TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 『木下蔭狭間合戦』竹中砦の段 まつもと市民芸術館

『木下蔭狭間合戦(このしたかげはざまがっせん)』の松本公演へ行った。

地方自治体の独立した自主企画公演だが、文楽座としては、3年前にロームシアター京都の企画で復活された同演目の再演という体裁になっている。これは、京都公演の際のプロデューサー的立場だった木ノ下裕一氏が会場「まつもと市民芸術館」の芸術監督に今春就任予定という縁での企画だと思われる。このホールで文楽が上演されるのは、20年ほど前の開場以来、初とのこと。



 

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まつもと市民芸術館」は、JR松本駅から大通り添いに15分ほど歩いたところにあった。
公演当日の天候は雪。湿って冷えた空気に大粒の雪がふわふわと舞い散る中、会場に向かった。

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外見は、地方自治体によくあるモダンな建築デザインのアートホール。しかし中に入ると、驚くほど空間に余裕のある建物だった。ヨーロッパの社交場を思わせるなだらかで長大なエントランス階段、ホール外周を取り囲む天井高のある広く長いホワイエなど、幕間に散歩できるほどにゆったりとした設計。土地に余裕がある立地とはいえ、本当にものすごく広くて、驚いた。最近はロビーが尋常じゃなくケチくさい(失礼)会場にばかり行っていたので、びっくらこいた。白と赤を基調とした空間、ランダムに配された有機的な形のくりぬき窓もしゃれている。
上演ホールは、4階層ある大型のもの。ダークトーンでシックにまとめられた内装で、建物自体のモダンさとは逆に、ややクラシカルな雰囲気。椅子がシアター用のそれではなく、「洋館にありそうな上品な椅子」を擬しているのが面白かった。左右で連結されていなくて、それぞれに脚がちゃんと4本あるんですよ! 巨大な空間に普通の椅子が並べてあるようだった。シートに張られたファブリックも家具調(シルク風?)で、上品かつ愛らしい。
音響はかなり良かった。巨大な空間であるにもかかわらず、太夫の声・三味線の音に違和感がない。文楽劇場国立劇場の中間くらいの音の質感。人形の足拍子もほぼ違和感がない。ここが松本でなかったら、今後の東京公演ここでええやん!というくらい、良かった。
本舞台はよくある地方公演会場と同じ。本舞台のやたら奥のほうに人形が出る/舞台面が高い状態だったので、人形の見え方は特にいいわけではなかった。また、客席の傾斜はかなりどきついほうだったので、後方席だと人形遣いの足元まではっきり見えていたと思う(解説でも言われていた)。

ただ、このホール、劇場としての機能に、ひとつ大きな問題がある。客席の椅子の前後間隔がめちゃくちゃビッチリ詰まっていて、足元の余裕がまったくない。歌舞伎座の幕見席より狭いんちゃうかという恐ろしい狭さ。小柄な女性でもひざが前の席に当たりそうになるくらいで、座りにくいし、出入りがものすごくしづらい。あまりに狭すぎて、場内に上着や荷物を持ち込むとしんどいほど。エントランスやホワイエがあんなに広いのに、なんで肝心の場内がこんな狭苦しい設計なのか不思議。私が松本市の納税者だったらブチ切れてるところだった。

観客は、地元の方が多かったのではないかと思う。事前説明での「今回文楽を初めて見る方〜」という会場向け質問では、8割程度の挙手があったようだ。ただ、前列席はおそらく普段から文楽を見ている人だと思う。私含め、前列席の人はほぼ挙手をしていなかった。

