、あるいは、不安を不安のまま持っていても構わない、不安になる必要はないということをいかに理解してもらうかが重要だ。
「意外とわかった」という声を聞いて安易に安心するのも、早計である。この発言が出るからには、「わからなければならない」という一種の固定観念を事前に持っていたからだ。あるいは、そのような固定観念がある業界だと思われているフシがある。

 

 

 

┃ なぜ文楽は「わからない」のか

なぜ、文楽は「わからない」のだろうか?

「わからない」というのは、なにが、どう、わからないのだろうか?
「お話のあらすじ説明」や、「芸についてのデモンストレーション解説」があれば、文楽は「わかりやすく」なるのだろうか?

何がどうわからないのかを解きほぐし、不安をもたれず、安心できる観劇体験を提供するうえで、文楽として譲歩できるライン・できないラインを見極めた対応が必要なのではないかと、最近、とみに感じるようになった。もちろんそれは複合的な問題で、いろいろなアプローチがあるとは思うが、今回は、「物語」と、その提供手法(差し出し方)に絞って書いてみたい。

 

文楽の物語そのものの「わかりにくさ」には、2つの要因があると思う。

(1)歴史的、文化的なバックグラウンドが現在では共有されていない

(2)物語展開のお約束が現在では共有されていない

いずれも、初演当時と現在との価値観の断絶によるものだ。

(1)は、シンプルなところでは、「手代」のような、近世社会の基礎用語がわからないケースや、初演時は「みなさんご存知」だった『太平記』などの当時のエンタメ常識の知識をそなえていないケースが想定される。
脚本の固定性が低いジャンル(落語など)では、これら現代では理解されなくなった事項に対しアレンジを行って、飲み込みがしやすいようにフォローしている場合がある(手代とはお店の店員さんのことです、と挟むなど)。しかし、文楽は基本的に原文ママでの上演を最重要視しているため、文章へ大きく介入するようなアレンジを行うことはできない。
とはいえ、これらの問題については、プログラム(販売パンフレット)の解説で当時の風俗、歴史的背景の補足説明がなされている場合があり、ある程度カバーができる(できている)ことだともいえる。あるいは、現在とは違う常識のある時代として、時代劇感覚で楽しむこともできるだろう。

 

解決の難易度が高いのは(2)だと思われる。ここには「時代劇感覚」は通用しない。「このあとはこういう展開になるだろう」といった予測から逸脱した展開になったり、唐突な展開に当惑を覚えるというのは、文楽の「わかりにくさ」の典型的なものではないだろうか。

たとえば、「主人公は若者ではない」という点。文楽では、一見脇役にしか見えない老人の行動や感情の動きが物語の中心になる場合がある。その場合、「一見立派に見える人物が、子供のためには体面を崩してしまう」という展開が文楽の「お約束」だ。
老父が軸となって物語が展開する演目は多く、『傾城恋飛脚』「新口村の段」の孫右衛門がその代表だろう。「新口村」は、大人になっていようとも、他家へ養子にやっていようとも、程度の低い理由で重大犯罪を犯そうとも、息子・忠兵衛はずっと「息子」のままであり、親・孫右衛門の愛は変わらないことが眼目だ。今月、第一部、第二部で上演されている『妹背山婦女庭訓』の三段目もまた、久我之助と雛鳥という若い二人の「ロミジュリ」ものに思われるかもしれないが(個人的にはこの宣伝手法は好きではありません)、実際には、彼や彼女を見守る父母の感情の動きが重要だ。中年の女性である定高、おなじく中年の男性である大判事が主役なのである。これらのような、年齢が高めで見た目が地味なキャラクターが主役になることは、現代のエンタメでは考えにくいだろう。
しかし、公演のプロモーションにおいて、これらの演目はあたかも若い男女の恋愛が主役かのように喧伝されるため、そもそも前提を勘違いして来場する方も多いのではないだろうか。この点は、制作(興行)としてもよく検討していただきたいところだけど……。

