TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

1970年代の麻雀裏プロ実情 〜『近代麻雀』以前の桜井章一?〜

以前、「雀鬼雀鬼流雀鬼漫画の歴史 桜井章一年表」と題し、1980年に桜井章一が『近代麻雀』に登場して以降のメディア露出/メディア化を追った記事を書いた。

この記事を書く前に、「桜井さんは、『近代麻雀』登場以前、70年代前半にも、飯干晃一の記事で『週刊文春』に載ったことがある」という話を聞いていた。しかし当時はその記事を見つけることができず、11年の歳月が経過した(歳月の経過怖すぎ)。

近頃、自分でこの記事を読み返し、「そういえば当時調べきれなかったことがあったな」ということを思い出した。そこで、国会図書館で再度調査してみたところ、必ずしも前情報通りではないが、ショーちゃんであろうと思われる人物が登場している週刊誌記事を発見することができた。

それだけではなく、当時の「プロ」、つまりいまの観点からいう「裏プロ」がどのようなものであったかを感じ取ることのできる記事の収穫もあった。美化された80年代以降の麻雀漫画(それこそ『ショーイチ』など)に描かれるものではなく、リアルタイムにおける下世話な週刊誌センスとしてのそれは、今となってはなかなかお目にかかることはできない。ショーちゃん「現役当時」(?)の裏プロのイメージを定義しなおす意味を含めて、ここに共有しておきたいと思う。

 

INDEX

 



週刊文春』1973年8月20日号「実践譜で見るプロ雀士の優雅な“殺し方”」

麻雀大流行の昭和40年代。『週刊文春』にも漫画家の福地泡介氏による麻雀関連の連載が掲載されており、世の中の麻雀ブームをうつした誌面となっていた。

そのなかで、1973年8月刊行号には、「イカサマ」の手口を紹介する短期連載の特集記事「麻雀イカサマ手口大全」全4回が短期連載されていた。その3回目の8月20日号には、「実践譜で見るプロ雀士の優雅な“殺し方” 短期錬成第3回 マージャンイカサマ手口大全 プロ実技篇」という記事が掲載されている。

イカサマは、小手先のワザばかりではない。いかにお客さんを呼びこみ、いかに上手にまきあげるかのテクニックも欠かせないそうな。だから超一流プロにまきあげられた人は、「オレは今日ツイてなかったんだ。こんどこそ……」なんて考える。もし、もしもですよ、あなたが一度でも、そんな気持にさせられたことがあったなら、あなたの相手は!?

引用『週刊文春』1973年8月20日号 P.140-144より 以下同

ここでいう「プロ」とは、いうまでもなく、競技麻雀の団体に所属するプロの麻雀プレイヤーのことではない。「イカサマ師」を意味する、いわゆる裏プロのことである。

「観戦子」(古式ゆかしき一人称)は、「いま、都会の雀荘では、プロと雀荘経営者のあいだで、熾烈な戦いがおこなわれている」という。新宿の雀荘「美里」の支配人・桜井春男氏という人物は、いま新宿には20人のイカサマ師がいて、このうち10人が歌舞伎町に集まっていると語る。
歌舞伎町に10人というのは多いんだか少ないんだかわからない絶妙な人数だが、そのようなプロのうち、「超一流のプロ」として、「桜井正一」氏という人物が登場する。「しょう」の字は異なるが、おそらくこの桜井正一氏というのが、のちの桜井章一、ショーちゃんなのではないか。記事に添えられた写真には、頬が大きくこけ、前髪を七三に分けた、背広姿の細身の男性が写っている。

「桜井正一」氏は、「美里」支配人・桜井春男氏、新宿「天和」支配人・双葉道夫氏、会社員・筒井康弘氏、吉田慎一氏とともに卓を囲み、「プロ」がどのように客を殺すのかという“殺しのテクニック”を披露する。双葉氏、筒井氏といった職業持ちは「カモ」役なのかと思いきや、彼らも積み込みなどのイカサマを披露する一幕があり、「ツレ」(イカサマの仲間役)もかねる建て付けのようだった。解説を担当するのは、当時すでに11PMの麻雀コーナーへの登場で知名度のあった「マージャン評論家」小島武夫氏だ。

