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文楽 和生・勘十郎・玉男三人会 第二回『恋女房染分手綱』重の井子別れの段『伊賀越道中双六』千本松原の段 紀尾井ホール

 

紀尾井ホール主催公演、吉田和生・桐竹勘十郎吉田玉男の三人を主役に据えた三年連続企画。2年目の今年は、勘十郎さんの回です。

公演タイトルが「三夜」から「三人会」に変わったのは、開演時間が夜じゃなくなったからだそうです。(突然のおおざっぱ)

 

 

 

『恋女房染分手綱』重の井子別れの段。

三吉=勘十郎さん、重の井=和生さん、本田弥三左衛門=玉男さん。

勘十郎さんは、若かったころの、人形を遣うのがただただ楽しかったときの気持ちを忘れていないんだなと思う。
三吉は、あらゆる意味で、「子供」の芝居じゃないよね。
子供ながら一人前に「営業」する馬方である三吉には、基本的な動作に紛れさせた細かいおませ(というかオヤジ)演技が多い。若いころ三吉がきたときにはできなかった細かい所作も、いまなら思い通りにできるとでもいうように、細かいところまできっちりこだわった所作だった。変に悠々とした身体の取り回しなどの大人ぶったオヤジムーブが各動作の末尾にあるため、必然的に動作の末尾までキッチリ立たせることになる。ちょっと得意ぶったおこちゃまオヤジは都度の端々がオッサン臭く、オッサンいてはるわっ!!!って感じだった。
おませ演技だけではない。たとえば、三吉のいかにもな下々(しもじも)な格好を見て、「ほんに氏より育ちぞと」と重の井が密かに涙をこぼすところ。しゃがんだ三吉の背後に立った重の井が涙を落とすたびに、三吉は頭に水が当たるのにびっくりして、ぴょこんと飛び上がる演技をしていた。やがて自分の頭を撫で、濡れていることにまたびっくりして、離れていく重の井を見上げる。細かい芝居だ。頭に涙が落ちるくだりは、本来なら背後にいる重の井を見ていないと彼女が涙を落とすタイミングはわからないはずだ。しかし三吉は前を向いているので、人形遣いも前を向いていなければならない。おそらく、重の井が目を閉じる「ぱちん」という音を聞いて、三吉を反応させているのだと思う。(というか、ここ、そういう見せ場を作るために、演奏なども本公演よりちょっと強調してる? 単なる人による違い? 三吉の涙にびっくりする演技自体は本公演で若手が配役されてもやっていることだが)
この「細かいところまでこだわった」というのは、曲者でもある。細かい所作が肥大化しているため、段を通して観ると結果的に三吉の動きの強弱がなくなり、均一化して、重の井に抱きしめられるくだりなどの一番の盛り上げどころが埋まってしまう。また、非常に説明的になるため、そちらの解釈自体に目が行き、三吉の拙さ、けなげさが消えてしまう欠点もある。本公演でそもそも拙くけなげな動きしかできない若い人に三吉役がいくのは、こういう理由もあるのだろうなと感じた。仮に本公演でこれと同じようにやったらアウトだろう。でも、外部公演で、「わかっている」お客さん相手に、自分が冠の公演ならできることで、そういう意味でスペシャルな公演だった。
勘十郎さんには、立役でも少し女方っぽい動作が混じることがある。たとえば、胸を強く張り出して反り返る態勢(女方なら海老反りにあたるような姿勢)。5月公演『夏祭浪花鑑』の団七にも類似の体勢がみられたが、三吉は人形のサイズが小さいからか、かなり顕著で、娘役のようだ。はじめのほう、お屋敷の左右を見回して、腰のうしろに手を当てて軽く体を振るところとか(これなにやってんの?帯直し?)、かなり女子っぽかった。
足拍子の音量の判断は、若干混乱しているように感じた。音量がすべて均一化し、「千本松原」の十兵衛よりも大きい状態になっていた。会場の音響が微妙なため、「いつもと同じ音」が出ているか不安で、全部を強く踏んでしまっているのだろうか。重の井は普通に大小の区別をつけていた。

 

