TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 上方文化講座2019(8)桐竹勘十郎師に聞く−実演をまじえて(桐竹勘十郎) 大阪市立大学

上方文化講座3日目3限目は、勘十郎さんのソロトーク授業。人形一般の取り扱い・遣い方のお話がメインです。

f:id:yomota258:20190912234647j:image

桐竹勘十郎師に聞く−実演をまじえて(桐竹勘十郎)INDEX


┃ 勘十郎vs子猫

最近は暑い日が続きますね。熱射病になる方も多いそうですが、みなさん大丈夫ですか。わたしは大丈夫です。肝臓以外は(笑)。

昨日お話しした、阿古屋の蝶の帯飾りを持ってきました。割と凝った作りになってまして、三層になっているんです。一枚にしか見えないかもしれませんが、細かいパーツを寄せ集めて、重ねて作ってあります。作っているときは楽しくて、阿古屋のことなんか考えてないんです(笑)。いまは自宅の部屋に飾ってあります。

……最近、うちに子猫が来まして……❤️
これが「ワルイ」んですよぉ……❤️❤️
きょうも準備していたら、こう……、垂れ下がっている飾り糸に「シャッ、シャッ(猫パンチ)」❤️❤️❤️
もぉ、すぐケージに入れましたぁ❤️❤️❤️❤️
遊ばれると困るんです……❤️❤️❤️❤️❤️(なんだこの中身一切なしの猫デレ話!?)

 

 

 

┃ 江戸時代の芝居小屋と『渦 妹背山女庭訓 魂結び』

人形遣いは、舞台稽古の前日までに人形をこしらえ、舞台へ出られるようにしておく。『戯場楽屋図会(しばいがくやずえ)*1』に、江戸時代の楽屋の様子が描かれている。そこに人形拵というのがあり、これがいまとまったく一緒。竹の台があって、手が吊り下げてあって。長いこと変わらず、ずうーっと同じというのは嬉しいなあと思う。

(参考『戯場楽屋図会』より 人形拵)

f:id:yomota258:20190912234810p:plain

昨日は大島真寿美さんもこの講座に来ておらた。直木賞を受賞された『渦 妹背山女庭訓 魂結び』、わたしも読ませていただいたが、読んでいると江戸時代の道頓堀を歩いているみたいな気分になった。きょう(8月22日)この本が出て(と『オール讀物』9・10月合併号を取り出す)。直木賞特集号で、文楽劇場・勘彌・呂太夫さん、わたしも写真が載っている。大島さんが受賞にあたって色々書いているページがあり、そこのイラストを依頼された。なんでも引き受けてしまう(笑)。大島さんの文を読ませていただいて、イラストを描いた。(ページを示しながら)こちらがお三輪ちゃん。苧環、渦があって、糸で全部が絡まっていく絵にした。明日が授賞式で、わたしも招待されておりますので、日帰りで行って参ります。

大島さんとは対談もした(読売新聞って言ってたかな?)。最初から、気持ちがぴたーっと合った。「お金を出して行けるなら、江戸時代の大坂の道頓堀のお芝居をやっているところに行ってみたい!」と意見が一致した。最近は何千万か払うと月にも行けるみたいですけど、そういう研究してる人いないですかね。いまからお金を貯めますので! 時間かかりますけど!

当時の浄瑠璃はもっとテンポが速かったそう。そうでないと、通し上演ができない。いまの通し上演だと、一部カットして朝の10時半から夜の9時半くらいまでやるが、当時は夜の公演というものが特別なものでない限りなかった。昼間は天窓の明かりで上演していたが、夜はそうもいかない。火を灯すのにも油なので、莫大なお金がかかる。明け方、一番太鼓が鳴ったあたりから大序をはじめる。最初はガラガラだが、おもしろいところになってくるとだんだんお客さんが増えてきて、日が沈んだころに終演。一度、その時代の芝居小屋を観てみたいなあと思う。

 

 

 