あるいは、当時の「奇抜さ」の基準がどこにあるのかがわからないために、キャラクターや展開を見誤るケース。
たとえば、『菅原伝授手習鑑』「寺子屋の段」の武部源蔵は、誤解されやすいキャラクターだろう。彼は本来、意図的に「ヤバイ」人物として書かれている。「寺子屋の段」で、源蔵は、自らの経営する寺子屋に入学してきた子供を、主君の子供の身代わりとして殺害する。子殺しを扱った浄瑠璃はごまんとある。しかし、従来の浄瑠璃で「子殺し」されるのは犯人と血縁のある実の子供であることが重要で、配偶者の連れ子などの義理の子や、乳人・乳母等の立場として預かっている子供は殺さないというのが一般的なルールである。「義理」のある関係は、浄瑠璃の「お約束」では、大切に守らなければいけない存在の優先度最上位に位置するからだ。しかし源蔵は、初めて会った子供を思いつき(?)で殺す。普通なら、源蔵にも実子がいて、その子を身代わりとして殺す設定になるはずだ。しかし、当時、そのような「身代わり」ネタは濫用されまくって「よくある話」ととらえられており、意外性をもたせるために他人の子を殺す異常行動が設定されていると考えられる。
ただ、「そもそも寺子屋のセンセイが教え子を殺すわけない(義理の関係での子殺し、身代わりは行われない)」という価値観が共有されていない現代では、脚本上の意図である源蔵の異常設定が理解されず、文楽(古典)だから異常行動をとっているのだ=文楽(古典)はわからない、と思われることが多いのではないだろうか。
文楽の王道は、本人自身が異常だとはわかっていても、社会的境遇から異常行動をせずにはいられない境地に追い込まれ、葛藤する物語である。熊谷直実(一谷嫰軍記)、政岡(伽羅先代萩)といった人物は、自らの行為の異常性に自覚的な人物だ。『菅原伝授手習鑑』なら、松王丸、千代、白太夫といった人物がそれにあたるだろう。これらのキャラクターの行動と源蔵の行動は、上記の意味では本来物語上の役割や立て付けが違うといえるのだが、混同してしまい、ドラマが見えづらく感じる方もいるのではと思っている。
これについては、『艶容女舞衣』のお園をどう捉えるかという問題も、同根といえる。あいつも、あいつ自身が異常者なだけだから。文楽がおかしいわけじゃないです(おかしいけど)。
これらのことは教えてもらってもすぐにはピンとこないため(なにしろ、教えてもらって理解できることではないので)、「わからなさ」の解決が難しいポイントではある。

 

(ただ、これらの人物や展開を一括して「わからない」と捉えてしまうことについては、近年の「感想」文化の傾向によるもの、つまり、物語への「共感」の有無で観劇(エンタメ)体験の価値をはかろうとすることによる取り違えも多くみられると考えている。要するに、「共感」こそが全ての創作物を規定する絶対的価値観だという考え方である。しかし、もともと言動に共感ができない人物像が意図的に設定されている創作物、あるいはそもそも創作物そのものも共感のために作られているわけではない場合も多い。上記の源蔵、お園もそのような「共感できない」こと自体に価値をおいたキャラクターだろう)

 

 

 

┃ 「新作」としての『曾根崎心中』の傑作性

今回、つくづく、『曾根崎心中』は、戦後文楽の「新作」の「最高傑作」なのだなと感じた。

広く知られている通り、現行の『曾根崎心中』は、初演当時の詞章・曲・人形演出が伝統的に引き継がれている演目ではない。初演(元禄16年[1703]5月)ののち断絶した演目を、昭和30年(1955)年に新規作曲・詞章改定をしたうえで復活させた、いわば昭和期の文楽の「新作」だ。伝承がなされていなかったため、曲は新規で起こし、それに合わせて文言を編集した新脚本をもとに舞台にかけられている。この好評を受け、上演が断絶していたそのほかの近松演目のいくつかが復活される流れになった。

これらの復曲のうち、特に『曾根崎心中』は、世間の絶賛や客入りに反し、内々(特に研究者や批評家)からは激しい批判にさらされてきた。「大近松」の文章を加工しているからである。しかし今回はあえて、『曾根崎心中』の編集の巧妙さについて述べることを試してみたい。

 

昭和の近松復活でうまかったのは、あくまで「古典」を装いつつ、古典ではありえない「あたかも恋愛ドラマ」に見えるよう、それ以外の要素を切り捨てた編集・演出を行った点だろう。
当時の復曲というのは、原作の全文そのままを丸々上演しているわけではない。ほぼ原作のまま残されている部分、カットされている部分が存在している。
原作のまま残されている部分というのは、「男女の恋愛パート」だ。たとえ娯楽一般からすれば男女の恋愛至上主義は手垢が付いたテーマだとしても、古典芸能(の中でも若干どんくさい文楽……)としては、新しく見えるという考えがあったのだろうと想像している。あくまで想像で、結果的にそうなっただけななのかもしれないが、特に、本来はいわゆるピュアな恋愛を描いたものではない『鑓の権三重帷子』では、純愛もの感に寄せるために結末にまで手を加えているので、相当に確信的にやっているように思える。

