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文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 1月大阪初春公演『絵本太功記』二条城配膳の段、夕顔棚の段、尼ヶ崎の段 国立文楽劇場

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絵本太功記、二条城配膳の段。

六月朔日。二条城には、伝奏の浪花中納言兼冬〈桐竹亀次〉を迎える饗応が執り行われ、小田春長〈吉田文司〉、森の蘭丸〈吉田玉翔〉、武智光秀〈桐竹勘十郎〉が集まっていた。光秀が中納言を案内して座を立つと、春長は蘭丸を召し寄せ、逆意の疑いある光秀の本心をそれとなく探るよう言い渡す。
蘭丸は御膳を運んでいた光秀の息子・十次郎〈吉田玉佳〉を呼び止めてイチャモンを吹っかけるが、そこへ光秀が来かかる。蘭丸と光秀が口論になっていると、春長が戻ってきて光秀を引き据える。春長は光秀の饗応の不手際を詰り、蘭丸へ罰の打擲を命じる。蘭丸に鉄扇で打たれた光秀の額には傷ができるが、光秀はそのままやり過ごし、かねてよりの諫言を口にする。これによって春長はさらに怒り、武智父子の追放を命じるのだった。

なんだろう……。この「正月だから親戚集まりました」感……。
配役にユニークな方々が集結しているせい……???

 

蘭丸は凛々しい雰囲気。春長との密談、十次郎や光秀へのいちゃもんつけなどは若武者らしい生真面目な苦味があり、キリリとしている。ただ、浪花中納言が出ている部分だけホニャッていた。短い段で脇役がバラバラするとわけわからなくなるので、意図がないなら最初からキリッとしていてほしいところ。

この段、ぶっちぎりでターンの所作が上手いのは蘭丸。十次郎はターンしないので別として、本来なら光秀が一番綺麗にターンして欲しいところ。前々から不思議に思っていたけど、先代玉男師匠のお弟子さん方はなぜ全員ターンが上手いのか? たまに上手すぎて役の性根に合ってないくらい、上手い。一番末っ子の玉翔さんでも、番付はるかに上の人より、上手い。先代玉男師匠の一門の人は、上手を向き左手を高く掲げて全身で突き上げる動作(型のはずだが、名前がわからん!)も、全員、もれなく上手い。横向き系の姿勢について、師匠がよほど強く指導していたのか? それとも、師匠のこだわりを個々人がそれぞれ感じ取って見習った結果、全員が上手くなったのか?

蘭丸が腕を組んでいると、能が4番くらい進んでいくのが面白かった。昔の能はいまより速度が速かったとはいうが、随分長いことじっとしとるやっちゃな。
あと、蘭丸が持つと、鉄扇でかいな。いや、小道具のつくりとして人間用よりわざとでかくしてあるらしいが、人間が鉄扇を使う機会って、いつ?

 

光秀〈桐竹勘十郎〉はこの時点では特に見せ場なし。大紋の特殊な脱ぎ方や姿勢があるため、袖の扱いが大変そうだった。

 

「二条城配膳の段」は今回初めて見たが、突然ここだけ切り出しても意義がよくわからないという印象だった。「尼ヶ崎」につながっているでもなし(光秀が“敵対”しているのがいつの間にか春長から久吉に移行しているの、わかりづらくないですか?)、文楽劇場独特のファンサなのだろうか。

 

 

 

夕顔棚の段〜尼ヶ崎の段。

突然だが、勘十郎さんの立役、武将などの大型の人形に対する評価は、納得いくものがない(本当に突然の勘十郎激重勢)。人物が大きいとか、それは勘十郎さんの個性ではない。誰が配役されても共通する、その役自体の特徴だ。そういう評価が兼ねてから疑問だったので、今回は長くなりますが、私が感じていることを書いていきたいと思います。

 

私が考える勘十郎さんの光秀の最大の特徴は、「等身大ぶり」にあると思う。
基本的には、動きそのものは全体的にラフながら、決めるところはしっかり決めるという遣い方。ただ、その中に、細かい動作の挟み込みが非常に多い。細かい動作の多さ、その率直さと即物性が、光秀の心の動揺の大きさとなり、等身大の人間として映っている。ある意味での、子供のような雰囲気。若く見えるという意味ではなく、いくら大人になって彼自身の家庭があろうとも、あくまでさつきの子供としての光秀の姿が見える。

