TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 5月東京公演『菅原伝授手習鑑』大内の段、加茂堤の段、筆法伝授の段、築地の段 国立劇場

 

今回、初めて『菅原伝授手習鑑』の初段から二段目までを観た。

これまでに観たことのある三段目、四段目とあわせて考えるに、この物語は、全通しで成立するバランスで作られているのだなと感じた。
なぜ桜丸は切腹しなければいけなかったのか、どうして源蔵は異様な行動に出たのか、松王丸がなにも言わずに計画を実行したのはなんのためだったのか。三段目、四段目で起こることの因縁の根源は前半にある。しかも、それらが絡み合い、どんどん連鎖していった結果が「あれ」なのだということが、よくわかった。「因縁」の物語としては、同作者によって書かれた『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』よりも段のあいだにリニアな連続性があり、奥行きのある設計になっていると感じる。

 

今回上演のうち、「道明寺」(宿禰太郎詮議の段〜丞相名残の段)だけは、古い記録映像で観たことがあった。幻想的で、古怪な雰囲気だと感じていた。そう感じられた要因は映像や音の悪さによるものだと思っていたのだが、現代の煌々とした照明に照らされた実際の舞台で観ても、独特の不気味さが失われていなかった。
古風さそのものは、戯曲としての性質が、三段目や四段目などの「現代的な」内容・文体とは異なっていることが大きいだろう。木像が動いて身代わりとなり、菅丞相を救う設定は、神仏の奇跡を描いていた時代の浄瑠璃のようで、「そんな身代わりができるなら小太郎は死んでねンだわ」と思ってしまう。でも、そういう、タイムスリップしたような味わいが良いんだよね。江戸時代の人は、菅原道真が生きた時代は自分たちの生きる合理的な世界とは異なり、神仏の奇跡がまだ生きていた、よい意味で不合理な時代と捉えていたのかもしれないと思った。

そういった雰囲気がそのまま再現されていることに、「現状の文楽の実力はここにあったのか」と思わされた。ドラマチックに見せかけるためのギトギトした着色を加えず、原作そのものをストレートに表現すること。そういう性質の出演者が偶然この場に揃ったからこそできたことだと思う。もちろん、意図的に質朴に演じている人と、質朴にしか演じられない人が混在しているのだが、それでも、「書かれていることをそのままに表現しよう」という意図の一致自体はあったのだと思う。少なくとも、「素朴にやったらこうなった」という結果論ではない。文楽座のアウトプットとしてこれを出せるのには驚いた。
重要な演目で、客の顔色をうかがうことなく、浄瑠璃をそのまま表現したストレートな舞台をなしとげたことを、まずは祝福したい。そのセンスが見られて、よかった。物語と舞台の佇まいを一致させられるというのは、いちばんよいことだ。

 

「通し狂言」と銘打ちながら二段目で切ったのは、失敗だった。
これでは、いわゆる、「見取り」ですよね。
『菅原伝授手習鑑』という物語は、ひょんなことから不幸がどんどん連鎖して、雪だるま式に大きくなっていく物語だと思う。つまり通し上演でこそ意味がある戯曲だ。分解した時点で単なる見取りになると思う。切り刻むと、それぞれの話が違って見えてきてしまうのが難点。

今回の上演方式で大きな問題となる点は、2つある。第1に、桜丸のキャラクター描写・理解に大きな欠如が出ること。第2に、苅屋姫というサブキャラの重要度が過剰に上がってしまうことだと思う。

三段目において、桜丸が悲劇の主人公として静かに死向かう姿を見せることを知っている人は多い。だから、今回の上演を観て、「いままでに観てきた桜丸って、初段・二段目とは全然キャラが違うんだ」と思われた方が多いと思う。私もそう思った。それが戯曲の狙いで、二段目までは明るく楽しげに振舞っていた桜丸が事態の深刻さを受け止め、三段目に全く違った佇まいで登場することに意味があるのだと思う。
また、三兄弟の関係が、加茂堤→車曳→佐田村と、どんどん悪化していくのがみられなくなるのは、厳しい。今回の企画では、初段〜二段目(5月)と三段目(8・9月)では人形の桜丸の配役が異なるのもかなり気になる事項だ。

『菅原伝授手習鑑』において、苅屋姫の内面描写は、浅い。類型以上の内面描写はなく、菅丞相の娘という物語のトリガーとしての役割しかないのは、戯曲としての欠点だと思う。今回のように二段目までの上演として「道明寺」で切ってしまうと、彼女の動向に必要以上の重要な意味があるように見えてきてしまう。このような場合は、出演者による人物像や物語への厚みの塗り重ね、肉付けが必要になってくると思う。