カットされている部分とは、初演当時の社会情勢や物語の定型が反映されている部分だ。『曾根崎心中』でカットされた冒頭の「観音巡り」は古浄瑠璃や古い人形芝居のお約束にもとづいた演出である。本来は人形の見せ場だったはずで、眼目になるべき場面だ。『心中宵庚申』で抜かれているのは、半兵衛の武家勤めの弟をめぐる衆道のトラブルという江戸時代の文化に根ざした内容。『鑓の権三重帷子』でカットされた、出奔後のおさゐの実家の家族の嘆きは、本来は浄瑠璃のお約束として最大の見せ場である、「重大事件の当事者を取り巻く周囲の人々の悲喜こもごも」だ。こちらも初演当時は大きな眼目になっていた場面のはず。ただ、当時の時代的セオリーにのっとったくだりなので、スキーマ(行間を読むための知識)がないと、よくわからない部分である。

よくよく考えてみるに、一連の近松復活でいちばんうまかった点というのは、具体的には、このような解釈なり理解度なりが大きく別れる「要スキーマ」部分を、説明セリフなどの「入れ事」によってフォローするのではなく、おもいきってバッサリとカットしたことなのではないだろうか。

その意味では、特に『曾根崎心中』は、心中に至る過程のみを上演しているという点において、「わからないところがない」、よくも悪くも、非常によくできた復曲といえる。逆に、原作通りのすべてを復活していたら、いまのような「人気演目」になっていたか、あやしいとも言える。

 

近松物の昭和の復曲とその問題点については、こちらの記事をご参照ください。

 

 


┃ 現代において『曾根崎心中』を上演する価値

『曾根崎心中』の復活から68年が経過した。復活初演にかかわった人々は誰もいなくなり、長期にわたって関与した簑助さんも引退した。『曾根崎心中』はふたたび古典の地平のむこうがわへ還ろうとしている。これからの文楽は、『曾根崎心中』をどのように位置付けていくのだろうか。

私は、出演する技芸員の技能そのものを見せる方向にいくのがよいのではないかと思う。ほかの古典と同じようには扱えない演目だからだ。
『曾根崎心中』は、主人公二人は自分自身以外に配慮すべき存在もなく、また、他者に配慮する気もまったくない。すなわち、浄瑠璃の主題であるはずの葛藤がまったくないために、話がかなり素朴になっている。この話の素朴さ(素朴すぎ具合)を補完するには、出演者の個性がなくてはならないと私は考えている。
出演者の個性=オリジナリティ、属人性というのは、復活当初にもある程度企図されていたことなのではないかと思う。三味線の作曲は、初演当初に演奏を担当した三味線弾きの得意な奏法がいかせるように作られていると聞いたことがある。また、人形の徳兵衛にしても、復活に関わった初代吉田玉男の演出意図や個性が大きく作用したうえで徳兵衛という人物の佇まいが形成されていると思う。よく考えると、あそこまで大人しくて個性がないキャラというのは近松ものにしても他にはないのだが、それでも舞台で間持ちする佇まいがよく計算されていると思わされる。三味線にしても人形にしても(もしかしたら太夫の語りにしても)、本来は属人性が高かったのではないだろうか。キャラ立ちのない登場人物や物語をカバーするには、出演者が人物・物語をなんらかの方法で「キャラ立ち」させなくてはならない。

 

 

 

桐竹勘十郎の魅力

現代の『曾根崎心中』の展開において私が注目しているのは、勘十郎さんの才能の方向性である。

今回の『曾根崎心中』は、お初の世界の物語であった。

徳兵衛を含めた他の要素は後景へ退き、世界の中で彼女だけが立ち現れている。シンプルなアドベンチャーゲームで、自分が徳兵衛になって、お初と対峙している感じ、といえばいいのだろうか。彼女とずっと対話している、彼女の話をずっと聞いているという感覚になった。正直、もうええわと思っていたこの演目に、彩りが生まれていた。

勘十郎さんの場合、簑助さん・和生さん・玉男さんのような、古典のなかに立ちあらわれる美を端的に表現する芸風とは、特性が異なっている。
あえていえば、勘十郎さんは「自分の世界」に秀でた人だろう。それをスター的と表現してもいいが、ちょっと大味なので、その言葉は避けようと思う。勘十郎さんの世界というのは偶然に/幸運に発生している天燐的なものではなく、本人の努力によってうまれているものだからだ。「自分の世界」というのは古典芸能にはそのままストレートに通用しづらい部分があり、たとえば松本白鸚のようにまったくの他ジャンルでの大きな活躍の場があれば、勘十郎さんの才能の方向性がもっといかせたかもしれない。しかし、文楽人形という芸の制約上、そのような表現の場はなかなかに困難である。自主公演やご本人が手がけた「新作」を含めて、そうだろう。賛辞は溢れかえっていても、その才能をことばに置き換え説明した言説を見ることがないのは(あるいは批判を見ることがないのは)、その才能が本来的に立ち現れる場そのものが存在していないからではないだろうかと思う。