重の井は、和生さんのお母さん感が炸裂していた。
かしら自体は、和生さんが政岡などにも使っているものだと思うが、いつもよりちょっとぷっくりした雰囲気に見える。もっちりやわらかそうで、甘い匂いがしそうな感じがいい。三吉ならずとも、抱きつきたくなる。スポンジケーキとクリームを求肥で包んだ、どでかいいちご大福のようだった。(女性の手のひらサイズで、ドーム状の入れ物に入っていて、冬や春にコンビニやスーパーでもよく売られているやつ)
重の井は、手元の演技も「ママ」だった。三吉の手をとったら、ちゃんとおひざに直して位置を確認してから、自分が下がっていた。寝かしつけをしていて、子供の手をふとんにしまってあげるお母さんのようだ。また、三吉を下手側へよけさせて離れるときに、三吉の左遣いの人を(重の井ではなく和生さん自身の手で)軽く押してあげていたのが、ちょっと面白かった。早くよけなさいという合図?
ただし、重の井は、ママばかりの役ではない。母の顔と乳人の顔を行き来する女性だ。乳人の顔になったときは、所作がしゃっきりする。それでも三吉のことを思って泣いてしまうのだが、子供から目をそらし、懐紙を口元に当ててからしばらく耐え、そして目を閉じてぽろりと涙をこぼすのが、なんともいえない品をたたえた大人の女性のたしなみらしくて、よかった。彼女のおおきな目が涙で潤んでいるようだった。
ところで、和生さんは、袖を振るところなどで左の演技に目を光らせていた。重の井の左の方、最近の和生さんの大役についている人だと思うけど、和生さんの動きに的確に合わせにいって、急激な姿勢の転換もきっちりこなしており、うまいよね。足も、人形の全身として動いている。和生子育ての成果?
それにしても重の井、近くで見ると、めちゃくちゃデカい。この会場は客席とステージがわりあいに近く、ステージの高さも1mないようなところなので、最後に重の井がステージ手前のキワに出るところは、かなり迫力があった。

 

この演目、「道中双六」がないほうが面白いと思った。今回は、館へ三吉がやってきて調姫たちと道中双六で遊ぶ前段「道中双六の段」は省き、姫が出発の準備にいそいそ立ってゆく「重の井子別れの段」から上演していたが、このほうが重の井と三吉の話が際立つ。本公演で頭から観たときはずいぶん冗長な話だなと思ったけど、そういうかったるさがなくなっていた。

ただ、こうしてしまうと、全身真っ赤なジジイ・本田弥三左衛門役、玉男様は完全に「誰?」と化し、出番が全然なくなってしまっていた。座っているのが仕事、状態。平成期の深夜バラエティ番組の「なんかよくわからないけど背景ひな壇にいるミニスカおねえさん」みたいだった(ワンダフル)。玉男様にしては痩せたジジイだったが、なんか、身長は176cmくらいありそうだった。

 

三吉が最後に歌う「坂は照る照る、鈴鹿は曇る」という歌、私はまったく知らない。もとの歌われたシチュエーションや歌の情景がピンとこないので、舞台で聞いても、正直、まったくなんの感慨もない。ただ演技や演奏がうまいなとか、情緒があるなと思うだけだ。でも、この歌が知られていたずっと昔は、この演目の捉えられ方は違っていたんだろうなと思う。

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↓ 参考 2021年4月大阪公演のあらすじ付き感想。重の井=和生さん。

 

 

 

