TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 上方文化講座2019(3)『心中天網島』講読 大阪市立大学

1日目4限目、2日目1限目は引き続き久堀裕朗先生による「『心中天網島』講読」。実際の詞章を読みながら、浄瑠璃の内容を確認した。

実際の講義では、本文を読み上げながら語句の解説等をして頂いたが、難解な言葉、掛詞や和歌の引用等の注釈は古典文学全集にも載っているので、このノートではカットし、作品読解に重要となる地名や時制に関わる用語のみを解説した。ほか、原作・改作の表現上の相違点をまとめた。

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心中天網島』講読 INDEX

 

 

┃ 舞台MAP

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▶︎文化デジタルライブラリー 文楽 近松門左衛門 地図でみる「道行名残の橋づくし」
各場所の錦絵や現在の現場の写真も閲覧できる。現在の路線図を重ねて表示することも可能。
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc13/map/index.html

▶︎ラムゼイコレクション 文化3年(1806)の大坂の地図
Googlemapに重ねたり、動かしたりしながら閲覧できる。
http://rumsey.geogarage.com/maps/gG14.html?l=34.69346850200583&lon=135.5107115212337&zoom=15

 

 

 

┃ 作中の時間「十夜」

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心中天網島』の時系列は、「十夜」をキーワードに読み解くことができる。

「河庄」で小春が侍客に言う「十夜のうちに死んだ者は、仏になると言ひますが…」の「十夜」とは、浄土宗で旧暦10月6日〜15日の10昼夜の間、絶えず念仏を唱えるという行事。

最後の15日の夜というのはすなわち翌16日の朝までのことで、本作ラストシーンの網島・心中の場で聞こえてくる「切念仏」がこれにあたる*1。仮に心中を十夜の最終日程・10/16早朝だとすると、その前夜の大和屋は10/15と考えられる。「大和屋」とほとんど日が離れていないと推測できる「紙屋」で孫右衛門が「(河庄では)起請まで返して見せ、十日もたたぬ間に、なんぢや請け出す」と言っていることから、そこから10日遡るとなると「河庄」は十夜の頭あたりの日、10/6前後と推測できる。

ちなみに、「小春」というのも旧暦10月をさす言葉で、「神無月」も同。

 

 

 

┃ 作中舞台・時間一覧

▶︎上の巻 北新地河庄の段

場所 曽根崎新地 茶屋「河庄」
日時 10月6日ごろ

「河庄」とは、「河内屋庄兵衛」等の略称と思われる。同名の店は当時いくつかあり、特定できる史料は存在しない。現在、ある場所に「河庄跡」を称する碑が建っているが、昭和50年ごろ個人がインディーズで建てたもので、正確な場所を示しているわけではない。(私の大好きな「忠兵衛手植えのソテツ」とかの仲間?)
「蜆川」は現在は存在しない川。明治42年(1909)の大火で両岸が焼けたとき、瓦礫で埋め立てられた。

 

▶︎中の巻 天満紙屋の段

場所 天満 「紙屋」
日時 10月14日ごろ(「河庄」の10日ほど後)夕飯時

「紙屋」は天神橋から大阪天満宮へ向かう参道、当時の宮前町(現在の大阪市北区天神橋1丁目)にあった設定。文化デジタルライブラリーだと明確に場所が示されているので、実在が確認されているのかな。


▶︎下の巻 大和屋の段

場所 曽根崎新地or堂島新地 茶屋「大和屋」
日時 10月15日 26〜28時ごろ

「大和屋」は「大和屋伝兵衛」の屋号。詳細な場所は不明で、蜆川をはさんだ両岸のどちらか。
冒頭部の「蜆流るゝ水も行き交ふ人も音せぬ丑三つ(=AM3:00ごろ)の空十五夜の月冴えて」、治兵衛が出てくるところの「茶屋の茶釜も夜一時休むは八つと七つの間(=AM2:00から4:00のあいだ)」から時間が読み取れる。