そのなかで、「古典」らしからぬ、しかし、形式上は「古典風」に止まっている『曾根崎心中』は、実は勘十郎さんの才能をもっとも発揮できる芝居であると、私は考えている。本作は戦後の「新作」のため、お初には伝統に則った、「反則」することは許されないような絶対的な固定の演技はない。その意味では自由度は高いが、戯曲そのものは「古典の新解釈」ではなく「擬古典」であり、文楽の域を出ないため、単なる「変わったこと」は封じられている。もともと習得している技術を自然にベースに据えた上で、ある程度のオリジナルの世界をつくりだすという、そのバランスや縛りがちょうどよいのではないだろうか。人工的であったはずの「古典」の枷がよく作用している。

お初は従順さの中にも、ある方向性での自己主張があり、シンプルなストーリーの中ではその人物像を類型に堕落させずに見せていかなくてはならない。それを個性として表現するとき、勘十郎さんの持ち味のひとつで、ご本人自身が持っている素質であり、それが人形にあらわれる、自身の内面やその執着への「必死さ」が映えると感じていた。

 

ただ、今回のお初役は、これまでとは異なるものを感じた。さきほど「いた」と書いたのは、そのためである。
「必死さ」というのは前述の通り勘十郎さんがもともと持ち得たもので、お初だけでなく、お三輪(妹背山)にもみられる要素だった。そして、よくも悪くも、どの役にも同程度にあらわれている印象があった。しかし、今回のお初は、「必死さ」だけに頼っていない。

今回のお初は、これまでに比べて無駄な動きが大幅に抑えられており、ポーズや所作そのものの形を見せる指向性が見える。
勘十郎さんには、通常、意識的なのか無意識なのか、間を埋めること自体を目的化したような煩雑さがある。手癖にしか思えず、人間的な生身性(贅肉感)が感じられて苦手だった。そして、それをプラスにとらえることはできるのかというのがここ1年半ほどの私の思考だった(2022年1月大阪公演『絵本太功記』記事などご参照ください)。しかし、今回のお初では、そういった余剰が大幅に抑えられて、いかにも人形芝居のごとき作為性、あるいは前述のような人間のような雑味やノイジーさは薄れている。
私は、文楽人形の理想形というのは「あたかも生きているように見えながら、その生命は、人間にも人形にも見えない、その中間点」だと考えている。私だけでなく、文楽に魅力を感じる人の多くも、そうであると思う。勘十郎さんはそこからある意味外れている人だと思っていたが、そこへ接近しているのだろうか。

従来の役のなかでいうと、その造形は『心中宵庚申』の千代へ接近しているように感じた。もちろん千代とお初はまったく性質が異なる役だ。が、勘十郎さんにしては特異点的におとなしいながら、純粋性がよく出ていると思われていた千代の人物造形が、ほかの役にも援用されはじめているのかもしれない。

偶然なのか、物語の進行にともない、所作が省かれていっているのも、また印象的だった。「生玉社前の段」においてバタバタと駆け出てきたり、過剰に徳兵衛を覗き込む所作は通常営業なのだが、「天満屋の段」以降ではその騒々しさは抑えられ、クリアな質感になっていた。立ちあられてくる「必死さ」といっても、バタつきや力みで表現されるのではなく、動かないことによる内面の決意として表現されている。自らの恋だけしか視界にない(あるいは徳兵衛すら存在しないのかもしれない)、必死でいながら静的な佇まいは、印象的である。

 

簑助さんは、私が見ていた引退前の6年ほどの間に、おそらく体力の低下に伴って本人自身の余分な動きが減り、結果的に人形が美しく見えるようになった。これによって、高齢のベテランであるにもかかわらず、技芸が向上し、成長しているように感じられた。勘十郎さんも体力的にそろそろ同じ芸風のままではいられないと思っていたけど、まさにいまが変化のときなのだろうか。いままででもっとも簑助さんに接近したものを感じたのは、そのためかもしれない。今後の勘十郎さんには、こういった本質へのアプローチをもっと深めていってほしいと感じる。

 

