TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 10月地方公演『二人三番叟』『摂州合邦辻』『本朝廿四孝』『釣女』神奈川県立青少年センター

秋の地方公演。新型コロナウイルスの影響でキャンセルになった会場も多かったようだが、いつも行っている横浜は催行。会場では、客席千鳥販売、入場時の検温・消毒、場内飲食不可・カフェ営業なしの対応が取られていた。地方公演も会場によっては全席販売しているところもあったらしいし、最近は公共施設でも飲食営業をしているところも多いので、会場側が神経を使っていることを感じた。

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昼の部。事前解説=豊竹亘太夫

『二人三番叟』。太夫・三味線は、客席へ張り出して設置されている出語り床ではなく、ステージ奥へ並ぶ方式。

9月公演でも思ったけど、上演される機会が多いにもかかわらず、結構出来にムラが出る演目なんだなと思った。具体的には、人形。舞踊は向き不向きがかなりはっきり出ると感じた。先日読んだ歌舞伎講座的な本の舞踊の項目に、やたらと繰り返して「舞踊は才能(向き不向き)が大きい」と書かれていて「ヲ丶しつこ」と思ったが、うん、本当にそうですねと思った。それぞれの人に良いところはあるんだけど、踊りとしてどうかというと……。そして、衝撃的なまでに全然揃っていなかった。踊りの向き不向きはもう仕方ないけど、揃っていないのは、つらい。

又平のほうの三番叟に玉誉さんが配役されていたようだが、休演。玉翔さんは代役。ロビーに「急病のため本日休演」の掲示が出ていた。横浜は地方公演最終日のはず。いつから休演されていたのだろう。心配。三番叟が全然揃ってなかったのは、そのせいもある?

ところで、今回の公演はお囃子が客席側のステージ袖で演奏されていたようだ。お囃子の音量がいつもより大きい気がした。客席側に張り出しているめちゃくちゃ狭いほっそい部分、通常「Gマーク」君を置いているようなスペースに衝立が立ててあり、そこからちらりと覗いている椅子に、太鼓などが置かれているのが見えた。これもステージ側での密集防止対策なのかな? 狭い場所で長時間スタンバイしなくてはいけないので、大変そうにと思った。

 

 


『摂州合邦辻』合邦住家の段。
本公演でもあり得そうな、なかなか良い配役。

オッ、玉志サンが珍しくジジイジジイしてますねぇ〜〜〜〜〜ッ!!!! と思った。そんな差分わからんがなと思われるかもしれませんが、今回の合邦は、弥陀六とか権四郎とはだいぶ違います。冒頭、振る舞いののち近所の衆が帰ったあと、そっと門口を差し覗く力無い足取りには、今までにないジジイオーラを発していた。あまりにげっそり、ヨロヨロとしていて、玉志サンご本人がご体調悪いのかと思って心配してしまった。玉手御前が帰ってきたらカクシャクとしていたので、冒頭部では娘はもう死んだものと思うしかないと考えて、しょんぼり気落ちしていたということだろうか。娘かわいさと世間の義理のはざまでプルプルしているところは、人形のあのちょっと愛嬌のある表情そのまんまのジジイで、良かった。でも、和生合邦に比べると、やっぱり、シャキッッッッッ!!としてますね。浄瑠璃に対するディレイのなさが怖すぎる。

合邦女房の勘壽さんも良い。9月に引き続き、舞台をキッチリ引き締めるおばあさん役。そんな大活躍な場面があるわけじゃないけど、その佇まいで、話全体が引き立つ。合邦女房は根っからの町人ではなく、かつては武士だった合邦の妻なので、どこか気品があるのも良かった。

清五郎さんの浅香姫は折り目正しそうだった。シュッとした佇まいで、なんか顔が細長そう。昭和の若手女優感があった(松竹専属)。あと、簑一郎さんの俊徳丸、玉手御前の血を飲んで病が回復するところで面を外すのが異様にうまくて、本当にぱっと顔が変わったようだった。至極自然で、そういう仕掛けがあると知らない人は気づかないと思う。簑一郎、器用。そしてヘアスタイルがバッチリキマっていた。

床、前の呂勢さんの、暗く冷え冷えとした語り出しが良かった。夜のひんやりとした湿気を感じた。そして、清治サンは地方公演では普通に真面目に弾くのね。と思った。

そして、この曲、三味線の技量が出るんだなと思った。

 

 

『摂州合邦辻』は、観に行く前日に『菅専助全集』第二巻(勉誠出版)で原文全段を読んだ。

そのうえで感じたのが、『摂州合邦辻』は「合邦住家の段」だけを舞台で観るのが一番面白いとということ。現行での全段上演がない浄瑠璃は、伝承のない段を文章で読むことでより内容を理解できたり、深い陰影を感じることができる……と思っていたが、そうでもないようだ。本作は、全段を読んでも、合邦住家に書かれていること以上のものはない。少なくとも、近松半二作品のような壮大なドラマはない。この段以外、謡曲「弱法師」、説経節「信徳丸」の内容をほぼ踏襲している状態で、かなりあっさりしている。コンパクトな作りになっているのは時代物の短編化の流れによるものだそうが、よく言えばシンプルでわかりやすい筋書きだけど、あらすじオンリーになっていて退屈。合邦住家だけ観て、ここに至るまでには俊徳丸や浅香姫はもちろん、玉手御前、合邦にも様々な事情と苦悩があったのだろうとイメージしているほうが楽しいと思った。