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浄瑠璃演奏は、3年前の京都と同じく、竹本錣太夫・鶴澤藤蔵。
かなり大変な曲のため、錣さんの年齢を考えると大丈夫かいなと思っていたが、前半は京都公演より明らかに良くなっていた。それぞれの人物や状況に対する描写力、表現力が上がっている。物語全体に対する登場人物のプライオリティ、社会的位置付けも整理されており、多数の登場人物が次々登場しても混乱することはない。関路の華麗さは人形の不足を補っていた。素浄瑠璃でも成立する演奏だった。
後半は、官兵衛の心変わりの表現、微笑みが漏れるかのような孫への言葉はとても良かった。当吉は老獪な官兵衛とはまったくキャラクターが違っていて、凛々しく若々しいのも好ましい。大落としはやや弱い。彼は手負いの老人なので、極端な大声で泣き叫ぶことはないことはわかる。ただ個人的には、そのジェットコースターの上り坂が少し低かったかなと感じた。本曲の一番の聞きどころは大落としではないので、わざとなのかもしれないし、大落としは状況によってうまくいく/いかないがあるのは理解しているけど、1回きりの公演だと、なかなか難しい。

 

人形は、良くも悪くも京都公演と同じだった。
配役・演出(演技)とも、京都公演をほぼ踏襲。そのため、京都公演からの3年間で出演者がどう変化したのか/しなかったのかが、はっきり見える状態だった。正直、同じか、なんなら……という人が多いように感じた。自分でテーマをもって追求しない限りは、再演といっても個々のその場限りの「頑張りました」でしかないので、まあ、こうなるか……。と思った。

そういうわけで、人形に対する感想はいろいろな意味で京都公演と同じになるため、詳細な感想は京都公演の記事を読んでいただきたい。以下、特記事項。

千里〈吉田一輔〉が自害するところは演技に変更があった。京都では背後にある矢立から矢を取って喉を突いていたが、今回は盃代わりの柄杓の柄を抜いて喉を突いていた。確かに、柄杓の柄の先端はものによって斜めにカットされて尖っている場合もあるが……、感覚的にわかりづらすぎないか? 矢立のそばまで移動するのがまどろっこしいと感じてのことなら、矢立をあらかじめ千里のそばへ移動させておけばよいのではと思うが……。本公演でも、いつのまにか動いている鎧櫃とか、心霊現象よく起こってるし……。
千里と犬清は、手負の演技をよく研究してほしい。京都では目をつぶったが、2回目でこれはない。これでははじめからずっと死んでいる。

当吉〈吉田玉志〉が清松を抱いて子守唄を歌ってやるところはド派手。子守唄を歌って踊る役といえば『ひらかな盛衰記』逆櫓の段の権四郎。それと同じにしたんだろうけど、権四郎はパンピーおじいちゃんのため人形が小さく、衣装も軽装。舞台で、可憐に、悲哀を帯びて見える。当吉だとあまりにも人形がでかすぎて、ショッピングモールのゲームコーナーのこども用乗り物が揺れているみたい。しかも衣装が派手、しかも船底でやる、そのうえ玉志がやってるせいで不要なまでに上手いため、インパクトがありすぎるッ。玉志さんは玉志さんで「すこし控えめに……」と考えてやっているようだったが、うーん。カオスッ。と思った。不用意にダイナミックに見えないよう、演出的な策が必要だったと思われる。
玉志さんは持ち前の真面目さを炸裂させて、ちょっとした所作にも凝りまくっていた。最後、「抱き上げたる後紐、蜻蛉結びも秋津国」というところで、清松を抱き上げて背中の帯(リボン結びみたいになっている)を客席に向け、めちゃくちゃしっかりアピっていた。玉志ッ! 浄瑠璃を重視しすぎて、肝心の人形の見せ方が不自然になってるッ!! 子供が死んでるように見えるでッ!!! と思った。この手の玉志さんの真面目すぎるゆえの迷走、個人的にはかなり好きだが、何度も観たことがあるわけではない演目でやられると、文脈の理解速度が遅れるため、くそやば感がすごい。ホンをちゃんと読んでない人は本当にダメだけど、玉志さんは玉志さんで過剰すぎるので、この思いつめを他の人にも分けてあげて🥹と思った。
ところでこの当吉、かなり上手い左がついていた。その人が当吉でもいいだろレベルの人では。上手い左といえば、官兵衛の左もかなり上手い人だと思われる。普段勘十郎さんの左に入っている人とは違う。本蔵やったことある人ではないでしょうか。

