TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 吉田簑助 かわいい虚構たち

簑助さんが引退してから、2度目の春が過ぎていった。

簑助さんが引退した2021年4月大阪公演『国性爺合戦』「楼門の段」の劇評は賛美の言葉で溢れ、過去の舞台もまた絶賛で埋め尽くされている。
それ以前のことだが、『妹背山婦女庭訓』に簑助さんが雛鳥役で出演した際には、新聞に載った劇評のタイトルが「簑助の雛鳥 かわいさ圧倒的」だったのには、驚かされた。え!???!!!! 新聞でそんなプリミティブ・バカ見出し、あるか!???!!! ツメ人形が書いてる?? 人間ならせめて「かわいさ満開」だろ!! と驚愕した。ピュアハート丸出しながら、まさにその通りで、本当にこの上もなく的確な見出しだった。

簑助さんは、人を惹きつける芸を持っていた。私も、簑助さんの芸に惹かれて劇場に足を運ぶ観客のひとりだった。私たちは、簑助さんの何に惹かれていたのだろう。

簑助さんの引退後に文楽を見るようになった方、あるいは、これから文楽を見るようになる方は、延々と「簑助さんは本当にすごかったんだよぉーーーーーーー今の人とは比べもんにならんわーーーーーーーーーーー」という話を耳にタコが1億匹住みついてあふれだし、肩に17,483匹は乗っかるまで聞かされると思う。そしてワシらは「とっしょりがまたなんかゆうとるわ笑 大阪城公園たこ焼き屋でも開くか笑」とうっすらウザがられるようになっていくんだ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!! なんならいまごろ絶対影で「原価ゼロ」ってあだ名をつけらてれる〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!

でも、やっぱり、「すごかった」というのは、荒い言葉だ。他人の人生をそんな安易な言葉でくくっていいのか。
これは今日的な問題だが、「絶賛」というのはいまの劇評や感想ではありふれた「レトリック」だ。この傾向は加速して、一般レベルでは今後はさらに金太郎飴化すると思う。単に褒めちぎっているだけでは、のちのちまったく知らない人が読んだら、「凡百のもの」とどう違うのかわからないだろう。
そして、自分自身の感覚の変化。時間を経るうちに、自分の中でだんだんと過剰な美化が進んでいき、実像とのずれが出てくると思う。

そうなる前に、自分が抱いた簑助さんへの「すごい」という気持ち、どのように簑助さんを見ていたのか、簑助さんのどこにオリジナリティや無二のものを感じていたのかを、ある程度言葉にして書き留めておこうと思う。

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INDEX

 

 

 

感情過多のむすめたち

簑助さんの芸の最大の特徴は、言うまでもなく、「かわいさ」だろう。

簑助さんは、数多くの女性役を手がけてきた。
はっとするような、大きく身を乗り出す動作。
暴れまくって抱っこさせてくれない小猫のような「うにょうにょ」とした動き、小動物的な落ち着きのなさ。
そこだけを切り取れば過剰とも思える不自然な身体の傾け。
ひたむきに相手を見つめる、一途な視線。

簑助さんの人形には、感情が横溢していた。そうしなければ溢れ出す感情のうねりに耐えられないかのように、小さな人形の身体が躍動していた。彼女たちは自分以外の何かを常に気にしていて、そちらに惹かれながらも耐え、耐えきれなくなって走り出す。
自分の感情を全力で全身であらわす、幼い子供のようだった。心惹かれる何かにせいいっぱいになり、いけないとはわかっていながらも、みずからの感情にストレートに生きている彼女たちを放っておけない! 守ってあげなきゃ!! そんな気分にさせられた。

簑助さんは、「動きが多い」というイメージを持たれていた方が多いと思う。ずっとクルクルと動き回り、なんなら、自分の芝居の番でなくても、ソワソワ。いわゆる「手数が多い」というタイプの人形遣いだ。簑助さんの手数の多さとは、人形たちの横溢する感情をあらわしたものだったと想像している。動きは飾り付けではなく、そうでなくては彼女たちの溢れ出すほどの心のうちを表現できないという必然性と直結していた。人形は小さいけれど、人間と同じかそれ以上の感情に溢れているため、人形の小さな身体にはそれがおさまりきらないとでもいうように。
動きの多さはそのまま「感情過多」であり、それと離れがたく結びついた「多動性」が、簑助さんの芸の特徴だったと思う。

 