伊賀越道中双六、千本松原の段。

平作=勘十郎さん、十兵衛=玉男さん、お米=和生さん。

勘十郎さんはやっぱり、お父さんの芸を大切にしているんだなと思った。記録映像で観た二世勘十郎の平作に似ている。いや、似せている。
変な話、ここまで平作をヨボヨボに遣ったら(特に出)、いまどきちょっと嫌らしいじゃないですか。上品下品の問題じゃなくて、ここまで老衰している70歳はいまでは少なく、違和感があるため、「志村けんが昔やってたおばあちゃんキャラ」のごときギャグになってしまう。今回のように前の段での平作の日常描写がないと特に。しかし、二世勘十郎のころは、こういう老人の表象が普通で、また、こういう老人がいっぱいいたのかなと思う。それをあえて再現している気がする。
勘十郎さんは、本人の中で迷いのある役や板につかない役の場合、答え合わせ要望や、なんかやってる感要望に付き合って、「サービス」としてわざとあざといことをしているのかなと思うことがある。しかし、平作は、お父さんへの敬意や思慕からこうしている気がする。だから、じじい役なのに、無心に親の真似をしてわたわたしてる、ちいさなこどもみたいだと思った。ためにする芝居になっている三吉よりも、ある意味、純粋さがあると思う。
切腹してからの演技は、勘十郎さんの自分テイストになっている。ヨボヨボしておらず、むしろ切腹したあとのほうが元気に見える。段の中での役の人格統一という意味では乖離が起こっているが、これを「かまわない」と判断するのが勘十郎さんという人だよなと思った。そういう意味では、三吉とおなじく、外部公演ならではの味わいだと思った。
三吉とは違って、平作は今後本役としてくる可能性はあるから、また見られるかもしれないけどね。
平作のかしらには、額などに汚しが入っていた。これは、オリジナルの化粧の注文なのかな。

 

十兵衛をよく見ていると、本心を言っていないとき(印籠は落としものだから持っておいてほしい等)は、平作に目を合わせない。真面目に喋っていても、少しだけよそを向いている。しかし、印籠などの大切なものは、丁寧にしっかりとお父さんの手に握らせてあげている。人形同士というより、人形遣い同士がきっちりと小道具を受け渡ししあっていた。お金なり印籠なりは、十兵衛と平作では価値の重さや意味が違う。それを重要に思う平作の気持ちに寄り添っているのかなと感じた。もちろん、自分が息子だと言ってからは、十兵衛はお父さんのほうを必死に見ていた。
玉男さんが十兵衛を遣うと、なんでもないはずの源太のかしらが絶世の美男子に見える。本公演で出たときもそれが不思議だったが、やはり遣い方なのかな。人形の顔立ち以上の美貌が滲み出ている。優しげで誠実そうで、しかし「大人」で、文楽で一番のいい男だと思う。こういう役は、テクニックでは押し切れず、やはり遣っている人の持っているものが出るのだと思う。見ていても、十兵衛の細かい所作がどうこうといった「採点対象」的なものは見えてこず、ただただ、十兵衛の人柄だけが見えてくるようだった。玉男さんは、所作のパーツに意味があるのではなく、芝居の流れの総体に意味があるからだ。
十兵衛もまた、重の井と同じように、ぱちりと音を立てて目を閉じるくだりがある。静かな会場に彼が目を閉じる音が響くと、そうだった、この人は人形なんだった、と思い出した。

 

お米は和生さんらしい大人っぽい娘さんだった。おしゅん(近頃河原の達引)と近い感じ。しゅっとした美人。「平作内」を抜いているため彼女が何者かわからず、なんか後ろのほうに唐突なべっぴんさんおるな???という感じになっていた。

 

錣さんのジジイ感はすごい。シャレにならないほど平作になっていた。津太夫師匠の「沼津」と比べてもすさまじいジジイぶりで、うーん、津太夫より小汚いかもしれん。めちゃくちゃ、良い!!

 

十兵衛は本当にいい人。大人になっても、自分は大人になれてないんじゃないかという人が夢見る大人。そして、お父さんとの関係も、どんな人にとっても夢のよう。人間の最後の夢がつまっている。やっぱり、沼津はいい。と思った。

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↓ 参考 2021年9月東京公演のあらすじ付き感想。十兵衛=玉男さん。

 

 

 

座談会。

最後に座談会。舞台上に椅子を並べ、下手から勘十郎さん、玉男さん、和生さんの順で着席。いちばん下手のサイドに司会の児玉竜一氏が座り、三人に話を聞くという形式。
以下、お話の概要。話の順序などは適宜とりまとめ、編集を行っています。

 

役・演目について、参考にしている人について

勘十郎 『恋女房染分手綱』の三吉は子役なので、普通は若い人が遣うが、簑助師匠も70を超えてまた遣いたいと言っていた役。実際、それなりの人、先輩がつく場合もある。自分はいままで2度やっただけで(昭和55[1980]年 2月国立劇場、昭和56[1981]年 1月朝日座公演)、今回が42年ぶり。そのときも子供だったわけではないですけど(計算すると28歳くらいのとき?)。その後、巡業でも遣っていない。
(司会より「勘十郎さんの三吉は子供というより“小さな大人”ですね」と言われて)小さななりだが、大人の仕草がちょこちょこ挟まっている。
『伊賀越道中双六』の平作は若いころから来ていた役。いつも言うてるんですけど、切腹してからが楽しい。息遣い、背中が動く。それを見せるのが楽しい。
(司会から、今日の演目設定では、子供から70歳のおじいさんまで、ずいぶん年齢の幅がありますねという旨を振られ)よく考えてあるでしょう〜!?