本作で一番の議論になる「玉手御前の邪恋は本心か芝居か」については、全段や菅専助の他の作品から類推するに、芝居としか考えられない。身も蓋もない言葉だけど、単なる「設定」、要するに「実は芝居だった」という趣向だと私は受け取った。そして、そのドンデン返しに鮮やかさや周到さがないので、読んでがっかりした。むしろ、合邦住家だけが現行に残り、壮大な大作のごくごく一部を切り取って上演しているかのように錯覚させている、人形浄瑠璃の歴史自体がすごいと思った。高尚、崇高だと持ち上げられるという意味での、いわゆる「伝統芸能」だからこそなし得る効果だと感じる。

もしこの作品を新作としてリメイクするなら、「玉手御前は、高安の殿様(俊徳丸の父)の後妻になる前から俊徳丸に恋をしていたが、腰元から妻に取り立てられ、義理の親子関係となってしまった。その上で跡目争いが発生してしまい、そのどうしようもない社会的事情によって、玉手御前は恋が“芝居”であるという“芝居”をして、自己犠牲に殉ずるしかなかった。これは表沙汰にはされず、それは合邦住家に居合わせた人だけが知る、歴史に埋もれたお話」という展開にしたほうが絶対面白いよなあと思った。

っていうか、現行の舞台だと、お客さんの大多数が「玉手御前は本当に恋をしていたが、それを“芝居”だというふりをした」と受け取ってるんじゃないかと思う。客に「どちらなのかは玉手本人にしかわからない」と思わせる、芸のありかた、考え方が面白いと感じた。芸談等を読むに、現行の人形演出では玉手御前の芝居に細心の注意が払われていて、それは原作に書いてあること以上のものを考慮していると思う。父と母それそれに対する態度とか、家への入り方とか。いかに観客にイマジネーションを抱かせるか。3月の地方公演の玉手御前はおそらく和生さんだと思うけど、楽しみ。

 

 

 

 

夜の部。事前解説=豊竹希太夫

『本朝廿四孝』十種香の段。
十種香の、瓦燈口(舞台奥に設置された肉まんシルエット的な出入り口)の左右にそれぞれ一間があるという大道具。文楽劇場の大きなステージで見るといかにも「御殿」で壮麗だが、地方公演の会場に立て込みすると、めちゃ狭。昭和の四畳半の下宿屋感がある。そこはかとないつげ義春オーラ。八重垣姫とか、狭すぎて人形の向きに無理があるだろと思った。上手見て演技するところ、人形の前に空間がなさすぎて壁に向かって喋ってる人状態で、サイコサスペンス感が……。

それは別として、人形はなかなか大変なことになっていた。個人的に今回の地方公演は十種香を一番楽しみにしていたので、「こ、これは……」と思った。八重垣姫=清十郎さん、濡衣=勘彌さん、勝頼=文司さんだったが、八重垣姫と濡衣は配役逆のほうがよかったんじゃないかな……。清十郎さんには悪いけど……。もともと十種香自体が難しいのだと思う。

濡衣は出番は少ないけど、粋なお姉さま風で良かった。八重垣姫の箱入り感に比べて、普通の世界で生きてきた人って感じ(本当に普通の人です)。婀娜っぽいというか、どこか媚態があり、ハクビシンみたいににょろっとした味があったのも面白かった。

あとは長尾謙信の玉輝さんが、いかにも玉輝〜って感じでよかった。玉輝さん、仏壇周りのアイテムみたいな衣装を着た役が異様に似合う。それ以外の役もやってほしいけど、玉輝さんにはいつも、上品にでっかくギラギラしていてほしい。

床の錣さん・藤蔵さんが良かった。十種香の何が楽しみって、床が楽しみというのも大きかったので、満足。アクが強いのが良い。八重垣姫は錣さんにしてもかなり声高めで、幼なげ。ちょっと危うい感じが良かった。

今回も、錣さんの「」「」の発音を注意して聞いてみた。「果報」は「クヮホウ」、「名画」は「メイ」に聞こえた。ただし、「名画 メイ」の「」は、鼻にかかって「ナ」に寄った「ガ」なので、純粋な「ガ」ではない。先日の壺坂や、ラジオ放送で聞いた「すしや」でもそういう発音の「ガ」があったので、錣さんは意図的に区別してこの発音にしているではないかと思った。*1

ところで、十種香の上演中、近くの席の小学生くらいのお子さんが、勝頼を指して「あの人はだれ?」と言っていたのが正直すぎて味わいがあった。もちろん十種香のような曲の上演中に喋って欲しくはないが、そりゃ、「あの人はだれ?」としか言えない。ここだけ上演されても意味わからないのは当たり前。ほかのお客さんもみんな実は話よくわかってないから、大丈夫。(大丈夫じゃないけど)と思った。