たとえば、さつきを刺した後、嘆く操・初菊から離れ、屋体下手で座ってからのリアクションが非常に多い。頻繁に首をひねって、さつきや操らのほうを振り向いている。以降でも、光秀は座り姿勢の芝居が多い中、重心が存在せず、止まりかけのコマのように動きの支点が尾骶骨あたりにある動きのため、振りかぶりが大きくなり、軽いリアクションでも大きな動きに見える場面が多くみられる。

人形は、動かずじっとしていると、鉄石の意思を持っているように見える。だがこの光秀は逆だ。演技の「多動」性によって、光秀が大きく不動の孤高の武将ではなく、周囲の動向に引きずられる存在であるように見える。人形はデッケェわりに彼が普通の人間であることが、私は、勘十郎さんの光秀の特徴で、ほかの人にはない個性だと思う。
時代物の武将役は「大きな人物」だから「大きく」あらねばならない、と、思われている。しかしこの等身大性は、光秀vsさつきの対決としての「尼ヶ崎」として、この演目のひとつの解釈になると思う。現代に「尼ヶ崎」を受容するうえで「光秀はさつきの子供である」という視点は重要で、それが予期せぬ形で実現されているのではないか。

この「等身大ぶり」には、意図的な部分と、ご本人がやろうとしてやっているわけではない部分で構成されていると思う。
まず書いておきたいのは、いずれにしても、勘十郎さんは熟考の末、芝居をやっていると思う。有名な演目だという芝居としての「わかりやすさ」、さらに、継ぐべき「荒物」らしさを考慮するがゆえに、結果として本人が意図せぬ「率直さ」が強く出て、「等身大ぶり」につながり、人形が人間へ接近しているのではないか。

おそらく本人の意図であろう面の率直さは、「みどり上演」用の芝居としてやっているからだと思う。
ここだけ切り取って見た場合の「わかりやすさ」。「わかりやすさ」というのは、以前にも書いた、勘十郎さんには歌舞伎志向があるのではないかということと関わっている。大望のために母の期待を裏切り、家庭を失う悲劇の英雄にピンスポットを当てて描こうとする役者主体性、ドラマチックさへの志向が強い。そのための、誰にでもわかる(気付く)ようにするための大ぶりな演技、有名な演目への期待に応えるためのもの(=光秀のリアクションの多さ)が大幅に添加されているのではないか。言い換えると、「もともと話の内容を知っている人向けの演技」のように感じられた。
また、「みどり」性のひとつとして、光秀が「尼ヶ崎」に至るまでの段で懊悩、決意してきた過程は省かれているように感じる。これは2020年夏の大阪公演での『仮名手本忠臣蔵』七段目(祇園一力茶屋の段)での由良助にも感じたことだ。上演される段単独での見栄えを最大化するように演技が構成されているのではないかと思う。複雑性を回避するため、意図的に排除してるのでは。「現在の文楽は、一体、誰に向かって演じられているのか」という疑問を投げかけてくる遣い方で、興味深い。

私が興味を感じるのは、意図しない部分。作為的な「手数」が、役を「等身大」に見せているような気がする。
いわゆる「荒物」的な動きの多さが、かえって人間らしい落ち着きのなさとなっている。これが見え方の核心だと思う。「荒物」らしさがもたらす「等身大」らしさについて、今回、ノイズの多さもそうなのではないかと感じた。ラフな動きでリアクションを過多にする、そしてそこにブレが発生する、これが生身の人間の役者と同じくらい、余計な情報を人形に付随させる。古い人形芝居らしさと思われていた「荒唐無稽」が細切れになり、ノイズ化することによって、かえって「生身の人間」に近づかせているような……。和生さんや玉男さんは雑味のない清澄さが芸風だが、勘十郎さんはこのような「濁り」に特徴がある。私はここをとらえたい。

