TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

「映画と義太夫――旧劇映画の声と音」早稲田大学小野記念講堂

戦前期にあった、義太夫伴奏をともなっていたでろうサイレント映画(旧劇映画)についてのシンポジウムへ行った。

f:id:yomota258:20240509174416j:image

 

映画のサイレント時代、映画館には「活動弁士」がいて、彼らが音声部分を担当し、セリフや状況を語り聞かせていたというのは広く知られており、今日でも、当時の様子を再現するパフォーマンス的な活弁付き上映がしばしば行われている。しかし、現在では失われた形態として、義太夫を伴奏とした「旧劇映画」(義太夫狂言を映画化したもの)が存在していた。役者(いわゆる「大歌舞伎」ではない芝居に出演するような層)が『先代萩』などの義太夫狂言を演じるさまを撮影し、映画館では弁士が義太夫を語ったというものだ。

映像としては、基本、ワンカットの長回しのような状態。テレビの舞台中継のように寄り引きがあったり、適宜編集されたものではなく、「舞台の本番上演中にロビーで流れている舞台のモニタリング」のように、基本的に舞台全体をロングで撮りっぱなし的な単純なもの。ただし、当時の映画はフィルムの制約上、極端な長尺作品は作成しえない。今回上映のあった「尼ヶ崎」なら、光秀の出から段切まで20分程度。相当の部分を縮めたり、すっ飛ばしたりして撮影されている。そうなると、義太夫もホンのまんまの語りとはいかず、相当に切ったり詰めたりの加工をしないと、映像に合わなくなる。それには相当の熟練・技術が必要なはずだ。しかし、当時は映画が配給された先々の映画館で、それが行われていたということになる。

企画の目的としては、演劇博物館が所蔵する『朝顔日記』等の旧劇映画を義太夫伴奏付きで復活上映することを目標に、それを行うにはどのような課題があるのかを検討する、ということのようだった。

内容は、短い調査発表2件、『朝顔日記』(サイレントのまま)、『旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の場』(戦後に録音された大倉貢の義太夫演奏入り)の上映、義太夫三味線奏者・鶴澤津賀寿氏と歌舞伎研究者・児玉竜一氏の対談で構成されていた。

 

 

◾️

義太夫つき上映の参考として、『旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の場』の、義太夫伴奏の録音つき映像が上映された。

先に、この『旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の場』の義太夫伴奏付きフィルムがどのようなものかを説明しておく。
(以下、この節は、今回の講演で聞いたものではなく、私が過去に参加した戦前映画の上映会やシンポジウムで聞いた話の記憶で書いています)

まず、これは、「本物のサイレント時代の義太夫伴奏が記録されている映画」ではない。

映像素材そのものは、1908年(明治41年)に、Mパテー商会によって作られたもので、サイレント映画の作品である。当時、どのような活弁をつけて上映されていたのか自体はわからない。

時は流れて1960年代。当時、文部省芸術祭主催で、「映画の歴史を見る会」というイベントが行われていた。1962年、『旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の場』が上映され、活弁(伴奏)の義太夫を、大蔵貢が語った。大蔵貢とはもちろん、元・新東宝社長の大蔵貢である。大蔵貢は、活動弁士出身。経営で頭角をあらわし新東宝などの映画会社社長をつとめる一方、趣味で義太夫をやっていた(ご子息によると、津太夫に教わっていたらしい。ほんまいかな)。その経歴から大蔵貢が「特別出演」し、三味線奏者の豊沢美佐照氏(掛け合いの語り)、豊沢美佐尾氏(三味線演奏)とともに義太夫の演奏をつけた。その音声を録音したものが残された。

さらに時は流れ2018年、フィルムセンター(国立映画アーカイブの前身)で、自館所蔵プリントと、「映画の歴史を見る会」で録音された大蔵貢義太夫演奏音声とを合成したプリントが制作・上映された。ただし、フィルムセンターが所蔵しているプリントは、「映画の歴史を見る会」で使われたものとは、状態が異なっているようだ。フィルムセンター所蔵のものは十次郎が戻ってくるくだりの冒頭がかなり欠落しているが、「映画の歴史を見る会」で使われたプリントにはその部分が存在していたらしい(その部分の義太夫演奏が録音されており、当時上映を観た人の記録にも「映像と演奏とがぴったり合っていた」という旨が記されているそうだ)。フィルムセンター所蔵で欠落している部分は映像は真っ暗にして、音声が流れるだけの状態にしてある。

映画好きの人なら合点承知之助OK狭間な通り、大蔵貢は相当に強烈なクセのある人だが、活動弁士経験があり、義太夫の技術もあるため、「サイレント時代の義太夫伴奏」の再現ではなくとも、その遺風があると考えることができる。