小田春永〈吉田玉男〉は、玉男さんに稀にある「本人にもよーわかっとらんのとちゃうか」系の状態になっていた。じっとしてて上品で貫禄があるところはいいんだけど、どちらかというと「くそでかい動物はあんまバタバタとは動かん」的な感じだった。玉男さんなのであえて書くが、京都のときのほうが凛としていてよかったかな。そもそも、春永、タマカ・チャンのほうが良かったんちゃうかとは思う。(本作の春永は「熊谷陣屋」の義経的役割。最後に出てきて、本来はNGのはずのことを通し、建前を作ってくれる役。寛仁さと颯爽とした気風が必要。タマカ・チャンにタリピツの役🥺)
春永が歩いて出てくるのが本当に良いのか、従者の出し方がそれでよいのかは、玉男さん自身も含めて検討してほしかった。

 

この演目についている人形の振り付けは、別の曲の流用や、文楽としての基本的な動作の踏襲が多い。そういった動作がどれだけできるか、普段の取り組みの如何も見えていた。また、話の流れを理解せず演じていると思われる役や、ひとりの人間の「像」としてまとまらず演技がパーツごとに細切れ化してしまっている役がみられた。そのような人が一場面に固まるとどうなるのかを見てしまったというのが正直なところ。ただ、いわゆる「名作」だと、配役問わず、なんとなくではあってもそれなりの見栄えが保証される。後述するが、人形全体の見応えがいまいちなのは、演出の問題が大きいとは思う。

あとは、足がやばいことになっている役が多かった。なぜこんな若手会並みのめちゃくちゃなことに???

 

 

 

  • 義太夫
    竹本錣太夫/鶴澤藤蔵
  • 人形
    娘千里=吉田一輔、左枝犬清=吉田玉助、竹中官兵衛重晴=桐竹勘十郎、妻関路=吉田勘彌、斉藤義龍=吉田玉佳、大垣三郎=吉田玉勢、樽井藤太=吉田簑紫郎、四の宮源吾=吉田文哉、小田春永=吉田玉男、此下当吉=吉田玉志、一子清松[黒衣]=桐竹勘昇
    吉田簑一郎、吉田勘市、桐竹紋臣、桐竹紋吉、吉田玉翔、吉田玉誉、吉田簑太郎、桐竹勘次郎、吉田玉彦、桐竹勘介、吉田玉路、吉田玉延、吉田簑悠、吉田玉征、豊松清之助
  • おはやし=望月太明蔵社中

 

 

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本編上演後、座談会。
基本的には京都公演でのトークショーと同様の内容だったため、差分のみ書く。錣さんは京都での登壇がなく、今回トーク初登場なので、内容詳しめです。

※源太夫(9代目)は藤蔵さんの父。早大での「竹中砦」復活演奏当時は綱太夫(9代目)を名乗っていたため、木ノ下さんは「綱太夫」とおっしゃっていることもあったが、藤蔵さんや錣さんにとっては最後の名前「源太夫」なのと、現在一般的にいう「綱太夫」は8代目(咲さんのパパ)をさすことが多いと思うので、以下、藤蔵パパはすべて「源太夫」に統一しています。

 

