TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 6月若手会東京公演『絵本太功記』『摂州合邦辻 』『二人禿 』国立劇場小劇場

若鶏とひよこの群れがアメリカバイソンくらいの勢いでこっちに向かって激走してくるッッッ!!!!! 舞台と客の真剣勝負、文楽若手会。今年は東西とも無事に開催できて、良かった。

 

 

絵本太功記、夕顔棚の段、尼ヶ崎の段。

非常に見応えのある尼ヶ崎だった。床、人形とも、出演者の舞台にかける熱意と気負いが感じられ、登場人物のそれと一致しているのが、とても良い。みずみずしい雰囲気が横溢しているのも、若手会らしい爽やかさ。未熟さ、未完成さゆえのポジティブさ、魅力が感じられた。

 

私が今回の若手会でもっとも評価したいのは、光秀役の玉翔さん。
光秀のかしらが非常に安定しているのが、とてもいい。
正面を見据えつつ、やや顎を引いたような引き締まった表情。どっしり据わった人形の頸部、胸、肩。人形の上半身に、巨大な筋肉の隆起を感じる。それはそのまま、光秀の意思の強さとしてあらわれている。

玉翔さんは、2018年の若手会では、車曳の松王丸を演じていた。難しい人形なのはわかるが、かしらがぐらつきすぎて、松王丸の性根が大幅に崩れていた。いや、それより、ご本人がつねに松王丸のかしらを不安げに見上げているのが気になって、観ているこっちのほうが不安になった。人形のふらつき以上に、本人の不安定な気持ちが人形にうつっていることが問題だった。

今回の光秀は、あれと同じ人と思えない成長ぶりだ。時々かしらを見上げているものの、そこに不穏さはない。なんなら、本公演で光秀を勤める人よりもかしらが安定している。首がしっかりと安定していること。そして、動作を止めるべきところで止め、動きを一発で決めること。そういった人形の動きの基本が押さえられているのが、非常に良い。

かしらの安定度、首筋ごん太ぶり、体幹の通ったどっしりとした雰囲気は、玉男さんに近い。よっぽど玉男さんが指導したのか、本人の自覚のたまものなのか。かなりハッキリとかしらを繰っていたが(この点は玉男さんとは異なる)、乱雑にならず落ち着いたこなし。かしらの重量に負けず止めるべきところで止められているため、下品になっていない。律儀にやりすぎている部分も散見されたが、役をこなしていけば、将来的にはバランスがとれてくるだろう。
かしらだけでなく、人形全体の大振りな演技も、人形に振り回されていない。大袈裟に前にのめる系統の演技でも、単に人形が倒れただけに見えたり、卑しく芝居がかっているように見えず、人形がしっかり安定して一発で決まっていた。若干やりすぎだと思ったけど、そのぶん、光秀の青い前のめりぶりがよく出ている。光秀と玉翔さんの気負いが一致して、とてもいい光秀だ。普段からの持ち味の、振り向き動作(正面を向いている状態から、パッと一発で左を向く)の綺麗さも、光秀の性根に対し、非常に有効だった。
強い動きと強い動きの間に、かしらに力みの痙攣的な揺れが出ているのは、惜しい。動作間のつなぎの精度を上げ、不要なビビりを抑えることができれば、芸の品格が一段上がると思う。

演技の抜けや曖昧さがみられなかったのは良かった。また、おそらくご本人なりに演技をややアレンジしている(やり方を選択している)ところがあったのも、自分らしさの研究や追求が感じられた。
さらには、舞台取り回し上の工夫もみられた。光秀が見越の松に登るくだりは、松の裏につけられた階段を登る前に舞台下駄を脱ぎ、動きやすいよう足袋になる人が多いと思う。しかし、玉翔さんは舞台下駄のまま階段を登り、松の枝を持ち上げる決めで、光秀の人形をしっかり高い位置に差し上げられるようにしていた。確かに光秀を松の上で高く差し上げるのは難しいから、いい考えだと思う。この方法、若い人はイキオイでやれるだろうが、年配者は危なっかしくて出来なさそう(そのぶん、高く差し上げることに頼らない姿勢の美しさを指向されているかが、見所になるが)。舞台下駄は階段を降りる前に脱ぎ、段上に残すやりかたにしていたが、今後も踏襲するなら、残されていた下駄が悪目立ちしていたので、光秀が松から降りたらすぐ下げたほうがよさそうだった。