ここに登場する「桜井正一」氏はじめ、桜井春男氏など麻雀関係の人物は、イカサマの冷静な講師役であり、「暗いイメージの業種ですが、一見チャンとしてるもんですよ」という打ち出しになっている。裏の業界人であることを鼻にかけてその美談や自慢を語ることはしない。その意外性が売りの記事ということだ。記事の切り口自体は、この連載のすべての回に登場し、解説役となる小島武夫のキャラクターの影響もあるだろう。が、この記事の「桜井正一」氏がショーちゃんだとすれば、後年、『近代麻雀』に登場したときの実話誌テイストとはまったく異なるキャラクターである。

 

記事は「プロ三人が客一人を殺す場合」、「プロ二人が客を殺す場合」(以上は基本的にセットを想定)、「プロが一人で殺すとき」(飛び入りのフリー雀荘の場合)とケースを分けて、牌図を交えたうえでの具体的な「殺し」の運びが解説されている。基本的には積み込み前提の例であり、「通し」や「すりかえ」によって、効率的に、また相手に悟られずに稼ぐ方法が述べられている。以下は、プロ三人が客一人を殺す場合の例を取り上げたレポートだ。並び順は吉田慎一氏(“お客さん”役)、桜井正一氏、筒井康弘氏、双葉道夫氏。

第一局

 桜井正一さんの配パイは、けっしてよいとはいえなかった。🀙🀏🀄がそれぞれ2枚、そろっているのは🀚🀛🀜だけである。ところが、🀙も🀏も、さらには🀄まで全部切っていったのだ。いったいどうなることか、と思っていたら、ツモるたびに数パイが、🀉🀊🀋と、ならんではいってくるではないか。
 やがて十五巡目にテンパイ。待ちは🀞🀡だ。と、スイと二葉さんの手が動いたような気がした。吉田さんが山からツモってそのまま捨てたら、これが🀞。桜井正一さんのあがり。

🀚🀛🀜🀟🀠🀉🀊🀋🀌🀈🀉🀊 ロン🀞

桜井「ぼくが自分でツモあがりをしたら、お客さんのへこみがすくない。だから吉田さんにふりこんでもらうようにした」
 つまり、桜井さんの“通し”をうけて対家の二葉さんが、自分の手ハイから🀞をぬいて、ほんらい吉田さんがツモるべきパイとすりかえたのだ。
小島「ぼくらがテレビで実演したりするときは、人に見せるためだから派手な手であがるけれども、プロがほんとうにやるときは、組んでいる仲間でも、他人みたいな顔をしているし、あがる手も地味なものが多い」

(略)

第四局

 カモの吉田さんが、はじめてメンチン・イーペイコウのハネ満であがった。配パイでは🀓🀚🀟がそれぞれ二枚、あとは筒子、万子、索子が二枚ずつあるがバラバラ。それに🀁が一枚はいっていた。
 ところが、ツモるごとに筒子がはいってくる。テンパイしてすぐ筒井さんが放りこんだのだった……、が、実ははじめから桜井さんが、こうなるように仕組んでいたのである。

🀚🀚🀚🀛🀜🀝🀞🀞🀟🀟🀠🀠🀡 ロン🀡

桜井「われわればかりがあがっていると、途中でお客さんがイヤになって帰るといいだす。それでは目的が達せられないから、適当にアメをしゃぶらせる必要がある」
小島「プロというのはむずかしいもので、たとえば、お客さんがあがらなかった場合でも、手を見て『リーチをかければ🀂がウラドラになったのに、おしかったですねえ』と、いかにも残念そうに言う話術がなければならない。お客さんが退屈したな、と感じたら、気持をひきたたせるように話しかけたりする話術もいる。
 また『ちょっとおかしいぞ』といわれたら、その回はサッとあがりを放棄して、この人たちのマージャンはきれいだなあ、と安心させなければならない。容貌も、イカサマ師らしい印象をあたえるようでは失格。上手な打ち手ほど、おとなしそうな感じをあたえるものだ。やっていることはロコツだけど、タテマエだけはきれいにしておかなければならないのがプロだ」

このブログを読んでくださっている麻雀漫画大好きっ子なら、テクニックそのものには驚きはしないだろう。しかし、驚かされるのは、裏プロ=孤高の雀士のイメージを裏切る、その「ビジネス」ぶりである。