▶︎下の巻 道行名残の橋づくし

場所 (梅田橋→緑橋→桜橋→蜆橋→大江橋→)天神橋→(難波小橋→舟入橋→堀川の橋)→天満橋→京橋→御成橋→網島 大長寺
日時 10月16日 夜明けごろ

現行では詞章の大幅カットを行なっているため、いきなり天満橋にいることになっている。上記は原文の場合。()内はセリフに登場する場所。
時間は、いよいよ心中というところの詞章に「晨朝(=明け方、AM6時ごろの勤行)に最期は今ぞと引き寄せて」とあるので、朝方と推測できる。

 

 

 

┃ 人物相関図

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注:現行上演の場合。原作と改作『心中紙屋治兵衛』が合体している状態の場合の図。原作には善六は登場なし。改作「河庄」 のみ上演の場合、善六が治兵衛のいとこでおさんに横恋慕していることはわからない。孫右衛門・治兵衛・おさん・善六はいとこ同士。

 

 

 

┃「河庄」 原作と改作の書き換え部分

「河庄」は、現行では改作『心中紙屋治兵衛』の「茶屋の段」を使っている。これは近松原作 と『心中紙屋治兵衛』「茶屋」は内容的にはほぼ同じことによるものだが、文章に微細な相違点がある。

具体的には、「踏む」という言葉が「蹴る」「張る」等へ書き換えられているのだ。

 

1. 小春が孫右衛門へ死にたくないと語るのを聞いた治兵衛の反応

[原作]
…どうしやう子に映る二人の横顔、エヽくらはせたい、踏みたい、何ぬかすやら、うなづき合ひ…

[改作]
…どふ障子に移る二人の横顔。エヽくらはせたいはりたい。何ぬかすやら黙き合。…

 

2. 縛られた治兵衛を見つけた太兵衛が大騒ぎするのを孫右衛門が止めるくだり

[原作]
…内より侍飛んで出で。盗人呼ばわりはおのれか。治兵衛が何盗んだ。サアぬかせと。太兵衛をかい掴み、土にぎやつとのめらせ。起きれば踏みしめ、踏みのめし/\。 …

[改作]
…内より侍飛で出。善六を突飛し。太兵衛が腕捻上れば…(この後、孫右衛門が太兵衛らを暴力で懲らしめる展開自体をカット。代わりに治兵衛の借金を太兵衛の顔へ「打ち付ける」)

 

3. 小春に文句を言う治兵衛への孫右衛門の異見のくだり

[原作]
…小春を踏む足で。うろたへたおのれが根性をなぜ踏まぬ。…

[改作]
…小春を蹴る脚で狼狽た其。おのれが根性をなぜ蹴らぬ。…

 

4. 治兵衛が小春を思い切ったと言って起請文を叩きつける直前のくだり

[原作]
…小春といふ家尻切りにたらされ、後悔千万。ふつゝり心残らねば、もつとも足も踏み込むまじ。…

[改作] 
…小春といふ家尻切にたぶらかされ後悔千万。ふつつり心残らねば。足向もするまじ。…(言い換えで回避)


まず、近松「踏む」という表現を多用している理由だが、治兵衛が紙屋であることから、紙→文(ふみ)→踏みの連想で、相手に危害を加える系の表現を「踏む」にしていると言われている。治兵衛の行動だけでなく、孫右衛門・太兵衛の行動の表現にも「踏む」は多用されている。

しかし、近松半二の改作ではこれがすべて「蹴る」「張る」等に改められている。その理由は、怒りに任せて小春を「踏む」という表現には違和感があり、劇として自然な表現である張る」に改められたのではないかと考えられているようだ。

久堀先生の説明では、半二は近松の言葉遊びに気付かずに書き改めたのではということだったが、それにしては書き換えが徹底的で、「踏む」でもよさそうな部分も「蹴る」「張る」に改められていたり、「地団駄を踏む」等の書き換えできない文言は、そのくだり自体のカット等も行なっている。確認すると、改作には「踏む」という表現は1箇所しか使われていない(小春が孫右衛門に揚げ続けて欲しいと頼むのを聞いた治兵衛が「踏込んで一騎打ちか」と思うくだり。原作・改作同一文)。「踏む」という表現をここまで回避しているのはあまりに偏執的で、わざとやっているのではないのかと感じるが……。