和生 『勧進帳』やると言い出すと思っていたら、そこ(重の井子別れ)きたかと。重の井を玉男さんにやらせるわけにもいかないし(笑)。
これ(重の井で使用した老女方のかしらを見せる)は、終戦直後、人形細工師の大江巳之助さんが3つ作って持ってきたうち、(吉田)文雀師匠が「これにする」と気に入って購入したもの。お母さんがタンスの中のものを売ってお金を作って買った。だから、76歳。ぼくと同じ歳(笑)。昭和の天覧で「重の井子別れ」を出したときに(吉田)文五郎師匠が使ったのもこのかしら。「捨てた子供の前で男のノロケとか、やってられっか」と言っていたらしい(笑)。このかしらは亡くなるまで文五郎さんのお宅にあって、亡くなったときに文雀師匠のところへ帰ってきた。いまはぼくのところにあります。戸無瀬(仮名手本忠臣蔵)や政岡(伽羅先代萩)なんかにも使っています。
(司会から、勘十郎さん・和生さんは、きょうは子供と母の役だが、きのうまでの5月本公演『夏祭浪花鑑』では団七・義平次と、子供と親でも殺しあうような役をやっていましたねと言われ)自然にもう、役同士なので。歳とか関係ない。
(相手役によってやりかたは変わりますかと問われ)相手によって役の作り方が違うということはない。
『伊賀越道中双六』のお米はあまりやっていない。『伊賀越』では政右衛門女房がくる。(ここで玉男さんが突然「お谷!お谷!」と言う)そうそれ!最近名前が出てこない(笑)。ぼくが十兵衛をやるときに参考にしているのは、先代の(吉田)玉男師匠。かっこいいんですよ。「落ち着く先は、九州相良」というとき、こう、すーっと伸び上がる。あれがかっこよくてねぇ。

玉男 『伊賀越道中双六』の「千本松原」だけというのは、今回初めてやらせていただいた。ここからだと話がものすごく途中からになってしまうが、「平作内」があると十兵衛の気持ちがつながってくる。
十兵衛は師匠(初代吉田玉男)が得意とした役。師匠の十兵衛には、品があって、色気というものがあって……。師匠が十兵衛をやったときは、「平作内」でお米に近づいていく所作、きせるの扱い、煙草を吸う所作、小道具の使い方を見ていた。
本役が来る前に、てったい(手伝い)、左、足をやるとわかることがある。足は人形が目の前にあるので周囲が見えないが、左だと人形から少し離れているので周囲がなにをやっているかわかって勉強になり、平作も見ていた。
『伊賀越』が通しで出る場合は、師匠は唐木政右衛門にまわっていた。師匠は十兵衛も政右衛門も両方遣いたいと言っていた。通しだと「北国屋」に十兵衛と政右衛門が同時に出てきてしまうので、できないんですけどね。

 

年齢に合わない役

勘十郎 父(二世桐竹勘十郎)は若いときから平作を「やらされていた」。「若いころからやってるからなー」と言っていたけど、父が30代なんかの若いときの平作は、自分も幼かったので、どういうものだったか覚えていない。
若いうちに高齢の役がついても、「柄(がら)が重たい感じ」。早く役が役がつくとソツがない(これ言ったの和生さんだったかも)
父は最後、病気をして、手術もして、痩せてしまった。もう……似てるんですよ。平作のかしらに。そっくりだった。
自分も父の平作の足や左を遣った。年寄りの足は難しい。平作は軽い人形。パッチ(股引)をはいて、襦袢を着て、帯のひもが一本。それでも軽く動かしてはいけないと言われた。
自分が最初に平作を遣ったときの太夫は住太夫師匠だった。「キミィー!平作やってくれるんやってなー!すまんなー!!」と言われたが、なにが「すまん」の……? 自分では力が足りてない……? と思った。

 

どこから覚悟している?