┃ 人形は胴串が命

昨日お話したかしらの動き有無での使い分けをもう少し詳しく説明すると、源太なら『義経千本桜』「道行初音の旅」の狐忠信は、一番動く(眉毛・目が動く)源太を使う。

これは検非違使(とかしらを取り出して)、目が動き、アオチ眉になっているもの。検非違使には「ネムリの検非違使」もある。アオチ眉というのは、眉毛が金属でできており、動くようになっているもの。フキ眉というのは、眉毛に毛がつけてあるもの。

f:id:yomota258:20190911114415j:plain

注:ここは勘十郎さんが上のような図を描いて説明してくださいました。要約すると、アオチ眉は金属板をベースにした動かすことのできる眉毛をさし、フキ眉というのは眉パーツに植毛した眉毛を指します。つまり複合する場合もあるということで、例えば松王丸に使われている文七はアオチ眉かつフキ眉です。

文楽の立ち役のかしらは、文七、団七、大団七という順番に大きくなっていく。文楽では、演目によって、同じ登場人物でも段によって使用するかしらが異なることがある。えっというほど顔が変わるが、その場でその人物があらわす性根にふさわしいかしらに変えて使うという考えのため。それを今でもやっている。逆に、『仮名手本忠臣蔵』の由良助はすべての段で孔明を使う。

かしらにはいろいろな種類があるが、顔貌以外に胴串(どぐし)の違いが大きい。胴串は、阿波では「シングシ」とも言う。これの長さ、太さがかしらによって違う。源太と検非違使のかしらでは、源太のほうが2センチほど短く、細い胴串になっている。この違いが大きい。女方だと胴串がもっと細くなる。

胴串の太さで、遣える範囲が全然違う。細いほうが出来る芝居が多い。逆に、力を入れるようなお芝居はこれくらい(検非違使くらい)太くないと出来ない。胴串が細いと、力を入れることができない。

胴串の太さ・長さが自分の手に合う・合わないということがあるが、基本的に文楽劇場が所有するかしら=標準サイズでやらなくてはいけない。ぼくは手が小さいが、師匠は指が長くて、羨ましい。(吉田)文五郎師匠はかなり指が長かった。舞台でじーっとしているときに、胴串を握りながら、人形の肩に左腕を留めている紐の結び目を解くことができたくらいだそう。ほどけてだんだん長くなってくる左腕に焦る新人左遣いをからかっていたそうだ。

胴串の正面側にある引き栓「チョイ」は竹でできていて、これに左手の中指をかけている。加減は調節できるが、微妙。指に合わないことがある。そのかしらを一人で使う分には自分用に調整すればいいが、困るのは同じ人形を交代で使う場合。たとえば、鑑賞教室のように、午前は玉男さん、午後はわたしというとき(2019年6月大阪鑑賞教室公演、前期日程。松王丸を午前午後で交代していた)。位置が違う、高いナ、低いナと思うが、お互い納得できる仕掛けをしている*2。本当は全部自分で持てれば(私物のかしらを用意できれば)いいんですけど。現在、文楽劇場には370個くらいかしらがあり、大事に使っている。

かしらで一番脆いのは、首と胴串のつなぎ目。もともと細くなっているが、使ってうちに胴体とこすれてどんどん細くなってくる。置いてある人形が地震で倒れると、折れることがある。頭と胴串は膠で接着してあるので、折れた場合、折れた部分に残った膠を掻き出して修理することになる。これには大変な手間暇がかかる。なので、地震があるとドキッとする。東京では1公演中に2回くらいは地震があるような。地震があったときは、かしら外して帰ろ!と思う。忘れてしまうんですけどね。地方公演は移動が多いため、もともと外してあるので安心。出番の際に受け取って取り付ける。大阪公演でも、地震があると家でドキッとする。

f:id:yomota258:20190911113130j:plain

現在、文楽で使われているかしらは、9割が徳島・鳴門の大江巳之助さんのもの。文楽座に古くからあったかしらは空襲で半分焼けてしまった。大量に焼失したのは、空襲があった日が公演のない日だったため。当時、かしらは湿気を防ぐため茶箱に入れていたが、その箱に中身が何かを書いていなかった。そのため、衣装などは持ち出されたが、肝心のかしらは劇場にいた人が誰も気付けず、見過ごされて燃えてしまった。

いまでも幕末のかしらで使っているものはあるが、かしらの大きさがいまと違い、ちょっと小さい。そのままでは使えないので、当時の娘役のかしらをいまは中子役に使っている。