そりゃ未熟なところは多くあるけれど、こういったことによって、光秀をどう表現したいかという意図がよくわかった。私は、「何のために、何を表現したいのか」が一番大切なことだと思っているので、意思がまっすぐ伝わってきたことを評価する。本公演でよく見られる、動作の末尾の処理の雑さも今回はなかったし、このまま頑張って欲しい。

 


そして、もうひとりの超注目株は、玉彦さん。
玉彦さんの十次郎は、若手とは思えない堂々とした若武者ぶり。長い手足を大きく広げ、鎧姿を存分にいかした赫々たる姿は大変に見事。手足を差し出すスピードや張り感もよく検討されており、十次郎の若々しさに相応しい優美さがある。屋体中央に堂々と座る姿、盃事や出陣していく姿を含め、非常に良かった。かなり稽古してると思ったわ。
後半ふたたびの出での戦物語の部分も、人形がもたつかず、くっきりとした動きがつけられており、今後の発展を予感させるものだった。ひとつひとつの所作が意識されていて、とりあえず振りを覚えてきました、にとどまらない、「こっちを見て!」という、舞台人らしい意思を感じた。
だが夕顔棚の出はダメだッ! 十次郎はスタスタ歩かんッッ!!!!!!! それは、「中目黒あたりをうろついている、黒髪くるくるパーマ、黒の極細メタルフレームのメガネをかけて肌のお手入れ万全ツルツル、オーバーサイズのくすみカラーのTシャツに綺麗目の太めパンツのお兄さん」の動きだッ!!! と思った。尼ヶ崎の冒頭の思案の姿も、「『思案している姿』を思案している姿」を思案している感じになっちゃってたね……。十次郎の心の声が表現できるといいですね。
パッと輝くような若武者ぶりは、本当、若手中の若手随一の出来栄えだと思う。芸歴13年とは思えない。この素質をいかしながら、ゆくゆくは、十次郎の憂いが表現できるようになればと思う。中堅の上層部より下で美少年や美青年をまともに遣える人、皆無だと感じているので、若いうちからこれを押さえることができれば、天下を取れると思う。(天下って何?)

 

玉誉さんのさつきは、品がある老婆らしさがよく出ていた。単純にご自分の得意演技(やわらか系)にはいかず、武家の品格をもたせて演じられているのが良かった。さすがに勘壽さんがやるときより若めな感じで、老け作りしてる風なのも微笑ましかった。玉誉さんは、もう、若手会じゃなくていいと思うけどね。

簑太郎さんの操は、変に「自分の番」を意識しておらず、クドキとそれ以外がシームレスにつながっているのが良かった。が、存在感が薄い。存在感という意味では、6月鑑賞教室の斧定九郎はとても良かったのだが、やはり、本質的にわかってやっているわけではないところが、若手なのか。操は、感情に流されてメチャクチャ言ってるヤバ女感を押し出していって欲しい。後述の『摂州合邦辻』メイン出演者と同じく、もう一歩の踏み込みが必要だと感じる。

初菊〈桐竹勘次郎〉は、何のためにここにいるのだろうか? それはもう、十次郎のため以外のなにものでもない。身振り手振りの手順に夢中になってしまっているのだと思うが、まずは彼女の切実さを目線で表現していければと思った。十次郎の顔をしっかり見よう。初菊は、左も、頑張り中の人だったのかなと思う。左の人材育成も、重要な課題だね……。

夕顔棚の家事手伝いのところは、操・初菊とも、マジで何やってんだかわからんので、誰かなんとかしてくれと思った。さすがに「形骸」に頼りすぎ。演技の意味を考えてやって欲しい。


床はみな課題意識をもって取り組んでいるのが、非常によくわかった。自分の特性を研究して、曲のなかにどう活かすかがよく考えられていたと思う。
オッと思ったのが、希さん。若手会で聞くと、女性描写の艶麗さが光る。光秀の出〜槍でさつきを突くくだりの直後、操・初菊が出る「声聞き付けて駆け出る操」の引き算的な語り、柔らかさが良い。彼女らの足取りや身につけているものの優美さもよく出ていた。それと対比されて、光秀やさつきも引き立つ。女性描写にこだわりがある人というのは、今後が楽しみだ。それだけでなく、段切をしっかり語ろうとする意思が感じられたのも良かった。希さんも、数年前の頼りなさとはまったく別人の成長を遂げた人だと思う。

夕顔棚は、元気にやれたのはよろしいが、言葉(発音)を間違っているところが何箇所かあった。特に気になったのは古典の引用箇所で、戯曲としても重要な言葉。あがっている等色々あるとは思うが、文楽は言葉が一番大切だ。あらためてそこに立ち返り、頑張って欲しいと思った。

