TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 7・8月大阪夏休み特別公演『仮名手本忠臣蔵』五段目〜七段目 国立文楽劇場

忠臣蔵夏の部。今回の第二部は早々にチケットが完売。最後列に補助席も設置され、舞台も客席もにぎやかな公演になっていた。

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五段目 山崎街道出合いの段〜二つ玉の段、六段目 身売りの段〜早野勘平切腹の段。

今回の配役が発表されたとき、勘平が和生さんという配役に「え!?」と思った。和生さんがそんな役(と言ったらおかしいが)で出る必要があるのか? 他の配役も「それでいいの?」って感じだし、どうするつもりなのかと思った。収拾つかなくなるんじゃないかと思っていた。

しかし、実際に観てみると、和生さんの勘平は、往年の日本映画の美男俳優のような、美しく悲劇的な端正さをたたえていて、衝撃的だった。勘平って、いままで、ちょっと下卑た感じがする気がして、同情できなかった。本人なりには頑張っているんだろうけど、だらしなさゆえに身を滅ぼしたっていうイメージがどこかにあった。が、印象が変わった。普通の真面目な若者が、巡り合わせが悪くて運命の歯車に巻き込まれ、ついに押しつぶされて死んでしまう一部始終を見てしまった気がするというか……。おかるの母〈吉田簑二郎〉に責め苛まれるくだり、背筋をまっすぐに伸ばして肩を張り、首をぐっと落とすように顔をうつむけてその言葉を聞いているんだけど、そのとき、ほんの少しかしらを左に傾けて苦しそうにしていて、また、ちょっとずつ顔の伏せ方を変えているんですね。次第に苦悩が深まっていくさまの、そのわずかな表情が勘平の孤独な辛さと後悔を感じさせた。五段目、六段目の見方を教わった気がする。さすが和生さんだと思い直した。あと、芝居と全然関係ないが、今回の和生さんは血色がよかった。

斧定九郎は玉輝さん。瑞々しい美しさのある、端正な悪漢ぶり。でも斧定九郎はもっと若い人にやらせてあげればよかったのに。

おかるママの簑二郎さん、本当、田舎の普通のおばあちゃんという感じで、とてもよかった。なかなか出来ない普通感だと思う。勘平やおかる、与市兵衛は他人のことやその体面をずっと気にしているけど、ママは純粋に家族自体のことしか考えていない視野狭窄感(=本来は人間としてこれこそがまともであるはずの感性)が、ママらしくて、とても良い。浄瑠璃のもつ何重にも重なった不条理さを浮き立たせていて、得難いテイストだと思う。

原郷右衛門は玉也さん。いつもながら、渋い。微妙に首を動かすときの振り方も、単なる左右振りにしないとか、リズムを一定にしないとかで、ニュアンスがついていた。出番が短く、派手な見せ場がなくても、出るだけで舞台が引き締まる。ほかの人形の出演者は作為感が薄い分、いかにも辛苦を重ねた老武士らしい佇まいの作り込みが効いていた。

あと、いのししは普通に使い古されたいのししだった。あのいのししが新しくなるのはいつの日か。

 

 

 

七段目 祇園一力茶屋の段。

遊女おかる〈吉田簑助〉の出は夏休み公演最大の見所だった。私はこのために上手の席を取ったのだ。おかる、可愛い。可愛いよ。可愛い。かわいありがたさのあまり、泣けてきた。

おかるは茶屋の二階で酔い覚ましをしている設定だけど、二階といってもいかんせん芝居の舞台なので、大道具は中二階のような高さ。にもかかわらず、少し顔を上に向けて建物の外を見やっているおかるの姿は、ひんやりとした夜風の通る静かな二階の窓辺で、わずかにまたたく星を見ながら涼んでいるよう。おかるしかいない二階はしんと静か、階下の三味線の音が風に乗ってわずかに聴こえてくるような。舞台のほかの場所とは隔絶された空間のように見えた。由良助〈桐竹勘十郎〉が階下で演技しているあいだ、柱に身をまかせて、上気して火照ったからだを少しうざったそうにしているのが艶っぽく、愛らしい。酔いで潤んだ目はふちが赤くなり、くちびるが酒に濡れてつやつやとしているのではかしらと思わされる。手鏡を掲げて手紙を覗き見ているときの、体をうしろに大きくそらせた姿の艶やかさも印象的。簪をカタン(「チン」?)と落としてピョコンと飛び上がる様子は簑助さんらしい小動物感。小柄で華奢な体つき(のように見える遣い方)からくる小娘のような愛らしさと、女郎らしい浮世の垢がついた色っぽさの同居に味がある。

