TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 5月東京公演『菅原伝授手習鑑』道行詞の甘替、安井汐待の段、杖折檻の段、東天紅の段、宿禰太郎詮議の段、丞相名残の段 国立劇場小劇場

『菅原伝授手習鑑』記事の続き、第二部篇。

再び、登場人物相関図を貼っておきます。

贋迎いを時平の手下として描いていたけど、あいつたぶん、土師兵衛が雇ったバイトだな……。

 

 


菅原伝授手習鑑、二段目 道行詞の甘替。

あらすじ

斎世親王・苅屋姫と巡り合った桜丸は、飴売りに姿を変え、二人を飴箱に隠して土師の里へ向かう。その道中、飴を買いにきた里人が菅丞相左遷の噂をしているのを耳にした一行は驚き、菅丞相を配流する船がつけられているという安井の港へ向かう。

あの飴箱、「熊谷陣屋」(一谷嫰軍記)に出てくる鎧櫃的な「あれ」だな。人形だから折りたたんで詰め込めば入るのだという観念が、本当に、良い。
桜丸が売っている棒付き飴に、なんか、ティラノサウルスみたいなやつ混じってねぇか? と思ってオペラグラスでよく見てみたら、猿だった。

最後に出てくる娘と老女方の女性二人は、「飴を買いにきた親子」の設定だろう。この場面は、浄瑠璃本文だけだと「家にいる幼子への手土産を買いにきた親同士が噂話をしている様子」のように思えるけど、なぜこんな人形になっているのだろう? 人形のこしらえからかは、お出かけ中の町家のお嬢様とその家に勤める女中に見える。

全体的には散漫な印象だった。
(この感想のほうが散漫)

 
 
 
 
 
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安井汐待の段。

安井の港では、菅丞相を筑紫へ送る船が日和見をしていた。
港へたどりついた桜丸は、監視の役人・判官代輝国〈豊松清十郎〉へ、菅丞相に一目会い、罪の事情を伺いたいと願い出る。菅丞相の罪は苅屋姫と斎世親王の密通によるものだと輝国が語ると、姫と親王は自分たちのために丞相が流罪となったことに驚き、嘆き悲しむ。二人は丞相への面会を懇望するも、輝国は、ここで面会してしまってはいよいよ丞相の罪は重くなると語る。それを聞いた桜丸は、斎世親王は姫と別れて禁庭へ帰り、改めて丞相無罪の申し開きをすべきだとなだめる。
そうしているところへ何者とも知れない乗物がつけられる。駕籠から現れた女は、菅丞相の伯母・覚寿の長女である立田前〈吉田一輔〉だった。姉様と喜び駆け寄る苅屋姫だったが、立田はそれを突き放し、汐待のあいだに菅丞相を土師の里へ一宿させ、母覚寿に暇乞させたいと申し出る。輝国は、同族の願いは聞き入れられないが、この浜辺の宿は心もとないため、土師の里・覚寿のもとで宿を借りることにしようと、言外に面会を許す。喜ぶ立田に、苅屋姫は自分と菅丞相との面会も願って欲しいと袂を引くが、立田は姫を叱りつける。覚寿が生んですぐ菅家へ養女へ行き、菅家の姫君となった身であるにもかかわらず、親王に恋を仕掛けてこの大事に至ったのはあまりに道義に外れているという、姉だからこその親身の怒り。菅丞相はそのやりとりを輿の中で無言で聞いているのだった。
輝国は、桜丸へは斎世親王法皇の御所へ送っていくように命じ、立田には、菅丞相の輿に苅屋姫を付き添わせてはならないが、それはそうと、姫は土師の親元へ預けるように言いつける。菅丞相の輿は土師へ向かって出発し、思わずそれに追いすがろうとする苅屋姫と斎世親王を桜丸がとどめ、立田は二人を引き分けるのだった。

(現行、詞章を一部カット。冒頭部にある、菅丞相と輝国の会話が抜かれている。その部分では、法皇から輝国へ、配流の汐待のあいだに菅丞相を覚寿へ暇乞させるようにという命令が出ていることがわかる。現行の舞台では、『勧進帳』の冨樫のように輝国が独自判断で土師へ行かせているように思えるが、実際には法皇が干渉していることがかいまみえるくだりだ。また、原作には、「失踪なんかしてもう御所へ帰りたくないし!」と言う斎世親王に、輝国が法皇の御所へ行けば大丈夫となだめる一幕もあり、物語に対する法皇の存在が大きい。法皇とは、本編中には名前は出てこないが宇多法皇で、菅原道真を重用し、本作でいう「帝」、藤原時平と結びついていた醍醐天皇と対立していた人物である)

書割に浜辺の風景が広がる。安井というのは、いまでいう天王寺区安居神社(安居宮)で、天王寺動物園の北のところ。江戸時代はあのへんまで海だったんですね。

この段について、清十郎さんはブログに「この場があると、菅丞相、また直に対面の叶わぬ苅屋姫の哀しみをより強く感じて戴ける筈」と書いていた。それは、清十郎さんに想像力や演技力があり、自分ならこうするという想定を持っているから言えることだと思う。
戯曲の構成としては、苅屋姫、桜丸・斎世親王が知っていることは道行・汐待・道明寺それぞれの段で段階を追って明かされていくようになっており、事態の深刻さがだんだんわかってくるように作られている。つまり段ごとに新たに見聞きすることは本来異なるものになるので、演技としての反応も変化していくと思うけど、そのように演じるのは、難しいということなんでしょうね。実際、道行と汐待はゆるさも含めて似たような状態になっていると思う。

そんなこんなで「安井汐待」は〇〇年ぶりの上演という言葉が多く踊っているため、歴史的に省かれやすい、希少な段かのように思える。しかし実は、江戸時代から明治時代の『菅原伝授手習鑑』通し上演の番付を見ると、道行は上演せずとも汐待を上演している場合が多い。(両方上演しない場合が一番多い。大正期は両方上演なし)
現在の興行形態で汐待よりも道行のほうが上演頻度が高いのは、道行を出せば床の人数が稼げるとか、そういう大人の事情?

