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文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

田中登監督『㊙︎女郎責め地獄』の浄瑠璃 -お園と清姫、女たちの情念-

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映画『㊙︎女郎責め地獄』は、監督・田中登、脚本・田中陽造で1973年4月に公開された日活ロマンポルノ作品だ。

ロマンポルノにしばしばみられる時代劇もので、徳川末期の江戸を舞台に、交わった男はかならず死んでしまうと噂される女郎・死神おせんを主人公として、地獄見世に生きる女と男のバイタリティ溢れる姿が描かれている。 

『㊙︎女郎責め地獄』
日活/1973/成人映画
監督=田中登
脚本=田中陽造
音楽=月見里太一/撮影=高村倉太郎/美術=川崎軍二
ソフトあり/オンデマンド配信あり(Amazon レンタル¥330〜

(秘)女郎責め地獄

(秘)女郎責め地獄

 

本作はすでに語り尽くされている有名作だが、ある特徴的な部分があまり話題にのぼらないように思う。それは音楽、とくに浄瑠璃*1の使い方だ。音楽は邦楽(和楽器)が使用されており、登場人物として人形浄瑠璃の一座の人形遣い・三味線弾きが物語の転換点に関わってくるため、物語展開の鍵となるシーンに浄瑠璃が流される。その浄瑠璃のセレクト、物語上での意味の持たせ方がかなりうまい。これは偶然なのか、それとも意図された演出なのか。

しかし、古典芸能が好きな人とロマンポルノ(旧作日本映画)が好きな人の層が重ならないせいか、本作の浄瑠璃使用について書かれた記事を見ない。

監督へのインタビューをおさめた『映画監督・田中登の世界』にも記述はない。正しく言うと、掲載されている田中登本人へのインタビューには音楽使用に関して触れられている部分があるが、インタビュアーが田中登の発言に応えられていない。おそらくインタビュアーに古典芸能や浄瑠璃(邦楽)、人形浄瑠璃の知識がまったくなく、的確な会話ができなかったのだと思う。また、ネットの個人ブログ等の感想にも浄瑠璃使用に関する記事は見当たらない。邦楽や人形浄瑠璃・人形振りの使用はこの映画の目玉なので、誰もが触れている。しかし、用語などの認識に誤りがかなり多いあたり、映画と古典芸能ではやはり客層が違うのだなと感じる。

もちろん、文楽を観ていなかったころの自分も、そうであった。文楽を観るようになってよくわかったのは、義太夫人形浄瑠璃に関する知識というのは特殊なもので、時間をかけた蓄積が必要であり、ネットでちょっとやそっと調べただけではどうにもならないということだ。

今回は、文楽を観たことがなかったときの自分をかえりみて、『㊙︎女郎責め地獄』の使用楽曲に興味がある方に向け、説明や注釈を多めにして、使用されている浄瑠璃の紹介を書いてみたいと思う。また、自分もわからなかった部分があるので、もとより浄瑠璃に興味がある方は『㊙︎女郎責め地獄』という映画の紹介として読んでいただき、映画をご覧いただいて、私のおぼえた不明点をフォローしていただけると嬉しいです。

注 映画自体はネタバレをせず観たほうが面白いので、ここまでの記述でご興味を持たれた方は、先に映画をご覧ください。

 

INDEX

 

 

 

 

┃ 映画全体のあらすじ 

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江戸末期、文化文政の頃。吉原遊郭の外にあった岡場所には、百文で身を売る女郎、彼女らにたかる客、それを取り巻く人々があまた蠢いていた。その女郎たちの中に、掃き溜めに鶴ともいうべき美しい女・おせん(中川梨絵)がいた。おせんはかつては吉原で末は太夫職とまで言われていたが、あるとき登楼した客が腹上死。それだけで済めばよかったが、続けて3人も死んだため、おせんは「死神」と渾名されて客がつかなくなり、ついにはこの「地獄見世」にまで落ちてきたのだった。おせんは春をひさぐ以外にも情夫・富蔵(高橋明)の紹介で絵師・英斉(長弘)の屋敷へ行ってあぶな絵のモデルをしていたが、その帰り道、非人たちに取り囲まれて墓場へ連れ去られ、犯される。実はこれはより刺激的な画題を求める英斉が仕組んだことで、さらにそれは富蔵も認めてのことだった。富蔵に裏切られたことを知ったおせんは、富蔵を張り倒して涙ながらに「お前とはこれっきりだ」と吐き捨て、ひとり町へと戻るが……

……というふうに、おせんを軸として、地獄見世に生きる人々の奇妙な生態が描かれていく。地獄見世の女郎衆や客とのやりとりは時に喜劇めいていて生々しい人間味があるが、外部の社会に関わる者たち、すなわちおせんの情夫・富蔵や枕絵師・英斉、あるいは地獄見世の親方は一見ひょうきんで、彼女らに親しげにしていてもその生き方は辛辣であり、平気で非人間的な行動に出る。女郎たちはいくら客の男たちを手玉に取っていると言っても「社会」に対しては弱者で、食物にされている。

そんな狭い世界の中、おせんは地獄見世とはまた違う社会に生きる人形浄瑠璃の一座「土佐座」の者たちと奇妙な縁をもつことになる。おせんが心中未遂で晒し者にされていた男女を目撃したのが、そのきっかけだった。

 

 

 

┃ 1曲目 土佐座内「〽︎世の味気なさ身一つに……」

晒し場を通りかかったおせんは、心中しそこなって晒し者にされている男女を目撃する。高札によると男の方は浄瑠璃語り。女のほうを見て「綺麗な目をしている」とつぶやいたおせんが立ち去ると、そのあとをひとりの男がついてくる。その男は、晒された浄瑠璃語りと同じ人形浄瑠璃の小屋・土佐座の見習い人形遣いだった。男は晒し者にされていた女の兄・清吉(堂下繁)であると名乗り、おせんが「綺麗な目をしている」と言った女・お蝶(山科ゆり)は、実は盲目であることを明かす。

清吉は土佐座での出来事、お蝶の心中のいきさつを語る。お蝶は土佐座の三味線弾きだった。彼女には「梅吉」という名の末を言い交わした浄瑠璃語りがいたが、二人は祝言を挙げるまでは綺麗な仲でいようと誓い合っていた。しかし、彼女に横恋慕した浄瑠璃語り・粂蔵(織田俊彦)が密かに彼女に忍び寄り、梅吉のふりをして彼女を抱く。男の様子に相手が梅吉ではないと気づいたお蝶は粂蔵を突き飛ばし、簪で刺す。続けてお蝶は自分をも突き、相対死に(心中)と申し立て、粂蔵とともに晒し者にされた後、非人手下に落とされる咎人となったというのだ。

このうち、土佐座内のシーンでは、舞台の演奏が余所事浄瑠璃*2として聞こえているテイで浄瑠璃が流される。

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〽︎……世の味気なさ身一つに結ぼれ解けぬ片糸の(略)
未練な私が輪廻ゆゑ。添ひ伏しは叶わずともお傍に居たいと辛抱して、これまで居たのがお身の仇。今の思いに比ぶれば、一年前にこの園が死ぬる心がエヽつかなんだ……

 

浄瑠璃

『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』酒屋の段

ここで流れる『艶容女舞衣』「酒屋の段」は非常に有名な浄瑠璃。『艶容女舞衣』は、女舞の芸人・三勝と酒屋茜屋の若旦那・半七が苦境に陥り心中を決意するという世話物*3。現在では全段通しての上演はなく、ここで使用されている「酒屋の段」のみが独立して上演されている。

劇中で流れる部分はとくに「お園のサワリ(クドキ)」と呼ばれる最も有名なくだりで、夫(半七)に省みられない若妻・お園が、恋しい夫を想ってひとり嘆き悲しむというシーン。夫に構われない自分がそれでも夫の実家にいつづけたせいで、その夫が危難に遭う羽目になったことが思いつめた調子で切々と語られている。

参考 「酒屋の段」の舞台写真。向かって左、手紙を読んでいるのがお園(人形=豊松清十郎)。

 
 
 
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演出

浄瑠璃の使い方としては、途中をかなりカットしているのが特徴。そのカットしている場所というのがこの「酒屋」で最も有名な部分で、歌謡曲でいえばサビを切っているようなもの。この部分は有名すぎてそこが立ちすぎになるので、あえて外したのではないかと思う。フル演奏の場合は、上記詞章のうち(略)としている部分に以下の文章が入る。

〽︎繰り返したる独り言
「今頃は半七様、どこにどうしてござろうぞ。今更返らぬことながら、わしといふ者ないならば、舅御さんもお通に免じ、子までなしたる三勝殿を、疾くにも呼び入れさしやんしたら、半七様の身持ちも直りご勘当もあるまいに、思へば/\この園が、去年の秋の煩ひに、いつそ死んでしまうたら、かうした難儀は出来まいもの。お気に入らぬと知りながら*4

また、演奏シーンでは床の上の御簾内からの見下ろしアングルという特殊な映像を見ることができる。床(太夫・三味線の演奏スペース)の背後上部に御簾がかかった小部屋があり、そこから床を見下ろすことができるというのは現在の文楽の劇場構造でも同じ。予算的に芝居小屋内部を出せない分、幕内の世界ならではの特殊な空間を描いているといえる。

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演奏

この部分は女性の太夫による語りだが、これが新録か既存音源かは私にはわからない。素人ではないと思うが、結構しんみりした演奏。

 

 

 

┃ 2曲目 地獄見世・おせんの部屋「〽︎エヽ妬ましや腹立ちや……」

おせんは再び晒し場へ赴き、降りしきる天気雨の中、お蝶に兄清吉が心配していることを伝える。が、お蝶は自分には清吉という兄はいないという。それでは梅吉という浄瑠璃語りはと問うと、お蝶は「梅吉」は浄瑠璃語りでなく人形遣いだと答える。梅吉は人形にしか興味がない男で、夫婦になると言ったのもそれは自分が盲目なのが人形に似ていたからだろうと自嘲し、梅吉は一度も自分を抱いてくれず、あのときの男が粂蔵だと知って抱かれたと真実を告げる。

おせんが自分の部屋に帰ると、そこには「清吉」がいた。「清吉」が明日お蝶の晒しが終わって非人手下になるのを見届けてから上方へ行くと告げると、おせんはそれなら餞別代わりに帯を解くという。「清吉」が遠慮すると、「女を抱けない体だってのはやっぱり本当なんだね。それとも晒し場のお蝶さんへの男の義理立てかい、えっ、梅吉さん!」とおせんは厳しく言い放つ。梅吉の顔色が変わり、おせんは出ていけと言って彼に背を向ける。すると梅吉は決意したようにおせんの肩を掴み、「人形になっておくんなせえ!」と言いかけ、彼女を抱く。

このおせんと梅吉の情事のシーンで浄瑠璃が流れる。

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〽︎……水増して堤も穿つ如くなり
泣く目を払ひすつくと立ち
「エヽ妬ましや腹立ちや、思ふ男を寝取られし恨みは誰に報ふべき、たとへこの身は川水の底の藻屑となるとても、憎しと思ふ一念のやはか晴らさでおくべきか」
と心を定め身繕ひ、川辺に立ち寄り水の面も映す姿は大蛇の有様
舟長見るよりわなゝき声
「鬼になつた、蛇になつた、角が生えた、毛が生えた、食ひ殺されてはかなはじ」と後をも見ずして一散に、飛ぶが如くに逃げて行く
「さては悋気嫉妬の執着し、邪心執念いや勝り、我は蛇体となりしよな。最早添はれぬ我が身の上、無間奈落へ沈まば沈め、恨みを言うて言ひ破り、取り殺さいでおかうか」
と怒りの眦、歯を嚙み鳴らし、辺りを睨んで火焔を吹き岸の蛇籠もどうどうと青みきつたる水の面、ざんぶところは飛び入つたり
不思議や立浪逆巻きて、憤怒の大頭角振り立てて、髪も逆立ち波頭抜き手を切つて渡りしは……

浄瑠璃

日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)』渡し場の段

日高川入相花王』は皇位継承権をめぐる争いを描く時代物*5浄瑠璃で、そのうち「渡し場の段」は特に安珍清姫道成寺伝説を題材に取った内容となっている。こちらも現在では全段上演はなく、この「渡し場の段」のみが独立して文楽・歌舞伎で演じられている。

「渡し場の段」では、恋する安珍を追う清姫日高川の川岸へたどり着き、渡し守に向こう岸へ船で渡してくれるよう懇願するも、安珍に言い含められた渡し守はそれを拒否する。清姫安珍の裏切りに怒り狂い、大蛇に化身して日高川を泳ぎ渡る。引用されているのは、渡し守に断られしばらく嘆き悲しんでいた清姫が、やがて激しい怒りの炎を燃やし、覚悟を決めて川へ飛び込むというくだり。

参考 日高川の標柱にもたれかかって嘆く清姫(人形=吉田簑紫郎)。

 
 
 
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演出

時々挟まれる人形の芝居は、前半は「渡し場の段」とは全く関係のない内容。出てくる人形も「渡し場の段」とは関係がない。

しかし後半、娘の人形が一瞬で鬼面に変化するカットは、「渡し場の段」の内容を受けていると思われる。文楽の「渡し場の段」では、清姫の人形に「ガブ」という特殊なかしら(人形の頭部)を使う。これは美しい娘の顔が一瞬でツノと輝く目を持ち口が耳元まで裂けた鬼女の顔に変わるというからくりがあるもので、清姫が川に飛び込み、大蛇の姿をあらわしたのちにこの「ガブ」の仕掛けが使われ、波間から見える表情が鬼女と娘を行き来するというものだ。*6

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この部分の人形は、八王子車人形の西川古柳が出演している。この映画ではまったくわからないが、八王子車人形は人形遣いが車輪のついた椅子に座って一人遣いで人形と遣うという特殊な人形芝居。

一般映画だと文楽人形遣いが出演している映画はしばしばあるんだけど、さすがに出てもらえなかったか……。予算等が見合ってOKもらえたなら、桐竹紋十郎*7に出てもらえばよかったのに……。

また、後半では梅吉が黒子となっておせんが人形振り*8を見せる演出がある。実際、歌舞伎で「日高川」が上演される際も清姫は人形振りで演じられるが、映画はおせん役の中川梨絵がオリジナルで考えた振付とのこと。

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演奏

この部分、突然ぶっちぎりに浄瑠璃がうまいので、びっくりする。三味線も異様にうまい、うますぎる。ここまでうまいと文楽から人が出ているとしか思えない。

ここの演奏は、高音が異様にキレイに出ている声の特徴からして、おそらく七世竹本土佐太夫ではないかと思う。どなたか文楽にお詳しい方、ほんと、この映画を観て判定してください。amazonで330円からレンタル配信されてるんで……。ご視聴されてわかった方、コメント欄にお願いします。

七世土佐太夫は美声で鳴らした昭和期の文楽を代表する太夫で、その高音をいかした女性の役を大変得意にしており、日高川清姫の嘆きは得意中の得意の分野だったと思う。映画公開当時、土佐太夫はすでに故人だったので(1968年没)、ここは間違いなく既存音源の流用。土佐太夫と、どなたかはわからないが三味線1人で演奏しているので、素浄瑠璃*9の録音だと思う。ただ、水音をあらわす太鼓の音(囃子)が入っているのがちょっと特殊。

