TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 菅原伝授手習鑑 全段のあらすじと整理

文楽屈指の名作、『菅原伝授手習鑑』の全段あらすじまとめです。

 

INDEX

 

 

┃ 概要

初演:延享3年[1746]8月 大坂竹本座

作者:竹田出雲、並木千柳(宗輔)、三好松洛、竹田小出雲

醍醐天皇の御代を舞台に、藤原時平菅原道真の対立、また、菅原道真と彼にかかわる人々の悲哀を描く時代物。

浄瑠璃ではタイトルに名前が入っている人は物語の中で主要なドラマにかかわらない場合が多い中、道真の存在感が大きいのが特徴で、道真の官僚としての側面、学者・書家としての側面、父としての側面、御霊(ごりょう)としての側面がふんだんに描かれる。

初段・二段目は菅丞相一家にまつわる物語。二段目の末尾で菅丞相は都を去り、三段目・四段目は主に菅丞相に仕えていた人々の物語になっている。

 

▶︎文化デジタルライブラリー 解説ページ
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┃ 人物相関図



┃ 登場人物

菅丞相(菅原道真
右大臣。学問に秀で、書道に優れる。時平の讒言によって内裏を追われる。梅模様の服をよく着ている。

藤原時平
左大臣。帝位を狙い、斎世親王を陥れて目の上のたんこぶ的存在の菅丞相の地位を失墜させる。親王ジャイアン的にいじめる、牛車をぶち壊して徒歩で帰る、落雷を全然気にしない、人の首を素手でねじ切るなど、行動がやばい。

斉世親王
帝の弟。菅丞相の娘・苅屋姫と恋仲になる。真面目だが自分では何もできないタイプ。

苅屋姫
菅丞相の養女。菅秀才が生まれる前に、叔母・覚寿からもらい受けた(覚寿からすると次女)。養女といっても実の子である菅秀才と同じように分け隔てなく育てられている。

梅王丸
四郎九郎(白太夫)の三つ子の息子のうちの長男。菅丞相に仕える舎人(牛飼い)。でかい。理屈っぽい顔。

松王丸
四郎九郎(白太夫)の三つ子の息子のうちの次男。時平に仕える舎人。でかい。悪そうな顔。

桜丸
四郎九郎(白太夫)の三つ子の息子のうちの三男。斉世親王に仕える舎人。三兄弟の中でひとりだけだいぶ幼い。生ぬるこそうな顔。

御台所
菅丞相の妻。かつて夫に勘当された源蔵たちを暖かく出迎える。

菅秀才
菅丞相の実の息子。8さい。かしこい。秀才だから。

判官代照国
宇多法王に仕える武士で、斎世親王や菅丞相に心を寄せる。配流が決まった菅丞相に、覚寿との暇乞の時間を作る配慮をしてくれたのはこの人。

三善清貫
藤原時平の腰ぎんちゃく公家。あっちこっちで活動中。実在の人物。

春藤玄蕃
藤原時平の腰ぎんちゃく武士。あっちこっちで活動中。でも、性格が適当すぎて、あとあと大変な目に遭ってしまう。

左中弁平希世
菅丞相の同僚にして書道の弟子。貴族。人畜無害そうな顔をしているが、わりと有害。キャラが濃すぎるのでフィクション上の人物かと思いきや、なんと実在の人物。

武部源蔵
幼い頃より菅丞相に仕えていた家臣であり、書道の腕前を認められていた弟子。しかし4年前、戸浪との密通により勘当された。田舎で寺子屋を開いて貧しく暮らしていたが、菅丞相に突然呼び出される。キレるのが異常に早く、『菅原』最大の異常者。

戸浪
かつて御台所の腰元を勤めていたが、源蔵との密通が露見し、夫もろとも館を去った。御台所から与えられた小袖を今でも大事に持っている。源蔵が開いた寺子屋できょうも子供たちの世話に明け暮れている。

覚寿
河内の国・土師の里に住まう菅丞相の伯母。竜田前、苅屋姫の母。養子に出した苅屋姫には実の親子といえど一線を引く気高い心の持ち主。

竜田前
覚寿の長女、苅屋姫の姉。土師兵衛の息子・宿禰太郎の妻。母や妹をいそいそと気遣いアホな夫も立てる立派な女性だが……。

土師兵衛
土師の里に住まう強欲ジジイ。宿禰太郎のパパ。にわとりに詳しい。

宿禰太郎
土師兵衛の息子、竜田前の夫。女性を顔だけで判断するタイプの単細胞。ほうれん草と小松菜の区別つけられなさそう。

偽迎い
「い」って、「え」じゃないの?という若干訛ったネーミングが気になるがそこは置いといて、菅丞相を暗殺するための偽駕籠を仕立てるべく、土師兵衛が雇ったバイト。まあまあ真面目に仕事をしてしまうゆえに大混乱に巻き込まれる。

にわとり
土師兵衛のペット? でけえ。

千代
松王丸の妻。


梅王丸の妻。菅丞相が配流となった後、北嵯峨で御台所を保護する。

八重
桜丸の妻。新婚さん風で可憐な娘風だが、うしをたたくなど、わりとバイオレンスなところもある。料理は苦手。

杉王丸

時平の牛車の先払いをする雑色。出番一瞬、途中で帰る。あのさ、松王丸以外の時平の家来、全員、途中で帰りすぎじゃね? もっとも、車曳では時平自身も途中で帰るが。

太夫(四郎九郎)
梅王丸、松王丸、桜丸の父。菅丞相のご領地である佐太村で、その下屋敷の手入れをして暮らしている。掃き掃除や梅・松・桜の世話はお手のものの四郎九郎が本名だが、このたび七十歳の祝いとして、菅丞相から白太夫という名前を授けられた。三つ子が生まれたときはビックリしたが、今では三つ子とその嫁さん三人に囲まれてはぴはぴな老後。のはずだったのだが……。

十作
佐太村の百姓。白太夫とは仲良しで、酒好き。奥さんが若いそうです。

安楽寺の僧&弟子
菅丞相の流された先、筑紫にあるお寺の人々。「安楽寺」ってさも名所のように出てくるが、まったく聞いたことないよなと思っていたら、いまの太宰府天満宮のことだそうです。横にちょっと建ってたとかじゃなく、本殿の場所にあったとのこと。明治維新神仏分離でなくなっちゃったんだね。

よだれくり&寺子たち
源蔵が芹生の里で開いた寺子屋に通う近所の子供たち。よだれくりだけいろいろな意味でやたらデカい。いかんせん田舎のクソガキなので、ちょっと目を離すとメチャクチャな大騒ぎをする。みんなパパジジ大好き。

小太郎
源蔵の営む寺子屋に入学してきた少年。7さいくらい。近所の芋チルとは違う上品な顔だが……?