それにはまず光秀は「いわゆる荒物」でないといけないのかという論点があるのだが、勘十郎さんについては、そういう論点が発生しているんじゃないかということ自体が興味深いんですよね。勘十郎さんの光秀は、すごく作り物っぽい。勘十郎さんは、こういう頭で考えたような芝居って、女方のときにはやらない。たとえばお三輪だとか八重垣姫は、ご本人の内面からそのまま飛び出てきたような純度の高いストレートさ、感性そのままを思わせるものがある。作り物ではない。男性の役だと、本蔵も、本人の内面がそのまま露出したようなプリミティブさがある。それらの役も手数は多いんだけど、手数の多さと人物の感情過多とが一致しているので、違和感がない。彼女ら彼らは人の顔色を見ていない。
なぜ武将系の大型の立役でそれがなし得ないのかというと、時代の風潮=初代吉田玉男が確立した人形演技への抵抗や逆張り、勘十郎という名前を負う責任としての「荒物」らしさを考慮することが、ストレートさを阻害しているのではないかと思う。光秀自身の懊悩よりも、本人の懊悩が全面に出ている気がする。
勘十郎さんは、特に男性の役で手数が多いことに関して、自分で「つい動いてしまうんです」と発言することがよくある。そういう発言をされるのは人の目への意識、お父さん(先代勘十郎)から引き継いだ役を構成する技芸自体が、現代文楽ひいては文楽歴史の文脈としての評価や定着につながっていないことを意識してるからだと思う。「荒物」への単純な懐古ではなく、その現代性を探しているのではないだろうか。手数が多いことそれ自体は、別にネガティブなわけではない。それを批判的に捉えるのだとしたら、立役に絶対的な評価を確立し(てしまっ)た初代吉田玉男の影響ではないかと思う。勘十郎さんは、手数が多い芝居に、屈折と愛憎があると思う。勘十郎さんはそこがむき出しで、惹かれるものがある。

以上、いろいろ書いたが、勘十郎さんがやりたいことは(手前勝手に)よくよく感じ取れた。ただ、今回の場合、床にかなりどうかと思うものがあり、舞台トータルとしての光秀個人のドラマチックさは実現できず、そこはかなりかわいそうだと思った。先日の「神崎揚屋」の感想に書いた通り、即物的で細切れの芝居をする以上、ドラマのうねりの描出は義太夫の演奏のうねりに大きく依存するからだ。

後半十次郎が戻った後、下手船底へ移動してからの光秀は座り姿勢が低く、かなり深く腰をかけていた。大型の武将の人形の場合、スタンバイ姿勢のときは膝よりやや高い位置に腰がくるように構える人が多いと思う。今回の光秀は膝とお尻の位置が平行に揃うか、お尻を引いた形で膝よりもやや下がる、腰が低めの位置でのスタンバイ姿勢。プラスに見れば、この座り方で重みを出したいということかとは思う。ただ、最後に陣羽織に衣装を改めて登場する久吉は座っていても人形の位置がかなり高いので、久吉のほうが人形が大きく見えて、損をしている。単純な話として、人形を差し上げ続けるのが大変なんだろうなと思ってしまった。そして、全般的な人形の不安定さをどこまで個性と捉えるかは、難しいところだ。

 

光秀vsさつきの物語として「尼ヶ崎」を成立させているのは、いうまでもなく、さつき〈桐竹勘壽〉の、光秀に劣らぬ人間としての大きさだ。
勘壽さんが非常に秀でた人だからこそ、舞台が成立していると思う。さつき、まじでヤバババア。さつきの光秀への批判は、操が光秀を批判するのとは全くもって根本からして考え方が違う。操には「考え方」はないですかね。彼女は感情で批判しているわけで。そして、さつきは、「自分が死んだら社会的な問題が解決するので自己犠牲で死ぬ」のではなく、すさまじく強固な意思のもとに、自身の怒りと真剣な諌めを表現するために、つまり自分と息子一対一の勝負のために死ぬ。そこが本当にすごい。異様。覚悟の次元が操や初菊とはまったく違う。それでも本当は子供かわいさに、自分が強固に信じている価値観の中でもなんとか光秀が許されることを願う。「尼ヶ崎」で人間の意思と感情の相克をもっともドラマチックに象徴しているのは、さつきだと思う。