勘十郎 (司会から、平作はどこから死ぬ覚悟をしているのかと問われ)そうですね、「平作内」の時点で、様子を悟って、残された書き付けで確証も得て、生き別れになった息子ということはもうわかってますから、「千本松原」の最初に走ってくるところから、ある程度の覚悟はしているんやないかと思いますけどね。

和生 十兵衛はお父さんにものすごく惹かれている、わかっている、辛いところ。でも、「落ち着く先は……」と自分の主筋の潜伏先を言った時点で、覚悟を決めている。そのあと十兵衛は「北国屋」で自害同然の死を遂げて、話がくるくる回って、最後には……。浄瑠璃はよくできている。

 

今後、東京で『伊賀越道中双六』の通し上演はできる?

勘十郎和生 ……………………。(和生さんと勘十郎さんで目を見合わせて、和生さんが勘十郎さんへ「そちらで」と合図)(玉男様は?)

勘十郎 無理やと思いますね〜。新しい国立劇場ができるまでは……。それまではあちこちの劇場でやることになるみたいですけど、通し狂言のような大きな企画はできないと思います。

 

次回、玉男さんセレクト回の演目は?

玉男 まだ決められていません。

和生 綺麗な女方やってみればー!て言うてるんですけどねーーー!!!!(会場、爆笑&拍手)

玉男 (またも異様に素早く)できません! できません!! いやー、もう、照れ臭いんです! もう、そんな気持ちになってしまうから! ぼくは若いころから、師匠から立役のことを教わってきて、立役ばかりやってきたんです!!!(突然の師匠に責任なすりつけ)(このあと、児玉氏に「こないだあるところでお園やっていらしたのを拝見しました」と言われ、「レクチャーでさわりだけです、できるけど、できません!!!!」と抗弁)

和生 でももう1つは決めたよな?

玉男 1つは決めて、あともう1つは、時間もまだあるんで迷っています。

 

今後やってみたい役は?

勘十郎 初役でやってみたい役はあります。狐の役は全部やりたいと言ってきたのですが、結構コンプリートさせていただきました。

和生 いまになって「あれがやりたいィィーッ!」というのはない。やりたい役はもう結構やらせていただきました。制作が決めた、回ってきた役をやらせていただくのみ。40代、50代のときは役に対する色気もあるが、この歳になると、割り当てられた役をなんとかこなすのみ。新しい国立劇場も、できるのは6年後らしいんで、開場しても、こけら落とし出られるかなーーーー!!????

玉男 (異様に素早く割り込んできて)大丈夫です。大丈夫です。

(時間切れのためか、玉男さんの「やってみたい役」の話まではできず、ここで締め)

 


今年のトークショーはとても良かった。言うまでもなく、司会の児玉竜一氏の力量だろう。自然な雰囲気の中で、役についてのバックグラウンドや思い入れ、手本にした人が誰かという話題など、勘十郎さん・和生さん・玉男さん自身でしか話せない話題が引き出されていた。ご本人の考え、感じたことを中心に据えられていたため、聞き応えがあった。また、児玉氏自身の率直な感想も聞けた部分があったのがよかった。
雰囲気のよさからか、三人のあいだの会話も自然に発生し、むしろ、児玉氏にリラックスしすぎなのか、「三人組」が普段の会話的に若干好き勝手喋ってジジイ放談と化し、何言ってんだかわからんところがあるのも面白かった。ぜひ来年も児玉氏に司会をしていただきたい。

