TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 4月大阪公演『仮名手本忠臣蔵』大序〜四段目 国立文楽劇場

文楽劇場開場35周年記念ということで、1年をかけて『仮名手本忠臣蔵』をフル上演する企画。

おととし12月に東京で行われた通し上演と違うのは、4月公演で二段目「桃井館力弥使者の段」、11月公演で十一段目「光明寺焼香の段」を出すこと、11月公演の十段目「天川屋の段」は明治時代の朱をもとにした復曲で上演すること。個人的にはおととし出なかった「桃井館力弥使者の段」、「光明寺焼香の段」の上演が嬉しい。あとはいのししが新調されるかどうか。いのしし、いま、展示室に「これからぼたん鍋になるで〜^^」とばかりに横たわっていらっしゃいますけど、ずいぶん薄汚くなってるのねと思ったので……。

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大序 鶴岡兜改めの段〜恋歌の段。

幕が開いた時点で人形が正面を向いてたくさん並んだ状態になっているところ、高師直〈人形役割=桐竹勘十郎〉だけ顎を引いて若干俯いているのが暗示的。ここは黒衣なのだが、やっぱり勘十郎さんて結構動きに特徴があるから、黒衣でもわかるよね(配役を確認せずに来た人)。体の重心の位置の上下が大振りというか……。女方だとそういう動作の人多いけど、立役系の人はあまりやらないと思うので。いや、二枚目の配役がくる立役の人はもっと力強い動作で体の位置を大きく動かす動作をやるか。黒衣だと人形遣い個々の特徴が素人目にもわかりやすくなる気がする。

 

  

二段目 桃井館力弥使者の段

桃井若狭之助の館を、力弥〈吉田玉翔〉が父・塩谷判官から若狭之助への使者として訪問する。本蔵〈吉田玉輝〉から対応を任された戸無瀬〈吉田簑一郎〉は、娘・小浪〈桐竹紋臣〉の力弥への恋心を察し、仮病を使って小浪へ対応を任せる。訪れた力弥は彼女にそっけない素振りだが……という話。

そこまで重厚な意味のある話ではなかったが、道行の小浪・戸無瀬の必死さや、九段目の最後で力弥と小浪を二人にしてあげようよというのがよくわかった。配役は中堅を大幅に起用する思い切ったもの。しかしこの配役で今年ずっとこのまま行けるわけじゃないんだろうな。できれば、とは思うけど……。

小浪は結構細面のかしらを使っているのか、古風な時代劇のお姫様女優風だった。映画会社は東映だな。映画では古風でも古典芸能からするとモダンな佇まい、文楽で見るとけっこう斬新な感じ。衣装や髪飾りも普通のお姫様やあるいは町娘とは違ってその中間というか、ピンクと水色の鞠型のかんざしとか、頭の後ろに挿しているふさふさが可愛かった。徒歩で江戸から京都まで行った上に、ひとんちの門前で首を落とされようとするってガッツありすぎてかなりやばい女かに思える小浪だが、力弥のこととなると慌てはじめる、ちょちょちょっとした動きが普通のお嬢様風で、良かった。

力弥は生真面目さとみずみずしい雰囲気が同居した少年らしい佇まい。ここはまだ少しお坊ちゃんらしくぼーっとしているけど、事件が起こったあとになると、花籠の段の冒頭、幕があいたら立っている、あの立ち姿の凛々しさは良かった。玉翔さんは人形をぐっと体に引きつけて立っていて、もう少し離しているとやわらいだというかこなれた雰囲気になるところ、あの姿勢から力弥と玉翔さんの内心の緊張感が感じられた。

 

  

二段目 本蔵松切の段

松がすごく青々としていた。説明がないので、『増補忠臣蔵』を観ないと松を切る意味がわからん。いや、観てもわからん。

床(三輪さん×清友さん)は昭和の少女漫画風に渋くて良かった。なんかよくわからんけど本蔵がキラキラじじいになっているのが良い。

 

 

三段目 下馬先進物の段

お昼休憩挟んで、ここから人形出遣い。

文司サン、鷺坂伴内に似すぎでは? 素で「文司サンに似せた特製のかしらを誂えたのかな🤔🤔????」と思ったよ。客席全員そう思ったと思う。いや文司サンも伴内も元からそういう顔なのは知ってるんですけど、いくらなんでも完全に一致すぎでは。でもここまで似てるからには、やっぱり特製の新調のかしらなのかもしれない(5時起きで意識が朦朧としてきている人)。とにかく、この世が文楽なら、鷺坂伴内、偽首にされる運命だなというくらい似ていた。時々起こるこの手のミラクル、今回でいうと『祇園祭礼信仰記』の松永鬼藤太役の紋吉さんも相当人形に似ていた。