それにしてもこの演奏で気になるのは、文楽現行上演とは詞章の順序が異なること。「舟長見るよりわなゝき声〜飛ぶが如くに逃げて行く」と「さては悋気嫉妬の執着し〜ざんぶところは飛び入つたり」が、現在とは文章の順序が逆になっている。つまり、現行では清姫が川へ飛び込む→船頭が逃げるという展開だが、この音源では船頭が逃げる→清姫が川へ飛び込むという順序になっている。音にとぎれがないので、流用元の音源では本当に現行と逆に演奏していたのではないかと思う。なんらかの理由で昔と今で詞章の順番を入れ替えている可能性もあるので、念のため、土佐太夫が出演した「日高川」、昭和16年(1941)四ツ橋文楽座公演のパンフレットを確認したところ、そこに掲載されている詞章の順次は現行と同じだった*10。内容未調査だが、伊達大夫時代の舞踊用の「日高川」のレコードがありそうで、この映画はそれを流用しているのではないかと想像している(囃子が入っているのもそのためか?)。舞踊用の義太夫演奏では清姫の出番時間を稼ぐために詞章を入れ替えているのかなと思うが、歌舞伎では慣例的にどうしているか、ご存知の方いらっしゃったらコメント欄にお願いします。

 

「竹本土佐太夫」という名前は、劇中でも意味を持っている。梅吉らの人形浄瑠璃の一座は脚本の時点で「土佐太夫座」という設定になっている。また、劇中に出てる御簾にも「竹本土佐太夫」という文字が入っている(「竹本土佐太夫」は実際に江戸時代から存在する名跡)。この座名と、「日高川」がおそらく七世土佐太夫の音源であることにに、どういう関係があるのかはわからない。田中登がなぜ土佐太夫の演奏を採用したのかはかなり知りたい事項。土佐太夫は芸風が派手で華とケレンがあるため、田中登の世界観や女性登場人物に合っている。渋めの名人ではなく土佐太夫の音源をセレクトしたのは、納得がいく。このあたり田中登へのインタビューで突っ込んで欲しかったのだが、インタビュアーに知識がなくてはどうしようもないか……。

でも、土佐太夫や三味線さんの関係者が成人映画に使用許可出したのはすごいと思うわ。話は文楽のほうがめちゃくちゃだから、これくらい何の問題もないという解釈だったのだろうか……。許可が取れるなら、「日高川」だけでなく「酒屋」も土佐太夫の音源使って欲しかったよ……。

 

 

 

┃ 脚本上で指定されている2曲

以上の浄瑠璃2曲は、誰がこれと決めたのだろうか。ここで問題になるのは、脚本では浄瑠璃使用がどういう指定になっているかだ。

『㊙︎女郎責め地獄』の脚本は、田中陽造『日活ロマンポルノシナリオ 秘本・袖と袖』(映人社/1975)に収録されている。それを確認すると、仕上がった映画自体は脚本から大きく離れていないことがわかる*11浄瑠璃を流す指定のある箇所も仕上がった映画と同一であるが、曲の指定が実際の採用曲と異なっている。脚本には曲名の明記はなく、以下のような浄瑠璃の一節が書かれている。

 

1曲目(土佐座内)

〽︎夢かうつつかうつせみのもぬけの魂とも知らばこそ……

 

2曲目(地獄見世 おせんの部屋)

〽︎エエあんまり恋知らず。さてもしんきな男やと両手をまはして男の帯。ほどけばとくる人心、酒と色とに気もみだれ、たがひにしめつつしめられつ……

 

1曲目の「〽︎夢かうつつかうつせみの……」は、近松門左衛門・作『心中二枚絵草子』下の巻「知死期の道行」の一節。

『心中二枚絵草子』は、裕福な大百姓の長男・市郎右衛門が誤解によって弟が出来心で犯した罪をかぶることになり、恋人の遊女・お島と心中に至るという話。この一節は二人の死に場所への道行の一部で、市郎右衛門とお島は同じ場所で心中することができないため、市郎右衛門は川の堤、お島は置屋の自室で自害するのだが、道行では二人の魂はそれぞれの肉体を抜け出て死出の道を一緒に歩んでいることが描かれている。原文をもう少し長く引き写すと「夢か現か。空蝉のもぬけの魂とも。知らばこそ。こはなんとして、いつの間に、一所に死なん、嬉しやと。縺れ、取りつき、縋りあひ、まことの形、影の人。……」となる。

 

2曲目の「〽︎エエあんまり恋知らず……」は、おなじく近松門左衛門・作堀川波鼓』上の巻「成山忠太夫内の段」の一節。

堀川波鼓』は、夫の江戸勤めの最中、留守を守る妻・お種が息子の鼓の師匠・宮城源右衛門と酒のはずみで姦通にに至るという話。お種は嫌な男に言い寄られ、それをかわすために後で忍んでくるようにと言い逃れをするが、それを偶然居合わせた源右衛門に聞かれてしまう。これによってお種はさらに源右衛門にも口封じをしなくてはならなくなり、口外しないよう酒を酌み交わしながら説得するのだが、しらばくれる源右衛門に迫るにつれそのうちに関係を持ってしまうというその決定的瞬間にある一節だ。

 

浄瑠璃の筋からすると、映画の内容とまったく関係ない曲を突然入れ込んでいるという状態になっている。登場人物の属性やシチュエーションが大きく異なり、なぜこの浄瑠璃を引いてきているかはわからない。さらには、上記、さくっと「この文章はこの浄瑠璃」と書いたけど、一般的には文章ここだけ書かれても何の演目かわからないと思う。それどころか、実はこの2曲、映画で使いたくても、使えない曲。

というのも、『心中二枚絵草子』も『堀川波鼓』も、文章が残っているのみで、映画公開当時文楽で上演されていない、つまり義太夫として曲が残っていない浄瑠璃だからだ。近松門左衛門人形浄瑠璃を代表する作者であるが、初演当時から現代まで伝承され続けている曲は実は少ない。昭和30年代に近松ブームがあり、文楽でも『曾根崎心中』『女殺油地獄』などが新規作曲等によって復活されて舞台にかかり、その後も断続的に上演されるようになった。しかし、『心中二枚絵草子』と『堀川波鼓』はそうではない。

『心中二枚絵草子』は初演(1706年)ののちは再演されていない。現行上演はなく、失われた曲となっている*12

堀川波鼓』も初演(1707年)のみで再演されることがなかったが、文楽では1964年(昭和39)NHKテレビ放送で復活された(作曲=野澤喜左衛門・野澤松之輔)*13。その意味では、「義太夫の曲」という形態での『堀川波の鼓』は、映画公開の1973年では新曲同然だったはずだ*14。現在でも滅多に上演されず、一般客に義太夫は馴染んでいないだろう。

田中陽造がこういう状況を知っていてあえて使ったのなら志の高い考えであったと思うが、想像するに、「現行曲ではない」ということを知らず、近松もの=有名=書いとけば音楽が探してはめてくれるor適当に曲をつけてくれる程度の考えで安易に書いたんじゃないかなあ。近松作品のどれが現行曲でどれが廃曲か、あるいはどれが伝承曲でどれが復活曲かというのは、人形浄瑠璃になじんでいなければ、全曲伝承されてると無意識で思っちゃうし、曲もカンタンにつけられると思っちゃうよね。

田中陽造の場合、脚本の文面からしても知ってる人はそうは書かないだろうなという点や時代考証上の誤りがあるので、おそらく義太夫人形浄瑠璃に詳しくなかったのではないかなと思う。私は最初は田中陽造浄瑠璃を指定したのではないかと思っていたので、むしろわかってなさそうなのは意外だった。

 

 

 

浄瑠璃の女たち

では映画で実際に使われている曲は誰が決めたのだろうか。

前述『映画監督・田中登の世界』のインタビューから読み取れる範囲では、楽曲のセレクトは音楽にクレジットされている月見里太一(鏑木創の変名)ではなく、田中登自身が決定したと読み取れる発言がある。

(音楽担当者は)ほとんどタッチしていない。要するに、今までのあり物をプールしたものと、もうひとつがさっと何百曲と音楽のものとプールしたんですよ。それを聞いて、感覚的にこの音楽がほしいっていうのを、僕の場合音楽を入れる場所は自分で決めていきますから、こういう音楽がほしいっていうのを選曲者と、選曲者なりに選んできたり、それをドッキングして、「あ、これでいきたい」って決めているわけです。
(中略)
(映画の雰囲気は、浄瑠璃の音楽がなければ)出ないでしょうね。だからまさしくあの音がほしかったんでしょうね。だからあれはあれ一本で通してる、音楽的にね。僕も音楽はあんまり入れたくないんですよ。*15

田中登が脚本の指定曲を破棄し、「酒屋」と「日高川」をセレクトしたのは、慧眼だと思う(ただし、鏑木創があらかじめセレクトした中から田中登が選んでいる可能性も高いと思う)。『映画監督・田中登の世界』のインタビューで、田中登が「中の方で使われている浄瑠璃は実際のものです」と発言しているのは、実演で現行上演される曲を選んだと言いたかったのだろう。「酒屋」と「日高川」は文楽でも頻繁に上演され、観客にも耳馴染みのある曲だ。すこしでも義太夫の知識がある人なら、どういう内容なのかすぐ思い出せる曲でもある。

また、この2曲は大曲だとか高尚だとか言われるような気を張って聴く格調高い部類のものではなく、一般に馴染み深く、いかにも芝居らしい曲であるのも特徴。言い過ぎかもしれないが、どちらかというと、いかにも「わかりやすい」下世話めの曲で、そここそがこれらの曲の良い部分だと思う。そのセレクトは、近松物(しかも現行上演のない曲)を選んでいる田中陽造のセレクトとは真逆の路線ともいえる。

 

お園と清姫は、ともに激しく燃える情念を内に秘めた浄瑠璃を代表するヒロインだ。

『艶容女舞衣』「酒屋の段」のヒロイン・お園は、夫に省みられない不幸な若妻。といっても結婚して3年以来、夫・半七は家に寄り付かずお園を無視しているので、実質は妻ではなく、許嫁が居候している状態である。これは半七が一方的に悪質なわけではなく、半七には結婚以前から思う女がいたところに親が決めた許嫁・お園が嫁入りしてきたというのがすべての不幸の原因で、それでも情念深い彼女は半七をずっと想い続けている。

日高川入相花王』「渡し場の段」のヒロイン・清姫は、旅の僧侶・安珍への恋に狂乱する激情的な娘。安珍を心から慕っていたが、安珍に恋人がいたことを知り、ましてや自分を置いてその女と逃げられたとあって、男に裏切られたとして激怒して追いかける。そして人間には絶対渡れないような激流の日高川の川岸に至り、執着心のあまり大蛇に化けて川を泳ぎ渡り、追いかけ続けるという情念の凄まじさを見せる。

「酒屋」のお園の境遇は、恋する男・梅吉に顧みられないお蝶の境遇そのままだろう。また、「酒屋」で描かれるお園の人物造形はあまりに理想的すぎて先鋭的にすぎ、この曲が流れているのが「清吉」が虚構上のお蝶の姿を語る場面であることと一致している。

もうひとつの曲、「日高川」が流されるおせんと梅吉の情事のシーンの演技演出で特徴的なのは、おせんが梅吉のむこうに何か異様なものを見ているような目線を向け続けることだ。また、この曲が流れるクライマックスの部分では、御簾内に座るお蝶の前で、娘の人形が一瞬で化け物の姿に変わる演出がされている。これを梅吉を通してお蝶の本性を見ていると考えると、清姫の変身はお蝶の変身であるとみることができる。

映画の中では大蛇の姿は表現されないが、この曲が流れるとき、すでにお蝶は執心ゆえに白い着物を着せられて人外に落とされ、「大蛇」の姿となって晒し場に座っている(「日高川」の清姫も大蛇をあらわす姿になると白い着物になる)。この映画では、「酒屋」と「日高川」という2曲の浄瑠璃によって、お蝶というひとりの女が同時に持ち得るふたつの側面を描いていると想像できる。


しかし、もう少し深掘りをすることもできる。浄瑠璃2曲は本作のヒロイン2人の表と裏をそれぞれ表現しているのではないかという見方だ。「酒屋」のお園はお蝶であり、「日高川」の清姫はおせんを象徴しているのではないか。

「酒屋」のお園は、本当に純粋で貞淑なだけの女なのだろうか? 本作に引用されているクドキの部分も、文面だけを読むとお園は純粋で受け身な女に思えるが、いや、純粋なのは本当なのだけど、現行上演のない「酒屋」以前の段を含めて彼女の話をよく聞いていると、お園は夫・半七と肉体関係がないことに思い悩み、その半七に異様なまでに執着している。純粋すぎて狂ってるというか、「なんでそこまで執着してるの!?」と思わせるアグレッシブさを持っている。嘆きの内容がすべて思い込み&極端なのも怖い。本作のお蝶もまた、自分を省みず一度も関係を持たなかった梅吉への執着心が突き抜けすぎて、わかっていて好きでもない男・粂蔵に抱かれた挙句に心中の巻き添えを食らわせ、つきまとうという凄まじい当てこすり行動に出る、純粋すぎて狂っている女だ。大坂へ立つことを決意した梅吉は晒し場へ赴いて、お蝶に空虚な謝罪をする。すると、お蝶は「梅吉のことは思い切った、粂蔵とは一生離れない、たとえ非人手下の足を洗って逃げても追っていく」と告げて不気味に笑う。しかし彼女が執着しているのは粂蔵ではなく、やはり梅吉なのだ。粂蔵をつけまわすことで、一生梅吉に執着と報復をしつづける気なのである。お蝶は始終堂々と晒されているが、粂蔵のほうは「ちくしょう、俺は騙されたんだ〜!」「俺は嫌だ〜! こんな女と地獄に堕ちたかねぇ〜!」と晒し場で泣き続けている。

一方、清姫は本当に大蛇になった恐ろしい女なのだろうか? 浄瑠璃をよく聞いていると、実は清姫は嫉妬に駆られる形相と川を渡る行動が異形すぎて大蛇のごとく見えるだけで、本当に蛇身になったわけではない。実際には恋人をしんから想っている純粋な娘だ。また、「道成寺絵巻」等で描かれる道成寺伝説では、安珍を追ってくる娘は大蛇に化身して男を焼き殺すが、先述の通り清姫は本当に大蛇になるわけではなく、男を殺すこともない*16。ただ「なにも知らない人からは一見そう見える」という設定だ。そして、現行上演はないが、「渡し場の段」ののち、清姫は最後には安珍やその真実の恋人を救うため自らの命を捨てる。これは本作のおせんの性格=地獄見世の蓮っ葉喋りの女郎だが芯は純粋であり、クズ情夫にも心底惚れていたり、最後には梅吉を思って自分は身を引くという情の厚さと重なる。清姫はおぞましい大蛇の姿になる一見恐ろしい女だが、本当に恐ろしいのは、徹底した貞淑さで男に執着しつづける続けるお園のほうではないか。お蝶は「清吉」の話からすれば梅吉を一途に想う可憐な娘に思えるが、おせんが晒し場で本人から聞いた真実はそうではなかった。地獄見世にたかる男たちと対等に渡り合い、朋輩女郎と激しく喧嘩するおせんよりも、お蝶はよほど狂っている。

ただ、この深読みは浄瑠璃の現行上演のない段の考証も踏まえたものなので、さすがにここまで考えて演出に採用しているわけではないと思う(お園の本性が怖いというのや、清姫は純粋であるというのは、「酒屋」や「日高川」からだけでも読み取れるが)。

 

以上は私の推測だが、この2曲が本作においてどのような意味を持ち得るのか、たくさんある浄瑠璃の中でもどういう考えでこの2曲をセレクトしたのか知りたく、繰り返しになるが、『映画監督・田中登の世界』のインタビューが不足であるのは本当に残念に思う。

 

 

 

┃ 備考 冒頭の曲「〽︎つらきは浮き世……」

本作では上記2曲以外にも、浄瑠璃風の曲が使われている。映画冒頭、日活のマークが出て、タイトル・スタッフ・キャスト名が書かれた石畳を真俯瞰で這うように撮られた映像のバックに流れ、タイトルが終わると、地獄見世の片隅の掛小屋で袖乞いらしい女がこれを演奏していることがわかる、という設定になっている曲だ。