法性坊阿闍梨
菅丞相の師。『菅原』だけでは何者かよくわからないが、実在の人物で、比叡山の第13代座主。謡曲雷電』にも登場する有名人。

牛1
斎世親王の牛車を引く牛。加茂堤の段に登場。引っ張っても動かない。まだら牛っつってんのに舞台では黒牛。

牛2
時平の牛車を引く牛。車曳の段に登場。途中で帰る。本文に特に指定がないのでとりあえず黒牛。

牛3
菅丞相が乗る牛。天拝山の段に登場。菅丞相を乗せてお散歩する。白太夫の説明によると、実に超立派な牛オブ牛のパーフェクトグレイト黒牛とのことだが、他の黒牛と何が違うのかは誰にもわからない。



┃あらすじ

初段

大内の段 〜京都 禁中〜

いまでは畏れ尊ばれている「天神」は、かつては「菅原道真」という人間だった。菅原道真は学問を究め能筆(字ウマ🖌️)であったゆえに右大臣へ昇り、「菅丞相(かんしょうじょう)」と敬われて、左大臣藤原時平とともに帝を補佐していた。

近頃帝は風邪気味で、イマイチよくならない。弟宮の斎世親王は、判官代輝国をお供に、その見舞いに訪れていた。菅丞相や藤原時平もまたそこに伺候している。そこへ、春藤玄蕃に案内された渤海国の僧侶・天蘭敬がやってくる。徽宗皇帝の命で帝の姿を絵に描き写したいというのだ。菅丞相は帝の病を説明して断るかと時平に尋ねるが、時平は、病気をやましい言い訳と思われては日本の疵となるため、帝に似せた代役を立てればいいと告げる。ではその代役とは誰かというと、時平は自分がやると言い出す。輝国と菅丞相は唐僧が気づいたらどうすると思案するも、時平の取り巻き・左中弁希世や三善清貫はわからんてと言う。菅丞相は慎重にことを運んだほうがいいと言って、同腹の弟である斎世親王を代役に立ててはどうかと提案する。この騒ぎを聞いていた帝がそれに賛成したので、斎世親王に帝の衣装を着せ、その姿を天蘭敬に描かせることになる。

帝の姿を描いた唐僧が喜んで帰っていくと、時平は斎世親王から帝の装束を剥ぎ取り、この衣装は自分が預かっておくと言い出す。菅丞相がそれを止めて「そんなことをしては謀反の疑いがかけられる」と言うと、その図星の言葉に時平はギクリとする。

斎世親王は菅丞相に向き直り、帝よりの勅命を伝える。それは、末世のためにその秀でた書道を伝えよ。菅丞相の長子は女子、子息は幼少のため家系での相続は叶わないため、弟子の中から優れた者を選び、奥義を伝授せよというものだった。菅丞相は、館に引きこもり七日間の斎戒をして、器量ある弟子に奥義を授けることを語る。これが今の世に伝わる筆道のもととなるのであった。

(現行、一部カット・改変あり。判官代輝国・左中弁希世・三善清貫は登場せず、帝の代役の問答は時平と菅丞相のみで行うことになっている)

 

加茂堤の段 〜京都 加茂堤〜

加茂川の堤では、舎人の松王丸と梅王丸が一休みしていた。松王丸と梅王丸そして桜丸は、佐太村の四郎九郎のもとに生まれた三つ子の兄弟だった。彼らは四郎九郎の旧主である菅丞相に「三つ子は天下泰平のあかし」として祝福され、三人揃って牛飼いとなり、それぞれ藤原時平、菅丞相、斎世親王に仕えていた。彼らの梅・松・桜の名前は菅丞相の愛樹にちなんだもので、父・四郎九郎はその愛樹を守ってのんびりと田舎暮らしをしているのだった。

松王丸と梅王丸が父の70歳記念バースデーパーティーへ行く話をしていると、斎世親王の牛車を引いた桜丸がやってきて、主人たちの宮参りが終わったので早く迎えに行ったほうがいいと急き立てる。兄二人がスタコラと去っていくのを見て、桜丸はシメシメと菅丞相の娘・苅屋姫を呼び出す。桜丸、そして彼の妻・八重は、密かな恋仲である苅屋姫と斎世親王に逢い引きをさせるべく、邪魔者を追い払ったのである。ところが、この現場を藤原時平の腰巾着・三善清貫におさえられてしまう。桜丸が清貫を追い払おうとしているうち、斎世親王と苅屋姫は駆け落ちをしてしまう。現場に戻った清貫は二人がいなくなっていることに気付き、注進に走る。桜丸、八重が帰ってきたときには、牛車の中に斎世親王の書き置きが残されているばかりだった。桜丸は、斎世の宮らは姫の実の母の住処である土師へ逃げたと推測し、探索に向かう。八重は全然言うことを全然聞かない牛に苦心しつつ、牛車を押して御所へ帰るのだった。



筆法伝授の段 〜京都 菅丞相の館〜

菅丞相の館では、長年の弟子である左中弁希世が調子よく書道の練習をしている。希世は、筆法を伝授さるるは我なるぞ⭐️と思っていた。しかし、彼がいくら励もうとも菅丞相には相手にされず、菅家に務める女子たちにも煙たがられている。希世は今日もまた局に手跡の取次を頼むが、局はやんわり断って、若い腰元・勝野に取次をさせようとする。ところが希世は勝野のような若い娘ではダメだと言って、局に手跡を持っていかせる。人がいなくなったすきに勝野に吸いつこうとする希世、勝野は「あ〜〜れ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!も〜〜〜〜し〜〜〜〜!!!!!」と大声を上げる。

その声を聞きつけてか、菅丞相の御台所と子息・菅秀才が姿を見せる。希世が苅屋姫の姿が見えないことを尋ねると、御台所は沈み込む。姫たちの出奔はすでに世間の噂であったが、筆法伝授のための7日間の斎戒を行なっている菅丞相にはそのことは知らせず、御台所は密かに土師へ使者を送っているところだった。

そこへ、4年前に菅家を勘当された武部源蔵と戸浪が訪ねてくる。恐縮し遠慮するみずぼらしい姿の源蔵夫婦だったが、御台所は久々の再会を喜び、源蔵を学問所へ向かわせる。

注連縄が張り巡らさせた学問所では、白木の机を構えた菅丞相が源蔵を待っていた。源蔵は幼い頃より菅丞相に奉公して筆法の教えを受け、兄弟子らを凌ぐ能筆ぶりを見せて丞相に見込まれる人物だった。しかし、戸浪との密通が露見したために菅家を退いていた。勘当されたのちは教える寺子屋を開き子供らに文字を教えているという源蔵の話を聞いた菅丞相は、彼の筆法の腕を確かめるため、源蔵に手本を見て書写するように命じる。ところがそこへ希世が割り込んできて(立ち入り禁止って言っただろ!!)、源蔵に遠慮しろと図々しく言いつける。引き下がろうとする源蔵に丞相はなおも筆写を命じ、源蔵も妨害してくる希世を押しのけて机に向かう。源蔵が書き上げた文字を見た菅丞相はその優れた手跡に感嘆し、彼に筆法を伝授することを決める。源蔵はこれで勘当も赦されると喜ぶが、菅丞相は伝授と勘当は別であるとして、以降は対面は叶わないと言い放つ。伝授はされなくともよいので勘当を赦されたいと泣き詫びるも、聞き入れられることはない。

そこへ、菅丞相に参内の命令が下ったという知らせが入る。御台所は打掛の下に戸浪を隠して学問所を訪れ、戸浪にも菅丞相の顔を影から見せてやろうとする。源蔵に伝授の巻物を授け出かけようとする菅丞相だったが、そのとき不意に冠が落ちる。不吉な予感を覚える菅丞相に、御台所は源蔵の落涙のあらわれと言い紛らわし、菅丞相はそのまま参内してゆく。

源蔵と戸浪が勘当を許されなかったことを嘆いていると、またも希世が図々しく割り込んでくる。伝授の巻物を拝ませて欲しいという頼みに源蔵が巻物を懐から取り出すと、希世はその巻物を奪い取って逃げようとする。源蔵は希世を叩き伏せて刺し殺そうとするが(どんだけ短気なんだよ!)、御台所に止められたので、寺子屋での罰になぞらえ、希世に机をくくり付けて叩き出す。源蔵と戸浪はこれ以上の長居は恐れとして、御台所に挨拶して館を後にするのだった。



築地の段

梅王丸が慌てた様子で菅家の館の門前まで駆け戻ってくる。菅丞相が罪科に問われ、官位を奪われて館へ送り戻されるというのだ。三好清貫(まだおったんかい)は、苅屋姫と斎世親王失踪の一件から、菅丞相が斎世親王を位につけ、姫を后として外戚の権威を振るおうとしている嫌疑を語る。そして、菅丞相はその罪によって遠島に処せられることになったという。

