TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 7・8月大阪夏休み特別公演『花上野誉碑』『紅葉狩』国立文楽劇場

今月のプログラムには、「実録」研究で有名な菊池庸介さんの、田宮坊太郎物の実録についての寄稿が載っているのが良かった。



 

 

『花上野誉碑』志渡寺の段。

文楽を見始めたばかりの2016年に和生さんお辻で鑑賞し、その鬼気迫る表情に衝撃を受けた演目。もう一度観たくて、外部公演の演目リクエストに書きまくってきたけれど、採用してもらえず(それはそう)。本公演で再度観ることができて、良かった。

 

[初段〜三段目までのあらすじ]

讃岐丸亀家の足軽・民谷源八はその功を殿様に愛でられて出世するが、腕を争う武芸指南役・森口源太左衛門に疎まれる。その頃、讃岐に國府八幡宮が造営されることになり、鎌倉よりの勅使が儀式に訪れる。森口はこれを機に鎌倉の目に留まることを目論む。
勅使を迎える饗応の仲、事件が起こる。源八の妻は、元は品川の遊女・其朝であったのが殿の計らいで武家の奥様になった身であった。しかし、遊女屋の亭主と組んだ森口の腰巾着(アホ)の策謀により、身請金が不足していると言い立てられ、遊女へと戻されてしまう。源八はやむなく其朝を離縁し、國府八幡宮へ向かうが、その途中、森口によって暗殺される。源八の遺骸を発見した槌谷内記は、胸に刺さった笄*1を見つけ、密かに持ち帰る。
こうして民谷家は崩壊状態となり、二人の間に生まれた坊太郎も追放となって、源八と旧知の仲であった志渡寺の方丈へ預けられることになる。

 

[今回上演部分、四段目]

源八の死から5年後。志渡寺では、毎年恒例の剣術試合が行われることとなっている。今年は森口源太左衛門と槌谷内記の勝負に注目が集まっていた。かねてより鎌倉武将から武芸の達人をよこせという要望がきており、この勝負に勝った者が鎌倉行きの栄誉を手にするのだ。

数多くの弟子〈数馬=吉田玉翔、十蔵=吉田玉誉、官蔵=吉田玉彦〉を引き連れて志渡寺を訪れた森口は、出世の願望を成就すべく、勝負の前に内記が口にするお神酒に毒薬を混ぜ、心身を竦ませることを策謀する。
さて、槌谷内記〈吉田簑二郎〉の妻・菅の谷は、亡くなった民谷源八の妹だった。内記は、にわかに口がきけなくなった甥・坊太郎と、かつて坊太郎の世話をしていた乳母・お辻の不遇に心を痛めていた。内記と方丈〈吉田玉輝〉が語らっていると、菅の谷〈吉田勘彌〉がお神酒を持ってやってくる。その酒を口にした内記はたちまち気分が悪くなり、方丈に案内されて客殿で休むことになる。

にわかに空がかき曇り、怪しい風が巻き起こる中、弟子僧たちがみずぼらしい身なりの女〈豊松清十郎〉を引きずってくる。主人の命日のお参りに来たという女をつつき回す弟子僧たちの中に坊太郎〈吉田簑太郎〉が割って入り、止めてくれるよう必死に拝む。弟子僧たちが今度は坊太郎をいじめようとしたところ、菅の谷がそれを留めて、弟子僧たちを退散させる。実は女は坊太郎の乳母・お辻だった。お辻は、亡くなった主人・民谷源八の敵を討つべき坊太郎が口のきけない病にかかったことを悲しみ、病を得て食事が喉を通らず、果物だけに命を繋いでいると語る。菅の谷はお辻を心配し、内記や方丈にも会わせるとして、まずは坊太郎の部屋で休息するように言う。