「紙」に関する連想モチーフは『心中紙屋治兵衛』の他の段にも転用されているので、紙まわりの表現を意識していないはずはない。ここまで排除しているのは狂っているとしか思えない。なぜこんなことをしたのだろう。

一方、近松原作でも、足蹴系表現を必ずしも「踏む」にしているわけではない。太兵衛が縛られた治兵衛をいじめるところは「ヤ獄門めとは、蹴飛ばかし」になっている。そして最後に治兵衛が小春にキックを入れるところも「額際をはつたと蹴って」になっており、治兵衛は当初「踏みたい」と言っていたのに、なんでそこが「踏む」やないねんという印象を受ける。肝心のココを「蹴る」にするならそれまでも「蹴る」でいいだろって思っちゃうんだけど、どういう解釈になっているのだろうか……。元々古典文学全般に表記揺れは結構あるものなので、運用の厳密性は議論の対象外ということなんですかね。*2

 

 

 

┃ 大道具「河庄」

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明治時代は治兵衛がくくりつけられる格子が上手にあった。現在は下手に移動しているが、講義でその理由の説明はなかった。

※大道具の図版はレジュメ(たぶん『義太夫年表 明治篇』からの転載)および『文楽道具帳 川上潔寄贈品目録』より

▶︎参考 現在の国立文楽劇場公演の場合(平成25年 2013)
http://kansai-butai.com/butaisyasin/back_number_2013.html#bunraku2013_4

 

 


−−−−−講義ノートここまで−−−−−

 

 

 

事前に原作・現行とも文章を確認してから受講したため、講義内容に入りやすかった。久堀先生のお話にあったが、難しいのはマクラの漢語等の多い部分で、そこを校注付き古典文学全集で押さえておけば、ほかは比較的平明なので問題なし。近松はどこの図書館も所蔵しているような文学全集にもよく入っているので、ありがたい。

そういう意味では、上方文化講座で講読として取り上げる際、こまごまとした言葉の説明は資料配布として、近松固有の文体にもっとフィーチャーしてもらってもいいように思った。去年も思ったんだけど、通常の学部の講義では、こういう読み上げ→語句解説といったような中学高校の授業的な形式はやってないよなあ。一般受講生向けの配慮だろうけど……、もしやるのなら、太夫とともに読み解くという形式で、学術的な読解→芸としての読解として、津駒さんも一緒に講義してくれるといいなと思った。

せっかく大学で学ぶのなら、たとえば、近松が後世の浄瑠璃作者とは違う文体であることはわかるのだが、同時代のそのほかの文学とはどう違うか、あるいはどう同じなのかを知りたい(自分で勉強しろ)。また、近松作品をもっと戯曲として捉えるとして、近松は歌舞伎も書いているのに、一番力を入れていたのは浄瑠璃なわけで、本人の中で歌舞伎狂言浄瑠璃とはどう違っていたのか。また、どう同じなのか。これはすでによく論じられていることなので本を読めばわかるっちゃわかるんですけど、講義として聞きたかった。

今回の講義で一番面白かったのは、原作と改作の文辞比較(上記でいう「踏む」の書き換え)。実は原文と改作の差分は予習として自分で洗い出しをしていたのだが、チャリ場の追加等に気をとられて気付かなかったので、こういったディテールの解説は大変参考になった。

 

ところで、レジュメには掲載があるが、時間切れで講義中には触れられず、あとで読んでおいてくださいと言われた要素の中に、おさんの行動のわかりづらさについての久堀先生の解説文があった(文楽公演パンフへ寄稿した文の転載)。小春を身請けしようと言い出すおさんの行動は「女同士の義理」によるものだとよく言われる。この「女同士の義理」というキーワード、『心中天網島』の解説にはよく出てくるけど、違和感を覚えることが多い。その読み解きを丁寧に解説してある文だった。端的にいうと、ここでいう「義理」とは、ネガティブなニュアンスのやむを得ない付き合いの意味ではなく、ごく人間らしい思いやりと言ったほうが近くて、社会的弱者である女性同士の相身互(あいみたがい)の感情によるものであると。かつての近松論で解説に使われていた言葉が古くなり、現代では通用しなくなっているのをさらに解説している印象だったが、どうせなら説明の説明ではなく、久堀先生ご自身のダイレクトな言葉で説明してもらうのが一番いいんじゃないかなと感じた。

