TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 1月初春大阪公演『平家女護島』鬼界が島の段、『伊達娘恋緋鹿子』八百屋内の段、火の見櫓の段 国立文楽劇場

 

 

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初春公演、第三部、一つめ、平家女護島、鬼界が島の段。

近年繰り返し出ており、「いつも同じような配役」でやっていた演目だが、今回は人形俊寛役の玉男さん以外を大幅に刷新。よく言えば、演者の態度としては非常に真面目なたたずまいの舞台となっていた。

だが、相当にノッペリとしたなというのが最も正直な感想。ある程度の回数を見ている演目なので、どういう曲かはわかっているつもりなのだが、そのぶん、この平板さは、衝撃的だった。
一番の問題は「なにを表現したいのかわからない」こと。物語や人物同士の関係の構造が表現できていないため、ドラマの盛り上げどころが曖昧になり、いつ、誰に注目したらいいのか、全然わからん。不慣れな方が多いから仕方ないのかもしれないが、ドラマの主体を担うはずの役割ながら、その「主体」がどこなのかわかっていなかったり、「お手伝い役感覚」で舞台に上がってしまっている人が多いのではないかとも感じる。「いつか自分がこの役をもらったら……、自分ならこうする、こうしたい!!」とか、これまで考えてこなかったのかなあ、的な……。

言うなれば、真面目なだけや、素直なだけでやっちゃうと、「平板」でしかなくなる曲なのだと思う。これは近松物演目全般が持つ問題点や欠点でもある。ある程度経験を重ねた人や、勉強をしている人、センスのある人は、その問題点や欠点への意識があるのだと思うが、そうでない人の比率が上がってくると、厳しい演目ということか。

ここには、復活演目や滅多に出ない演目に対して感じる「見応えのなさ」や「面白くなさ」の原因を解き明かす鍵があるように思った。「寺子屋」だとか「陣屋」だとか、それただの一般名詞だろっていう通称で呼ばれても常連客が「ああ、あれね」とわかるような、いわゆる「名作」は、演出が非常に練り上げられている。しかし、復活物の上演や希少演目は、そうはいかない。そのような演目を舞台にかけるには、演者に強く要求される課題点がある。極端に言えば、もしかしたら、昭和初期に、山城少掾がそれまで40年間途絶えていた「鬼界が島の段」を復活演奏した当時も、こんな感じだったのかもしれない。山城少掾はどれくらいの速さでこの曲を練り上げたのだろうか。と思った。

 

いわゆる「初心者」の中では、燕三さんは良かった。というか、言われないと、「役がくるのは2回目」とはわからない。
この演目、文楽内部の価値観でいうと、相当、「高尚」という立て付けになっていると思う。けれど、「平家物語」自体や謡曲俊寛(鬼界島)」と比べると、かなりの度合いで通俗的ですよね。千鳥の存在や俊寛の英雄化など、相当通俗的だが、なぜかそれこそが高尚だと扱われている。さすがに近松信仰が過ぎると私は思う。そのアンビバレンツなニュアンスがうまくいかされた演奏だったと思う。
そして、これが燕三さんの一番良いところなのだが、あの島や俊寛という人物の「雰囲気」とも言うべきものが出ているのが、良かった。演奏のなかに、登場人物たちの感じている気温、湿度、風速、そういったものをこちらに想像させうるトリガーがある。「ここでおもいっきり弾いてるから温度が高い!風が強い!客はそれをわかるべきだ!!」とかじゃなくて、聞いているこちらの想像力を膨らませる何かをはらんでいる。芸術の世界は、やはり、こういった「佇まい」を出せるかどうかに、「センス」が出ると思う。

 

玉男さん俊寛は、千鳥を抱いてやる仕草のキモさのなさとか、上手い。無言のうちに「はわ」「ほよ」というリアクションをしているのも、知的階級の人物らしさがあって、良い。いや、知識階級は「はわ」「ほよ」とはしないんですが、思ったことをすぐ口に出すことはせず、無言のうちに表現するという意味で。ちいかわと紙一重

