1日目1限目の続き。太夫の芸談から読み取る近松作品の音曲上の特徴、現行での原作・改作混交上演の状況、松竹時代の改変復活作が問題視される理由について。
┃ 近松物の語りの難しさ
近松作品は後世の義太夫演奏用に特化した文章とは文体が異なっており、現代の義太夫技法からすると、太夫にとって語りにくい箇所が存在する。太夫の談話にはこれらの話が多数残っているが、意味の取りづらい発言が多いため、以下にそれを解説する。
1. 竹本摂津大掾*1
『義太夫の心得』中島辰文館/1911年(明治44)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/856374?tocOpened=1
それから浄瑠璃の文句でございますが、近松さんのすぐれたもの抔(など)読んで見ますと、実に何とも言はれぬ程の名文がありまするが爾(さ)ういうものが何時の間にか廃物(すたりもの)になつて居りまするので、今これを遣(や)つて見ようと思ひましても、三味線の節や語工合(かたりぐあひ)が薩張(さつぱり)解りませぬ。作(さく)の好い浄瑠璃が廃物になつて居るのは洵(まこと)に惜いことでござりまするが、是れは聞くもゝの耳に調子が取れませんので、とかく浄瑠璃も時世に伴(つ)れて華美(はで)に/\となるので御座いませう。寂しい中(うち)に高尚な趣を有(も)つて居りまする物よりは、早く解つた上に余情のある、『子で子にあらぬ時鳥(ほととぎす)』といつた様な御婦人方が涙をお溢(こぼ)しになるもののほうが宜(い)のでございます。
▶︎談話が採録されたのは、近松作品の復曲が進んでいない頃。近松作品と後世の作品の、観客の反応の良し悪し比較を話しており、「寂しい中に高尚な趣を有つて居りまする物」が近松作品を指す。「子で子にあらぬ時鳥」とは、『奥州安達原』二段目、「妻は泣く/\野辺送り、何営みも亡骸は子で子にあらぬ郭公、泣く声終わつて血を吐く鳥、親も傍にて血の涙」のこと。近松作品は文は良いけど曲が地味で、後世の義太夫の技術が発展した頃の作品のほうが客ウケがいいことを話している。
2. 八世竹本綱太夫*2
『でんでん虫』布井書房/1964年(昭和39)
大正六年に越路師匠*3が吉兵衛(六世)*4師匠の三味線で原作の『天網島』を語られたのを聞いて、私は子供心に感心していましたが、原作の「紙屋内」は売り込んだ『時雨の炬燵』というものがかえって邪魔になって、両師匠とも「やり憎い」、「間違いそうでしょうがない」といつも楽屋で洩らされておったのを聞きました。
『時雨の炬燵』で「無念な涙は耳からなりとも出るならば、言はずと心見すべきに……」といっているところを、原作では「同じ目よりこぼるる涙の……色の変わらねば」とすっかり変わって語らねばなりません。お馴染みのおさんのクドキは改作では「憎ましやんすが嘘かいな」という文句があって、これを「マ、ウーソォカイナア」という当てこみのカカリというフシになっております。これは音曲として聞いている限りはなんとも感じませんが、近代人の頭で考えると随分おかしいものであります。原作では「誓紙書かぬがよいわいの」からすぐに「一昨年の十月」につづいて、「憎ましやんすが嘘かいな」などはありません。
▶︎綱太夫が言っている「近代人の頭で考えると随分おかしいものであります」というのは、綱太夫本人がこの文章自体、特に必要ないと思っているという意味だと思う。前後の文面を読む限り、おさんが治兵衛のクズぶりをなじり「どーせわたしが嫌いなんでしょ💢😭」的につっかかる部分なので、文脈がおかしいとまでは言えない。また、この部分、実演映像で見ると人形のみどころ・義太夫の聞かせどころとなっており、不自然には感じない。お人形さんたちはいつも話がメチャ長なので、またなんか言うてはるわ程度です。
