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文楽 上方文化講座2019(2)『心中天網島』解説−原作『心中天の網島』・改作『心中紙屋治兵衛』・その他 大阪市立大学

上方文化講座、1日目2限目は、引き続き久堀裕朗先生(日本近世文学)による「『心中天網島』解説−原作『心中天の網島』・改作『心中紙屋治兵衛』・その他」。ここからは浄瑠璃自体を題材に、『心中天網島』にまつわる上演の実態を探っていく。

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心中天網島』解説−原作『心中天の網島』・改作『心中紙屋治兵衛』・その他 INDEX

※講義では作中の時間・場所についての説明もあったが、歴史的事実の検証ではなく本文からの類推にあたる内容なので、記事内容の整理のため、時間・場所は次回更新「『心中天網島』購読」に編入する。その他、本文記述に関する内容は次回記事へまとめている。

 

 

┃ 心中事件の実説

実際のところは不明。
享保5年(1720)10月14日・15日・16日説あり。
記述は歌舞伎作者・浜松歌国の随筆『南水漫遊拾遺』五の巻、大阪での出来事を編年体で記した『摂陽奇観』巻二十五ノ上・享保七年の部分にあり。
上記両方とも、一部記述に誤りあり。本人の間違い&記述のもとにした刷り物の間違いによるか。近松『心中天の網島』から読み取れる10月16日早朝説が有力とみられている。

 

 

 

┃ 『心中天網島』原作・改作

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1. 原作『心中天の網島』

  • 初演 享保5年(1720)12月6日、竹本座(番付なし。宝暦版『外題年鑑』に記録あり)
  •   近松門左衛門
  • 再演 ほぼなし
  • 内容 上の巻 北新地河庄の段/中の巻 天満紙屋の段/下の巻 大和屋の段・道行名残の橋づくし
  • 備考 原作は外題に「天“の”網島」と、“の”が入っている。

事件直後の劇化。再演がほぼなかった理由は、先述の舞台構造の変化、享保7年(1722)に心中ものが禁止されたことによるとみられる。とはいえ、実はいわゆる「心中もの」がなくなったわけではない。ラストシーン、いざというところで急に心中しなくなったり、タイトルから「心中」を抜いて上演しており、実際には出していた。

 

2. 改作『置土産今織上布(おきみやげいまおりじょうふ)

  • 初演 安永6年(1777)5月19日、北堀江市ノ側芝居、豊竹此吉座(番付なし。浄瑠璃正本あり)
  •   菅専助、豊春暁、若竹笛躬
  • 再演 この作品自体の全段通し再演は確認できず。現行なし。改作へ進化。
  • 内容 上の巻 淀屋橋の段・天満屋の段/中の巻 遊山船の段・紙屋の段/下の巻 新地河忠の段・道行天の網島・義兵衛内の段
  • 備考 現行『天網島時雨炬燵』「紙屋の段」はこの作品の「紙屋の段」の改作。

心中天網島』に曾根崎五人斬り事件の趣向を取り入れたもの。五人斬りまわりのネタが厚く、オリジナルエピソード、オリジナルキャラなどの増補要素がかなり多い。

簡単に言うと『心中天網島』と『国言詢音頭』の悪魔合体だが、この作品のほうが『国言詢音頭』(天明8年 1788)より先行しており、これをもとに『国言詢音頭』が書かれた。後世の五人斬りネタの作品より猟奇味が薄く、文章の内容から殺人現場の状況は事件関係者の供述書をベースに書かれているともみられている。

紙屋の主人・治兵衛(本作では次兵衛)と遊女・小春が思いあっている、おさんと小春は次兵衛の知らないところで通じ合っているのは『心中天網島』と同じで、それに加えて小春が『国言詢音頭』の菊野ポジを兼任しており、彼女のもとへ通う侍客・初右衛門(本作では宅右衛門)が出てくる。では小春は宅右衛門に殺されるのかと言えばそうではなく、芸子と入れ替わっていて難を逃れ、無事(?)次兵衛と心中できる。

