TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 9月東京公演『伊賀越道中双六』沼津の段、伏見北国屋の段、伊賀上野敵討の段

9月は全日程公演できて、本当に良かったです。

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第三部は『伊賀越道中双六』。
今回公演の一番の目玉、「沼津」から。

沼津里(小揚)。

東海道、沼津の里のほど近く。旅姿の商人〈呉服屋十兵衛=吉田玉男〉はふと何かを思いつき、荷物持安兵衛〈吉田和馬〉に書きつけを託して使いに出した。

すると、傍でそれを見ていた荷物持の老人〈平作=吉田玉也〉が、十兵衛に荷物を持たせてくれるようにとせがむ。夜通しの旅を考えていた十兵衛は一旦は断るが、老人の懇願に負けて、荷物持ちを頼むことに。

荷物をかついだ平作は足元がおぼつかず、フラフラで危なっかしい。十兵衛はそれを見守りつつ、二人はのんびりと東海道を歩いていく。ところがしばらく行ったところで、平作が木の根にけつまずいて足の親指を怪我してしまう。十兵衛が懐の印籠から取り出した薬を平作の傷へ塗ってやると、不思議なことに平作の怪我の痛みはおさまってしまう。平作は再び荷物を持つと言うが、十兵衛は自分で持ったほうがまだ安心すると言って荷物を担いで歩き出し、平作はそれにヒョコヒョコとついていくのだった。

しばらく行くと、菊の花を持った女〈豊松清十郎〉が向こうから歩いてきた。彼女は平作の娘・お米だった。十兵衛が父の怪我の手当をしてくれたと聞いたお米は彼に感謝し、十兵衛は父娘の勧めに乗って彼らの家で一休みすることに。

「沼津」全編を通して、十兵衛の美しさがとても印象的だった。

十兵衛は普通の源太のかしらだと思うけれど、彼独特の、美しい貌に見える。プログラムの今月のかしら一覧に載っている、ブツ撮りとして置かれただけのかしらの顔とはまったく違う、すっとした芯のある美しさを感じる。
それはかしらの美術品としての価値が秀麗で顔の形状が整っているという意味ではなく、舞台に立った時の姿の美しさ。すっとした眉や伏せられた瞼、引き締まった頰に、十兵衛という人物が持っている内面の美しさが、表情に顕れているように感じる。

そして、玉男さんの十兵衛は、朗らかで健康的な明るさにあふれ、芯から心の暖かいひとに見える。
平作を親だと知る前から、十兵衛は平作に親切に接する。沼津の中でも、冒頭の街道筋の場面は一番好き。最初、心配ながらも平作に荷物を預けることにしたとき。十兵衛は時々、平作をそっと振り返り、平作が荷物をちゃんと持ち上げたことを確認して、ちょっとだけ顎をこくこくしてから、前を向いて歩き出す。十兵衛はそれなりに羽振りのよい商人だろうに、小汚くヨボヨボしている平作を無下にせず、逆に、彼に気を使わせないようにして、気さくに、明るく振る舞う。平作にそっくりだ。このあとの場面、平作内で、寝支度をする前に月を見上げ、自分のボロ屋を明るく笑う平作の軽口と、とても似ている。2歳のころ別れてずっと会わなかった親子でも、不思議に似てくるんだな……と思った。

十兵衛が「雰囲気や性格が平作にそっくり」に見えるのは、玉男さんの人形の持っている雰囲気の優しさ、人形らしい誠実さならではだろう。この内面から滲み出るような清々しい優しさは、ほかの人にはないものだ。玉男さんの、『卅三間堂棟由来』の平太郎、『彦山権現誓助剣』の六助、『心中宵庚申』の半兵衛など、暖かく健全な大人の男性のキャラクターの表現力は本当に素晴らしいと思う。芸に虚飾のない人ならではだと思う。
私がこう受け取るのは、おそらく玉男さんご自身が積極的にそう演出しようとしているというより、ご本人がお持ちの雰囲気が滲み出ている部分も大きいのではないかと思う。玉男さんが実際にどんな方かは存じないが、素直な雰囲気はそのまんまなんだろうなと感じさせるものがある。

十兵衛は、平作に荷物持ちを頼んだあと、咥え煙草で浮き立つように三味線に乗って歩き出すところも可愛い。煙草にほんとに火がついて、煙がふわふわ立ち上がるのも、街道筋ののどかな雰囲気が出ていて、良い。線香着火器的なものでつけてるのかな。