この記事、あるいは連載から読み取れるのは、「プロ」は、技術さえあれば(「強ければ」)成立するのではなく、「お客さん」に違和感なくお金を落としてもらう接客術があってこそ成り立つビジネスであるというニュアンスだ。象徴的なのが、記事冒頭にある、雀荘側からマークされてフリーに出入りのできないプロはどうやって仕事をしているのかの記述。プロは、店側に顔の知られていない新顔を雀荘に派遣して金持ちの客を物色させ、目星をつけた客を個別の場へ引き込み、そこで「殺」しているという。このとき、彼らの分け前は「引き六、殺し四」。客から10万円を巻き上げたとすると、客を誘い込んだ者に6万円、殺した者に4万円。ビジネスと考えると、「営業」の取り分が多いのは、さもありなんと思わされる。

そしてもうひとつ。裏プロというと元禄積みなどの派手な個人プレイのイメージがあるし、当時の裏プロを扱う週刊誌記事でもその話題が多い。だが、この記事では、プロの最も重要な(あるいは有効な)技術は、積み込みではなく、複数人で行う連携プレイであるというリアリティのある談話が掲載されている。小島武夫は、積み込んだ者があがる必要はなく、むしろ、「通し」があれば積み込む必要はないと語る。プロは個人でなく、グループで仕事をするというのだ。

これらのことはあまりに世俗的で「カッコよくない」ために、のちに語られるような(麻雀漫画で!)美化された物語からは外されていったのだろう。しかしいま読むと、こういったリアリティにこそ面白みや時代を超えた身近さを感じられる。

 

連載の最終回、第4回(8月27日号「天地の差あり『プロとアマの間』」)では、一般会社員の素人4名がイカサマで打ってみるというテスト対局の記録が綴られる。積み込みをド失敗したり、逆にイカサマ関係なくラッキーで勝ったりするドタバタ対局を終え、彼らは「イカマ・マージャンというのは疲れるねえ」と感想を述べる。そして、雀荘支配人からのコメントとして、素人は勝って儲ける麻雀を目指すのではなく、手作りや心理戦を楽しむ麻雀に徹したほうがいいという「一般論」で観戦録は閉じられる。

そんななか、最後に、プロがイカサマなしで対戦したらどうなるのかが書かれている。

 たとえば、この連載に登場した超一流のプロ、小島武夫、桜井正一、桜井春男、筒井康弘の四氏がイカサマぬきで対戦した結果はどうであったか。
 何時間も戦った末、トップは桜井正一さんのプラス六千点、もっとも沈んだのが筒井さんのマイナス一万点であった。
 桜井春男さん(新宿「美里」支配人)がいう。
「われわれの対戦で、イカサマぬきではハコテンということはあり得ない。相手の手ハイと読み筋を考えるからだ。小島さんが🀋を捨ててカン🀎待ちにしたら、正一君が『その🀋はピカピカ光っているねえ』と笑った。手ハイのなかを知っているのだ。しかし、ほんとうにおもしろい対戦だった。

引用『週刊文春』1973年8月27日号 P.138-142より 以下同

ショーちゃんの「20年間無敗」は本当だったんだッ。(そこ?)
そして、全4回続いた連載は、以下の文で締められている。

 いま、23万円もするが、自動パイまぜ機というのが売りだされている。機械が、パイを全部伏せパイにして洗パイしてくれる。
 もうすこししたら、さらに改良され、山も自動的に積んでくれ、サイコロまでポーンところがしてくれるようになるそうだ。
 積みこみがどうの、などと考える必要はないわけだ。シロウトのマージャンは、ここ、つまりサイコロをころがしてもらったところからはじめたらどうだろう。
 もっともそうなれば「機械をこう操作すればイカサマができる」と題した連載が新たにはじまるかもしれないが。

実に示唆に富む文章だ。はたして自動卓イカサマのテクニック記事が掲載されることはなく、『週刊文春』に載る麻雀関連記事は、著名人対局ばかりになっていく。*1

 