由良助に「船玉様が見える〜!」と言われたときの「ええええ?!?!?!なに!!?!??どこがめくれてる!?!?!?!?」と突然焦って着物の裾をおさえてばたばたする仕草はとても可愛かった。「スカートがへんなとこにひっかかってめくれてる女子がこっそり教えられて騒ぐ」感がかなりあった。なお、由良助は、絶対見えない距離から言っていた。酔っ払いの幻覚だった。簑助様の男品定めは厳しいのである。そんじょそこらの若造には絶対見せない。*1

しかし吉田簑助本日都合によりはしごを降りたら生娘になった。ここまで近接して交代する代役だと落差があまりに見えすぎる。事情や今後への考慮はよくわかるが、さすがにこの段は……。

おかるの太夫は津駒さん。簑助さんの、清楚なようで、妖艶なようで、少女のようで、大人の女の、クルクルと様子を変えていくおかると、この津駒さんの過剰とも思える濃厚な色気との取り合わせが面白い。津駒さんはあのむせ返るようなコテコテ感が良いんだけど、配役の取り合わせ的に由良助より覇気があり、恐ろしく声がデカい女かのようにになっていた。下手したら平右衛門より勢いがあるので、癪を起こしてグエグエ言っているとことか、かなりやばかった。津駒さんは溶けかけのソフトクリームくらい汗をかいておられたが、おかるが喋っていないときも汗を拭かず、そのまま静止しておられた。顔を拭くと、テンションが途切れるからだろうか。

 

わたくしとしては当然のことながら、平右衛門は玉志サンの回に行った。平右衛門には、奴という性質と人形の容姿からか、なんとなく、ねちっこくオヤジっぽいイメージを持っていたのだが……、この平右衛門は若いというか、年齢を感じさせないスッキリとした佇まいだった。カラリと明朗で、一本気で、めちゃくちゃ大元気で、陽気な優しいお兄ちゃんというイメージを受けた。例えて言うなら、鳥山明マンガの登場人物のような、湿気や影を感じさせないパーンと明るい雰囲気。おおぶりな人形そのもの以上の大きく伸びやかな動作とパキンとした爽やかなキレが、平右衛門のまっすぐで飾り気のない人柄を感じさせる。妙にピコピコとしてせわしないのも良い。というか玉志サンのせわしなさが役にマッチしている状態。寝入った由良助に布団をかけてあげるところ、自分より小柄な由良助を「そぉ〜っと、そぉ〜っと」一生懸命丁寧に扱っているのが可愛かった。猫がひざに座って寝始めたらそのまま動けなくなって永遠にトイレをがまんしてしまうタイプの人、になっていた。

最後のほうの、おかると向き合ってペアで演技するところがとくによかった。前半も結構大きな身振りをみせる遣い方だったが、ここは人形の体自体よりも数倍のスケールを感じるかなり大きな動きで、それまでの演技とメリハリをつけていた。平右衛門のテンションに、おかるが追いついてなかった。ご本人の演技にまったく迷いがない。やりきることに集中して、合わせにいかなかったんだなと思った。これからはそうであって欲しい。もっと美麗な役柄のほうがお似合いになる方かと思っていたけど、こういう荒物的な役も(が?)実は芸風に合ってるということなのか、以前からやりたくて、来たらどうするということをずっと考えておられた役なのか。ある意味、第二部最大のベストアクトだった。

 

今回の由良助は勘十郎さんだった。ものすごい真面目に考え込んで、ものすごい真面目に芝居してる感じになっていた。真面目が狂った方向にいく真面目感が勘十郎さんの良いところだと思うんだけど、由良助は狂人じゃないから……。あの変なキモい紫の着物、勘十郎さんだと頑張って着てる感じ(玉男さんはキモ紫の着付で頼む)。勘十郎さんなら、ふざけていてもはじめから黒の着付けが似合いそうだ。そのほうが、あの、本来そんなんじゃない人が考え込みすぎたあまり真面目にふざけている感じに合う気がする。すごい真面目な格好なのに、居眠りしはじめて茶屋の派手なふとんかけられちゃったり、おかるの簪を拾って自分が挿しちゃったりしたら、おもしろい。勘十郎さんって演出は玉男さん以上に地味に決めていくほうが逆に芸風自体の派手さが映えそうな気がする。あそこまでわざとらしくしなくても客に伝わるし、舞台映えもして間も持つと思う。へんな言い方だが、勘十郎さんはご自分でご自分に対して思っているよりうまいのではないかと思うのだが……。勿体無く感じる。