これは、浄瑠璃をよく読み込んだからそう思ったとかいうことではなく、舞台上での苅屋姫の状況から考えたことだ。私にとっての文楽の舞台の最大の楽しみは、人形の演技なり、床の演奏から、「ああ、このキャラって、こういう人となりなんだな」とか、「ここは、そういう情景なのだな」という世界を発見することだ。今月でいうと、第三部『夏祭浪花鑑』の和生さん演じる義平次の人物像において顕著だろう。逆に、その出演者自体しか見えてこない、聞こえてこない場合がある。舞台にいるのが物語の登場人物ではなく、その技芸員さんになってしまっているという状況だ。最近は、そこから逆に考えて「いまの舞台には何が足りないのか」「この物語は何を描いているのか、何が狙いなのか(何を描くべきか、何を狙うべきか)」ということが気になるようになってきた。

人形は、ドラマへの志向をもたないと、物語を立体化することが難しい。「丞相名残」の段切で伏せ駕籠から飛び出すところを感情の最高点として、それまでにどのような気持ちの変化があるのか、逆算した設計が必要だろう。そのためには、若年であっても公卿の姫君としての礼儀作法を身につけた人物である描写が肝要だと思う。その作法を破ってでも自分の感情を全面に出すのはどんなときなのか。同じく床も、いつ、誰が、誰に向かって、何を、どう話しているのか、あるいは通常の劇部分なのか舞踊・述懐要素の強い部分(道行)なのかを踏まえた語りになっている必要がある。会話相手との人間関係や、彼女が置かれている状況を感じ取ることのできるような声とはどのようなものだろうか。

上記はいずれも「そりゃそうだろ」って話なんだけど、やっぱり、若い人だけで固めてしまうと、この芝居がいったいどこを目指しているのか、本人たちもよくわからないのだろうと思った。会期後半になっても「うーん?」なことが多いところをみると、「一生懸命頑張った」という達成感だけになってしまってるんだろうなというか。今回の配役は勉強のためにやらせているのだとは思うが、何を勉強しなくてはいけないのかに意識を向ける(向けさせる)ことが必要だと感じた。

 

上演時間が長いから一度に全通しはできないというのはちょっと厳しい「言い訳」だ。国立劇場が設立された当時、「通し上演」を主眼にしようとしていたのは、全通しによる物語の全体像を浮かび上がらせるためだったのではないか。時間的に難しいなら、「微妙な」段を抜いてでも、全通しして『菅原伝授手習鑑』の全像を提示したほうがよかったように思う。
また、配役を5月と8・9月で一貫させず、特に人形において配役を変えてしまうのは、人物の多面性を描くこの作品では人物像がブレるので、やめて欲しかった。
少なくとも、この形態で「通し狂言」を謳うのは詐称だろう。半通し、あるいは建狂言(その興行でメインとなる演目)にすぎない。現代の一般企業では、モラルとしてユーザーに誤解を与えるようなネーミングは自主規制されるが、そういう意味でも、え、いまどきこういうノリなの?と感じられ、違和感がある行為だと思う。ロビーで、「今月と9月とで“シリーズ”になってるんだよ〜」と話している方がいらっしゃったが、全部やります感を強調したいのなら、“シリーズ”のほうが腑に落ちる言葉だと思った。

 

 