話のところどころに出てきて治兵衛を助け、親身に異見をしてくれる侍(原作でいう「河庄」の孫右衛門の役目)は宅右衛門である。孫右衛門は登場せず、次兵衛の世話を焼くのは宅右衛門の役目。宅右衛門は小春を揚げ詰めにしていたが、急遽帰国することとなり、その前に、治兵衛という恋人がいるのは承知の上で小春に一夜を共にして欲しいと頼む。小春は宅右衛門のいままでの行動に感謝しながらも次兵衛への義理からそれを果たせず、やむなく芸子に頼んで入れ替わってもらう。ところがその深夜、茶屋へ現れた宅右衛門は、小春と入れ替わっていた芸子はじめ、茶屋の衆や来ていた客らを突然殺害(ここでどさくさに紛れて太兵衛も殺される)。

この展開自体は『国言詢音頭』と同じだが、実は宅右衛門は小春への恋や嫉妬ゆえに殺人を働いたわけではなかった。なんと宅右衛門は元・おさんの実家の使用人で、おさんパパ・五左衛門の為替を持逃げした過去があり、そのお詫びをしようと、次兵衛の女郎狂いに困っているおさん(おさんが子供だったころ、奉公人である宅右衛門が彼女の世話をしていた)を助けるべく、その元凶となっている小春を殺そうとしたのだ。はじめはなんとか次兵衛を説得することで小春と引き離そうとしていたが、急遽帰国が決まり、とはいえ固い勤めの武士の身の上では身請けもできず、やむなく殺人に至るという設定だ。ちなみに、小春の代わりに殺された芸子というのは実は宅右衛門の生き別れの実の娘(このあたりにもかなり複雑な設定がくっついている)。外題の『置土産今織上布』というのは、宅右衛門が殺してしまった娘の経帷子にと、白上布を手向けたことからきている。

話がドカ盛りすぎて上記概要読んでも意味全然わからないと思うが、内容を読んでいくと原作の換骨奪胎や不足部分のフォローがよくできていると感じる。原作では長子の孫右衛門がなぜ実家を継がなかったのかわからないが、この改作だと、次兵衛の弟が実家を継いでおり、次兵衛は分家としてよそで商売をしている設定になっている。これは、実は次兵衛の父は妾狂いでよそで子ども(次兵衛の弟)をこさえて平気な顔をしていたが、次兵衛の母は妾を憎むことなく、病死した妾から子どもを引き取り、夫の死後、その妾腹の子への義理を立てて跡をとらせたという設定によるもの。次兵衛は父親の犯した愚を自分もまた犯してしまうのだ。それでもって母から異見を受けてもなお行動を正せなかった次兵衛の愚かさが描かれている。

それにしても、『心中天網島』と『国言詢音頭』があって二つを合体させてこの話が出来上がったのならともかく、この話をもとに『国言詢音頭』が書かれたというのはすごい。曾根崎五人斬り事件の劇化は本作が最も早い(歌舞伎より先行)と言われている。本作での宅右衛門の行動にはすべて隠された深い理由があり、そこがいかにも浄瑠璃らしいところであるが、その理由をすべて取り払い、ものすごく即物的な話にした『国言詢音頭』は、残虐趣味の強化とはいえ、物語のつくりとして衝撃的である。本作「新地河忠の段」は『国言詢音頭』「五人伐の段」に近い内容。ちなみに原作「河庄」に近いのは「遊山船の段」で、河庄(料亭)で起こる一件を川に浮かんだ船の上として展開する。

 

 

3. 改作『心中紙屋治兵衛(しんじゅうかみやじへえ)』

  • 初演 安永7年(1778)4月21日、北の新地西の芝居、竹田万次郎座(番付あり)
  •   近松半二、竹田文吾
  • 再演 あり
  • 内容 上の巻 浮瀬の段・茶屋の段/下の巻 長町の段・紙屋の段
  • 備考 現行「河庄」はこの作品の「茶屋の段」。「紙屋」切はほぼ原作の流用で、19世紀前〜中期まで上演されていたとみられる*1が、幕末・明治以降には断絶。

心中天網島』に内容が近く、原作をいかして少し補足話を追加したような状態。ただし結末では治兵衛と小春は心中しない。本作オリジナルエピソードとして、「河庄(茶屋)」の前に「浮瀬(うかむせ)の段」、「河庄(茶屋)」と「紙屋」の間に「長町の段」を追加し、「大和屋の段」「道行名残の橋づくし」をカットしているのが特徴。なお、「紙屋」は前半に「ちょんがれ」という「茶屋」の内容を受けたチャリ場がついているものの、後半はほぼ原作と同様で、『置土産今織上布』よりもかなり原作に近い内容となっている。