あとは本蔵役の玉輝さんの思いつめすぎない感、やりすぎない感が良い方向に出ていた。この時点ではまだ重大事件起こってないからね……。

床は小住さんが頑張っておられた。これみよがしな感じでなく、さくっと聴かせるというか、さりげなくやっておられたところが、良かった。

 

 

三段目 腰元おかる文使いの段

伴内や勘平が後ろでこしょこしょやっているという内容自体は面白かったが……。おかる〈吉田一輔〉があまりに何も考えてなさそうすぎに見える。真面目に使者をやっているのか、それとも勘平〈吉田玉佳〉のことを考えて気もそぞろなのか……、もう少し明確にした方がいいと思うが、どうか。おかるが浄瑠璃の設定上何も考えていないことと、舞台で人形が何も考えてないように見えるのは違うと思う。いろんなことが複合した結果、こうなっているのだと思う。

 

 

三段目 殿中刃傷の段

高師直の陰湿で上品ないたぶりが見どころだが、扇子でのあしらいは今回見たものが一番良かったように思う。やりすぎ感がセーブされていた。しかし和生さんの塩谷判官はどう見ても短慮には見えないのであった。茶坊主〈吉田玉路〉が活躍していた。

 

 

三段目 裏門の段

勘平の、人形そのものより、ふたまわりほど大きく弧を描くような動作が良かった。伴内が「そうそう💓」と喋っていた。

睦さんが頑張っておられた。いきなりテンション上げて語りはじめないといけないところに配役されているが、冒頭から緊張感MAXの高めトーンで雰囲気があった。

 

  

四段目 花籠の段

ここから顔世御前の配役が簑助さんに交代。これが奥さんでは大事故を巻き起すわなという感じだった。体の位置(異様な倒し方)とかがかなり特徴的だけど、顔世御前役でここまでクセが強い演技ができるのは簑助さんだけだなと思う。普通の人がここまでやったら批判されるけど、簑助さんは普通ではないので……。

この段が出ると、塩谷判官が生まれつき短気ということがよくわかる。「殿 is 短慮」みたいなことを本人がいないところで言っているのがリアル。それでもみんな塩谷判官が好きで(なんか素直そうだし)、いままではなんとかフォローしてやってきたんだろうね。由良助が江戸家老だったらここまでの大事件に発展しなかっただろうと思う。由良助がいたらまず顔世御前から高師直への返事の文をブロックしていただろう。

 

 

四段目 塩谷判官切腹の段

おととしの東京公演と同じく、「通さん場」を設定していた。東京だとわざわざ言うほどのことではないと思ったが、大阪は確かに上演中に入場する人が多い気がするので、設定の意味があるかも。家中の者でさえ出入りを禁じられているあの空間に入ってきていいのはただひとり、由良助だけ。そんな大名の切腹に同席できる観客は一体何者なのだろう。

塩谷判官は、由良助〈吉田玉男〉が来る前と来た後とで、表情がまったく違うようだった。由良助が来ないうちは、間に合わないだろうとわかっていても、とても悔しそうな、無念そうな表情。心の迷いと切腹の痛み以上の辛さがうかんでいる。ここまでは、彼はあくまでひとりの人間だったのだと思う。しかし、由良助が来てそばへ寄り、思いを伝えたあとは覚悟の決まった意思の強い表情になり、それこそ大名らしい堂々とした最期を遂げる。本当に表情が違うわけではなく、傾け方等のニュアンスなのだと思うけど、雰囲気が伝わってきた。ほかのお客さんも、「やっぱり前のほうの席だと人形の表情がよく見えるわ」と満足そうに語っておられた。この段は何回観ても良いと思った。

由良助が考えていることは、塩谷判官が考えていることと、本当は少し違うんじゃないかと思う。最終的にやろうとすることは同じでも、そこまでの過程が。あの間にたどりついたとき、由良助が本当はなにを思っていたのか。由良助はあまり喋らないので、わからない。塩谷判官は感情と行動を分けられず、由良助は感情と行動を分け通すがゆえに、こういう話になっているのだと思う。

あと私はちゃんと前期に行ったので玉志サンの石堂右馬之丞役を見られてよかったです。ずっとぴんとしててよかったんですけど、上手の下側に降りて切腹を見届けるところ、たぶんぐっと見てるという表現なんだろうけど、首が襟に埋まりすぎで勿体無い。2回見て2回そうしていたので確信的にやっているんだと思うが、個人的にはもう少ししゅっと座って欲しかった。(擬音語多すぎ)