 

平作は朗らかでこざっぱりとした老人。
ズタボロのモーロクではなく、老いて弱ってきてはいるけど、自分のことは自分でできる範囲の老いで、まだまだ元気。でも、時々、危なっかしいところもあって、心配になってしまう……。そう、なんか、微妙に心配になるんだよね。年老いた親が心配って、ある程度の歳のひとなら誰にでも心当たりのあること。
先日、美容院へ行ったとき、隣のお客さんを切っていた30代くらいの美容師さんが、「街で自分の父くらいの年の年配男性を見かけると心配になって、つい声をかけそうになってしまう」と話していたことを思い出した。
栄養のあるご飯食べてるかな? ひとりで外出したとき、危ないことはしてないかな? 体調悪かったら、ちゃんとお医者さんに行ってるかな? いまは大丈夫そうなんだけど、年が年だから、心配……。子供の立場の心配ごころをくすぐる匙加減がうまかった。
でも、心配になってくるのは体力的なところだけで、動きそのものはわりとしゃんとしている。そういうところも良いなと思った。玉也さんの健康ジジイは良い。
これは床のやり方ではあるけど、話し方がかなり明瞭なのも良いな。マジモンのリアリスティックな田舎ジジイの喋り方にはしていないがために、「いまは元気だけど……」という不安感をいい感じに煽ってくる。

平作は、本当に一生懸命荷物を担ごうとしているのも良かった。照明に当たったかしらがテラテラ光って、垢じみた肌が本当に汗だくになっているように見えるのも面白い。
それにしても、平作の左の人、うまい。荷物の上げ下ろしの際の棒の高さが的確。ギリギリ平作がくぐれる高さにしている。老人の痩せ細った腕でなんとか持ち上げてます感がちゃんとあって、良い。

 

 

 

平作内。

十兵衛は、お米・平作に連れられて、平作の家で一休みすることに。
十兵衛につけてもらった薬で平作の足の傷が直ったことを聞いたお米は、十兵衛に深く感謝する。貧しい家だったが、二人の心いっぱいのもてなしに、十兵衛は迎えに来た安兵衛に荷物を預けて先の宿場へ行かせ、自分は一晩泊まっていくことにした。*1

雑談の中、平作は、お米の上に本当は兄がいたが、2歳のころ養子にやったことを語る。その子は養子親からも離れ、いまは鎌倉で武家出入りの商人をして立派になっているらしく、平作はいまさら親子だと名乗るつもりはないようだ。その子には、養子にやるとき、氏地と母の名を記した書きつけを持たせたと言う。話を聞いた十兵衛は、その男の子こそ自分自身であることに気づく。彼は、平作が言ったのと一言一句変わらない書きつけを、いまでも肌身離さず持ち歩いていたのだ。十兵衛はありあわせの路銀を平作とお米に渡したいと思うが、平作の性格を考えると唐突に恩着せがましいこともできず、思い悩む。
十兵衛は、お米を女房にもらいたいと唐突に言い出し、迎えがいつになるかわからないから支度金を置いていくと言うが、お米はツンツン怒ってしまう。娘をなだめた平作は、理由あってお米はやれないとその申し出を断る。十兵衛はふざけていたと二人に詫び、お米も気分を直して、再び場は和やかな雰囲気になる。いつの間にか日はとっぷりと暮れており、一同は寝支度をして休むことに。

夜中。お米はひとり、寝つかれずに思い悩んでいた。思い詰めたお米は、仏壇の灯火が消えた拍子に、寝入る十兵衛の懐から印籠を盗み取る。ところが、立ち退こうとしたときに枕屏風を倒してしまい、異常に気付いた十兵衛に掴まってしまう。騒ぎを聞きつけた平作が見たのは、十兵衛に取り押さえられた娘、そして彼女の手に握られた印籠だった。平作はお米のしたことを嘆き悲しみ、娘を叱咤して涙に暮れる。気を揉んだ十兵衛が訳を尋ねると、お米は涙ながらに印籠の薬が欲しかった訳を語り出す。
お米は元は吉原で全盛を張った瀬川という太夫であり、言い交わした夫があった。その夫は彼女のことで敵から受けた傷の養生をしているが、貧苦の中でままならない。日々苦悩していたところ、偶然出会った十兵衛の持っている不思議な言われのある印籠の薬があればと思いつき、つい手を出してしまったと。
お米の過去の話に心当たりのある十兵衛は、じっと思案する。十兵衛は、印籠は預かり物なので譲ることはできないが、「石塔料」を寄進するので、心当たりの寺に頼んで石塔を建てておいて欲しいと言う。十兵衛の言葉を真に受けた平作は、十兵衛の下向までに準備しておくと言い、旅立つという十兵衛を娘と二人で見送る。旅立ちのとき、十兵衛はお米をそっと呼び、平作を大切に、十分に気をつけて世話をしてやってくれと丁重に頼む。