判官代輝国は、違う配役のほうがよかったのでは。人形の傾きや歪みが許容範囲を超えており、役の性根に合っていない。というか、清十郎さんこそ、苅屋姫をやってほしかった。苅屋姫に求められているのは、この方のような感性の横溢、情緒性だと思う。

下手(しもて)にいる輝国の部下のツメ人形が清治さんにやたら似ていた。

f:id:yomota258:20230602203934j:image

(すみません、むしろ清治の写真見て描きました)

 

 

 

杖折檻の段。

河内の国、土師の里。郡領の後室・覚寿の館では、菅丞相の暇乞のもてなしが行われていた。立田前は連れ帰った苅屋姫を小座敷に隠れさせていたが、館の立て込みに母覚寿の側を離れることができず、いまようやく姫を息苦しい小座敷から連れ出しにきたのだった。苅屋姫を菅丞相に会わせるべく、立田は覚寿へそれとなく願おうとしていたが、厳格な母はそれを許さない。配流の船の日和待ちも3日目となって天候が回復し、判官代輝国からは明日八つに出立の知らせがあり、残された時間は短い。
姉妹が涙ながらにどうしようかと相談していると、いつの間にか後ろで立ち聞いていた立田前の夫・宿禰太郎〈吉田玉助〉が姿を見せる。宿禰太郎は田舎の武家の自分の身の上とひき比べ、京都の公家へ養女に行った苅屋姫の美しさをチヤホヤして軽口を叩く。覚寿に命じられ、輝国の旅宿へ「菅丞相は一番鶏の声を合図に出発」という申し合わせに行くという宿禰太郎は、よい思案が出たら教えてやろうと言って出かけていくのだった(平安時代でもやっぱり仕事は事前打ち合わせしなくちゃいけなんですね……)。
立田前は、言っても埒の明かない母は菅丞相から離れており、夫も外出したとして、もう誰にもことわらず、この隙に苅屋姫を丞相のもとへ連れていこうとする。ところがそのとき、背後から「不孝者」という声がかかる。襖を開けて現れたのは、二人の母・覚寿〈吉田和生〉だった。苅屋姫へ杖を振り上げる母を抱きとめ、腹が立つなら自分を打つように、養子にやれば我が子ではなく菅丞相の姫君であると立田は妹をかばう。苅屋姫はそんな立田をかばい、母の前に出ようとする。だが覚寿の怒りはおさまらず、養子にやったといっても甥の娘は甥孫であると言い、立田、苅屋姫二人ともを杖で打擲する。
しかしそこに菅丞相の声がかかる。斎世親王に不憫をかけられた苅屋姫を折檻せぬように、娘と対面するというのだ。覚寿は涙ながらに倒れ伏し、菅丞相の情けを喜ぶ。覚寿は姫を丞相のいる奥の間へ行かせるが、不思議なことに、そこにはただ木でできた菅丞相の像があるばかりだった。
その木像は、覚寿が形見にと菅丞相に願い、丞相が自ら彫りあげたものだった。先に作った2つは形ばかりの木偶なので打ち捨てられたが、覚寿に贈られた3つめのこの木像には魂が宿っているという。覚寿は、帝への憚りあらばいくら会いたくても菅丞相との直接の対面は叶わず、木像を木像と思わず父と思うようにと苅屋姫に言い聞かせる。
そこへ、宿禰太郎の父・土師兵衛〈吉田簑二郎〉が菅丞相出立の手伝いと称して訪ねてくる。出迎えた覚寿は立田前に寝間をとるように言いつけ、苅屋姫を連れて奥へ入る。それを見送った土師兵衛と宿禰太郎はなにやら密談をして、邸内で別れるのだった。

やはり、和生さん(覚寿)が出てくると舞台の解像度が急激に上がり、場が締まる。周囲の人もそれに反応するようになる。そこが舞台の基準や目安になるからだと思う。客もそこを手がかりとして見られるようになる。

そのためか、この段、人形の実力の階層がはっきりわかるようになっていると思う。立田前は、覚寿なり苅屋姫なりの行動を踏まえたリアクションを間合いの適切さ含めて都度取っていて、周囲をよく見ている芝居になっていると思った。

菅丞相の木像は普通に菅丞相には似ていない。

 

 

 

東天紅の段。

密かに部屋を抜け出た土師兵衛は、庭の切戸口の錠をねじ切り、家来たちに挟箱を持ってこさせる。菅丞相迎えの装束と輿の準備をと言いつけて帰したところに、宿禰太郎が姿を見せる。実はこの二人は時平に加担しており、輝国の迎えの偽物を仕立てて丞相を誘拐し、殺害しようと企んでいたのだ。ただし、唐突に迎えが来ただけでは覚寿が渡すとは思えず、土師兵衛はそのためにある準備をしていた。その秘密の用意とは、挟箱の中に入ったニワトリだった。輝国が一番鶏の声を聞いて迎えに来るより先、真夜中のうちにこのニワトリを鳴かせて贋の迎えをよこし、丞相を誘拐しようという算段なのだ。しかし、宿禰太郎がつついてもニワトリは鳴く気配を見せない。土師兵衛は、湯を中に流した竹の止まり木にニワトリを止まらせれば、その暖かさで朝になったと思って鳴くという。
土師兵衛が宿禰太郎に茶の湯用の台子に沸かしてある湯を持ってくるように言っているとき、突然「太郎様」と夫を呼ぶ立田前の声が聞こえる。実は立田はこの親子の密談を聞いており、どうやってこの悪計を止めるかと思案していたのだった。宿禰太郎と土師兵衛は慌てふためき、挟箱の中にニワトリを隠してなんでもないかのように装う。立田は嘆きのうちに二人に丞相殺しを思いとどまらせるように必死に訴え、兵衛は心を入れ替えると誓う。その言葉を聞いた立田は安心し、二人には部屋で温まってもらおうと準備に先に立つ。しかし、その立田の背後を宿禰太郎が袈裟斬りにする。立田は宿禰太郎にしがみつき、よくも騙したなと恨み叫ぶ。宿禰太郎は構わず立田の口に下着の褄の先を押し込んで黙らせると肝先を抉り、息の根を止める。土師兵衛と宿禰太郎は立田の袂や帯の中に石を詰め込み、死骸を庭の池へ放り込むのだった。
邪魔者を始末した宿禰太郎はニワトリを鳴かせる湯をとってくると言うが、土師兵衛はそれはもう無用だという。土師兵衛は懐中松明の火で池の水面を照らすと、挟箱の蓋にニワトリを乗せ、池の水に浮かせて押し出した。不思議がる宿禰太郎だったが、土師の兵衛は、淵へ沈んだ死体を捜索する際、船にニワトリを乗せておくと、船が死体の上に来たときに鳴き声を立てるニワトリの習性を利用すると言う。そうこうしていると、やがて流されていったニワトリが羽ばたきをはじめ、コケコッコーという鳴き声を立てる。土師兵衛と宿禰太郎は喜んで、兵衛は贋の輿の準備に、また宿禰太郎は館の中へと去っていくのだった。