以下、各段の感想。

最初に人物相関図を貼っておきます。

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初段、大序 大内の段。

あらすじ

いまでは畏れ尊ばれている「天神」は、かつては「菅原道真」という人間だった。菅原道真は学問を究め能筆(字ウマ🖌️)であったゆえに右大臣へ昇り、「菅丞相(かんしょうじょう)」と敬われて、左大臣藤原時平とともに帝を補佐していた。
近頃帝は風邪気味で、イマイチよくならない。菅丞相〈大序のみ吉田玉翔〉や藤原時平〈桐竹勘次郎〉はその見舞いに参内していた。そんなところへ、春藤玄蕃〈吉田玉彦〉に案内された渤海国の僧侶・天蘭敬〈桐竹亀次〉が、徽宗皇帝の命で帝の姿を絵に描き写したいとやってくる。菅丞相が帝の病を説明して断るかと時平に尋ねると、時平は、それではやましいことがあると疑われるとして、帝に似せた代役を立てればいいと言い出す。ではその代役とは誰かというと、時平は自分がやると言い出す。ないわー的空気になったところで、見舞いに来ていた無位の親王・斎世親王〈吉田玉勢〉を代役に立ててはどうかと菅丞相が提案。斎世親王に帝の衣装を着せ、その姿を天蘭敬に描かせる。
帝の姿を描き、唐僧が喜んで帰っていくと、時平は斎世親王から帝の装束を剥ぎ取り、この衣装は官位すらない親王に着せて汚れたので、自分が預かっておくと言い出す。菅丞相がそれを止めるが、謀反の疑いがかけられるという図星の言葉に時平はギクリとする。
斎世親王は菅丞相に向き直り、帝よりの勅命を伝える。それは、老少不定の世の中、末世のためにその秀でた書道を伝えよ。菅丞相の長子は女子、子息は幼少のため家系での相続は叶わないため、弟子の中から優れた者を選び、奥義を伝授せよというものだった。菅丞相は、館に引きこもり、七日間の斎戒をして器量ある弟子に奥義を授けることを語る。これが今の世に伝わる筆道のもととなるのであった。
(現行は原作を一部改変して上演。原作では左中弁希世、三善清貫、判官代照国も同席してピーチクパーチク喋っているが、この3人を登場させない脚本に改められている。玄チャン残れてよかったね。本来は希ポンはこの時点で「ぼくにひっぽー伝授してくれるんだよね?ね??ね???」と菅丞相に擦り寄って、「ここでは同僚でも、書道ではおめーは弟子なので、師匠を差し置いてわがまま言うな」と叱られています)

 

人形黒衣。

時平の人形が傾いとる!!!!!!!!!

菅丞相はここから玉男さんに遣って欲しかった。大序は練習や前説ではないし、第一部の玉男さんの出番、「筆法伝授」だけ? 1日で完全通しする企画ならまだしも、三部制で、しかも半通しでしかない上演形態なのに……と思った。

 

唐使からの貢物は、「昭和の東京タワーで売っていたお土産の置物」みたいだった(金のプラスチックの東京タワー、地球型の万年カレンダーか小さい温度計、ミニな浅草寺のちょうちんや西郷どんが黒い台に乗ってる感じのやつ)。
天蘭敬の筆はいわゆる毛筆ではなく、細い木の棒の先端を焼いたものらしい。デッサン用木炭の簡易版みたいなものなのだろうか。だからスケッチのように斜めに倒して描いていたのか。天蘭敬の硯?は、羊毛フェルトみたいなもこもこ形状だったけど、あの硯の中には何が入っているのだろう。

現行、帝のことばを取り次ぐ伊予の内侍はツメ人形だが、この役、明治時代の番付には配役が載っている。むかしは三人遣いだったのかな*1。「宿禰太郎詮議の段」に登場する水奴も戦前は三人遣いだったようだが、三人遣いからツメに退化するというのは、理由はわかるけど、なんか、面白い。

 

 

 

加茂堤の段。

加茂川の堤では、舎人の松王丸〈吉田玉路〉と梅王丸〈吉田文哉〉が一休みしていた。松王丸と梅王丸そして桜丸は、佐太村の四郎九郎のもとに生まれた三つ子の兄弟だった。養育が大変なところ、四郎九郎の旧主である菅丞相に三つ子は天下泰平のあかしとして祝福され、彼らは三人揃って牛飼いとなり、それぞれ藤原時平、菅丞相、斎世親王に仕えていた。彼らの梅・松・桜の名前は菅丞相の愛樹にちなんだもので、父・四郎九郎はその愛樹を守ってのんびりと田舎暮らしをしているのだった。
松王丸と梅王丸が父の70歳記念バースデーパーティーへ行く話をしていると、斎世親王の牛車を引いた桜丸〈吉田玉佳〉がやってきて、主人たちの宮参りが終わったので早く迎えに行ったほうがいいと急き立てる。兄二人がスタコラと去っていくのを見て桜丸はシメシメと菅丞相の娘・苅屋姫〈吉田簑紫郎〉を呼び出す。桜丸、そして彼の妻・八重〈桐竹紋臣〉は、密かな恋仲である苅屋姫と斎世親王を逢い引きをさせるべく、邪魔者を追い払ったのである。二人を牛車に押し込んだ桜丸夫妻、桜丸が八重に水を汲みにいかせていたところ、この現場を藤原時平の腰巾着・三善清貫におさえられてしまう。桜丸が清貫を追い払おうとしているうち、斎世親王と苅屋姫は駆け落ちをしてしまう。現場に戻った清貫は二人がいなくなっていることに気付き、注進に走る。桜丸、八重が帰ってきたときには、牛車の中に斎世親王の書き置きが残されているばかりだった。桜丸は、斎世の宮と苅屋姫は姫の実の母の住処である土師へ逃げたと推測し、探索に向かう。八重は全然言うことを全然聞かない牛に苦心しつつ、牛車を押して御所へ帰るのだった。
(現行、一部詞章カットあり。そのために、なぜ八重が水を汲みに行ったのかがわかりづらくなっている)