なお、この連載の第1回(8月6日号)、第2回(8月13日号)には、「プロ」側、つまりイカサマを使う側として、小島武夫とともに青柳賢治が登場している。青柳賢治といえば、現在の意味でいう「プロ」と認識される「競技プロ」のはしりの人物というイメージだが、若い頃はこんな記事にも出ていたんだな。いろいろ見ていくと、『週刊プレイボーイ』のイカサマ麻雀記事の解説役に古川凱章が出ていたりもする(1974年3月19日号「古川名人が伝授するいま流行のインチキ麻雀を看破する法」)。ただし古川凱章の場合はさすがに(?)「いかにイカサマを防止するか」の立場で登場しており、「イカサマはできるけどしない」というスタンス。防止策として、「サイは2度振り」「洗牌は伏せ牌で」等、それはそうですなという指導がなされていた。




『週刊サンケイ』1971年9月1日号「これが“麻雀プロ”の恐るべき手口だ!」

もうひとつ、当時の「プロ」の実情を知るうえで、興味深い記事を見つけた。

上記『週刊文春』記事から遡ること約2年。当時の『週刊サンケイ』には、作家の飯干晃一氏が、一般には知り得ない世界に生きる人々にその内幕をインタビューする「告白座談会」という記事が連載されていた。
登場するのは、総会屋、温泉芸者、力士OB、大麻常用者、過激派学生、ホスト、婦人科医、ポルノ映画出演者など、いかにも昭和の週刊誌の覗き見趣味なコテコテ業種の人々である。その連載第18回に登場するのが、「麻雀プロ」だ。

これが“麻雀プロ”の恐るべき手口だ! 二日通して連勝一千万の大儲けもあるフシギな世界

会社の帰りに同僚と“中国研究会”などといっているうちに、やがて病が高じ他流試合も辞せずという麻雀天狗になるのが一番あぶない。天狗たちを殺さんとするプロ麻雀師たちが待ち受けているのだ。彼らはカモを本当に“コロす”と表現する。その華麗で情容赦のない全テクニックを公開してもらった。まったく驚いた。

引用『週刊サンケイ』1971年9月1日号 P.43-49より 以下同

この座談会では、A氏、B氏、C氏という3氏が登場する。飯干氏によると、彼らは「クマゴロウ」の武勇はちらりとも感じさせず、むしろきわめてハンサムな、一見好青年揃いだという。彼らについて、簡易な「スケッチ」が掲載されている。

「十分食えます」という。そのとおり血色はよろしい。一か月一晩稼げばよろしいとみえて、顔色さえざえとして健康的。もちろん着ているものはといえばフィンテックスかなにやら本場イギリス・メードらしき服さりげなく、サイフの中までのぞいたわけじゃないが、文字通り衣食足って礼節もといった気配。
 A氏、三十四歳。この道十八年というから、高校一年生から雀道にバク進した計算。現職はフリーのライター。はやりの麻雀講座でテレビにレギュラー出演している。
 B氏、Aさんの知人。というよりは蛇の道はヘビの知人。二十八歳で雀歴八年というが、いまが指先カンの走りともに最高。
 C氏、学生時代にBさんに麻雀のイロハを教えたというのだが、いまは仮称のとおりB氏からみるとその腕はC級とか。ただし、これまたクマゴロウの一人にはちがいない。
 三人とも、レッキとした有名大学の卒業。だが、これも一芸、会場の東京神田にあるマンモス雀荘「アイウエオ」特別室にしつらえた卓に司会者をまじえて、実技公開となれば‥‥。

このうちの「B氏」が、もしかするとショーちゃん……なのかもしれない。匿名登場で、『週刊文春』ではなく『週刊サンケイ』の掲載ではあるが、私の聞いた「飯干晃一の取材」という話には合致している(国会図書館雑誌記事索引大宅壮一文庫の検索で調べられる範囲ではあるが、飯干晃一の週刊誌掲載の麻雀関連記事はこれのみ)。当時のショーちゃんの年齢とは一応、一致。B氏の詳細はほとんどわからないようにされているほか、ショーちゃん自身の細かいプロフィールは公開されていないので、断定することはできない。そして、媒体の特性上、大幅にフィクションが織り込まれている可能性も高い記事だ。*2

ただし、当時の「麻雀プロ」の実態あるいはイメージを知るという意味では、とても興味深い読み物ではある。よくあるイカサマ解説記事とは異なり、生活者や職業人としての「プロ」の実態を解き明かすことに重きを置いたスタイルになっているからだ。たとえこの記事が「盛られている」にしても、当時世間ではそのようなイメージが流通していたことがわかる。