宿禰太郎は衣装の緑と赤のコントラストが鮮烈。ずっと前、文楽劇場の展示室で、玉志さんがでっけえにわとりさんを抱っこしている写真が展示されていたけど、宿禰太郎だったのね(おそらく2014年4月公演の写真だと思う)。
宿禰太郎は三人遣いのわりに、知性がツメ人形くらいの方なのだろうか。ほうれん草と小松菜の見分けができないタイプと思われる。質問のタイミングがナイスなので、教育番組のアシスタント役にはよさそうだが……。ある程度、遣う人が印象をコントロールできる役なのかなと思った。

 

土師兵衛の秘密兵器挟箱は、ツメ人形の若党が運んできた小さい箱を土師兵衛が受け取ったらいったん下ろし、いかにもにわとりが入りそうな大きい箱に交換していた。別に本当に箱の中ににわとりの人形が入っているわけでもないのに、わざわざ細かい。

全然言うこと聞かないにわとり(異様にリアルな原寸大)への対応策は、「ケツに爆竹を詰めて点火」かと思っていた。人は平気で殺すのに、動物には優しいんだね。
土師兵衛がレクチャーする「にわとりを変な時間に鳴かすテク」のうち、止まり木に湯を流すほうは、『男女御土産重宝記』(江戸時代の便利知識本)に載っているというので読んでみた。なるほど、竹の節をくり抜くところから手順が説明されていた。確かにそれ忘れちゃいけないね。湯加減はほどよくとのこと(レシピとかで一番困る書き方)。なお、にわとり鳴かせはそれ自体が便利知識なのではなく、悪質な宿屋において、夜のうちににわとりを鳴かせて客を追い出し、夜闇に乗じて強盗するところがあるから気をつけろ、そういう宿はこうしてにわとりを鳴かせている、という記事だった。


立田前を池に沈める場面で、私の大好きな「小石のぬいぐるみ」が登場した。

小住さんの見台がにわとりだった。

 

ただこの段、夜の闇に紛れて、屋敷の庭の片隅で陰謀が話し合われているという話だよね。演奏が始終大騒ぎになっているが、ひそひそした部分をしっかり作らないと、立田殺害のおぞましさやニワトリが鳴くことによる物語の転換が見えづらいと思う。

 
 
 
 
 
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宿禰太郎詮議の段。

屋敷のうちでは、覚寿と菅丞相の最後の別れの挨拶が交わされていた。覚寿は赦しの勅諚と帰洛を願い、菅丞相も覚寿の心遣いともてなしに礼を述べる。そうしていると宿禰太郎がやってきて、迎えの輿の到着を知らせる。輝国は道の警護をしているので、譜代の家来が輿について迎えに来るという。やがてやって来た迎えの家来〈桐竹紋吉〉とともに門口へ怪しい輿がつけられ、菅丞相はそれに乗って館をあとにするのだった。
宿禰太郎は菅丞相が贋輿に乗ったことをほくそ笑み、覚寿に休息を勧めるが、彼女は菅丞相に会えずに別れることになった苅屋姫や、苅屋姫の心情を考え呼び出さなかった立田前のことを気にしていた。しかし、出立したあとになっても立田が来ないことを不思議に思った覚寿は、腰元や奴に彼女を探させる。苅屋姫がひとりでいるのはすぐに見つかったが、立田がどこにも見当たらない。そのうち、庭を探していた奴宅内〈桐竹紋吉〉が血だまりを見つけ、血痕が池に続いていることに気づく。宅内は池へ飛び込み、中から立田の無残な死骸を引き上げる。知らせを聞いた覚寿と苅屋姫は驚き、立田の死骸にすがりついて嘆くのだった。ところが、夫であるはずの宿禰太郎は冷静に、館のうちにいるであろう犯人を見つけて処刑するのが立田への供養になると言う。まずは奴からと宅内をとっ捕まえ、池に死骸があったと知っていたお前が犯人だと決めつける。宅内は池のまわりの血痕を見つけただけだと弁解し、拷問して吐かせるという宿禰太郎と悶着になる。しかし覚寿は、責めることはない、娘の敵は知れたので、苦痛させて殺すべきだと言い出す。娘の敵の初太刀はこの母からという覚寿は宿禰太郎から刀を借り受けるが、覚寿が刺したのは宅内ではなく、宿禰太郎だった。
なんの科あってともがき苦しむ宿禰太郎に、覚寿は、宿禰太郎の下着の裾先がちぎれており、その切れ端が立田前の口に押し込まれていることを指摘する。立田前に声を立てさせないために押し込んで切り取ったことを忘れ、宿禰太郎は己の罪の証拠を己で表していたのだ。娘の敵をその死骸の前で母が取る刀、応えたかと言う覚寿は、さすが河内郡領の武芸を引き継ぐ後室である。
やがて、判官代輝国が迎えにきたという知らせが入る。菅丞相は先ほど見送ったはずと驚く覚寿はひとまず苅屋姫を奥へ下がらせ、宿禰太郎はそのまま片隅へ押しやって、門口へ輝国を通させるのだった。