 

サイレントのみになるが、映像は国立映画アーカイブの特設サイトで公開されているので、歌舞伎・文楽好きの方は、ぜひご覧になっていただきたい。

↓ 『旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の段』映像(サイレント)

 

↓ 2018年の上映会に行った際の感想記事

 

 


◾️

文楽ファンとしては、鶴澤津賀寿氏と児玉竜一氏の対談が興味深かった。津賀寿氏は、『旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の段』について、義太夫三味線演奏者ならではの視点でコメントをされていた。

津賀寿氏からは、操のクドキで、観客が拍手をしている音が入っていることへの指摘があった。まずもって拍手が起こることがすごいと。
義太夫演奏への拍手は、建前としては、「良いと思ったら拍手してください」ということになっている。しかし、実際には、拍手するところって、決まっていますよね。演奏中の拍手は、わかっていないとできない。また、映像の尺に合わせるため、演奏はめちゃくちゃな切り詰めをしており、普通の演奏ならば拍手するようなところが消失している。それでも、当時の観客はそれっぽい箇所(?)で拍手している。つまりお客さんたちは、実際には演奏がなくとも、脊髄反射的に拍手するほどに、義太夫を知っていた。津賀寿氏はこのことに驚き、感銘を受けられたようだった。また、いまのお客さんは義太夫をわかろうとしすぎて、演奏中必死に床本を読んでいるが、この録音の会場からの拍手を聞くと、当時はもっと楽しんで聞いていたのでは、というようなニュアンスのお話をされていた。
私は拍手自体は仕込みだと思うが、仕込みにしても、仕込まれる人が義太夫を知らないと、できない。それが本当にすごいと思う。60年代だと、義太夫わかる人がまだこんなにもいたんだ。っていうか、そのへんの脂ぎったガハハおぢが義太夫習ってて、ドヤ顔でこんな会にまろび出てくること自体、すごい。おじさんがスナックで長渕歌いまくって、三井ビルのど自慢大会に出場するようなもんだったのだろうか?

また、津賀寿氏ご本人による編集で、『旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の段』にご自分の演奏した「尼ヶ崎」の音源(太夫は竹本駒之助氏。NHKラジオの放送用録音)を付けた特別バージョンも上映された。*1
義太夫三味線奏者として、演奏上、ここは残さなきゃだめでしょ!ここは映像に合わせなくちゃだめでしょ!という要所を押さえた編集で、かなり的確に構成されており、「こ、これでええやん……」と思った。
たとえば、大倉貢版だと、さつきを刺す前のくだりを巻きすぎていて(フシをコトバで処理しすぎて、演奏が早く終わりすぎている)、三味線さんが適当になんとなく引き伸ばしをしている。しかし、津賀寿氏の判断では、元の通りにゆっくり語っても尺は合うはずということで、刺す前のくだりは義太夫の従来演奏をいかしたままにして、さつきを刺したあとのくだりは義太夫が先行して映像が若干遅れるという編集にされていた。文楽でもよくある程度の遅れ方で、さほど違和感はなかった。
大倉貢版では、「大落としが抜けている」「段切がない」という、義太夫としてそれはええんかいというメチャクチャなことになっている箇所がある。大落とし(雨か涙の汐境、浪立ち騒ぐ如くなり)は、津賀寿氏も入れたほうがいいとは思われたようだが、入れると映像の尺に合わなさすぎるようで、カット。ただし、段切(威風りんりん凛然たる、真柴が武名仮名書きに、写す絵本の太功記と、末の世までも残しけり)はいかして、きっちり最後を締めていた。確かに、そこなかったら、『絵本太功記』にならないですよね……。
ただ、本筋と外れた話ながら正直なところを書くと、素浄瑠璃前提で普段演奏されている方の語りや演奏というのは、いわゆる「うまさ」がどうこうとは別に、演劇など視覚情報と複合させる向きにはなってないんだなと思った。文楽太夫三味線だと、素浄瑠璃であってもそうは思わないのだが……。声の張り方や押し出しが違うのかな。そういう意味では、大倉貢のほうが、視覚情報と複合させる向きの語りをしていると感じた。