十兵衛が旅立った後、平作は印籠が座敷に落ちていることに気づく。改めて印籠をよく見たお米は、そこに描かれた紋が、自らの夫・和田志津馬の親敵・沢井股五郎のものであることを思い出す。また、平作が十兵衛の置いていった石塔料に添えられた書き付けを取り上げて見てみると、それはかつて養子に出した息子・平三郎に持たせた自らが筆だった。平作とお米は、十兵衛が石塔料の名目で自分たちを助けようとしてくれたことに驚き、呆然とする。
気を取り直したお米は、夫の仇の手がかりを知る十兵衛を追うべく立ち上がる。しかし平作はそれを留め、敵の行方は自分が聞くとして、お米には姿を見せないように言いつけ、十兵衛のあとを追って駆け出す。お米は来合わせた池添孫八〈吉田玉勢〉とともに、平作と十兵衛を追うのだった。

平作ハウス、御器被り(雅な言い方)でも走り回ってるんでしょうか?
十兵衛が家に上がったとき、床を見て一瞬「!?」となって、注意深くちょこ、ちょこ、と、所々飛ばすような足取りで奥へ行くのが面白かった。何かが床にいるか、床が腐ってるってことかな。

十兵衛は、お米が出してくれたお茶を、袖で隠してコッソリ捨てるのが意外とシビア。なぜ飲まなかったのだろう。上下水道が整備されていなかったころの旅人の知恵なのだろうか。お米も元吉原の太夫なのに、沼津へ帰ってきて、客に出せないような茶を出すようになるまで落ちぶれたということなのか。お米についてはいろいろ……、いや、かなり、不自然に思うことがあるが、細かいことツッコミはじめると興ざめになるので、これ以上考えるのはやめようと思った。

 

清十郎さんは、夏休み公演あたりから、ちょっと雰囲気が変わったように思う。
いままではそこまでやらなかっただろうというような、かなり強めのシナを作った演技を思い切り衒いなくやるようになったのではないか。クドキなどでみられる女方らしい首の手前・奥のひねりも、今までになく思い切ってやっている。全体が派手に変わったというより、おしなべて大人しかったところに、メリハリがついたように感じる。そして、後ろ向きになったときに、人形の姿勢が崩れなくなった。人形のかしぎ感というか、病んでる感が残ったままなのは良い。
眠っている十兵衛の印籠を盗むお米の足取りは、非常に大胆、大振りで作為的。この行為がお米の本心でないことを物語っているようで、良かった。

 

先に、玉男さんの温かみのある男性役について書いたが、十兵衛がお米にふざけかかるところはいわゆる色男役よりマイルドで、すぐふざけているとわかるフワッとしたタッチをしていた。文楽トップクラスのゴミクズ・権三(鑓の権三重帷子)のカス手握りや、忠兵衛(冥途の飛脚)が亀屋の前で下女にしなだれかかるのとは全然違い、やや上品に、膝にそっと触っている。*2お膝タッチする色男役はほかにもあるが、玉男さんはそういうのはまじでキモくやる。しかし十兵衛のこのお膝ふんわりタッチのマイルド感は、玉男さんこだわりの仕草と思われます。

十兵衛の仕草から香る真面目さについては、平作とお米が寝支度をしながら話をしているすきに、そっと母の仏壇に向かって手を合わせるのも、誠実さが出ていて、良い。父と妹にこの路銀が渡せないかと懐に手を入れて思い悩む姿も、しゃんとして美しかった。袖や身ごろの膨らみが品よく綺麗に出ていて、とても良かった。

 

平作は、月を見上げる仕草が良い。彼の目線の先に、ほんとにお月さまが浮いているみたい。そして、柱へにょろんと巻きつくのが、可愛いです。

 

 

 