「浮瀬の段」は、料亭・浮瀬*2で治兵衛が太兵衛一味の罠にハメられ、不意に20両の借りをこさえてしまうという話。浮瀬で大坂の紙屋仲間が宴会をしているところへ、江戸屋太兵衛が治兵衛の従兄弟・善六を連れて浮瀬へやって来る。太兵衛はリブズイン伊丹なので大坂の紙業者組合には入っていなかったが、資金ごん太の彼から融資を受けていない大坂の紙業者はいなかった。また、善六はかねてよりおさんに恋慕していたが、おさんは彼を嫌い治兵衛と結婚したため、治兵衛には消えて欲し〜と思っていた。そんな浮瀬へ、小春と、彼女を昼だけ買った僧侶姿の客がやってくる。一方、浮瀬へ来ていた治兵衛は、小春の揚代として借りた20両の返済を貸主・木の島屋伊兵衛から迫られていた。太兵衛が貸してやろうというのを固辞する治兵衛、そこへ小春の客の僧侶が現れ、治兵衛へ20両をポンと貸してくれる。治兵衛は喜んでその20両でもって借金を返済。僧侶には借用書を書いて渡すが、名を明かさないのでその宛名を空欄にしてしまう。治兵衛が帰った後、この僧侶と太兵衛・善六がなにやら密談。実はこの3人はグルで、乞食坊主・伝界坊は太兵衛に宛名空欄の借用書を渡すと、10両の謝礼をもらって博奕へ出かけてゆくのだった、という話。

「長町の段」は、長町の貧民窟で暮らしている小春のママ&妹のところへ治兵衛、続いて小春が訪ねにいく話。小春は貧乏な生まれで家計を助けるために女郎になったが、ママはそうさせたことを後悔していた。そんな貧乏長屋へ、治兵衛が「いままで小春ママへ仕送りをしていたが、小春に裏切られたのでこれで最後」と言いに来る。それでもママたちに対して親切な治兵衛に、ママは小春とはもう会わないと怒り心頭。その夕方、死を決意した小春が暇乞いにやって来るも、会うことはおろか来たことさえ知らせられない状態。そこで小春はママが盲目であることから、こっそり妹と入れ替わってママの肩もみをすることに。しかしママは肩をもんでくれているのが妹娘ではなく小春であると気づいており、ママの死後は姉妹仲良く暮らして欲しい、小春がおかしな死に方をしそうで心配だとこぼす。そこへ紀伊国屋の親方が小春を探しにきたので、小春は家を抜け出す。ママが小春の置いていった包みを開くと、中にはお金とともに数珠が入っており、ママは彼女の死の覚悟を知るのだった。という話。

さて、タイトルに「心中」と入っているのに心中しないとはどういうことかというと、「紙屋」の末尾が原作と異なっている。おさんが五左衛門に引きずられていった後、紙屋へ小春が忍んでくる。二人がいざ心中に出ようというところで孫右衛門が飛んできて、太兵衛への借金の件はもう大丈夫といって一件落着、二人は心中せずに助かるというオチ。規制のためこうしているが、心中したと思ってくれって感じの手仕舞いの仕方。

本作では治兵衛のおさんに対する心情が何度も描かれていて、不義理はしても女房に感謝しており、治兵衛がおさんをひとりの人間として大切にしていることがうかがわれる。また、おさんが小春が太兵衛に身請けされると知ってあわてはじめるくだりのセリフのやりとりが丁寧で、二人ともそれぞれの理由で小春を大切に思っており、そのうえで二人で相談しあって彼女を迎えにいこうと協力しあう展開になっているため、原作にあるような治兵衛の身勝手感やおさんの意味不明行動感が薄く、納得がいく。やっぱ江戸時からあの展開「無理だろ〜」と思われてたんだな……。

物語が「十夜」(詳細後述)の時期であることを効かせた展開も多く、それがクリスマス映画的な風情やクライマックスまでのリミット感、緊迫感を生んでいる。ほか、原作の「紙」まわりのキーワード、金まわりの設定も全般にうまく使われている。

 

 