▶︎同じ箇所を原作の映像と比較して見ると、この文言を追加している改作のほうが見応えがある(義太夫・人形ともに見応え箇所を設定する演出になっている)ことがよくわかる。ここでは女方の人形の特長的な所作(座ったままで伸び上がったり、体をひねったりする、にょろっとした動き)が入り、延々と会話が続く場にメリハリをうんでいる。*5
出雲、宗輔、半二などの作劇法は技巧的にはうまくなっている代りに、こしらえごと、わざとらしさがあります。つまり一つの型にはめたり、あるいはアッと言わせてやろうと奇をてらったところがあります。その時代にはそういう作品が歓迎されたのでしょうが、近松の作品には今日の人間とそう変わりのない人物、私どもが共感のもてる人物が書かれてあります。(略)
文章はその当時の口語体であるのでしょうが、今日の三味線のフシは大体七五調になっておりますために、「字あまり」「字足らず」ということが生じてきます。(略)また「不覚の涙にくれ」との地合から「わしに浄土になれとても……」の詞にはなかなか移れないものでありまして、半二以降の浄るりなら、「よういうて下さんしたなア」とか入れることでありましょう。(略)このように近松の作品には、文章と文章の間に往々省略されたところがあるのが一つの特徴であるようにも考えられます。(略)
▶︎「不覚の涙にくれ」というのは、『心中重井筒』に出てくる詞章。ここで綱太夫が言っているのは、本来必要な文章が文学的技法として省略されているという意味ではない。演奏者として、現代から見て「あたかも省略されているかのように感じる」という意味で、「リズムが後世的な義太夫の調子の整え方と違う」ということ。
▶︎この音曲的なせわしなさは、舞台映像で見る・聞くと、よくわかる。やたら速攻次の展開に入る印象なのだ。音楽的に後世なら直接つながず、音曲的に聞きどころになるような言葉や三味線の手が入って調子を整えてから、次の詞(展開)に移行するはずと感じる。
▶︎この談話のうち、「今日の三味線のフシは大体七五調になっておりますために、「字あまり」「字足らず」ということが生じてきます。」という部分は、原作の詞章と現代の三味線演奏の音楽的乖離を考える上で重要。
近松の文章には筆が走り過ぎるというか、余裕がありすぎるというか、遊んでおられるようなところもあります。(略)たとえば「鬼界ヶ島」でいいますと、「僧都が身こそ悲しけれと手を取りかはし泣き給ふ」とあって、すぐその後へ「かこちは道理さりながら」とまたフシになっております。このフシを二つ重ねるということはなかなか出来ないことであります。(略)「輝虎配膳」にはまたこんなところがあります。輝虎が越路の前へ膳部を備えて平伏しますと、「老母膝を立て直しけらけらと高笑ひ」となりますが、こんなところは後世の作曲者ならどう処理すべきか、なかなか決断もつきそうにないところでありますが、これを松太夫師匠から稽古をしていただいた時、ズーッと読むようにして語れと教えていただきました。おもしろいやり方だと思っております。
▶︎この文章では、『平家女護島』「鬼界が島の段」と『信州川中島合戦』「輝虎配膳の段」を例に引いて、現代にはないフシの組み立てを解説している。綱太夫が言っているのは、これまた現在から見てどうかという話で、「現代の義太夫では、同じような調子の二つ重ねはありえない」という意味。このようなことになっているのは、近松が意図的に意外性のある着想で書いたというのとはまた違うと思う。
▶︎これも舞台映像で見る・聞くと、セリフとセリフの移行がやたらちょっぱやな印象で、現代の義太夫的価値観からすると違和感があることがわかる。棒読みがかなり連続する印象。
▶︎ただ、こういうのは解説があった上で見ているからわかるのであって、実際の上演を見たら、単に太夫が下手に感じるだろうと思う。また、最後に引かれている松太夫の指導のように、よほどうまくさらっと流して語られていないと、つなぎがより一層不自然に感じると思う。
3. 五世竹本織太夫(のちの源太夫)*6