ここでは、前述の『週刊文春』1973年8月刊行号以上に、「暗いイメージを持たれますけど、一見普通で、爽やかなもんですよ。庶民的なところもありますし」という打ち出しが強い。裏社会とのかかわりも主に「面白ネタ」として語られる。この連載全般がそういうノリではあるのだが、当時は「裏プロ、すごい」という打ち出しだけでは、話題にならなかったことがわかる。70年代前半に黄金期となった東映の実録路線ヤクザ映画もそうだ。60年代後半の任侠映画にみられるカッコつけまくりの虚構のヤクザ像はすたれ、実録路線では、ヤクザの世俗的な面、泥臭い面を強調することで大ヒットしたのだから、社会から恐れられまた同時に見下される「ダークサイド」を扱う手つきのトレンドとしては、非常に理解できる。(『仁義なき戦い』公開は1973年1月)

 

座談会の話題は、みなさん気になる、レートからはじまる。

飯干 みなさんプロと名がついて、実際の勝負は単位どのくらい。

A どうも答えにくいことから真っ先に聞くんだな。(笑い)

C 千点百円でもやるし千円でもやる。別に決まった相場ないね。

B 大きいので千点千円にウマが五万から熱くなって二十万。これだとトップとると、点数は別にして六十万いただきになる。

飯干 ヒャーッ。

A でも、それだってよほどのことがないとやらない。

千点二百円で一か月に五十万、ウマなしで稼いでいる者がいる→このレートで稼げるのはすごいという例が出されたり、ニッサン(一人あがり二百円、三コロで三百円オールのルール)で五万稼ぐには一晩中勝ち続けないととれない→プロはきびしい(笑)など、わりあいシビアな話がなされている。
むろん、仕事は安いものだけではなく、高額の稼ぎを得られる場合もある。麻雀漫画にもよくある、そう、代打ち系の「お仕事」である。A氏は、知り合いのスナック経営者が麻雀で600万いかれて助けを求められ、その相手である3人との対局にのぞんだという。その3人は、聞けば誰もが知っているような人物であるにもかかわらず、「悪い」やつで、その席では“通し”を使われたと語る。

A そう。相手がそうならこちらもってんで、この麻雀じゃ五ピンがドラなんです。そこで手はじめに五ピンやたらに暗刻やらカンしちゃう。(笑い)最後は一万円札がわたしのまわりにこんな(と三〇センチくらいの高さを手で示し)束になってる。二昼夜やって、わたしはもう熱が三十九度も出て。(笑い)

飯干 プロも熱だした激戦。

A そう、神経使う。手形いれた六百万そっくり取り返して相手の三人が持ってきたキャッシュ全部いただいて、まだ百五十万くらい貸しにした。

飯干 こうなると一千万単位だ。

C いまだにヤクザの親分が頼みにきますよ。マンション麻雀。これでも四、五百万円は軽く動く。

飯干 頼まれたその礼は。

C いろいろですけど‥‥。(笑い)

B まあ、儲けを四分六でね。二百万儲けりゃ、百二十万は礼金。プロといわれる連中は、だから一か月に一回そういうお座敷に出てれば、もう十分食えます。

もうひとつ、「代打ち」ではなく、麻雀好きのヤクザから「お相手」を頼まれるという「お仕事」についての話題が出る。

飯干 さっきもヤクザと組む話でたけど、実際に多いの?

C 頼まれる回数は、確かにヤクザそれもレッキとした親分に「今日はこれこれのだんな衆ですから、ぞんぶんにひとつ」なんて、予算割り当てられていく。

飯干 予算があるのかい。(笑い)

C そりゃ相手も商売。頼まれれば、こちらも何十万かはいただくつもりで。

A そのだんな衆ってのが、これまた天狗で、負けても負ける気がしないってやつ。(笑い)

