TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 5月東京公演『義経千本桜』伏見稲荷の段、道行初音旅、河連法眼館の段 国立劇場小劇場

文楽は原文の文章にもとづいて表現しなければいけないとか、「情」が大切であるとか言われる。それ自体はその通りだと思うが、定義に恣意的な部分が大きく、実際には、個々のやり方や考え方の一つ、とも思える。過去の芸談にそういう言が多いから、なんとなくみんなそうだと思っている。あるいはそういうことにしているのではないかと思う。観客だけでなく、演者も。ただ、原文に基づいた表現や情緒表現の追求を目指さないのであれば、それに代わる強力な何かが必要で、かつ、それは、非常に高度なものを求められるだろう。出演者みずからが、それを語る精緻な言葉がいると思う。

そして観客側にも、それを語りうる言葉を持つことが必要になると考えている。



 

第一部、義経千本桜、伏見稲荷の段。

大阪公演からは、人形の脇役キャストを一部配役変更して上演。変更ぶりが微妙すぎで、謎だけど。

なぜにこの配役?配役ナンバーワン、逸見の藤太〈桐竹紋臣〉は、登場時、両手を広げて決まるとき、ちょっと小首をかしげてぶりっこするのが可愛い。自分のことを浜辺美波と同じくらい可愛いと思っていそう。確かに、ハコフグ界の浜辺美波だと思う。横から見ると完全にハコフグ。このかしらを作った人はハコフグが好きだったのだろうか*1。きつねが出現したときには、「おれは、石…」ポーズをして、全身でもっとハコフグっぽくなるのが良かった。
なお、出は東京が可愛いが、くたばりは大阪公演〈吉田勘市〉のほうが可愛い。おくちをパクパクさせながら溺れるように倒れていた。
逸見の藤太が連れているおツメ雑兵ズが持っている松明に、電気がついているのが良かった。

義経も玉助さんになると、大阪配役の勘彌さんよりもだいぶ硬いイメージ。しかしこうして見ていると、タマカ・ヨシツネ(『一谷嫰軍記』)は、武将らしさと気品、優美さのバランスが秀逸で、ウメーなと思った。

大阪公演も東京公演も、前期日程にチケットを取ったため、亀井六郎&駿河次郎は東西ともに紋吉さん&玉誉さんで拝見した。お二人とも、まじめそうな家臣で、良かった。かなり、まじめそう。とくに玉誉さん。義経の前を通り過ぎる時の礼が、とても端正で、礼儀正しかった。

静御前〈吉田簑二郎〉は、大幅に生硬さが抜け、「相当おとなしい性格の人」のラインに落ち着いていて、良かった。

 
 
 
 
 
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道行初音旅。

見た感じ、静御前の所作が後半にいくほど速すぎたり、硬くなっていくところは、おそらく、忠信〈桐竹勘十郎〉に無意識に引きずられているのではないかと思った。勘十郎さんは動きが特殊なので、それに合わせるというのは不可能だと思う。ミノジロオ、虚空を見てやってくれっ。

大阪公演の感想にも書いたが、やはり、道行の狐忠信は絶品。ただ音に浮かされて、無心に踊っているのがいい。過剰でありながら無垢で、澄み切っている。
派手な役だから派手に見えるのではない。おそらくこのあと数十年は、ここまでの忠信を遣える人は出ないと思う。

 

床は、みんな好きなようにやってるのが良いな。「綺麗に揃えてやってます」という演奏もいいけれど、自由にやっている雰囲気が、道行の浮き立つ気分や、吉野の奔放なのどかさを感じる。

 
 
 
 
 
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河連法眼館の段。

東京公演は咲さんが全日程休演のため、織太夫さんが代演。いろいろご事情はあると思うし、休演自体は心配ではあるのだが、なんか……いろいろ、大丈夫なんか。
そういえば、この段の「中」の三味線、なんで錦糸さんなんだろう? 錦糸さんでは不満という意味ではなくて、清治こっちやらんのかえという意味で。合邦とか帯屋がやりたかったのかな?