宿禰太郎詮議の段」には推理小説的な趣向があり、立田前を殺した犯人を覚寿が解き明かすという場面が仕組まれている。

宿禰太郎は池の中から立田前の死骸を発見した奴宅内を犯人と決めつけ、手討ちにしようとするが、覚寿が一太刀目を浴びせたいというのでそのまま刀を貸す。ところが、覚寿が斬りつけたのは、宿禰太郎だった。
なぜ覚寿は宿禰太郎が犯人だとわかったのか?
殺された立田前は赤い布の切端を口にくわえており、その布の切れた元というのが、宿禰太郎の着ている着物の裾。「東天紅の段」で立田に叫び声を上げさせないためにくわえさせ、破り取ったまま回収を忘れて死骸を水に沈めたために、発見されたときもそのままだった。死骸が布をくわえていることは言葉としては「解決編」までは語られず、人形の演技でのみ展開される。立田前が赤い布をくわえていることはほとんどの観客が気づくが、その布が宿禰太郎の着物の裾だと気づく人は少ないのではないだろうか(実際には、左のふき先がおもいっきり三角に切れてほころび、中の白いワタか出ている状態にはなっている)。しかし覚寿は、立田前がくわえていた布と宿禰太郎の破れた下着が同一のものであることに気づき、娘の敵として宿禰太郎を刺したのである。

『菅原伝授手習鑑』の合作者のひとりである並木宗輔は、現代の視点から見ると推理小説のような浄瑠璃を多く書いていた。いわゆる「身替り」ではなく、謎解きや種明かしを趣向に組み込んだものだ。発見された死体は実は別人のもので死んだと思われた人は生きていた、実は物語開始当初から人物が入れ替わっていた等の推理小説的トリックが盛り込まれており、このようなネタは近代からのものだとか、日本にはない概念で海外から持ち込まれたとものではないことがわかる。推理小説的トリックの盛り込みは、現行上演がある演目では『一谷嫰軍記』がもっとも有名で、上演なしの作品では一時SNSでも話題になった『狭夜衣鴛鴦剣翅』などにみられる。「道明寺」はなかでも推理の解説を担う「探偵役」が出てくるため、もっとも「推理小説」らしい作品になっている。(ただし「道明寺」を並木宗輔が書いたと確定できる資料はない)

この展開を知った上でよく見ていると、覚寿が細かい演技をしていることがわかる。
立田前の死骸に打掛を着せ掛けてやるとき、口元に不自然な赤い布きれがあることに気づき、少しツンツンと触っている。
立ち上がって座敷へ向き直ったあとには、どこも見ていないような不思議そうな目線で懐に手を入れ、少しうつむいてなにか思案している様子を見せる。悲しいとはまた違った表情だ。
宿禰太郎が奴宅内を責めているうち、宿禰太郎の赤い着物の違和感に気づき、裾を覗き込む。やがて何か確信したような表情に変わり、一太刀目を浴びせたいと言い出す。
こうした一連の流れで、覚寿が宿禰太郎の犯行に気づいた様子が人形の演技というかたちで示されていた。これらの演技は目立つようにはやっておらず、あらかじめ展開を知っている場合にのみ気づくようなほんのちょっとした動きながら、なにやってんだかわからないような曖昧なものにはなっておらず、また、タイミングの合わせがしっかりしているのはさすがと感じた。
覚寿は常に目線がしっかりしているので、ちょっとした動きであっても意味があるとわかるのが、和生さんの芝居が信頼できるポイントである。逆に、観客は覚寿の動きから「推理」ができるようになっているのだ。宿禰太郎に刀を借りる際、さも非力なヨボヨボババアぶって油断させているのも良い。覚寿は実は団七よりも殺しに手慣れているのが、ヤバイ。

 

ただこの部分の冒頭、話を混乱させる芝居になっている人形がいる。立田前の死骸が見つかった際の他のキャラクターの演技だ。覚寿はまず立田前の死骸に目を向けて驚いてから、そちらを気にしつつ慌てて庭へ降りる。ところが、奥から出てきた苅屋姫は死骸に目もくれず、目線を進行方向に向けたままいそいそと庭へ降りる動作になっている。これだと、コナンくんなら「あれれー?」と言って苅屋姫に疑いをかけてくる。なぜ実の姉の惨死体を見て驚かないのか。宿禰太郎論法なら、それこそ苅屋姫は死骸が上がるのをあらかじめ知っていたからということになる。後半、姉の死体にすがっているときに動かず(泣かず)に固まっているだけというのは「まあ、覚寿の芝居の邪魔はできんから」と見逃しができるけど、死骸にリアクションがないとさすがに矛盾が出てしまう。
劇総体のディレクションをする演出家がついている現代劇でこの芝居をしたら、稽古の段階で指摘されるだろう。しかし文楽だとそれがないので、自分で細かいところまでよく検討しないと、永遠に「よくわかってない人」のままになっちゃうんだなと思った。少なくとも、もうちょっとはっきり死骸を見る演技をしたほうがよかったのではないだろうか。
ちなみに宿禰太郎はノーリアクション。意図的かどうかはわからず解釈にもよるが(記録映像だとリアクションしている人もいる)、このあと妙に冷静に犯人探しをしはじめるくだりを考えると、別にわざとらしく驚く必要はないと思う。つまり、この曲のように脚本上に厳密な設計のある演目では、それぞれの役割に応じた演技の正確性に注意を払うべきであり、苅屋姫が宿禰太郎と同じリアクションになってしまっているのは問題があるということです。

 