 


奥庭狐火の段。
珍しく、三味線の弾き出しが失敗。やりなおしたが、音がまっすぐ出ず、頭のほうは音が不安定だった。文楽では珍しい。弾き始めたら止められないので、大変だなと思った。希さんは、八重垣姫を錣さんよりもさらに高い音程で語っており、もともと高めの希さんにしても高音。入りで一瞬どきっとして、この高さ、安定して最後までいけるか!?と思ったが、うまくいっていた。チャレンジ精神に拍手。

八重垣姫は本公演と同じく、左・足出遣いなのだが、足が清十郎さんの弟子、清之助さんだったことに衝撃を受けた。もう、十種香の八重垣姫の出来がどうとかがすべて吹き飛ぶレベルの驚き。一気に高まる緊張感。若手会のようにドキドキしてしまった。いっしんに八重垣姫の人形を見上げて、本当に一生懸命勤められていて、心を打たれた。清十郎さんや、左の簑紫郎さん以上に八重垣姫と同化し、彼女のいっしんな情熱をおびていたのは、清之助さんだったと思う。

まだ入門して数年、普通ならこのような大役の足は地方公演といえども、もらえないと思う。師匠の清十郎さんや、まわりの方々の支えで、この配役が決まったのだろう。ファンとしても、このような若い人がとてもいい役を勤められて、また、奥庭の八重垣姫を体現する情熱的な演技をされていて、とても嬉しく思った。そして、単にがむしゃらなのではなく、人形が横を向くときは人形の前を横切らないよう瞬間的に避けたり、よく気が回っているのもすばらしい。本当、良かったです。これだけで、今回の地方公演、観に行ってよかったと思った。清十郎もそこはブログで弟子の出来のよさを自慢しようよ!!!!と思った。

 

  • 義太夫
    十種香の段=竹本錣太夫/鶴澤藤蔵
    奥庭狐火の段=豊竹希太夫/鶴澤清志郎、ツレ 鶴澤友之助、琴 鶴澤清允
  • 人形配役
    花作り簑作実は武田勝頼=吉田文司、腰元濡衣=吉田勘彌、八重垣姫=豊松清十郎(奥庭 左 吉田簑紫郎、足 豊松清之助)、長尾謙信=吉田玉輝、白須賀六郎=桐竹勘次郎、原小文治=桐竹亀次

 

 

 

釣女。これも太夫・三味線はステージ奥へ並ぶ方式。

勘市太郎冠者、真面目そう……。狂言でもそうだけど、太郎冠者って、一番ふざけている役ながら(だからこそ)、役者としては一番実力がある人が配役されるじゃないですか。文楽で、おふくの腰元には上手い人が配役されるのと同じで。あのシュール感が好きなんだけど、今回も勘市太郎冠者の上手さによって話が若干破調し、奇妙な方向におもしろくなっていた。

同じことで、醜女の太夫・三輪さん、かなり可愛い声&喋り方で、なかなかオモシロになっていた。内容的にはスカスカなんだけど(この内容を文楽で見るにはちょっと厳しいね)、配役効果で、なかなか不思議な空間になっていた。それとは一切関係ないが、真正面からまじまじと三輪さんを見ると、やっぱり、青池保子感がすごいと思った。

ちなみに、美女役の亘さんもかなり高めの音程で語っていらした。それが結構安定しており、いままで気づかなかったが、亘さんも以外と高めの語りが出来るのだなと知った。

最後、人形4人が横並びになるのがいかにも「人形劇」で、可愛かった。ひょっこりひょうたん島で見たことあるー!って感じだった。そういえば、文楽では登場人物がこんなにも横一直線の並びになること、ないですね。

でも、この話、もはや現代で上演して、客に「共感」してもらえるようなものではない。伝統芸能というエクスキュースがあってなお厳しいと思う。

 

  • 義太夫
    太郎冠者=豊竹藤太夫、大名=竹本津國太夫、美女=豊竹亘太夫、醜女=竹本三輪太夫/鶴澤清馗、鶴澤清公、鶴澤清允
  • 人形配役
    大名=吉田玉翔〈代役〉、太郎冠者=吉田勘市、美女=桐竹紋吉、醜女=吉田簑紫郎

 

 

 

10月地方公演、5会場のみのかなり少ない公演数だけど、事前キャンセルをのぞいた会場はひとまず全日程公演できたようで、よかった。地方公演を観られたことで、ちょっと、「普段の文楽」に戻ってきたような気がした。

3月地方公演はもう少し多い会場数で、また、無事すべて公演できるよう、祈っている。

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*1:10/1にNHK「邦楽百番」で放送された『義経千本桜』すしやの段(前半のみ。「御運の程ぞ危うけれ」まで)。気づいた範囲では、権太のセリフ「代官所 ダインショ」「三貫目 サングヮンメ」、弥左衛門のセリフ「梶原 クヮジワラ」、維盛のセリフに続く地の文「栄華 エイ(ナがかり)」だった。