ただ、俊寛は基本的にリアクション芸だ。そのぶん、周囲が薄いと「このおっさん何でバタバタしてんの?」となってしまい、話がわかりづらくなるというのが、今回の問題点だった。
そして、
玉男さんは、玉男さんご自身は上手いけど、舞台全体の問題を解決できるタイプの人というわけではないんだよね。和生さんは周囲とのハーモニーで世界観を描出し、芝居を作る人で、共演者へ及ぼす影響や指導力も大きいと感じる。今回の第二部『伽羅先代萩』とか、そうだと思う。しかし、玉男さんは個として屹立することで世界観を形成し、芝居を作っている。それこそが玉男さんの良さなんだけど、もうちょい周囲の人に教えてあげられることがあるのではないか。本来は玉男さんはそこをリードする立場だと思う。共演の人たちを気にしてるような感じはするんですけどねぇ……。

康頼〈桐竹紋秀/後半配役〉と成経〈吉田勘市〉は、原作原文からは人物像がわからない、立体性のない役。そのため、配役された人が創造する部分が多いと思う。紋秀さん康頼、勘市さん成経は真面目げな雰囲気で、「本人?」感が良かった。取引先の営業さんがこういう感じの人だったら安心、的な。成経はかなり女性的で、昭和の少女漫画の美男子風なのも良かった。
ただし康頼は、盃の最中に赦免船が来たとき、振り返りと立ち歩きを同時にやるのはよくない。百姓の若者ならそれでいいが、康頼の貴族としての端正さを出すには、まず振り返って船を見る、次に立ち上がる、おもむろに歩くというふうに、段階を分けた演技をすべきだと思う。演技を複合させるか分解するかは、人形の見え方を大きく左右する重要なポイントだ。ここへの注意だけでも、康頼の佇まいは改善すると思う。

千鳥もまた、一見ヒロインポジながら、いわゆる今日のエンタメの女性キャラに求められるような「人格」がないため、曖昧になりやすい登場人物だ。ちょっと言いづらいけど、人格がないという意味では、一輔さんの「お嬢さん女優」的な演技は文章に忠実といえば忠実。だが現代の舞台にかけるには、彼女の人格を感じさせる「何か」が必要だ。
なお、瀬尾への攻撃は砂投げだった(虚空を掴んで投げつけるという、完全に砂掛けババアの投げ方)。

玉也さん丹左衛門は、玉也さん自身は良いのだが、玉也、ここなの? 脇へ回るような配役にするにしても、『先代萩』の貝田勘解由の方が良かったのではと思った。いや、ここに玉也さんがいないと舞台がまじでスッカスカになってたとは思うんですけど、勘解由のほうが問題が大きいというか……。

 

なお、赦免船のさきっちょについている「ふさふさ」は、今回は、なんというか、「レゲエのおじさん」風だった。以前は、書割か、サラサラのタッセルだった気がするが……?

 

 

↓ ジェットフォイル並みの速度で航行するミニ赦免船。

 

 

 

  • 義太夫
    竹本織大夫/鶴澤燕三

  • 人形
    俊寛僧都=吉田玉男、平判官康頼=吉田文哉(前半)桐竹紋秀(後半)、丹波少将成経=吉田勘市、蜑千鳥=吉田一輔、瀬尾太郎兼康=吉田玉助、丹左衛門元康=吉田玉也






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第三部、二つめ、伊達娘恋緋鹿子、八百屋内の段〜火の見櫓の段。