竹本織太夫・高木浩志『織大夫夜話―文楽へのいざない』東方出版/1988年(昭和63年)
それから、近松もん、七五調やなしに字余り字足らずがしょっちゅうあって、お房のクドキの「これ限り/\と逢ふ度毎の観念」でも、ここはフシ付いてるとこでっけど、「観念」では何やおさまり悪うて、「観念は」といいたいとこでんね。綱大夫(うちのししょう)も「は」を足すようメモしてはって、昔そう言わはったことおましたんやろ、僕知ってからは「観念」でしたけど。
この字余り字足らずはコトバでも同じことで、七五調にはそれなりのリズムおますよって、急に字足らずや字余りが出て来るとリズム崩しそうになりまんね。
▶︎引き合いに出されている「これ限り/\と逢ふ度毎の観念」は『心中重井筒』より。
これも舞台映像で見る・聞くと、「観念は」といきたくなる理由がわかる。三味線がそういう演奏になっているのだ。
▶︎実演を確認すると「観念(かんねん)」ですますために「かんねんん」と「ん」の産み字を追加して5字にしているが、「ごまかしました」な感じなっていた。上演中、文字を見ずに耳から言葉を聞き取るのみ、太夫の発声がすべての客の立場からすると、「かんねんん」でも結果的に言葉いじっとるのは同じやんとも思える。それに、客からすると産み字は言葉の意味を聞き取りにくい。おそらく、「は」といったほうが自然だろうという印象で、これは語るほうも相当悩むだろうと思う。織太夫は原文をいかすためにそうしたわけだが、「は」を足す人もいて当然だと感じた。
┃ 原作と改作の混交上演
現行上演において、近松作品は、段によって原作と改作の混交した状態で上演していることがある。
1. 冥途の飛脚
- 上之巻 淡路町の段……原作
- 中之巻 封印切の段……原作
- 下之巻 道行相合かご……原作・改変作(完全原作版と野澤松之輔脚色版の2種あり)
- 新口村の段……上演なし
*改作『傾城恋飛脚』の「新口村の段」は現行あり。別個上演。
*19世紀の復活〜昭和初期までは、「淡路町の段」「封印切の段」を原作、「新口村」を改作で通し上演していたが、改められた。
*『冥途の飛脚』上演状況について、詳しくは下記記事参照のこと
2. 心中天網島
- 上之巻 北新地河庄の段……改作(『心中紙屋治兵衛』)
- 中之巻 天満紙屋内の段……原作
- 下之巻 大和屋の段……原作
- 道行名残の橋づくし……原作(大幅カットあり)
*改作『天網島時雨炬燵』「紙屋内の段」は混交上演されていたこともあるが、現在では別個上演。
▶︎「河庄」は実際には近松半二ら作の『心中紙屋治兵衛』の「茶屋の段」を上演している。この端場、通称「口三味線」と呼ばれる部分はチャリ場となっており、原作の雰囲気と不整合であると言われている。
▶︎『心中紙屋治兵衛』では「茶屋の段」の前に「浮瀬(うかむせ)の段」という段がある。現行「河庄(茶屋)」劇中に出てくる、太兵衛の治兵衛へのいちゃもんの種となっている借用書はここで治兵衛が騙されて書かされたもので、「河庄」からいきなり見始めるとわかりづらい。
┃ 松竹時代の改変復活作が問題視される理由
昭和30年代の復活、つまり松竹時代の脚色作品(主に野澤松之輔脚色作)の文章改変については問題視されることが多い。具体的にどこがよくないとされているのか。*7
『曽根崎心中』「天神森の段」を題材に、不自然な箇所を指摘する。
1. 語法上の問題
文章がおかしい、あるいはつなぎが不自然な箇所がある。
[原作]
いつ会ふことのあるべきぞ
[改変作]
いつ逢ふことの情けなや
[改変作]
長き夢路を曾根崎の、森の雫と散りにけり
2. 内容上の問題
▶︎1 他人を気にせず、恋(心中)のことだけしか頭にない二人の設定と矛盾するセリフの追加
[改変作]
そなたともろともに浮名の種の草双子。笑はば笑へ口さがを、なに憎まうぞ悔やまうぞ。人には知らじわが心(徳兵衛のセリフ)