ここから人形出遣い。のどかな川べりの風景に、松王丸と梅王丸がくっついて居眠りしている。

菅丞相は、本当は苅屋姫の密通を知っていたのではないだろうか。知ってて知らんぷりしていて、いずれ機会を見て……と思っていたのに、桜丸が世間に露見するようなことをしてしまったゆえの悲劇。
しかしそれでも桜丸は切腹で当たり前だな。世の中はなによりも建前が重要で、それを犯すことは許されない。苅屋姫や斎世親王と同じくらい、彼も若く浅はかだったという話だと思うが、うーん、重大インシデントっ!!!*2

玉佳桜丸は、市川雷蔵のようで、とても良かった。
好色一代男』の。好色丸で出航しそう。*3
眠狂四郎とかじゃなく、『好色一代男』の市川雷蔵のオーラを出せるのが、すごい。地表から数センチだけ浮いているようなほがらかさ、柔らかく軽やかな内面からのイケメンぶり。あれは本当にすごくて、江戸時代のあっけらかんとした好色物の雰囲気をうまく現代にとらえなおしており、当時の「気さくな好男子」ってこういう感じだったのかなと思ったけど、現実に玉佳さんの桜丸というかたちで見ることになるとは思わなかった。
玉佳桜丸は、人形自身がなんだか楽しそうなのがいい。所作が固まりすぎず若干ほどけていて、なんか微妙にジジ臭いところがあるのも笑える(玉佳さんがオッチャン化してきてるから?)。桜丸って、やっぱり、白太夫の息子なんだなと思った。兄弟の中で一番、パパに似ている。段切に差す影と深刻さも良かった。

 

全然言うこと聞かない牛への対応策は、「ケツに爆竹を詰めて点火」かと思っていた。人は平気で殺す世界観のくせに、動物には優しい。とはいえ、八重さんは、牛を袖でバシッと叩いていた。*4
牛が「まだら牛」じゃないのが気になった。いや「まだら牛」ってなんだ。ホルスタインか。
あとこの牛、「車曳」に出てくる時平モーモー・カーの牛と同一牛だよね。「車曳」では牛は引っ張らなくても勝手に帰ってしまうが、おなかすいてたのかな。やっぱりエサでつるのが一番だね。
(散漫すぎる牛への食いつき)

 

三兄弟がのどかに仲良く過ごすこの段は、完全通しの状態で、三段目なり四段目に松王丸や梅王丸をやるような貫禄ある人がこの段に出るからこそ、嵐の序章として意味があるのだろうと思った。この配役だと、大内とおなじく、おまけとして上演してます状態だよね。ちょっとボリュームが足りない印象になっている。
でもそのぶん、よく見ていると、「この子は師匠をよく見ていて、師匠のよいところをちゃんとわかってるんだな」と思う部分も大きい。松王丸〈吉田玉路〉は、人形の首の座りがとてもしっかりしている。師匠(玉男さん)がなにをやっているのか、よく見てるわと思った。顎をやや引き気味にしているので、前髪の年齢ながらも真面目で落ち着いた雰囲気も出ている。若手で顎と首を意識した使い方は立派。

それはともかく、客席に、松王丸と同じポーズで寝ている人がいるのが良かった。(お手本?)