千本松原。

雨の落ちる夜道を急ぐ十兵衛に、平作が追いついてくる。

平作は、これを受け取っては「さる人」への義理が立たないとして、先ほどの金を十兵衛に返す。その代わりにと平作は、十兵衛が置いていった印籠の主を教えてくれるよう懇願する。しかし十兵衛は自分にもその印籠の主に立てるべき義理があるとして断る。また、その印籠の主を知ってしまっては敵の薬で療治したことになり、「まさかの時」に切っ先が鈍るとして、拾った薬ということにしておくようにと平作を諭すのだった。

その言葉を聞いた平作は諦めるとして十兵衛に別れを告げるが、暗闇の中で十兵衛の差していた脇差を引き抜き、自らの腹に突き立てる。驚く十兵衛、藪陰で見守っていたお米と孫八も事態に動転する。
平作は、自分と十兵衛は敵同士であり、印籠の主・沢井股五郎と敵対する和田志津馬に縁を引く自分を殺したなら、十兵衛の義理は十分に立つ、冥途の土産に印籠の主の行方を聞かせて欲しいと哀願する。十兵衛は平作の誠の心、親としての心遣いに打たれ、隠れているお米らにも聞こえるよう、沢井股五郎の行方が九州相良であることを告げる。喜ぶ平作に、十兵衛は自らがかつて別れた息子・平三郎であることを語り、今際の際の父と手を取り合う。
平作は念仏を唱えながら息を引き取り、孫八が刃と小石を打ち合わせてわずかに作った明かりの中でそれを見守った十兵衛は、沼津を後にするのだった。

平作の覚悟を知ったところだったかな。十兵衛がまぶたを「しぱ……」とする音が客席に響いていたのが印象的だった。

生き別れの子供のために親が切腹して事態をおさめるという展開、ベタではあるけど、この「沼津」では不思議な説得力を感じる。平作にでも出来る唯一の、息子、そして娘への誠意がそれだったのだろうなという悲しみがある。作劇上のひずみに思わないのは、わずか一段の間であっても、平作や十兵衛の人となりが十分に観客に伝わっているからだろうなと思う。

十兵衛が平作に笠を差し出す場面。有名な型だけど、観客が拍手をするような、いかにもな「型」にならず、十兵衛がまことの心から父に雨を当たらせまいとして差し出しているように見えた。ちょっとした人形の姿勢のニュアンスだと思うけど、いいなと思った。

 

ところで、十兵衛が持っている印籠の薬。
あの薬って、本当に効果があるのかな。
冒頭で、この薬を塗ってもらって平作の傷が治るくだりは、ひどい傷が跡形もなく消えた、という意味で治ったのではなく、立派な身なりの十兵衛が自分のような貧しい荷物持ちに、いかにも大切そうな薬を使ってくれたことを喜んだ、平作の気持ちのあらわれなのかなと思っていた。
本当は、単なる気休めの軟膏なんじゃない? 平作自身には絶対買えない(傷薬自体、買うような余裕はない)ものではあったとしても。平作内で、お米につつかれて痛がってたし(それは人形の演技のお遊びですが!)。だって、本当に武家方が追い求める、金には変えられないような、刀傷に効く特効薬なら、一番重要な、平作が切腹したときにも使えるはずだもの。
でも、思いつめたお米は、父の言葉を真に受けて、あるはずもない「万能薬」を盗んでしまった。そういう悲惨な話なのかな、と思った。
前の方の段で印籠の薬の所以が語られているとは思うが、それは全段通し上演が出たときの楽しみにしておこうと思う。

 
 
 
 
 
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床、前は藤太夫さん。浅葱幕が落ちるまでは、なんだか違和感があって、「大丈夫か!?」とちょっと思ってしまった。しかし、人形が出てからはすごく自然な印象になった。人形が喋っているみたいで、とても良かった。登場人物全員が良い人、健康な心を持ったごく普通の人々、ということが伝わってきた。
太夫さんは最近、オリジナルな何かを追求しているのだと思う。この後どうなっていくのかな。賛否を気にせずやって欲しい。

後は千歳さん。千歳さんは最近上がり下がりの落差が大きいので心配だったけど、今回はとても良かった。
床で義太夫が演奏されているのを聴いているとか、絶妙なテクニックを楽しむとかではなく、ただそこに「沼津」の世界があり、その世界の音を直接聞いている、という印象だった。千歳さんて、こういう上手さを持った人だと思う。
かつては公演期間中がんばりすぎて最後まで声が持たないという系統の出来の落差が多かったけど、最近はそのようなことはなくなったな。ただそのぶん、適性あるなしが激しい人だなと思うようになってきた。今回はうまく当たったなと感じた。