動きが多い人形演技は、動きが多ければ多いほど、大きければ大きいほど、処理の精度は甘くなっていく。しかし簑助さんの動きは極めて洗練されており、素朴さや雑さとは隔絶していた。その洗練性を生み出していたのは、中割り(なかわり)の巧さだろう。

中割りというのは、アニメーションの動画作成の技法で、ある姿勢1からある姿勢2へ動くとき、1と2のあいだにある1.1、1.2、1.3…の動きを描く作業や、その絵のことをいう。私は文楽人形の動かし方というのはある意味アニメーションに例えられると思っていて、この1と2のあいだがどのようなものであるか、どれだけ意識できるかが、人形の動きの自然さや、人形自体の印象に大きく関わってくると考えている。

簑助さんは、この中割り部分に意味をもたせた遣い方をしていた。簑助さんの動きとは、義太夫の演奏の間尺に対する大きな動作の起点と終点を決め、その間を細かい動作で割って埋めていく手法だったと感じている。付け足しだとか、間持ちのための誤魔化しといった足し算ではない。演技の起点と終点を意識した所作の設計だ。演技の強度が格段に違う。曲の演奏につれた大きな流れの内に細かな動きを作っているため、その動きが多くとも、余分だとは取られない。動きの数は多くとも、簑助さんの人形が雑多なものや幼稚なものに見えず、非常に洗練されて感じられるのは、そのためだったのではないだろうか。
ただ、中間の動きが多いから「リッチ」に見えるという単純な話ではない。下手にいる状態から上手にいる人形のもとへ行くとして、その動きが数歩程度でも、目線は相手役を見たままその中間で一旦人形をぐっと下げ、ふたたびぎゅっと上げてすがりつくことで、彼女の気持ちはめいっぱいで、相手役の人形への耐え難い必死の思いを抱いていることが表現される。また、その緩急や大小のつけかたで、そのときどきの感情の大きさや速さが伝わる……というように、その中割りの動きにも大きな意味があった。

 

彼女たちの動きの多さを束ねていたのは、「必死な目線」だった。ジタバタしていようとも、彼女たちの瞳はつねに相手をじっと見据えていた。彼女たちの動きは、かならず誰かのためのものであって、その相手から心をそらすことはなかった。目線が感情の芯を形作っていた。相手役を覗き込みすぎて客から人形の顔が見えないこともしばしばあったが、コッチ(客! 客!! 見て〜!!!)を無視して相手役に必死になる懸命な姿が可愛らしかった。

文楽人形はしばしば「けなげ」と言われるが、簑助さんの場合は、「けなげ」を通り越し、自分の心のままに自ら動き出す「必死」さがあったように思う。浄瑠璃が書かれた当時の女性に、ここまで感情に従って行動できるような「自由」があったとは思わないが、そのなかで、耐えきれないほどの感情の洪水に押し流される感情的な彼女たちは魅力的に輝いている。その彼女たちの姿を、抑えきれない自らの感情でもって動き出す彼女たちを、(もっとアクティブな女性像が描かれるエンタメがたくさんある)現代でも魅力的に描き出せる力のある芸だったと思う。

 

 

 

あでやかなむすめたち

姿かたちも、ほかの人の人形とは違うところがあった。

人形の顔自体が違うということではない。たとえば「娘」という種類のかしらはみなほとんど同じ顔をしており、いくらかのニュアンスの差異があるにせよ、客席から見たらほとんど見分けがつかない。それでも簑助さんの人形が一段とかわいく見えるのは、構え方や衣装の着付けの違いだったのだと思う。

簑助さんの人形は、なんだかチョコンとしていた。かなり小柄に、華奢に見えた。いま思えば、構え方として、座っているスタンバイ姿勢のときには胴体を縮めて持っていたのではないかと思う。または、体をやや捻って正面(客席)側に傾ける等をして、小さく見えるようにしていたのではないか。人形の縮こまった姿は、そこだけ切り取ると異様なかしげ方になる場合もある。が、簑助さんの場合は動きを伴っており、曲に乗ってのことなので、人形がかしいで見える等といった意味での奇異さには映らなかった。

