TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 双蝶々曲輪日記 全段のあらすじと整理

2024年2月東京公演・第三部で上演される、『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』の全段の内容について解説します。

 

┃ INDEX

 

 

 

 

 

┃概要

初演:寛延2年[1749]大坂・竹本座
作者:竹田出雲・三好松洛・並木千柳

大坂や八幡近在を舞台に、様々なかたちの家族の情愛が交錯する世話物。全九段。

作劇上のアクセントとして「時刻」の使用が散見され、特に八段目「引窓の段」では、引窓(天窓)の開閉、暮れの鐘による昼夜の切り替えが、登場人物の身分の切り替えと連動していることが重要な仕掛けとなる。また、同じ段で、武士の象徴である大小(太刀と脇差)を差しているか否かによって「身分」を変化させる人物がいるという設定は、本作が初演された18世紀中期以降の風俗を写し取っており、大変興味深い。

 

 

 

┃舞台MAP

与五郎、お照、十次兵衛の実家は、実は距離が近い。地図を見ると、山崎/橋本/八幡は、石清水八幡宮や淀川を挟んで隣接していることがわかる。八幡へと通じる樟葉も同じくその近辺。

 

 

 

┃時間経過

初段〜七段目までは、時間がほぼ連続しており、春ごろ。その後、半年ほど飛んで、八段目は秋が舞台。九段目はまもなく春を迎える冬。約一年を通した物語となっている。

季節 季節を示すキーワード  
初段 花見 −−−
二段目 なし −−−
三段目(相撲場) なし 堀江の相撲興行は春・秋に行われた(当初は4月3日から休み含め13日間)
四段目(米屋) 春雨 四段目・五段目は時間が連続している設定
五段目(難波裏) なし −−−
六段目(橋本) なし 下女が「こないだ見た」として、歌舞伎の正月興行を話題にする場面あり
七段目 花も散り行く菜種畑 −−−
八段目(引窓) 放生会 放生会は陰暦8月15日に行われる。物語はその前日、8月14日が舞台
九段目 春早々に観心寺で行う勧進相撲の予定の話題が出る

 

┃登場人物

山崎与五郎
山崎の大きな商家のボンボン。大坂の傾城・吾妻が恋人で、彼女を身請けしたいと思っている。性格はいいのだが言動がまるでお子様で、自分では何もできない。ペットは金魚。

山崎与次兵衛
山崎で商いをしている与五郎のパパ。武家との取引や融資があるほど商売の規模は大きい。山崎から大坂まで船や駕籠を使わず歩いてくるほどのものすごい倹約家。でも、ケチって貯めたお金を濡髪にあげればいい正月着を作れる❤️と言い出すほどの濡髪推し。与五郎の放蕩に怒っているが、ついつい甘やかしてしまうし、貯金を頑張るのも与五郎のため。

吾妻
大坂・藤屋の女郎。与五郎のあまりのヘタレぶりに、都の恋人・南与兵衛にあやかりたいと思っている。

都(おはや)
吾妻の姉女郎。八幡に住む南与兵衛を恋人に持つ。身請けが済んだ後は、南与兵衛の妻となり、おはやと名乗って八幡で暮らすようになる。

南与兵衛(南方十次兵衛)
大坂・四天王寺付近で売り歩きをしている笛売り。八幡の郷代官の家に生まれるも、放蕩がたたって免職された。新町の遊女・都を恋人に持つ。「与兵衛」という名前は、与五郎の父・与次兵衛から一字もらったもの。新町でやむを得ず佐渡七を殺してしまう。「引窓の段」で父の名・南方十次兵衛の名を引き継ぎ、郷代官の役目を負うが、その役目と姿は武士であっても、身分自体は依然町人であり、二重の身分をもっているというのが物語上のポイント。

濡髪長五郎
相撲取り。外見上の特徴は、大前髪、右頬のほくろ。5歳のおり、八幡の生母のもとから養子に出され、養母とともに山崎与次兵衛の店へ奉公していたが、養母の没後に相撲取りとなり、今では江戸・京・大坂に並びのない人気の関取へ上り詰めた。与次兵衛一家には恩義があるため、今でも与五郎のワガママを聞いてやっている。
濡髪という名前は、モデルである享保期に実在した力士・荒石長五郎が常に額に濡れた紙を貼っており、「ぬれがみ」と呼ばれていたことからきている。喧嘩好きの長五郎は、濡れた紙は刃物を通さないことからそうしていたのだとか。*1

佐渡
新町の太鼓持ち。権九郎、郷左衛門・有右衛門と、オール悪人たちと通じ、甘い汁啜っちゃお!と立ち回るも、立ち回りすぎて、死。

平岡郷左衛門
西国(四国・中国地方)から来た武士。吾妻に横恋慕し、与五郎を敵対視して先に吾妻を身請けしようと金の画策に暇なし。

三原有右衛門
郷左衛門のコバンザメ。くっついてくるだけで特になにもしない。

権九郎
与五郎の店の番頭。武家の取引先に詳しいため、与五郎の大坂での仕事についてきた。都に横恋慕し、なんとか女房にできないかとチャンスを狙っている。贋金をあらかじめ作っておくなど、よくわからない方向に準備がいい。都いわく、「どぶつ」(おでぶ)。


長五郎の実母にして与兵衛の義母。70近い年齢。先夫が亡くなり、長五郎を養子にやった後、八幡の郷代官・先代の南方十次兵衛へ嫁す。その十次兵衛も亡くなり、義理の息子の与兵衛とともにのんびりと暮らしている。

放駒長吉
大宝寺町の米屋の息子。家の商売は姉・お関に任せ、素人相撲をやっている。粗暴で喧嘩っ早い性格だが、家に帰ると、お姉さん思いの真面目な子。そういうわけで本当は素直でいい子なのだが、一応友達だったはずのやつを濡髪に殺させるなど、かなりどうかしているところがある。

利八
新町の揚屋・井筒屋の亭主。都や吾妻と仲が良く、彼女らの気分の良いようにことを取り回してくれるいい人。

お関
長吉の姉。大宝寺町で、亡父・丸屋仁左衛門から受け継いだ米屋を切り盛りする、身持ちの固いしっかり者の女性。家をあけっぱなしの弟長吉にお小言を言いながらもかわいがり、親のように心配している。

野手の三&下駄の市
長吉の悪友。速攻見放されるが、本当に友達なの?

お照
与五郎の正式な女房。しっかり者の父に育てられた真面目な性格で、舅・与次兵衛に見込まれている。与五郎から冷たくあしらわれるため、傾城の真似をすれば夫から気に掛けられるようになるのかと悩んでいる。現在は父に連れ戻され、実家暮らし。

橋本治部右衛門
お照の父で、橋本に住む老武士。ものすごい強気で、婚家で不遇にあった娘を無理やり連れ帰り、与次兵衛が責任を取って謝罪しなければ戻さないと宣言。

甚兵衛
相方太助とともに、橋本付近で営業している駕籠かき。与五郎と吾妻をお照の実家へ送っていくが……?

平岡丹平
平岡郷左衛門の弟。チョイ役。だけどアホ設定だけはある。(かわいそう)

三原伝蔵
三原有右衛門の兄。チョイ役。

幻竹右衛門
河内の国・錦郡に住まいし、相撲の稽古場を経営する真面目な親父。多数の弟子を抱えている。濡髪をそれと知って匿ってくれる。

おとら
竹右衛門の一人娘。父が匿う濡髪に一目惚れしてしまう。かなり思い切った性格につき濡髪に夜這いを仕掛けるが、断られてショック……!を受けている。



 

┃あらすじ

初段 浮瀬の居続けに合図の笛売り[大坂・天王寺浮瀬篇]

花見のころ、大坂は四天王寺近くの料亭・浮瀬(うかむせ)。大店のボンボン・山崎与五郎は、恋人である遊女・吾妻を揚げ詰めにして、朝からドンチャン騒ぎをしていた。同座している吾妻の姉女郎・都は、八幡から来ている笛売り・南与兵衛と恋仲であり、身請け話が持ち上がっているとの噂。吾妻はそれにあやかって、早く与五郎の女房になりたいと嘆いていた。ところが太鼓持ち佐渡七が言うには、西国の侍・平岡郷左衛門という男が吾妻を身請けしたいと言って手付金の工面に走っているという。それより先に三百両の手付金を用意できれば吾妻と夫婦になれると嘯く佐渡七に、与五郎は商売で受け取った為替三百両を使おうと考える(おーい)。与五郎は、みずからの家の手代権九郎から為替三百両を受け取って吾妻の親方・藤屋へ渡してくるよう、佐渡七へ命じる。