 

 
 
 
 
 
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勘十郎さんは、「うれしー!」とか、「目の前のことに一生懸命!」な感情表現のストレートさ、その素朴さが美点だ。そこからすると、道行とは異なり、狐忠信の物語は、まだ発展の余地があるのではないかと感じる。段切の嬉しそうなきつねの可愛らしさ(凸)を立てるには、宙乗りなどの華やぎだけでなく、狐物語での悲哀(凹)が重要になってくるはずだ。

大阪公演に続き、やはり、狐物語の人形演技は引っかかる。狐物語の部分、今回の「河連法眼館」の奥は咲さんが休演したので織太夫さんが代演しているけど、そういう若い人でも、話の流れを解釈し、それに合わせ、忠信の口調に強弱をつけようとしている。本の内容を最重要視するのであればまさにその通りの表現が必要で、狐忠信の感情の流れの機敏をいかに表現するかが一番重要だと思う。しかし人形には、緩急どころか強弱もつけられていない。

文楽の一般論として、とにかく、長話をするヤツの演技はおしなべて非常に難しい。文楽では、お人形さんたち、話、長ぇんだよ〜。元も子もないけど、そこが一番大きいのは確実なのだが、私自身の受け取り方として、私はこの狐物語の人形演技を、どのように捉えればよいのだろうか? 勘十郎さんの芸とは、言葉にするならば、どのようなものなのだろう?

和生さんや玉男さんの芸を表現する言葉は自分の中で納得ができうるものをいくつか思いつくが、勘十郎さんのそれは、うまく表現することができない。正しく言うと、無意識に突き動かされるように「天然」でやっている部分や、「正気でない」部分、やりたいこと・見せたいことをよく考えた上での「ケレン」の部分のよさを言葉で表現することはできるんだけど、時折見せる、このような不自然さは何なのか。明らかに良いところだけ見て評価すればいいのだと思うけど、それだと安直に感じる。この段を観る限り、やはり勘十郎さんは、原文をどう表現に落とし込むかということや、情緒の味わいの完成度を目指していないと思う。そこを無視して、紋切り型の単一的な文脈のみで評価をするのは、褒めるにしても、難とするにしても、何か違う気がする。

ほかのお客さんは、どのように感じているのだろう。観客はそれをどう語りうるかという点で、勘十郎さんがなにを表現しようとしているか、それをどう受け取るかという、観客(批評家)からの言葉が欲しいと思う。自分に上記のような違和感があるのは、私自身の文楽への評価軸として、物語の流れ自体をいかに表現するかを重視するという観点が強いということがあるからだと思うが、そうでない捉え方の人もいるはずだ。

最近は、文楽を表現する「言葉」に、強い関心を持っている。文楽を言葉として形にするアプローチの必要性は、今年に入ってから、ますます強く感じている。一番、課題として感じるのは、現役技芸員がいま見せている技芸を、それぞれ、現代文楽のなかに位置づけること。その人が現役のときでないと言いようがないことも多いと思う。この作業は、後続世代はこれからどうしていくのかということにも、かかわってくると思う。
(以上、御託、終わり)

 

 

忠信の早変わりは、大阪公演で見たときより自然な印象になっていた。慣れなのか、東京のほうが舞台が狭いからなのか(客席は東京のほうが狭いけれど、舞台自体の大きさはそんなに変わらないのではという気もするが)。

正体を見顕された忠信は、「耳動きの孔明」のかしらになる。パッと見、耳がでけぇなという感想しかないのだが、「耳動き」の名前の通り、耳が動く。
えっ!? どこで!?
言われないと気づかない、その耳を動かす場所は、「変はらぬ音色と聞こゆれどもこの耳へは二親がもの言ふ声と聞こゆるゆゑ」で(確か)、耳をカイカイするところ。耳元に足がかかるのと、束状のシケが垂れ下がって揺れているのとで、全然わからん。*2「熊谷陣屋」の冒頭で、下手小幕から出てきた熊谷は数珠を手首にかけていることをどれだけの人が気づくのかというのと同等のわかりづらさ。どうなっとるんじゃ。

狐忠信のパッと見の印象について、謎に思ったこと。狐忠信が過去を語るときのうなだれて首を大きくかしげるような仕草、妙にご老体感があるんだけど、なぜ……? あのオッチャン感は、一体、何なんだ……??? いや、そりゃヤツは400歳なので、人間感覚でいえばもう相当の年寄りだけど。勘十郎さんのほかの役でも頻繁に見る動きなので、無意識に手癖でやってるのかもしれないが……、このオッチャン化現象、玉男様がすべてごん太(ぶと)化するのと同じ系統のアレ……??