 

 


伏見北国屋の段。

京都伏見の船宿・北国屋では、和田志津馬〈吉田一輔〉が瀬川の介抱を受けて、眼病の療治をしている。その隣には、宿敵・沢井又五郎の伯父・桜田林左衛門〈吉田玉輝〉が投宿していた。

志津馬ら一行は、林左衛門に探りを入れて又五郎の行方を追うことを考えていたが、林左衛門もまた志津馬の存在に気付いていた。按摩に化けた孫八は、療治のふりをして林左衛門の盗み聞き&盗み見を妨害。なんとか誤魔化しつつ、孫八は宿の夕食へ向かう林左衛門をごまかし、上の町へ立ち去る。

そうこうしていると、志津馬のもとへ同士・唐木政右衛門からの書状が到着する。それを盗み見していた林左衛門が志津馬をどう始末しようかと思案の最中、藪医し……失礼しました、志津馬の主治医・竹中贅宅〈桐竹紋吉〉が通りかかる。林左衛門はそれを呼び止め、志津馬を失明させてくれるよう頼んで50両を与える。ホクホクした贅宅は早速志津馬の座敷を訪ね、「そこひ」だと騒ぎ立てて謎の目薬を差す。痛がって騒ぐ志津馬に、それは毒薬だと告げる贅宅。そこへ踏み込んだ林左衛門は自らの正体を明かし、志津馬の狙う股五郎は、荷物の中に隠し置いているとぶちまける(なんで?言う必要ある?)。そして、志津馬はおろか政右衛門まで始末してやると嘲笑するのだった。
ところがそこへ孫八が現れ、志津馬はすっくと立ち上がる。志津馬の目が見えることを不思議に思う林左衛門だったが、実は贅宅の正体は孫八の兄・池添孫六であり、藪医者に化けて敵一行の動向を追っていたのだった。

驚いた林左衛門は宿屋を飛び出て行くが、追おうとした志津馬を隔てたのは、呉服屋十兵衛だった。焦る志津馬は十兵衛を斬って駆け出そうとするが、現れた唐木政右衛門〈吉田文司〉に引き止められる。政右衛門はここでは股五郎らを討つことはできないと言い、十兵衛は彼らに加担したことを悔いて志津馬に斬られたと語る。十兵衛は股五郎らが伊賀を超えて鳥羽から九州へ渡ろうとしていることを告げ、政右衛門が瀬川と志津馬とを添わせると約束するのを聞いて安心して息絶える。

こうして敵の行方は知れ、政右衛門の勇めに、一同はいよいよ敵討ちへの意思を固めるのだった。


この段……、十兵衛が最後にどうなるかを説明するためにやってるんでしょうか………………。

ここまで引き延ばす必要ある?って感じの内容なのだが、アホ(志津馬)はともかく、瀬川も実の兄十兵衛を夫に突然斬り殺されたわりにセリフ一切なしで、えらいリアクション薄い人らやなということが気になった。

 

唐木政右衛門のような、一瞬だけ出てきてビシっと決めなくてはならない役は、ある程度その手の役に慣れている人が勤めないと難しいと思った。
左も含めて、やるならよほどしっかりしてもらわないと、人物像がボケる。気になったのは、武芸者らしさを出す振り。両手をT字型に差し出す振りや、刀の柄を左肘にかけて立てる振りが最後のほうまで腕がねじれていたり、キレが悪かったりで、改善されなかった。政右衛門って、そういうのをすべて的確に決めなくてはならない役だと思う。文司さんの個性を活かす役はこれじゃないのではと思ってしまった。
それを言い出したら、一輔さんも「そこ?」って感じはする。悪くはないけど、アホ色男役は、人によってアホの説得力が出せる・出せないあるから。イチスケはアホではない。アホ男嫌いなタイプでしょ(決めつけ)。

玉輝さんは、今月は全身の毛がつながってなさそうな役だなと思った。しかし林左衛門の鷹揚さというか、ノリのよさは一体何? 宴会部長とか、そういうタイプの方? あと、誕生日とかのサプライズを普通にびっくりして喜んでくれるタイプなんだろうなと思った。

紋吉さんが人形と顔そっくりだった。紋吉さん、最近ポムポム化してきて、人形顔度がうなぎ昇っている気がする。やまいもになる。

 