文楽をとりまく言葉って、ものすごい時代錯誤な言葉をえんえん引きずってる印象がある。勘十郎さんや和生さんが話すぶんには新しい感性で話されてると感じるけど、ガイドブックとかがことに古臭い印象。その点、久堀先生が書いてらした文楽劇場のパンフの架空対談は良かったわ。昭和の同人誌みたいで(disってません)。あと東京公演の児玉先生の解説もいいよね。だいぶどうかしてて(disってません)。おふたりの文楽関連の初心者向け単著を望みます。

 

個人的には、近松作品の受容史をもうちょっと手厚く学びたかった(だから自分で勉強しろ)。ひらたく言えば、なぜそんなにありがたがられる(た)のかを知りたいのだ。なぜ明治時代に近松の再評価が起こったのか、なぜ昭和30年代にブームが起こったのか。明治の再評価は明治維新による国文学の見直しという面があると思うが、昭和30年代のブームがよくわからない。当時は近松物の映画も多数制作されたが、当時の映画誌の論評などを読んでいると、有名映画誌でも近松作品への誤った認識による記述が非常に多く*3、また、歌舞伎と人形浄瑠璃の区別がつかない論者も多くて、「再評価」という意味では実態がないブームだと感じた。当時、なぜそのようなことが起こり得たのか(それでも文楽は出遅れつつ、自分たちなりに真面目に対応したわけだが)気になっている。

 

講座このあと2日目2限目は、中国演劇専門の松浦恆雄先生による「涙の女」と題した講義があった。中国の物語には男女の「心中」という概念がないそうだ(実際に事件としては存在しても、物語としては日本ほどたくさんはないという意味)。でも殉死ならあるよということで、古典にみられる、人柱にされて殺された夫の後を追って死ぬ妻「孟姜女」のモチーフの成立過程を解説するという内容だった。個人的に、殉死どうこうより、夫が死んだことを知った女の泣き声で長城が倒壊するという展開のほうがインパクトがあった。やはり中国の古典物語というのはスケールと勢いがはんぱないと思った。お話はとても面白かったけど、文楽と関係ないので記事化は略します。

 


┃ 参考文献

 

 ┃ 上方文化講座2019 記事INDEX

上方文化講座2019 カテゴリーの記事一覧 - TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

 

 

おまけ

1日目の講義終了後、「逆櫓の松」を見に行った。逆櫓の松は、新福島駅のほど近くのマンションの敷地内に、植木にまぎれてにょろっと生えている。といっても、当然、本物の逆櫓の松はとうの昔に枯れてしまって「逆櫓の松趾」の碑が残るのみであり、いま生えているのは何代目かの「再現図」(?)である。当代逆櫓の松、だいぶと細くて、お人形さんでも登れない感じで、不安になった。

こんなんだと思ったのに

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思ってたのと違うがな

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細長っ

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看板には平家物語の説明が書いてありました。

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*1:……という説明だったような気がするが、浄土宗の一般的な朝のお勤めというわけはないのかな? ふつうのお勤めには「切念仏」という言葉は使わないということ? ちょっとよくわからなかった。

*2:調べればわかるのかもしれないけど、私、本当に近松に興味ないし、『心中天の網島』にはもっと興味がないので(突然の正直)、研究書につぶさに当たるのが面倒で、調べてません……。私、近松で好きなの、『冥途の飛脚』だけなんで……。でも、『冥途の飛脚』嫌いな人、結構いますよね……。(どんどん話が脱線)

*3:浄瑠璃における七五調を完成させたのは近松だとか書いてるレベルなので、推量して下さんせ。