以上は私がこれまでに見てきた勘十郎さんの芸との差分について述べたものだが、文楽をよく見る人でなくとも、勘十郎さんのお初の魅力は伝わっただろう。その意味では、今回の『曾根崎心中』は、まさしく初心者の方にも、常連の方にも楽しめる魅力を発していると思う。

 

 


朝顔の観察日記

以下、いつもと同じ、朝顔の観察日記のような感想メモ書き。

  • 「生玉社前の段」で、九平次〈吉田玉輝〉が登場時にくわえている楊枝の処置が変わっていた。玉輝さんの場合、これまでは楊枝を口から外したら髪に挿していたと思うが、投げ捨てに変更。投げ捨ては玉志さんもやっていた。

  • 「生玉社前の段」の灯篭、歪んどる。後方席から見たときに綺麗に見えるように作られているのか、前方席から見るとシュールレアリズム感溢れる形状をしている。最近では『一谷嫰軍記』の宝引の五輪塔も歪みが気になったが、なかなか不可思議な見た目。

  • 今回、お初が異様に目立っていたのは、お初以外の配役による要因もあると思う。配役が出たときは「勘十郎しか出とらん!!!!!!!!!」とブチ切れたが、結果的には良かった。ある意味、相手役が玉男さんじゃないから、こうなったのかもしれない。そして、玉男さんの徳兵衛のうまさもよくわかった。初代玉男とはまた違う魅力が確立されている。この個性の魅力の立つか立たないかが、本当は重要なのだと思う。

  • ちょっとした芝居でも、「なにやってるかわかるようにする」というのは、重要だなと思った。それはセンスがなすものであり、慣れている慣れていない次元の問題ではないのかもしれない。できない人はできない。(突然、仕事みたいな発言)

  • 今回のお初の朋輩女郎シスターズ〈吉田玉誉&桐竹勘次郎〉は、お互いの髪の毛直しっこなど、行動にバリエがあった。朋輩女郎シスターズは延々と小芝居をしていなくてはならないが、「おはなしクスクス」「じゃんけん」など、既視感がある所作になってしまいがち。言ってはなんだが本筋を追うだけでは飽きる場面のため、意外と客は見ているので、工夫が必要な役である。客席には彼女たちがなにをして時間を埋めているか、話題にしている人が意外といる。

  • 今回の「天満屋」の床はロセサン・清友さん。良い意味で個性のない透明感ある佇まいが良かった。情念深く演奏する人もいるが、そのようなお初の高揚した異常性とはまた別の切り口であり、「天満屋」の純粋性が表現されていたと思う。

  • そのほか、床は全般に意思が感じられるもので、非常に良かった。こうしたいという意思が感じられる演奏は、階段をのぼっていく途中のものであっても、爽やかである。

  • 今回、改めて感じたのが、『曾根崎心中』専用衣装の劇としての効果。『曾根崎心中』は昭和の復活時に衣装監修がついたため、人形たちが古典演目の常道に縛られない独自の衣装を着ている。「生玉社前の段」に登場する田舎客をはじめ、ほかの演目と比較してド派手な衣装の人形が多い。これが淡白な展開に彩りを添えている。これで衣装まで地味なら、終わっていたと思う。照明もまた古典にはない特殊な演出を含むもので、これらは通常の古典演目にも援用してもらいたいところだ。

  • 文楽劇場のサイトに掲載されている「劇評」的なものは、いったいどのような手続きで掲載されているのだろう。執筆者の個人的な感じ方はどんなものでも差し支えないと思うけど、事実誤認をそのまま掲載しているのはどうなのだろう。それなりに予算使ってやってる企画なんじゃないかと思えるのに、過去にも「この評者、実際には公演見てないでしょ」というものが載ったことがあり、かなり不思議なコンテンツである。

 

 

 

  • 義太夫
    生玉社前の段=竹本三輪太夫/鶴澤清志郎
    天満屋の段=豊竹呂勢太夫/鶴澤清友
    天神森の段=お初 豊竹芳穂太夫、徳兵衛 豊竹希太夫、竹本小住太夫、竹本聖太夫(前半)、豊竹薫太夫(後半)/野澤錦糸、鶴澤清𠀋、鶴澤友之助、鶴澤清公、鶴澤清方

  • 人形
    手代徳兵衛=吉田玉助、丁稚長蔵=桐竹勘介、天満屋お初=桐竹勘十郎、油屋九平次=吉田玉輝、田舎客=吉田玉路(代役。吉田簑之全日程休演につき)、遊女= 吉田玉誉、遊女=桐竹勘次郎、天満屋亭主=吉田文哉、女中お玉=吉田簑一郎