佐渡七がウッシッシとかけ出すと、向こうからその権九郎がやってくる。この二人は実は悪巧み仲間。権九郎は、都を我が物にせんと常々図っていた。佐渡七から状況を聞いた権九郎は、かねてから拵えておいた贋金三百両と為替金とをすり替えて、本物の金は自分の懐へ入れて都の身請け金に使ってしまおうと企てる。作戦がうまくいけば佐渡七には店を持たせてやると言う権九郎は、佐渡七とともに与五郎のもとへ向かうのだった。

一方、浮瀬のほど近く、新清水のあたり。傘に小笛をぶら下げ、笛を吹き鳴らしながら売り歩きをしているのは、笛売りの南与兵衛だった。与兵衛は今ではこのようなしがない商売をしているが、元は八幡の大身であった。音に惹かれて座敷を抜け出てきた都は、権九郎が女房になってくれとうるさいと嘆くが、与兵衛はそれなら夫婦になってやればいいとすげない言葉。そこへ佐渡七がやって来たり、女中から呼び出しの声が聞こえたりで、二人は落ち着いて話してもいられない。都はひとまず与兵衛を切戸の陰へ隠して座敷へ戻ることにする。

さて、さらにその近く、勝鬘坂をエラそうにやって来るのは、西国の武士・平岡郷左衛門とそのコバンザメ・三原有衛門だった。そこへ佐渡七が通りかかり、山崎与五郎が急に吾妻を身請けすると言い出して、先ほど吾妻の抱え主・藤屋の親方へ手付を渡してきたところだと吹き込む。郷左衛門は大激怒し、なぜ先にこちらへ知らせないのかと佐渡七の胸ぐらを掴んで激詰め。しかしこれには一応仕掛けがあり、佐渡七が藤屋の親方からもらった受け取りの宛名は空欄。ここを郷左衛門の名前にしてしまえばいいというのだ。佐渡七は、三百両が調い次第、吾妻は手に入ると言う。

郷右衛門がスマイルで佐渡七に小判チップをやっていると、藤屋の親方が大慌てで走ってくる。親方が吾妻の身請け主に会いたいと言うので、佐渡七は郷左衛門を紹介。すると親方は、さきほど佐渡七から受け取った金の封を切ってみたら、中身は贋金だったと訴える。郷左衛門と有右衛門は大いに驚き、贋金の理由を知っている佐渡七もとぼけて驚く。郷左衛門は金の出所を詮議をすると告げ、佐渡七に、与五郎と浮瀬で面会したい旨を伝えるように言いつける。親方は郷左衛門から預かり状を一旦返してもらい、店へと帰っていった。

浮瀬へ上がった郷左衛門と有右衛門は、さっそく与五郎を呼び出す。郷左衛門は与五郎の前に、殿の御用で受け取った金子三百両が贋金だったと投げ出す。与五郎が見てみるとそれは先ほど手付に打った三百両の包みで、なぜこれが武士の手に渡ったのかと当惑する。与五郎は、金の扱いは手代への申し付けのため帰って詳細を調べると言うが、吾妻を奪われた恨みで激おこの郷左衛門はまったく聞き入れない。そんな万事休すの与五郎を救ったのは、南与兵衛だった。現れた与兵衛は、郷左衛門にその金はどこで手に入れたのかと尋ねる。答えられない郷左衛門に、与兵衛は太鼓持ち佐渡七とグルになってやったのだろうと問い詰める。ヤケになった郷左衛門は無理やり与五郎を引っ立てようとして、与兵衛と揉み合いになる。郷左衛門と有右衛門は刀を抜くも与兵衛に腕首を抑えられ、灸を据えられてスゴスゴと去っていった。

危ういところの助けに感謝する与五郎に、与兵衛は、実は自分は与五郎の父と知り合いであると言う。与兵衛という名前も、与五郎の父・与次兵衛から一字もらってつけたものだった。与五郎もまた八幡の南方与兵衛という名に聞き覚えがあると言い、都と吾妻のこともあって、縁のある間柄だと語る。与兵衛は与五郎からの誘いを断り、浮瀬をあとにしてまた商売に出かけてゆく。それを陰から見ていた権九郎は、あれが都の恋人・南与兵衛に違いないとムシャクシャ。佐渡七はさきほどの侍たちに与兵衛を殺してもらおう⭐️と言いだし、二人は清水の坂を走ってゆく。

南与兵衛は新清水(清光院)に参詣し、清水の舞台の上で荷を下ろして笛を吹き鳴らしていた。そこへ襲いかかってきたのが権九郎と佐渡七。与兵衛が二人を退治していたところに、郷左衛門・有右衛門が斬りつける。与兵衛は四人を相手に、笛を吊っていた傘で立ち回る。勾欄へ飛び上がった与兵衛は、斬りかかられた拍子にひらりと舞台から飛び降りる。傘は風を受け、与兵衛はふんわりと舞台の下へ舞い降りていく。舞台の上に残された武士二人は口あんぐり、畑の中に降り立った与兵衛は、大笑いして長町のほうへと去っていった。

文楽現行なし)

 

 

 

二段目 相撲の花扇に意見の親骨[大坂・堀江相撲場篇]

堀江の高台橋南詰で行われている相撲興行は、七日目の今日も大賑わい。満員御礼で入れなかった客たちは道端でペチャラクチャラ、江戸・大坂・京の三都で一番の関取、濡髪の話に夢中である。濡髪は今日は関取同士ではなく、さる西国の武士のお抱え相撲取りと勝負をするとの噂。

さて、吾妻・都らは、堀江川に舟を浮かべて川遊びをしていた。そこへ、吾妻お待ちかねの与五郎の舟がやってくる。身請けの話は懇意の関取・濡髪長五郎に頼んでおいた、彼は親父の贔屓で家来筋でもあると言う与五郎。また与五郎は、浮瀬の一件により郷左衛門らの仕返しを恐れていたので、しきりに早く帰りたがる。都たちは、そんな与五郎の船に吾妻を押し付る。

さて、相撲の見物所へ息せき切って走ってくるのは、与五郎の父・山崎与次兵衛だった。与次兵衛は62、3歳の頑固親父で、ものすごいケチ。きょうは山崎から北浜のお屋敷の用事を済まし、ここまでALL徒歩でやってきたのだった(googlemapで調べると徒歩7時間くらいかかるで?健脚すぎん?)。連れの丁稚たちは疲れてしまったため、茶店で一服。その間も倹約のため与次兵衛は茶を飲まない(スタバで注文せず席に座ってる高校生?)。せっかく相撲が行われているというのに、見物しては席料飲食で金がかかりすぎる、その金を濡髪に直接やったほうが立派な正月着が作れて良いのだとブツクサ言う(濡髪推し強火勢)。

そうこうしているところに、進上札(力士への贔屓からの贈り物)を持った手代の庄八が通りかかる。与次兵衛に呼び止められた庄八は大慌て。庄八は与五郎のお目付け役だったのだ。与次兵衛は、三ヶ月経っても帰宅せず、問い合わせものらりくらりとかわす与五郎をとっちめに自ら大坂へ出てきたのである。与次兵衛はやたら倹約を心がけるジジイだったが、それは少しでも与五郎にお金を残すためであった。しかし与五郎は家ではペットに金魚飼いまくり、大坂では屋形船に乗りちらし遊女と酒を楽しみ色に耽っていると、隣の舟を睨みつける。すぐそばの舟の中に隠れていた与五郎と吾妻は、父の怒りに生きた心地がしない。庄八は機転をきかせ、「与五郎はちょうどさきほど病気で山崎へ帰った、この進上札は武家屋敷から濡髪への贈り物」という嘘をつく。与次兵衛は「それならそういうことにしておく」と言い、自分もすぐ山崎へ帰るので今回は会えないという伝言と、朝におろしたばかりの新しい扇を濡髪への祝儀にと庄八へ預け、山崎へと帰っていった。

やがて、濡髪対放駒の取り組みが終わったざわめきが起こり、見物衆はドヤドヤと帰ってゆく。その中に、平岡郷左衛門、三原有右衛門、そして放駒長吉の姿があった。さきほどの取り組みに勝ち、見物衆に囃し立てられる放駒長吉とは、大宝寺町の米屋のドデカ息子であった。郷左衛門は長吉の勝ちを喜び、これは吾妻を身請けできる瑞相、長吉を素人相撲取りに仕立てて濡髪と勝負をさせた甲斐があったとほくそ笑むのだった。