 

なお、義経の振付は、大阪公演と違っていた。屋体のセリが下がる際、大阪公演の勘彌さん義経は扇を広げ、空を飛ぶ忠信を見送っていたが、玉助さん義経は忠信に背を向けて上手側を向き、両手で刀をつく姿勢だった。鼓を下げ渡した義経の気持ちへの解釈の違いだと思うが、義経の振りは特に決まっていないというのは本当なんだなと思った。

 
 
 
 
 
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狐忠信は、「道行」での無意識に突き動かされるかのような踊り、「河連法眼館」での鼓の調べに酔わされた正気でない陶酔のさま、父母の鼓を得て喜びに満ちた素朴な表情に独自の良さがある。音や感情にひかされて人形が勝手に動いているようで、まさに人形を使った芝居だからこそ表現できる魅力だと思う。
勘十郎さんの年齢や体力的な部分を考えると、今回の舞台は決定的なものだったのではないだろうか。観たこと、立ち会えたことをを大切にしたい公演だ。

 

私にとっての魅力のある文楽技芸員とは、舞台を通じて「こういうことがやりたい」という意思が伝わってくる人である。もちろん芸風への好みもあるけれど、その人が舞台を通して何を表現したいか、そして、その表現はどれだけ高い精度を持ち得るかに、面白さや愛着、興味を覚える。
今月は、「ああ、この人はこういうことが表現したいんだな」とわかる人が多くて、観ていて楽しかった。意思の強さは、若い人に顕著だ。みんな、少しずつ成長していくんだなと思った。

 

↓ 4月大阪公演の感想。

 

 

 

今月は、小劇場入口入って右のところに、文楽の舞台になっている奈良の名所を紹介するパネルが貼られ、奈良の観光パンフが置かれていた。このパネル、またもや手作り感がすごいが、誰が作ったのだろう? そして、久々に復活した「入り口入ってすぐ右手に机を出して立っている人」が内容を説明していたが、あの「入り口入ってすぐ右手に机を出して立っている人」は別に奈良観光協会の人ではないというのが良い(?)。

f:id:yomota258:20220524002324j:image

なお、このパネルの下に置かれた机には、4月大阪公演で配布されていた『人形浄瑠璃文楽座」の歩み』冊子が改訂・増刷されて置かれていた。大阪で手に取った人全員(大型主語)が突っ込んだといわれる「横書きなのに右綴じ」が解消され、左綴じになっていた。よかった、よかった。

 

 

 

附記1 狐忠信の「きつね耳」

狐忠信の水引状の元結は「きつねの耳」のつもりだそうだ。
現行の人形では言われないとわからず、「偽史」的な「口伝」なんじゃないの、と思ってしまうが、手持ちの古い文楽ブロマイドに、「ケモミミ」であることがわかりやすいものがあった。

これくらいリボンのループ部分が大きいと、「きつね耳」感、相当ある。ディズニーランドの帰りの電車に、こういう人、おる。って感じ。
この写真はおそらく昭和10年代前半(もしくは1桁代)に撮影されたもので、狐忠信は初代吉田栄三、静御前は吉田文五郎。いまとは異なる人形の顔立ちも興味深い。

 

元結が大きい忠信の写真は、先日個人送信がはじまったことによって広く公開された、国会図書館デジタルライブラリーの以下の書籍でも確認できる。

光吉夏弥=編『文楽筑摩書房/1942

P114に、初代吉田栄三が道行の忠信の人形の手入れをしている写真が掲載されている。元結の丸いリボンループが光背のように見え、俯いた忠信がまるで仏像のようで、美しい写真だ。

 

 