おそらく胴体のベースのこしらえ方、衣装の着付け方にも、違いがあったのだと思う。
素人目にでもぱっとわかるのは、人形の首筋をシッカリ見せる着付(人形に対する衣装の着せつけ)だ。襟の高さを出さずコンパクトに抑え、また、首のうしろの抜きを大きめに作ることで、人形の首筋を大きく露出させていた。簑助さんの場合はこれが極端で、首の付け根(衣装の着付けの中の、胴にかしらを挿している部分)やかしらの胴串部分が見えるほどに首を露出させていた。首を見せることによって、人形のスタイルをすっきりと華奢に、また色っぽく見せることができる効果を狙っていたのだと思うが、クルクルとした動きもあいまって、まっしろな細い首が折れそうで、ドキドキさせられた。
人間がこのような姿勢や着付をしている場合、いかにも「やってる、やってる」感が出てしまう。人間の女性だったらまず鼻につくだろう。しかし簑助さんの人形は下品さや作為性は感じず、幼いピュアさがあった。純粋なかわいさがありながら、同時に、簑助さんの人形は、非常に官能的であったと思う。そこに、生身の人間では表現しえない、文楽でしか観ることのできない特異なものがあった。

 

 

 

かわいい虚構たち

これらのものは、技術的なレベルの高さよりも、簑助さん独自の美的センスに支えられたものだと思う。なによりもこのセンスが、簑助さんらしさを決定づけていたのだ。センスそのものが簑助さんの芸のなによりの背骨だったのだろう。
「美しさ」に対する感性は文楽人形遣いには必須のもので、どのようなものを「美しい」と感じるか、どのようにすれば「美しく」なるのか、逆にいえば、許容できない水準はどこなのか、それが当人の中でいかに明確かが重要になってくると思う。それを絶えず希求し研鑽し続けることのできるメンタルを持ち続けられるかも、最終的な差としてあらわれていたのだろう。前述の通り、簑助さんは非常に「多動」的な人だったが、たとえ舞台上の動きとして大量の要素が組み合わせられていても、一本筋が通った「美」を形成していた。

何度か書いてきたことではあるが、文楽女方には、現実の女性を写し取ったような生っぽさのあるリアルな雰囲気の人と、古典あるいは人形浄瑠璃の中にのみ存在する虚構的な雰囲気の人とがいる。パッキリ別れるわけではなく、それがまだらに存在する人もいる。現役の技芸員でいえば、勘十郎さんはリアルな雰囲気、勘彌さんは虚構的な雰囲気、和生さんや清十郎さんは虚構寄りのまだらの人だと思う。

その中で、簑助さんは、極端に虚構に寄った女性像だった。
動きが多いのに洗練されている、ピュアなのに官能的……。対極的な事項のそれぞれの両極端が、ひとつの人形のなかで混じって濁るようなことがなく、同居していた。それぞれ、現実にはありえないほど極端だった。それでも同居し得ていたのは、センスによって選んだ要素を巧みに組み合わせた、まさにセンスのなす技だと思う。

そこにはいわゆる「男に都合よすぎ」という面もあるのだが、はいはいよかったですねえと便所に出現したカマドウマを箒で掃き捨てるような目で見てしまうようなアレなものではなく、「本当に!そういう!!子なんです……!!!」と思い込ませるなにかがあったように思う。その点がまさに「虚構」で、文楽ならではの、そして、簑助さんならではの魅力を打ち立てていたと思う。

 

 

 

心に残る役

やや抽象的な文章になったで、私の心に残っている役についていくつか書いておきたい。

 

千鳥 [平家女護島 鬼界が島の段]

鬼界が島から去っていく赦免船から身を乗り出し、岸辺の俊寛へ必死に袖を振る姿は忘れられない。赦免船の大道具が引かれてゆき、舞台の袖に隠れても、なお身を乗り出して一生懸命に手を振る。あの必死さこそ、私にとっての簑助さんの最大の魅力だと思う。『平家女護島』は他の配役でも何度か観ている演目だが、あそこまでいっしんに俊寛を思っている千鳥は、ほかにいない。
赦免使たちに怯え、縮こまって俊寛に抱きついたり、不安げに袖を丸めて抱いている姿も愛らしかった。恋人であるはずの成経よりも、パパポジの俊寛のほうに懐いている感じも可愛いんだよね。年齢よりも子供っぽくて。
彼女は鬼界が島に住む妖精、あるいは魔性だったのかもしれないと思う。流人たちがいまわのきわに見た夢のなかにあらわれた悪魔で、あの流人たちは鬼界が島でそのまま餓死したのではないかと……。
類似の役に『嬢景清八嶋日記』の糸滝があるが、こちらも、お父さんに必死にすがりつき、そして、船から一生懸命に別れを惜しむ姿は本当に愛らしかった。
また、最後の役となった『国性爺合戦』の錦祥女も、楼門から飛び降りて、地上にいるお父さんに抱きつこうとしているんじゃないかというほどに乗り出しているのが非常に印象的だった。
あの一生懸命感は、本当、唯一無二。