それを舟のうちから聞いていた与五郎は、その場で舟を降りる。やがて木戸口から、立派な体格の力士・濡髪長五郎が姿を見せる。与五郎に呼び止められた濡髪は、茶屋の亭主に長吉を呼んでくれるように依頼して、床机にかける。与五郎は、さきほどの濡髪対放駒の取り組みの残念さ、放駒の勝ちで郷左衛門たちが得意になっていることへの胸の悪さをむしゃくしゃと語る。庄八からことの次第を聞いていた濡髪は、与次兵衛のことは承知しているし、吾妻のことも心配ないと言う。かつて濡髪の養母が与五郎の母に仕えていたという経歴、また、店の主人与次兵衛への恩義から、濡髪はボンボンの与五郎をずっと守る気でいたのだった。やがて茶屋の亭主が戻ってくると、濡髪は亭主に与五郎を宿まで送っていってくれるよう頼み、長吉を待ち構える。

やってきた長吉を迎えた濡髪は、頼みたいことがあると言って彼を床机にかけさせる。お世辞を言う濡髪をいぶかしむ長吉だったが、濡髪の依頼というのは、長吉から平岡郷左衛門へ、吾妻の身請けを待ってもらえるように頼んでほしいということだった。長吉は与五郎と郷左衛門の事情を知っており、彼もまた郷左衛門から先んじて吾妻を身請けできるようにと頼まれていたため、そう簡単に引き受けることはできない。しかも、濡髪の口調からさきほどの取り組みは濡髪がわざと手を抜いた「片八百長」であることを察した長吉は、不快の念を示す。長吉も濡髪も意地を張り、話し合いは決裂。矜持にかけて真っ向から対立した二人は睨み合い、再会を約して別れるのだった。

文楽現行 堀江相撲場の段 ※末尾のみ。一部改変の上で上演)



三段目 揚屋町の意気づくに小指の身がはり[大坂・新町遊郭篇]

新町の揚屋・井筒屋は、まるで菩薩のような遊女たちがひしめき、飲めや歌えの大騒ぎ。座敷を抜け出した吾妻と都は、互いの身の上に降りかかった災難を愚痴りあう。都は手代権九郎に身請けされそうになっているし、吾妻も郷左衛門がまもなく手付金を持ってくるとやら。そうこうしているうち、大門を閉じる時刻を示す「限りの太鼓」が鳴る時刻も近くなった。

そこへ、太鼓持ち佐渡七が大門口で斬り殺されたという衝撃的な知らせがもたらされる。話を聞いてきた井筒屋の主人・利八によると、下手人はまだわかっておらず、佐渡七は犯人のものらしき小指を一寸食いちぎっていたという。そのため、廓中に小指改めが行われるとのことだった。それはそうと、ついに権九郎が都を身請けすることが決まり、今夜にでも都は権九郎に連れられて廓を出ることになるという。都がひどく嫌がるのを見た利八は、年季を伸ばす代わりに身請けを引き受けないで欲しいと親方へ頼んではどうかとアドバイスする。なるほど!とばかりに都は利八と一緒に親方のもとへと出かけていく。

ひとり残された吾妻は、頬かぶりをした南与兵衛が駆けてくるのを見つける。聞いてみると、佐渡七を殺した下手人というのはなんと与兵衛だという。大勢の非人を引き連れて待ち伏せしていた佐渡七に小指へ食いつかれ、どうしようもなくなって殺してしまったというのだ。ところが「限りの太鼓」で大門が閉じてしまったために新町から脱け出せず、与兵衛は身を隠す場所を探していたのだった。吾妻は浮瀬でのお礼に匿うと言い、禿を呼び出して床を取らせる。遊んでいる場合ではないという与兵衛だったが、女郎の寝間は武士の城郭と同じこと、手練手管で隠してやろうという吾妻。与兵衛は布団をかぶって身を隠し、吾妻が三味線を引いて歌っていると、都が血相を変えてやってくる。ひとの男を寝間に引き込むとはなにごとかと怒って布団を引っぺがそうとする都に、吾妻は与兵衛の小指が食いちぎられているのを見せる。都は吾妻の真情を察し、謝り入る。

そこへ亭主のもとを訪ねていた権九郎がやってくる。せっかく身請けの手続きが終わったのに、女房にはならないとすげなく断られた権九郎は、吾妻から都を説得してもらえないかと頼み込む。都、横で絶拒。布団の下の与兵衛から入れ知恵された吾妻は、都が受け入れないのは権九郎が誠意を見せていないためで、小指を切って心中立てすれば女夫になってくれるだろうという。都も切って切って〜!というが、権九郎は「なんか虫が騒ぐ🐛」とウジウジ。二人の女郎は権九郎をとっつかまえ、彼の差していた脇差で小指を切ってしまう。吾妻らに肩パンされて「サンキュー心中男〜ヒュ〜ヒュ〜」と囃し立てられスマイルになる権九郎だったが、実はその裏で二人は脇差に血を塗り塗りしまくっていた。

そこへ、佐渡八殺しの犯人を探す役人がやってくる。役人は、権九郎に両手を差し出すように命じる。役人から「佐渡八殺しの犯人は小指が食いちぎられている」と聞いた権九郎はびっくり仰天。あわてて先ほど切られた指を隠そうとするが、そんな権九郎を怪しんだ役人に取り押さえられてしまう。都と吾妻は、釈明にまったく協力してくれないばかりか、利八は権九郎の脇差に血がべったりついてる〜!と騒ぎ立てる。役人は、山崎与次兵衛の手代権九郎とあれば別の詮議もあると言い、あわれ権九郎は役人に引かれていくのであった。

窮地を切り抜けた与兵衛は吾妻に深く感謝し、老母がいるために小物相手に逃げ隠れとは未練なことをしたとつぶやく。吾妻もみずからの会ったことのない実父のことを思い出し、一間へ入る与兵衛と都を見送るのだった。

そこへ与五郎・濡髪が急ぎ足で到着する。吾妻からの「郷左衛門に身請けされそう!ヘルプミー!」の手紙を見て、慌てて山崎からやってきたのである。手付の交渉は濡髪に任せ、吾妻は与五郎とやっと二人きりになる。ところが与五郎はなんだかむくれた様子、郷右衛門が吾妻を揚詰にしていたのが気に入らないらしい。しかし与五郎に操を立てる吾妻は他の客に帯を解いたことなどなく、痴話喧嘩はすれども結局二人はイチャイチャしはじめるのであった。

それを陰で見ていた郷右衛門が飛び出てきて与五郎にキック。おれが揚げていた女郎を横取りとは何事かと騒ぎ立てるが、吾妻は「限りの太鼓」が鳴れば翌日扱いになり、翌日の予約客へ勤めるのが廓の習いと説明する。しかし郷左衛門は「わしゃ、田舎もんじゃから、そんなん知らん!!!!!!!! 明けの太鼓が鳴るまでわしの買い切りじゃ!!!!!!!!!!!」となおも怒り、与五郎を打擲する。必死に余呉等をかばおうとするも、郷右衛門に引きずられて寝所へ連れ込まれそうになり、必死で泣き叫ぶ吾妻。

そこへ濡髪が駆け込んできて、郷左衛門を投げ飛ばす。色里の習いを聞いたにもかかわらず無理を通そうとする郷左衛門をなじり、明け六つの太鼓もさきほど鳴ったのに女郎を占有しようとは何事かと痛めつける。濡髪に促された与五郎は、お返しとばかりに郷左衛門を踏み返し(なんだこいつ?どこまでお膳立てしてもらってんだ?)、吾妻も郷左衛門に煙管の焼金を押し付けて腹いせをする。濡髪がなおも上草履で叩こうとすると、長吉が飛び出てきてその腕を押さえる。二人は一触即発となるが、郷左衛門が後ろで加勢しようとしているのを見た長吉は面子が立たないと考え、喧嘩は明日に延期しようと言い出す。濡髪もそれを受け入れて明日の晩四ツ橋での勝負を約し、帰っていく郷左衛門と長吉を見送る。

与五郎と吾妻はほっとするが、そのとき、再び明け六つの太鼓が鳴り響く。不思議に思っていると、頬被りに夜番の姿をした都がやってくる。実はさきほどの明け六つの太鼓は、郷左衛門を追い払って与五郎らを助けるため、与兵衛のはからいで都が打った偽太鼓だったのだ。身請けが済んで(そして都合よく権九郎がしょっ引かれて)自由の身になった都は、そのまま与兵衛と駆け落ちしていった。

文楽現行なし)

 

 

 

四段目 大宝寺町の達引に兄弟のちなみ[大坂・大宝寺町米屋篇]