今回の演目選定は勘十郎さんによるもので、おそらく、「自分がやる役に年齢差があり、性質がまったく違う」かつ「和生さんも玉男さんも得意役で、顔が立つ」というコンセプトで選ばれているのだと思う。それともうひとつ、「道中双六」がモチーフになっていること。司会の児玉氏がこれを指摘したら、玉男さんが素で「ほんとですね!?」と驚いていた。(勘十郎〜言うといて〜〜)
勘十郎さんはまさに勘十郎さんらしく、主役にもかかわらず一歩引いて受け答えをしていた。勘十郎さんは、おそらく周囲へ非常に配慮される方で、司会者や会場の雰囲気に合わせた回答をされる傾向がある。児玉氏は誘導尋問や決めつけをせずに話題振りをしていたので、回答は自然な雰囲気だった。また、勘十郎さんがお定まりに答えてしまうであろう質問は、和生さんにもあわせて振ることで、空気は読むが迎合はしない和生さんがいいスパイスになっていた。和生さんがトータルの計算したうえで演じていることを語るのに対し、勘十郎さんはお定まり回答に濁していた。が、私は、本当は勘十郎さんはそういった設計に重要性を感じていないのではないかと思った。本来ならそこで勘十郎さんも、わたしは計算とかハラとかよりも、こういうことのほうに価値があると思ってるんです!という考えを喋ってくれるといいんだけど。
勘十郎さんが喋っているとき、玉男さんが勘十郎さんを見てソワソワ嬉しそうにしていたのだが、勘十郎さんは客席を見て話していたにもかかわらず、突然玉男さんに「そうですよね!?」と話を振っていた。鋭い。勘十郎は、見ていなくても玉男ソワソワオーラを感じ取ることができるのだ、と思った。

和生さんはいつも「制作が決めた役をやるだけです」と言う。これは、和生さんのストイックさ、あくまでお仕事はいただくものという芸人としての精神で言っている面が大きいだろうが、最近はもうひとつ、理由があるんじゃないかと思っている。「役を選り好みしたり、配慮してもらわなくてはいけないほどわしは老けとらん! なんにでも対応できるフレキシビリティがあるんじゃ!!」という面も大きいのではないか。わしはまだ全然いけるで!ってことなのかなと思う。
初代玉男の十兵衛が「すーっ」と伸び上がるのがかっこいいという話は、やっぱりみんなそう思ってたんだ!と思った。あの背筋の美しさは初代玉男特有のものだったんだな。いまは弟子世代の人がそれを引き継いでいるけど、あれは本当にかっこいいよね。和生さんが個人に対して「かっこいい」という感覚的な言葉を使うのを初めて聞いたこともあって、いい話聞けた、と思った。
それにしても和生さん、あの老女方のかしらが本当にお気に入りなんだな。ほかのトークショーでもよく一緒に参加(?)させているよね。別に自分が主役でもない会であのド派手なかしらを持って参加するのが「和生〜」って感じで、かつ、この三人組らしくて、よかった。自由ッ!

玉男さんは主役でもないのに、なぜかセンターに座らされていたのが、面白かった。
玉男さんは、持ち前の優柔不断からか、来年の自分の回の演目を何にするかまだ決めていないようなのだが、そこに和生さんと勘十郎さんがめちゃくちゃ食いついて、三人ではしゃいでいるのがよかった。玉男さんもそこだけはカイジのようにジタバタして、自分から喋っていた。*1
でも、玉男さんって、鋭いところがありますよね。上記にも少し書いたけど、和生さんが「いつも政右衛門女房の役が来る」とさらっと話したときに、突然、玉男さんがそれを遮って、「お谷、お谷」と言った。そしたら和生さんが嬉しそうに、「それそれ!」と言って……。玉男さんは、和生さんがほんとは「お谷」と言いたいのに、名前が出てこなくて「政右衛門女房」と言ったことに気づいて、あ、また忘れとる!って思ったんでしょうね。トークショーの進行を考えるとそのまま流してもいいところだけど、ふだんの会話を聞けたようで、なんか、よかったな。
玉男さんははじめは「きり…」としていたが、だんだん嬉しくなってきたのか、ずっと嬉しそうにしていた。今回は和生さんも別になんでもないところなのに笑いをこらえたような笑顔になっていて、とても嬉しそうだった。

 

↓ トークショー、こういう状態になっていた

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twitter等にも感想イラストとして投稿してたんですが、ウサギのポーズが納得いかなかったので少しだけ描き直しました)

 

 


今年は舞台そのものも座談会も申し分なく、大変に充実した公演だった。近年行った外部公演のなかでも、もっとも満足度が高かった。こういった、ある程度わかっている客層向けに、レベルの高い舞台やトークをみせる、中級者以上向け公演がもっと増えてほしい。特にトーク。初心者向けは基本的にいつも同じの紋切り型の話になるが、「わかってる人向け」となると前提が飛ばせるため、そのときならではの話題ができ、足を運ぶ価値は大きい。