4. 改作『天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)』

正本なし、作者不明。「増補天網島」の外題がはじめて見えるのは寛政3年(1791)、北堀江市の側芝居だが、この外題で内容は『心中紙屋治兵衛』を上演していることもあり、詳細は不明。

『天網島時雨炬燵』の作者等は不明で、『置土産今織上布』をベースに『心中紙屋治兵衛』が合体して手を加えられていき、現行のようなかたちになったのではと言われている、らしい。内容としては、前半3分の1くらいが『心中紙屋治兵衛』、後半3分の2くらいが『置土産今織上布』。

冒頭部、俗に「ちょんがれ」と呼ばれる部分、紙屋へ太兵衛の仲間・伝界坊がやってきて、治兵衛の悪口を歌いまくること、太兵衛が小春の親方の持ってきた彼女の書き置きを読んで「やっぱワシに惚れとったんや〜💌」と思い込んでテンション上がること、また、孫右衛門が河庄で返した金は悪銭だったと難癖をつけるくだりは『心中紙屋治兵衛』からきている要素。

後半、おさんが五左衛門に連れていかれた後、おさんに言いつけられていた三五郎が治兵衛・小春の祝言の盃を用意してくれるが水盃であること、門口へ出家姿の末娘・お末が戻っておりその衣におさんからのメッセージが書かれていること、おさんは尼になること、五左衛門は実はかつて自分の借金を救ってくれた治兵衛に感謝しており、いまこそその返金をして小春を請け出させようとするのは『置土産今織上布』からきている要素。

太兵衛と善六が同士討ちして、治兵衛がとどめをさすくだりは本作オリジナルの要素である。

そんな感じでいろんな要素を合体させた結果、話が盛りに盛られ、文楽によくいる人たちオールスターズ状態のコテコテになっているのが内容上の特長。

 

 

 

┃ 『心中天網島』上演史

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▶︎享保5年(1720)12月
原作『心中天の網島』初演。
再演ほぼなし。

 

▶︎安永6年(1777)5月
改作『置土産今織上布』初演。
現行『天網島時雨炬燵』の「紙屋」はこれをもとにしている。

 

▶︎安永7年(1778)4月
改作『心中紙屋治兵衛』初演。
現行「河庄」はこれの「茶屋」を使っている。また、「紙屋」(ほぼ原作と同じ内容)は19世紀中頃まで上演されていたとみられる。

 

▶︎以降 江戸〜明治期
改作初演以降、「心中天網島」「増補天網島」「天網島」等の題名で改作上演が続く。
上演内容は、「河庄」=『心中紙屋治兵衛』、「紙屋」=『天網島時雨炬燵』が中心。『心中紙屋治兵衛』の場合、「浮瀬」がついている例も多かった。

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▶︎大正6年(1917)3月
御霊文楽座で原作全段復活
三味線は当時文楽座の指南役だった六世豊澤広介が作曲。基本的に新規作曲だが、「紙屋内」「大和屋」は、江戸時代の朱をもとに補曲したのではと言われている。*3
しかし原作再演はウケず、改作「河庄」「紙屋」の見取り上演に戻る。

[演奏]
北新地河庄のだん 中=七世竹本源太夫 切=竹本津太夫/鶴澤友治郎
紙屋内より大和屋のだん 中=豊竹古靭太夫 切=竹本越路太夫/六世野澤吉兵衛
道行名残の橋づくし 三世竹本南部太夫・七世竹本源太夫・竹本越見太夫・竹本常子太夫鶴澤寛治

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▶︎昭和22年(1947)2月
四ツ橋文楽座で「天満紙屋より大和屋」の原作復活(上演この段のみ*4
かねてから原作復活をしたいと思っていた八世綱太夫(当時織太夫)が原作上演を推した模様(?)。
大正6年の復曲時に三味線を演奏した六世野澤吉兵衛の弟子・野澤松之輔が曲を覚えており、復曲できた。(舞台構成=野澤松之輔)

[演奏]
天満紙屋より大和屋 竹本織太夫(のちの八世綱太夫)/野澤団六(のちの十世弥七)

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▶︎昭和41年(1966)11月
国立劇場開場記念で『心中天網島』通し上演、「紙屋」に原作を採用
以降、国立劇場制作公演では「河庄」は改作、「紙屋」は原作で上演している。

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−−−−講義ノートここまで−−−−−

 

 