この検非違使は、先代の形見。かなり前に作られたもので、大江巳之助さんがあまりに出来がよいのでご自分で持っていたものを、大江さんのお宅に伺った父がひと目で気に入り、譲ってくれと頼んだが渋られた。その後、父におめでたいことがあったときに、お祝いにと譲られた。

わたしもこれを舞台使っている。わたしが気に入っているのは、顔の出来ではなく、胴串。自分自身が人形の顔を見て芝居するわけやないんで、顔は多少ぶさいくでもいいが、胴串がよければエエ男に見せられる。

師匠は娘役、老女方をいくつか持っていて、古いものは胴串を交換して使っている。師匠の家へ行くと、古い胴串が飾ってある。それくらい、胴串は人形遣いにとって大事なもの。

 

 

 

┃ 江戸時代の大坂を歩く

きょうはホワイトボードがあります! 授業みたい(笑)。地図を書きます! 「道行名残の橋づくし」でどのコースを行ったか、知ってるんです! ……たぶん間違ってると思います(笑)。そんな詳しくは描けません(笑)。うる覚えなんで……、メモを書いてきました(袖ごそごそしてメモをとりだし、以下のような地図を描き始める)。

(参考 文化デジタルライブラリーより 地図でみる道行名残の橋づくし

f:id:yomota258:20190912235241p:plain

蜆川、いまはございませんけど、明治まではあったそうです。火事があって、両岸の色街がみな焼けて、そのときに、建物と川を全部埋めてしまったそうです。

最初に出てくるのが蜆橋。たぶん暗かったやろと思いますよ。大阪は八百八橋と言うが、当時(寛政ごろ)、公儀橋(幕府がかけた橋)は12しかなく、民間でかけた橋が140くらい。昭和になると1500くらいになった。西横堀はもうありません。心斎橋(本物の橋)ももうありません。これは伏見の岡田心斎という豪商がかけたので心斎橋という名前です。………………なんとなく授業をしているような……。心地良い……(笑)。

大和屋さんを抜けた二人は大乗寺へ向かう。大乗寺はわたしもNHKの番組で、師匠と一緒に人形持って行ったことがあります。こんなところなんやなあ、さみしいところやなあと思いました。

わたしが住んでいますのが住吉大社なんですが、そこから北に向かっていきますと、おさんが尼になったという安養寺があります。ずいぶん長生きされて、治兵衛のことでクヨクヨしていたそうです。楽屋でもよう言うてますけど、おさんは近松の中でも最高の女性やないかと思います。近松さんがそういう女性を描きたかったのかもしれません。

 

 

 

┃ 当時の大坂の商家

遊女の身請けには、引き取る前にまず半金を入金しなくてはいけない。1貫500匁の半金、750匁をなんとかせないかんというので、治兵衛は着物の価値がわかりませんから、これくらいやろと見積もって質入れの用意をして。近松にはお金の話が多い。『女殺油地獄』も、200匁を借りて、夜が明けると1貫目、5倍で返さないかん、しかも新銀でという話。当時は改鋳のたびに貨幣の価値が変わった。

おさんがあそこまでするのは、夫の信用に関わるから。エエかっこしいやない。ここでしくじったら、商売ができなくなる。ちょっと失敗してもええやんと、そういうもんやないんです。だからわざわざこのようなことをする。着物はおさんの嫁入り道具。大店だと嫁入り道具をかなり持っていく。しかし婚家でそれを勝手に処分することはできない。それを質入れしようとしたところに、五右衛門が来てしまう。

 

 

 

女方の遣い方

ちょっと、小春の人形を持ってみます。

きのう、ここ(丹田)を止めると言いましたけど、だいたい若い時分は胴体が動かない。右手とかしらだけでお芝居をしようとする。しかし、それだけではそんなに動かない(可動域が狭く、人形が自然に動いているように見えない)。全体で動いていくには、どこから順番に動かしていくかを計算する必要がある。

突かれたからと言うて、パッと右へ倒れたらいけません。動き出しが肝心。小春が治兵衛に蹴り飛ばされるとき、右へ突かれても、一度左へ落ち、上に上がって、右へ倒れる。この左へ倒れる動きがないと、女方の優しい感じが出ない。ほんとに突き飛ばされたときはこんなことありえないんですよ。でも、いちど、こっち(左)からいく、これが遣い方の基本なんです。