 

床は、花見の会場、宴もたけなわ😉みたいなことになっていた。

 

 

 

筆法伝授の段。

菅丞相の館では、長年の弟子である左中弁希世〈吉田勘市〉が調子よく書道の練習をしている。希世は、筆法を伝授さるるは我なるぞ⭐️と思っていた。しかし、彼がいくら励もうとも菅丞相には相手にされず、菅家に務める女子たちにも煙たがられているのであった。希世は今日もまた局〈吉田玉延〉に手跡の取次を頼むが、局は「私が取り次いでも無理だから」と大人の対応で、若い腰元・勝野〈吉田和馬〉に取次をさせようとする。ところが希世は勝野のような若い娘ではダメだと言って、局に手跡を持っていかせる。人がいなくなったすきに勝野に吸いつこうとする希世、勝野は「あ〜〜れ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!も〜〜〜〜し〜〜〜〜!!!!!」と大声を上げる。
その声を聞きつけてか、菅丞相の御台所〈吉田文昇〉と子息・菅秀才〈豊松清之介〉が姿を見せる。言い訳する希世が苅屋姫の姿が見えないことを尋ねると、御台所は沈み込む。姫たちの出奔はすでに世間の噂であったが、筆法伝授のための7日間の斎戒を行なっている菅丞相にはそのことは知らせず、御台所は密かに土師へ使者を送っているところだった。

そこへ、4年前に菅家を勘当された武部源蔵〈吉田玉志〉と戸浪〈吉田簑一郎〉が訪ねてくる。恐縮し遠慮する源蔵夫婦だったが、御台所は久々の再会を喜び、源蔵を学問所へ向かわせる。
注連縄が張り巡らさせた学問所では、白木の机を構えた菅丞相が源蔵を待っていた。源蔵は幼い頃より菅丞相に奉公して筆法の教えを受け、兄弟子らを凌ぐ能筆ぶりを見せ、丞相に見込まれていた。勘当されたのちは教える寺子屋を開き子供らに文字を教えているという源蔵の話を聞いた菅丞相は、彼の筆法の腕を確かめるため、源蔵に手本を見て書写するように命じる。ところがそこへ希世が割り込んできて(立ち入り禁止って言っただろ!!)、源蔵に遠慮しろと図々しく言いつける。引き下がろうとする源蔵に丞相はなおも筆写を命じ、源蔵も妨害してくる希世を押しのけて机に向かう。源蔵が書き上げた文字を見た菅丞相はその優れた手跡に感嘆し、彼に筆法伝授することを決める。源蔵はこれで勘当も赦されると喜ぶが、菅丞相は伝授と勘当は別であるとして、以降は対面は叶わないと言い放つ。伝授はされなくともよいので勘当を赦されたいと泣き詫びるも、聞き入れられることはない。
そこへ、菅丞相に参内の命令が下ったという知らせが入る。御台所は、打掛の下に戸浪を隠して学問所を訪れ、戸浪にも菅丞相の顔を影から見せてやろうとする。源蔵に伝授の巻物を授け出かけようとする菅丞相だったが、そのとき不意に冠が落ちる。不吉な予感を覚える菅丞相に、御台所は源蔵の落涙のあらわれと言い紛らわし、菅丞相はそのまま参内してゆく。
源蔵と戸浪が勘当を許されなかったことを嘆いていると、またも希世が図々しく割り込んでくる。伝授の巻物を拝ませて欲しいという頼みに源蔵が巻物を懐から取り出すと、希世はその巻物を奪い取って逃げようとする。源蔵は希世を叩き伏せて刺し殺そうとするが(どんだけ短気なんだよ!)、御台所に止められたので、寺子屋での罰になぞらえ、希世に机をくくり付けて叩き出す。源蔵と戸浪はこれ以上の長居は恐れとして、御台所に挨拶して館を後にするのだった。

菅丞相が官位もなにもないただの家臣である源蔵に筆法を伝授したという設定は、よくできている。
この段の主旨自体は、菅丞相の教えが民間へ降った源蔵を通し、現代(江戸時代当時)の寺子屋での手習として人々に広まっているという歴史の謎解きだろう。
そのなかで、本来は菅原道真自身、時平のような「高貴な血筋」の生まれではない。もとは右大臣にまで昇ることのできるような家柄の出身ではないにもかかわらず、才能で異例の出世をした。その菅丞相がさらに一般人である源蔵を見出すという構造は上手い(そしてその源蔵は、最終的によだくりのような庶民中の庶民に字を教えているというのが、すごい……)。
そこを強調するために、絵に描いたような(人形に掘ったような?)貴族の兄弟子・平希世が出てくるのだろう。希ポンだと昇殿できるほどの身分官位があるはずで、それよりも源蔵にとなると、相当のこと。一種の「庶民の夢」とでもいうべきか。*5

 