大宝寺町にある搗き米屋は、長吉の姉・お関の切り盛りで安定経営。お関は今日も忙しく立ち働いている。春雨の中帰ってきた長吉は、雨が降っているのに店先に出しっぱなしだと言って俵を店の中へ放り込む。店の者のうちひとりは頭痛で寝込み、一人は得意先へ配達に行ったというお関に、長吉はどうせサボって浄瑠璃の稽古でもしに行ってんだろとぼやく。呆れたお関は、昨夜外泊してきた長吉に自分ももう少し慎みなさいとお小言。長吉は昨夜の次第を語るが、お関は反省のないその様子に呆れる。しかし、お関は弟を心配し、食事と茶の用意をしてくれるのであった。

そうしていると、長吉の悪友、野手の三と下駄の市がやってくる。お関は優しく出迎え、長吉に出した食事を一緒に食べないかと声をかける。二人は外で食べてきた(無銭飲食だけど)と言うが、長吉の前に据えられた膳の煮魚などがあまりに美味しそうなので、興味しんしん。長吉は自分は食べたくないと言って、燗をした酒を出してもらい、食事はつまみにして皆で飲むことにする。三と市は喜んでお燗を頂き、調子に乗って「かるかや」の説経節をうなるので、長吉は姉や近所の手前を憚り静かにさせようとする。話題が今夜の長吉と濡髪長五郎との喧嘩勝負に移ると、お関は「近所へ法事の逮夜へ行く」と言って出かけていく。

三と市が外でもっと飲もうと盛り上がっていると、長吉は二人に、喧嘩の約束の場所へ行けなくなったという濡髪への言伝に行ってほしいと頼む。姉から留守番を頼まれたからには外出はできないというのだ。長吉の家へ来てくれるよう濡髪へ伝えるべく、二人は四ツ橋へと駆けていった。

それと入れ替わりに、平岡郷左衛門と三原有右衛門が店へ駆け込んでくる。吾妻が駆け落ちしてもーたわなんとかしてくれー!という郷左衛門に、長吉は彼女を匿った者に心当たりがあり、幸い呼び出しもしていると答える。郷右衛門は、頼むわー!こっちはこっちで貸座敷探すわ!と挨拶もそこそこに帰っていった。

そうして待ちかねていた長吉のもとへ、濡髪がやってくる。長吉は濡髪に吾妻の匿い先を尋ねるが、むろん、濡髪が答えるはずもない。長吉は表の扉をぴっしゃりと閉め、ついに濡髪と長吉の喧嘩がはじまる。二人は激しく争い、それぞれ脇差を抜いての斬り合いになる。

ところがそのとき、表の扉を激しく打ち叩く者がいた。それは昨夕通りすがりに長吉に喧嘩を売られ、金を取られたという男の店の者たちだった。濡髪と長吉の喧嘩は一旦休戦。金を盗ってなどいないと言う長吉とその者たちとの言い合いで大騒ぎになる。近所中に響き渡る声にお関は大急ぎで店に戻ってくるも、中に入りかねていると、今度はまた別の者たちがやってきて、これまた昨夕通りすがりに長吉に喧嘩を売られ、金を取られた、盗んだ金と治療費を出せとわめき立てる。長吉は金はその男が落としただけ、盗人呼ばわりは堪忍ならないとして脇差を持って立ち上がる。驚いたお関は割って入って長吉を引き留め、来訪者たちにも落ち着いてくれるように頼む。お関は、長吉は喧嘩はともかく人のものを盗むような子ではなく、証拠があるなら出せと言い立てる。来訪者たちは、喧嘩の場から金目のものが消えたのだから疑いは当然、盗まない証拠を見せろと言う。お関は、長吉の着物が入っている箪笥を開けて見せると言い出す。長吉はそんなことをしては家探しさせるも同然と言って止めるが、お関は弟を振り切って箪笥の中身をひっくり返す。ところがその底から、見覚えのない紙入れと打違*2が出てきた。来訪者たちは次々に無くなったのものだとわめき、お関は涙に暮れる。長吉は驚いて心当たりがないと弁解するが、お関は亡くなった父や姉の顔を汚したと言って打違(金を入れる袋)を取り、長吉を打ち据える。お関は出るところに出ると言う来訪者を引き留め、金は弁償すると言って、来訪者たちとともに一間のうちへ入っていった。

様子を見守っていた濡髪は、盗みは本当かと長吉に尋ねる。長吉は、心当たりはないものの、姉に申し訳が立たないと言い、脇差に手をかける。濡髪はそれを引き留め、長吉の心持ちの良さは知っている、お前は幸せ者だと言う。幸せ者という言葉を不思議がる長吉だったが、身寄りのない濡髪にとって、真実思いをかけて意見もしてくれる姉が身近にいる長吉はこの上ない幸せ者なのであった。濡髪は養父母には死に別れ、田舎に実母がいるものの、5歳のとき別れてからは1度しか会っていないと言う。濡髪は、今後は心を入れ替え、野手の三や下駄の市のような悪友達とは付き合わないようにと長吉を諭す。しかし姉思いの長吉がなおも脇差を手にかけようとするので、濡髪はそれを止めようと競り合いになる。

そこへお関が走り出てきて、濡髪の引き留めに礼を言う。そして、姉が長吉の顔を立ててやると言う。お関に「同行衆」と声をかけられて出てきたのは、さきほどの盗みの訴えの来訪者たちだった。実は来訪者たちはお関の同行衆(講仲間)で、長吉の喧嘩好きをやめさせたいというお関の悩みを知った人々が協力し、ひと芝居を打ったのである。打違や紙入れは、お関があらかじめ引き出しに入れておいたものだった。

お関や長吉の父は、丸屋仁左衛門といって、この町で顔の利く穏やかで信心深い人だった。父は死の床でも、自らの病の苦しさよりやんちゃな長吉のことばかり心配し、お関に意見をしてやってほしいと言って亡くなった。お関は父の追善供養のため、自らの身持ちを固くして、長吉の心も直そうとしていたが、きょうは父の年忌法要だというのに、長吉は喧嘩だの切るの殺すの。不良弟のために法事は家でできず、お関は同行衆を頼み、法要をしてもらっていた。さきほど食事に魚を出したのに長吉が手をつけなかったのを見たお関は、弟にはまだ人間らしさがあると感じていた。しかし、悪仲間が歌っていた「かるかや」の、父苅萱を求めて高野山を尋ねる石童丸ほどでなくとも、親の年忌法要に阿弥陀様へ手も合わせず、人を投げたり踏んだりしているようでは、父の供養にならないとお関は嘆きを語る。

お関の悲しみや同行衆からの口添えを聞いた長吉は、今後は姉の言葉を背かず、悪い出歩きはせずに商売に精を出すと約束する。長吉の今後の身の上を頼まれた濡髪は快諾し、兄弟同然の付き合いを誓う。その様子に安心した同行衆は安心し、念仏を唱えつつ帰っていった。

そこへ下駄の市が大急ぎで戻ってくる。屋敷の侍衆が難波裏で駆け落ちした与五郎・吾妻に出くわして大騒ぎが起こっているというのだ。駆け出そうとする濡髪に長吉もついていこうとする。が、お関はいきなり誓言を破るのかと、濡髪を外へ突き出し、ぴっしゃりと扉を閉める。濡髪は一人難波裏へと駆けていった。

文楽現行 米屋の段)

 

 

五段目 芝居裏の喧嘩に難波のどろ/\[大坂・難波裏篇]※今回上演

道頓堀の芝居小屋の裏では、平岡郷左衛門・三原有右衛門が与五郎・吾妻をとっ捕まえ、ギャアギャアとわめいていた。吾妻は与五郎が痛めつけられているのを見ていられずにすがりつくが、侍二人を止めることはできない。そこへ濡髪長五郎が走ってきて、郷左衛門と有右衛門を投げ飛ばす。濡髪は与五郎と吾妻を稲叢の陰に隠すと、郷左衛門らに吾妻の身請けについて交渉する。吾妻の身請け料は600両、そのうち与五郎は半金の300両を手付として入れている。本来全額入金しなければ女郎を廓から連れ出すことはできず、駆け落ちしてしまったのはまずいことだが、郷左衛門は100両しか入金しておらず、残額が入れられる見込みもないのに与五郎の邪魔をするのは、意地悪にすぎない。そう濡髪がとくとくと語ると、郷左衛門も吾妻を思い切ると答える。ところが、その切る切るという言葉のまま、郷左衛門らは濡髪に斬りかかる。濡髪、郷左衛門と有右衛門は斬り合いながら畦道を駆けていく。