〽︎つらきは浮き世、あはれや我が身、惜しまじ命、露にかはらん、露にかはらん

 

長いこと何の曲かわからなかったのだが、最近、井原西鶴『好色一代女』巻一「淫婦の美形」の冒頭の一節からとられていることに気づいた。

清水の西門にて三味線をひきたてうたひけるを聞けば、「つらきは浮き世、あはれや我が身、惜しまじ命、露にかはらん」と、その声やさしく袖乞の女、夏ながら綿入れを身に掛け、冬は覚えてひとへなる物を着る事、はげしき四方の山風今、「むかしはいかなる者ぞ」とたづねけるに、遊女町六条にありし時の、後の葛城と名に立つ太夫がなりはつるならひぞかし。

これが何の曲かというと、『新編古典文学全集 井原西鶴集(1)好色一代女』の注釈には「当時、遊里で流行した片撥の歌かとも、間の山節の一節かともいわれているが未詳」とある。つまりこれは伝承されて現在にまで存在している曲ではないことがわかる。田中登のインタビューでは使用楽曲には基本的に新規作曲がないように受け取れたが、これだけは新規で起こしているのかもしれない。

この部分は脚本に詞章の指定はないので、田中登の独自演出かと思われる。零落した遊女らしい袖乞いの女が演奏しているというシチュエーションも『好色一代女』の該当シーンと一致しており、引用元をいかした使い方であると言える。

 

 

 


┃ 参考文献

*1:浄瑠璃」とは、太夫による語りと三味線の伴奏で構成される、「語りもの」の劇音楽のジャンル名。人形浄瑠璃文楽)では、この「浄瑠璃」にあわせて人形が演技し、舞台上に物語を織りなしていく。「浄瑠璃」とひとくちにいっても演奏の種類がいろいろとあり、「ナントカ節」という名前がついている。人形浄瑠璃で演奏される場合は、音楽ジャンルとしては「義太夫節」と言う。「義太夫節」で演奏される「浄瑠璃」がどのような楽曲なのかを簡単にいうと、ナレーション付きのミュージカル、あるいはオペラの音楽のようなもの。曲=物語としてつくられていると思っていただけると掴みやすいと思う。状況を説明しているナレーション部分もあり、登場人物のセリフの部分もある。登場人物がリアルに喋っているように語る部分、文章を読み上げるように平坦に語る部分もあるが、メロディがついて歌のようになっている部分もある。「義太夫節」はいまとなっては細々としたジャンルだが、かつては一般庶民にも稽古事として普及しており、「義太夫節」で語られる「浄瑠璃」をみんな知ってた、らしい。

*2:舞台の展開とは関係ない曲の演奏が外部から偶然聞こえてくるという体裁で、サブの伴奏に浄瑠璃の演奏を行うこと。

*3:江戸時代(初演当時)の市井を舞台とした話。

*4:参考:国立国会図書館 歴史的音源のサイトでこの部分の音源を聴くことができる。
「三勝半七(酒屋の段)」二世豊竹つばめ太夫+野澤勝市/ビクター/1931
http://rekion.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1320813/1
http://rekion.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1320814/1
http://rekion.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1320896/1
http://rekion.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1320815/1
加藤泰監督『日本俠花伝』(東映/1973)には、登場人物がこの部分を口ずさむ演出がある。逃げる男を引っ捕まえて崖から海に飛び降り、巻き込み心中をぶちかましたヒロイン・真木洋子と彼女の恋男はたまたま付近で釣りをしていた老俠客・曾我廼家明蝶に助けられ、彼の家で目を覚ます。しかし、真木洋子はこうなっても何も言わない男に絶望し、無言の後悔をする。それを見た曾我廼家明蝶が「♪去〜年〜の〜秋の〜煩いに〜」と突然歌いだす。すぐに歌い終わってしまうので、このあと「い〜っそ死んで〜しもうたら〜♪」と続くことを知らなければ、曾我廼家明蝶がなぜこれを歌っているのかわからない。少なくとも加藤泰の世代では、この「酒屋」は誰もが知っている曲だったんだなと感じたシーンだった。

*5:徳川期以前の時代に題材をとったもの。歴史的事件や人物、軍記物をモチーフにしている。初演当時からすると時代劇。

*6:本作で使われているような変化をするタイプのかしらは文楽にも存在するが、通常、「渡し場の段」にはガブを使う。簡単に調べたところ、少なくとも現在では八王子車人形でも清姫文楽とおなじくガブのかしらを使っており、ここで使われているものとは異なるようだ。

*7:昭和期を代表する人形遣い。華やかな女方役で有名。人形でも映画出演では、溝口健二西鶴一代女』『浪華悲歌』、成瀬巳喜男『お國と五平』、内田吐夢『浪花の恋の物語』など。

*8:義太夫狂言や舞踊において、役者が人形浄瑠璃の人形の動作に似せて演技をする演出のこと。黒衣姿等の人形遣い役が背後に立ち、人形を遣っているように見せる。娘役の激情を表現する場面に用いられることが多く、有名なのはこの「日高川」のほか、『伊達娘恋緋鹿子』の「櫓のお七」など。「櫓のお七」の人形振りは加藤泰監督『ざ・鬼太鼓坐』で見ることができるが、かなり下手……。あれは完全に素人の真似事ですね……。

*9:人形をつけず、太夫・三味線のみで行う演奏のこと。

*10:当時は襲名前で伊達太夫。土佐太夫襲名後は「日高川」への出演はなし

*11:ただし、最後に親方が役人と結託して地獄見世女郎の女たちを裏切る展開は脚本にはない。

*12:歌舞伎では1973年6月に『恋の天満橋』という外題で上演があったようだ。

*13:歌舞伎では断続的に上演あり。

*14:舞台での復活初演は1983年(昭和58)。

*15:これは記事の趣旨に関係のないことだけど、この文章、本当にひどすぎる。なんでこんな整理できていない文章を平気で出してくるのか。ライター、編集者、出版社に良識と責任感が一切ないんだなと思った。映画関連はこの手の粗悪な書籍が平気でまかり通るのが本当に残念。

*16:文楽現行「渡し場の段」は『日高川入相花王』の外題のもと上演されているが、実際にはその先行作『道成寺現在蛇鱗(どうじょうじげんざいうろこ)』「清姫日高川の段」を改作したものを上演している。『道成寺現在蛇鱗』『日高川入相花王』は道成寺伝説をモチーフにしていながら、「実は道成寺伝説は事実ではなかった」というドンデン返しと、「なぜ世間では清姫が大蛇と言われるようになったか」にストーリー上のからくりがあるのが特徴。

文楽 『艶容女舞衣』全段のあらすじと整理

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『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』は、文楽の中でも、もっとも有名な演目のひとつである。

 

……………………ということになっているが、そんなこと言われても全体ではいったいどういう話なのか知らんがな、と思っていた。

お園さんはなぜあんな不条理な状況におかれてもなお帰ってこない夫をあんなにも慕っているのか、三勝とは何者なのか、半七はどうしてお園をあそこまで無視しているのか、プログラムや上演資料集等にも詳細な解説は載っていない。

探してみると、日本古典文学大系文楽浄瑠璃集』に「酒屋の段」の掲載があり、その解説として全段の概要が載っていた。すると、「酒屋の段」は上・中・下の巻のうち下の巻の切で(つまりそこで物語は終わる)、それまでに色々な展開があってあの結末に至っているということがわかった。

意外だったのは、お園さんはそれまでの段にも登場し、半七に帰ってくるよう積極的に働きかかけていたことだ。文楽に出てくる娘さんは大抵鬼のようなアグレッシブさをもっているのに、お園さんはずいぶん受け身だなあと思っていたが、単に家の中でヨヨと嘆いている女ではなかったのである。

しかし、『文楽浄瑠璃集』の解説は「酒屋」に関係ないくだりをカットしていて断片的だったため、唯一出ている全段翻刻岩波文庫版の『艶容女舞衣』で、物語の全貌を確認してみることにした。ただ、本作はストーリー自体を詳説した資料があまりなく、以下のあらすじ解説は私がざっくり起こしたものそのままです。間違いがあったらごめんね。しかしここまで有名な演目でも、手軽な解説書がないというのは、やはり文楽というのはマイナーなんだなと思いました……。

 

 

 

┃ 概要

▶︎初演・作者

安永元年(1772)12月、豊竹座初演。作者は竹本三郎兵衛*1、豊竹応津*2、八民平七*3

▶︎段構成・上演史

  • 上の巻 生玉の段、嶋の内茶屋の段
  • 中の巻 新町橋の段、長町の段
  • 下の巻 今宮戎の段、上塩町の段(酒屋の段)

全段上演は初演のみとみられ、その後60年程度は中の巻以降の見取り、それ以降から現在では「上塩町の段」の単独上演が多い。ただし、戦前までは「長町の段」もまれに上演されている*4

▶︎実説

三勝・半七の実説は、元禄8年(1694)12月に舞芸人・笠屋三勝と大和五條新町の豆腐屋・茜屋半七が千日の墓所そばの畑で心中したという事件。半七は大坂へ商用で通ううちに三勝と懇意になり、お通という子までもうけた。半七の親族がこの放蕩をブロックしようと半七に妻を迎えさせたが、三勝と心中したという。

▶︎先行作

この事件に題材をとった先行作には以下のものがある。

  • 『浮名茜染/五十年忌 女舞剣紅楓(おんなまいつるぎのもみじ)延享3年(1746)10月陸竹小和泉座初演、春艸堂*5・作
    一巻目 誓願寺十夜参りの段/二巻目 先斗町貸座敷の段/三巻目 嶋の内夏屋の段/四巻目 堀江宇治屋市蔵住居の段/五巻目 長町美濃屋内の段/六巻目 二つ井戸茜屋半兵衛貸座敷の段/七巻目 阿倍野の段/八巻目 道行寝みだれ髪
    参考:http://e-library2.gprime.jp/lib_pref_osaka/da/detail?tilcod=0000000041-00124373
  • 『浪花の地染/洛陽の潤色 増補女舞剣紅楓』明和元年(1764)8月扇谷筑前掾座(京都)初演
    同上、一部増補あり

『笠屋三勝廿五年忌』は三勝半七の心中に至る過程をメインとした世話物で、市井の出来事を写実的に描いた話。『女舞剣紅楓』はそこにお家騒動を加味した時代物風のストーリーになり(ただしお家騒動は商家の家督相続)、『艶容女舞衣』では再び三勝半七のドラマに話が絞られているが、周辺エピソードに武家的な義理人情世界を盛り込んだ趣向になっているのが特色。これは時代が下るにつれて世話物が時代物の影響を受けるようになったことによるもの。

登場人物設定では、半七とお園(半七の妻) の関係設定は『笠屋三勝廿五年忌』では普通の夫婦(半七も妻に親しんでおり、逢瀬を楽しむ場面もある)という設定になっている。ただし『笠屋三勝廿五年忌』だと半七と三勝の関係は半七が妻を持って以降に結ばれたものと読めるので、『艶容女舞衣』とは根本設定が異なっている。『笠屋三勝廿五年忌』では妻(ここではおすがという名前)はお園よりもだいぶ所帯じみたというか、商家の女房として肝が座った賢女に設定されており、また、「酒屋」にあたる内容もなく、立場としては脇役の扱いになっている。

『艶容女舞衣』のお園のクドキには「去年の秋の患い」という話が出てくるが、『艶容女舞衣』自体にはお園が病に伏せた話は描かれていない。これは『女舞剣紅楓』六巻目「二つ井戸茜屋半兵衛貸座敷の段」にある嫁お園の大病のエピソードから引いているものと考えられている。これをはじめ、「酒屋」のエピソードはこの段を原型にしているところが大きいようだ。お園とお通が顔見知りであるという設定も『女舞剣紅楓』からきているもので、『女舞剣紅楓』には『艶容女舞衣』以上にお園とお通が直接会っていたことを明確に示すエピソードが描かれている。そこでは、半七からなぜお通のことを知っているのかと問われたお園が、芝居帰りに長町を歩いていたとき、美濃屋というのれんがかかった家の前で子どもが一人で遊んでいるのを見かけ、そこが三勝の家つまり子どもはお通であると気づいたが、半七によく似た面差しに嫉妬も忘れ、寺社参りにかこつけてしばしば長町を訪れ、お通に人形などを与えて遊んでやるようになり、ついにはお通がお園の顔を覚えて「おばさまが通らしゃる」と言うようになったと語っている。

……というふうに、『艶容女舞衣』を理解するには『女舞剣紅楓』を読むことが不可欠なのだが、残念ながら『女舞剣紅楓』は翻刻が出ていない。丸本は大阪府立図書館が蔵書をオンライン公開しているのでアクセスはひじょうに簡単であるものの、私はあのにょろ文字が読めない。今後のこともあるし、読めるように勉強しようかな。

 

 


┃ 登場人物

*登場人物の年齢は「酒屋」の時点。「酒屋」の直前の「今宮戎」は正月(1/10)の話。つまりそれ以前は前年の話になり、物語開始時点では年齢は1歳マイナスになる。お園が年齢を言って占いをしてもらう「新町橋の段」では前年の年齢が示される。

茜屋半七
酒屋・茜屋の息子。26歳。親が決めたお園という妻がいるが、家に帰らず、お園が嫁に来る以前から関係のあった愛人・三勝のもとに通う。彼女との間にお通という3歳の娘がいる。お園に興味はないが、一応、取りなしだけはする。(するな)

半兵衛
茜屋の主人、半七の父。昔堅気で気が強い。不品行な息子を勘当するも、本当は心配している。もともとは大和五条で店を営んでいたが、半年ほど前に大坂へ転居し、小さな店をかまえた。
注:物語開始時点で大坂へ転居済み、半七を勘当済み。

半兵衛女房
半七の母。一本気な夫と半七の仲を取りなしつつ、半七をいつも心配している。

三勝
美貌の舞芸人。半七の愛人で、彼との間にお通という3歳の娘がいる。長町の貧乏長屋で兄・平左衛門と娘・お通とともに暮らしている。多忙のため家にいないことが多く、出先までお通を平左衛門に連れてきてもらって乳を与えたりしている。

美濃屋平左衛門
三勝の兄。長町で傘貼りの内職をしながらお通の面倒をみている。父の代からの借金をせっせと返しているが、中村屋からの借金がいまだ清算できない。

お通
半七と三勝のあいだに生まれた女の子。3歳で乳が飲みたい盛り。人なつこく、元気だが、半七いわく、体が弱いらしい。

お園
半七の妻、20歳。結婚して3年になるも、半七が家に寄り付かないので女房と言ってもうわべだけ。だが、半七に心底惚れている。父宗岸が半七の不品行に怒り舅半兵衛と喧嘩したため、天満の実家へ帰ったが、夫のための金毘羅参りを欠かさない。
注:物語開始時点(酒屋の前年の冬)ですでに実家に帰っている。つまり、酒屋の段から計算すると、実家に戻されて1年ほどの設定になる。

宗岸
お園の父。天満に長く住んでおり、現在は隠居の身。妻は故人。嫁入り先で娘がないがしろにされたことに怒り、半兵衛と喧嘩してお園を無理やり家に連れ帰った。

宮城十内
大和五条桜井家の家臣。若殿たっての願いで三勝を身請けしようと大坂へやって来る。

今市屋善右衛門
半七の知人で、裕福。三勝に横恋慕しており、邪魔な半七を蹴落としたいと思っている。

庄九郎
中村屋の番頭。善右衛門に入れ知恵して半兵衛を陥れようとする。

 

 