附記2 93年前のきつね遣い

先日、国立映画アーカイブ「『紅葉狩』赤染色版の発掘と林又一郎コレクション――初代中村鴈治郎をめぐるフィルム群」という上映を観てきた。

近年発見された『紅葉狩』の赤染色フィルムを主材料とした最長編集版の上映を目玉としているが、『紅葉狩』は既存フィルムを観たことがある方も多いだろうし、古典芸能ファンには、それと併映された明治末・昭和初期の歌舞伎映像群のほうが見どころだろう。初代中村鴈治郎の長男・林長三郎が中村鴈治郎の舞台姿やオフシーンを撮影したプライベートフィルム17本が圧巻。すべて数分程度の白黒・サイレントの映像で、私は歌舞伎をほとんど観ないのでその真価はわからなかったのだが、いずれも名場面を捉えているので、見応えがあった。

文楽ファンも注目だったのは、1929年(昭和4年)1月25日の朝日会館で演じられた「狐火(本朝廿四孝)」が入っていたこと。人形振りで八重垣姫を演じる初代中村扇雀(二代目中村鴈治郎)に、きつね・人形遣い役で初代中村鴈治郎が出演しているという内容。初代鴈治郎が遣うきつねのトントンとした歩き方、カイカイする所作など、きつねの遣い方は、100年近くを経た現行文楽とそこまで変わらないのだなと思った。初代中村鴈治郎は、(ホントかカタチだけかわからないけれど)文楽にいたこともある……という話があるそうだ。
しかし、狐がどうにも茶色っぽかったんですけど、昔のきつねは茶色かったのか??? いや、モノクロだから実際にどうだったかはわからないんですけど、白ではなさそうなんですよね。ゴールドぐらいだったのかなあ。茶色かったら、そのへんうろついてる、ただの野生のきつねだよね……。

残念ながら、上映はもう終了してしまっている。上映に足を運べなかった方は、記者発表で「狐火」が紹介されたときの様子が、国立映画アーカイブの公式YouTubeに少しだけ載っているので、ぜひご覧いただければと思う。

↓ 新発見されたフィルム群について、早大児玉竜一先生がスクリーンにダイジェストを映写しながら価値や内容を解説するという動画だが、4:49から、少しだけではあるが「狐火」の映像がスクリーンに写る。頭出ししてリンク貼ったので、よかったら観てね。
実際の上映では、ここで映写されている部分以外に、断片的ではあるものの、八重垣姫が諏訪法性の兜を盗む場面、泉水にかかげる場面、衣装の引き抜きを含むきつねが取り憑く場面、最後に決まってきつねが寄り添う場面まで入っていた。

あと、二代目中村鴈治郎って若い頃こんなに美人だったんだっていうことへの衝撃がすごかった。二代目鴈治郎って、私の中では完全に大映の映画俳優のイメージだった。しかも、ソラマメが生命を得て歩行しているかのようなクソジジイ系というか……。個人的には特に『怪談累が淵』(監督=安田公義/1960)の宗悦の亡霊役のインパクトがすごすぎるので、あれが、これ?これが、あれ??私、誰かと取り違えてる???って感じです。

 

 

 

*1:文楽のかしら』によると、「戦後すぐ松竹が購入した地方の人形座にあったかしらで作者銘はない。目が寄り目になり、鼻だけ動く仕掛けがついていたが、大江巳之助の補修により目が替わり、口も共に動く鼻動きとなった」とのことです。

*2:文楽のかしら』には「昭和62年に国立劇場の依頼で大江巳之助が作った。(中略)耳の動く仕掛けは、初演の際に初代吉田文三郎の考案で作られたが、現在の大きな劇場では、ごく一部の限られた観客にしか判らないと思う。戦前文楽座にあった耳動きの孔明は初代吉田玉造旧蔵のものだったが、普通の孔明のかしらと同じく色々の役に流用されていた。顎に力が入った様にしこりがつくられていたのが特徴だったので、復活する時もその表現を残してもらった」とある。前向きに小さくパタパタ動くのですが、実際には、最前列で狐忠信の目の前の席になっても、正直、ほとんどわからないです。