話を和生さんに戻して、和生さんの上手さというのは、浄瑠璃通り精緻に演技をこなすことだけではない。今回、あらためてよくわかったのが、和生さんには周囲までを上手く見せる技術があること。
たとえば、覚寿は、宿禰太郎や土師兵衛に向かって話すときは、顎を若干上げて上を向いているような姿勢になる。これによって、宿禰太郎や土師兵衛が立派な人形に見える。もちろん、覚寿も非力な老婆らしく見える。逆に「杖折檻」では、大きく伸び上がり、しっかりと立ち上がった強い姿勢で杖を杖を振り上げることで、母あるいは後室の威厳を示す。そして、これによって、娘である立田前・苅屋姫は健気な者たちに見える。役というものは、同時に出ているほかの役と常に相関しており、その関連性を積極的に描写できる人こそが上手いということを実感した。
和生さんは「人間国宝」だから上手いとか、覚寿のような「スゴイ役」をやっているからとか上手いとか、「上品な芸風」だから上手いのではなく、和生さん自身が本当に上手いのだということが、わかった。

 

贋迎いはヤバすぎるドピンクの半素袍とメガネがかわいい。舞台上でメガネをかけるキャラはしばしばいるものの、一発でメガネをかけられるかといったら失敗しがちなところ、今回は私が見た回すべてで一発成功していた。よっ、メガネの大師匠!!!! JINSのCMに出てくれ!!!!!!!
こやつの役名は贋「迎」となっていて、「むか」じゃなくて「むか」なのが大阪っぽい。でも、「むか」は訛るのに、かしらの名称の「鼻動き(はな・ごき)」は「はな・ごき」じゃないのか。「ごく」は大阪というより西日本広域の方言か? 西日本圏のみなさん、「ごく」、言うよね??? 「あの銅像、いま、ごいたでッ!」みたいな感じで……。

 

宅内は、池から上がったあと、ずいぶんと時間をかけて身支度をする。最後に股間を提灯で温めているのが可愛かった*1。乳首がとても立派なのも良かった。

 

それにしても、とりあえず、な感じでほっとかれてる死体と半死にの人、怖い。『K2』ならその場で大動脈を縫合したり、挫滅した肝臓をなんとかしてくれるかもしれない。

 

 

 

丞相名残の段。

やってきた判官代輝国に、菅丞相は輝国の部下の迎えですでに出立したと答える覚寿。輝国は、今しがた旅宿のニワトリが鳴いたため約束の八つの刻限に参上したのであって、いくら名残惜しくとも偽りは申されるなと言う。覚寿はこの状況を見て、あの迎えは贋物かと思い当たる。輝国もまた覚寿の言う通りに讒者の仕掛けた罠であると考え後を追おうとするが、そこに菅丞相の声がかかる。驚いた輝国と覚寿が振り返ると、一間から菅丞相が姿を見せる。
驚く覚寿に、輝国がやはり嘘であったかと菅丞相の出立を促していると、さきほど来た迎えの役人が戻ってきたという知らせが入る。輝国は贋物の様子を探るとして身を隠し、丞相は再び一間のうちに入る。そうこうしているうち、門先へ輿をつけた迎えの役人=贋迎いは、さきほど連れて出た菅丞相は生身の菅丞相ではなく木像だった、生身の丞相を渡せとわめき立てる。覚寿はさては木像が身替りになってくれたのかと心付き、贋迎いにその木像を見せてくれるように頼む。ところが、贋迎いが引き開けた輿の扉から現れたのは、木像ではなく出立した菅丞相その人であった。贋迎いと覚寿は共に驚くが、どう見ても生きている菅丞相そのものである。贋迎いは先ほどは確実に木像だったと騒いで家探ししようとしたところ、宿禰太郎の無残な姿を発見してさらに驚く。その声に急いでやってきた土師兵衛は覚寿を責め立てるが、覚寿は土師兵衛こそ一件の主犯で、贋迎いの棟梁だと糺弾する。時平に加担し、菅丞相を誘拐して殺さんため、ニワトリの夜鳴きまで仕掛けて贋迎いを仕立てたことを言い散らし、覚寿を手にかけようとする土師兵衛だったが、現れた輝国に取り押さえられる。その様子に贋迎いや輿かきたちは一人残らず逃げ散っていくのだった。
覚寿は改めて残された輿のうちを改めるが、そこにあったのは菅丞相の木像だった。またも驚く覚寿に、一間から再び菅丞相が姿を見せる。覚寿はさらに驚き、輝国も二人の菅丞相に目を疑う。菅丞相の語ることには、夜中、輝国の迎えまでにしばらく微睡んでいたところ、騒がしい物音に気が付いて外を見てみると土師兵衛親子の悪計や立田殺しが行われているのを見つけたという。自分がここへ来なければ覚寿に嘆きをかけることもなかったと嘆く菅丞相に、覚寿は菅丞相の身に怪我過ちがなかったことが喜ばしいと言う。しかしその目には、涙が浮かんでいるのだった。覚寿は宿禰太郎の髻を掴んで菅丞相の無事の姿を見せつけ、刀を抜くと、宿禰太郎は息絶える。覚寿はその刀で髪を切り払い、いままでは法名ばかりであったが、娘を弔うために尼になることを語り、菅丞相とともに仏の名号を唱えるのだった。輝国もまたそれに感じ入り、土師兵衛の首を討ち落とす。
覚寿は菅丞相の隣に木像を並べ置き、木像の起こした奇跡を不思議がる。菅丞相は、巨勢の金岡が描いた馬は夜な夜な絵を抜け出て萩を食み、呉道玄の雲龍が雨を降らせたという、絵に描かれたものが生命を得て動きだした奇跡の伝説を語る。神仏の像が人の命を救う身替りになったためしも数知れず、三度作り直した木像も魂が宿って菅丞相を助けたのではないかという。菅丞相が形見として残したこの像は、いまでも荒木の天神として、河内の国の道明寺に残されているのである。
いよいよ出立を促す輝国の言葉に、覚寿は腰元らに命じ、苅屋姫の上着をかけた伏籠を持ってこさせる。船で海風を防ぐのに持っていって欲しいと輝国に頼む覚寿をとどめ、菅丞相はその香りは伏屋か“苅屋”であろうと言って、小袖の贈り物を断る。その「小袖」は覚寿に預けるので、ともに立田前の仏事を行って欲しいと言うことによって、菅丞相は覚寿の心遣いに答える。その言葉に、伏籠の中の苅屋姫は思わず大きな泣き声を立ててしまう。覚寿は別れに一目会ってやって欲しいと小袖を取ろうとするが、菅丞相はそれをとどめて、その声はニワトリの声であるという。小鳥が鳴くときは親鳥も鳴くと語る菅丞相は、「鳴けばこそ 別れを急げ鶏の音の 聞こえぬ里の暁もがな」という歌を詠み、出立しようとする。この歌から、河内の里では今でもニワトリは育てられていないという。
伏籠の鳥のような身の上になった菅丞相は雲井の昔を思い出して嘆き、夜明けは訪れても、彼の心は闇に閉ざされたままである。その闇を照らす仏の誓願にちなみ、「道明けきらき」と呼ばれる道明寺(天満宮)はいまも栄えている。数珠を手に嘆く菅丞相は、最後に一目と苅屋姫を振り返る。これがこの世の別れになるとは知られず、親子は別れるのだった。