お七一家の内情を描く「八百屋内」をつけ、「火の見櫓」も雑魚キャラたちが大量登場するロングバージョン。
「八百屋内」、ついたところで話がより一層わけわからなくなる、なんの話?感がすごい。全然意味がわからない。ジジイとババア無責任アンド自分勝手すぎだし、いや誰やねんという人があとからあとから湧いてくる意味不明ぶりが本当にすごい。これ、八百屋内が藤太夫さんで、お七が勘彌さんじゃなかったら、大事故だったな。
八百屋内は相当に難しいと思う。文楽の現行演目によく残ったなと思うほど非常に通俗的で、話の中身、一切なし。町家の中で話が完結していて、舞台としての見た目も地味。薄っぺらくあざとい通俗性をプラス転化して上手く活かせる人でないと、芝居にならず、聞かせるのは相当に難しい。「情緒」がなくては成立しない演目だ。近年では2018年12月東京公演でも「八百屋内」つきで上演されたが、その際は錣さん(当時津駒太夫)で、これは津駒さんしか無理だなと思った。今回の藤太夫さんもまた世俗の滋味を自然に出せる人なので、いかにも古臭い芝居の世界が嫌味なく舞台上に再現されているのが、良かった。
こういった「味」は、昭和30年代の日本映画(東宝とか松竹とか)でしか味わえない失われたものだと思っていたが、意外にも文楽の世界では現役で生きているのだなと思う。ただ、これ以上後の世代への継承は感覚的にも技術的にも難しいだろう。こういったたぐいのセンスは、本来、育成できるものだとは思う。だからこそ逆に、いまの若手がこれを習得するのは、無理だろうな〜と思う。「義太夫が好き」なだけでは、こういった世界観を得ることはできないですからね。義太夫以外のものを勉強することが必要で、それには…………だから。

 

人形は、勘彌さんお七の都会的な美貌と、清五郎さん吉三郎のイケメン感が良かった。少女漫画的世界観。
お七はスッとした垢抜けた表情で、しかし、品が良すぎないのが好色ものっぽい。この演目を通り越して、勘彌さんなら西鶴の世界観を表現できそうだと感じた。(私は近松より西鶴派!!!)
そして、勘彌さんは、われわれが知り得ない、簑助さんが言っていたことや、言わないにしても簑助さんが役をつとめる上で大切にしていたことを、ちゃんと引き継いでいるんだなと思った。火の見櫓を登る場面のお七の必死さなど、舞台表現として目指すものが明確になっている。お七の目線の先には何があるのか? その方向性は、簑助さんと近しい。この演目がただの曲芸見せになってしまっていないのは、さすがだと思わされた。

清五郎さん吉三郎は、顔が良すぎて、笑ってしまった。笑うほどのこのイケメン感。本当に不思議なのだが、若男とか源太のかしらの役は、上手い人が遣うと、この世には存在し得ない、絶世の美男子に見える。本物の人間ではこうはいかない。いくとしたら吉沢亮(なんの話や?)。スラリ…✨とした佇まいが、良すぎ。

杉〈桐竹紋吉〉はもうちょっと通俗みを出しても良かったかな。商家というより、武家に奉公している子みたいな印象だった。もう少し人間味というか、お七の友達感があってもよさそう。それこそ少女漫画の「脇役」女子のように。

 

文楽の小道具で見るとわかるのだが、昔の巻物・経典折の書状って、文字を天地いっぱいに書くのがセオリーだったらしいですね。天地に余白を残したほうがレイアウト的には綺麗で読みやすいと思ってしまうけれど、第三者による書き足しを防ぐためにギチギチまで書いたそうです。『平家女護島』の赦免状は、公式文章だからなのか、天地余白ありますが。

 

 

↓ 話意味わかんなさすぎだろという方用、全段あらすじ付き感想

 

 

 

  • 義太夫
    • 八百屋内の段
      豊竹藤太夫/竹澤宗助
    • 火の見櫓の段
      豊竹希太夫、豊竹亘太夫、竹本碩太夫、竹本聖太夫(前半)豊竹薫太夫(後半)、竹本織栄太夫/鶴澤清友(あいかわらず座布団が唐突すぎておもしろい)、鶴澤清志郎、鶴澤友之助、鶴澤藤之亮