竹本錣太夫

「竹中砦」は、かつて、師匠・竹本津太夫も演奏した。とても大変な演目で、自分が文楽に入門した際、師匠のところへ挨拶に行ったら、おかみさんが「うちのお父さんすごいんですよ、竹中砦をラジオで入れはった(収録した)んですよ」と自慢されたほど、太夫にとって負担が大きい、激しい曲。
藤蔵さんと組むにあたり、藤蔵さんと源太夫師匠のやりかた、師匠(四代目竹本津太夫)のやりかたが違っており、2人で話して「こちらでは源太夫師匠のやりかたを」「ここは津太夫師匠の方が良い」と検討し、仕上げていった。(藤蔵さんから、「竹中砦」はいろいろな人形座で伝承されていた曲なので、人によってやりかたに細かいバリエがあるという説明あり)
今回使った自分の床本は、津太夫師匠のものをお借りして、あらたに書き直したもの。津太夫師匠の本はお返しして、自分のものには心覚えを書き込みまくっている。藤蔵さんの持っている、越前少掾から代々伝えられている床本とは違って、なんの価値もありません!!!(笑)
「竹中砦」は、登場人物が全員、自己主張が強い。普通はまわりの人が引き下がって遠慮するところ、だれも引き下がらず、「わたしはこう思う!!!!」と言い続ける。お客さんにとってはうるさくて仕方ない!
どこが大変か? 3人の注進が大変だと言われる場合があるが、注進は三味線に乗って流れでやればいい。走って止まっての計算はやりやすい。そういう意味では「しんどそうにやればいい」だけ。難しいのは、抑えたところ。官兵衛が悔しがり「よくも恥辱を取らせたな」と言うところや、孫に対する情愛といった、「自分の気持ち」を表現するところ。大きな声を張り上げることはできない。大きな声は太夫にとっては実はラク。ぐっと締めて一生懸命やるところこそ大変。
かしらに合った表現は重要。今回はまず楽屋入りしたら、人形のかしらを見に行った。関路に婆を使うのか、老女形を使うのかで、表現が変わってくる。稽古も2通りで準備しておき、決定した老女形のかしらで演奏した。かしらについては、若い頃に大序をやっているとき、語りとかしらが違うと先代桐竹勘十郎師匠からお叱りを受けたことがある。

 

鶴澤藤蔵

三味線も、激しいところのほうが発散できるのでラク。お客さんが退屈するようなところのほうがしんどく、難しい。具体的には、マクラ(官兵衛の出)。三段目の切の雰囲気を出して、三段目らしく弾く。
(そのほか、かつて早大で素浄瑠璃復活演奏をした際のいきさつや復元方法、父源太夫の曲に対する思い入れ等を説明。越前少掾から源太夫に伝わった床本を「わたしは三味線弾きなので、舞台では使わないんですけど」と言いつつ、お持ちになっていた)

 

桐竹勘十郎

官兵衛のかしらに「口開きの鬼一」を選んだのは、普通の口が閉じた鬼一より、口角が「へ」の字型に締まっているいるから。その引き締まりが欲しかった。
(そのほか、京都での復活上演依頼当時のいきさつや、廃曲になったのが昔すぎて、簑助さんに聞いても「知らん!」と言われた話などを披露)


錣さんは妙にテンションが高かった。ふだんは落ち着いた喋り方の方だと思うが、いつもより元気よくお話しされていた。演奏後すぐのご出演で、興奮されていたのかな? 微妙に髪の毛がグシャっていて、かばのように口を左右にもごもごしているのが、かなり良かった。(かばみたいで好き)(口もごもごは本編で出てきたときからやってたが)(かば大好き)(もごもごしている理由は謎)

勘十郎さんは「官兵衛は口あきのかしらでも、口を開くところはない」と話されていた。しかし、実際には開いているところがあった。無意識なのか、それとも操作のアヤなのか。勘十郎さんは言っていることとやっていることが違う場合が多くあるが、それにどういう意味あるいは意図があるのか。いつも興味深く思うところだ。
簑助さんは、かつて「竹中砦」が最後に人形入りで上演された当時は「1歳」だったので、実際の舞台がどのようなものだったかは知らないそうだ。吉田文雀師匠は、文楽劇場発行の『文楽のかしら』の「鬼一」のページの解説で「(鬼一は)『木下蔭狭間合戦』の竹中官兵衛に使う」と書いている。文雀師匠は、かつて「竹中砦」が実際に舞台にかかっていた当時の出演者から伝え聞いた話を残してくれたのだろうか。文雀さんの場合、最後の上演当時は6歳なので、本人が直接観ている可能性自体はあるのと、当時の舞台写真で官兵衛が写っているものが残っているので、それを見て言っている可能性はあるけど。先人から伝え聞いている可能性があるという点では、簑助さんも一切知らないわけでもなさそうだ。