丞相は汚名を着せられても帝を恨むことはなく、天命のなすところであると語る。そこへやってきた希世(こいつもまだおったんかい!!)は、菅丞相を見限り時平につくとして清貫にとりなしを頼む。調子に乗った希世は菅丞相に割れ竹を振り上げるが、飛び出てきた梅王丸がそれを奪い取る。逆に希世を打とうとする梅王丸だったが、菅丞相にたしなめられて無念のうちに引き下がり、菅丞相とともに館の内へ入る。館の門は荒島主税によって材木が打ち付けられ、硬く閉ざされる。

ザマアwwwと帰ろうとする清貫だったが、突然現れた源蔵に当身を食らう。大激怒する清貫と希世だったが、「菅丞相から勘当されている→家臣でないので菅家への配慮不要→時平一味相手に何やらかしても問題なし」論法で「無敵の人」となっている源蔵は刀を抜き、戸浪とともに2人を追い立てるのだった。

梅王丸は、源蔵夫婦に菅秀才を預けることにする。そうして梅王丸が菅秀才を築地の上から抱き下ろしていると、荒島主税が戻ってきて喚き立てるが、源蔵に真っ二つにされ、あっさり片付けられてしまう。

源蔵は戸浪に菅秀才をおんぶさせると、梅王丸には菅丞相と御台所の行く末を頼み、夫婦でどこかへと落ちていった。



二段目 

道行詞の甘替 〜京都・大坂の道中〜

斎世親王・苅屋姫と巡り合った桜丸は、飴売りに姿を変え、二人を飴箱に隠して土師の里へ向かっていた。その道中、飴を買いにきた里人が菅丞相左遷の噂をしているのを耳にした一行は驚き、菅丞相を配流する船がつけられているという安井の港へ向かう。

 

安井汐待の段 〜摂津 安井の港〜

安井の港では、菅丞相を筑紫へ送る船が日和見をしていた。海を見回した監視の役人・判官代輝国は、出航できるまではまだ数日かかりそうだとして、菅丞相へ河内・土師の里にいる叔母覚寿へ暇乞に行くことを勧める。輝国の立場を気遣い辞退する菅丞相だったが、輝国は、土師行きは院の差配であり遠慮は不要であるという。そして、実は出航できる天気だったものの、輝国はそれをとどめているのだった。(現行ここまでカット)

港へたどりついた桜丸は、菅丞相に一目会い、罪の事情を伺いたいと輝国へ願い出る。菅丞相の罪は苅屋姫と斎世親王の密通によるものだと輝国から聞き、姫と親王は、自分たちのために丞相が流罪となったことに驚き、嘆き悲しむ。二人は丞相への面会を懇望するも、輝国は、ここで面会してしまってはいよいよ丞相の罪は重くなると語る。桜丸は、斎世親王は姫と別れて禁庭へ帰り、改めて丞相無罪の申し開きをすべきだとなだめる。輝国の勧めもあって斎世親王は院の御所へ帰ることに決め、斎世親王と苅屋姫は涙ながらに別れを決める。

そうしているところへ何者とも知れない乗物がつけられる。駕籠から現れた女は、菅丞相の伯母・覚寿の長女である立田前だった。姉様と喜び駆け寄る苅屋姫だったが、立田はそれを突き放し、汐待のあいだに菅丞相を土師の里へ一宿させ、母覚寿に暇乞させたいと申し出る。輝国は、同族の願いは聞き入れられないが、この浜辺の宿は心もとないため、土師の里・覚寿のもとで宿を借りることにしようと、言外に面会を許す。喜ぶ立田に、苅屋姫は自分と菅丞相との面会も願って欲しいと袂を引くが、立田は姫を叱りつける。覚寿が生んですぐ菅家へ養女へ行き、菅家の姫君となった身であるにもかかわらず、親王に恋を仕掛けてこの大事に至ったのはあまりに道義に外れているという、姉だからこその親身の怒り。菅丞相はそのやりとりを輿の中で無言で聞いているのだった。

輝国は、桜丸へは斎世親王法皇の御所へ送っていくように命じ、立田には、菅丞相の輿に苅屋姫を付き添わせてはならないが、それはそうと、姫は土師の親元へ預けるように言いつける。菅丞相の輿は土師へ向かって出発し、思わずそれに追いすがろうとする苅屋姫と斎世親王を桜丸がとどめ、立田は二人を引き分けるのだった。

(現行、一部カットあり。冒頭部の菅丞相と輝国のやりとりが省かれ、菅丞相は登場しない演出に変更されている。また、輝国が斎世の宮に院の御所へ行くことを勧める部分などがカットされており、全体に、院に関与する部分がなくなっている)



杖折檻の段 〜河内・土師 覚寿の館〜

河内の国、土師の里。郡領の後室・覚寿の館では、菅丞相の暇乞のもてなしが行われていた。連れ帰った苅屋姫を菅丞相に会わせるべく、立田は覚寿へそれとなく願おうとしていたが、厳格な母はそれを許さない。配流の船の日和待ちも3日目となって天候が回復し、判官代輝国からは明日八つに出立の知らせがあり、残された時間は短い。

姉妹が涙ながらにどうしようかと相談していると、いつの間にか後ろで立ち聞いていた立田前の夫・宿禰太郎が姿を見せる。宿禰太郎は苅屋姫の美しさをチヤホヤして軽口を叩く。覚寿に命じられ、輝国の旅宿へ「菅丞相は一番鶏の声を合図に出発」という申し合わせに行くという宿禰太郎は、よい思案が出たら教えてやろうと言って出かけていく。

立田前はもう誰にもことわらず、この隙に苅屋姫を丞相のもとへ連れていこうとする。ところがそのとき、背後から「不孝者」という声がかかる。襖を開けて現れたのは、二人の母・覚寿だった。立田は苅屋姫へ杖を振り上げる母を抱きとめ、腹が立つなら自分を打つように、養子にやれば我が子ではなく菅丞相の姫君であると妹をかばう。苅屋姫はそんな立田をかばい、母の前に出ようとする。だが覚寿の怒りはおさまらず、養子にやったといっても甥の娘は甥孫であると言い、立田、苅屋姫二人ともを杖で打擲する。

しかしそこに菅丞相の声がかかる。斎世親王に不憫をかけられた苅屋姫を折檻せぬように、娘と対面するというのだ。覚寿は涙ながらに倒れ伏し、菅丞相の情けを喜ぶ。覚寿は姫を丞相のいる奥の間へ行かせるが、不思議なことに、そこにはただ木でできた菅丞相の像があるばかりだった。その木像は、覚寿が形見にと菅丞相に願い、丞相が自ら彫りあげたものだった。覚寿は、帝への憚りとして、この木像を父と思うようにと苅屋姫に言い聞かせる。

そこへ、宿禰太郎の父・土師兵衛が菅丞相出立の手伝いと称して訪ねてくる。出迎えた覚寿は立田前に寝間をとるように言いつけ、苅屋姫を連れて奥へ入る。それを見送った土師兵衛と宿禰太郎はなにやら密談をして、邸内で別れるのだった。

 

東天紅の段

密かに部屋を抜け出た土師兵衛が家来たちに挟箱を持ってこさせたところに、宿禰太郎が姿を見せる。実はこの二人は時平に加担していた。偽物の迎えを仕立てて丞相を誘拐し、殺害しようと企んでいたのだ。ただし、唐突に迎えが来ただけでは覚寿が渡すとは思えず、土師兵衛はそのためにある準備をしていた。その秘密の用意とは、挟箱の中に入ったニワトリだった。輝国が一番鶏の声を聞いて迎えに来るより先に、真夜中のうちにこのニワトリを鳴かせて贋の迎えをよこし、丞相を誘拐しようという算段なのだ。しかし、宿禰太郎がつついてもニワトリは鳴く気配を見せない。土師兵衛は、湯を中に流した竹の止まり木にニワトリを止まらせれば、その暖かさで朝になったと思って鳴くという。