┃ 上の巻 生玉の段

  • 生玉神社境内の芝居小屋に出る三勝、その迎えをする半七
  • 芝居小屋の前を通りがかった半兵衛夫婦の思い

生玉神社の境内は軽口・万歳・女太夫などの興行の集まる大坂屈指の盛り場で、大変な人出である。足引清六なる芸人のぎょうぎょうしい口上には、数多の客たちがたかっていた。夕暮れ前、打ち出し太鼓とともにドヤドヤと客が出てくる女舞の小屋の前には、どこかの国の大身かと思われる高貴なかご乗り物がつけられている。そんな中、客たちはしきりに女舞芸人・三勝の評判をしていた。

月が差し始めるころ、楽屋口からその三勝が荷物を抱えて出てくる。そわそわしている三勝に、見送りの者(?)は、いつも迎えに来るはずの愛人・茜屋半七の姿が見えないから気が急いているのだろうと囃し立てる。しかし三勝は、きょうは兄・平左衛門が彼女の娘・お通を連れてこなかったので、お乳が飲めずお通はさぞお腹を空かせているだろうと心配していたのだった。見送りの者は、それもそうだが今日の舞台は客の中に国大名がいて気が張ったと言う。実は三勝もその様子を気にしていた。そうこうしているところへ舞台仲間(?)が連れ立ってやってきたので、三勝は彼らとともに帰ることに。そこへ影絵の清六がやってきて、大名が来たことのグチを色々しゃべくりまくりつつ、一同は生玉を後にした。

それと入れ違いに、半七が芝居小屋へ姿を見せる。三勝の姿が見えないのを不思議に思って思案していると、むこうから父・半兵衛と母が歩いてくる姿を見つける。寺参りの帰りであろう父母に見つけられてはと、半七は芝居小屋の影へそっと身を隠す。半兵衛とその妻が心配しているのは、不品行な息子・半七のことだった。自分たちの菩提のための念仏は10回でも、半七のための念仏は100回。たとえ自分たちが明日死んでも、半七には一生安寧でいてもらいたいというのが彼らの願いだった。三勝の芝居がかかっているのを見た母は、三勝に会ったことはないが、半七にせめて5日に1度は家へ帰るよう言って欲しいと芝居小屋へ手を合わせる。半兵衛は舞台が物を言うものか、月の明るいうちに帰ろうと妻を諭す。気丈に見せても老いで足腰は弱り、半七のことがあって尚更足元がよろける父母。半七はその二人の後をそっと見送るのだった。

 

 

 

┃ 上の巻 嶋の内茶屋の段

  • 善右衛門と庄九郎の悪巧み
  • 三勝の兄・平左衛門とお通の来訪
  • 三勝を呼ぶ謎の侍客・宮城十内の情

六軒町の茶屋・大七で、今市屋善右衛門と中村屋番頭・庄九郎が遊んでいる。三勝に横恋慕している善右衛門は、大和から来た客が三勝をここへ呼び出していると聞いて自分も乗り込んで来たのだった。二人は芝居の真似ごとをしたり、尼出の女*6などキャラが濃すぎる女郎たちとじゃらついたりしていたが、冬の月を愛でて歌でも作ろうと奥座敷の前栽へ出した床几へ向かう。

一方、舞のあいまに座敷を抜けた三勝は、張る乳をおさえ、娘・お通がさぞお腹をすかせているだろうと衣装のまま勝手口に出てくる。そこには、お通を抱いた三勝の兄・平左衛門が彼女を訪ねて来ていた。三勝は泣くお通を抱いてやり、乳をやる。それを見守る平左衛門は、お通が駄々をこねはじめるとおじいさんとおばあさんが川で瓜を拾う昔話をして気を紛らわせ、寝れば母のもとへ連れて行くが起きれば狼が来ると言って寝かそうとしてているが、それが通じなくなると今度はこっちの乳を引っ張ったり伸ばしたりしてくるので、無理やり目を塞いで寝かしつけているのだと言う。母三勝は舞台や接客が忙しく、親子水入らずの時間がなくてお通はみなしご同然と言う平左衛門。彼が三勝の行く先々へお通を連れて回り、腰を低くして彼女を呼び出してもらうのもお通かわいさによるもので、また、貧乏な不肖の兄のせいでこのような勤めをさせているにも関わらず文句を言わない妹のいじらしさも心にこたえる。抱いて寝るお通の寝顔に平左衛門が涙しない夜はなかった。三勝も涙をこぼし、乳飲み盛りに不憫をさせているとお通を抱いて泣く。兄は、芸人が泣いていては座敷の不興と三勝を励ます。金は天下の回りもの、この大坂で頑張れば金持ちになれて、そのときはお通を籠乗り物に乗せ、半七の左右にお園と三勝を座らせて花嫁とし、自分が島台を捧げ持っていけるだろうと語る平左衛門は、三勝に涙を拭かせて次の座敷という大和から来た侍客のところへ行くように言う。こうして平左衛門は、かか様と寝たいと駄駄を捏ねるお通に、辻町のからくりの福助を見せてやると言って抱き上げ、子守唄を歌いつつ大七から去っていった。

見送る三勝は兄をありがたく思いつつ、今夜はここでと約束をしたのに姿を見せない半七を気にかける。そうしていると、中庭伝いに半七がひょっこり姿を見せる。三勝がもう少し早ければ兄に連れられお通が来ていたのにと言うと、半七はしばらく見ていないお通はさぞ大きくなっているだろうと縁の薄さを嘆く。しかし半七はなにやら様子がおかしく、三勝にさぞ御繁盛の様子だとか、どういう了見でここに来いと言ったのかと嫌味を言い、厚化粧の舞芸人、生畜生と罵って彼女を打ち据える。三勝は二人の仲は人も知っていることなのに、なぜ今更そのようなことを言うのかと嘆く。自らは半七の妻・お園に対して嫉妬をしたことはあるが、子どもまでいる我が身を恥じてそれを口にしていないというのにそれを考えず、手紙のやりとりのちょっとした間違いで勝手な思い込みをして嫉妬心を起こすとは自分勝手だと泣く三勝(このあたり、文意がとりづらくて、違っているかも)。半七は女は信用できないとして三勝への疑いは晴れないとするが、今夜は叔母の逮夜であるからその疑いも晴らしてやろうと言って三勝を抱きしめる。

そこへ善右衛門の声が聞こえてきたので、三勝はあわてて半七を庭の囲いに隠す。善右衛門は三勝を見つけると、千通も思いの丈を綴った手紙を送っているのに一度も返事がないのはつれない、半七という夫に心中立てしているのは知っているが、金の心配はお通の代まで心配させないので、返事をここで聞きたいと三勝に抱きつく。それを突き除けようとする三勝の袂を捉え、善右衛門がいっそここでと三勝に股間を押し付けていると、座敷から三勝を呼ぶ声が聞こえるので、彼女はそれを振り切って走り去って行った。

腹を立てた善右衛門がなおも三勝を追おうとすると、庄九郎がそれを止めてなだめる。庄九郎は腹立ちももっともだが、ここでことを荒だててはこちらの落ち度となる、自分にまかせろとして、善右衛門を別の間へ連れていく。

奥の間では、大和五条の武士・宮城十内が三勝はじめ数多の芸子を揚げて遊んでいた。舞が終わると、満足した十内は座敷を変え中二階で遊びなおそうと言って、太鼓持ち弥六や三勝らを連れて段梯子を上がっていった。

丑三つ前、善右衛門と庄九郎が再び姿を見せる。半七に心中立てして譲らない三勝をなんとかして欲しいと善右衛門が庄九郎に頼むと、引き受けた庄九郎はこのような作戦を立てる。善右衛門は座敷に忍び込んで三勝を捕まえ、猿轡をかませて外へ突き出す。それを庄九郎が受け取って、大七から連れ去る。これを夜闇にまぎれて無言で運ぼうという寸法。こうして二人は大七の内と外へ別れていった。

庭に隠れていた半七はこの悪巧みの話をこっそり聞いていた。半七はさきほど善右衛門たちが座敷へ呼んでいた尼出の女に舞衣装を着せ、そなたを落籍したいという客がいるので、人に見つからないよう舞芸人の格好をして切戸口へ無言で出て行くようにと言いつける。半七は女の口を猿轡で塞ぐと、明かりを吹き消して切戸の外へ彼女を突き出し、戸をぴっしゃりと閉めてしまう。外で待っていた庄九郎はその女を三勝だと思い込んで背中に背負い、「なんか重いな〜?妊娠してるのかな?」と思いつつ、大変そうに女をかかえて夜の町へ消えていった。

一方、当の三勝がさぞ夫が待ちわびているだろうと座敷の隙をみて外へ出ると、その半七が庭に立っているではないか。半七はことの次第を話し、三勝としばしの逢瀬を楽しもうとするが、善右衛門に見つかってしまい、「不義者動くな」と大声を立てられてしまう。善右衛門がかけ出ようとしたところ、障子がさっと開き、三勝の客の侍・宮城十内がそれを捕まえてねじ上げる。三勝と半七は驚き足がすくむが、十内は「“太鼓持ち弥六”、三勝の見送りを言いつけたはず、構わず行け」と、逃げるように促す。二人は十内に手を合わせ、大七をあとにするのだった。

 

 

 

┃ 中の巻 新町橋の段

  • 易者に化けた半七とお園の再会
  • 中村屋への平左衛門の借金

新町橋は多くの人通りで賑わっている。それを目当てに店を張る易者のもとには、70にもなって妻が18人もいて体がもたんという老人や、自分は21で妻は43で仲良くしているが時々起こる夫婦喧嘩をなくしたいという男が占いをしてもらいにやって来る。易者は適当なクソバイスをしてこなしていたが、デタラメがすぎてついに客がぶちきれ、クソ占いの被害者一同に追いかけられ、どこかへ逃げていった。

そうしているところへ、親の勘当と三勝との関係に悩む半七が歩いてくる。三勝は今日も宮城十内の座敷に呼ばれているらしいが、そこから呼び出すこともできず、かといってここで待っているわけにもいかず、堀江に行くかと半七が考えていると、むこうから妻のお園が歩いてくるのが見える。見つけられてはまずいとばかり、半七は逃げていった易者の店に隠れることに。

半七の妻・お園は、父と舅の諍いがもとで実家に戻っていた。彼女は日課になっている金比羅参りの道すがら、悩み事を占ってもらおうと、このあたりにいるという見通しの法印を探して新町橋へやって来たのだった。目当ての法印が見つからないお園はそれならここがよさそうだと、半七がもぐりこんだ易者の店に声をかける。半七はままよと易者になりすまし、お園の悩みを聞くことに。

お園は、嫁入りしても夫とは体の関係がなく、しかもいまは実家へ帰っており、その理由は夫にはほかに深い仲の女性がいるからで、自分もその女と同じようにかわいがられたいと打ち明ける。しかしその言葉のうちには何やら含むものがあった。易者に化けた半七は自分がその当人であると悟られないよう、なにげなくお園に歳を尋ねる。しかし、お園の歳を19と聞いた半七は、思わず夫の歳は25だろうと言ってしまう。なぜわかるのかというお園に、半七はさっきの客のことを言ってしまったと誤魔化し、彼女と夫の仲はひとつ家にいれば大悪縁で、離れて暮らしておいてどこかの折に訪ねて床を待つのを楽しみにすればよい、子どもを産むばかりが女房の役目ではないと占いの結果のふりをして言い聞かせる。するとお園は、半七様あんまりでないかとわっと泣き出す。お園は易者の正体が夫であると見抜いていたのだった。

お園はなおもしらばくれる半七に、嫁入りして3年も経つのに他人同士のまま、姿を隠し続けている半七に文句も言わない私に、よくもそんなむごたらしいことが言えると恨み泣く。お園は、ないがしろにされても夫は夫として、彼の勘当が赦されるよう金比羅へ日参し、愛人・三勝や娘・お通の無事まで祈っていた。お通はお園を見ると「おば、おば」と甘えてくるので、半七にそっくりなこともあって可愛くなってしまい、嫉妬も起こらなくなったという。つれない夫を愛しいと思って暮らす私を慮り、せめて一言愛しいと言って欲しいと嘆くお園。半七はようやく顔を上げ、何も言わない、こらえて欲しいと話す。半七は、舅宗岸の怒りを解いてお園を茜屋に戻し、また、半兵衛の勘当を解く頼りになるのはお園だけだと言う。都合のよいときだけ優しくしていると思わないで欲しいという半七に、お園は私に何も詫びることはないと言い、父が越後町に来ているので会って欲しいと頼む。しかし、父からの勘当が解かれぬうちは舅には会えないとして、半七は宗岸をお園に頼み、自分は長町へ向かうのだった。

さて、三勝の兄・平左衛門は、中村屋の番頭・庄九郎、今市善右衛門に揉み手でなにやら頼みごとをしていた。それは中村屋から借りていた借金の返済期限の日延べだったが、庄九郎は親方の面子がどうこうと言って受け入れない。善右衛門は日延べばかりしていても利子がかさばるので、自分が借金を肩代わりしてやろうと言う。が、その代わり、三勝をこっちの「質」に入れろというのが条件。平左衛門は妹を犠牲にして借金を帳消しにしようとは思わないと怒る。すると今度は庄九郎がそれなら即座に金を返せと迫り、返せないなら服を脱げと平左衛門に摑みかかる。平左衛門は破れかぶれになって二人と取っ組み合いになり、庄九郎を川へと投げ入れる。続けて善右衛門を追わんとする平左衛門だったが、善右衛門がそこへ来合わせた三勝に抱きつこうとするので、平左衛門は取って返して善右衛門に組みつく。三勝は兄の危機に声をあげるが、そこへちょうど半七が来掛かる。するとその向こうからお園の父・宗岸もやって来る。婿と舅は偶然の出会いに思わず顔を見合わせる。平左衛門も用水の桶を担ぎ投げながら、そのさまを見るのだった。

 

 

 

┃ 中の巻 長町の段

  • 大和五条の若殿への三勝の身請け話
  • 美濃屋へのお園の来訪、三勝の離別の決意
  • 平左衛門の借金の理由
  • 宮城十内の温情と戒め

長町の貧乏長屋では、三勝の兄・美濃屋平左衛門が傘貼りの内職をして家計の助けをしていた。そこへ念仏仲間の雲西がやってきて、平左衛門に鉄砲汁を食ったのなんだのというどうでもいい話をしはじめる。平左衛門が何の用で来たのかと尋ねると、雲西は用事を思い出し、明日中村屋で供養があるので来るようにと言って去って行った。雲西のテキトーさに呆れる平左衛門だったが、中村屋と言えばあの借金、返済の目処も立たないことに思い悩む。

その美濃屋の軒先に、奴を連れた宮城十内がやってくる。奴のかけた声で外へ出た平左衛門は、訪ねてきた男がいつか嶋の内の茶屋で見た武士であることに気づく。十内は奴を帰すと、詳しいことは中でと美濃屋の内へ入る。大身の侍が自分に何の用かと尋ねる平左衛門に、十内は和州桜井家の家中の者であることを明かし、三勝を身請けしたいと切り出す。

桜井の若殿はこの秋に来坂したおり、女舞を見物して三勝に一目惚れしたが、周囲を憚って一旦帰国し、密かに十内へ三勝を迎えるよう頼んだのだった。そのため十内は大坂へやってきて三勝を呼び出したが、その行儀器量は十内の目にも叶い、こうして兄平左衛門のもとへ来たのだと言う。三勝を国元へ迎えられるなら、平左衛門の望みも叶うよう取り計らうという十内。

彼の立派な態度に平左衛門は手をつかえ、妹とは言っても自分が勝手に決めることはできないので、帰ったら十内のことは伏せて話をとりなすとして、十内には一旦隣家の離座敷で待ってもらうことに。