かしらと語りが合っているべきという話はよく聞く。文楽イイ話のテンプレの一つと言って過言ではない。しかし、その話をしている当人であっても、はたしてかしらにあった遣い方をしているかというと、私の感覚では必ずしも「そうではない」と感じる。かしらに合った表現とは何なのか。文楽の大きなテーマだと思う。

少し残念なのは、先人へのリスペクトに欠けているのではと思われる部分があったこと。かしら割は、かつて早大の復活企画の際に源太夫が考案したものなどを参考にしているのではありませんか。関路に老女方を振る考え方も、源太夫がほぼ同じことをコメントしているはず。誰がやってもこうなるだろうなという割り方だし、すべて完全一致しているわけではない。でも、一言あってしかるべきではと思った。

 

 

 

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なにはともあれ、「竹中砦」を再演ができたことは良かった。場所が前回は京都、今回は松本ということで、お客さんの層は大きく入れ替わっていると思うが、とにかく、やれて良かった。
会場側もよくこの演目で承諾してくれたなと思う。本来はもっと平明で派手な演目のほうが良かっただろうに。京都や滋賀、石川の自治体だと、文化事業にかなり力を入れている(予算を持っている)ところがあるイメージがあるが、松本市も結構やる気がある自治体なのだろうか。本当にありがたいことだ。

次の再演は、もしかしたら違う配役になるかなと感じる。いずれ「竹中砦」が国立劇場の公演に採用され、演出等を検討しなおした上で再演されることを望む。

 

 

 

 

┃ 備考記事

全段のあらすじ解説

2021年ロームシアター京都公演 本編感想記事

トークショーまとめ記事

 

 

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付記1 「わかりやすい」の押し付け

「わかりやすい」って、本当にそんなにも大事なことなのだろうか?
このブログでは繰り返し書いているテーマだが、今回公演ではより深刻にそれを感じた。

この公演では、本編上演前に45分の前説と、詞章だけではない解説字幕を出すというサービスを行っていた。
前説で、文楽鑑賞教室公演でやるような「人形の動かし方」説明をやるのは、良いと思う。人形は文楽の一番キャッチーな点で、美術品としての価値も高いので、ゆっくり見てもらえる良い機会だと思う。
でも、あらすじ説明が25分近くあるのは、長すぎ。竹中砦の場合、話自体はたいして面白くない。延々とあらすじだけ、しかも時系列で並べ立てるだけを図解もなく25分喋られても、かなり、苦痛。それは、「わかりやすく解説しました!」と言えることなのだろうか。『勧進帳』のうしろのほうでずっとじっとしている四天王や番卒の気持ちになって拝聴した。
また、字幕で「ここに注目!」というみどころを表示するという件。一部の能楽公演においては、間狂言は演者が喋っている内容を字幕表示するのではなく、シーンとしての概略を表示している場合がある。また、文楽でも、鑑賞教室の英語字幕公演だと、字幕には概要を表示している。寺子屋だと "Yodarekuri is a litte of fool." とか出る。ただ、上演中にそれを見るようにと勧めるというのは、エゴがすぎるし、そもそも、第三者の「注目ポイント」なる解説を二十箇所とかのレベルで上演中に出す必要があるのかと思う。利用が任意であるイヤホンガイドで「見どころ」を解説するのは、それを聞きたい人だけが借りればいいので、理解できる。が、字幕は強制的に視界に入ってくる。あまりにも嫌すぎたので、字幕は一切見なかった。解説が長くて嫌だった云々は、極論、嫌だったのに退席しなかった私が悪い。聞きたくなければ出ればよかったんだから。でも、字幕は本編にぶら下がっていることなので、拒絶できない。本当に勘弁してしかった。(とはいえ、もとから字幕は一切見ないので、偉そうに言っても滑稽なんですが。字幕を見ない理由は、見なくてもわかるからとかではなく、となりの席の人がゴソゴソしてるとか拍子取ってるのが不快なのと同じ意味で、私にとっての文楽鑑賞の主目的である人形以外の余計なものが視界に入るのが嫌だからです)
字幕で配慮すべきは、ワンポイントアドバイスを表示することではなくて、詞章を旧かなづかいではなく新かなづかいで表示することなのではないのかと私は思う。