 

  • 義太夫
    夕顔棚の段
    竹本碩太夫(5)/野澤錦吾(13)
    尼ヶ崎の段
    前=竹本小住太夫(13)/鶴澤清公(15)
    後=豊竹希太夫(17)/鶴澤友之助(19)
  • 人形役割
    母さつき=吉田玉誉(28)、妻操=吉田簑太郎(22)、嫁初菊=桐竹勘次郎(16)、旅僧 実は 真柴久吉=桐竹勘介(12)、武智光秀=吉田玉翔(27)、武智十次郎=吉田玉彦(13)、加藤正清=桐竹勘昇(7)[東京]*1

*名前の後、カッコ内の数字は、初舞台から2022年6月までの年数を書いてみました。研修生出身だと初舞台が7月のケースが多いので、ほぼ+1の方も多いですが……。また、途中お休み期間があった方もいらっしゃるので、目安程度でお願いします。

 

 

 

摂州合邦辻、合邦住家の段。

人形メイン配役を若手のうちでもこなれたメンバーで固めているため、全体的に堅実な印象。普段は脇役しかこない人たち(言い換えれば、そのままスライドしてしまうと、今後もずっと脇役になってしまう人たち)に、重要な役を任せるというのが良かった。普段よりも役の研究がされていて、物語の進行を踏まえた丁寧な描写に、登場人物への深い洞察が感じられた。派手演目ながら、「素朴」に派手っぽく見せかけるだけではどうしようもない内容ということもあって、研究がより一層舞台に反映されたのだろう。さらなる発展として、人形の持つパッショネイトに、いま一歩踏み込んでいければと思う。

 

紋吉さんは、可愛い玉手御前。チャーミングで、原文で設定されている20歳相応の若い印象がある。その年輩のしっかりした娘さんの、等身大の一生懸命さがあった。ちんまりとした愛らしさが紋吉さんらしくて、良い。和生さんより顔立ちがシャープな印象なのは意外だったが(そもそもかしらが違うんだと思うけど)、ちょっと不幸感があって、それも面白い。わざとなのかはわからないが、出のときに頭巾をかなり深く被っているのは、攻めているなと思った。
プレッシャーで細かいところへの意識が飛んでいるのか、指先の演技がなくなっているのが惜しい。紋吉さんの場合、普段は出来ていることなので、主役の緊張によるものだろう。また、玉手御前は黙して座っている時間が長く、そこも大きな見せ場でもあると思うので、座り方の魅力の追求、たとえばもう少しスッキリした雰囲気が出てこればと思う。(東京1日目に感じた姿勢の悪さは、2日目には結構改善していた。私の席による見え方の問題かもしれないが)


合邦役、文哉さんは、丁寧で、よく考えられた演技だったと思う。4〜5月の『義経千本桜』弁慶役では人形の不安定さが目につき、大丈夫かと思ったが、合邦のように、舞台の責任を持たなくてはいけない役だと、さすがにしっかりするということか。人形が若く転ばず、やや年配の、そこそこの年の娘を持つ父親らしさがよく出ている。合邦自身の人柄は引っ込んで、むしろ世間でいうところの「お父さん」、娘のことを常に気にしている感にかなり寄せられている印象だった。そういうところは、年配の人形遣いの合邦とは異なり、素直な感じですね。
ただ、“小芝居”と、役の本質に関係ある演技では、本質の演技のほうをシッカリやってほしい。「それこそ幽霊」や「俊徳様と女夫になりたい」のところ。ここで、わかりやすい振りをやること自体はいい。しかし、やればやるほど、ほかの演技への要求レベルが上がる。合邦の本質はそこではないので、演技のボリューム感のコントロールが重要だ。「女夫」なら、直後にある「どの頬桁で吐かした」のほうを演技として強調したほうがいいだろう。(でも、こういうの、本公演に出ているベテランでも、めちゃくちゃな人いるので、文哉さんだけがダメなことではないけど。文哉さんは若いからいいけど、本公演でそうやっちゃってる人については「意図的に、あるいはマジでわかってなくてやっている」と解釈してます)
ただ、「幽霊」は東京2日とも人形の姿勢がかなり崩れていて、本人も不安なのか?と思った。演技のコントロール精度という意味では、緊張感はともかく、こういった箇所で集中がところどころ途切れているのかなと感じられたのも、課題か。

 

合邦女房は、紋秀さん。ママらしい真実味があるのが、とても良かった。しかし、さすがに若い人がやってるだけあって、若い!!! 元気!!! 興奮すると動きが素早くなっていた。

浅香姫〈吉田和馬〉、俊徳丸〈吉田玉路〉は、もう、出演者そのままの若々しい雰囲気。まずは丁寧に演じられていたのが良かった。ただ、やはり、特に俊徳丸は難しいですね。単に丁寧なだけでは気品が出ることはないと、よくわかった。どうやったら気品が出るのかは私もわからないけど、気品がある人をよく研究して、今後にいかして欲しい。それを見て私も勉強します!