人間としての菅丞相を描く、玉男さんの持ち味が、とてもよかった。

雲の上の存在、一種の偶像になっているような人物に実は「普通の人」の一面があったという役、玉男さんは上手い。良弁上人(良弁杉由来)もだし、もう少し卑俗な役なら景清(嬢景清八嶋日記)もそうだ。人形の演技はあくまでも謹厳だけど、佇まい自体に優しげな表情がある。荘厳な人形のうえにチラチラと情感があらわれる。普段は大きく構えている玉男さんだけど、何か気になるものを発見したとき(?)は、ちょっと性急になるよね。それは本当はダメなんだけど、あの、何か彼にとって大切なものを、(ホンに書いてある以上に)とってもとっても気にしている感が玉男様らしくて、愛しい。

菅丞相は、本来、もっとクリーンで知的、かつ高貴な雰囲気の役だと思う。そういう意味では、おそらく、和生さんなり玉志さんのほうがはるかに適正が高い役だろう。でも、この段の愛娘を気にして微妙に「ソワ…」とする優しげな菅丞相だけは、玉男さんにしかできないと思う。この甘っちょろさが、私にとっての玉男さんの魅力だ。

でも、なんかそういう、こざかしい話一切抜きで、やっぱり、玉男さんの人形ってかっこいいよなあと思った。段切の袖巻きとか、愛しい娘への思いを無理矢理断ち切るように強くバッチリ決まっていて、良かった。

 

宿禰太郎詮議の段」から「菅丞相名残の段」でもっとも注意を引かれる演出は、人形として出ている菅丞相に、「本物」と、「生きているかのように動く木像」があるという設定だ。ここでは、みずからの手で彫った木像が身代わりになったため、菅丞相は贋迎いに誘拐されずに済み、苅屋姫と再会することができるという奇跡が描かれる。
玉男さんの場合、「木像の菅丞相」と「本物の菅丞相」のあいだに、ものすごく極端な変化づけ、たとえば木像のほうを「昭和のロボット」のような動きにするといったあからさまな差をつけているわけではない。
玉男さんの「木像の菅丞相」と「本物の菅丞相」は、肩・二の腕の有無が違うように感じた。袖を振り上げて姿勢をなおすときの所作に一番違いが出る。木像のほうは、「文楽人形」そのものの構造のように、胴体から手への接続が欠落しているようだった。つまり肩や肘、それをつなぐ二の腕がないかのように、固く遣っていると思う(基本的に文楽人形は裸にすると全身があるわけではなく、肘から上はなにもない。肩から紐で吊ってあるだけ)。腕を上げて袖をなおす所作が不自然だ。逆にいえば「本物の菅丞相」の演技には肩と肘があるのだが、実はそもそも肩と二の腕と肘があるように遣える人形遣いというのは滅多にいないので、玉男さんならではの区別だなと思った。もちろん、「木像の菅丞相」のほうは動き方がややぎこちない等もあるのだが、改めて、玉男さんの人形の肩や二の腕の表情の強さを思うのだった。
(歩き方も少しだけ違います)

と、さもいい話かのように書いているが、「木像の菅丞相」を玉男様がやると、ドカベンになることがわかった。
なんていうんですかね? あの四角形が動いてる感? ガッチリ感?
ドカベン文楽編開幕。
いや、玉男様は悪くないッ。かしらを太眉にしたのが失敗だった。しかもマット眉。和生よぉ〜、なんで「本物と同じ普通の眉毛で!」って指定してくれへんかったんや〜。玉男がやったらドカベンになるのはわかっとったやろが〜い。和生ドカベン知らんのか!?!???!!!(全部和生のせい?)
初代吉田玉男は、物語が進んでいけば贋物と本物がいることが明らかになっていくように書かれているし、贋物と本物は衣装の色でわかるから(贋物はクリーム色、本物は紫色)動作なり眉メイクなりで極端な区別をつけなくてよいと『吉田玉男 文楽藝話』で語っている。これ、初代は作為性を嫌う人だからそう言ってると思うんだけど、いまの玉男様は違う意味で区別つけなくていいですと思った。玉男さんご自身はどう考えているんだろう。いや、私がドカベンという存在を記憶から抹消すれば、なんの問題もないんですが。

 

床はなによりも、質朴なものがそのままに表現されていたのがよかった。
千歳さんは普段、男性主役のいかにも派手なドラマ部分が終わると、あとのくだりでは集中力が持ってないような語りになることが多いと思う(特に「封印切」など女性が出てくるもの)。この曲でそれやられたら困るなあと思っていたけど、未完成な印象はありながらも、最後までやりきる意思が感じられる浄瑠璃になっていた。
未完成というのは、浄瑠璃の中にある大きな波の設定がゆるく、荒削りという意味だ。けど、今の段階でも一本調子というわけではない。曲のうちどこが満潮なのか、高潮はどこなのかを探っている印象だった。ガクガクとした部分は富助さんが三味線でなだらかなつながりを作るようカバーしていたので、それはそれでいいのだと思えた。
そしてまた未完成というのは魅力でもあって、あと十年後なりに千歳さんの「道明寺」がどうなるのか、聴いてみたいと思った。

 