(それと、簑助さんの千鳥は、彼女が持っている小さなバスケットの中に小石を入れており、いざというときは瀬尾にそれをエイエイと投げつけるのがかなり良かった。ほかの人はたいてい地べたの砂をひっつかんでかけます)

 

おかる [仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の段]

七段目の冒頭部、宴の座敷から離れた二階で涼む姿のプライベートな雰囲気にドキッとさせられた。文楽の大道具ははっきり言ってショボい建屋だが、それでも、高楼で夏の夕方の涼しい風に当たって火照った頰を冷まし、ひとりうっとりとしている情景が存分に描かれていた。
おかるは由良助の密書を盗み見るため、鏡を覗き込むことに夢中になり、二階からかんざしを落とす。このとき、鳴り物として「チン!」という音が入る。その音が鳴った時にピョコオッ!!!!!と小動物のように飛び上がる姿はかなり可愛かった。はしごから降り、由良助から「船玉様が見えるーーー!」と言われてスカート(スカートではない)の裾を「えーーー!?!???!!えーーー!??!!!」と、わたわたと直そうとする「女子っぽい」慌て方もまた可愛かった。
簑助さんのおかるは由良助役が誰なのかという影響を受けるようで、初代吉田玉男が由良助役をやっている映像を見ると、由良助のことをちょっと好きそうにしている(勘平の立場は一体?)。しかし、いまの由良助である玉男さんに対してはお子様扱いしている感じがするのもなかなか良かった。
兄平右衛門から恋人勘平が死んだことを聞き、癪を起こす場面の色っぽさはドラマティックで、絶品だった。もう舞台では観られないと思うと、本当に、悲しい。

 

おかち [女殺油地獄 河内屋内の段]

熱にうかされる中、兄与兵衛にすがりつく姿の色っぽさは絶品だった。人の話を一切聞いていないので(私が)、この子、おにいちゃんのことが好きなのか???と思ってしまった。
おかちは仮病なので、本当に熱に浮かされていたり、与兵衛にすがっていないと立っていられないというわけではないのだが、そこを極端にいくのが簑助さんらしかった。簑助さんの遣うおかちの純粋性は、与兵衛の内面の暗さまで浮き彫りにしているようだった。原作に書かれているものを超える舞台の佇まいが生まれていたように思う。
なお、私が観たときの与兵衛役は玉男さんだったが、老父を蹴ろうとする与兵衛を引き止めるおかちが、まずは玉男さんにタックルかましていたのは良かった。別の日には、玉男さんを踏み台にして与兵衛にしがみついていたのも良かった。そういうところ、簑助さんはわりといたずらっ子だった。
おかち役では、このような「いたずら」だけでなく、出のタイミングをはかって日によって調整する等も行なっていた。文楽は基本的に「日替わり」演技はない。そのため、かえって「大御所スゴイ」文脈でこの手の言説が語られることがあるが、いわゆる大御所しぐさというよりも、いろいろな意味の「本気」であれやってみよう、これやってみようと遊んでいるように思えた。おかちはぶっちゃけ簑助さんがやらなくてもいい脇役だ。そんな役でも、本気あるいは本気の遊びでいくところに、簑助さんのすごさを見た。

 
 
 
 
 
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菅原伝授手習鑑 [桜丸 桜丸切腹の段]

私が直接観たことのある唯一の立役。
最後までこの配役がきていたのは、現実的な問題だろう。しかし、死を決意した桜丸の儚さ、透明感は、すでに人形ですらなく、観念としてそこに存在している「何か」になっていたと思う。
簑助さんはむかしは八重垣姫や阿古屋を遣っていて、それはそれは華やかだったという話を聞いたとき、へー、そうなんですか、見てみてかったなーとは思うものの、悔しい、絶対見たかった!とまでは思わない。けど、桜丸だけは、通し狂言で初段から通して桜丸を遣っていた時代を観てみたかったと思う。簑助さんは、あの朗らかな桜丸をどう遣っていたのだろう?