そのころ、お通を抱いた半七と三勝は、宮参りの帰り道で久しぶりの親子水入らず。お通は半七の懐でスヤスヤ。夫婦はお互いに気をかけ合いながら、美濃屋ののれんをくぐる。しかし平左衛門はどこへ行ったのか不在。三勝が布団を敷き、お通を寝かせて添乳してやっていると、半七も一緒になって寝て、お通は三勝が産んだだけあって可愛い顔をしていると言う。すると三勝は女の子は父親に似た方が果報があると言う。半七に似たお通が長生きするように参ったきょうの髪置*7に、偶然道で半七に会ったのも何かの縁だと語る三勝。半七もまたお通は二人の仲の結びの神だと言うと、三勝はその夫婦仲が変わりないようにと半七の膝に寄りかかって涙する。半七が嬶になった身でと冗談めかして突き放すと、三勝は、子どもを産んだとて半七にはお園という正式な妻があり、会ったことはないがそれは可愛い人だと聞いていると言う。すると半七がお園は妻といっても親同士の約束で、実質は妻でもなんでもなく、無愛想にあしらって済ませていると答えるので、三勝は少し落ち着く。しかし今度は半七が平左衛門の借りたという中村屋の借金が気になると口にする。半七はその金の算段を頼んであるところもあるとして出かけていった。

それと入れ替わりに、美濃屋の門口へ愛らしい女が訪ねてくる。三勝様という方はこのあたりにいないかと言うその女は、半七の妻・お園だった。三勝はどうしたことかと思いながらも彼女を家に上げる。お園は、今日訪ねてきたのは恨み辛みを言うためではないと言う。三勝も知っての通り、半七の一家は逼塞同然で大和五条から大坂上塩町へ越してきて半年、お園もそれと同時に大坂へ来たが、半七はそのまま三勝のもとへ赴いた。半七を大切にしてくれることの礼もかねて、折り入って頼みごとがあって来たと言うお園。三勝は、お園は半七の正妻なので恨み言を言われても当然のこと、しかし、お園はお通を可愛がって人形や小袖を贈る親切をしてくれて、影から拝んでいたと語る。お園は言いにくいことながらと前置きして、半七と縁を切ってくれるようにと三勝に懇願する。三勝は子までもうけた仲を追い除けようとは酷いと涙がするが、お園は恋にかけては自分も三勝も同等で、それゆえの頼みではないと言う。お園が三勝に半七との離別を頼む理由は、半七の勘当にあった。お園の父は大変な昔気質で、娘をないがしろにして妾に狂う聟を許さず、お園を実家へ連れ帰った。が、その後、半七の父が彼を勘当したことを知ったお園は、自分がいなければ半七もこのような苦労をすることもなかっただろうと思ったという。粋を知らない自分では半七の気に叶わないことは仕方ないが、嫌われるほどより一層恋しさが増すというお園。三勝が半七と別れられないのは承知だが、縁を切ったと言ってさえくれれば、半七の勘当も赦され、そうすれば二人の仲もまた元に戻せるというのがお園の頼みだった。3日の間だけ縁を切って欲しいと涙ながらに懇願するお園に、三勝は彼女の頼みならと半七との絶縁を受け入れる。

するとそこへ平左衛門が現れ、妹の縁は切らせるわけにはいかないと言う。お園は驚き、3日を過ぎれば三勝を半七の正妻にと思っているのにどういうことかと問うと、平左衛門は3日を過ぎれば三勝はさるお屋敷のご本妻なのだと言う。向こうの侍とはもう手を打ったという兄に三勝は勝手に決めるとは酷いと泣き崩れ、哀れんだお園はその背中をさする。平左衛門は目をしばたかせ、父が亡くなった当時のことを語る。

彼らの父は近江屋治左衛門といってこの長町の住人であったが、臨終の間際、元服したばかりの平左衛門を呼び寄せ、8貫目の借銭だけが心残りなのでそれを返済してくれ、妹を頼むと言って亡くなったという。その後、兄は美濃屋平左衛門と名を変え、妹を舞芸人に仕立て、その稼ぎを傷つけぬよう自分は傘張りの内職に勤しんでようやく父の借金のほとんどを返した。しかし中村屋からの借金は済まず、悪手代の庄九郎にはせっつかれ、三勝を女房に欲しがる善右衛門と共謀して辱められたが、妹可愛さにいままでこらえてきたという。そもそも父の借金というのは、名も知らぬ浪人侍に国許へ帰る入用金50両を仕立てたのがもとで、その貸した相手の侍の名前もわからないのでは結局父の借金。どうしようかと思っているところに三勝の身請け話が持ち込まれ、無理に行かせたいわけではないが借金の返済に迫られているため、仕方なしに約束したという。

不甲斐ない兄のせいで恋する男に添われないと思われる悲しさにお園に頼み込んでこうしたと涙を流す平左衛門。三勝は50両の金の代わりとして自分が妾に行けば亡父の供養にもなり、お園と半七を添わせることもできるとして、どこへでも行くと言って涙する。涙にくれる兄妹に、三勝が妾に行くようなことがあっては半七に義理が立たないとして、お園は50両は自分が用立てると言い出す。しかし三勝はそれを受けては兄が立たないので、志だけを受け取り、半七の勘当が赦されるよう取り計らって欲しいとお園に頼む。平左衛門もまた三勝と半七の縁が切れれば用はないとして、お園に帰るよう促す。お園はしおしおと立ち上がり、平左衛門は奥の一間へと去る。兄妹とお園はお互いの義理を心にかけて、入相の鐘とともに別れいくのだった。

残された三勝は、兄への義理にいったん屋敷へ身を売り、半七への義理にはその場で死ぬことと考え、涙に沈んでいたが、そのときにわかにお通が目を覚ます。抱き上げると、お通は母様乳が飲みたい、父様どこへ行ったと泣きだす。きょうの髪置では半七に抱かれる姿を見て果報の拙さを悲しんだが、その上に自分がこの子を捨てることとになるとはと、三勝は浮世の義理の辛さを悲しむ。三勝は、兄への義理を捨てても半七へ身の証を立てるため、この場で死ねば、お園がお通のことも金のことも面倒を見てくれるのではないかと考え、櫛箱からカミソリを取り出す。そこへ平左衛門が割って入り、それでは侍へ義理が立たないので兄が先に死ぬとカミソリを取り上げようとする。しかし三勝は修羅道の苦しみを受けたとしても惚れた半七を裏切りたくないとして死なせて欲しいと懇願する。それを聞いた平右衛門が兄が殺してやるとしているところに、三勝の命はもらったと宮城十内が現れる。

平左衛門は面倒をかけたのは自分の過ちであるとして謝るが、十内は彼の前に扇子に載せた小判の包みを差し出す。受け取れないと固辞する平左衛門に十内は、三勝は身請けしないと言い、平左衛門の父が50両の金を貸した侍というのは自分の父・十太夫だと告げる。十内は、父は立身出世してそれを返すよう頼んで亡くなったと語り、その父が恩を受けた治左衛門の息子娘を苦しませたのは自分の過ちであり、早くその金で借金を済ませ、親の名誉を回復して欲しいと言って立ち去ろうとする。平左衛門は借りたという証拠はと言うが、十内は三勝を連れ帰らないのが証拠と言って、若殿には三勝は 引く手あまたであるから身請けできたかったと言うと語る。死ぬ命を助けられ、半七と夫婦になれるとは十内のおかげと礼を言う三勝に、十内は、自分が仕える殿の領分・大和五条は半七の住家であり、その半七には正妻があるので、そのようなことは認められない、道を守るのが肝要であると異見する。十内の心遣いに涙する平左衛門が彼を門口まで見送ると、そこへはちょうど提灯をかかげた迎えの奴が来ていた。しかしその後ろに半七の姿があることに気づくと、三勝がそれを気にするにも関わらず、平左衛門は扉をぴっしゃりと閉めてしまう。十内もそれにつれて提灯を消し、夜闇の中へと去っていった。

 

 

 

┃ 下の巻 今宮戎の段

  • 善右衛門に贋金をつかまされる半七
  • 半七の善右衛門殺害

正月10日、今宮戎神社十日戎で大変な賑わいをみせている。その片隅に、土を掘ってこたつを置くという出し物があり、珍しがった人々がこたつに入りながらこたつ屋の主人と語らっている。戎さん参りを済ませたカップルもそのこたつに当たってこそぐりあっていちゃついていたが、酒を頼むとだんだん違う方向に盛り上がってきて、女がこんにゃくのおでんが好き💞と言うと男がそれなら食べていいよ💖と言い出し、それを契機に女はおでんやら田楽やら蛸の足やら貝の刺身やらぜんざいやら雑煮やらスッポン汁やらをめちゃくちゃに食いまくる。さすがにそこまで食われてはと男は逃げていくが、女はまだお腹いっぱいにならないと言って追っていき、こりゃ食い逃げだぞと上燗屋もそれを追いかけるのだった。

さて、そんな賑やかな往来の中、半七はひとり思案に暮れて立ち止まっていた。三勝との仲を宮城十内に知られては、50両の金を整えて返さなければ義理が立たない。十日戎の市も目に入らず半七が歩いていると、むこうから福笹を肩にかけた善右衛門と庄九郎が歩いてくる。戎参りかと声をかけてくる善右衛門に、半七はそれどころではないと答える。半七の勘当の話を聞いていた善右衛門は、30両や50両の金ならいつでも用立てると言い出す。半七はちょうど50両が入り用だった、ありがたいと言うも、その質に三勝を取られるのではと疑う。しかし善右衛門は子まである男を持つ三勝を女房に持っても仕方ないと嘯き、三勝を思い切った証拠に50両を貸してやろうと言う。半七は庄九郎に促され、その借用書を言われた通り「極月(12月)からの借り」と書いてしまう。そして善右衛門から小判の包みを受け取り、半七は山の口で飲み直すという二人と別れる。

去っていく二人を見て、半七は人の本心というのは外からは見えないものだと感心していたが、小判の封を解くとなんとそれは福笹の飾りの偽小判だった。驚いた半七は善右衛門を追って山の口へ向かう。

一方、善右衛門らは小唄を歌いながら上機嫌で土手を歩いていた。二人がふざけあっているところに半七が追いつき、偽小判の包みを投げ出して何の間違いだろうがと言うが、善右衛門らは素知らぬ顔。金を貸したことは貸したがそれは去年の「極月」ではないかと言い出す。半七は「極月」とは書いたが借りたのはつい先ほど今宮の境内、悪ふざけはなしにして欲しいと頼むが、善右衛門は取り合わず、この善右衛門が贋金を掴ませたという悪名を着せるのかと言い出す。それなら借用書を返して欲しいという半七だったが、善右衛門は金を返さなければ証文は返せないと言い張る。二人は言い合いになり、庄九郎は先ほど借りた金ならなぜ証文に「極月」と書いたのかと半七を責める。善右衛門は大衒りと半七を罵倒し、踏み倒して脇差を抜く。驚く半七に、お前が生きていては三勝が手に入らないから殺すと言いだす善右衛門。半七がその脇差をもぎとって善右衛門の肩先を斬りつけたので、庄九郎は「人殺し」と叫んで逃げる。半七は逃れようとする善右衛門に追い縋って斬りつけ、ついには乗りかかってとどめを刺す。一心寺の勤行の声と鐘が鳴り響く中、死骸はそのままに、半七は夜の中へ逃げていくのだった。

 

 

 

┃ 下の巻 上塩町の段(酒屋の段)

  • 謎の女の来訪と茜屋に預けられる捨て子
  • 茜屋に戻るお園
  • 宗岸の娘への思い、半兵衛の本心、お園の嘆き
  • 捨て子=お通の持っていた半七の書き置き
  • 半七・三勝の門口からの暇乞い
  • 善右衛門殺害事件の解決

大和五条で酒屋を営んでいた茜屋半兵衛は、今は大坂・上塩町に移ってこじんまりした店を構えている。その売場では、丁稚の長太が居眠りがてら店番をしていた。長太が隣家の三味線の師匠が奏でる「万年草」をゴキゲンで聞いていると、半兵衛の女房が現れて、旦那様が代官所からのお召しで留守でみな心配しているのにどういうことかとサボりを咎め、また去っていく。

長太が鼻水をすすっていると、2、3歳の子どもを抱いた女が酒が欲しいと訪ねてくる。ものもらいかと思った長太は追い払おうとするが、女房が出てきて対応すると、女は贈り物にしたいので、送り先の家まで丁稚に一緒に来て塗樽を運んで欲しいと言う。女房は長太に言いつけ、塗樽を持たせて女とともに送り出すのだった。

それと入れ替わりに、主人・半兵衛が町の五人組と一緒に帰ってくる。何の用事だったかと心配する女房に、町の宿老は心配はない、ここの半七が山の口で人殺し……と言いかけるので、半兵衛が引き取って、半七はひところからグレだしたゆえに勘当したと言い直す。皆にもてなしをと言う夫の言葉に女房は安心するが、宿老らは下宿*8でもういただいていると断り、なにやら様子がある表情を浮かべるのだった。

そうしているところへ丁稚の長太が酒樽を手に子どもを背負って泣きながら帰ってくる。先ほどの女が弁天様の境内でちょっとそこまでと言うので子どもを抱いて待っていたが、いつまで待っても帰ってこないのであちこち探し回ったが見つからず、子どもも泣き出したので自分も悲しくなって泣いて帰ってきたのだという。女房はそのまま待っていればよかったのに、そのうち女が迎えに来るだろうと子どもを抱き取るが、酒樽に「進上 茜屋半兵衛様」という書付がついていることに気づく。半兵衛は先ほど酒を買っていった女のいきさつを聞き、これは捨て子だと言い出す。こちらで買った酒にこちら宛の書付をつけて阿呆に抱かせて行方をくらましたのは、半兵衛を見込んで子どもを預けたのだろうと言うのだ。宿老たちは町がこの子の養育計らいの証人だと言い合う。半兵衛はなにやら意味ありげに今日の世話の礼を彼らに述べて帰すと、子どもを抱いた女房とともに奥の間へ入っていった。

入相の鐘が鳴る頃、お園を連れた宗岸が茜屋の門口へやってくる。戸締りをしかけた女房はそれに気づき、二人に声をかける。お園は入りづらそうにしているが、宗岸が構わず半兵衛を呼んで茜屋の内に上がると、半兵衛が渋った表情で姿を見せる。娘を連れ帰ったからにはこちらには用はないはずと言う半兵衛をとりなし、女房は嫁が帰っているので大変だろうと気遣う。すると宗岸は半兵衛の立腹はもっともだと言い、半七の放埓に怒って無理やりお園を連れ帰ったのは自分の誤りであると詫びる。宗岸はお園があまりに泣き暮らしているので病気にでもなりはしないかと心配になり、恥をこらえて詫びに来たのでお園を元どおり嫁として扱って欲しいと頼みに来たのだった。お園もまた半七の気に入るようにするのでまた嫁と言って欲しいと手をつかえる。女房はそれを温かく迎えようとするが、半兵衛は覆水盆に返らずとして頑として拒否し、そっぽを向いてしまう。重ねて頼む宗岸に、半兵衛は息子は勘当したのだから嫁というものもありえない、勘当は永久のものだと言い張るが、宗岸はそれならどうして半七の身代わりに縄にかかったのかと意外なことを言う。驚いた女房とお園が半兵衛の着物をとると、その下は縄に戒められていた。宗岸は続けて半七が昨夜山の口で善右衛門を殺した咎でお尋ね者になっていることを語る。お尋ね者になる前に息子を勘当したのは利口者と世間は言っても、半七の命を少しでも伸ばしたい親心のために半兵衛が縄にかかったことを知り、自分もまた事件の前に娘を取り返したと褒められるより笑われるほうがよいと宗岸は考えたのだった。宗岸は、お園を一旦嫁にやったからには半七に厭われるなら尼にでもして、半兵衛夫妻の亡き後の香華をとらせたいと語る。すでに妻は亡く父ひとり娘ひとりであり、そんなお園が半七を思うあまり早まったことをしないかと心配するのも親の宿命、半兵衛もまた半七が咎人になったらなお可愛いだろう、いくら縁を切ったといっても肉親の縁は切れないと宗岸は叫び泣く。その様子に半兵衛もまた涙をこぼし、一同はどっと涙を溢れさせるのだった。