宿禰太郎詮議の段」から「丞相名残の段」は、文章の描写の間(ま)が妙に詰まっている印象だった。演奏ミスで間合いが詰まってしまい、人形の動作がやむなく変に素早くなることはしばしばあると思うが、本作は浄瑠璃の文章自体が速い。浄瑠璃の文章そのままだと、覚寿はとても移動しきれないほどのたくさんの動きが指定されている。近松物並みに行動の指定が多くてやかましい。現行では、菅丞相のいる一間の襖を開ける、木像を輿から一間へ移す等の所作は、覚寿自体がそれをするのではなく、腰元のツメ人形が代理で物を持ち運ぶなどの処理がなされていた。
初演当時はどうしていたのだろう。当時は三人遣いに完全移行していないから、覚寿が本当に動けたとかなのだろうか。

 

あと、苅屋姫が入っている伏籠、現行上演だと結構でかくて本当に人形入りそうだけど、突然のリアル寸法だな。飴箱とは大違い。そりゃ、小袖に香を焚き染める用の籠だと思えばそれなりにでかいのはわかるけど、なんじゃ? 『仮名手本忠臣蔵』十段目の長持理論か?(いらんとこに食いつき)

 

 
 
 
 
 
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  • 義太夫
    • 道行詞の甘替
      桜丸 豊竹希太夫、斎世 竹本小住太夫、苅屋姫 竹本碩太夫、ツレ 竹本聖太夫(前半)豊竹薫太夫(後半)、竹本文字栄太夫/鶴澤清志郎、鶴澤清𠀋、鶴澤燕二郎、鶴澤清允、鶴澤清方
    • 安井汐待の段
      豊竹睦太夫/野澤勝平
    • 杖折檻の段
      豊竹芳穂太夫/野澤錦糸
    • 東天紅の段
      竹本小住太夫/鶴澤藤蔵
    • 宿禰太郎詮議の段
      豊竹呂勢太夫鶴澤清治
    • 丞相名残の段
      切=竹本千歳太夫/豊澤富助

  • 人形
    舎人桜丸=吉田玉佳、里の童[下手・おかっぱのほう]=吉田玉征、里の童[上手・カッパスタイルのほう]=桐竹勘昇、苅屋姫=吉田簑紫郎、斎世親王=吉田玉勢、里の娘=吉田簑悠、里の女房=桐竹勘次郎、判官代輝国=豊松清十郎、立田前=吉田一輔、伯母覚寿=吉田和生、宿禰太郎=吉田玉助、土師兵衛=吉田簑二郎、菅丞相=吉田玉男、贋迎い=吉田玉誉(前半)吉田簑太郎(後半)、奴宅内=桐竹紋吉

 

 

 

『菅原伝授手習鑑』はおもしろい、と思った。
ただそれは戯曲自体に対する感想で、舞台には、全体的に12月中堅公演に近い印象を覚えた。よいところもあったけど、頑張り中かなーというのが一番の感想だ。とくになにかが改善される様子もないまま会期終了したような気もする。
若い若いといっても本当は別に若くない人も多いわけで、これをきっかけになんとかなりそうだというビジョンもあまり見えないこともあり、今後どうなるのかなと思った。

でも、全ての公演が全てベストになるわけないし、自分も、完璧だ最高だと毎回思わなくてはならないわけではないから、いいか。そんな5月だった。

 

 

↓ 第一部・第二部通しての感想と、初段の個別感想記事はこちら


 

漫画『応天の門』の作者・灰原薬氏によるイラストが展示されていた。

このイラストを見て、この漫画家さん、文楽見たことないだろうな、よくわからないのに、研究して頑張って描いてくれたんだな……と、孫に似顔絵をもらったおばあちゃんの気分になった。(実際、灰原氏は今回公演で初めて文楽の舞台をご覧になったようだ)

最近、美術展などでも近接題材の漫画を描いている漫画家さんの作品展示コーナーが設置されているのをよく見るようになったが、流行なのだろうか。美術展でもそうだけど、本来の趣旨であろう相互効果がもたらされるのかは、結構不思議に思う。会場に来ている人たちはよくわかってなかったっぽい……(私もわからない)。

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おまけ 『振袖天神記』について

近松半二・三好正楽らによる浄瑠璃に、『振袖天神記』という作品がある。(明和6年[1769]1月初演/道頓堀角之芝居 竹本義太夫座初演)
メインストーリーは貴族・紀名虎の叛逆だが*2、実はこの物語は『菅原伝授手習鑑』の前日譚として描かれている。若かりし頃の菅丞相、覚寿、白太夫、源蔵などが登場し、さらにはその一世代前の人々(親世代)が活躍することで『菅原』にまつわる謎解きがなされているのだ。

たとえば、『菅原』を見ていて疑問に思うこととして、「菅丞相はなぜ伯母でしかない覚寿にそんなに思い入れがあるのか? 覚寿もなぜそんなにも菅丞相に暇乞いをしたかったのか?」という点があると思う。『振袖天神記』ではこの違和感に、「覚寿は実は菅丞相の実母である」という答えを用意している。しかも、菅丞相は、実は菅家の実子ではなく、皇胤である。(初段〜二段目)
覚寿はもともと「軒端(のきば)」という名前の、貴族・紀名虎の娘だった。軒端は舞姫として節会に参内したおりに帝(清和天皇)の胤を宿し、やがて男の子を産む。ところが彼女の父・紀名虎は逆心を持っていたため、娘が皇子を産んだとしてその威で太政大臣になるでー!外戚ヒャッハー!と言ってドヤりまくる。父の横暴に耐えられなくなった軒端は子供を抱いて出奔。誠実なる菅原是善卿を見込み、皇子を育てて欲しいと頼む。是善卿はそれを引き受け、皇子を「菅三君」(のちの菅丞相)と名付け、菅家の子息として育てる。本作では、このとき5歳だった菅三君がさまざまな危機に見舞われながらも13歳に成長するまでが描かれている。