土師兵衛が宿禰太郎に湯を持ってくるように言っているところへ、立田前がやってくる。宿禰太郎と土師兵衛は慌てふためき、挟箱の中にニワトリを隠してなんでもないかのように装う。立田は丞相殺しを思いとどまらせるように必死に訴え、兵衛は心を入れ替えると誓う。その言葉を聞いた立田は安心し、庭をあとにしようとする。しかし、その立田の背後を宿禰太郎が袈裟斬りにする。立田は宿禰太郎にしがみつき、よくも騙したなと恨み叫ぶ。宿禰太郎は構わず立田の口に下着の褄の先を押し込んで黙らせると、肝先を抉って息の根を止める。土師兵衛と宿禰太郎は立田の死骸を庭の池へ放り込む。

邪魔者を始末した宿禰太郎は改めてニワトリを鳴かせる湯をとってくると言うが、土師兵衛はそれはもう無用だという。土師兵衛は懐中松明の火で池の水面を照らすと、挟箱の蓋にニワトリを乗せ、池の水に浮かせて押し出す。水中に沈んだ死体を捜索する際、船にニワトリを乗せておくと、船が死体の上に来たときに鳴き声を立てるニワトリの習性を利用すると言うのだ。流されていったニワトリはやがて羽ばたきをはじめ、コケコッコーと鳴き声を立てる。土師兵衛と宿禰太郎は喜んで、兵衛は贋の輿の準備に、また宿禰太郎は館の中へと去っていくのだった。



宿禰太郎詮議の段

屋敷のうちでは、覚寿と菅丞相の最後の別れの挨拶が交わされていた。覚寿は赦しの勅諚と帰洛を願い、菅丞相も覚寿の心遣いともてなしに礼を述べる。そこへ宿禰太郎がやってきて、迎えの輿の到着を知らせる。輝国は道の警護をしているので、家来が代わりに迎えに来るという。やがてやって来た迎えの家来とともに門口へ怪しい輿がつけられ、菅丞相はそれに乗って館をあとにする。

ほくそ笑む宿禰太郎は覚寿に休息を勧めるが、彼女は娘たちのことを気にしていた。出立したあとになっても立田が来ないことを不思議に思った覚寿は、腰元や奴に彼女を探させる。苅屋姫はいたものの、立田はどこにも見当たらない。そのうち、庭を探していた奴宅内が血だまりを見つけ、血痕が池に続いていることに気づく。宅内は池へ飛び込み、中から立田の無残な死骸を引き上げる。知らせを聞いた覚寿と苅屋姫は驚き、立田の死骸にすがりついて嘆く。ところが、夫であるはずの宿禰太郎は冷静に、館のうちにいるであろう犯人を見つけて処刑するのが立田への供養になると言いだす。宿禰太郎は宅内をとっ捕まえ、池に死骸があったと知っていたお前が犯人だと決めつける。宅内は誤解だと弁解し、拷問するという宿禰太郎と悶着になる。しかし覚寿は、娘の敵は知れたので、苦痛させて殺すべきだと言い出す。初太刀はこの母からという覚寿は宿禰太郎から刀を借り受けるが、覚寿が刺したのは宅内ではなく、宿禰太郎だった。

もがき苦しむ宿禰太郎に、覚寿は、宿禰太郎の下着の裾先がちぎれており、その切れ端が立田前の口に押し込まれていることを指摘する。宿禰太郎は、立田前を殺す際に声を立てさせないため布を押し込んだを忘れていたのだ。覚寿はさすが河内郡領の武芸を引き継ぐ後室であった。

やがて、判官代輝国が迎えにきたという知らせが入る。菅丞相は先ほど見送ったはずと驚く覚寿はひとまず苅屋姫を奥へ下がらせ、瀕死の宿禰太郎をそのまま片隅へ押しやって、門口へ輝国を通させる。



丞相名残の段

やってきた判官代輝国に、菅丞相は輝国の部下の迎えですでに出立したと答える覚寿。ところが、輝国は偽りは申されるなと言う。不審な様子に覚寿は、あの迎えは贋物だったかと思い当たる。輝国もまた偽迎いを追おうとするが、そこに菅丞相の声がかかる。輝国と覚寿が振り返ると、一間から菅丞相が姿を見せる。

驚く覚寿、そこに、さきほど来た迎えの役人が戻ってきたという知らせが入る。門先へ輿をつけた迎えの役人=贋迎いは、さきほど連れて出た菅丞相は生身の菅丞相ではなく木像だった、生身の丞相を渡せとわめき立てる。覚寿はさては木像が身替りになってくれたのかと心付く。ところが、引き開けられた輿の扉から現れたのは、木像ではなく菅丞相その人であった。贋迎いと覚寿は共に驚くが、どう見ても生きている菅丞相そのものである。贋迎いは先ほどは確実に木像だったと騒いで家探ししようとしたところ、宿禰太郎の無残な姿を発見してさらに驚く。その声に急いでやってきた土師兵衛は覚寿を責め立てるが、覚寿は土師兵衛こそ一件の主犯で、贋迎いの棟梁だと糺弾する。時平に加担し、菅丞相を誘拐して殺さんため、ニワトリの夜鳴きまで仕掛けて贋迎いを仕立てたことを言い散らし、覚寿を手にかけようとする土師兵衛だったが、現れた輝国に取り押さえられる。その様子に贋迎いや輿かきたちは一人残らず逃げ散っていく。

覚寿は残された輿のうちを改めるが、そこにあったのは菅丞相の木像だった。またも驚く覚寿に、一間から再び菅丞相が姿を見せる。覚寿はさらに驚き、輝国も二人の菅丞相に目を疑う。菅丞相の語ることには、夜中、輝国の迎えまでにしばらく微睡んでいたところ、騒がしい物音に気が付いて外を見てみると土師兵衛親子の悪計や立田殺しが行われているのを見つけたという。自分がここへ来なければ覚寿に嘆きをかけることもなかったと嘆く菅丞相に、覚寿は菅丞相の身に怪我過ちがなかったことが喜ばしいと言う。しかしその目には涙が浮かんでいる。覚寿は宿禰太郎に菅丞相の無事の姿を見せつけ、刀を抜くと、宿禰太郎は息絶える。覚寿はその刀で髪を切り払い、いままでは法名ばかりであったが、娘を弔うために尼になることを語り、菅丞相とともに仏の名号を唱える。輝国もまたそれに感じ入り、土師兵衛の首を討ち落とす。

覚寿は菅丞相の隣に木像を並べ置き、木像の起こした奇跡を不思議がる。菅丞相は、巨勢の金岡が描いた馬は夜な夜な絵を抜け出て萩を食み、呉道玄の雲龍は雨を降らせたという、絵に描かれたものが生命を得て動きだした奇跡の伝説を語る。神仏の像が人の命を救う身替りになったためしも数知れず、三度作り直したこの木像も魂が宿って菅丞相を助けたのではないかという。菅丞相が形見として残した木像は、いまでも「荒木の天神」として、河内の国の道明寺に残されている。

いよいよ出立を促す輝国の言葉に、覚寿は腰元らに命じ、苅屋姫の上着をかけた伏籠を持ってこさせる。船で海風を防ぐのに持っていって欲しいと輝国に頼む覚寿をとどめ、菅丞相は、その香りは伏屋か“苅屋”であろうと言って、小袖の贈り物を断る。その「小袖」は覚寿に預けるので、ともに立田前の仏事を行って欲しいと言う菅丞相。その言葉に、伏籠の中の苅屋姫は思わず大きな泣き声を立ててしまう。覚寿は別れに一目会ってやって欲しいと小袖を取ろうとするが、菅丞相はそれをとどめて、その声はニワトリの声であるという。小鳥が鳴くときは親鳥も鳴くと語る菅丞相は、「鳴けばこそ 別れを急げ鶏の音の 聞こえぬ里の暁もがな」という歌を詠み、出立しようとする。この歌から、河内の里では今でもニワトリは育てられていないという。