- セリフが原作のそれまでの文章・展開と合わない。死後、悪い浮名を立てられることを予想しそれを気にしないと言っているが、原作「生玉社前の段」では徳兵衛は「正直の心の底のすゞしさは、三日を過さず、大阪中へ申訳はしてみせう」と言っており、今生の悪名を死んで晴らす的な考えで、死後の悪名については考慮していない(ただし噂になるだろうなーとは言っている)。
- また、「天満屋の段」での「死んで恥を雪がいでは」、「天神森の段」の「世に類なき死様の、手本とならん」の流れからすると、徳兵衛・お初は、心中することで真実の愛を証明することだけを考えていて、他人に悪名を立てられることは考えていないはずと思われる。
- 「天神森の段」末尾の「恋の手本となりにけり」がカットされたことで、二人の心中の動機がより混乱している。
▶︎2 お初が心中をリードしていく設定の筋が通っていない
[原作]
お初「いつまで言うて栓もなし」
[改変作]
徳兵衛「いつまでかくてあるべきぞ。死に遅れては恥の恥」
- 原作では「天満屋の段」はじめ、終始お初が心中を導いていくが、改変作では徳兵衛がなぜか突然根性を見せ、主導権が曖昧になる。また、「死に遅れては恥の恥」のセリフは、上記1の矛盾がある。
▶︎3 怪奇!どこからともなく聞こえる念仏の声!!(キャー!!!)
[改変作]
哀れをさそふ晨朝(しんちょう)の、寺の念仏の切回向。『南無阿弥陀、南無阿弥陀』を迎へにて
- 原作では、徳兵衛が「南無阿弥陀」と唱えながらお初を殺す。改変作では『心中天網島』の心中の場面(@網島大長寺)で寺の念仏が聞こえてくる設定を援用している。しかし、『曾根崎心中』の心中は天神森の中。どこから聞こえてきてんの!?!?! いや、聞こえてもいいけど、不自然では!?!?!?!??!?!
–––––講義ノートここまで–––––
近松ものによく言われる「七五調になっていない」「字余り・字足らずが多い」は、あくまで後世の価値観からみてのことで、後世の三味線の演奏・後世の義太夫節のリズムがそうなっているから文字数が合わないかのように感じるということか、とわかった。では逆に、近松初演当時はどういう演奏がされていたのだろう。相当素朴だったんだろうなとは思うが……。
ところでみなさん、上記に流用した談話、原文だけ読んで何言うてるかわかります?
芸談本はいろいろあるが、本人にしかわからない言い方であったり、言葉足らずやわかりにくい表現が多かったり、いろいろな事情で(?)はっきりものを言わず言葉を濁している場合がある。また、自分の意見と他人(師匠・先輩や研究者)の意見を混同して話している人、主観と客観的事実の区別がついていない人もいる。そして一番困るのが使う言葉の正確性が低い場合。いずれにしても、本人の意図が理解がしづらいことが多い。
それを考えると、初代吉田玉男『文楽藝話』は本当に偉大な本だと思う。もっとも、これは談話採録者のスキルに依るところも大変に多いだろう。『文楽藝話』は、相当丹念にヒアリングして、確認も丁寧に取っているからこそだと思う。口調をいかすにしても、そもそも日本語の整理が下手な本も多いし。上記綱太夫の本も、文章がおそろしく読みにくく、入力していて疲れた。
他者に明瞭に伝わる正確な言葉遣いは、現代の技芸員には重要なスキルであると思う。
現役の技芸員でいうと、和生さんは自分の意見を自分と意見と明確にした上で発言する傾向が強いので、談話会でもかなり話が聞きやすい。津駒さんもかなり言葉の使い方が正確で、意図が明瞭に伝わる話し方なので、信頼がおける。時々、正直すぎてやばいけど。
また、改作・改変作批判については、ひとまず改変作の不自然さがわかった。ほかの浄瑠璃でも文章がおかしかったり、設定に矛盾があるものは山とあると思うが、改変作の具体的にどこがどう悪いのか理解できたのは収穫だった。
┃ 上方文化講座2019 記事INDEX
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