私は、ヤスさんこそ、「テクニック」に走って欲しいと思う。ヤスさんは、いまの持てる分でいうと、もう、十分、頑張ってる。このままいくと、一生懸命頑張って声張り上げてる、で終わっちゃわないか? 声量や音階の広さは素質が大きいので、そうじゃないところ、表現技術そのものの研究を深めたほうがいいのでは。声がデカいだけのやつ、音階が出るだけのやつには、俺は、負けん!!! このテクニック、真似できるもんならやってみろ!!!!! という方向で、頑張って欲しい。実際、ノゾミさんはそうしてると思うわ。ノゾミさんは高い声出るから、「単にそれだけでしょ?」ってならないように気をつけてるってことだと思うけど。ヨシホさんも、そろそろむしろ、テクニック磨きの段階にきていると思った。

しかし、太夫三味線がうまく噛み合ってなかったり、間合いが不自然なペアがおったが、どういうこと? 頑張れ!!!!!!!

 

  • 義太夫
    中=豊竹咲寿太夫(16)/鶴澤燕二郎(8)
    前=豊竹芳穂太夫(18)/鶴澤寛太郎(21)
    後=豊竹靖太夫(17)/鶴澤清𠀋(21)
  • 人形役割
    合邦女房=桐竹紋秀(32)、合邦道心=吉田文哉(32)、玉手御前=桐竹紋吉(28)、奴入平=吉田玉峻(10)[東京]*2、浅香姫=吉田和馬(10)、高安俊徳丸=吉田玉路(11)

 

 

 

二人禿。

床はよく稽古していると思った。自分たちでシッカリ仕上げていこうという意思が感じられた。初日と二日目で、見台の並び順が違ったのは、なぜ? 本人たちの並び順は、配役表通りなのだが。

人形は、「うどん屋の娘 vs そば屋の娘 〜東十条商店街最大の決戦〜」って感じだった。頑張ったのはわかった!!!!! よーし、この調子でいまの100000倍頑張れ!!!!!!!! と思った。

 

  • 義太夫
    豊竹亘太夫(10)、豊竹薫太夫(1年未満)、竹本聖太夫(1年未満)*3、竹本小住太夫(13)/鶴澤清允(8)、鶴澤燕二郎(8)、鶴澤清方(2)、鶴澤清公(15)
  • 人形役割
    禿[下手]=吉田簑之(10)、禿[上手]=吉田簑悠(7)

 

 

わたしたちは、若手会をどう受け止めたらいいのだろう?
一生懸命頑張ってるんだから、全部褒める?
本公演と比較して、ダメなところを探す?
どういうプライオリティでもって芸を評価する?
見る人によっていろいろあると思うけど、やっぱり、せっかくの若手会で、もしかしたら今後の人生で来ないかもしれない役を客前でやるんだから、良いところも、悪いところも、その人の個性と努力にあった評価をしたい。頑張ったことを受け止めるなら、その人がどこをどう頑張ったのかという点をきちんと見たい。

若手会であっても、なんでもいいから一生懸命がむしゃらにやればいいというものではなく、何を目指すのか、何を表現したいのか、そこが重要だと思う。今回の若手会は、その意思が明瞭に感じられる人がいままでになく多く、座全体としての意識の変化が感じられた。

人形は、メイン配役のパフォーマンス水準が例年になく高かった。また、役の研究や意思が舞台にちゃんと表れている人が多かったのも、良かった。前述の通り、特に玉翔さんは、若手会において、こんなに強い意志で演技ができるのは、立派。ここまでかしらを安定して持てる「若手」が出現したことに、非常に驚いた。玉翔さんは初代玉男師匠の弟子のうち一番の末っ子ながら、その末っ子がこの状態だと、お兄さんたちもうかうかしていられないだろう。