古典芸能の「現場」での、わかりやすい、わかりやすいの連発には、違和感しかない。
「初心者」の方が、わかりやすいのがいい!と願うのは構わない。でも、「やる側」が無責任に放言することばじゃないと思う。じゃあいったい、あなたたちはなにをわからせたいの? あなたたちがやってることは「わかりやすい」とみずから名乗るほどのクオリティがあるの?
わかりやすい、わかりやすいとばかり言っていると、古典芸能が「確実にわからないといけないもの」「わからないと許されないもの」のようにとらえられる。そもそも、程度問題はあるとはいえ、完璧にわかることなど、ありえない。何十年も見ている観客どころか、演者、研究者であっても、わからないことは確実にある。なのにしつこく「わかりやすい」ばかり強調される現状は、おかしい。
「わかりやすい」を、わからないことへの脅しの言葉、わかることを強要する言葉に使うのは、やめてほしい。わからなければ、また見るか、調べればいいことを伝える。また見る方法や調べる方法を知らせることのほうがよっぽど大切だと思う。
というか、わかりやすいとかわかりにくいとか以前に、京都でもそうだったのだが、解説に微妙に間違っているところがあるのが気になった。誤って捉えられかねない言い方をするのもやめてほしい。

 

 

 

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付記2 人形演出に関しての批判と検討

同じ配役で同じ演目の再演ということで、いろいろ思うことがあった。
前述の通り、人形演出はほぼ京都公演を踏襲していたが、せっかくの再演なら改良を目指して欲しかった。

この演目、話の内容や演奏は『絵本太功記』尼ヶ崎と雰囲気が近く、切れ目なくスピーディに畳み掛けるような迫力がある。にもかかわらず、人形は、『増補忠臣蔵』本蔵下屋敷みたいなんだよね。本蔵下屋敷、誰も面白いと思っていない演目の筆頭(失礼)。むしろ、本蔵下屋敷は最後に琴を弾くシーンがあるだけ、まだマシ。それくらい、人形演出が退屈というか、単調。

  1.  人形の空間的位置移動がない。メインの登場人物がずっと屋体の中にいるままなので、舞台空間の立体性が感じられない。
  2.  前向きか横向きの演技しかない。後ろ姿(振り返り)などの見た目に変化が出る振りがない。また、常に単独の演技であり、ペアになる演技などの変化がない。
  3. 動きのテンポにメリハリがなく、画一的。メリヤスや人形待ちなど、音と人形のバランスをみた緩急づけがない。
  4. 演技上の強調点がない。曲のハイライト=大落としなどの聞きどころが見どころとリンクしていない。

真逆なのが、「尼ヶ崎」。「尼ヶ崎」は、本当によく出来ていると思う。
光秀や操は、詞章と関係なく、屋体・庭先を行き来して演技を行う。操は特にそうで、通常時は屋体の中で手負いの介抱をしているが、クドキになると、文章自体とは関係なく庭先に降りて踊る。クドキのあとには、光秀と屋体/船底で向かい合って決まるという、2人ペアとなる動きもある。
最後に光秀が物見の松に登るところでは、本床の演奏を止めてメリヤスになり、光秀が松に登る上下移動(+道具を引く背景転換あり。背景書割と屋体が動く)のも、物語の区切り、転換点として大きい。久吉が武将の出立となって再度出るところでは、光秀が後ろ姿となってその出を迎えるという型があり、舞台上の複数箇所にアイキャッチが作られている。
伝承曲、しかも人気があり上演回数が多い演目というのは、本当に洗練されているのだなと、よくわかった。何百年もかけて、出演者と観客によって磨かれてきた演目というのはすごい。古典芸能としての価値が歴然とある。と思った。