舞台としては、これだけ技術がある人が一度に出演する機会は本公演ではそうそうなくなってきているから、豪華感が半端ない。手を取り合う、小道具を受け渡すなどの細かいけれど感情を表現しうる演技がしっかりしているのは、本当、さすがベテランだなと思った。ここが充実すると、舞台の見応えや情感は、まったく変わってくる。派手な型を派手に決めるとかよりも、ずっと充実度が上がる。
そして、改めて、勘十郎さん、和生さん、玉男さんの三人が全く違うタイプの人形遣いであることは、本当に良かったと思う。性質の違いは見せるものがシンプルな「千本松原」で顕著で、芝居に対する考えの違いがよく出ていたと思う。

 

トークショーではお三方個々人のキャラクターの面白さも楽しめたけど、やっぱりこの人らは、よくわかってないとか、わかっててもできてないとかじゃなく、確信的にやってるんだなと思った。私は、当人が当人で納得いくベストパフォーマンスを出しているという信頼性が前提でないと、この公演の感想はどうこうとは書けない。この人たちはその信頼性のある人だと思った。

 

近年の感想にも書いている通り、最近の勘十郎さんは、人形の重量や大きさに負けているとしか思えないことがある。しかし、小型の人形である三吉や平作はそうではなく、ご本人らしさが出た魅力的な演技で、いきいき度合いも違い、やっぱり、本人が存分にやりきれる役のほうがいいよなぁと思った。
私の感じ方かもしれないけど、こういういきいきした勘十郎さんを見るの、久しぶりかもしれない。ずっと前はこういう勘十郎さんを見て、いいなと思っていたけど、次第にどこか自分自身じゃないもののために無理している感じが……、と思うようになってきた。
勘十郎さんは自分をいかせる役ばかりが来るのではなく、無茶振りの役、客寄せ用の役をやっているところがあって、そういう意味では、勘十郎さんって、和生さん以上に「来た役をシッカリやらせていただくだけです」の人だと思う。ご本人はそれぞれに課題意識をもって、楽しんで頑張ってらっしゃると思う。でも、今後はそうでなく、本人が純粋に楽しい役、楽しそうな姿であってくれるといいなと思った。

そして、やはり勘十郎さんは、本当は「トータルで緻密な設計がなされた芝居」にそこまでの価値を感じていないのではないかと思った。三吉、平作、いずれを見てもそう。浄瑠璃総体の整合性という観点からすると、破綻している。そういう意味では、児玉氏の「どこで覚悟を決めたのか」という質問は、非常に鋭い。設計した芝居が素晴らしいというのは所詮近代の慣習、また、「おりこうさ」を求める観客の思い込みで、やっている側には本当は別の条理がある(あった)と思う。そうでなければ、初代玉男が「文楽は人形芝居になってはいけない」とあんなにも強く主張していたはずがないではないか。文楽が人形芝居だった世界はどこへいったのか。いま、それを語ることができるのは、勘十郎さんだけではないのか。
たとえば津太夫は、自分には理解できないことや価値を感じないことがあったり、慣例になっていてもやっていないことがある等を、談話でわりと率直に言っている(◯◯さんはやっているがわたしは解釈が違うのでやらない、XXさんに教わってやっていたがXXさんが亡くなったあとはやめたなど)。当たり前の話だが、アウトプットからはわからない細かいことも本人は考えているわけだ(感覚的にやっていて、聞かれてはじめて考えた面もあると思うが)。イメージと違い、津太夫はなんでもいいから豪快にやっているわけではないことがわかり、そういう話も、私は価値があるものだと私は思う。なんでも前向きで成長志向な話である必要はない。

 