その拍子に半兵衛は持病の痰が出て咳き込むが、それを優しく介抱するお園に、こんな孝行な嫁は広い世間にも滅多にないと語る。半兵衛は、本当はお園を実家へ帰したくなかったが、このままこの家に置いておくと若後家になってしまうのがかわいそうで、どれだけ詫びても聞かないふりをしていたのだった。咳き込んで語る半兵衛に一同は泣き沈むが、半兵衛はお園の前では言いにくい相談があるとして、宗岸と女房とともに奥の座敷へ入って行った。

座敷にひとり残されたお園は、どこにいるともしれない半七に思いを馳せる。自分さえいなければ舅姑も子を生んだ三勝を正妻として迎え、半七の身持ちもなおって勘当の沙汰もなかっただろうに、去年の秋病にかかった折にそのまま死んでいればこのような状況にならなかっただろうとお園は思い悩む。半七の気にかなわないと知りつつ未練ゆえにこの家にいつづけたのが半七を危機に追いやった、一年前に死ぬ覚悟がつかなかったと後悔するお園。その心には恨み辛みは露ほどもなく、夫を思う真実が宿っていた。お園は、明日また天満の実家へ帰り、そこで半七の死を聞くようなことがあれば思い死にするであろうに、それならこの家で死ねば来世での夫婦の縁をつなぐ綱にもなろうと思いつめる。

お園がそうして嘆いていると、その声に目を覚ました先ほどの子どもが奥からひょっこり出てくる。乳が飲みたいと甘えてくる姿を見て、お園はその子どもが美濃屋のお通であることに気づく。お園がお通を抱き上げていると、様子を聞いていた半兵衛夫婦や宗岸があわてて出てくる。半兵衛とその女房はその子が半七と三勝の子、つまり自分たちの孫であること、それをなぜ捨て子にしてここに預けたかに気が急き、手紙でも持っていないかとお通の懐をさぐる。女房が守り袋を開けると、中に一通の手紙が入っており、そこには「書置の事」と書かれていた。お園が読み上げると、そこには父半兵衛への不孝の詫び、母への養育と気遣いの礼が書かれており、自分は人を殺した身なので父母と別れなけらばならないことが書かれていた。一同はやはり半七が善右衛門を殺したのかと確信する。半兵衛は善右衛門が大悪人に違いないと言い、それでも喧嘩両成敗で半七が死なねばならないとはとひどく悔しがる。

そのころ、茜屋の門口には心中を覚悟した半七と三勝が、直接会われずとも半兵衛らとお通に最後の別れをするためにやってきていた。そうも知らない老母は書き置きを続けて読む。そこには、娘お通の養育を頼むということ、子を持って親の恩がよくわかったこと、お通のことだけが心残りだということが綴られていた。涙にくれる女房に代わってお園がその先を読むと、そこにはお園を随分ないがしろにしたにも関わらず、恨み言も言わずに夫と義父母を大切にしてくれた彼女への礼、三勝とはお園が嫁に来る以前からの仲で子まであったため離別しがたく、来世では必ずお園と夫婦にということが書かれていた。それを見たお園には喜びが込み上げ、宗岸もまた喜んでその続きを読む。最後に書かれていたのは、不孝者の自分たちの死後には父母や宗岸が嘆くであろうから、それを力づける孝行をお園に頼みたいこと、そしてお通のことを頼むと重ねて書かれていた。半兵衛はお通を抱き上げ、いままで初孫の顔が見たいと思っていたが、世間をはばかり控えていたものの、こういうことになるなら見られないほうがよかったと嘆く。女房も半七とこの子と一緒に暮らすならその成長が何よりの楽しみであろうと嘆くが、お通は祖父母の心を知らず、無邪気に手を打って遊んでいた。親がいなくなったと知ればどんなに嘆くかと、女房はお通を哀れむ。その様子を見て、門口の格子の外では三勝がお通との離別をひどく嘆き悲しむ。茜屋の内外はお互いを知ることもなく、ともに涙に暮れるのだった。

半七は嘆きを振り払い、いつまで繰り言していてもどうしようもなく、早く父の縄をほどくため自分が死なねばならないとして、三勝を促して立ち上がる。半七が最後に一目父母の顔をと茜屋の中を差し覗くと、三勝もまたお通を一目と伸び上がり、二人は両手を合わせて老父母らを伏し拝み、何度も振り返りつつ茜屋を後にする。

一方、茜屋の内では半兵衛が「今宵最後」という一文に気づき、手分けして半七の行方を探そうと声をかける。そうして一同が立ち上がったところに、「善右衛門を殺した咎人・茜屋半七、召し捕ったり」という声とともに、庄九郎に縄をかけた宮城十内が現れる。十内が言うには、半七が殺した今市善右衛門は国許の銀役人と共謀して御用金を盗んだ盗賊で、それを召し捕りにきたところ半七に殺害されたとの報を受けた。そこで始末は和州でつけるとこの地の役所へ申し入れ、善右衛門のかわりにその仲間である庄九郎を召し捕り、これで半兵衛には咎はないと告げる。女房は半七が死罪を免れたことを喜び、半七が死ぬ前に止めて欲しいと宗岸に懇願する。それを聞いた十内は遅かったかと悔やみ、役目があるので自分は行けないが、早く半七を探しに出るようにと一同を促すのだった。(おしまい)

注:末尾、宮城十内の出以降、文楽床本と丸本とでは若干の相違あり。上記は丸本準拠。 文楽床本では善右衛門の国許での悪行をあまり解説せず、十内が大坂の役所へこの一件の和州での裁きを申し入れるという発言がカットされている。また、女房が半七を止めて欲しいと言う相手は文楽床本では半兵衛となっている。ただし、文楽現行では基本的に宮城十内の出自体をまるごとカットし、半七と三勝が茜屋を去るところから段切まで飛ばす。

 

 

 

┃ 「道行霜夜の千日」について

2019年9月東京公演で出た「道行霜夜の千日」は、『艶容女舞衣』初演にはない増補。『艶容女舞衣』自体には三勝と半七が心中する場面はなく、上記の通り心中に出るところまでで留められている。

ただし突然妄想で湧いてきたものではなく、内容は『艶容女舞衣』の先行作にあたる紀海音作の『笠屋三勝廿五年忌』の「死出の道行」をもとにしている(ただし詞章は全然違う)。どういう経緯でこの段が制作されたのか、プログラムに載っていないのが残念。

「道行霜夜の千日」が最初に演じられた昭和35年(1960)には三勝と半七が心中しようと千日の火屋(火葬場)へたどり着いたところに半七らを探す半兵衛夫婦とお通をおぶった長太が来てしまい、二人は見つからないよう火屋の中に隠れて父母の嘆きを聞きながらやりすごすという『笠屋三勝廿五年忌』「死出の道行」からとったくだりがあったようだが、昭和44年(1969)の再改訂以降に整理されたようで、現在は火屋のくだりはカットされている。ここをカットしたらほぼ原型残らないので、この道行、本当にやらなくていいと思う……。

 

 


┃ 参考文献

  • 竹本三郎兵衛ほか=著、頼桃三郎=校『艶容女舞衣』岩波書店/1939
  • 蘇武利三郎=編『心中物脚本全集』良書刊行会/1916
  • 浄瑠璃作品要説 2 紀海音篇』国立劇場芸能調査室/1982
  • 国立劇場調査養成部芸能調査室=編『国立劇場上演資料集 324 第98回文楽公演 良弁杉由来・新版歌祭文・一谷嫩軍記・艶容女舞衣・契情倭荘子日本芸術文化振興会/1992
  • 祐田善雄=校注『日本古典文学大系 第99 文楽浄瑠璃集』岩波書店/1965
  • 吉永孝雄「三勝半七情死の実説と上演略史−附「道行霜夜の千日」の演出−」 甲南女子大国文学会=編『甲南国文』1977年3月号/甲南女子大国文学会

*1:舞台技巧派の作者。人形遣い二代目吉田三郎兵衛、吉田文三郎の子。宝暦9年2月『日高川入相花王』で近松半二らと合作したほか、三十数篇を書く。合作で『奥州安達原』『本朝廿四孝』『太平記忠臣講釈』『関取千両幟』『近江源氏先陣館』など。

*2:末期豊竹座の技巧派作者。合作で『岸姫松轡鑑』など。

*3:竹本座の作者。合作で『関取千両幟』『傾城阿波の鳴門』『近江源氏先陣館』など。

*4:浄瑠璃昭和17年(1942)、人形入りは昭和14年(1939)が最後の上演。

*5:御城入医者・高田瑞庵。

*6:尼さんから女郎に転職したっていう意味?

*7:3歳の男女の子どもが髪をのばし始めるのを祝う儀礼

*8:代官所へ行く際の休息場所。

文楽 9月東京公演『心中天網島』国立劇場小劇場

開演前に、「いまからはじまるの、クズの話☺️?」とピュアな口調で言ってる人がいた。第二部の酒屋の前にも同じこと言ってる人がいた。文楽のお客さんはみんなピュア、と思った。

なお、私がいままでに見た一番ピュアなお客さんは、開演前に文楽せんべいを買って幕間に箱を開けた人「顔ついとる!!!!」です。

「うち帰って食べよ!」って言うてはりました。

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心中天網島』北新地河庄の段。上方文化講座記事にあらすじをつけていなかったので、ここでまとめる。

蜆川のほとり、遊び客で賑わう曾根崎新地。遊女・小春〈人形役割=吉田和生〉は下おなご〈吉田簑太郎〉に伴われて茶屋「河庄」へやってくる。近頃小春は思い合う天満の紙屋・治兵衛との逢瀬を親方から止められた上、金は太いが性悪な毛虫客・太兵衛に言い寄られ、後がない境遇だった。小春がそんなことを河庄の花車〈桐竹紋臣〉と話していると、その太兵衛〈吉田文司〉が毛虫仲間の善六〈吉田清五郎〉を伴って河庄へやって来た。花車は小春には侍の客がついていると言って二人を追い払おうとするが、毛虫2匹はお構いなく河庄へ上がり込み、ほうき三味線を手に治兵衛の悪口浄瑠璃をうなりはじめ、小春はますます暗い顔つきになる。そうしているところへ小春を呼び出した頭巾姿の侍客〈吉田玉男〉が現れ、二人を摘み出してしまう。毛虫2匹は負け惜しみをギャンギャン喚きつつ、あたりを冷やかしに出かけていった。

侍客が座敷へ上がるも、小春は変わらぬ憂鬱な顔つき。侍客は紀伊国屋の下女に品定めをされたこととや小春の暗い態度に不満な様子。花車が事情を話して取り継ぐと、小春は「十夜のうちに死ねば仏になれるというのは本当か」「死ぬにも首を括るより咽喉を切るほうが痛いか」と不思議なことを侍客へ問う。気味悪がる侍客を花車がとり繕い、座敷を替えて酒でもと、三人は奥へと去っていった。

そんな河庄の門口に、小春の思い人、紙屋治兵衛〈桐竹勘十郎〉がやってくる。治兵衛は煮売屋で小春に客がついたという噂を聞きつけ、気になって様子を見にやって来たのだった。治兵衛が店の格子に取り付いて中の様子を伺っていると、小春を連れた侍客が奥の座敷から出てくる。治兵衛は身を潜め、二人の話を盗み聞くことに。

浮かぬ顔つきの小春に、侍客はその恋男と心中でもすれば先方の一家に恨みを買う、金で解決できるなら出すので心底を打ち明けるようにと諭す。すると小春は、確かに治兵衛と心中の約束はしたが、それは義理で言ったことで、自分が死んでは貧しい暮らしの母が心配であり、やはり死にたくないのでなんとかして欲しいと語るではないか。それに驚き、歯ぎしりして悔し涙を流す治兵衛。このまま揚げ続けて治兵衛との縁を切れされて欲しいと侍客に頼む小春の声に、治兵衛は思わずかっとなり、持っていた脇差を格子の隙間から店の中へめがけて突っ込む。しかし刃先は小春には届かず、治兵衛はそれを見咎めた侍客に腕を格子へ括り付けられてしまう。たまたま帰ってきた河庄の亭主〈吉田玉翔〉はその様子に驚くが、侍客は場所柄のことで騒ぐ必要はないという。脇差を見た小春は刃を突っ込んだ男が治兵衛であると気付いて嘆くが、河庄の亭主とともに侍客に連れられて奥の一間へと入っていった。

治兵衛は格子に括り付けられた己の無様さを恥じるが、そうしているところに太兵衛と善六が戻ってくる。河庄の門口に治兵衛がいることに気付いた太兵衛は、借用書を突き出して20両を返せと迫る。その借用書は石町の出家に渡したもののはずと返す治兵衛に、それなら代官所で話そうと彼の帯を引っ張る太兵衛。ところが治兵衛が痛がるさまに、彼が格子へ括り付けられてることに気付くと、太兵衛らは面白がって蹴飛ばして張り回し、「紙屋治兵衛が盗みして縛られた」と大声を上げる。その声にがやがやと往来をいく人々が集まってくるが、そこへ先ほどの侍客が走り出てきて、善六を突き飛ばす。太兵衛の腕をねじ上げて、治兵衛が何を盗んだというのかと一喝する侍客。ここに借用書があると食いさがる太兵衛に侍客が二十両を叩きつけると、毛虫はとたんにヘコヘコとそれを受け取る。二人は侍客にどつかれつつ、野次馬に負け惜しみを叫びながら去っていった。

人がいなくなると、侍客は治兵衛の戒めを解き、みずからの頭巾を取る。その顔を見た治兵衛はひどく驚く。侍客の正体は、彼の兄・粉屋孫右衛門だった。逃げようとしたところを孫右衛門に引きすえてられて座敷に上げられた治兵衛は、畳に泣き伏せて兄に詫びる。驚いて出てきた小春を見た治兵衛は彼女に掴み掛かって蹴り飛ばすが、止めに入った孫右衛門から、小春を蹴るくらいなら自分の性根をなぜ蹴らぬかと強く叱責される。治兵衛の妻・おさんは彼ら兄弟にとってはいとこであり、おさんの母は彼らの叔母。一族の寄り合いでも治兵衛の曾根崎通いの話がのぼり、叔母は立場がないという。しかも叔母の夫、つまりおさんの父・五座衛門は大変な頑固者で、おさんを取り返して治兵衛に恥をかかせてやるとすさまじい怒りよう、そこに挟まれた叔母は大変な心労であった。孫右衛門が河庄の亭主に言い含め、祭りの仮装か歌舞伎役者のように蔵屋敷の役人に化けてここへやって来たのも、治兵衛の行動と彼が入れ込んでいる小春の様子を確かめるためだった。涙をこぼしそうになるその孫右衛門の姿に、小春は始終泣き沈み、治兵衛もまた自らの行動を深く悔いる。