  • 人形
    小姓吉三郎=吉田清五郎(1/21-??休演、代役・桐竹紋秀)、下女お杉=桐竹紋吉、娘お七=吉田勘彌、親久兵衛=吉田玉輝、久兵衛女房=吉田文司(1/3–??休演、代役・吉田文哉)、丁稚弥作=桐竹勘介(前半)吉田玉路(後半)、武兵衛=吉田玉延、太左衛門=吉田簑悠

 

 

 

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第三部は、ある意味、かなり「通向け」な番組編成だと感じた。『平家女護島』は「近松高尚」信仰、『伊達娘恋緋鹿子』は「八百屋お七ってなんか聞いたことある」におっかぶせれば、たとえば普段文楽をご覧にならない方にとっては、「なんかそれっぽい」番組ではある。けれど、ある程度文楽を見ている方なら、「まあ、こういう演目は、“本当に上手い”人を出さないと、どうしようもないわなあ」と思う編成だと思う。

平家女護島』は、今後の文楽はこうなっていくのだろうなという予兆となるような舞台だった。

『伊達娘恋緋鹿子』は、配役をキチンとした人で固めて、いろいろな意味で低俗な内容をキチンと金取れる水準に押し上げていた。ただそのぶん、「この座組なら別の演目やったほうが面白いのでは」と思ってしまう、いつものアレではある。でも、藤太夫さんが良かったから、いいか。ひさびさに昭和感味わったし(江戸時代だよ)。

ふたつの演目を通して、やはり、古典芸能は、「センス」、そして「センスを習得し、磨くこと」がとても重要だと感じた。そして、「表現したいこと」への意識やこだわりがなければ、結局何回やっても「上手く」はならないからなぁ……とも思った。「表現したいこと」は「センス」を育て、「センス」は「表現したいこと」を育てる。そのサイクルが、本当に、大切。

 

 

 

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展示室に、「火の見櫓」の大道具が展示されていた。舞台を見てイメージするより小さいと感じた。舞台は船底があるから壮大に見えるのだろうか。

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中に入ることもできるようになっていた。

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2Fロビーに展示されていた、本物の鹿子絞りでできた衣装を来たお七(拵えは勘彌さん)。舞台だと平面プリントな鹿子模様なので「そういう柄の服を着た子」に見えるが、本物の絞りだと、浴衣感というか、下着感というか、軽装感が強い。鹿子の布は本来上に着るものじゃないというのはこういうことか、と感じた。

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写真ではわかりづらいと思いますが、現行舞台衣装より、青の部分はかなりくすんで黒っぽい印象です。抜けるような爽やかな印象はありません。

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生地の寄り。触り心地は現行のものより良さそう。

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後ろ姿

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説明パネル

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テメェ、さっきからナニじろじろ見てンだァ〜? 火ぃつけるぞッ!!

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太夫さんが亡くなった。
最近、過去の劇評を遡っていろいろと読んでいる。総じて言えるのは、咲さんは、平成初期には本当に将来を嘱望されていた人で、それに応えるように舞台を勤めていた人だったんだなということ。活動に意欲的で才能もあり、今後の文楽を背負う人であると。近年の劇評になってくると、病気や体力問題から思うように舞台が勤められていないことを嘆く声が多かった。
私が文楽を見始めた時点で、咲さんは時々休演していた。私からすると、「そりゃおじいちゃんなりに体力は落ちてるけど、うまいからいいんじゃない?」と思っていた。けれど、”若い頃”を超えるさらなる活躍を期待していたファンの方々にとっては、さぞ無念が多かったのだと思う。そういうコメントが本当に多いから。晩年の舞台が(こう言い切ってしまうのも違うのだが)期待と違うと感じていた古参の方が聴いていた平成初期の咲さんは、どんな存在だったのだろうか。ご本人は、ご自身の晩年の舞台生活を、どう思われていたのだろうか。