菅丞相はここから吉田玉男。学問所では、菅丞相は真っ白な直衣(?)を着て、注連縄を張り巡らせた帳台のような場所に座っている。玉男さんの威風堂々とした巨大な威厳がよく映えている。菅原道真は高貴で知的であるという一般イメージとはまた違ったオーラ。すさまじい存在感、神々しい威圧感がある。何かの真似ではできないものだ。なんだかやたら強そうで、菅丞相は日本の空手道を創始したと言われても、ツメ人形なら騙されると思った。無表情そうな菅丞相だが、ずっと、下手下方(=源蔵が座っている場所)に目線を向けているのがよかった。戸浪が御台所の打掛の陰に隠れて出てきたときのみ、少しだけ彼女を見てやっているのもよかった。

参内の場面になると、菅丞相は黒の束帯に着替え、冠を被って上手の間から登場する。この冠には舞台上で外れる仕掛け*6がなされているのだが、その不安定さやバランス取りのせいなのか、玉男さんにしてはかしらの立て方(とでもいうのか?)が上向きすぎて、微妙に不自然だった。
菅丞相、斎世親王といった冠をつける人形のかしらは、よく見ると、左右のこめかみの上あたり、左右のもみあげの先端あたり、顎の下に針が打ってあるようだった。そこに紐を引っ掛けて固定してるのかな。ひもは糊とかでくっつけてんのか?と思っていたけど、わりと本当に被っているんですね。

 

玉志さんの源蔵は、実にピュアに菅丞相を慕っていそうで、真面目で悲しげな佇まいがよかった。すっと澄んだ目の源蔵だった。(澄んだ目の異常者)
厳粛な場や伝授の高揚よりも、菅丞相への畏敬が強く出ている。彼がずっとしょんぼりしているのは、菅丞相が自分を拒絶していることへの辛さが全面に出ているからだろう。この期に及んでも菅丞相しか見ていない浮つきのなさ、言い換えれば視野の狭さというのは、表現としてうまい。堂々とした「公」の雰囲気を湛え続ける菅丞相に対し、源蔵は始終、自分の感情に囚われた「私」の人だった。菅丞相と対話しているのではなく、自分と対話している感じというか……。うーん、この内向ぶり、さすが、玉志……。いろいろな意味で、ほかの人には、できん……。

玉志さんって、源蔵に似てるよね。真面目で、手が綺麗で、師匠への崇敬の念を持ち続けている美点。その裏返しとして、性急で短絡的なところがある欠点。実際のご本人がどういう人かは知らないが、舞台から見えてくる像は同じ。ご本人の中では菅丞相=初代玉男師匠だろうから、立場としても源蔵に近しい。とても似合っている役だと思う。

玉志さんはお辞儀の所作が非常に綺麗で、状況や相手によるお辞儀の意味の区分もよく考えられている。御台所に挨拶するにしても、最初の挨拶、別の行動に移る前の一礼、別れの挨拶など、細かく演じられていた。今回、フーンと思ったのが、菅丞相の前から白木の机を受け取る、あるいは返すときの礼。日程初期〜中期では、かなり深く頭を下げて慎重な礼をして、恭しく机を受け取っていた。ところが最後のほうになると、素早くかつ深く一礼してすぐに下がるようになっていた。当初は菅丞相への敬意を強く出していたのだろうけど、最終的には「勘当された主人の御前に長居するのは畏れ多い」という方向にいったのか? ご本人の素?? 源蔵にとっては、神になるよりもずっと前から、菅丞相は彼にとっての神だったのだろう。
学問所へ入ったとき、襖を開け閉める所作が入っているのが良かった。菅丞相と自分だけしか入ってはならない神聖な空間という設定を強調しているのだと思うが(実際には局とかツメ人形とか侵入してきちゃいますが)、襖を開ける所作はもとより、閉める所作は立役では非常に珍しい演技ではないだろうか。襖、たいてい、自動ドアだから……。手を揃えて丁寧に閉める所作が、律儀オーラを醸し出していた。
書写する演技のとき、墨を本当に硯につけてすっているのは几帳面だね。希世(勘市さん)は若干浮かしてコスコスしていた。

源蔵は、希ポンをおもいきりシバいたり踏んだりしていた。あの鋭さを見るに、やっぱり玉志さんは熊谷(『一谷嫰軍記』熊谷陣屋)では藤の局・相模に優しく接していたんだなと思った。熊谷は、ネコチャンが入ってきちゃったのを発見❣️って感じだったのに、源蔵は、保育園に入り込んだマムシを子供が触る前に素早く叩き殺す園長先生みたいな動きだった。動きが綺麗なので、剣の達人のような雰囲気を醸し出していた。