最後のところは、さすがに演技過剰に感じた。今回は九段目がついていないから、ここだけで完結できるよう由良助の本心をわかりやすくしようとしているとも取れるが……。勘十郎さんは由良助の個人としての感情、悔しさ自体を強調されていたように感じたが、ここで由良助が語るのは「個人」の感情なのだろうか。彼はここでもなお「家老」なのではないか。由良助に「個人」はあるのか? 『仮名手本忠臣蔵』にとって「個人」とはなにか? 浄瑠璃の根幹にかかわる、重要な問題であると思う。このへんどういう解釈で演じられたのだろう。

あと、七段目の由良助、立ち姿(酔ってふらつくフリ)が難しいのかな。ふらつきかたがやりすぎというか、「?」な感じだった。酔っ払いの演技はお酒が好きな人より飲まない人のほうが上手いと言われているが、そういうこと?

 

ほかによかったのは、竹森喜多八(由良助を訪ねてくる侍三人組のうち真ん中にいるヤツ)役の玉彦さん。一瞬しか出てこない、おそろしく無口な役だけど、じっと真正面に構えた赤ら顔のかしらとピンとした背筋が無骨で生真面目な佇まいで、よかった。少し首を襟に埋め気味なのも猪武者感があって良い。

鷺坂伴内の太夫の希さんは最高ウザかった。だまれボケ〜!ケツから口まで竹串突き刺して焼き鳥にすんぞ〜!って感じのウザさだった。太鼓持ち、腰巾着の鑑だった。人形の文司さんは言わずもがな。「これは自分とそっくりな人形を使って演技させるという大変特殊な伝統芸能なのかな?」状態で最高だった。あの「本人役で出演」感、やばい。

あと、斧九太夫〈桐竹勘壽〉はめがねをかけていなかった。人形めがね萌えとしては、めがねをかけてほしかった。斧九太夫はやや肩をすくめて頭を突き出したような姿勢で入ってくるところからして性悪感が出ており、味があった。人形は出が勝負ということがよくわかった。

 

 

 

観る前は「この配役、大丈夫なんか」と思っていたが、端正にまとまっていた。ただ、4月もそうなんだけど、さらさら流れていく印象だった。五・六段目も、七段目も、均等にまとまっている印象で、わーっという盛り上がりがない。第三部の人を一部こっちに引っ張ってきて、七段目をもうちょい濃い味付けにして欲しかった。11月はどうなるのだろう。

個人的には、七段目の由良助を玉男さんにしないのなら、もう話題性重視で由良助を三交代にして、4月勘十郎さん、7・8月玉男さん、11月和生さんで、3人リレーにすればよかったのにと思った(なげやり)。

 

それにしても、おかるファミリーって、パパ以外、思った瞬間行動しちゃうタイプだな。家族ですきやきとかやったら、肉の取り合い、しらたきの味のしみこみやねぎの煮崩れ待ちをするかどうか、焼き豆腐買い忘れた等でボロ家が崩れるほどの大騒ぎが起こりそう。勘平もよくあの家に婿入りしたな。山崎街道で千崎弥五郎に出会わなかったとしても、そのうち、なにはなくとも切腹に追い込まれそう。

 

 

 

 

展示室のツメちゃんに、夏祭浪花鑑にいそうな人(殺人事件が起こっていてもおみこしに夢中な人)が参入していた。

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大阪グルメ。はり重カレーショップのビーフワン。味付けが薄口で、肉が柔らかくて良かった。

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*1:でも、さきおととしの東京での通しでは、癪を起こして平右衛門(そのときは勘十郎さん)に水を飲まされるところ、口移しでやってた気がするな。あれは勘十郎さんがやりたかったのかな。今回は柴垣の出から代役で一輔さんに交代だったので比較できないが、玉志さん平右衛門からは普通にひしゃくで飲まされていた。それ以前にあのおふたり、全然兄妹に見えないド他人ぶりで、ある意味おもしろかった(失礼)。