 

 

伊賀上野敵討の段。

股五郎・林左衛門を追って伊賀上野へたどり着いた志津馬・政右衛門ら一同は、ついに林左衛門、そして股五郎と決闘する。こうして長い辛苦を超えて敵を討ち取った志津馬と政右衛門の名は、今も伊賀上野鍵屋の辻の敵討ちとして名を残しているのである。

玉勢さんと玉彦さんが真面目にやってることはよくわかった。段切の極めが綺麗に決まっており、そりゃもう、ここに全力投球するしかないよなと思った。

話に内容がなさすぎて、もう、どうでもいいことが気になって仕方ない。
桜田林左衛門のうしろについてくるツメ人形がどう見ても昼の『卅三間堂棟木』「平太郎住家」冒頭で平太郎ハウスへ来る先走りと同一人物だった。何百年生きてんだ?
それと、林左衛門が乗っている馬の毛がボサボサだった。耳がめっちゃ客席側を向いていて、こっちが気になるのかな、と思った。

ところで、玉彦、誰?
(石留武助)
(通し狂言なら午前の部に登場)

 

  • 義太夫
    沼津の段
    前=豊竹藤太夫/竹澤宗助、ツレ 鶴澤寛太郎
    後=竹本千歳太夫/豊澤富助、胡弓 鶴澤清方

    伏見北国屋の段
    竹本織大夫/鶴澤清友

    伊賀上野敵討の段
    政右衛門 竹本南都太夫、林左衛門 竹本津國太夫、志津馬 豊竹亘太夫、股五郎 竹本文字栄太夫/竹澤團吾

 

  • 人形役割
    親平作=吉田玉也、呉服屋十兵衛=吉田玉男、荷持安兵衛=吉田和馬、娘お米(瀬川)=豊松清十郎、池添孫八=吉田玉勢、桜田林左衛門=吉田玉輝、飛脚=吉田簑悠/吉田玉征/桐竹勘昇、池添孫六=桐竹紋吉、唐木政右衛門=吉田文司、石留武助=吉田玉彦、沢井股五郎=桐竹亀次

 

 

「沼津」は、人形含め、出演者の方どなたもすごく良くて、舞台上で、本当にそういう人たちが生きて、死んでいっているようだった。

個々の技芸員さんのこのパフォーマンスがどうこうとか、そういうことはほとんど感じない。出演者の個性や我といったものは消えて、ただそこに、人形たちの清らかな世界がある。人が人を思いやるという、浄瑠璃の世界らしい純粋な心のありようが高純度でたちあらわれており、文楽として、とても素晴らしい舞台だったと思う。

昨年の休演期間明け以降、文楽はどうなってしまうんだろうと思っていたけど、今年2月の『伽羅先代萩』、7-8月の『夏祭浪花鑑』に続き、この『伊賀越道中双六』沼津も、休演期間前を含めてもいままでに観た文楽でもベストと言える舞台で、本当に良かった。

 

今回、やっぱり、玉男さんっていいなーと思った。
十兵衛の誠実さや優しさがしみじみと感じられた。芝居だからそういうふうに演じている、というものではなく、人形自身が本当に暖かな性格のひとであるように思えるのが、とても良かった。
玉男さんは、どんな役のときも、人形の斜め上に「……」という小さな吹き出しが浮いてる感じがするのが、好き。このひと、なにか言いたいこと、思っていることがあるんだろうな……。でも、じっと黙ってるんだろうな……。という感じがする。

玉男様・心から・LOVE❤️心を新たにした。

 

「沼津」の物語は、すべてが綺麗事なんだけど、その綺麗事であろうとする気持ちが好きだ。
誰もが十兵衛や平作のように生きたい。だけどそう簡単には出来ない。貧しくとも朗らかで高潔であり続けるというのは相当難しいことだし、親子だからといってどの家族もが仲良いわけではない。偽首がどうたらとかいう次元よりはるかにありえない完全な夢物語、ファンタジーだ。でも、浄瑠璃の世界ではそれが叶い、ありえると思える。そこが一番いいなと思う。


このようなご時世でなければ『伊賀越道中双六』を全段通し上演していたのだろうが、番組編成としていまの状況ではこれが限界なのかな。三部制で北国屋と敵討を見せられるのはキツイ。ご出演されている方には本当に申し訳ないんですが、出演者は投げやりじゃないけど、企画が投げやりに感じる。「沼津」で帰るのが一番面白いよな……。と思った。(最後まで観ましたが……)