しかし、源蔵、ほんとにやばいな。登場人物たちが言っていることからすると、源蔵は戸浪との不義が露見したことによって菅家を追放された設定のはずだが、希ポンや清ポンへのムチャクチャな仕打ちを見ると、勢いで同僚に傷害負わせて勘当されたんじゃねえのという異様な短絡さを感じる。酒入ってるとかでもなくこの短慮ぶりはやばすぎる。菅丞相(と御台所)以外の言うことを聞かない狂犬。いや、この短絡ぶりだからこそ、四段目で見ず知らずの新入生を殺すことを即決したのだろう。


希世〈吉田勘市〉が、やたら、良い。
段の頭で笑いを取るチョイ役かと思いきや、めちゃくちゃしつこく何度も登場する。希世は冷静に見るとまゆが険しく顔が怖いのだが、舞台ではイキって斜め上(?)を見ていて顔全面に照明が回るので、パカーンと明るい表情のエブリシング変顔になるのが良い。仕草もチャーミング。源蔵に押さえ込まれて、机をタンタンとタップしているのが可愛かった。
販売プログラムの希世の解説には「菅丞相の家臣」とあったが、希世は太政官としての部下であって、いわゆる家臣(近世的な意味でその家に仕える者)というわけではないのでは。大序の現行でカットされている原文では、菅丞相から「内裏にあるときは我が傍輩」と言われているし。筆法の弟子として館に上がり込んでいるだけの人だと思います。(むしろ一層迷惑)

 

御台所〈吉田文昇〉、戸浪〈吉田簑一郎〉ともに、それぞれの人物の持つ、どこか一歩引いたような雰囲気が出ていた。四段目で観るよりも年齢が上がって見えた。やや枯れた印象で、墨絵のように淡い。しかし、すったばかりの墨の香りがするような、どこか底のほうに強いものがある印象が良かった。変にムチムチされても困るので、非常によくわかる。


源蔵が菅丞相の前で書いた文字2つ、源蔵が書いているのは菅丞相が作った漢詩柿本人麻呂の和歌のようだ。冒頭で希世が書いているのは「〜逢坂の関」と見えたので、蝉丸の詠歌のようだった。
わかりやすさ優先で現代でいうところの「美文字」にしてあるのかなとは思うものの、リアリティラインが不思議。

 

 
 
 
 
 
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築地の段。

梅王丸が慌てた様子で菅家の館の門前まで駆け戻ってくる。菅丞相が罪科に問われ、官位を奪われて館へ送り戻されるというのだ。やがて菅丞相を連れた三好清貫(まだおったんかい! 使い捨てキャラかと思てたわ!!)は、苅屋姫と斎世親王失踪の一件から、菅丞相が斎世親王を位につけ、姫を后として外戚の権威を振るおうとしている嫌疑を語る。そして、菅丞相はその罪によって遠島となったという。
驚いた御台所は菅丞相にすがりついて嘆くが、丞相は汚名を着せられても帝を恨むことはなく、天命のなすところであると語る。そこへやってきた希世(こいつもまだおったんかい!!)は、菅丞相を見限り時平につくとして清貫にとりなしを頼む。調子に乗った希世は菅丞相に割れ竹を振り上げるが、飛び出てきた梅王丸がそれを奪い取る。逆に希世を打とうとする梅王丸だったが、菅丞相にたしなめられ、無念のうちに引き下がり、菅丞相とともに館の内へ入る。そして、館の門には監視の番人に命じられた荒島主税〈桐竹勘介〉によって材木が打ち付けられ、硬く閉ざされるのだった。
ザマアwwwと帰ろうとする清貫だったが、突然現れた源蔵に当身を食らう。大激怒する清貫と希世だったが、「菅丞相から勘当されている→家臣でないので菅家への配慮不要→時平一味相手に何やらかしても問題なし」論法で「無敵の人」となっている源蔵は刀を抜き、戸浪とともに2人を追い立てる。
邪魔者を追い払った源蔵は、門の中の梅王丸に声をかける。庭木に登って築地(ついじ)の向こうの源蔵をみとめた梅王丸は、菅家を断絶させないため、彼ら夫婦に菅秀才を預けることにする。そうして梅王丸が菅秀才を築地の上から抱き下ろしていると、荒島主税が戻ってきて喚き立てる。しかし梅王丸の瓦投げに当たった上に(瓦投げるのここだっけ?)源蔵に真っ二つにされ、あっさり片付けられてしまう。
源蔵は戸浪に菅秀才をおんぶさせると、梅王丸には菅丞相と御台所の行く末を頼み、夫婦でどこかへと落ちていくのだった。

