35周年記念だからか、文楽劇場自体もほんのり新調されていた。劇場内の絨毯の床張りがきれいになっていて、舞台のいちばん客席側の仕切(│×│×│×│模様になっている、すごく低い白木のついたて)がまっしろの新品になり、鳴り物や陰弾きの御簾も青々としたものになっていた。もしかして床の屏風のふちも塗り直したのかな。微妙なリフォームぶりが微笑ましかった。ついては国立劇場もだいぶ与次郎ハウス化してきているので、少しリフォームして欲しい。
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松永大膳〈吉田玉志〉が籠城する金閣寺が物語の舞台、舞台装置もデラックス。文楽には珍しくギラギラした美術だった。仏壇まわりのアイテムみたいな柄の着物の人がぎっしり出てきて目がちかちかした。それにしても雪姫〈豊松清十郎〉の「極楽責め」、単に一間に正座させられてる人みたいになってましたけど……、芸者はどこにいるのでしょうか。周囲をウロウロしている水色の着物のツメ人形は単なる腰元ですよね。芸者は文楽特有の怪現象、見えるはずのものが見えない air geisha でしょうか。歌舞伎だとちゃんと芸者がいるんですかね。最近どうもこういう人数に対する猜疑心が……。
松永大膳は「こういうキャバ嬢、いるよね?????」みたいな髪型だった。たんなる黒髪ひっつめではないわりと最近風の髪型だった。ハーフアップでも髪をブロック分けしてやや束状に取って立体感をもたせたり、頭頂〜後頭部の髪を少し引き出して頭の形をよく見せてる人、いるじゃないですか。ああいう感じ。松永大膳、毎朝の髪の毛のセット、私より時間かかってると思う。こういうかなりケバい出で立ちながら、玉志さんの芸風がケバくないため、うまいこと「黄金貼りがすこしくすんできた茶室」みたいな地点に落ちていた。ぎとぎとしない、でも油気はあるしっとりした品をたたえた鷹揚さで、個人的にはとても良いと思った。それはそうと玉志さん、昼の部と袴が同じだと思うんだけど、変えないのかな。格が高い人はもちろん、若い人でも一部二部出る場合、変えている人がいるのに……(あれで実は違ってたら逆に怖いけど)。せっかく派手な役なのにと思ったけど、でも玉志さんはあの飾り気のないブルーグレーの袴がいちばんよくお似合いで人形も美しく見えるので、良いです。
松永大膳と久吉〈吉田玉助〉はぽちぽちと碁を打つが、本当に碁石を置いている。はじめに行われる松永大膳と松永鬼藤太〈桐竹紋吉〉の勝負では石は置いていなかった。久吉との勝負で本当に石を置くのは、大膳が最後にちゃぶ台返しするからだろうか。「だ、達磨ハン!!!!!!!!!!」と思った。(人形遣いの)二人は置き方の手つきが違うので、よく見ていると面白い。玉志さんは人差し指と中指で挟む、上品な持ち方をしていた。テレビの囲碁中継で棋士がしているようなやつ。このさいはっきり言いますが私は玉志さんの松永大膳役見たさに最前列を取りましたので人形自体と関係ない細かいところまで見ているのですどうでしょうきもいでしょう。しかしあの碁石たち、決まったところにちゃんと置いてるのかな。最前列だと舞台上段にある物はあおり気味になるため盤面まで見えず、どう置いているかまではわからなかったが……、2回観たうち、1回目に見たときは久吉が途中で石を取っていたけど(アゲハマ)、2回目には取っていなかったように見えた。変な位置に置くと囲碁がわかる客に見破られると思うが、どうしているのだろうか。
松永大膳が倶利伽羅丸を滝に掲げて龍を出現させるくだり。滝に映ったというか、滝の前にかかげられた金色の龍のぬいぐるみがちっちゃ可愛かった。もっとすごいのが出てくるかと思ったけど、ウミヘビというかリュウグウノツカイというか、田舎の水路にはああいうアオダイショウがぐんぐん泳いでるよね。と思った。あれで妙心寺の天井画のような雲龍図(筆・狩野探幽だそうです)を描けるかはかなり怪しく思うが、むくむくしていてとても良い龍だった。
それにしても文楽劇場は刀剣乱舞とコラボすればいいのに。私が文楽劇場に一番コラボして欲しいのは山口貴由だが(やらないほうがおかしい)、現実的にいちばんうまくいくのは刀剣乱舞なんじゃないかと思うんだよね。コラボとまではいかなくても、「『祇園祭礼信仰記』には名刀倶利伽羅丸が出てきます⭐️」とかの一言を添えて、松永大膳が刀を抜いてるところの人形の写真をツイッターに投稿すればいいのに……。歴史系コンテンツが好きな人は周辺知識も学ぼうとする勉強熱心も人が多いので、文楽に興味を持ってくれる可能性も高いと思うが……。でも玉志さんが変なことやらされるのは絶対にイヤ(わがまま)。