映像に合わせて義太夫を演奏することは可能かという問いについて、素浄瑠璃演奏を主体とした活動をしており、演劇への楽曲提供を行っている津賀寿氏の観点からは、当然ながら「できると思います」という回答があった。また、義太夫狂言を題材にしたものではなく、映画オリジナルの新作(新歌舞伎の竹本部分のように、書き下ろし脚本のうちナレーション部分が義太夫になっているもの)では、歌舞伎の竹本のような役者ありき演奏に特化した特有技術が応用できるだろうという旨のお話があった。このあたりは、歌舞伎の竹本の方に見解を聞いてみたいところ。新規に節をつける場合、邦楽はパターンの組み合わせでできているので、文言や前後のつながりに応じて、類似曲などから引用した節をつけられるという。
曲のパターンについては、児玉氏からは、観客が義太夫を知っている場合、既存曲にある感銘を受けるパターンを使うことで、感銘を呼び覚ますことができるだろうとのコメントがあった。

なお、津賀寿氏は大倉貢の演奏を「コトバは上手いけど節の部分はダメ。よくわからずやっているのでは」(大意)と思われたようだが、私としては、習い事程度の素人でこのレベルはすごいと思った。なぜならば、これよりヤバい演奏を拝聴する機会に恵まれているから。(迫真の表情のツメ人形)

 

児玉氏からは、「十次郎についてくる人」についての話があった。映像の8:00くらいのところから観ていただくとわかるのだが、戻ってきた十次郎に、なんか、軍卒みたいな人がついてきてるんですよ。いや誰やねん。「ただ一騎立ち帰って候」て言うとるやないか。と思うんですが、この「カラミ」がいる演出は、かつて関西の歌舞伎に実際に存在していたらしい。映画に出演しているのは「中村歌扇一座」という浅草をホームグラウンドにしていた集団だが、関西系の演出がどのような経緯で流入したのかはわからないそうだ。現行では失われている古態が映像で観られるというのはすごいことだ。
ちなみに、「取り付く島もなかりけり」は、軍扇を開かず、腰に当てる型です!!!

 

ところでこのトーク、客が全員「尼ヶ崎」知ってる前提でお話しされていた。
実際の来場者が実際どのような方々だったのかはわからない。しかし、それこそ、往年の〈みんなが義太夫を知っていた時代〉の会話のように、お二人は話していた。笠とったとこの光秀の見得がないとか、大落とし飛ばしてるとか。「あの場面ではああいうう演技、こういう演奏」とわかっていないと、何を言っているのかわからない。
本当、この映画、映像だけでは全然完結してないんですよ。「尼ヶ崎」を歌舞伎か文楽で観たことないと、意味がまったくわからない。サイレントだからとかそういう問題ではなく、めちゃくちゃ切り詰められているし、シーンがかなり飛んでいる。ツッコミどころだらけなんですよ、ほんと。当たり前だが、映像にあるものは見たらわかるけど、ないものは、原型を知っている人しか補完できない。「尼ヶ崎」を知っている人が、あることないこと、勝手に脳内補完して、そうそう、これこれ!って言ってはしゃぐ映画だ。
自分は幸い、「尼ヶ崎」は文楽の中でも最も内容を把握している演目のひとつのため、無限にはしゃげた。あるいは、歌舞伎や文楽好きな友人にこの映像を見せたら、「こんな色々すっとばしてるのに、光秀、竹槍にしっかり髪の油つけとるで🤣そこいるんかい🤣」とか、「加藤正清、人一倍目立っとる😂👉」とか、無限に大笑いしてくれると思う。でも、知らない人、つまり世の中の大多数の方は、「芝居」が内包するものは、わからないと思う。しかし、本作の封切当時は、多くの人が観ながら大はしゃぎしていたということなのかな。〈みんなが義太夫を知っていた時代〉、本当に、すごい。

 

最後に、児玉氏から、重要な指摘があった。
戦前の義太夫伴奏を前提とした「旧劇映画」は、制作された映像自体と、義太夫を語ることのできる弁士だけでは、存在し得なかった。義太夫を語る弁士のほかに、義太夫義太夫狂言人形浄瑠璃など)を知っていて欠落等を脳内補完できる観客、聞かせどころやフシなどを知っていて映写速度を適切にコントロールできる映写技師(後述)も必要で、その3者がいてこそ成立していた。つまり、〈みんなが義太夫を知っていた時代〉だからありえたと。

そういう意味では、現在では、たとえば歌舞伎の竹本なりのスキルが非常に高い層から弁士を登用できて、その方の語りをつけて「旧劇映画」が上映できたとしても、「もの珍しいなにか」「カルチャーな感じのなにか」でしかないだろう。もはや、面白おかしく観られる受け手がいないから。サイレント映画の弁士や伴奏付き上映自体も、正直、そうなってますしね。
〈みんなが義太夫を知っていた時代〉、体感してみたいな。
いや、文楽大阪公演(文楽劇場)のお客さんは、ある意味、そうだけどね。