今回、個人的な予習・復習として、近松原作『心中天の網島』に加え、菅専助『置土産今織上布』、近松半二『心中紙屋治兵衛』も全文を読んだ。『置土産今織上布』、『心中紙屋治兵衛』ともに、かなり面白かった。

原作、『置土産今織上布』、『心中紙屋治兵衛』でもっとも違う部分は、物語の趣向の盛り具合より、おさんのキャラクターであるように感じる。原作のおさんは本当の心根は知れない「貞女」だが、『置土産今織上布』ではおさんは嫉妬の心も持つ普通の女で、しかしどこへ出しても恥ずかしくない立派な商家の妻でもある。気が早くて、家の仕切りにイキオイがあり、強気なのがチャーミングである。『心中紙屋治兵衛』のおさんは子供2人もいるいまも治兵衛に恋している女で、また、小春の人格も認めて彼女への気遣いもでき、家の商売も考えることができる、人間として出来ている女性だ。しかし、それまで相当しっかりしていたのに、小春の危機に気づいて頼りないはずの夫に「どうしよう!?」とすがりつくところなど、絶妙なブレがあって、良い。個人的にもっとも共感できるというか、「わかる」のが『心中紙屋治兵衛』のおさんだった。

また、治兵衛のクズ具合も3作で異なっていて、原作では治兵衛がありえないほど突き抜けたドクズで一切同情の余地がないが、改作2作ではさすがにそこまでのドクズはどうかと思ったのか、まだ反省心のあるマイルドクズに抑えられていた。『心中紙屋治兵衛』が一番理解できるベクトルのクズで、この作品での治兵衛は自分のクズを自覚しており、それでもクズ行動をしてしまう自分を情けなく思っている、年相応のクズだ。河庄のあとはしゅんとしていて、その反省心持続時間が長いのも特徴である。おさんに感謝しており、おさんのためならなんでもする心意気も見せる。小春が自害する可能性に気づいたあとも、おさんを無視する言動はとらない。

そして、原作の小春は他人の言動で自分の行動を決めてしまう中身のなさが気になるが、改作2作の場合は治兵衛・おさんと切り離したところで自分の考えや感情を述べる箇所もあった。その点、『置土産今織上布』の小春は、宅右衛門とのやりとりから単純に恋だけに命懸けでイイと思っているわけではないことが伺われ、描写が細かい。

改作をするには改作をするなりの工夫が存在している。『置土産今織上布』、『心中紙屋治兵衛』で原作から書き換えている部分がどこなのか、自分で確認してよかったと思う。

 

 

 

講座このあと1日目3限目は、日本史学専門の塚田孝先生による「近世大坂の芝居町」というテーマの講義があった。歌舞伎役者・中村富十郎が「天保の改革」による処罰によって所払いとなった一連の事件をテーマに、「成舞家文書」という史料を用いて難波村近辺の状況を読み解いていくというもの。この読み解きによって、(1)天保の改革の芸能取り締まりの実態、(2)歌舞伎役者の居住状況を知ろうという主旨である。ちなみにこれ、普通にこの先生が研究中の内容で、なにかの論文の解説とかではない。先生のおれの最近のしごと言い散らし大会状態で、良かった。

当時の難波近辺は代官支配による「村」で(都市部は町奉行支配)、巨大な墓所と火葬場、それにともなう仕事をする非人の集落がある「田舎」だった。しかし、時代が下ってくると、道頓堀のほうから「都市」が浸潤してきて、「新地」がつくられたり、田舎なんだけど都市という郊外のような状況になってくる。という話。文楽に直接関係ないので記事化はしないが、史料の信憑性の検討のしかた等の説明もあり、大変興味深いお話だった。こういう話はなかなか自学自習できないので、勉強になる。

 

 

 


┃ 参考文献

 

 ┃ 上方文化講座2019 記事INDEX

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*1:上演記録、文政期の稽古本が残っている。

*2:四天王寺付近にあった有名な料亭。

*3:「大和屋」は現在、演劇博物館や研究者個人手元に江戸時代の朱入り本が存在しており、それを検証していけば実際のところはわかるらしい。

*4:このあと昭和37年(1962)1月、道頓堀文楽座(因会)で、現在と同形態の全段通し上演、改作「河庄」+原作「紙屋より大和屋」が行われた。