入れ替わりに野手の三と下駄の市がやってきて、残されていた与五郎と吾妻をひっ捕まえ、郷左衛門らに売るべく駆け出そうとする。その向こうへ長吉が立ち塞がり、三と市を投げ飛ばす。二人は長吉にヘコヘコするが、濡髪を気にする長吉の隙をみて、なおも与五郎と吾妻を連れ出そうとするので、長吉はそれを追ってゆく。

濡髪と郷左衛門、有右衛門の斬り合いは続いていたが、池の中で泥まみれになるうち、侍二人は同士討ちになる。そこへ与五郎と吾妻を奪い返した長吉がやってくる。兄弟の約束をした濡髪の危機を放ってはおけないとやってきた長吉は、吾妻は任せろと言う。その言葉に濡髪は、侍二人にとどめをさす。与五郎と吾妻は自分が預かるので一年半は身を隠したほうがいいと言い、濡髪に隠れ先を囁く長吉。そうこうしていると三と市が現れ、行かさぬと立ち塞がろうとするが、濡髪に取り押さえられてしまう。彼らが何か言ってはことが露見するという長吉の言葉に、濡髪はこの二人をも刺し殺してしまう。法善寺の七つの鐘が鳴り響く中、濡髪は長吉と別れ、どこかへ走り去っていくのであった。

文楽現行 難波裏喧嘩の段)

 
 
 
 
 
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六段目 橋本の辻駕籠に相輿の駆落[京都・橋本篇]

鶴岡八幡宮のほど近く、橋本。実家に戻った与五郎の女房・お照は、憂鬱な日々を過ごしていた。正式に離縁されたわけではないが、彼女の父・治部右衛門が与五郎の放蕩に激怒し、与次兵衛が謝罪するまで婚家に戻さないと無理やり連れ帰ったのである。元気のないお照を励まそうと、女中は休暇に見た面白い芝居を話して聞かせるが、話題に出た「吾妻」という傾城役の役者の名前に、お照は与五郎の思い人・藤屋吾妻を思い出して悩みを一層深くしてしまう。

そのかどさきへ、駕籠がやってくる。駕籠から降りてきたのは、与五郎と吾妻だった。お照は突然の夫の来訪に驚くが、与五郎は気まずい関係の舅・治部右衛門のことをしきりに気にしている。お照は面当てに吾妻を連れてきたのか、私ばかりか父がそんなににくいかと恨み泣きする。しかしそうではなく、与五郎にはお照に頼みたいことがあったのだった。それは、自分と吾妻を匿って欲しいということだった。しかも、義父・治部右衛門には内緒で。身請けの済んでいない女郎を関破り(廓抜け)させては自宅へは連れて帰れないとせかす与五郎。お照は表へ出て吾妻の手を取り、家の中へ入れてやる。そして、吾妻は責任を持って預かるが、与五郎は山崎の家へ帰るようにと促す。吾妻は驚き、夫を匿って女郎を追い出すのが普通のところ、逆にするのは怨を情けで返されるのかと問う。ところがお照は、吾妻には与五郎を大切にしてもらった恩はあれど恨みはないと言う。仮に二人とも匿えば、夫会いたさに傾城を引き入れたと、もの堅い父・治部右衛門は怒り出す。吾妻は関破りによって追われる身なので助ける必要があるが、与五郎自身には罪がないので問題なく自宅へ帰れるはずだと。世慣れないように見えてさすが武家育ち、お照は立派な義理を立てていたのだ。

納得した与五郎は、お照に吾妻を預け、山崎へ帰ろうとする。そこへ突然お照の父・治部右衞門が現れ、彼を呼び止めた。治部右衞門は与五郎は自分が匿うと宣言し、その代わりにお照への離縁状を書けと迫る。娘を無理に女房に持ってもらうお追従に匿ったと思われては人中に顔が出せず、他人になって匿えば治部衞門の顔は立ち、与五郎も安泰だというのだ。お照、吾妻、与五郎は当惑に涙をこぼすが、治部右衛門は許さず、離縁状を書くことを強く迫る。お照も自分に構わず父の心休めに書くよう懇願し、与五郎は三行半を認める。それを横から奪い取ったのは吾妻だった。自分が見る前で離縁状を渡させては道が立たず、書かねば匿ってもらえないのなら、自分が預かれば双方収まるという遊女の意気を示すさばきであった。

ちょうどそこへ与次兵衛が尋ねてくる。治部右衞門は与五郎、吾妻、お照を奥へ隠して与次兵衛を迎え入れるが、舅同士は互いに気づいて気づかぬふりをしていた。与次兵衛は実家で過ごすお照の体調が良くなったと聞き、連れて帰ろうする。しかし治部右衞門は絶対に帰さないと言い、舅二人は言い争いの挙句、脇差を抜いて斬り合いになってしまう。それを仲裁したのは、外で様子を聞いていた駕籠かきの甚兵衛だった。甚兵衛は、聞いていればことの起こりは遊女吾妻にあり、彼女の親になり代わって与五郎と縁を切るよう説得するので、ここは自分に任せてほしいと言う。受け入れた与次兵衛と治部右衞門は脇差を彼に預け、奥へと入っていた。

甚兵衛と二人きりになった吾妻は、この事態を道の途中で待っている長吉へ知らせてほしいと頼む。ところが甚兵衛は、吾妻を「おとよ」と呼び、母は亡くなってもう3年になったかと声をかける。雲助の老人が自分の本名や亡母のことを知っているのを不思議に思う吾妻。実は甚兵衛は、別れて久しい吾妻の実父だった。

甚兵衛はかつて大坂の聚楽町に店を持っていたが、商売上の間違いから所払いとなり、一家離散となってしまった。当時6歳だった吾妻は母お吉に引き取られたが、お吉は亡くなるまで甚兵衛と手紙のやりとりをしており、甚兵衛は娘が新町で一番の太夫吾妻になったことを知っていたという。しかし甚兵衛は自分のような雲助が会いに行っては娘の幸運に障りが出ると考え、会いに行くことはなかった。与五郎という立派な客がついたのは有難いものの、娘がその与五郎を放蕩者にしてしまい、そのせいで与五郎の舅2人が争いをするのを見ていられないという。すべては吾妻が諦めれば丸くおさまることで、甚兵衛は与五郎と別れるよう吾妻に頼み込む。泣き叫ぶ父親に、吾妻は、世話になった与五郎を今さら捨ててはそれこそ不義理と嘆く。しかし甚兵衛も譲らず、吾妻はついに与五郎と縁を切ると言い、脇差を抜いて自害しようとする。甚兵衛は慌てて止めるが、吾妻は、父に背き、勘当を受けるようなことがあれば生きていけないと言う。

二人は揉み合いになるが、そこへ割って入ったのは治部右衛門だった。治部右衛門は脇差を取り納め、甚兵衛が子を想うも自分が子を想うも同じことだという。重代である五郎正宗の彼方を売って金を作り、吾妻を身請けして廓抜けの罪も処理すると言う。すると、髪を剃った法体姿の与次兵衛が姿を見せる。与次兵衛は、自分が吾妻を身請けしてしまうと嫁の父である治部右衛門に言い訳が立たず、治部右衛門はどう考えているかを探ろうとしていたという。与五郎の罪は自らが引き受け、与次兵衛の名は息子に譲って、自らは出家し今後は釈の浄閑と名乗ると言う与次兵衛。与五郎の不行跡を泣いて詫びる浄閑に治部右衛門も一連のことを赦し、舅同士の諍いは収まった。

吾妻は預かっていたお照への離縁状を引き裂き、甚兵衛も含めてみなで喜び合っていると、門先に庄屋がやってくる。代官所から治部右衛門へ、山崎与次兵衛を連れこいというお召とのこと。治部右衛門と浄閑は連れ立って代官所へ向かうことに。名を与次兵衛に改めた与五郎とお照は慌てて飛び出し、濡髪が侍を斬り殺した一件の詮議に違いないと狼狽するばかり。甚兵衛は舅2人の様子を見てくると言って飛んで出て行った。

ところが、それとは別の道から捕手らしき者たちがこちらへ向かって来るのが見えるので、お照は夜具入れの戸棚へ与次兵衛と吾妻を隠してやる。やってきたのは遊女屋の亭主たちで、関破りの与五郎と吾妻を出せと喚き立てる。お照がそんな者はいないと抗弁するも、亭主たちは不自然に引き出されている夜具に疑いを持ち、戸棚の中を探すと言う。そうこうしていると、さらに手拭い鉢巻姿の者たちが「上意」と言って家の中に入ってくる。治部衞門にお上からの疑いがかかったため、家財道具に封印をつけると言う。役人らは戸棚、長持、食器棚などに封印をつけ、少しでも傷をつければ重罪だと言ってどかどかと帰っていった。それを見た廓の亭主たちも、封印の中にいるならそのうち干上がるね〜☺️と言ってまたどやどやと帰っていった。