持ち方は、左手を人形の背骨のようにするイメージ。ひじの先あたりが人形のお腹にくる。これを守っていると、行儀の悪い動きにはならない。肘の先が止まっている(肘の先を支点にする)と、OK。動くとものすごく行儀が悪い(実演。おそろしいおてんば風になっていた)

上を見る仕草も、かしらだけではそんなに上を見ることはできないんです。これが限度(実演。ほんのすこし上向き)。実際にはなんぼでも上を向けられるけど、頭と首と胴の関係がおかしくなる(実演。ご飯中に茶碗を持ったまま天井ににいるゴキブリを凝視している人状態)。おかしいでしょ!? 自然に見せるには、動作、肩、胴体を使う。頭を上向きにするとともに、人形の体自体をそらせていきます。これで空のほうをずーっと見ることができる。形が崩れない、行儀の悪い動きにならないようにする。こうしないとしっとりした女方の動きにならない。

世話物では、やわらかく、自然に遣う。時代物はかたちが決まっていて、なんとかやっていれば、それらしく見える。世話物は間合いが難しく、よっぽど浄瑠璃が頭に入っていないといけない。世話物は、共演者同士お互い細かいところに気をつけて遣わないといけません。ひとりだけ時代物がおったりすると、困るんです。

このあと実演する「河庄」は、少人数で狭い舞台で上演するため、カットも多い。うまいことつないであるな、うまいことできたなと思っていただければ。ちゃんと観たい方は、11月、9月の本公演にお越しください(笑)。

 

 

 

–––––講義ノートここまで–––––

 

 

 

 

講義ではこのあと「河庄」の実演、治兵衛の出から段切まで(太兵衛&善六がからんでくるところはカット)。人形は治兵衛=勘十郎さん、小春=勘彌さん、孫右衛門=玉助さん。

これを書いている時点ではもう9月の本公演観ちゃったから言えるんだけど、『心中天網島』、出演者によほどのものがないと間が持たないね……。端的に言うと、技量そのものがないと……。こしらえたものでは無理で、ごまかしがきかない。この実演でいうと、太夫が津駒さんで語りに花街の華やかさが感じられ、屋外は少し浮き足立った空気、屋内はそれぞれの思惑が交錯する真剣な空気というコントラストが栄えていてよかった。勘十郎さんも派手めで若さ・浅はかさを強調した演技なんだけど、茶屋らしさが立っているのでそれが浮いていない。勘彌さんの小春は上品でつつましげな印象が可愛らしかった。孫右衛門の膝に手をついて泣くところも体重をかけすぎず、軽く手を置く程度にして重心を相手に預けず、あくまで他人行儀なのが良かった。治兵衛に突き飛ばされて倒れるところは、勘十郎さんとこけかたが違っていた。勘十郎さんは横(右側)に向かってスライドするようにこけていたが、勘彌さんはその場にとどまるように、斜め後ろ(右後ろ)に尻もち状にこけていた。本公演の和生さんもこのこけかただった。

お話自体は、やはり、『心中天網島』だけだと難しいんだなと思った。勘十郎さんが治兵衛か小春をよほどやったことがあれば芸談に出来るだろうが、難しいんでしょうね。各技芸員さんの得手不得手、演目に対するお好みもあるんだろうなと感じた。でもそのぶん、人形の動作の基本や人形の取り扱いのお話を厚めに聞くことができてよかった。

さて次回は今年度の上方文化講座最終回、技芸員さんへのQAタイムです!

 

 

 

 

┃ 参考文献

 

 

┃ 上方文化講座2019記事 INDEX

上方文化講座2019 カテゴリーの記事一覧 - TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

 

 

 

*1:松好斎半兵衛・著&イラスト。寛政12年(1800)出版。絵入りの劇界百科全書で、寛政期の大阪歌舞伎を中心としている。拾遺2巻は人形浄瑠璃関係の情報が多数掲載されている。国立国会図書館デジタルコレクションにも上がっている。戯場樂屋圖會 2巻拾遺2巻 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2605334 勘十郎さんの言っている楽屋の人形拵えの様子は拾遺2巻の24コマにあり。

*2:脱線するが、玉男さんてすごい手大きくて、指がすらっとして綺麗だよね。人形遣いなのでほとんど見る機会はないが……。イベントなどで注目してみてください。マイクをよく乙女持ちされて遊ばされるので、お手元が見えると思います。