暗く、不気味さのある段。

玉男さんの菅丞相は強そうすぎて、あの程度の木っ端人形では簡単にひねり殺せそうなところ、天命に従うとして大人しく歩いているのが逆に菅丞相らしい。不意に玉男様最強オーラがポジティブに働いていた。
なお、菅丞相はここまでは殿上眉ありのかしら。二部以降は普通の眉のみ。

菅秀才を築地から下ろすために源蔵が戸浪を抱き上げる(戸浪が菅秀才を抱いて降りてくる)という演出。いまでは後ろ向きにモゾモゾしているだけになっているが、初演当時はなんらかの見所になっていたのだろうか。『仮名手本忠臣蔵』一力茶屋の段でも由良助がおかるを抱き下ろす場面があるけれど、当時はこの動作を面白く見せる趣向があったのかな。

梅王丸の瓦投げ、当たっているように見える日、見えない日があるのが、なんか面白かった。

 

 

 

  • 義太夫
    • 大内の段
      豊竹薫太夫、竹本聖太夫、竹本碩太夫、豊竹亘太夫、竹本小住太夫/鶴澤清方、鶴澤清允、鶴澤燕二郎、野澤錦吾
      ※演奏順はこの通りではない
    • 加茂堤の段
      桜丸 豊竹希太夫、松王・清貫 竹本津國太夫、梅王・斎世 竹本南都太夫、八重・苅屋姫 豊竹咲寿太夫/竹澤團吾
    • 筆法伝授の段
      口=豊竹亘太夫/鶴澤清公
      奥=竹本織太夫/鶴澤燕三
    • 築地の段
      豊竹靖太夫/鶴澤清馗

  • 人形
    菅丞相=吉田玉翔[大内]・吉田玉男[筆法伝授]、左大臣時平=桐竹勘次郎、春藤玄蕃=吉田玉彦、唐使天蘭敬=桐竹亀次、斎世親王=吉田玉勢、舎人梅王丸=吉田文哉、舎人松王丸=吉田玉路、舎人桜丸=吉田玉佳、苅屋姫=吉田簑紫郎、女房八重=桐竹紋臣、三善清貫=吉田玉誉、左中弁希世=吉田勘市、局=吉田玉延、腰元勝野=吉田和馬、御台所=吉田文昇、菅秀才=豊松清之助、武部源蔵=吉田玉志、女房戸浪=吉田簑一郎、荒島主税=桐竹勘介

 

 

 

第一部(初段)は「これで終わり?」感が強い。ここだけを独立させて上演するような段ではないため、満腹感がない状態だった。文楽は、文楽そのものを好きな固定客が多いにもかかわらず、あくまでパブリックな興行だという建前でやっているため、内輪感がないのがよいところだと思っている。初見の方やたまたま付き合いで来た方を排除するような雰囲気はない。でも、この上演形態は、「いつも来る人たち」以外に対しては、ちょっと不親切だなと思う。

ただ、舞台として、ドラマや雰囲気をもう少し盛り上げられればよかったとは思う。なんというか、最終的には、センスや経験が問われる段が多いのかな。初段が物語る内容を初段のみ独立した状態で表現するのは、現状では難しいのかもしれない。

 

以降、第二部記事へ続く。

 

 

 

 

 

*1:明治時代の番付は、仕丁とかも配役が載っているので、よくわからないですが……。

*2:それはともかく、「セックスしないと出られない部屋」、文楽にはよく出てくるよなーと思う。実在したのかよ。いや、この人たちは本当にものがよくわかっていなくておぼこいので、なにもしてないんですけど……。

*3:増村保造監督『好色一代男』、本当に面白いのでぜひご覧ください。

*4:八重さん(と牛)の演技でいうと、牛を引っ張ろうとするところの「させいほうせい」というのは牛を使うときの掛け声で、「させい」は左へGO、「ほうせい」は右へGOの意味。なので、八重が引っ張る向き(人形演技としては最初は正面、あとは右斜め前)は、地味に、合ってます。

*5:官僚・学者としての菅丞相について知るには、滝川幸司菅原道真 学者政治家の栄光と没落』(中公新書/2019)がおすすめ。ちょっとだけと清ポンコーナーもある!

*6:冠は、あらかじめ左袖で顔の下まわりを隠しながら顎紐をほどき、かいしゃくが背後から黒く細長い棒で髷を入れる部分を押し上げることで落下させているようだった。