勘壽さんの場合、その性根を見せるまでが良くて、「夕顔棚」の段では、上品でちょっと厳しい綺麗なおばあさん。家から出て、庭に降りて、夕顔の鉢植えにジョウロでお水をあげているあいだに操〈吉田簑二郎〉と初菊〈桐竹紋臣〉が訪ねてくるのだが……、なんか、さつきが心配になって、さつきから目が離せない……。おばあさんの動きとして、リアルすぎて、異様に気になる……。こけたら大変……。見守らなくては……と思ってしまい、操と初菊の、人形の演技で一番重要なはずの出を、見逃す……。

そして、刺されてからの演技が、やっぱり、ちゃんとしてますよね。
人形浄瑠璃は時代が下るにつれ、やたら登場人物がワラワラ出てくる傾向がある。そのワラワラしている奴らが入れ替わり立ち替わりしてくれればいいんだけど、引っ込まずに舞台の上に留まる。今やってるやり取りになんにも参加してないのに、「何もしてへん」奴らが、おるわけですよ。30〜40分くらい何も喋らんやつが! 昨年2月ロームシアター公演の『木下蔭狭間合戦』を見て思ったのだが、その「何もしてへん」奴をどう処理するかは、大問題。ロームシアター の『木下蔭』はそれに失敗していて、戯曲自体に問題があるにせよ、演出の検討も演者の力量も足りず、かなり不自然なことになっていた。でも、そのとき、舞台を見ながら、『絵本太功記』だと、さつきが刺されてからずっと「何もしてへん」にも関わらず、さほど不自然じゃないよなあと思った。とはいえ『絵本太功記』がいついかなるときも絶対的にそうだというわけではない。さつき役を近年頻繁にやっている勘壽さんが、「何もしてへん」時に「「何もしてへん」わけではないから、舞台として成立していたんだなと実感したのだ。
なので今回、前のほうでみんなが大騒ぎをしている間、さつきを注視していたのだが、さつきは基本的に「ウウウ」となりながらブルブルしているんだけど、他の登場人物の感情が大きく動くときは、一切関係なくても一緒に大きくガクガクブルブルしている。これがおそらく、さつきもその場の参加者である雰囲気を出していて、「何もしてへん」に堕しないのだろうなと思った。あとは、話が後ろへいくほど前かがみになっていくのも上手いと思った。それ自体はわずかなことだが、さつきには最後に息子への思いを語る見せ場があるため、体の起こしなどのリアクションが大きくなり、さつきの情動がドラマとして引き立つ。

なお、さつきの言っている「寡婦暮らしの楽しみには、夕顔棚の下涼み」というのは、「楽しみは夕顔棚の下涼み 男はててら女はふたのして」という当時有名だった歌からきていて、庶民の何のしがらみもない安楽を象徴しているそうだ。さつきがいくら望んでも得られないことだ。
また、さつきの「さつき」という名前も、光秀が本能寺の変の直前に行った連歌の発句「時は今あめが下知る五月かな」からきているもので、初演時の客はネタ元を知っていたようだ(この発句自体がほかの太閤記ものの浄瑠璃には出てくる、ただし『絵本太功記』には出てこない)。
当時みんな知っていても、いまではまったく伝わらなくなっていることがたくさんあるなあと思いました。(知性一切なし感想)

 

簑二郎さんの操は、演技の生硬さが抑えられていた。しかし、緊張されているのかな。平生の芝居とクドキの落差が著しく、人形に、「自分の……見せ場……!」という緊迫感が……。「待ってましたーーー!!!!」とはしゃぐタイプの人とは違って、ちゃんとしなきゃと思いすぎている感じがする。普通の演技のところはいいのに、クドキが義太夫にベタ付きにすぎるのは、そのせいだろう。操の気持ちに寄り添ってることは間違いないので、もったいないところ。ご本人の性格もあると思うので、複雑ですが……。