上記は、個々のシーンの演技のパーツをどうするかに気を取られ、浄瑠璃の全体像の設計(山と谷、緩と急、緊張と緩和)の把握ができていないことによるものだと思う。全体を見てディレクションする演出家が存在しないことが原因だろう。もしくは、それに準じる役割を果たすことができる文楽座座員がいればいいのだが、そういうわけでもない。それはもう仕方ない。先細り業界の宿命だと思う。

 

ただ、浄瑠璃本文を大切にすることはできるはずだ。以下の2点は文章に沿った検討をしなおすべきだったと思う。

関路の軽視は問題が大きい。
彼女は、屋体の中を右往左往してるだけの、なーーーんもできず、状況に泣くだけのかよわいお母さん、ではない。全段上演した場合、関路はかなり重要な人物に設定されている。「竹中砦」は竹中官兵衛(斉藤軍)と此下当吉(小田軍)の軍師対決の構造を下敷きにとっているが、実は、直前の段に、前哨戦として官兵衛の妻・関路と当吉の妻・賤の方が対決する場面が入っている。関路もまた官兵衛と同等に頭が良く、貫禄がある女性なのだ。そもそも犬清を砦へ連れて帰ってきたのは関路だし、清松を当吉側に譲ったのも関路。政治的取引として彼女が犬清と清松を引き換えたのだ。また、今回上演では端場がカットされているのだが、その部分で関路と千里が重要な話をするくだりがある。カットされるのが惜しまれる大切なシーンで、そこでも関路は大きな存在意義を持っている。上演部分に関路の主体的な活躍の場がないからこそ、彼女の重要性を踏まえた演出が必要だと思う。
ただ、極論(というか、文楽の一般論かもしれないが)をいえば、自分に蓄積がない役は演じられないし、演出できないということだとは感じた。

最後の官兵衛と清松との対面で、清松を鎧櫃に乗せる演出。
2人が顔を向き合わせて対面する演出自体は、良いと思う。でも、鎧櫃に乗せることについて、「赤ちゃんを戦争の象徴である鎧櫃に乗せるという対比が云々」と誉めそやした解説がされていたことに違和感がある。私は、だからこそ、ダメだと思うからだ。
当吉が密かに連れてきた清松を皆に見せるとき、彼はどこから清松を出すか? 背中につけている母衣(ほろ)の中からですよね。

「ヤア/\官兵衛。義龍が首取ったる当の敵。左枝犬清、見参せん」
と槍提げて駆け来る母衣武者。歩み寄って頬当兜かなぐり取れば此下当吉。御前に向ひ謹んで。
「この久吉が下知に従ひ敵地に入て命を落し。謀を行ひしはあれ成る犬清。又戦場にて義龍を討ち取り。武功を顕はす犬清は則是に」
と槍投捨。母衣絹取れば背負し稚子。ヤア清松かと手負の千里寄るも寄られぬ深手の苦痛。母も心根思ひやり千々に乱るゝ胸の糸。久吉重ねて。此稚子の犬清に御勘気御赦免下さらば。我に加増の君恩にも遥に増る御仁恵と思ひ。入てぞ願ひける。

母衣とは、騎馬戦の際、流れ矢を防ぐために背中にかける袋状や吹き流し状の布。防具、つまり武具。文楽では『一谷嫰軍記』で熊谷や敦盛が出陣の際の衣装として身につけており、ご覧になったことがある方も多いだろう。
ははのころもと書いてほろと読ませる優しい字面なのに、実は戦争の道具。そこから赤ちゃんを取り出すというギャップのインパクトは、浄瑠璃本文の中にすでに備えられている。
また、織田信長は、側近の中から優秀な者を選りすぐり、黒あるいは赤の母衣をまとわせた精鋭「母衣衆」を形成し、戦場に出陣していた(そもそもの「小田軍の母衣武者が無双の活躍をする」という設定も、この逸話から来ているのだと思う)。その小田軍の母衣の中から清松を出している時点で、「犬清を許す、官兵衛を仲間へ迎える」という春永や当吉の心も表現された、非常によく出来た仕掛けにもなっている。