 

 

 

◾️

調査報告が2件あった。いずれも持ち時間15〜20分程度のため、スライドを流しながらさーっと参考資料を紹介するような内容だった。

柴田康太郎氏の発表では、当時の映画館での実態について、浅草・大勝館、札幌・九島興行経営の映画館を例に説明があった。
義太夫入りの上映は大勝館がそのはしり。1908年撮影の『先代萩』の義太夫入り上映大当たりから広まったという。1910年代の新聞の広告欄や、映画館に残された取引書類などで、具体的な上映作品がわかる。「中将姫」、「弁慶上使」、「安達原」、みたいな、今でも歌舞伎・文楽でやっているような演目だった。ぱっと見た感じ、時代物が人気のようだった。世話物では「酒屋」などがあったようだ。
では、映画館の館内はどのような状態だったのか。大勝館の建築図面(?)によると、スクリーン下手側に「チョボ」というスペースがあり、そこで演奏していたのではないかとのこと。位置的に、上部スペースだったのか地面だったのか等はわからないようだ。いったい誰が義太夫を語っていたのかという問題については、映画会社から派遣される太夫と、映画館専属の太夫とがいたようだ。
また、当時の映写機は手回しであり、映写技師が映写速度をコントロールすることができた。そのため、たっぷり聞かせる(見せる)ことが必要な場面では、弁士の語りを映写室から聞き取り、映写速度をゆっくりにしていたらしい。可燃性フィルムだとゆっくり回すにも限度があると思うが、どれくらい速度を変えていたのだろうか。
帰宅してから配布レジュメを改めて読んでみたら、映画制作の状況についても少し記述がされていた。どうも、撮影時に太夫が立ち会い、自分の演奏に沿って演技してもらう(自分が監修して演技してもらう?)という形態を取ることがあったようだ。しかし、撮影に立ち会えない場合、出来上がっていざ映画館上映となったときに困惑することもあったようだ。撮影現場で演奏者が進行をコントロールするという意味では文楽的な部分があり、映画館の現場現場において一律に太夫が受け身、つまり竹本的なシステムでやっていたということではないようだ。

 

冨田美香氏からは、義太夫狂言ではない、映画オリジナル脚本の旧劇映画について報告があった。要するに、純歌舞伎や歌舞伎の新作に雰囲気作りとして竹本が入る演出がみられるが、同じようなものが映画でも存在していたとのこと。残っている台本に「竹本」や「チョボ」となっている部分があり、そこは義太夫だったのではという話だった。
途中で流された、声色・竹本の掛け合いの試演映像は、どういうことだったのだろう。昨年、国立映画アーカイブで行われた『五郎正宗孝子伝』の弁士・演奏入り上映のものだが、私の理解では、台本上「竹本」となっていたり、「〽」がついているところを「竹本」にしてやってみたもの、という解説をされていたように思ったのだが、その「竹本」、義太夫になってないよね……? 活動弁士のみへのアサインで、その方々は義太夫はできないから、とりあえずナレーションにしてもらったってことなのかな……?
それともかかわるのかもしれないが、「児玉先生から声色と竹本の掛け合いはかなり難しいと言われた」という話があった。児玉氏がどのような意味でおっしゃったのかはわからないが、本当に、いろいろな意味で難しそうだと思う。人をアサインできても、言い方は悪いが、各出演者の技術レベルを「どうやって均等にするか」とか、本当に致命的にやばい問題が起こると思う。果たしてそこまで苦労してまでやる価値を創出できるのか、また出演者にも参加の価値を提供できるのか。それこそ大倉貢のような「義太夫が異様に大好きでプロの指導も受けている本職活動弁士」が出現しないと、かなり厳しいのではないか。と思った。

 

↓  当日流された弁士・演奏入り映像、これの部分抜粋だと思う

 

研究発表では「義太夫出語り」という言葉が使われていた。特に説明はなかったが、当時の映画館の宣伝文句をそのまま流用しているのだと思う。本来の人形浄瑠璃でいうところの「出語り」は、ある程度一人前の太夫三味線が、顔出しとして舞台上手の特設舞台「出語り床」で浄瑠璃を語ることを指す。それなりの人、それなりの場面を演じる状況を言う言葉だと思うが、当時の映画館でも、本来の人形浄瑠璃と同じ意味での「出語り」、つまり人気弁士や人気太夫が語るのが好評なのだという「出語り」だったのだろうか? それとも、いまの文楽の「出語り」と同じで、ピンキリあっても慣例でなんとなく客前でやってまーす(失礼)ってだけ……?