そこへ甚兵衛が戻ってきて、治部右衛門と浄閑は濡髪への嫌疑が晴れないことにより収監されてしまったことを知らせる。鳴き声が戸棚から聞こえてくることに気づいた甚兵衛は、与次兵衛と吾妻がお上の封印の中に閉じ込められていることを知り、お照とともにどうしたものかとマゴマゴ。ところがさきほどの役人が現れ、封印を切ってやるという。役人の正体は、なんと長吉であった。廓の亭主らがこちらへ向かっていることに気づいた長吉は人を雇って役人に化け、戸棚に封印をつけることで与次兵衛や吾妻が廓の者たちの制裁に遭うことを防いだのだった。戸棚を開けると、与次兵衛は放心した様子。長吉が話しかけても様子がおかしく、吾妻やお照の言葉にもまともな返事をしない。与次兵衛は正気を失っていた。泣き出す吾妻とお照、与次兵衛はそれにも構わず歌いながら走り出す。長吉が留めても留まらず、与次兵衛は外へ駆け出していくのだった。

文楽現行 橋本の段)

 

 

 

七段目 道行菜種の乱れ咲[淀川沿い道行篇]

菜種畑の中を狂い歩く与次兵衛に、長吉と吾妻が追い縋る。樟葉の方を見ると、頬被りをした濡髪がもちらへとやってくる。濡髪は自分のための主人たちの苦難を聞き、身を隠したままではいられず本来は危険な大坂付近へやってきていたのだった。濡髪と長吉が与次兵衛を抱き上げると、与次兵衛は菜の花を取って振り上げ、長五郎と長吉の二人で蝶々、長五郎も長吉も男女の機敏を知らないと歌う。このまま実家や橋本の家に連れて帰れないと考える長吉は、自分が与次兵衛を預かろうと言った。濡髪は嘆く吾妻の様子を見て、自分が咎を名乗り出ればなにもかも解決するだろうと言い出す。名乗り出てしまってはかえって原因にあたる与五郎の名に傷がつくと言う長吉と濡髪は競り合うが、与五郎が割り込んでなおも歌い続ける。長吉は濡髪にこちらに気遣いなく逃げるように言い、濡髪もそれを受け入れて枚方のほうへ向かう。こうして濡髪と長吉・与次兵衛・吾妻は、別れの言葉をかけあいながら、二手に別れゆくのだった。

文楽現行なし)

 

 

 

八段目 八幡の親里に血筋の親里[八幡・南十次兵衛家篇]※今回上演

八幡の南与兵衛の家筋は、その昔は郷代官として知られていたが、先代は亡くなり、今はその妻のみが信心を友として生き残っていた。明日は石清水八幡宮放生会(陰暦8月15日)。宵宮と待宵の供物の支度として、母は神棚をしつらえ、嫁おはや(元・遊女都)は里芋を月へ備えて、また、米団子の準備をしていた。

母は里芋の準備は明日でいいとおはやの気の早さを笑い、また、与兵衛の女房におさまった今も廓言葉が抜けないのをおかしがる。母の夫、つまり与兵衛の父は「南方十次兵衛」と呼ばれ、大変な身代の持ち主だった。しかしその没後、与兵衛の不行跡で郷代官の役目を免じられ、身代も傾いていた。しかし殿様の交代によって再び郷代官登用の話が持ち上がり、きょう与兵衛も急なお召を受けていた。母は早く吉報を聞きたく、与兵衛の帰宅を心待ちにしていた。

その家の表の方に、編笠で顔を隠した男がやってくる。嬉しそうに家へ入ったその男は、濡髪長五郎だった。母もおはやも、濡髪を見て「長五郎」「濡髪さん」と驚く。おはやから、与兵衛の佐渡七殺しの一件は権九郎の贋金事件でうやむやになり、都も差し支えなく与兵衛の女房「おはや」になったことを聞いた濡髪は、同じように人を殺しても運の良し悪しがあるとつぶやく。一方おはやは、濡髪が与兵衛の母を「母様」と呼んだ不思議を尋ねる。母は、濡髪はこの家に再婚で嫁いでくる前に養子にやった実子であり、再婚して以降は先妻の子である与兵衛を気遣ってそのことは黙っていたという。そのため5つのときに別れてから会うことはなかったが、昨年開帳参りの帰りに偶然大坂で出会い、養父母が没し相撲取りになったことを知ったという。長い年月を経ても母が長五郎だとわかった目印は、彼の顔にある、父親譲りの高頬のほくろであった。与兵衛が戻ったら引き合わせて濡髪と兄弟の盃をさせたい、濡髪、与兵衛、おはやと3人の子に恵まれた自分は幸せだと語る母の姿に、濡髪は胸を締め付けられる。

濡髪は、喧嘩やそれ以上のことをしかねない仕事の相撲取りが一家にいては難儀がかかるかもしれず、息子と思わないでほしいと語る。そして、長崎の相撲へ旅立つため、しばらくお目にかかることはないと力ない辞宜。母はどこへも行かずこの家で暮らせばいいと言い、食事の支度をはじめる。自分のために料理をする母の姿に離別の悲しみを隠せない濡髪は、煙草盆を下げて二階座敷へ上がるのであった。

そうしていると、出かけていた与兵衛がお召から戻ってきた。新しい殿様の見出しにあずかり、お役と衣類大小を拝領した与兵衛は、このあたりでは見かけない二人の武士を連れていた。与兵衛が父の名前「南方十次兵衛」の名の引き継ぎを許されたこと、再び庄屋代官を命じられたことの次第を知った母は大変に喜ぶ。与兵衛は同道していた武士二人を家に上げ、内密の話があるからと母とおはやを下がらせる。

二人の武士は、平岡丹平、三原伝蔵という西国方の武士だった。こちらへ来たのは、この春に彼らの一族の者が大坂で殺害されたことによるものだった。その犯人が八幡に縁があり、こちらに来ているのではないかということから所の役所を頼んだところ、土地勘がない者には夜になっての捜査は大変だということで、このあたりをよく知る十次兵衛に捕縛の申し付けが回ってきたのであった。十次兵衛が被害者の名を尋ねると、平岡丹平は、弟の郷左衛門、三原伝蔵は、兄の有右衛門が殺されたと言う。そして、犯人の名は相撲取りの濡髪長五郎だと。陰で聞いていた母は驚いて障子をぴしゃりと閉め、おはやは茶碗をひっくり返してしまう。伝蔵は、まずは十次兵衛に預けた絵姿を村々に配った上で油断させておき、周囲の建物を改めたいと語る。十次兵衛は、二人には橋本・樟葉の捜査を勧め、もし自分が濡髪を見つけたら絡め取って引き渡すと言う。丹平らはその言葉に安堵し、日中は自分たちが捜索を行い、夜間は十次兵衛に頼みたいと言って帰っていった。

話を聞いていたおはやは、本当に濡髪を捕まえて引き渡すのかと十次兵衛に尋ねる。十次兵衛は、濡髪に意趣はないが、新任で当初不慣れな役人ではなく自分に役目が仰せつけられたことは名誉であり、手柄を取れば母も喜ぶと語る。しかし、濡髪を庇いたいおはやがしきりにそれを否定するので十次兵衛は不機嫌となり、夫婦喧嘩になってしまう。そこへ母が姿を見せ、その濡髪という相撲取りの顔を知っているのかと十次兵衛に尋ねる。十次兵衛は、堀江の相撲で一度見たことがあり、大前髪に右の高頬の黒子が目印だと言って、預かった人相書を見せる。母が人相書を手にする様子を二階から覗き見る濡髪だったが、その姿は十次兵衛の傍らの手水鉢の水に写ってしまっていた。十次兵衛が水鏡に写った濡髪の姿を見たことに気づいたおはやが慌てて天窓を閉める引き綱を引いたので、家の中は真っ暗になり、手水鉢に写った姿も消える。驚く十次兵衛に、おはやは日が暮れたとしらばくれようとする。ところが日が暮れれば十次兵衛の役目の時間、お尋ね者をひっ捕えるという十次兵衛。おはやはまた慌てて引窓を開けて「昼間」を詐称するのであった。