ところでこの段、歌舞伎で上演されるときの配役表を見ると、大鷲文吾とか赤垣源蔵とか義士の名前が載ってることがあるんだけど……、文楽でいうと、あの、ちょっと上等なツメ人形になってる人たちのこと……????? 配役表には「諸士 大ぜい」とだけ書かれているあのツメ人形たちにも実は名前があるのかもしれない。

 

 

四段目 城明け渡しの段

さすがの玉男さんだった。

 

 

 

4時間半かけてのプロローグという感じだった。全体的に端整で慎ましい印象。

それにしても今回の第一部、かなり客が入っていた。2回観た両方ほぼ満席で、補助席を出していた。休憩時間の男子お手洗いの列が長蛇になっているところを見ると、男性客が増加しているのだろうか。お昼休憩にロビーでお弁当を食べていたら、うしろに座っていた初めて文楽を観に来たらしい中年男性二人組が「あの人たち、無事討ち入りできるのかな……💓」とお人形さんたちを心配されていた。11月までぜひ通っていただきたいと思った。文楽には討ち入りの場面はないけど、わたしたちの観ていないところで、しますので……。

年間三分割については、この入り方を見ると上演方向を探る意味があったんだろうなと思う。そりゃ1日でやるのが一番いいと思うけど、本当に通し狂言にしたとしても本当に丸1日通しで見にくる客はそんなにいないんじゃないか。1日でやろうがやらなかろうが、大半の客からすると実は関係ないだろうなと思う。1部2部を別日に観るとすると、1ヶ月に2回観に行くことになる。初見のお客さんや文楽に思い入れのないお客さんはなかなかそこまでできない。年間通して3回行けばOKなら、気軽に見始められる。私は、まる1日の通し狂言は、「たまに」のスペシャルイベント扱いでいいと思う。今回のやりかたで潜在層を発掘して、今後丸1日の通し狂言ができるよう、文楽劇場には頑張ってもらいたいと思う。だから第二部の見取りはやめて欲しい。もとからいない客は見取りにしたからって来るわけないんで(暴言)。

 

そういえば、昨年末、玉男様とめぐる忠臣蔵の史跡バスツアーに行った。泉岳寺吉良上野介邸跡に行くというツアーだったんだけど、参加者が自由にうろうろする中、玉男様は添乗員のように同行していて、町内会の慰安旅行状態でとても味わいがあった。今回、泉岳寺内の有料の記念館2箇所も見てみたんだけど、木像が置いてあるほうのとこが良かったですね、薄暗くて寒くて狭くて。どうもいかがわしいものは撤去しちゃったみたいだが、絶対嘘だろっていう謎の遺物を山盛り置いといて欲しかった。(「忠兵衛手植えの蘇鉄」とかそういうのがとても好き)

そのときの忠臣蔵についての玉男様コメント

  • 高師直は2回くらいやったことがある
  • 力弥は当たったことがない
  • 塩谷判官は2017年6月大阪鑑賞教室公演が初役
  • 若い頃、平右衛門役を由良助役の前にできたことが勉強になった

吉良上野介 with 玉男様*1

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おまけ

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いまからおよそ60年前にとられた、「『仮名手本忠臣蔵』(歌舞伎)を見るのは何回めか?」というアンケートの結果。1958年(昭和33年)の『演劇界』5月号に掲載されたもので、同年3月、新橋演舞場での『仮名手本忠臣蔵』通し上演(大序・三・四・道行・五・六・七・十一段目)でとられたもの。塩谷判官=歌右衛門、由良之助=八代目幸四郎という公演だったらしい。若い回答者がずいぶん多いなと思うけど、調査したのが日本女子大歌舞伎同好会ということで、若めの人からの回収率がよかったのかな……?

ちなみに好きな場ランキングは、1位・祇園一力の場、2位・塩谷館判官切腹の場、3位・殿中刃傷の場、4位・勘平腹切の場、5位・道行旅路の花聟、6位・高家討入りだったとのこと。文楽で取ったらどうなるかしらん。

このアンケートで、『忠臣蔵』が親しまれている理由として、80%の人が「日本人の主君に対する忠義の誇り」と回答したと書かれている。忠臣蔵についての自由回答らしき部分でも、否定にせよ肯定にせよ「忠義とは〜」「忠義の美が〜」というような回答が多いようだった。歌舞伎では九段目をあまりやらないと聞いたことがあるが、文楽とは解釈や観客の受け取り方が違うのかなと感じた。

 

 

 

 

*1:親孝行✌️でお義父さん👴を旅行に連れていきました✨お義父さんもとっても🙌喜んでくれました☺️みたいな写真になっていますが、実際には周囲に玉男様ガチ恋勢のみなさんがわっさりいます。あと早大児玉竜一センセイもレクチャー講師として同行されていました。