伏籠の鳥のような身の上になった菅丞相は雲井の昔を思い出して嘆き、夜明けは訪れても、彼の心は闇に閉ざされたままである。その闇を照らす仏の誓願にちなみ、「道明けきらき」と呼ばれる道明寺(天満宮)はいまも栄えている。数珠を手に嘆く菅丞相は、最後に一目と苅屋姫を振り返る。これがこの世の別れになるとは知られず、親子は別れるのだった。



三段目

車曳の段 〜京都 吉田神社

菅丞相の配流の後、浪人となった梅王丸は、姿を消した御台所の行方を追うつもりでいた。そんな梅王丸が歩いていると、向こうから深編笠で顔を隠した者が歩いてくる。よく見るとそれは弟・桜丸だった。桜丸はこのような事態を招いた自らの浅はかさを悔やむが、この春、佐太村に住まう父の古希の祝いに招かれているため、自分が欠けては不忠のうえに不孝が重なることを悩んで切腹を思いとどまっていた。梅王丸も同じく父の古希が気にかかり、御台所を探し筑紫の菅丞相のもとへ行くか否か、動きあぐねているのだった。

そうこうしていると、雑色(杉王丸)がやってきて先払いをしていく。左大臣・時平が吉田社に参籠するためにやってくるというのだ。まもなく時平を乗せた牛車の行列が吉田社頭に到着し、躍り出てきた梅王丸・桜丸と雑色がもみ合う。松王丸は時平に楯突くことは許さないとして、兄弟三人は轅を取っての喧嘩となる。周囲が大騒ぎになる中、天子の衣装に身を包んだ時平が車の御簾を破りとって姿を見せる。梅王丸と桜丸はその眼力に五体がすくんで動けなくなってしまう。刀に手をかけようとする松王丸をとどめ、時平は社参する天子の前で血の穢れはならないと言い、立ち去っていった。三兄弟は父の七十の賀ののちに決着をつけることを誓い、睨み合って別れゆく。

(現行、一部院本と異なる箇所あり。院本では松王丸は最初からずっと時平の牛車に付き添っている表現になっているが、現行では、梅王丸・桜丸と杉王丸が揉み合っているところへ「待てらう」と声をかけて現れる設定になっている。また、現行の人形配役で「杉王丸」と名前がついているキャラクターは、原作では「先払い」「雑色」となっており、文章上では特定の人物を示していない)

 

茶筅酒の段 〜河内・佐太村〜

佐太村の実直な老人・四郎九郎は、菅丞相の下屋敷を守って暮らしている。彼は丞相の残した愛樹、梅・松・桜の木の手入れをして日々を過ごしていた。そこへ近所の百姓・十作がやってくる。彼が畑仕事へ出ていて留守の間に、四郎九郎が小さな餅7つを祝いの配り物として家に持ってきてくれた、その礼を言いにきたのだった。餅は四郎九郎の七十の祝いの品であり、また同時に、七十の長寿の祝いとして、誕生日のきょうから、彼は菅丞相より授けられた「白太夫」という名を名乗ることになっていた。かつて白太夫の女房が三つ子を産んだときは近所を憚り大慌てだったものの、三つ子の父は年貢なしの耕作地を与えられ子供たちは御所の牛飼いになるならわしがあったために、彼はこんな年になるまでも安楽に暮らしているのだった。

そんなところへ、桜丸の女房・八重が風呂敷包みを抱えてやってくる。十作は遠慮して帰るというが、彼はまだ白太夫のことを「四郎九郎」と呼び続ける。古希の祝いの餅とは別に、改名披露のための振る舞い酒をもろとらんから!というのだ。ところが白太夫は、酒ももう配ったという。なんでも、樽や徳利の酒では派手だから、餅の上に茶筅で酒塩を振っておいたとか。あまりのケチくささに、十作は晩に寝酒をご馳走になると言ってスタコラ帰っていった。

太夫と八重は十作の抜け目なさに大笑い。そうしていると、梅王丸の女房・春、松王丸の女房・千代が連れ立って訪ねてきた。白太夫はそれを大喜びで迎え入れる。千代が祝い膳の支度を問うと、白太夫は簡単な料理でいいと言って、材料の場所を教えようと立ち上がる。春は今日の祝いは白太夫が主役だからと言うも、白太夫は立ったついでだと言って嫁たちに家伝のお椀セットを見せるのだった。白太夫が息子たちの揃うまで一寝入りと決め込むと、嫁たちは白太夫の言うよりもうちょっとちゃんとした食事を作ろうといそいそ支度をする。

やがて白太夫は目を覚まし、三人の息子たちが時平の車先で喧嘩をしたという噂の内実を問う。大ごとにならずに済んだが、松王はまだ文句を言っているという千代に、八重は父の取りなしで和解をさせたいと白太夫に願う。白太夫は、息子たち三人は三つ子にもかかわらず顔も性格も似ていないとぼやく。桜丸は生ぬるこく、梅王丸は理屈めき、松王丸は根性が悪そうだと言う。うっかり口が滑った白太夫は千代に謝り、孫は元気にしているかと問う。

まもなく白太夫が生まれた申の刻が近づいたため、息子たちはまだ到着しないものの、菅丞相の言いつけ通りに祝いの膳をはじめることになった。白太夫は不在の息子たちのかわりに庭の梅・松・桜の木の前に陰膳を据えさせ、祝儀をはじめる。律儀に息子のかわりの三本の木に挨拶した白太夫は早速料理を食べ、うまいうまいと三人の嫁のもてなしぶりを喜ぶ。すると、八重が真新しい三方と土器を白太夫の前に据え置く。それは八重からの白太夫の賀の祝いの品だった。続いて春も梅・松・桜をそれぞれ描いた扇三本を白太夫へ贈り、千代は手縫いの頭巾を差し出す。白太夫はまたも喜び、彼女たちにも膳をいただくよう勧める。しかし嫁たちは夫が来てから一緒に食べると言うので、そのあいだに白太夫は村の氏神参りに出かけることにする。まだ氏神に参ったことのない八重を連れ、白太夫は機嫌よく出かけていくのだった。

 

喧嘩の段

春と千代が夫たちの遅いのを心配していると、ようやく松王丸がやってくる。松王丸はいまだ梅王丸たちのことを当てこすっていた。やがて梅王丸も姿を見せ、松王丸に当てつけるので、二人は取っ組み合いの喧嘩になる。女房たちが止めるのも聞かず、押し合いへしあいするうち、松王丸と梅王丸は庭の桜の木にぶつかり、根本から折ってしまう。

 

訴訟の段

そこへちょうど白太夫と八重が帰宅する。梅王丸と松王丸はあわてて身繕いし、庭につくばって父に祝いの辞を述べる。白太夫は折れた桜を見ながらも知らぬ風情で彼らを出迎える。ところが、梅王丸は突然用意の一通を取り出し、心に思う願いがあると言い出す。松王丸もまた同じように願いの一通を白太夫に差し出した。白太夫がその書状をしげしげと読むなか、ひとり蚊帳の外となった八重は、夫桜丸がまだ来ないことを心配する。

二通の書付を読み終えると、白太夫はまず、梅王丸に問う。彼の願い「旅に出るための暇乞い」は、菅丞相の流された先へ行くためならば、御台所や若君の居場所を知った上でのことかと。梅王丸は、御台所の行方はわからないが、菅秀才は、と言いかけて、隣にいる松王丸を横目で見て、無事でいると聞いているとだけ答える。白太夫は、誰にでもできるはずの御台所や若君の世話をしないのは何事かと叱りつけ、一通を棄却する。