紋臣さんの初菊は、以前拝見したときよりかなり良かった。まず目線の的確さ。常に十次郎を「じーっ……」と見ている。十次郎のことで頭がいっぱいなのね〜……。こういう若い女の子、いるよね〜。彼氏をずっと一生懸命見てる子……。と思った。納戸へ引っ込むときの十次郎を気にする目線、鎧姿に改めた十次郎にすがりついて見上げる目線、十次郎の出陣を見送るときの遠い目線。紅潮した頰にウルウル目で、十次郎をじっと見ているのがよくわかる。
なぜこのような目線が目立つのか。細かい所作を抑え、動きを至極シンプルにもっていったからだと思う。本来手数が多い人だが、意図的に動きを減らそうとしているのではないか。芸歴的に今の時点でゴチャつきを排除したのは覚悟が決まっている。なぜそうしようと思ったのか。なめらかさという意味での洗練性は今後の課題だと思うけど、ほかの人の左では達成されていることだから、緊張がなくなれば、かなり早期に改善できるんじゃないかと感じた。

操も初菊もだけど、舞台写真になるような、「絵」にしなくてはならない極めの部分は、みんな緊張して硬くなるのねと思った。ポーズを決めようとする(衣装の整えを含め)ために動きが不自然になるのは、慣れがないとどうしようもないと思った。芝居の流れとして見ていると、文楽では別に拍手待ちするわけでもなし、変にかしこまった「止め」になるほうが違和感あるので、気遣いのしすぎは単に不自然に映ると思った。
最後、久吉の出のところで操がそっとさつきに話しかけたり、初菊も十次郎に話しかけている(十次郎がびっくりしている)のが可愛かった。

 

玉佳さんの十次郎はやや幼く、ピュアな雰囲気。玉佳さんよりお若い玉勢さんが十次郎やったときよりも、「さっき生えたての、若葉……🌱」って感じがするな。前半は柔らかい雰囲気自体が目を引くので、鎧姿に改めてからの美々しさや悲壮さが引き立つ。特定の演技よりも雰囲気自体で見せていけるのは、良い。
流れの把握や慣れの問題なのだろうと思うが、演技の強弱のコントロールが上がれば、より十次郎の内面表現が深まると思った。冒頭、嘆く初菊をたしなめるところで、扇子を強く打ちつけすぎて、そこに茶色くてテカテカヒコヒコしててカサカサ動くみんながあんまり好きじゃない虫さんがいるみたいになっていた(失礼)。なによりも、軍物語はもっと明確にメリハリを強くつけて欲しい。
十次郎は人形自体は良いのだが、十次郎の重要な見せ場となる冒頭部分、軍物語といった部分の床がどうしようもないことになっており、とても残念だった。玉佳になにしてくれんねんと思ったよ……。

 

久吉〈吉田玉志〉。冒頭、旅僧の姿で現れるところは、割と武将の正体を匂わせた、というか、かなり「大人の男性」感がある、硬めの雰囲気の僧侶。玉志さんはもっと気さくな軽い雰囲気でくるかと思っていたので、少し驚き。久吉は出てきてすぐにさつきハウスの前でクルッと回るけど、あれ、オチャメムーブじゃなくて、周囲を警戒してるってことね。「お邪魔しまーーーーーす!!!」って感じに上がり込んでたが、女三人世帯で、ああいうの、家に上げたらあかんと思う。全般的に人形がややがっしり見えるように構えていて、一家の嘆きの中、お風呂沸きましたよっ!と手を拭きながら再度出てくるときも、下男風にならないようになっていた。かしらの動きが軽くないのがしっかり見える理由だと思った。
二度目の出、「三衣に替わる陣羽織」で武将姿に改めて出るところは、キラキラしたハマりぶり。玉志サンの久吉、今回初めて見たのに、「知ってた」感があった。キラキラしとる。しかも、キラキラの粒、でかめ。あのキラキラは一体どこから湧き出てくるのかと思うが、今回、勘十郎さんの光秀との比較をみると、姿勢だなと思った。背筋をややそらしているようにすっくと伸ばした姿勢、人形の位置を高めにすることによる下半身の見え方の綺麗さ(太ももを中心とした下半身にたるみがなくなり、自然に足がおろせて足が長く見える)によるものだと思う。そうなんだよ! 足が長く見えるんだよ!! なにその現代的感性!!!
最後、光秀と久吉が同時に手をくるくる回して同じ演技をするところが2回あるが、久吉が後ろにくるときは、玉志サンは光秀を見てタイミングをはかっていた。あの動き、光秀・久吉両方の役の人がしっかりしていないと、タイミングが揃わず、何やってるかわからなくなるよね……。と思った。段切でまた同じ演技になるときは、久吉が下手船底に降りるので、そっちは自分のペースでやっていた。
爽やかで美麗な久吉で、若い人が光秀をやるときに、また久吉やってあげて欲しいと思った。