爪先鼠の段。
清十郎、平成最後のひどい目。ちらちらと桜の花びらが舞い散る中、桜の木に縛られている雪姫。思っていたのと若干違う縛られ方だった。てっきり桜の木に磔状に縛り付けられると思っていたのだが、コンビニの前につながれてるいぬみたいな感じだった。桜の木に紐を巻きつけて、そこから数メートル紐をのばして、その先につながれていた。だから、腕の自由はきかないけど、場所は動き回れる状態になっていた。あの紐の余裕は、松永大膳の心の余裕なのか。雪姫は飛び跳ねるような大きな振りで桜の花びらをかき集め、ねずみの絵を描く。前列だったので手すりで隠れてしまい、足元の仕草はよくわからなかったが、あれはちゃんと絵を描いているらしくて、最後に雪姫が倒れるのは、ねずみに目を描くことによって魂を入れた=魂を乗り移らせたかららしい。普段はひたすら力なく、死にかけてヨロヨロしているイメージの清十郎さんだが、一途さ、懸命さがありありと滲むたいへん情熱的な雪姫で、良かった。しかし、雪姫が描いたねずみ、浄瑠璃では桜の花びら色ということになっているが、なんかこう……、一度お洗濯したほうがよいのではという塩梅のねずみさんだった。ほこりみたいな色してた。あれが体の上を馳け廻るのはつらい。清十郎がかわいそう。
今回はセリを使う大掛かりな演出が含まれていた。特に金閣寺の二階(潮音堂)での久吉と川島忠次・石原新吾・乾丹蔵との戦いの場面は平成27年5月の東京公演に続く復活らしいが……、地上ではちゃんと三人遣いの人形だった三羽烏、二階に来たら一人遣いの人形にされていた。そりゃあの狭いスペースに三人遣いの人形4番出せないのはわかるけど、この三人に配役されてた人らがかわいそすぎませんか。でも頭が梨割になったり、首がぴょい〜〜〜〜んと飛んだりのサービスがあったので、われら観客はとても喜んだ。ただこの一連の場面、舞台装置の派手さに対して間が持っていないと感じた。
最後、雪姫が倶利伽羅丸を手に舟岡へ走っていくところ、ちょっと止まって刀を抜いて自分の姿を映し、髪を直す仕草があるが、あれは文雀師匠よりはじまる歌舞伎からの移入らしい。上演資料集の文雀師匠の談話に書いてあった。その話は、こういうものだった。金閣寺の段は文楽では明治以降、ほとんど上演されることがなく、文五郎師匠もやったことがなかった(maybe 経済的・技術的問題)。1948年(昭和23年)、文雀師匠は六代目歌右衛門襲名で舞台にかけられた本曲を地方公演先から戻ってまで観に行った。感動した文雀師匠が文五郎師匠に歌舞伎のやりかたを説明したら、文五郎師匠は文楽でのやりかた(初代紋十郎のやりかたを明治期に見て覚えていた)を詳しく説明してくれた。刀を抜いて身繕いするくだりについては、「文楽ではそういう型はないが、お前が雪姫をやらせてもらうことがあったら、それをやってみい」と言った。そして時は流れ、1982年(昭和57年)の国立劇場公演で文雀師匠が雪姫を遣うことになり、この型を舞台にかけたのだそうだ。清十郎さんもこれを踏襲しているわけだが、でも、清十郎って違う意味で身だしなみ気にしなさそうな姫さんじゃない? 恋している男自体にしか興味がなさそう。身繕いしなくても完璧な美人そう。北川景子的な。逆に勘十郎さんは身繕いしそう。なぜならマジで目が座っているから。
あと、雪姫の衣装の金糸の刺繍がとてもくっきりとして綺麗で、髪飾りのシャラシャラもまばゆく輝いており、新品なのかな?と思って久しぶりに清十郎のブログを見たら、自分のことを全然更新しておらず、若手会の話をしていた。そして鳥取砂丘や梨ソフトの画像が表示されないんですけど。大阪公演もういっかい行けるなら、千穐楽終わってからでいいからなんとかしてって清十郎に言っといてってアンケート用紙に書くとこなんだけど(アンケートの設置目的を履き違えている人)。もしくは文楽劇場、プレボを設置してくれ。
↓ 『祇園祭礼信仰記』あらすじはこちらから
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近頃河原の達引、四条河原の段。
横淵官左衛門役の玉勢さんが良い。まっすぐに傘をかまえて胸を張り、すっくと背を伸ばして、斧定九郎くらいの勢いで入ってきた。人形そのものよりも、だいぶ大柄な表現。拍手されていた。拍手されるような役ではないと思うけど、拍手したい気持ちはわかるわ。この段、何回かいろんな配役で観ているけど、ここまで派手に出てくる官左衛門がどんな人物なのかは、いまだ謎。小物としか思えないが、これだけの演技に相当する大物ぶりを見せてくれる段があるのだろうか……。