松王の願いは「勘当を受けたい」というものだったが、あまりに珍しい願いゆえ、白太夫は理由も聞かず取り上げると言う。しかし、忠義の道は立てても親に背くことは人間として許されないとして、白太夫は松王丸を追放する。千代は夫につき、名残惜しさに涙を流しながら去っていった。

松王丸を追い払った白太夫は、梅王丸にも御台所や若君の行方を探す出立を促す。菅丞相の配流の地へ向かうことは許さず、そこへは自分が向かうという。春は八重にあとのことを頼み、梅王丸夫婦は白太夫の家をあとにするのだった。

 

桜丸切腹の段

兄夫婦たちに引き別れ、どうしていいかわからない八重は、いまだ姿を見せない夫を待って門口に佇んでいた。ところがそのとき、納戸口から桜丸が声をかける。ここまでの兄弟たちの騒ぎに出てこなかったのはどうしてなのかと八重が驚いているところに、今度は小刀を乗せた三方を捧げ持つ白太夫が現れ、桜丸の前にそれを据え置く。八重は驚き、なぜ死ななければならないのかと問う。桜丸はその理由をしみじみと語り始める。

彼ら三兄弟は百姓の子ながら、菅丞相が烏帽子親となり、特に桜丸は斉世親王の牛飼いとなって身近く召されるという身にあまる果報者であった。ところが桜丸が斉世親王と苅屋姫の間の文使いをしてしまったがために、菅丞相は讒者の舌にかかって謀反を言い立てられ、菅家は没落した。斉世親王と苅屋姫の身の落ち着きを見届けた今、忠義のために自害するべく、朝早くに親里に帰り、このことを父白太夫に告げたという。自害の願いを聞き届けた白太夫は、手づから腹切刀を授けたのだ。それを聞いた八重は、自分も死ななければならないはずで、なぜそう言ってくれないのか、なんとかする方法はないのかと白太夫に嘆きかかる。言われずとも、白太夫はさきほどまでの祝儀の最中も桜丸を助けられないかと思案していた。氏神の神前で春のくれた扇を御籤に見立てて引いてみても梅と松しか出ず、帰宅すれば桜の木が折れていたのを見て、もはや定業とあきらめ、白太夫は手づから腹切刀を末息子に渡したのだ。桜丸は老父の心遣いに感謝し、三方を取って押し戴く。白太夫介錯として鉦を打ち、南無阿弥陀仏の名号を唱える。桜丸が腹切刀を脇腹に突き立てると、八重は泣き声を上げ、白太夫の打つ鉦の音も乱れる。喉をかき切った桜丸は息絶え、それを見た八重は夫の刀を手にとって自害をはかろうとする。垣根の奥で様子を見守っていた梅王丸夫妻はあわてて駆け寄り、彼女の手から血刀をもぎ取ってそれをとどめ、白太夫の前にかしこまる。梅王丸らは、桜丸が来ないこと、白太夫が日頃大切にしていたはずの折れた桜の詮議をしないことを不審に思い、ここへ戻ってきていたのだった。梅王丸夫婦、八重、白太夫は桜丸の死を惜しんで涙をこぼす。

鉦を打ち納めた白太夫は、菅丞相の流された筑紫へ向かうべく、旅装束に姿を変える。白太夫が西へ向かうのと同じように桜丸も西方浄土へ向かう。いまも佐太天神に祀られる白太夫の祠は三つ子の親の住家を示し、天神の恵みとして知られている。



四段目

天拝山の段 〜太宰府 安楽寺天拝山

菅丞相が筑紫に流されてから月日も流れ、今日は延喜3年2月も半ば。菅丞相のもとへたどり着いた白太夫は、主人を牛に乗せて野山を散歩していた。白太夫は菅丞相を慰めるべく、田舎歌を歌い、立派な牛の条件を面白おかしく語り聞かせる。菅丞相は白太夫の講釈を楽しみ、白太夫も菅丞相の気分のよさそうなさまを喜ぶのだった。

二人がこうして出かけているのにはわけがあった。白太夫が筑紫に着いてから1年、月見花見にも出なかった菅丞相だったが、今日はにわかに安楽寺へ参詣すると言い出した。というのも、昨晩、菅丞相は愛樹の梅を思い出して歌を綴ったあとに眠ると、不思議な夢を見たという。夢にあらわれた天童が「非情の草木も主人を慕いくるので、安楽寺へ詣でよ」と告げたというのだ。そうしているところに、安楽寺の老僧が菅丞相を尋ねてこちらへ歩みくる姿が見える。なんと、彼も昨晩霊夢を見て「愛樹の梅を配所の主に見せよ」というお告げを聞いて起きてみると、観音堂のそばに一夜のうちに梅の木が生えていたという。割符を合わせるがごとくの正夢に驚き、一同は早速連れ立って安楽寺へ向かう。

さて、安楽寺の庭には本当に梅の木が生えていて、よい香りを放っていた。霊夢の話をちょっと疑っていた白太夫だったが、木の根本をしげしげと覗き込んで不思議がり、佐太の下屋敷に植えてあった梅の木に間違いないと言う。白太夫はさっそく梅干し作りの皮算用をして、振る舞い酒をいただくのだった。

菅丞相が花の眺めを楽しんでいると、喧嘩だという声が聞こえ、寺の境内に斬り合いをする侍2人がなだれ込んでくる。よく見ると、そのうちの一人は梅王丸だった。白太夫の声に勇気づけられ、梅王丸は相手を足下に組み敷くことができた。

梅王丸は、若君菅秀才は武部源蔵に預け、御台所は自らの女房・春と八重とで世話していることを語る。その御台所より筑紫の様子を見てくるようにという仰せで梅王丸は昨夜この地に着いたものの、その船の客のなかに時平の家来・鷲塚平馬がいたという。平馬は時平から菅丞相を暗殺せよとの命令を受けたというのだ。そのため梅王丸は平馬を追ってきて、いまこうして捕えたというのだった。

菅丞相は梅王丸が筑紫に尋ねてきたことをいたく喜び「梅は飛び 桜は枯るる世の中に 何とて松のつれなかるらん」という歌を詠む。白太夫は、菅丞相が梅王丸を褒め、桜丸を惜しんだことを喜び、松王丸はさぞ時平に媚び諂っているだろうと語る。そういえば的な感じで梅王丸が鷲塚を脅すと、鷲塚は、時平が皇位を望んでおり、天皇親王・院の御所を始末して天下を併呑するつもりであることをゲロする。これを聞いた菅丞相は、たちまちに柔和だった面相を変え、憤怒の形相で都の方角を睨みつけ、狂気の如くに立ち上がった。

太夫はびっくりして落ち着くように説得するが、菅丞相は意に介さず、玉体に害なす時平の謀反は聞き捨てならないと言う。身は無実の積みのまま朽ち果てても魂は都へ帰り帝を守護するという菅丞相が折り取った梅の枝で鷲塚の首を打つと、その首は飛んでしまう。菅丞相は白太夫と梅王丸へすぐに都へ帰り、時平の企みを奏上するように言いつける。そして菅丞相自身は天拝山の頂上で三日三夜の立行荒行を行い、雷神となって都に上り、謀反の一味を引き裂くと語る。立ち起こるすさまじい嵐に一同は驚き、梅王丸と白太夫は御台所と若君のために思いとどまって欲しいと菅丞相の袖にすがる。しかし二人を突き放した菅丞相は、もはや姿はこのままで雷神となったと告げる。梅花を口に含んだ菅丞相が息を吹くと、渦巻くそれは火焔となり、そのまま雲井遥かに飛び去っていくのだった。