飯干 東京ばかりじゃないんでしょ。

B 僕は博多が振り出し。

A 僕はそうね、だいたい、新宿、浅草、それに横浜くらいだな。この間は巡業二十回くらいやった。

飯干 巡業って、相撲だね、こりゃ。

「地方巡業」というのは、競輪や競馬目当てに地方へ出かけていくヤクザについていき、その先で麻雀を打つことを言っているようだ。しかし先方が「ウマ」や「ワッパ」でスッテンテンになることがあり、その場合は旅館の番頭やタクシー運転手を相手に打って稼いでいたという。
ただし、これ以外の「地方巡業」も存在しているようだ。「親方」と呼ばれる元締めの下に5〜6人がつき、出先で場代と食事代だけ持って「鵜飼の鵜」のように使われて稼いでくるという。負ければ自分の体で清算しろという仕事のため、プロたちは必死になるという。これまたシビアで泥臭い話だ。裏プロが人に使われる側面を語るというのは、空前絶後(?)だろう。

 

この記事でちょっと面白いのが、プロとしての訓練法?をインタビューしている点である。

飯干 プロといわれる以上、訓練は怠りなくやるんでしょうね。

A 夜寝ながら考える。それで新しい手考えると起きて図を書くんです。サイコロ振ってみて、どこから取っていけばこれとこれでこんな組み合わせになるなんて、一人で。

C 他人が見たら気違いだ。夜一人っきりでさ。(笑い)

A そりゃ積み込みにしたって、結局は、千鳥と六幢しかない。でも、そこはどうかきまぜると一番自然に見えるかとか。やっぱり、くふうのしようがあるさ。

B 夜中、飛び起きて「これならいける」なんてね。あるある、僕もそれよ。(笑い)

A だいたいイカサマってのはハデに見えるうちは二流。ぐっとジミで目立たなくなってホンモノだね。

この話題のうち、「イカサマってのはハデに見えるうちは二流」というのはよく聞く話ではある(麻雀漫画で)(私の麻雀知識はすべて麻雀漫画由来)。彼らは、「イカサマをやるからプロ」ではなく、「プロは手のうち明かさないからプロ」と語り、この取材でそれを語ってしまった今となっては、自分たちはプロではなくなったという。レトリックではなくわりあい本気で言っているようで、アル中でイカサマがバレた「昔は強かった」爺さんの例を出して、中身がバレればプロではないという考えが披露されている。

では肝心の必勝法はと問われると、彼らはこう答える。

A そうだな、積み込みやれっていったってできないだろうから(笑い)、まず早くきることね。早くつもって早くきる。間チャンで待つかペンチャンか考えることは簡単なんだから、相手の手をよく見ておくことですよ。

(略)

B マークする相手を一人に絞ることもたいせつだな。三人相手に全員マークじゃ勝てっこないね。一人、相手を限定して打てば勝つ。

(略)

A 相手がクマゴロウじゃないかぎり、打たない、ふりこまないもいいけど、もう一つ、ツキに乗ったら積極的にやることですよ。僕ら一回だけ、新宿で二百軒からある雀荘の各店一人ということで「麻雀祭り」の代表で出たけど、この相手がこんどは打つなと思うと、その通りくる。カンが働くときってあるもんですよ。これさえ生かせば。

C あのときあんたは一番になった。

飯干 イカサマなし。(笑い)

A もちろんですよ。カン一本ヤリでね。それだって初めての相手とやるときは、自分より数等うまい人たちなんだって考えるようにして、初めの一回はあがることより相手の腕やクセをみてるんだ。これなんかも僕にいわせれば必勝法だね。

飯干 どうして必勝法もラクじゃない。(笑い)

B それだけ神経使う。

ごくごく普通の話だ。しかし、このくだりを読んでいて思ったのが、もしかして、かつては「流れ」はロジカルな戦術だったのかなということ。
現代に生きるわれわれは、A氏のいう「カン」、あるいはそれと隣接した概念である「流れ」を非論理的だとして小馬鹿にして小枝でツンツンしておもしろがっている。が、イカサマがどうたらこうたらというイキった記述が延々と載っている70年代の週刊誌記事を大量に読んでいると、語り口としての「カン」「流れ」はなんてスマートなスタイルなのかと
思えてくる。「イカサマ」の記事って、判で押したように全部似てるのよ。内容もノリも。まじで飽きる。同じ話がすべての記事に載ってるんだもん。そして、本当に飽きられたのだと思う。