 

鶊山姫捨松 [中将姫 中将姫雪責の段]

淡い桜色の肌着だけを身につけて、雪の中へ引きずり出されてくる中将姫の神々しさは忘れられない。重量感を感じないふんわりとした淡雪のような動きは、「人間」の範疇から外れていた。まさに「聖女」。
継子いじめの話なので、中将姫は継母岩根御前から雪中の折檻を受ける。そのときも中将姫の人形が少し笑っているようで、法悦の中死んでいく殉教者というのはこういう感じなのかなと思った。「異常」な世界を覗き見た気分だった。
簑助さんがよくやっていた所作で可愛いのが、「振袖の右袖を丸めて抱っこする」。千鳥の項目にも書いたが、丸めた袖を不安そうに揉んでいたり、安心したかのように抱いていたり、ぎゅっと掴んで決意していたりと、扱い方がとても可愛かった。中将姫もまた、袖をお守りか聖典かなにかのように手にしていた。この所作、簑助さんオリジナルの動作だなーと思っていたのだが、よく見ると、他の人もやっていた(『菅原伝授手習鑑』桜丸切腹の、桜丸が出る直前の八重など)。でも、それだと、単なる決められた所作のひとつで、あの丸まった袖でなにかをいいたげな感じではないんだよな。簑助さんの袖抱っこは、感情表現のひとつだったように思う。ぬいぐるみを抱っこしてる子供みたいで、かなりかわいかった。
クライマックス、父との別れを惜しみ、後ろ姿を伏し拝む姿もまた愛らしく、素晴らしかった。

 

 
 
 
 
 
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引退、そして

簑助さんが「引退宣言」をして、舞台から「引退」したことは、衝撃的だった。
簑助さんは、「生涯現役」を貫くと思っていた。でも、そうしなかった。引退される直前の数年は、前述の通り、小さくて軽く、移動動作が少ない役だけがきていた。あるいは、いわゆる「いい役」の一部の場面のみを遣っていた。そして、しばしば休演されていた。ファンは、それでもいいと思っていた。「一生現役」といっても本当はどうしても「嘘」になるということはファンもわかっていて、まあ、なりつつあって、それでも「生涯現役」と言い張ると思っていたのだが、簑助さんはファンより誠実だったということだと思う。本当にすごいことだと思う。そして、引退宣言のなかにあった、「やりきった」という言葉も。

 

簑助さんは、良くも悪くも、弟子に技能を引き継げ(引き継が)なかったと思う。
私は、著書などでの簑助さん本人の談や、一部の弟子が言っているほど、弟子を放任していたわけではないのではないかと考えている。少なくとも、人形研修生用の教育ビデオは、かなり具体的な指導内容になっていた(高齢になってからの弟子に同じことをいちいち教えているか等はともかく)。
簑助さんは、直感のみでやっていたわけではないだろう。本人の中では理論があるのではないかと思う。ご本人がそれを理論と思っているかは別だが、少なくとも、美的センスを含めた「筋」は、非常にしっかりと通っている。

現状では、簑助さんのセンス的な特徴を直接的に引き継いでいる方はいない。意外と、元はほかの方であった清十郎さん、勘彌さんが、感情過多性、虚構性といった、簑助さんの魅力の源となっていた要素を引き継いでいると思う。元来それぞれの個性としてお持ちのものもあると思うけれど、清十郎さんや勘彌さんは簑助さんをよく見ていたんだなと思う。自身の芸の中と融合したセンスの継承で、非常に上手いと思う。
直弟子の方々は、意外と(?)簑助さんには似ていないのだが、ああ、この人、簑助さんの真似をしたいんだな、と感じることはある。ただ、わかりやすい所作そのものを真似するだけだと、空中分解したり、「AI美女」になっているように感じられる。参考にすべきはかたちではなく、美的センスとその筋の通し方だろう。
簑助さん自身はセンスがありすぎて、凡人は涵養しなければ感性・センスは生まれないという発想はないのかもな〜と思う。私自身は、芸術関連の教育を受けていたため、技術面以外の教育がかえって技術よりも重要で、その如何でその後の人生も左右されることがわかる。なんとも難しく思うところだが……。
後進の育成・指導自体については本当にいろいろと考えさせられるものがあるが、とにかく、表面の真似だけでは違うものになるところを見ると、やはり、簑助さんは自分の世界を強固に確立させ、追求し続けていたのだなと思う。

 

私が簑助さんを見ていたのは、引退前の6年程度だった。そのあいだだけでも、簑助さんの人形を通して、様々なものに触れることができたように思う。簑助さんは本当に、スターだからすごいんだ、有名だからすごいんだとか、人間国宝だからすごいんだという人ではなかった。最後まで吉田簑助だったからすごかったのだと思う。その説得力があった。終わってみればなんの他愛もないことだけど、簑助さんの芸を純粋に観ることができて、よかった。