 

北嵯峨の段 〜京都・北嵯峨 隠れ家〜

北嵯峨の田舎家の前で、門付けの山伏が法螺貝をブオブオ吹きまくっている。音を聞いて出てきた梅王丸の女房・春は、せっかく主人が落ち着いてまどろんでいるのにうるさい!とばかりに迷惑している。しかも内を覗き込んでくるのは大迷惑、春は山伏を追い払ってしまうのだった。

そういうわけで、実はここは、春と桜丸の女房・八重が菅丞相の御台所を隠し置いている隠れ家なのであった。春と八重はさきほどの騒ぎで御台所が目を覚ましたのではないかと心配したが、御台所は、起きてしまったのは悪夢のためであるという。御台所が見たのは、太宰府にいる夫菅丞相の夢だった。飛来した梅に喜び菅丞相は「梅は飛び 桜は枯るる世の中に 何とて松のつれなかるらん」と詠むも、時平の陰謀を知って激しく怒り、雷神と化したというものだった。それを聞いた二人は、夢は事実と反対に出るものだから吉兆に違いないと御台所を励ます。しかしこの嵯峨も危ういので、菅丞相の師である法性坊阿闍梨に頼み、御台所を転居させる相談をする。春は嵯峨に来ているという阿闍梨のもとへいそいそと出かけていくのだった。

ところが、春が出かけていくのと入れ替わりに、時平の家来・星坂源五が御台所を奪いにやってくる。八重は槍を取って応戦するも虚しく、時平の家来たちに殺されてしまう。嘆く御台所を奪い去ろうとする源五だったが、さきほどの門付山伏が現れ、退治してしまう。山伏は御台所を奪い去り、そのままどこかへ消えてしまった。

 

寺入りの段 〜京都・芹生 源蔵の寺子屋

菅秀才を預かった武部源蔵夫婦は、芹生の里へ移転し、この地でもまた寺子屋を開いていた。源蔵は近所の子供たちに手習を教えるのとともに、8歳になる菅秀才を我が子と見せかけて養育している。

そんな源蔵の外出中、教え子のうちでも年長のよだれくりが「師匠の留守にまで手習するのは損」と調子をぶっこいていると、菅秀才が1日に1字学べば1年で360字を覚えられると返す。若君をおちょくろうとするよだれくりだったが、子供たちはみんな若君に味方。みんなしてよだれくりに反撃しているところに、源蔵の女房・戸浪がやってくる。源蔵の帰宅時間がわからないほか、今日は寺入り(入学)の子が来る予定もあるので、午後は休みにするという。子供達が大はしゃぎしていると、7歳ほどの男の子の手を引き、下男に荷物を持たせた女房が寺子屋を尋ねてくる。今日来る約束になっていた寺入りの子供であった。戸浪に招き入れられた母は挨拶を交わし、源蔵の子と紹介された菅秀才を見て感心する。戸浪も連れられてきた子供・小太郎の品のよさを褒め、謝礼や手土産、机文庫を受け取るのだった。源蔵が外出していることを聞いた母は、ちょっと用事があるので自分も出かけてくるという。あとを追っていこうとする小太郎をたしなめ、母は寺子屋を出ていった。

 

寺子屋の段

戸浪が小太郎を菅秀に引き合わせて気を紛らせていると、主の源蔵が帰ってくる。ところが、源蔵の顔色は悪い。不審に思う戸浪は小太郎を引き合わせ、せっかくの寺入りの子だから機嫌を直すように勧める。いたいけに挨拶をする小太郎を見た源蔵は、突然顔色をやわらげてそのおとなしげな様子を褒めそやす。源蔵は小太郎を菅秀才や子供たちと一緒に奥へやらせ、戸浪と二人になる。

ただならぬ夫の様子を気遣い、戸浪は理由を尋ねる。源蔵は、村のもてなしと聞いて出かけたものの、実はそれが菅秀才の詮議であったことを語る。時平の家来・春藤玄蕃と松王丸が菅秀才の首を討って差し出すよう命じてきたというのだ。請け合ったものの、高貴な生まれつきの若君の身代わりになるような教え子はおらず(え?この時点でもうその発想?)、もはやご運も尽きたかと思っていたところ、帰ってみると小太郎という品のよい顔立ちの子がいるではないか。源蔵は、彼を一旦身代わりに、若君を連れて河内へ向かうことを考えていた。しかし、戸浪は松王丸が菅秀才の顔を知っていることを気にかけていた。しかし源蔵はいざとなったら松王丸を切り捨てて逃げる覚悟、また、小太郎の母が迎えに来たら、彼女も始末する気でいた。おのれの思案の残忍さに二人は覚悟を決め、小太郎の不幸さに涙を流す。

そうしていると、門口に春藤玄蕃と駕籠がやってくる。……と、そのうしろに、村の者たちが大勢ついてきているではないか。源蔵の寺子屋に子供を預けている村の衆は、自分の子供が菅秀才と間違えられ殺されてはかなわないと迎えにきたのである。玄蕃は知らんがな!はよ勝手に連れ帰れ!と言うが、そのとき、駕籠から松王丸が現れる。松王丸は病中のため、駕籠に乗ってやってきたのだ。松王丸は念のため顔を改めてから帰すとして、子供たちを一人ずつ呼び出して検分することにする。奥から出てくる子供たちはよだれくりをはじめ、どう見ても菅秀才に似ても似つかぬ芋ばかり。こうして村の子供たちは全て親に引き取られて帰っていった。

源蔵と戸浪が身構える中、玄蕃と松王丸が寺子屋に踏み入ってくる。菅秀才の首をせかす玄蕃に、源蔵はしばらく待てと言い捨て立ち上がる。松王丸は、この家はすでに包囲させてあるため逃げ道はなく、身替りの贋首も通用しないと言い放つ。カッとなった源蔵は胸を据えて一間に入っていった。

戸浪が今こそ肝要と思う中、松王丸は机文庫の数がさきほど帰った子供の数より一脚多いことに気づく。言い繕う戸浪、立ち上がる松王丸と玄蕃、そのとき奥で首を討つ音が聞こえる。

まもなく、首桶を白木の台に乗せた源蔵がしずしずと戻ってくる。源蔵は首桶を松王丸の前に据え、肚を据えてしっかりと検分せよと言い放つ。玄蕃や取り巻きの捕手が目を配る中、松王丸は首桶の蓋を開ける。首はむろん小太郎、源蔵は松王丸が贋首と言えば一討ちと隠し刀の鯉口をくつろげ、戸浪は天道仏神に祈願をかける。首を念入りに検分した松王丸は、この首は菅秀才に間違いないと断言する。源蔵夫婦は菅秀才の顔を知っているはずの松王丸の言葉に驚き入る。

玄蕃は松王丸の言葉を信じ込み、首を討った褒美に源蔵が菅秀才を匿った罪は赦し、松王丸の暇の願いも聞き入れると言って、首桶を傍にスタコラと帰っていった。そして松王丸は再び駕籠に揺られて寺子屋を去っていくのだった。

戸口をぴっしゃりと締めた源蔵夫婦は詰めていた息を吹き出し、松王丸が見間違えて小太郎の首でことが済んだことを喜び合う。ところがそこへ、小太郎を預けにきた母が戻ってきてしまう。扉を打ち叩く母に戸浪が焦る中、心を決めた源蔵は扉を開ける。母は源蔵に挨拶し、奥にいるという小太郎を迎えに行こうとするが、その背後を源蔵が斬りつける。女はしたたかに刀を避け、さらに斬りつける源蔵の刀を我が子の文庫で受け止める。真っ二つになった文庫から落ちたのは、経帷子と「南無阿弥陀仏」の六字を書いた旗だった。驚いた源蔵がたじろく中、小太郎の母は、息子は若君菅秀才の身替りに役立ったかと尋ねる。そのとき、門口から、「梅は飛び 桜は枯るる世の中に 何とて松のつれなかるらん」という歌とともに「息子は役に立ったぞ」という声が聞こえる。その主は松王丸であり、小太郎の母というのは実は松王丸の女房・千代であった。泣きじゃくる千代を嗜める松王丸、二人が夫婦であったことに、源蔵夫婦は驚き果てる。