母は手箱から金包みを取り出し、十次兵衛に差し出す。母は大切に貯めていたその金で、濡髪の人相書を売ってほしいと言う。二十年前に養子へ出したという実子は元気かとおもむろに尋ねる十次兵衛はだったが、母は構わず、重ねて人相書を買い取らせてくれるように頼む。その言葉を聞いた十次兵衛は刀と脇差を投げ出し、八幡の町人であればこれも商人の商品として、人相書を母へ譲ると言う。「日中」ならば役目はないと語る十次兵衛を伏し拝む母。おはやもまた夫の心遣いに、義母への恩のために夫へ嘘をついたことを詫びるのだった。

やがて暮れの鐘が鳴り渡り、月が姿を見せる。ここからは、いよいよ本当に十次兵衛の「役目」の時間である。十次兵衛は、「河内への抜け道は、狐川を左にとって右へ渡り、山越に……」と、濡髪へ暗に逃げ道を教えてから出かけて行った。その深い情けに、濡髪は思わず駆け出して十次兵衛に捕まってしまおうと考えるが、母に引き止められる。母は、濡髪の覚悟はとうに悟っていたと語り、親のために逃げられるだけは逃げてほしいと泣き叫ぶ。放生会がはじまると人が集まってくるため、なんとか姿を変えて今夜中に逃したいというおはやに、母は、濡髪の前髪を剃り落として元服させようと告げる。濡髪はそんなこざかしいことをしてまで逃げたくないと抵抗するが、それなら自分のほうが先に死ぬという母の言葉に観念し、前髪を剃ることを受け入れる。母は震える手で濡髪の前髪を剃り落とすが、人相を変えるには、もうひとつの懸念があった。それは、濡髪という人物の目印にもなる高頬にあるほくろだった。亡夫の姿を受け継いだそのほくろを剃り落とそうとするも、母にはどうしてもそれができない。おはやもまた代わりに剃り落とすというようなことはできず、一同は泣き沈む。するとそこに「濡髪捕った」という声がかかり、何かが投げつけられる。母は濡髪を覆い隠し、おはやは行燈の光を遮るが、どうもあの声は十次兵衛らしい。おはやがふと見ると、濡髪のほくろは投げつけられたものによって潰れていた。母は義理の息子の情けに表を伏し拝むが、もうここまでの情けを受けてはと考えた濡髪は、縄をかけて与兵衛に引き渡してくれと母に懇願する。おはやは、さきほど投げつけられたものは十次兵衛からの差し入れの路銀であり、夫がどういうつもりでそうしたのかよく考えるように諭す。しかし、濡髪はこう言う。母の心休めにここまでは受け入れてきたが、4人をも殺していてはもう助かりようもない。あの世の十次兵衛殿への申し訳に、自分に縄をかけて、義理の息子であるいまの十次兵衛に手渡して欲しいと。その言葉に母もついに折れ、実子を捨てても継子に手柄を立てさせるべき義理を思い出す。抵抗するおはやに、母は、昼は実子を庇い、夜は継子に手柄を立てさせることで、互いに義理を果たすことができると語る。母は濡髪を引窓の開閉をする引き縄で縛ると、「濡髪長五郎を召し取った」と涙ながらに声を上げた。引窓は閉まり、母の心は闇に閉ざされる。

駆け入ってきた十次兵衛は、母の手柄を褒め讃え、濡髪を御前へ引いていくと語る。ところが十次兵衛は突然、おはやに時間を尋ねる。おはやは真夜中になるところかと答えるが、十次兵衛はさきほど七つ半(明け方直前)の鐘を聞いたばかりだ、そんなはずはないと言い出す。時間が経てば役目が終わると語る十次兵衛は、古例に従うと言っておもむろに引窓の縄を断ち切る。濡髪は開放され、引窓はガラガラと開いて月の光が差し込み、家の中は明るくなる。みずからの役目は夜のうち、明るくなれば仕事は終わり。いまは、生きるものを放つ土地の習わしのある放生会の朝だと語る十次兵衛は、恩に着ず逃げるようにと濡髪に告げる。母とおはやは喜び、十次兵衛に手を合わせる。まもなく九つ(真夜中)の鐘が鳴り始めるが、六つ(夜明けの鐘)までを聞いて残りは母に進上しようという十次兵衛に、濡髪は自らの命も十次兵衛に捧げると返す。しかし十次兵衛は今はなにも言わずにと別れを告げ、それに応えて濡髪は八幡の里から落ちていくのであった。

文楽現行 八幡の里引窓の段)

 
 
 
 
 
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九段目 観心寺の隠れ家に恋路のまぼろし[河内・竹右衛門稽古場篇]

河内の国、錦郡に、幻竹右衛門(まぼろし・たけえもん)という頑親父が住んでいた。竹右衛門は相撲の稽古場を経営しており、多数の弟子を取って暮らしていた。弟子たちは、竹右衛門が計画する春早々の観心寺での相撲興行に出るべく、四股名がほしいとしきりにねだっている。生まれの渋川郡にかけて「御所柿」という名をもらった若者は大喜び。

そうしていると、竹右衛門の娘・おとらが風呂の用意ができたと言ってやってくる。おとらは客はもう風呂に入ったというが、その客というのは、実は濡髪長五郎。竹右衛門は追われる身の濡髪をひそかに匿っていたのだった。竹右衛門は、稽古場へやってきた濡髪を「綾川」という名の江戸から来た大関だと言って弟子たちに紹介する。弟子たちは濡髪の体格よすぎぶりに怯んでしまうが、竹右衛門に稽古してもらえとせり立てられ、みなで濡髪に挑みかかる。しかしみな濡髪に負かされてしまうのだった。

そこへ、庄屋からの使いが大慌てでやってくる。侍殺しの罪を犯した大坂の「濡髪」という相撲取りがこの村へ入り込んだ詮議で明日調査の侍たちがやってくる、竹右衛門方は若者の出入りが多いので、今夜のうちに庄屋と竹右衛門とで相談をしておきたいのだという。竹右衛門は素知らぬ顔をしておとらに戸締りを命じ、弟子の若者たちを連れて庄屋へと向かうのだった。

ひとり残された濡髪のもとに、おとらが酒と肴を持ってやってくる。おとらは父のいないうちにと、一目見たときから彼に恋焦がれているという心のうちを語る。濡髪はおとらを悪くは思わないものの、助けてくれた恩人・竹右衛門の娘にまで難儀をかけるわけにはいかないと、その想いを固辞するのだった。

そうしていると、竹右衛門が大慌てで戻ってくる。竹右衛門が濡髪をかくまっていることはすでに知れ渡っており、濡髪詮議の侍たちがすぐ近くの古市まで迫っているというのだ。濡髪は、今度こそ名乗り出て十次兵衛に捕まる覚悟を決める。が、竹右衛門は、古市に来ている侍というのは、濡髪の殺した郷左衛門・有右衛門の兄弟だろうと言う。十次兵衛なら、百姓を使っての詮議などという安っぽいことはしないというのだ。竹右衛門は、捕まるのであれば十次兵衛に捕まるべきであり、ここで濡髪が捕まればおとらが悲しむ、ひとこと「女房」と言ってやって欲しいと告げる。竹右衛門は、愛娘が濡髪に惚れていることを知っていたのだった。濡髪は竹右衛門の言葉に納得し、ひとまず和泉路へ向かうことを決める。そして、夜明けののちの出立の準備にと、おとらを連れて一間へ入るのだった。

やがて九つの鐘が鳴るころ、編笠に大脇差姿の大男が竹右衛門宅の戸口で大声をあげる。その男は濡髪長五郎を名乗り、彼を尾行していた二人の侍はそれを聞いて走り去っていく。大男の名乗りに竹右衛門は心当たりがないと断るが、実は彼の正体は放駒長吉だった。濡髪と長吉は久々に再会し、長吉は与五郎や吾妻、お照のことは家中含めて丸くおさまって、大坂のことはもう問題ないと告げる。郷左衛門の一族が明日早くこの村へ到着する手筈になっており、ここは自分に任せて濡髪はすぐ逃げるようにとせり立てる長吉。またも「これ以上人に迷惑かけるのは……」的なことを言い出す濡髪だったが(こいつ本当にずっとこれ言ってんな!?!?)、竹右衛門と長吉に説得され、今夜高安に泊まっている十次兵衛のもとへ向かうということにして、ひとまず河内を脱出することにする。濡髪はおとらの泣き声を背に、竹右衛門宅を後にするのだった。