「赤ちゃんと戦争の対比」という鮮烈な見せ方は、清松が登場した時点で終っているにもかかわらず、対面の場面でも安直に重ねることは本当に必要なのだろうか。そこで描くべきは、生命と戦争の対比といった「一般論」ではなく、官兵衛という個人と社会、彼がそれまで信じていたものと新しい価値観との葛藤、相克なのではないか。

私は、官兵衛と清松の対面は、官兵衛が屋体から降りて、船底にいる当吉から受け取るという方法にしたほうがいいと思う。重要なのは、官兵衛の心理の変化をどう表現するか。人形の居場所がこれまでとは変わるという見た目の変化は言うまでもないが、官兵衛がはじめて主体的に動き、立ち位置(物理的にも精神的にも)を変えるという意味も打ち出すことができる。あの屋体というのはまさしく官兵衛の心の砦で、そこにずっと閉じこもっていたにもかかわらず、孫(家族)によってそれが突き崩され、彼の心境は変化し、外へ出ていくのだから。
もし、「赤ちゃんと戦争の対比」が何度も繰り返して表現しなくてはいけないほど重要であると考えているなら、重ねる意義を持たせるためのひねり、洗練が必要だと思う。

 

京都初演時は、まず復活させたこと自体が立派なので、ある程度荒削りでも仕方ない、ズレた手柄話が出ても仕方ない。アガリに文句言うだけなら誰にでも出来るし。そう思って余計なことを言うのは控えたけど、今回は再演。検討しなおすチャンスだったと思う。
木ノ下さんは本来はプロの演出家とはいえ、この企画ではプロデューサーだろうから、演出へはノータッチなのだろう。変な持ち上げを言うのはやめて欲しかったが、責任を問われる立場ではない。けど、文楽座の座員(出演者)はクオリティアップへの責任がある。本当にこれを言ったら終わりだとは思うけど、人形が浄瑠璃演奏よりもクオリティが数段低い状態になっているのは否めない。いまは一人の天才やスターが座を牽引している時代ではないし、創造性があることと小手先が器用なことは違う。だから、チームとしての力が必要だと思う。「より一層いいものを作ろう」という目的を共有することが、本当は、座(チーム)として、一番大事なことだと私は思う。次の上演機会には、より洗練された舞台を望む。

 

この公演を見る前日、国立映画アーカイブで、栗崎碧監督の『曽根崎心中』を観た。
文楽の『曾根崎心中』を劇映画として撮影したという映画で、徳兵衛役として初代吉田玉男が出演している。大きなスクリーンで見てよくわかったのが、徳兵衛の振り付けの秀逸さ。
徳兵衛の内面性や性格を表現する現代的リアリズムを踏まえた演技。舞台に華やかさや文楽らしさをもたせるための人形の型の特性を踏まえた演技。そして、女形の足を使って情感を表現するという、古典にはなく新たに発案された興行の目玉となる演技。これらがバランスよく盛り込まれている。
これらの徳兵衛の演技は、初代玉男によって復活上演のために考案されたものだ。つまり、これも、伝承が無く、手がかりもない状況から、復活にあたって新しく振り付けを考案したということ。あれ見て、「徳兵衛の演技がのっぺりしてる」「単調で飽きる、深みがない」とか、誰も思わないよね。なんなら近松初演からああいう演技だったんじゃない?とみんな思っているでしょう。伝承曲である『冥途の飛脚』や『心中天網島』の人形振り付けに劣るとは思わない。
むろん、復活初演の初日や再演の2回目からこのクオリティだったとは思わない。初代玉男は浄瑠璃に寄り添い、より情感をもって徳兵衛という人物を表現するには?という研鑽を重ねたからこそ、あの徳兵衛が成立しているのだと思う。生涯をかけて研鑽を重ねれば厚みが違ってくるのも当然といえる。その「研鑽」が、本当に重要なのだと思う。そもそも、「自分のやったことを顧みて改善する」「納得できるまで検討する」ことができる、それ自体がなにものにもかえがたい才能なのだろうなと思った。