源蔵が事情を尋ねると、松王丸はことの次第を語りはじめる。三兄弟のうち松王丸は不幸にも時平の舎人となったために、親兄弟との縁切りをしたうえ、恩を受けた菅丞相と敵対することになった。時平と縁を切るため仮病を使って暇を願うも、交換条件として出されたのは菅秀才の首実検の役目だった。源蔵が菅秀才の首を討つことはないとは考えていたものの、彼ら夫婦には身替りにすべき子供がない。ここぞ菅丞相へのご恩を報じるときとして、女房千代と言い合わせ、二人の間の息子小太郎を先回りさせここに連れてきたという。さきほど机の数を数えたのも、小太郎がここへ来ていることを確認するためだった。菅丞相は「どうして松王丸がつれなかろうか」という歌を詠んでくださったにもかかわらず、世間では松は不人情であるという噂が立つ無念さを語る松王丸。千代は、別れ際にいつになく小太郎が後を追ってきたことを思い出して悲しみ、持参品の謝礼金や手土産は香典や四十九日の配り物になったと語る。そして、小太郎も生まれ育ちが卑しければ身替りになることはなく、美しく生まれたことが身の不幸と嘆き悲しむのだった。

戸浪は千代に寄り添い、他人の自分でさえも小太郎がここへ来て挨拶したときのことを思い出すと涙がこぼれると共に泣く。松王丸は千代の嘆きを咎め、小太郎はさぞ未練な死に方をしたであろうと源蔵に尋ねる。ところが、源蔵は、若君菅秀才の身替りと聞いた小太郎は、にっこりと笑って首を差し伸べたという。その言葉に松王丸は驚き、我が子の賢さ、立派さ、健気さを褒める。手柄者、孝行者となった小太郎と違い、菅丞相への恩を返すことなく死んでいった弟桜丸のことを思い出した松王丸は涙に沈む。千代は桜丸には冥途で小太郎が会うことだろうと言って夫に取り付き、涙を流すのだった。

その嘆きを聞いた菅秀才は一間を出て松王丸・千代夫妻にねぎらいの言葉をかけ、涙を流して悲しむ。松王丸はその気持ちをありがたく思い、土産として用意の駕籠を呼び出す。その駕籠から出てきたのは、菅丞相の御台所であった。御台所と菅秀才は再会を喜び、源蔵は探しても見つからなかった御台所の姿に驚きを隠せない。実は、北嵯峨の隠れ家から御台所を連れ去った山伏の正体は松王丸で、時平の家来が北嵯峨に向かうのを聞いて先に回ったというのだ。松王丸は御台所・菅秀才ともに河内へお連れし、苅屋姫にも対面できるようにと源蔵に頼む。

松王丸と千代は小太郎の野辺送りをすべく、用意していた白装束に姿を改める。親が子の葬礼を出すのは逆縁となるため、源蔵は自分たちが代わって小太郎を送ると申し出るが、松王丸は、遺骸は小太郎ではなく菅秀才であると語り、源蔵夫婦には門火の準備を頼む。御台所や菅秀才も涙に暮れる中、松王丸夫妻は冥途への旅に出る小太郎のことを思い、鳥辺野へ向かうのだった。



五段目

大内天変の段 〜京都 禁中〜

六月下旬の頃、禁中は連日の激しい雷に見舞われていた。その雷は尋常ではなく、法性坊阿闍梨が雷避けのために参内し、紫宸殿に設けた壇で祈祷を行っていた。

そこへ、法皇よりの使いとして、斎世親王、苅屋姫、菅秀才、また彼らに伺候する判官代輝国がやってくる。彼らの目的は、菅秀才への菅家相続という法皇の願いがどうなったかを確認することだった。斎世親王は、天変は無実の罪に沈んだ菅丞相によるものであろうと語り、その霊魂を鎮め恨みを晴させ、民衆をやすめるためにも、菅家相続の件を阿闍梨から帝に取り計らってほしいと頼む。また、斎世親王は、自らに対する帝の怒りへの申開きも合わせて依頼する。阿闍梨はそれを引き受け、斎世親王らを伴って奥へ入る。輝国は阿闍梨の快諾を喜び、院の御所へと帰っていった。

時平は春藤玄蕃のチクリによって斎世親王らが参内していることを聞きつけ、左中弁希世、三善清貫を伴ってダッシュでやってくる。帝を遠島させ帝位につくことを目論む時平は邪魔者をすべて消すつもりでいた。そこへピョコッと出てきた菅秀才を希世に捕えさせた時平は、こんなことになったんはお前のせいじゃろがいとばかりに玄蕃の首を素手で捻じ切る。希世から菅秀才を受け取った時平が希世・清貫に斎世親王と苅屋姫の捕獲に向かわせようとしたところ、すさまじい雷が鳴り響き、二人はドン引きして逃げ惑う。時平が「落ちるなら落ちろ!」かとメチャクチャ言っている中、雷が階の下に隠れていた希世を直撃し、希世は黒焦げになってしまう。続けて清貫も雷に打たれて息絶えたのを見るとさすがの時平も震えだし、菅秀才はそのすきに逃げ出す。時平は法力頼みに壇へ上がるが、そのとき、時平の両耳から2匹の小蛇が逃げ出す。壇上の幣帛に入り込んだ小蛇たちは桜丸と八重の亡霊へと姿を変え、倒れた時平に、菅丞相が冤罪のままに死んだ恨みの言葉を述べる。

その物音に驚きやってきた阿闍梨は2人の亡霊の姿に驚き、祈祷して退散させようとする。その力で時平はやっと立ち上がるも、桜丸と八重の亡霊はなおも時平を追いつめる。退散しない死霊に阿闍梨はなおも数珠を押し揉んでいたが、桜丸から、菅丞相を讒言し謀反の企てがある朝敵時平に加担するのかと問われ、阿闍梨は祈祷をやめてその場を去る。時平はそれについて逃げようとしたものの、桜丸らに桜の枝の鞭で打たれて庭へ蹴落とされる。桜丸と八重の死霊は嬉しそうに姿を消し、菅丞相の恨みも消えたのか、空は晴れ渡ってふたたび太陽が姿を見せる。

そこへ苅屋姫と菅秀才が走ってきて、父の敵と用意の懐剣で時平を刺す。判官代輝国とともにやってきた松王丸、太宰府から帰った梅王丸・白太夫は、桜丸夫婦の亡霊が時平の悪事を明らかにしたことを聞き、おおいに喜ぶ。斎世親王を伴った阿闍梨は一同の前へ出て、宣旨を伝える。菅秀才には菅家を相続させ、菅丞相には正一位の官位を贈る。また、右近の馬場に社を築いて「南無天満大自在天神」として菅丞相を祀り、御所の守護神とするという。これがいまの北野天満宮で、いまでも当時のままにその姿を拝むことができる。

このように各地にある天満宮の縁起を書き残すのも筆の冥加、菅丞相の筆法の伝授が伝わる日本にその威徳を崇め奉るのである。(おしまい)

(現行、一部カット・改変あり。引率係の判官代輝国は登場せず、斎世親王・苅屋姫が菅秀才を連れてきたという設定になっている。原作にある、斎世親王が「天変は無実の罪に沈んだ菅丞相によるもの……」と発言するくだりが省かれている。そのほか、結末部分の松王丸・梅王丸・白太夫の登場もカット)