まもなく、郷右衛門の弟・平岡丹平、有右衛門の兄・三原伝蔵が捕手や村の若者を引き連れてやってくる。丹平は御所柿を手先にして竹右衛門を呼び出させるが、竹右衛門もしれ者、中で濡髪が大鼾で寝ていると告げる。丹平はアホだったのでそれを間に受けてしまい、竹右衛門に濡髪捕縛を命じ、捕手を貸す。家の中に入ると、竹右衛門と長吉はその捕手をブッコロ。竹右衛門はその血糊をべったりと塗って丹平のもとへヨロヨロと戻り、濡髪を取り逃してしまった、捕手の二人はあえなきご最期🥺と嘘をつく。いきりたった丹平は家の中へ踏み込み、待ち構えていた長吉と斬り合いになる。

一方、雪の中、観心寺の裏道を抜けゆく濡髪は、背後の気配にふと立ち止まる。そこには、捕手を連れた伝蔵そして丹平が迫っていた。濡髪は雪の中の土俵入りと、組手、捕手を打ち伏せ、切り伏せ、薙ぎ倒してしまう。そして斬りかかる伝蔵・丹平の刀を叩き落として組み伏せ、ついにというところに、南方十次兵衛が現れる。

十次兵衛は長吉に縄をかけて家来に引かせ、またそのうしろには竹右衛門に警固をつけて控えさせていた。十次兵衛は濡髪を押し留め、その二人を殺しては罪科が重なって言い逃れができないと言う。そして、長吉の縄をほどいて彼のもとへと押しやった。それを見た濡髪は、伝蔵と丹平を開放し、十次兵衛のほうへ返す。丹平は十次兵衛の処置にブースカ文句をつけるが、十次兵衛は、長吉と斬り合いになったのは丹平らの勘違いによる粗忽が原因だし、竹右衛門が長五郎と長吉を聞き間違えたのも、ジジイだから仕方ないと言い捨てる。十次兵衛は、濡髪が侍二人を殺害したのも主人を思っての若気の過ちで、それを御前で申し上げれば済まないものでもないと語る。兄弟心が通じ合った濡髪はその言葉に応え、十次兵衛が彼の刀を蹴落とすのを受け入れた。縄はあとからかけると言い、駕籠を呼び出した十次兵衛は、濡髪とともに早駕籠で大坂へ向かう。

こうしてすべてはおさまり、人々は繁盛し、太平の世は久しく続くのであった。(おしまい)

文楽現行なし)




┃ TIPS

TIPS.1 江戸時代の「二重身分」について

『双蝶々曲輪日記』のハイライトとなる「引窓の段」において、南与兵衛は「武士」「町人」を行き来する人物と言われている。これは、通俗時代劇によるある設定「殿様がお忍びで上下に……」といったようなたぐいの芝居としてのギミックではなく、江戸時代当時、「武士」であり「町人」であった人物が実際に存在していたことを描いている。このような「二重身分」のありようは、江戸時代の身分制度(支配制度)を象徴する非常に重要な設定である。ただ、理解には知識が必要なため、見過ごされやすい要素でもある。

そこで、近年の一般向け書籍等を参考に、江戸時代の「二重身分」についての記事を書いてみた。また、武士である十次兵衛は「帯刀」し、町人である南与兵衛は刀を差さないことについても、身分制度との関連を踏まえて解説した。

文楽において、悲劇に巻き込まれる彼ら彼女らを縛る「身分」の制度は、実際にどのように運用されていたのか? ぜひお読みください。



TIPS. 2 江戸時代の時制について

『双蝶々曲輪日記』は、「時刻」の提示が重要な役割を果たす場面が多い。与五郎らが遊所で聞く明け六つの太鼓の偽装、殺人を犯し逃げ去る濡髪が聞く暮れ六つの鐘、十次兵衛がかたる時の鐘の数、そして放生会の朝の明け六つの日の出。これらの「時刻」の表現は、物語の重要な転換点を示している。

しかし、江戸時代は時間の数え方が現在と大きく異なっており、舞台でチョット聞いたところでピンとこないことが多い。そこで、特に「時刻」が重要な役割を果たす「引窓」の、放生会(旧暦8月15日)のころの時制を図解化してみた。

江戸時代は現在と時制が異なっており、<不定時法>という方法で時刻が決められていた。それは、日の出、日の入を基準として一日を昼夜に分け、それぞれを6等分に刻むというもの。「六つ」が常に日の出、日の入の時刻を示している。文楽にも頻繁に登場する「明け六つの鐘」「暮れ六つの鐘」というやつだ。あれは、たまたま「六つ」が明け方のタイミングに重なったのではなく、明け方だからこそ「六つ」なのである。

図解に使った「引窓」は、ちょうど秋分が近い時期が舞台であるため、1刻あたりの時間はほぼ均等である。比較的、現代と同じ時間感覚で捉えられる季節といえる。しかしよく見ると、ちょっと夜が短い。夜のほうが1刻あたりの時間が短いということだ。

違う季節だとどうなるかというと、夏至のころになると、昼間が長いので昼間の1刻がとても長い。明け六つ03:49、暮れ六つ19:36なので、昼間は一刻あたり158分(夜82分)。昼間の時給バイト絶対したくねぇ🤮 逆に冬至のころだと、昼間の1刻がとても短くなる。明け六つ06:11、17:08で、昼間は一刻あたり110分(夜131分)。昼間だけ寺の門前のぜんざい売りのバイトでもしようかな🥺

言い換えると、いまでいう○時は、江戸時代でいう●刻、と安易に置き換えられない。このあたりが現代人には感覚的になかなか難しいが、以下のサイトを使うと、簡易的に確認ができる。こちらを参考にすると、文楽の物語の「暮れ六つの鐘」が一体何時に鳴っているのか、おおまかではあるが把握できて、物語世界をより実感できるようになると思う。

江戸時代の時制でもうひとつわかりにくいのが、「いまは七つ半、もうすぐ六つ半」というように、時間が進むにつれてなぜか数字が減っていくこと。上の図を見ていただいてもわかる通り、九つから始まって、八つ、七つ、六つ、五つ、四つ。これはなぜなのだろう?

まず、なぜ九つから始まるのかというと、「9は1桁の数字の中で一番デカいから縁起がいい!」という考えのため。ツメ人形が考えたんか? 数字が減っていくのは、実は、「九つ」の次の「八つ」とは、9を2倍した「十八」の略のことだろうだ。実はちゃんと増えていた! こちらは、「2桁は多いから略して1桁にした!」という理由のようだ。ツメ人形が考えたんか?? 以降も同じで、9の倍数の下1桁を呼んでいるとのこと。

 

最後に、『双蝶々曲輪日記』「引窓の段」に立ちかえり、物語の中の時間進行を確認してみよう。
十次兵衛が最後に「九つの鐘、六つ聞いて三つは母へ進上」と言うのは、時の鐘のことを指している。「九つ」とは、真夜中(日の入と日の出のちょうど中間)の時間に鳴る鐘で、9回鳴らす。対して、「六つ」は日の出の時間に6回鳴る鐘で、この鐘が鳴ると「翌日の朝」になる。つまり、十次兵衛は、郷代官としての役目のある「九つ」の時間帯であるにもかかわらず、そのうち「三つ」は恩義ある母へ預けるとして聞かないふりをする。差し引きしていまは「六つ」、日の出の時間、つまり彼の郷代官としての役目が終わり、町人としての与兵衛に戻る時間と「詐称」するというのだ。
天体の運行をもとにしており、本来人間が干渉しえない「時刻」という摂理に、十次兵衛・濡髪・母をめぐる「情」が干渉し、物語上の奇跡のシンクロをみせるのが「引窓」の醍醐味といえよう。『双蝶々曲輪日記』は、並木宗輔(千柳)の、比較的晩年の作品である。「引窓」は、人間は大局的な運命には絶対に抗えないという物語を描き続けた彼が最後にみた、夢の物語だったのかもしれない。






 

┃ 参考文献

 

トップ画像
大英博物館所蔵 Futatsu chōchō kuruwa nikki 双蝶々曲輪日記 絵尽くし番付
https://www.britishmuseum.org/collection/object/A_1916-0403-0-49

*1:そういえば、中村錦之助主演のイケメン剣士映画『源氏九郎颯爽記』シリーズのひとつに「濡れ髪二刀流」ってあったよね。内容全然思い出せないが、剣の名前が「濡髪」だったわけでもなかったし、水も滴る美青年っていう意味で言いたかったのかな? 映画自体は面白いです。アイデアだけの話でいうと、いまなら漫画止まりになりそうな企画で、当時の映画という娯楽のキャパシティ、と勢いを感じます。

*2:携行用に金銭等を入れる袋