記事は、翌日も打とうと約束していた徹マン相手が現れず、電話したら帰宅後に死んでいたことが発覚したというエピソードで締められている。無頼イキリエピソードとして言っているわけではないようで、「疲れると年配の人わからないからね」と素直すぎる世間話コメントがなされている。

 



そして『近代麻雀』の時代へ

70年代前半の週刊誌には、イカサマネタの麻雀記事が多数踊っている。しかし、70年代後半になってくると麻雀がらみの記事は著名人対局、あるいはサラリーマンの遊びの心得のひとつとしての紹介が多数となっていき、裏社会の覗き見としての側面は薄まっていく。これには、社会の情勢の変化、そして、70年代中盤に「自動パイ混ぜ機」が登場し、やがて山も機械が積んでくれる自動卓が登場したことが大きい……のだろうか。

これらの流れから、気づくことがある。ショーちゃんが初めて巻頭特集された活字の『近代麻雀1984年11月号の当該記事は、ずいぶん「古い」テイストで書かれているのだなということ。そんなノリの麻雀記事は、少なくとも一流(?)週刊誌ではとっくのむかしに飽きられ、滅亡しているのである。

そもそも、80年代前半の『近代麻雀』はかなりストイックで、競技プロの対局の観戦記事に誌幅が裂かれており、競技志向が強い誌面作りがなされていた。北野英明の漫画や田村光昭のエッセイなど、多少の雑多なお楽しみページはあろうとも、意図的に硬く作っている雰囲気があり、将棋や囲碁の専門誌がイメージされていたのではないかと思う。

ところが、ショーちゃん初特集記事の「実戦派ハスラー特別対局 20年間無敗の男 伝説の雀鬼桜井章一」、とくにショーちゃんの寄稿文は、競技志向という意味でのストイックさはなく、いわゆる実話誌風のテイストで書かれている。この記事の存在は知っているが読んだことがないという方は、ぜひ、前後の号も含めて、読んでみてほしい(国立国会図書館・東京本に所蔵あり)。ショーちゃんの、手積みの洗牌を真面目にやらず、混ぜているように見せかけて手を乗せているだけというのを豪語する(?)というスタイルは、それまでの『近代麻雀』のテイストからすると、少なくとも特集記事クラスでは、異色である。

ただ、それがウケたから掲載され続けたことは間違いない。専門誌であるはずの『近代麻雀』がなぜ「いまさら」そんな麻雀を語りだしたのか。なぜ突然誌面の方向性が変わったかという具体的な理由としては、このタイミングで編集長が来賀友志氏(もちろんあの来賀先生です)から別の方に交代したというのが大きいようだ。意図的な復古調を狙ったと思われるが、それがウケた土壌は、どこにあったのだろうか? そして、実話誌風の売り出しをしながらも、なぜショーちゃんは競技志向風の「雀鬼流」をはじめたのか。ショーちゃんがウケた理由は、「自分で語る言葉を持っていたから」だと私は思っているが、ショーちゃんは、いつ、どのように、それを思いついたのか。いつか誰かルポルタージュにまとめて欲しい。(突然の他力本願)



それにしても、当時の「プロ」という概念、すごいよな〜と思う。東映のカラテ映画に出てくる「プロ」とか、今から見るとうさんくさいものにでもくっつくことのできる言葉だったというのが、すごい(←『世界最強の格闘技 殺人空手』の話)(それはさすがにうさんくさすぎ)。それとも、うさんくさいからこそ、「プロ」という言葉を冠していたのだろうか。

 

 

 

 

*1:ところでこの『週刊文春』の記事、麻雀関連の言葉の使い方がふわっとしていて、非常に読みにくかった。一般向け週刊誌でこのレベルの記事が載るのはブーム当時とはいえすごいことだとは思うのだが、たとえば「ツモ」といっても、ツモあがりのことなのか、山から引いてきた牌のことなのかを区別せずに書かれていて、状況がわかりづらい。牌姿のあがり形が理牌してないのも今見ると不思議(上の図であがり形の牌の並び順がなんか変なのは原文ママ)。親もドラも書かれていない。『近代麻雀』の記事はさすが専門誌で、文章が洗練されているのだと思った。

*2:A氏は小島武夫? ただタケちゃんはこの時点ですでに著名人のはずで、わざわざ名前を伏せて出演するのかは疑問。もっとほかの文筆業をやっていた人なのか?