 

 

 

◾️

ほか、参考作品として上映された『朝顔日記』(Mパテー商会 1909)についても触れておく。

内容としては、『生写朝顔話』の「宿屋の段」を抜き出したもの。朝顔が阿曾次郎らの前で昔語りをする場面から、彼女が帰った後、阿曾次郎が歌を認めた扇子を宿屋の亭主・徳右衛門に託して出立するまで。以上は現存部分で、制作当時はもう一幕存在していたようだ。「大井川」があったとか?

演劇博物館所蔵の『朝顔日記』は、約10年ぶりに観た。このブログでもたびたび書いているが、私が文楽に興味を持ったきっかけは2つある。そのひとつが、2013年11月にフィルムセンター(当時)で行われた演劇博物館所蔵の旧劇映画フィルムの上映イベント「伝説の映画コレクション 早稲田大学演劇博物館所蔵フィルム特別上映会」である。『朝顔日記』のほかに『松王下屋敷*2、『心中天網島(紙屋)』などが上映された。そのときも児玉竜一氏が登壇されており、上映前に丁寧な解説があったため、内容を理解できた。思えばあれは良い機会だった。

時は流れ文楽を観るようになった今、あらためて『朝顔日記』を見ると、「深雪、眉毛、太すぎだろ」と思った(そこ?)。光秀より太い。尋常ではない芋さ。ものすごいもっさい子になっており、迫真の零落ぶり。ほんとにこれで良かったのか、観ていて不安になってきた。和生助けて。
また、徳右衛門が異様に若いとか、阿曾次郎が全然刀差せないとか(津賀寿氏も笑ってしまったそう)、いろいろ、面白かった。
しょうもないところは置いといて、朝顔の衣装が現在とほぼ同等なのは興味深い。たとえ「大歌舞伎」でなくてもアレなんだ、と思った。一方、琴を弾いていないのが気になった。琴自体は役者の前に置いてあるものの、琴の前で大きな身振りをつけて喋っているだけになっていた。弾いている場面のフィルムは欠落してしまったのか、それとも元からなかったのか。

 

 


◾️

義太夫伴奏を伴うサイレント映画については、かねてより関心を持っていたので、とても興味深いシンポジウムだった。

それにしても、この手の歌舞伎をはじめとする古典芸能と映画が複合した上映イベント、いったい、どういう人が観客・聴衆として来場されているのだろう。国立映画アーカイブではたびたび開催されているが、毎回、結構人が入っている。歌舞伎題材だと、ことさら人出が多い気がする。歌舞伎ファンの人が結構来てるなと感じられる。役者が映っているのが大きいのと、歌舞伎ファンに勉強熱心な方が多いということだと思う。今回は、基本的には早稲田の学内関係者が多いとは思うが、名画座で見かける方が来場されていたり、おそらく義太夫関連で来ているのだろうと思われる方もいらっしゃったり、という印象を受けた。これら総体のパイがある程度大きければ、もっと大きなイベントができたり、書籍が出版できるんだろうなと思うけど、どうなんだろう。と思った。

 

 

 

------------------------------

早稲田大学演劇博物館 演劇映像学連携研究拠点
「映画と義太夫――旧劇映画の声と音」
早稲田大学演劇映像学連携研究拠点・国立映画アーカイブ共催
https://enpaku.w.waseda.jp/ex/18715/

  • 報告
    サイレント時代の映画館と義太夫:九島資料を手掛かりに(柴田 康太郎)
    資料から見る”義太夫出語り”旧劇映画の魅力(冨田 美香)
  • 上映
    「旧劇 太功記十段目 尼ヶ崎の場」[弁士説明版]
    Mパテー商会/20分/白黒/1908
    出演=市川左喜次、中村歌扇、中村歌江
    弁士=大蔵貢
    国立映画アーカイブ所蔵

    朝顔日記」
    Mパテー商会/11分/白黒/1909
    出演=中村歌扇、中村歌江
    演劇博物館所蔵

*1:映像と自分の演奏を合体させる編集をするようなことは、文楽太夫三味線なら、絶対やらないなと思った。津賀寿氏くらいの年齢の方は特に。プライド以前に、チャレンジしようという意欲自体がないと思う(決めつけて悪いけど)。津賀寿氏は、携帯でやったから雑!頭切れたりしてる!というようなことをおっしゃっていたが、まず、やったこと自体がすごいよ……。と思った。

*2:『菅原伝授手習鑑』の増補作。「寺子屋」の直前にあたる内容で、松王丸が小太郎・千代に身替りの一件を説得するくだり。現在は文楽・歌舞伎とも廃曲。