重要キャラながら、バックグラウンドが不明の源蔵の謎も解き明かされる。(三段目)
源蔵の父・白井太郎武任、母・くれはは、共に菅家へ奉公していた人物だった。彼らは主君の目を盗んで密通し、あわや処分されそうになったところ、菅原是善の奥方の配慮によりくれはだけが暇を出される。やがてくれはは娘・おそねを産み、弟の源蔵が生まれたころには武任も浪人。武任夫婦は武任の母・埋木を含めて家族で田舎に住居し、そこに、12歳になった菅三君、そして軒端をかくまっていた。武任は、菅三君と軒端の食い扶持を稼ぐため、くれはには何も言わず、埋木と相談して密かに野盗を働いていた。そこに不幸のピタゴラスイッチが発生*3、くれはとおそねが死ぬ。そのうえ武任は実は逆臣・紀名虎の血を引いていたことが発覚。母・埋木は実は紀名虎の妻だったが、気高い彼女は悪心を持つ夫を見限って離縁し、そのことを武任には隠したまま彼を育て、夫とは異なり誠実な是善卿へ仕えさせたのだ。菅家への責任感から、武任は老母の目前で切腹。雷神となり、菅三君を守護することを言い残して死ぬ。菅原道真と名を改めた菅三君は武任の誠意を感じ取って、幼い源蔵を自分の家臣とすることを宣言する。
つまり源蔵は身分は低くとも父母の代からの菅家の家臣であり、『菅原』で菅丞相が「幼少より我が膝元に奉公し」と語っていることに辻褄が合わせられている。

また、「白太夫の妻(三兄弟の母)が出てこないのはなぜ?」という件。本作では、そもそも白太夫は三兄弟の実の父ではないことが明かされる。(四段目)
太夫は、もとは度会春彦という菅家にゆかりのある伊勢神宮の社人だった。*4
菅原是善の娘・桂姫は、舎人之助という貴族の子息と密通し、妊娠。桂姫を保護した白太夫は、臨月の彼女を妻と偽り、植木屋として町中で暮らしていた。桂姫は、菅丞相からは姉にあたる。ところがそこに、紀名虎から「桂姫を入内さないのであれば首を討て」という命令を受けた上使・巨勢金岡と腰巾着木っ端がやってくる。唐帰りの絵師・巨勢金岡は、かつて偶然見かけた桂姫に懸想したゆえに狂気に陥っていたが、彼は突然、植木屋の隣家である紅粉屋の娘・小桜を見て、あれが桂姫だと言い出す。腰巾着木っ端は小桜の首を討ち、悠々と帰って行くが、一同はなぜ金岡が小桜を桂姫だと断定したのかわからない。実はこの小桜は、金岡の生き別れの娘だった。菅家に旧恩のある金岡は、桂姫を助けるために狂気のふりをして、実の娘を身代わりに立てたのだ。
まもなく桂姫は三つ子を出産。その場を訪れた菅丞相は三つ子は吉例と言祝いで彼らに梅王丸・松王丸・桜丸という名前を授けて白太夫の息子とし、天下泰平のために天子の舎人となすように白太夫へ言い渡す。このために白太夫は菅丞相の愛樹の名を持つ三つ子の父となったのである。*5

以上の概要からも感じ取っていただけると思うが、『振袖天神記』でうまいのは、『菅原』で愚行をおかす人物たちの父母・先祖もまた、彼や彼女と同じ愚行をおかす設定になっている点。白太夫は悪気なく菅家の姫君の密通の手引きをすることで事件の発端をつくるし、菅原是善の娘はその密通によって父と別れ別れになり、源蔵の父母もまた源蔵と同じように不義を犯し勘当される。『菅原』で設計されている二段目、三段目、四段目に描かれる離別の物語もおなじように各段に再現され、それが『菅原』の時代へとつながっていく。巨勢金岡の名画、鶏の鳴き声など『菅原』の重要モチーフや、天神信仰にまつわる習俗の由来譚なども物語に取り入れられている。
この曲を通して『菅原』を読み直すことができる部分も多く、当時にあって『菅原伝授手習鑑』がどのように受け取られていたのか伺える面白い作品だ。『振袖天神記』の翻刻は、同志社大学学術リポジトリで無料公開されているので、ぜひご一読ください。

 

初段〜二段目
https://doshisha.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=26478&item_no=1&page_id=13&block_id=100

三段目〜五段目
https://doshisha.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=27104&item_no=1&page_id=13&block_id=100

※上記ページ内にあるリンクから、pdfでダウンロード可能。

 

 

 

*1:この場面、紋吉さんは着物の裾の中へ提灯を入れて太ももに挟むようにしていたが、記録映像(1972年収録)で見てみたら、普通に提灯の前に座って焚き火風にあったまっているだけだった。いつのまに提灯をこたつにするようになったんだ!? 紋吉さんが目立ちたいだけのウケ狙いをすると思えないので、完璧に「宅内は伝統的にこういう芝居!」と思ってやってると思うが……。

*2:清和天皇の時代に紀名虎が叛逆を起こし、それを菅原是善紀貫之がおさめようとする設定。立太子をめぐる相撲伝説などをもとに描かれているようで、歴史的事実からは時間設定などがいじられています。

*3:不幸のピタゴラスイッチは複雑すぎるので割愛していますが、『忠臣蔵』五〜六段目などを取り入れた取り違え殺人など、ボリューム感のある趣向になっています。

*4:度会春彦は実在の人物で、菅原道真に仕えていたといわれる神官。白太夫=度会春彦説については『振袖天神記』のオリジナル設定ではなく、『菅原』の時点ですでに度会春彦がモデルだったと思われる。(販売プログラムに掲載されている寄稿には、元ネタとして別の人物が紹介されているが、寄稿者の立場的な理由により、道明寺天満宮の摂社である白太夫社の由来という観点から書かれているのではないかと思う。北野天満宮など、ほかの天満宮の白太夫社は、度会春彦を祀っているはず)

*5:そのほか、実は巨勢金岡と白太夫は幼い頃に別れた兄弟だとか、小桜の母は実は紀名虎一派の貴族の娘で、悪に染まった父を見限り町へ逃げてきた等の細かい設定もある。