 

床は「夕顔棚」〈豊竹藤太夫/竹澤團七〉が一番良い。
さつきと近所の衆の和気藹々とした雰囲気、操と初菊が訪れた部分でのさつきの描写が、一見彼女の悟りの境地であるかに見えても、所詮かりそめのものであることを感じさせた。さすがベテランで、近年の上演でほとんどの若手演者が失敗していた部分(「夕顔棚の下涼み」の高音)も自然に演奏されていた。

「尼ヶ崎」は、残念なことが多かった。
前〈豊竹呂勢太夫鶴澤清治〉冒頭の十次郎が物思いに耽る部分、扁平すぎではないか。声量が均一すぎるのか、料理されていない感じ。発泡スチロールのトレイに乗ったサクを出されたかのような感覚だった。刺身にして欲しい。一体なぜこんなことになっているのか。
奥〈豊竹呂太夫/鶴澤清介〉は、やたらゴチャゴチャいろんな色を塗りたくることなくまとまってるのはさすがベテランだと思うが、この演目、声量がないとどうしようもない。初日はハッキリやらなければいけないところだけピンポイントでハッキリしていたのでまあいいかと思ったけど(よくないけど)、二日目はメリハリもなにもなく、本当にがっかりした。このあとどうにも改善ができないものを聴かされるのは、しんどい。


ところで、妙見講に集まってきてるツメ百姓のまんなか2人。いましたよね、平安時代の芹生に。と思った。
ここ2年、リアル人間にあまり会わなくなってきたので、ツメ人形が知り合いかのような妄想を抱いている。このツメ2人なんか、ヘタな人間の知り合いよりも頻繁に会っている。やばい。

 


↓ 2018年6月大阪鑑賞教室で『絵本太功記』が出たときの感想。このときの玉男さん久吉、玉志さん光秀の回は本当に良かった。

 

 

  • 人形役割
    浪花中納言=桐竹亀次、尾田春長=吉田文司、武智光秀=桐竹勘十郎、森の蘭丸=吉田玉翔(前半)吉田簑太郎(後半)、武智十次郎=吉田玉佳、母さつき=桐竹勘壽、妻操=吉田簑二郎、嫁初菊=桐竹紋臣、旅僧実は真柴久吉=吉田玉志(前半)吉田玉助(後半)、加藤正清=吉田玉延(前半)吉田簑悠(後半)

 

 

 

番組編成、実際の舞台ともに、なんだかフワッとしていた。

「二条城配膳」から「夕顔棚」にいきなり飛ぶと、光秀が手前勝手な遺恨ゆえに信長を討った悪人、逆賊に見える。実際、さつきはそう思ったがゆえに家出したのだろう。次は「妙心寺」「夕顔棚」「尼ヶ崎」で観たい。

配役に関しては、人形が全員真面目にやってるけどなんだかパラけてるのは、そのうちまとまってくのかなぁ……と思った(観劇は初日・2日目)。ただ床に関しては、いろいろ事情はあるのだろうが……、本当に、どうなのか……。人形はともかく、床はなんでこの演目でこういうことになっちゃうんだろう。コロナ禍でなくとも上演可能なレパートリーが減少しているなかで、一応「できる」ということになっている演目、しかも文楽を代表するような曲でこの状態というのは、どうしたらいいのでしょうか……。

そして、人間って、やっぱり、歳をとって、衰えていくんだなあと思った。当たり前だけど、今回は、それをもろに目の当たりにした気がした。

なお、今月のプログラム掲載技芸員インタビューは、宗助さんだった。宗助さんは、実は結構「スゴイ」というか、「ヤバイ」人なんじゃないかと思うんですが、どうでしょう?