ヤスさんはよかった。時代ものだと出だしが……と思うことが多いけど、今回はいつもより少し力を抜いた印象で、気落ちしている伝兵衛〈吉田勘彌〉を励ます久八〈吉田清五郎〉の優しげで気さくな喋り方が特に良かった。落ち込んでるとき、ああいう暖かい口調で励ましてもらったら、嬉しいよね。ヤスさんには時々錦糸さんを切れさすようなことをやってもらいたい(?)。
堀川猿回しの段。
与次郎ハウスはかなり迫力のあるボロ屋だった。しかしよく見るとねこドアのようにおさるドアが設置されており(賃貸のくせに!)おさるルームがあった。与次郎〈吉田玉也〉はよく飯を食っていた。玉也さんの与次郎は特に好き嫌いがないようだった。これまでの与次郎研究によると、勘十郎さんはあまり食べない(翌朝分?を残して弁当の残りだけ食べる)、玉男さんはかなりよく食う(家にあるものはとにかくすべて食う)が梅干しは嫌い、玉也さんは特に好き嫌い等なく適切に食べる(食事が最後になったお父さんが残り物をさらえる感じ)、ようだ。お母さん〈桐竹勘壽〉の世話や今日の収入の計算などは手慣れた感じにやっていた。臆病かどうかはわからなかった。伝兵衛には棕櫚箒で手紙を差し出していたが。
勘壽さんの貧乏に疲れたばあさんオーラはすごかった。しかし下劣に傾かず、しかし社会の下層の生活をしてきた人だなと思わせるギリギリラインだった。あの絶妙な「生活に疲れた」感はうまい。それと、三味線弾くのがうまかった(勘壽さんの芸歴何年やと思てんねん)。三味線を弾く役、若い人だとバチの角度がおかしいことがよくあるが、勘壽さんはちゃんとバチの上の角が弦に当たるよう、胴に手首をひっかける持ち方で演奏していた。細かいところだけどうまい。人に稽古つけてるだけある年輪を感じる。でもこれをやるとバチの角と弦の距離が怪しくなってくるよね。良し悪しあるけど、手首の角度優先のほうが見え方が自然になると思う。正月の壷坂の沢市役の玉也さんもそうしてたと思う。若い子は弦に当てなきゃ!と思いすぎて、全体の姿勢まで気がいかないんだと思う。母は盲目なので、ずっと周囲の人の声や様子に気を払っているのが常に首を傾けている姿勢にあらわされていた。
おしゅんは簑二郎さんで、可憐で一心な雰囲気でよかった。お里がアレで、おしゅんがコレなのは、どういうことなんだろう。ミノジロウのセンスはよくわからない。今後研究が必要だ。
しかしこの話、四条河原の段と堀川猿回しの段しか出ないので、伝兵衛がまともなのかクズなのかよくわからん。単純にこの二つの段だけ見ると、やけになって人を殺すような軽薄な男のところに可愛い妹はやれんっっっっっ!!!!!!と与次郎には厳しく出て欲しい。
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ある意味、文楽としての密度は第一部より第二部のほうが高いかもしれない。おなかにたまるような満足感があった。特に床はかなり満足。
しかし企画としてはさらっとしているというか、ちょっと散漫。『祇園祭礼信仰記』の出せる段ぜんぶ出して半通しにするか、せめて先に『近頃河原の達引』をやったほうがいいような……。かなり枯淡というか、素朴な印象だった。
今回は、一部、二部と舞台をじーっと見ていて、思うことがいろいろとあった。文楽の場合、何の違和感もなく観られる・聴けているときが一番よくて、それは技芸の裏打ちがあるからなんだなと感じた。文楽だと、宙乗りとか花道とかの派手な舞台装置を使うには、相当の力量が必要されると思った。今回特にそれを強く感じた。完全世襲制の業界なら「仕方ないね」で終わりなのかもしれないけど、文楽の世界はそれが露骨に晒しもんになるから、怖いと思う。
そういえば、1月からだと思うが、パンフレットの技芸員一覧で一部の人の写真が新撮になっている。なにをきっかけに差し替えるのかよくわからないが、撮り直してもあんま変わってない人が若干怖い。あと私は技芸員さんの毛髪に大変強い関心を持っているので、髪の毛のビフォーアフターを観察した。あのポートレート一覧からは人体の神秘を感じる。
- 『祇園祭礼信仰記(ぎおんさいれいしんこうき)』金閣寺の段、爪先鼠の段
- 『近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)』四条河原の段、堀川猿廻しの段
- https://www.ntj.jac.go.jp/schedule/bunraku/2019/4124.html
- 配役:https://www.ntj.jac.go.jp/assets/files/02_koen/bunraku/2019/3104haiyaku0121.pdf