観念した治兵衛は、これまであのような嘘つきの女に騙され後悔千万と、これまで小春と取り交わしてきた起請文29通を孫右衛門の前へ出し、処分して欲しいと言う。起請文をあらため、微塵も心残りはないかと念押しする孫右衛門に、治兵衛はおとなしくうなずくのだった。孫右衛門は小春に向きなおると、彼女の持っている治兵衛からの起請文を出すように促す。なにやら出しづらそうにしている小春の懐から孫右衛門が無理矢理守り袋を取り出して中身を見ると、それは起請文ではなく一通の手紙。そこには、「小春様参る 紙屋内」の文字が認められていた。驚いた孫右衛門は小春が本当の義理立てしている相手を察するが、治兵衛が往生際悪くその状の送り主を知りたがるので、退ける。孫右衛門は状の送り主は誰にも言わないと小春に告げ、小春もまた孫右衛門の情を感じて伏し拝む。治兵衛はその様子を笑い、兄に帰ろうと言って座に背をむけて立ち行こうとする。が、また向き直り、どうにも腹がおさまらないとして小春に蹴りかかった。小春はわっと泣き、堪えかねて秘密を打ち明けようとするが、ここで耐えねば先ほどの状の送り主に義理が立たないと孫右衛門に押しとどめられる。

こうして孫右衛門に連れられ河庄から去っていく治兵衛の姿に、小春はなおも深く泣き沈むのだった。

 
 
 
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太兵衛と善六はとてもキモくて良かった。最近どんどん頭が悪くなってきているので、善六のセルフ口上に条件反射で拍手しそうになった。太兵衛のほうき三味線は前奏部分が妙に長くてめちゃくちゃウザいのが良かった。善六はそこまでの展開では特にこれといって何をするでもないが、ここでの太夫のフリのキモさは満点だった。どうキモかったかというと、浄瑠璃の語り始めの「〽️結ぶの」のところの表情が入るタイミングの絶妙ぶりが無駄にものすごいリアルでキモい。世界中のありとあらゆる人に見て欲しいと思った。その口三味線に乗って相当武士入ってる玉男様の孫右衛門が悠々と小幕から出てくるのが特におもしろかった。全員ニセモノつながりなのね。

太兵衛が一度引っ込むときにピンと袖を振って出ていくのも、性格最悪だけど金持ってていやらしい粋がある感じで、良かった。脇役のひっこみ際はほかの人形の演技とかぶるとなかなかゆっくり見られないけど、出と同じく、人形の見所だよなあと思った。

床の三輪さんも良かった。華やかさと、キレのよい俗っぽさがあった。生姜がちょっと入っている、砂糖菓子のような感じ。太兵衛と善六が浄瑠璃語りをはじめるくだりの「〽️蟷螂が斧」のところ、突然の三輪サンの「素」状態で、突然うますぎて笑った。

 

治兵衛はすべての段で感情や行動のトーンが変わるので、面白いけど、難しいのだなと思った。河庄と紙屋・大和屋では、ある人の2つの側面というより、別人に見える。紙屋と大和屋・道行は程よい健康的な色気で感情や佇まいがよくわかったが、河庄は派手に傾けすぎて、軽薄に感じた。それくらいやらないと曲に対して間が持たないという判断かと思うが、とくにこれといって何をしているわけでもないのに存在感ごん太の玉男様孫右衛門が隣にどどーんといるせいで(玉男様のあの存在感ごん太ぶりもどうかと言えばどうかと思うが)、やりすぎて若作りに見える印象。正直、稚拙に見える。

「心のうちはみな俺がこと」でほんのすこし肩を下げる仕草には、恋人が目の前にいるのに疑いがあって暗い気分である雰囲気や、小春に想われるに足る色男であるニュアンスを感じる。しかしその前後を大ぶりにして飾り立てているため、ニュアンスがかき消されている。全部が全部そこまでしなくても勘十郎さんほどの技量があれば伝わると思う。紙屋と大和屋はトーンが比較的抑えられているので、河庄も余計なものは削ぎ落としてして欲しい。派手さが役の演技に定着している阿古屋、団七、お初(曾根崎心中)はいいけど、治兵衛でこれはこしらえごとにすぎず、無理がある。それにしても治兵衛は起請文をいちいち全部持ち歩いてるのが怖い。形が残るもんはあとでどう取り扱われるかわからないから怖いと思った。

 

川庄の小春はそれこそ「とぼとぼ」出てくる*1。陰鬱というより抜け殻。心のうちがまったくわからず、まさに人形のように空虚な表情。川庄の店の中でも終始心ここにあらずで、自分自身の体とは違うところに心が浮かんでいる感じ。普段和生さんにはない雰囲気で、不思議だった。

ここでの和生さんの小春を見ると、人形だけで言えば河庄を原作で上演することも可能なのではないかと思った。色気はしおれ、相当抑えた雰囲気にされていたが、ここまでトーンを下げて舞台が成立しているなら、原作の地味さに耐えうるのでは。原作の小春は最後の治兵衛の帰り際「やっぱり本当のことを……」と言いかける場面がないなど、地味が極まっているので技量がないと間が持たないと思うが、和生さんならむしろ原作のほうが似合うかもと思った。最後、格子越しに背中を見せてシクシク泣くところは控えめな美しさがあった。この段階で小春の魅力が見えづらく、なぜ治兵衛が小春と心中しようと思ったのかはわからないのは、全体の計算から逆算すると、うまいと思う。大和屋までいくと納得するので。しかし、ちょっと上品すぎて、下級遊女というより、芸者に寄っている感じがした。

 

河庄の孫右衛門は武士に化けた町人じゃなくて、町人に化けた武士状態に寄っていた。存在感ありすぎと言ったほうが正しいか。あまりに線が太すぎて、町人であっても名字帯刀を許されてる特権階級か、町人ながら武士の上をいく武芸をたしなんだ町道場の師範代とかですかって感じだった。これは玉男さんだけでなく、すべてを青池保子作画にする三輪エフェクトもあるな。昨年の9月の『夏祭浪花鑑』の道具屋の義平次も玉男さん×三輪さんで、いくらオッチョコチョイな演技を挟んでいても上品&武人オーラが妙に強くて、真面目な人が一生懸命悪どくやってる感じで、笑ったんだったわ(失礼)。ただ、よく見ていたら、茶屋へやって来て花車がいる間はかなり武士っぽく振舞っているものの、二度目の出、花車がいなくなって小春と二人になると、同じ衣装のままでもやや丸い雰囲気になる。自分が孫右衛門のどこに武士を感じているのかと思っていたのだが、座ったときの肩や二の腕の構え方、手の置き方かな。花車がいて武士ぶりをアピールしているときは肩を武張って堂々と座っているが、小春に打ち明け話をさせたり、正体を明かしていくうち、だんだんその張りをなくして、礼儀正しい商人の座り方になる。さらに紙屋で義母を伴ってやってくるくだりでは、肩をなで肩のように落として脇を開かず、膝も広げずに揃えてしゅっと綺麗に座っていて、ものごとに一歩下がって対応する、品のある商人の佇まいになっていた。

芝居自体とは関係ないが、孫右衛門は河庄の前半と後半で左遣いが違うんじゃないかと思った。後半のほうが上手い人がついているのではないか。紙屋、大和屋ではまた違う人がついているような気がする。それは治兵衛もそう。治兵衛と孫右衛門は、段によってばらばらの左の人がついているのではないかと思った。見ていると面白い。

 

 

 

天満紙屋内の段。

天満の老舗紙屋である治兵衛の店を切り盛りしているのは、妻・おさん〈吉田勘彌〉だった。店のことも家のことも一手に取り仕切るおさんは、使いに出た下女のお玉や、子ども二人を遊びに連れて行った丁稚の三五郎が戻らないことが心配でそわそわしている。そうしているところへ、長男・勘太郎〈前半=吉田和馬/後半=吉田簑之〉がひとりで帰ってくる。おさんが手足の冷えた勘太郎をこたつに入れていると、こんどは三五郎〈吉田玉勢〉がのらのら帰ってくる。お末をどこへやったというおさんに、どこかへ落としてきたと答える三五郎。驚いたおさんが怒っていると、今度はお玉〈前半=吉田玉誉/後半=桐竹紋吉(このダブルキャスト、ちょっとかわいそすぎませんか)〉が道端で泣いていたというお末〈前半=吉田和登/後半=豊松清之助〉をおぶって帰ってくる。おさんはお末を抱いてこたつへ入れてやり、三五郎を叱責するが、アホの三五郎は屁の河童であった。そうしていると、お玉が孫右衛門とおさんの母がこっちに向かってきているのを見たと言い出す。おさんはただでさえ不品行を責められている夫が彼らに見つかって叱られないよう、こたつで寝ている治兵衛を起こす。

治兵衛がこたつから飛び起きて番台で仕事をはじめると、お玉の話通り、孫右衛門とおさんの母〈桐竹紋秀〉が訪ねてくる。治兵衛は愛想よく二人をもてなすが、おさんの母はそれに構わず、夫の不品行は妻の油断からであり、女夫別れは夫ばかりの恥ではないとおさんを諭す。孫右衛門は、河庄で小春と別れると兄に誓って10日も経たないのに小春を請け出すとはどういう了簡だと治兵衛に詰め寄る。聞けば「天満の大尽」が小春を近日中に請け出すとの世間の噂。おさんの母は、その噂に夫・五左衛門が激怒して飛び出そうとしたところを押しとどめ、説得に来たのだという。叔母は治兵衛の父の「治兵衛を頼む」という遺言を思い出し、涙に暮れる。それを聞いた治兵衛は、小春を請け出す天満の大尽とは太兵衛に違いない、自分は関係のないこととと答える。おさんが夫が茶屋者を請け出すのを許すはずがないと口添えしたのを聞いておさんの母も納得し、五左衛門への証拠として誓紙を書くように治兵衛へ促す。治兵衛が孫右衛門から渡された牛王の札に起請文を書き、血判を押すと、おさんの母は安心して孫右衛門とともに帰っていった。

それを見送った治兵衛は、再びこたつへ潜り込む。おさんがまだ曾根崎のことを忘れられないのかとこたつ布団をひきはがすと、その枕は治兵衛の涙に濡れていた。おさんは、それなら誓紙を書かなければよかったのにとつぶやく。一昨年の秋から妻として扱われずにいて、母や孫右衛門のおかげでやっと夫婦に戻れると思ったのに、なんと酷くつれないことかと恨み泣くおさん。治兵衛は涙を拭い、小春には未練はないと言う。「たとえ治兵衛と縁が切れたとしても太兵衛に請け出されるつもりはなく、もし金ずくでそうされるなら死ぬ」と言って10日も経たないうちに請け出されるような女に心残りはない、それよりも太兵衛にせり負かされた恥をかくのが辛いと語る治兵衛。

しかしそれを聞いたおさんは、それなら小春は死ぬだろうと言い出す。小春が突然愛想尽かししたのは、自分が仕組んだことだと言うのだ。実はおさんは治兵衛と小春の心中の気配を察し、お互いにとって大切な治兵衛が死ぬことのないよう別れて欲しいと頼む手紙を小春あてに書いていたのだ。小春もそれを了承したため、あのような態度に出ていたのだった。おさんは小春から受け取った手紙を、小春と同じように肌身離さず持っていた。それほどの賢女が治兵衛を裏切っておめおめ太兵衛に請け出されるわけはなく死ぬつもりだろう、小春を助けて欲しいと夫にすがりつくおさん。治兵衛も驚き、河庄で孫右衛門が小春から受け取った手紙がおさんからのものであったと気づく。小春を殺しては義理が立たないと泣くおさんに、そうは言っても金がなければ太兵衛より先に請け出すことはできないと思い悩むが、おさんはすかさず箪笥から新銀400匁を取り出す。商売の金を仮に前金へ使い、穴埋めはあとでするというおさんは、箪笥をあけて子どもや自分の着物、かんざしを風呂敷に包み、請金を作るための質入れの準備をしはじめる。なんとしても小春を請け出し面子を立てて欲しいと言うおさんに、治兵衛は小春を請け出したあと、おさん自身はどうするつもりなのかと問う(こいつマジモンのバカか?)。うろたえ、子どもの乳母になるか飯炊きになるかと伏し沈むおさんにの姿に、治兵衛は、自身には親や仏の罰が当たらなかったとしても、女房の罰で未来は良くないだろうとおさんに詫びる。

ところが、治兵衛が衣装を改め、三五郎に質入れの荷物をもたせて出かけようとしたところに舅・五左衛門〈代役=吉田玉輝〉が来てしまう。五左衛門は治兵衛の姿を見咎め、新地通いするなら女房はいらないだろうと言って離縁状を書けと迫る。おさんが取り繕って、治兵衛は心を入れ替えており、母や孫右衛門の計らいで誓紙も受け取ってあると言うが、五左衛門はそんなものアホはいくらでも書き散らすと誓紙を取り出してずたずたに引き裂いてしまった。治兵衛は深く伏して詫び、自分はどうなってもおさんにだけは苦労をさせないのでこのまま添わせて欲しいと涙を流して頼み込むが、五左衛門は受け付けず、おさんの衣装改めをはじめる。五左衛門はおさんを押しのけて箪笥を引き開け、その中がカラであることを知って激怒。三五郎が背負っていた風呂敷包みの中身を見た五左衛門は凄まじい勢いで治兵衛を罵倒し、離縁状を書くようさらに強く迫る。治兵衛は去り状は書けないとして脇差を取り出し自害しようとするも、おさんが引きとどめ、治兵衛は他人でも孫は可愛くないのか、自分も別れるつもりはないと父に向かって泣き叫ぶ。しかし五左衛門は構わず、嫌がるおさんを引きずっていく。その騒ぎにこたつで眠っていた子どもたちが起き出しておさんにすがりつくが、五左衛門の決意は変わらなかった。おさんは子どもたちのことを治兵衛に頼み、父に連れられて紙屋を去っていくのだった。

紙屋は昭和30年代の松竹か東宝の映画を見ているような、曲としての佇まいがあった。暗い品があり、締め付けられるような息苦しさがあって、こちらも憂鬱になった。

 

個人の意見としか言いようがないが、今回、小春とおさんの人形配役は逆にして欲しかった(ものすごい個人の意見)。小春を和生さんにやってもらって河庄に和生さん・勘十郎さん・玉男さんを固める意図はわかるんだけど、ご本人方の個性からすると、勘彌さんが遊女、和生さんが商家の妻のほうが明らかに似合うと思う。お客さん全員そう思ったと思う(巨大主語)。

しかし結果的には勘彌さんのおさんはかなりよかった(どっちだよ)。色気を抑えた佇まいがものすごくよかったから。人間で言うと新珠三千代みたい。三五郎やお玉にいろいろと言いつけたり、子どもをこたつに入れたりするときは普通のおかみさん風なんだけど、治兵衛と二人になると雰囲気が変わる。とても女性的な雰囲気になる。たんに女っぽいわけではなく、こぼれ出てくる色気をギリギリまで表に出さないようにして、余計な女ぶりを見せないようにつつましくしている佇まいがとても良かった。勘彌さんが「ご自分そのまんまでやってください!」という状況で奥さん役やったら道行く男が全員振り返るエロ奥さんになってしまうと思うのだが、おさんはそういう役ではなく、紙屋自体も地味な話なので、相当抑えてやってらっしゃるんだと思う。それで、建前を全面に出しながらも秘めた色気がこぼれそうになっていて、「こんな魅力的なおさんの良さがわからない治兵衛は本当に大バカでは???」状態になっていた。かなり若そうなのに、無理して商家の立派な妻、夫を立てる立派な良妻を演じているように見えるところが良い。治兵衛を見つめる美しい顔に悲しげな憂いと諦めが浮かんでいる。母から治兵衛を批判され、「ちゃう」と言いたげに肩をぴくっとさせるあたりがとても不幸呼び寄せ体質な佇まいで、よかった。私が隣家に住む男子高校生ならその色っぽさに報われない恋心を抱き、絶対自分のほうが奥さんを幸せにできるのにと勉強が手につかなくなると思う。