太夫では、みな、手抜きがなく、持てるものを出しきった精一杯のパフォーマンスなのが爽やか。当たり前のことのはずだが、残念ながら本公演ではこれが出来ていないと感じることが繰り返される中、明るい気分にさせてもらえた。また、産み字やすべての文字にスタッカートがつくような箇所で、無駄なこぶし回しをせず品をもって語っていたことが良かった。
「語り分け」そのものにとらわれ過ぎて、三人遣いの人形とツメ人形との区別がついていない等、語り分けのつけ方が間違っている人がいたのは、課題だと思う。まず、何のために語り分けが必要とされているのかを考えることが大切だと思った。

三味線は、みんな頑張っていたと思った。まず「やらなあかんこと」をしっかりやっていると感じた。あとは、自信をもって派手にやるべきところを、本当に自信をもって派手にやりきれるか。若手会は、それが問われるような、三味線も派手に目立つ演目をつけてもらえるのが良いですよね。よい力試しの機会だと思う。より一層の向上を目指し、頑張って欲しいと思った。

 

 

毎年、若手会を観ると、本公演で本役・持ち役として大役を務める人というのは、やっぱり、それだけのものを持っていると思わされる。
たとえば、玉手御前。和生さんはかなり綿密に設計された演技をしている。
和生さんって、つねに余計な手数を切って、品良く遣っているイメージが強いと思う。でも、今回の若手会を見て、よくわかった。なんでもミニマムにしてるわけではないわ。和生さんの玉手御前は、百万遍念仏、いよいよ別れのときになってからは、芝居の作り込みや手数が非常に多い。みんなに別れの挨拶をする前、最初に立ち上がるときのよろめきや、最初は突くのを失敗するなど、オリジナルの細かい入れ込みもある(紋吉さんは全くやっていなかった。逆に、浅香姫姫に「俊徳丸頼む!」の振りは、紋吉さんはやっていた)。こういった演技が「大げさにやってるだけっしょ」とならないのは、前半の思案する姿を玉手の本質表現に据えて、そこを引き締めているからこそだ。そして、なにより、人物の気持ちの変わり目の表現が秀逸。和生さんの玉手御前の巧さは、そこに尽きると思う。
また、玉志サンは、意外と?いろいろ手を加えた工夫していて、役や自分にあった演技に変えているんだなと思った。長時間の止めとか、技術以前に勇気がないとできないわ。

 

 

なお、今年の人形部お助けお兄さんは、吉田勘市(37)、吉田玉佳(37)、桐竹紋臣(33)、吉田玉勢(32)、吉田簑紫郎(31)のみなさんでした。
「弟弟子を引き立てるために頑張るぞッ!!!!」とはりきるお兄さんズも、とても良かった。はりきりすぎて、左手がクソうまヒダリー現象が起こるのも、味わい。雷電のごとき鋭さの左手、クチナシのように芳しき左手。神の左手悪魔の右手。お兄さんたちは、メイン出演者がまわりきらない細かい配慮やサポートもしてくれる。大役の人は、左を誰にやってもらうかを指名できるんですかね。親しいお兄さんにやってもらえるとメンタル的にも安心というのも、大きいのだろう。

個別でいうと、特に光秀は、左がうまいのが大きいね。もはや、出てきた瞬間、お客さん全員が「左、たm...」と思うアレだった。木登りで、一旦上手に行って→下手に戻るところの手の広げや前後振り、前傾姿勢が美しく、相当ちゃんとしていた。ここは本当に、左がちゃんとした人でないと、大変なことになってしまうから、ちゃんとしていて、良かった。(無限に湧き出る「ちゃんと」)
光秀の左の人は、足の人にもちょこちょこ指導していた(?)。段切近く、あーあーあー、主役なのにィー、足を下ろす場所がァー、おもいっきりおかしいよォー、あとで注意してもらってくれたまえェーーーー……と思っていたら、左のお兄さんが足を自分のボディでさりげなくグイ…🍑グイ…🍑と押して、位置を直してあげていた。足の人も、それで正しい位置をわかったっぽい。お兄さんも若かったころ、そうして教えてもらったのだろうか。良かった。

 

若手会は、全員全力でやるのが何よりの魅力。その意味では、本公演以上。また来年も、いろんな方の成長と頑張りを拝見したいと思う。

 

 

 

*1:大阪公演は吉田玉征(7)

*2:大阪公演は吉田玉延(9)

*3:豊竹薫太夫、竹本聖太夫の配役並び順は東京公演。大阪公演は逆。一応こういうところも配慮してくれてるんですね。