ふたたび通し上演ができるようになるのは、いつになるだろう。ひとまずは、大阪錦秋公演の『ひらかな盛衰記』半通しを楽しみにしようと思う。

 

 

 

今回は会期中、文楽劇場の記録映像配信サービス「文楽プレミアムシアター」で、昭和59年11月上演の『伊賀越道中双六』「沼津の段」が配信されていた。
出演は、義太夫竹本津太夫・竹澤團七、人形は十兵衛=初代吉田玉男、平作=二代目桐竹勘十郎

今回の国立劇場公演とは雰囲気がかなり違っていた。まず平作のヨボヨボぶりが床・人形ともヤバイ。まじジジイ。そもそも喋り方が怪しく、語尾がところどころ何言うてるかわからんというガチシニアぶりで、心がざわつくリアリティがあった。これを聴くと、津太夫の弟子である意味師匠と同じくクセ鬼強である錣さんの「沼津」を聴いてみたいなと思わされる。
人形演技も、田舎の小汚いジジイ風、だらしない方向に寄せている印象。最初の街道筋の場面から平作内へ移行するところで、ひとりヨタヨタとやたら遅く舞台を歩いていく姿のマジジジイ感はすごい。急いでるお年寄り、たしかにああいう動きをする。病院とかバスとかで、「ゆっくりで大丈夫ですよぉ!」と言われるやつだった。
今月の平作は、田舎者とはいえど、洒落たところがある老人なんだなと思った。実際、平作は裕福な都会暮らしをしている十兵衛と普通に会話ができるほど、風流だし。

初代吉田玉男師匠の十兵衛は、洗練されて非常に品のある雰囲気。今回の玉男さんと大きく違うのは、冒頭の街道筋の場面の時点で、平作のことをかなり気にしている点。十兵衛は実はこのときから、「自分の実の親が生きていたら、これくらいの歳ではないか? もしかしたら自分の親も、このような苦しい暮らしをしているのではないか?」と思っているのではないかという奥行きを感じる。初代玉男師匠の十兵衛には、どこか、影がある。平作内での突然の親子発覚展開にも関わらず、十兵衛がすぐに父妹へありったけのお金をあげたいと思ったり、養子に出されたときの書き付けを今も持っていたことを考えると、彼は常々ずっと、生き別れの親のことを考えていたのではないだろうか。
後々親子であることが発覚する展開への伏線、というか、脚本の無茶展開に人形演技で整合性を取るというアクロバット演出だと思うが、単なる「思わせぶり」「いかにも伏線」に堕しない、よく練られた演技だと思った。

初代吉田玉男師匠の人形演技への探求は面白くて、平成3年公演の「沼津」での十兵衛役を観ると、このときとは演技が変わっているところがある。わかりやすいのは、平作内でお米にお茶を出されたときの反応。昭和59年の映像だと、お茶を受け取ってすぐに庭へ捨てている。しかし、平成3年公演の映像では、いまの玉男さんと同じように、右袖を掲げてお米の視線を遮ってから捨てている。数年のうちに、どのような考えの変化があったのだろうか。

初代吉田玉男師匠は、熊谷とか光秀とかもそうなんだけど、公演によって人形の細かい仕草が違っていることがある。晩年にいくほど、人形の演技が優しくなるというか、その人物が周囲の人物に対してどういう思いを抱いているかが配慮されている気がする。映像を何本か見比べると、常に探究を絶やさない人であったであろうことがわかる。文楽劇場国立劇場の記録映像配信事業がはじまり、気軽に初代吉田玉男師匠の映像が観られるようになってきているのはありがたい。できれば、単発配信だけでなく、見比べができるような配信方式にして欲しい。

 

 

 

 

*1:原作では、ここで出張買取の古道具屋が突撃してくるくだりがある。古道具屋は、街でお米から相談を受け、先に金渡したのに、こんなド貧乏ハウスでは買い取れるものがあらへんやないかーい!!!!金返せーーー!!!!と騒ぐ。お米が金をもう使い込んでしまっていてニッチもサッチもいかない中、十兵衛がその分を立て替えてやる。現行上演ではカット。

*2:なおこの箇所、初代吉田玉男はお米の右手の腕を握る所作で、遊び人が本気でやっている風に見せている(昭和59年、平成3年公演の場合)。