おさんの悲惨さは、治兵衛との関係にもある。夫婦というより、子どものころからのいとこ同士の関係そのまんまなんだなと思った。現代社会では考えられないニュアンス、微妙に怖いというか……、病的な感じがした。演じ方もあるけど、浄瑠璃に素直にいくとそうなってしまうのかな。でも、治兵衛をある程度他人というか、友達だと思っているのなら、小春に手紙を書いたのも、小春を身請けしてもいいと思うのはわかる。しかしそのときに夫の顔を立てるという言い回しをするのはよくわからないな。小春への義理と夫の面子立てとは意味が違うように思うが、なんであんなごっちゃに言ってるんだろう。でも、子供にあんまり興味なさそうな感じは、絶妙でよかった。いや、よくはないんだけど、だっこの仕方が微妙に雑というか……。右手で抱く、左手で抱く問題もあると思うが。おさんは右手で抱くので、仕事が多いからかな。酒屋・半七ママ(簑一郎さん)は左手右手とも始終「あらかわいーー!!!」って感じにお通をだっこしていた。おさんは店も家も忙しすぎて、子どもを「猫!?」みたいに扱っているのがある意味リアルで、昔の人っぽい感じがした。

なにはともあれ、とにかく、おさんがエロ奥さんで、よかった。お色気奥さんは、良い。お客さん全員そう思ったと思う(2回目の巨大主語)。

治兵衛は紙屋では普通の旦那さん的な芝居で、派手さがないため、逆に一つ一つの動作に味があって、とてもよかった。孫右衛門と義母が帰っておさんも一度引っ込んだ後、ひとりでゆっくりこたつに入り直すところは、人形が涙を流すことはないはずだけど、湿った味わいがあって、よかった。どうでもいいが、治兵衛、『「シャキッとしてる演技」』が『「シャキッとしてる」演技』になっていたな。本物のドクズはあんなに脱兎の如くコタツから飛び出ないぜ勘十郎よ。あの飛び出かたはさすが勘十郎さんだなと思った。ああいう真面目な感じが勘十郎さんの良いところだが、クズが極まった私ならこたつごと番台まで移動するね。正真正銘の本物のクズなので。五座衛門の来訪に心を入れ替えて詫びるところは真実味があった。勘十郎さんはこういうところが良い。
舞台は五座衛門が出てきてからはだいぶとガヤガヤするが、おさんが治兵衛に抱きつく→おさんが五座衛門に引きずられて離されるところ、まるで人間がそうしているかのようにものすごくスムーズにいっていた。人形出遣いであれだけ人数が密集していても、ごちゃごちゃに見えない。ご出演の方々の工夫を感じた。紙屋は全体的に人形がよかった。左もうまい人をつけていると思う。

三五郎はアホ設定だけど、酒屋の丁稚より賢いらしく、鼻水を自分の服で拭いていたのが良かった。そして五座衛門はとにかくキレにキレまくっているのが良かった。鬼のように気の強い町のジジイ。登場人物の中で一番まとも。

しかし床が前後全然繋がってねえ! ここだけじゃない。河庄も紙屋も、前後つなげる気ないだろ。酒屋は3分割してもつながってたやん。なんでこうなるの。それに配役の食い合わせがおかしくないか。ほっけの後に抹茶プリン出してるみたいなセンスだよね。いや、個性があってみんないいと思っていますけど、ほっけ→だし巻き卵とか、梅こぶ茶→抹茶プリンみたいなほどよい食い合わせはできんのですか。どういうチャレンジなんだ。

 

 

 

大和屋の段。

深夜、大和屋前。あたりは鎮まり返り、火の用心の見回りをする番太の声と拍子木の音だけが十五夜の町に響いている。その静寂を破って、紀伊国屋から大和屋へ小春の迎えがやって来るが、小春は今夜は泊まりとの返事。下女は太兵衛への身請けが決まった小春の身を頼んでスタスタと帰っていった。

しばらく経って、治兵衛が大和屋の戸口をくぐって外に出てくる。治兵衛は見送る亭主〈吉田玉彦〉に、小春は朝まで寝かせておいて、先ほど渡した金で諸々を清算し、残った分で関係の衆に祝儀やらを渡して欲しいと頼む。用事で京都へ行くと言ってそのまま立ち去ろうとする治兵衛だったが、脇差を忘れたと声をかけて亭主に持ってこさせる。受け取ると、町人は気楽、侍なら切腹だったと笑う。

亭主が引っ込むと、治兵衛はそっと引き返して大和屋へ戻ろうとする。が、人が近づいてくる気配。治兵衛が身を隠して伺っていると、それは兄孫右衛門とその供をして勘太郎を背負ってきた三五郎だった。孫右衛門が大和屋の戸を叩いて紙屋治兵衛が来ていないかと尋ねると、もう帰ったとの返事。帰ったのならここまでの道で会ったはずと、続けて小春は一緒でなかったかと声をかける。小春は泊まりで二階に寝ているとの答えを得た孫右衛門は、一緒でないなら心中の心配はないとしてひとまず安心する。孫右衛門は三五郎にほかにアホが行く心当たりはないかと問うが、アホ=σ(。・ω・。) だと思い込んだ三五郎がアサッテな返事をするので叱りつける。そうして孫右衛門と勘太郎は寒風の中、治兵衛を探して裏町に向かって行った。

それを見送った治兵衛は兄の恩に伏し拝んでいたが、覚悟は決めてあると思い直し、大和屋の戸口をそっと伺う。潜り戸の隙間をそっと覗くと、そこには小春らしい人影。エヘン、という咳払いの合図に彼女であることを確信するが、ちょうどそのとき番太〈吉田玉路〉が大和屋の前へ巡ってくる。治兵衛はそれをそっとやり過ごし、人影がなくなったのを見計らって大和屋の戸口へ忍び寄る。早く出たいと言う小春に、治兵衛は固い車戸を少しずつ少しずつ、そっと開ける。やっと大和屋から出られた小春に治兵衛は羽織をかけてやると、二人は手を取り合って、蜆川の流れとは逆の東へ向かって走っていくのだった。

大和屋、床も人形も緊密だった。上手に大和屋の建物外壁が置かれ、舞台中央は往来としたシンプルな大道具で、人形も段切まではほとんど動きがないぶん、ひとつひとつの所作に密度が上がっている印象。暗く静かな中に、緊張した空気が漂っていた。

 

段切の人形の演技は封印切や天満屋のように激しいものにしていたが、浄瑠璃あるいは床の雰囲気との兼ね合いからするとギリギリを攻めている感じがして、原作の良さを残しつつ現代の上演に耐えうる舞台を探っているように思った。突然盛り上がるので、結構びっくりする。特に治兵衛は紙屋までは相当ふらふらした態度や心理が続いていたけれど、そこまで思いつめていたんだなと思った。

 

河庄では生気がなく、人形のような様子の小春だったが、大和屋や道行になると、きりっとした決意を感じた。はっきりとした意思を持ったひとりの生きた個人になり、必死な表情を見せる。最初に観たときはかなり上手側の席だったので、大和屋の中で小春が何をしているかまったくわからず、扉の隙間からちいさな白い手をヒラヒラ、ぱたぱたとさせるのがちらちら見えて、可憐だなと思っていた。しかし大和屋の内がちょっと見える席で観たときは、すごく情熱的に治兵衛の助けを求めているのがわかって、印象的だった。治兵衛よりずっと焦っているようで、彼女の心のなかに燃える炎が突然見えたようで、どきっとした。川庄では相当大人っぽい雰囲気で、自制心が強そうで、とてもじゃないけど世間の倫理に外れたことはしなさそうな印象なのだが……、大和屋以降は違う。自分自身のために生きて死のうという強い意思を感じる。治兵衛のために死ぬのとは意味がまたちょっと違う気がする。治兵衛のためにと自分は耐えるべきと思っているのは河庄までで、大和屋からは自分のために行動しているというか……。紙屋には小春は出てこないけど、そのあいだに彼女の心と身体が一致して、精神性が大きく変わったことを感じた。彼女の内面が変化した瞬間が舞台では描かれないことをいかした演技だったと思う。小春は紙屋に出てこなくても、そのあいだの彼女の時間や、息遣いを感じた。

 

ところであの、回ってくる火の番の人いるじゃないですか。あの人、鼻がぴこぴこするかしらの人かな?と思ったけど、ぴこぴこせずそのまま引っ込んでいったのがちょっと残念だった。寒いからやく帰りたかったのかな……。

 

市井を舞台にした世話物は、大抵途中から話が始まり、話の核になる問題自体は解決せず、登場人物の心理の変化によってストーリーが進むものが多いように思う。その中で、『曾根崎心中』『冥途の飛脚』等は登場人物の心理が決定的に変化する瞬間やその契機がドラマの山場に設定されている。だが、『心中天網島』では、治兵衛・小春の心理が決定的に変化する瞬間やその理由を外し、ドラマの山場なく物語が構成されている。それをどう見せるかは難しいなと思った。ストーリーテリングのテクニックとしては文章で読むなら面白いけど、舞台としては色々難しいと思う。現行の舞台装置だと大和屋は屋内を見せない演出になっているので、難しさが増幅されている。もちろん、成功すれば、主人公たちの劇的なドラマを目に見せない物語の構成と一致した大変効果的な手法で、今回はそれが成功していたと思う。

 

 

 

道行名残の橋づくし。

川沿いの様々な橋を眺めながら、治兵衛と小春はこれまでのことを様々に思い返して涙する。この世では添われずとも未来ではと誓い合う二人は網島の大長寺へたどり着き、ここを死ぬ場所と定める。小春がおさんとの約束を破ったことを憚り、彼女の蔑みだけが来世への迷いになるとつぶやくと、治兵衛もともに涙する。やがて晨朝の鐘が鳴り響く。治兵衛は小春の胸を刺し、自らは水門に括り付けた帯で首をくくって死ぬのだった。

もうすぐ死ぬはずなのに、ここがいちばん人形が生きているみたいで、不気味で、気持ち悪かった。人形が良いと思うときって、良いと感じると同時に、不気味に見える。人形遣いとは関係なく、独立して動き回っている生き物のように思えるからかな。人形は人間の動きをトレースしているわけではなく、独立したそういう生き物のように見えるので、怖い。

変な言い方だが、その様子から、死のうと思って、悲しくはあってもこれで楽になれると思っている人の暗く濡れた心理を感じた。文楽ではほかにも心中物はいろいろあるけど、今回はかなり無残な印象だった。心中しても意味がない。ただ苦しむ場所が地獄に変わるだけ。口では未来で夫婦と言っているけど、そんな都合よくいかないのではないか。来世にも希望がかけられていなくて、おさんや孫右衛門を裏切ったこの人たちは、その報いをうけて地獄でばらばらになって、永遠の責め苦を受けるのだろうと思った。そういう暗さがあった。大道具はいつも通り能天気なザックリさだったけど(失礼)、人形の発する雰囲気から、地面に生えた雑草の早朝の青臭さや、樋の木の朝露に湿った質感や、そこに流れる水の冷たく無機質な匂いを感じた。自分もいつこうして追い込まれるかわからないけど、ここでは死にたくはない。

 

床は小春役の芳穂さんがよかった。配役を見たときはなかなか声が太い人を持ってきたなと思ったけれど、芯のある声に小春の意思の強さやひたむきさが感じられた。しかし今月は道行で床の人数を稼ごうとする確固たる意思が感じられすぎる。

 

出演者はよかったが……、なんというか、この道行って、つける必要、あんまりないな……。死んで完結するのを見せることにテーマ上の意味がないというか……。『曾根崎心中』で心中するところを見せるか否かが議論になった理由がわかる気がする。「道行はやらないほうがいいのでは」と酒屋の感想でも同じようなことを書いたけど、それとは真逆の意味で、これをつけずに大和屋か紙屋で止めたほうが、舞台の完成度が上がる気がする。紙屋の改作(『天網島時雨炬燵』)は最後、小春が紙屋まで来て治兵衛と二人で逃げるところで終わるようだが、それを観てみたいと思った。

 

 

 

出演者個々はよかったが、公演のひとつの部を構成する一演目としては散漫な印象だった。さら〜っと流れていって、ぼんやり状態のまま終わる。なんだかフワフワしていた。それは浄瑠璃自体の性格にも、出演者のパフォーマンスにも、両方に要因があるんだろうなと思う。

最初、初日近くに観たときは、これ大丈夫なのかと思った。見ていて/聞いていて、迷ってしまう印象だった。メリハリもなく、話の全体像がぼんやりとしていた。ただ、2回目、千穐楽前に観たときには、治兵衛と小春の人形から、散漫でメリハリのない状態を解消し、上・中・下の巻がつながったひとつの浄瑠璃にしようという思念を感じた。私の感じ方(席等の観劇状況含む)なのか、実際、勘十郎さんと和生さんがそうされたのかは、わからない。ただ、勘十郎さんも和生さんも、千穐楽前日のほうが描く人物像がくっきりしていたように感じた。人形はそれぞれの段で不思議に感じる部分もあったが、全段で観ると意図がわかった。こういう曲は佇まいを出せるか、そしてそれが的確かどうかが勝負になると思うので、大変だと思った。

今月本当にしみじみと思ったが、決まっている演奏や振り付けをこなすだけではその役ではない。「佇まい」がないとどうしようもない。「佇まい」は、こしらえものでは出ない。今回の公演では、そのある・ないの差がはっきり出ていたと思う。しかし、観ている私自身は何に「佇まい」を感じているのか? 単なる自分の思い込みなのか? 人形に「佇まい」を出せる表現力とはどのようなものか? 脇役は脇役でそこに出るにふさわしい佇まいを出しつつ、余計なニュアンスを感じさせてはいけないが、それも上手い人とそうでない人がいる。よく考えてみたいと思う。

 

それにしても、これだけ力を入れた良い配役がされていても、見応えとしてここまでしかいかないのかと思った。一曲としてちぐはぐな印象を受けるのは、紙屋と大和屋を原作に戻して上演しはじめたのがここ数十年でしかなく、文楽座としての熟練がなされていないからなのだろうか。同じ近松にしても、たとえば『冥途の飛脚』とは、上演の見応えに格段の差があるように思う。演目としての成熟は、私が生きているうちは無理だろうなと思った。もっとのちの世代になると、曲として成立するのかもしれない。

古典芸能というのは、何世代にもわたって維持し続けるべきもの。その結果がどうなるか、いますぐにはわからなかったとしても、継承すること自体で価値を生むということを、改めて感じた。いまものすごい名曲だと私が思っている尼が崎や先代萩も、初演時からいまほどの聴きごたえ・見応えがあったわけではなく、長い上演の歴史が名曲にしてきたのかなと感じる。

来月の大阪は配役変わるし、またゆっくり観よ。と思った。

 

しかし治兵衛をクズにしたのは孫右衛門だな。孫右衛門が弟を甘やかしすぎたから治兵衛はあのような取り返しのつかないドクズになったんだと思う。孫右衛門が長男なのに天満の紙屋を継がなかったのは、才覚のない次男坊で人生どうしようもない治兵衛のためではないかと思う。あるいは、孫右衛門って治兵衛の血がつながった兄ではないのかなとも思う。近世大坂の商家は必ずしも長男が商売を継ぐわけではないらしいので、よくわからない。治兵衛も治兵衛で「あにじゃひと〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ😭😭😭😭😭😭😭」って何やねん。河庄はもちろん、大和屋で孫右衛門が自分を探しているのを見て深く反省しているけど、なんでその反省心をおさんに対して持てなかったのか。私がおさんの立場なら、小春どうこう以前の段階で、孫右衛門/治兵衛のブラコンぶりに引いてしまうと思う。

 

 

 

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玉男様ムービー、心中天網島ver。なんだか嬉しそうで遊ばされます。


国立劇場9月文楽公演 第一部『心中天網島』吉田玉男インタビュー

 

 

 

 

 

*1:治兵衛は「とぼとぼ」では出ないが、今回はそのほかが派手すぎて出が小走りに見えず、相対的にとぼとぼしていた。