みんな、いつまで「思い思いの役」ができるのかな。簑助さんは、引退前の数年は小さくてあまり動かない人形しか遣っていなかった。その中で簑助さんらしさを発揮し、お客さんはみんなそれを観てすごいと思い、喜んでいた。この人たちにもそういう日は確実に来るのだろうけど、それが近いのか、遠いのか。和生さんは、客からすると技芸レベルが全然落ちてないどころか上がってると思うのに、近年のトークショーでは体力的な問題で冨樫は後進に譲ると言っているし、政岡ができるのも……的なことをおっしゃっていて、歳のことを考えていらっしゃる。和生さんの場合はやばいジジイフェイントかましてくるから(死ぬ死ぬ詐欺的な)そのまんま受け取ることはできないけれど、みんな、どうなっていくのかなぁ。
トークショーで三人揃って座っているのを見ていると、縁起物っていうか、「寿」感がすごくて(?)、なんかもう、「お父さん!体に気ぃつけて!」という、それこそお米や十兵衛みたいな気持ちになってきて……、とにかく、もうなんでもいいから、お父さんたちには健康でいて欲しい、毎日を楽しく暮らして欲しい、やることいっぱいで忙しいわwゆっくりさせてもらえへんwww自慢をしてきてほしいという気持ちでいっぱいになって、うっ……ううう〜〜〜〜………………。(思い込みが激しすぎる客)

なにはともあれ、この人たちは三人セットでいるからこそ良いのであって、みなさん揃って長生きして欲しい。この歳になって三人ではしゃいでいるのを見て、いいなあ、楽しそう。私はあんな歳になったら、友達ひとりもいなくなりそう。その前に自分が死にそう。と思った。

 

最後に、会場特有の事項に関する感想。

昨年の公演を観たとき、このホールは、義太夫には向かない音響の会場だなというのが正直な感想だった。今年は昨年よりも床に近い席になったため、演奏の音が直接聞こえ、中〜低音域の抜け落ちが少なくなり、聞こえは大幅に改善された。SS席のチケット代13,000円(手数料220円別途)払っただけのことはあるッ。ただし残響は床近くでも強く聞こえるので、三味線の入らない詞(コトバ)の部分はカラオケ的にワンワン響いてくる印象だった。三味線は生の音が直接的に強く聞こえる席だったので、違和感はなかった。
演奏中とは逆に、トークショーは聞きづらかった。客席中後部?のスピーカーで音を流しているとかなのだろうか、声が多重に重なり、不明瞭になっている印象だった。玉男さんだけはやや高めの抜けた声質のためか、比較的普通に聞こえた。
今回の席で気づいたのは、この会場、高音が立つので、拍手の響きはいいなということ。出演者からすると、気持ちのいい拍手が聞こえているのではないだろうか。

屋台の構造が本公演と少し違うようで、「重の井子別れ」では座敷から降りる縁側風の部分が本物の縁側のように上部が幅広の床として作られていた(横から見ると、Пのように蓋ありの箱状になっている感じ)。床の下に人が待機して、人形が通るたびに床ごと開け閉め。これは大変。
よく見ると、定式幕がめちゃくちゃボロボロだった。小ホールのものをコッチへ持ってきているのか? それにしてもスレがすごいが……。

来場されている方々を見ていて、こういう暮らし向きに余裕のある人たちがいなくなったら、伝統芸能は終わりだなーと思った。

 

↓ 昨年の感想。和生さんセレクトで、『傾城阿波の鳴門』と「道行恋苧環」。


 

このインスタ投稿、2枚目以降も見てみてください。和生ショルダーバッグ最高。

 
 
 
 
 
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  • 和生・勘十郎・玉男三人会 第二回
  • 『恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)』重の井子別れの段
  • 『伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』千本松原の段
  • 人形=吉田玉佳、吉田玉誉、吉田簑太郎、桐竹勘次郎、桐竹勘介、吉田玉路、吉田和馬、吉田勘昇、吉田和登
  • 座談会聞き手=児玉竜一
  • https://kioihall.jp/20230531k1400.html

*1:和生さんが玉男さんに「一つは決めたんやなぁ?」と言い、そこに勘十郎さんも「一つは決めたよなぁー」とか同調してたのに(なんだこのゆるい会話?)、玉男さんがあとで自分から「一つは決めました!」とお客さんに向かって言いなおしたとき、勘十郎さんが「へえ!!」と驚きリアクションを返していたのがめっちゃよかった。なんやそれ! 勘十郎ならではの方向性のわからない気遣い炸裂!!