坊太郎とお辻を見送る菅の谷のもとへ、内記が森口との勝負に負けたという知らせが入る。慌てて夫のもとへ走りだそうとする菅の谷だったが、森口と内記、方丈が座敷へ戻ってくる。森口は内記との盃を望み、坊太郎に酌をとらせる。坊太郎は内記には酌をしたものの、森口への酌は拒否する。怒った森口が坊太郎を引き据えると、坊太郎の袂から2、3の桃がこぼれ落ちる。それは、殿に献上するまでは仏に供えることも叶わないという、志渡寺の名物の桃だった。菅の谷が庇うのも聞かず、森口は坊太郎を庭先へ蹴落とす。そこへお辻が走ってきて坊太郎を抱きかかえ、赦しを乞う。お辻を斬りつけようとする森口を方丈が引き留め、出家の立場から森口の傍若無人さを戒めて丸め込む。森口は、始終怯えて何もできない内記を揶揄し、さんざんドヤり散らしまくって帰っていった。

内記、菅の谷、方丈が去っていくと、お辻は坊太郎に懇々と言い聞かせる。お辻が食事もできない病と言っていたのは、実は嘘だった。お辻は、父の敵を討てないうちに口がきけなくなった坊太郎の病の快癒を祈るため、金毘羅大権現に立願をかけ、火のものを絶って自分の身を捧げようとしていたのだと告白する。もう二度と盗みはしないでくれと懇願するお辻に、坊太郎は地面の砂に何かを書きはじめる。それによると、坊太郎は父の敵を討つことは忘れてはおらず、桃を盗んだのは、乳母がこのままでは死んでしまうと思い、彼女がまだ口にできる果物を食べさせようとして、つい手を出してしまったのだという。それを見たお辻は坊太郎の心遣いに感激し、民谷の一家の身の不遇を嘆き悲しむ。
お辻は心を取り直し、金毘羅大権現に命を捧げて坊太郎の病を本復させると言い出す。尋常ではない乳母の様子に坊太郎がまごつく中、お辻は懐剣を腹に突き立て、金毘羅大権現へ一心に祈りを捧げる。しかし坊太郎はただ困惑するばかりで、お辻の願いは叶わない。狂乱したお辻が坊太郎に掴みかかっていると、内記が姿を見せ、坊太郎に暇乞いを許すと言う。すると、これまで喋れなかった坊太郎がお経を唱えはじめる。お辻は坊太郎が口をきけるようになったことを喜び、坊太郎はお辻に謝る。実は、坊太郎の口がきけない病というのは、詐病だった。
5年前、源八の遺骸から笄を見つけた内記は犯人を悟り、坊太郎にまでその魔手が及ぶのを避けるため、出家にして志渡寺へ預け、口がきけない振りをさせていたという。坊太郎がこれまで全く喋らなかったのは、内記のこの言いつけを守るためであった。お辻は自分がしてきたことは無駄であったかと嘆くが、内記は、密かに武芸を教え込んだ坊太郎が子供とは思えないほど腕を上げたのは、お辻の祈願と金毘羅大権現の利生によるものだろうと言う。菅の谷は、内記が坊太郎を東国の武芸の名門・青柳家へ送れというお告げの霊夢を見たことを語り、東国へ行けば生き別れの母とも巡り会い、やがて敵を討って父母の菩提を弔うだろうと言う。また内記は、弟子を森口に靡いたと見せかけて懐へ入り込ませたり、今日の森口との立ち会いに意図的に負けたことは、源八殺害の犯人・森口の内実を探って坊太郎の敵討ちを見守れるようにという考えだったことを明かす。
今にも命尽きようとするお辻に、内記は坊太郎の武芸鍛錬の成果を見せるべく、弟子・数馬、十蔵を呼び出し、坊太郎に腕前を披露させる。数馬と十蔵の木刀を打ち落とす坊太郎の勇姿を見たお辻は、現れた金毘羅大権現を伏し拝み、息を引き取った。

「志渡寺」は、「しどうじ」と読む。*2
ちなみに、お辻をつつきまわす弟子僧ズ(どうでもいい顔すぎて嬉しくなっちゃう)がワキャワキャ言っている「卵塔場(らんとうば)」とは、墓場のことだそうだ。*3

人形は2016年上演より出演者がひとまわり若返って、中堅公演的な趣き。それぞれの方に、チャレンジすべきことが多い配役になっていたと思う。そして、いずれの人もそれに応えた舞台になっていると感じた。「志渡寺」は、あまり有名でない演目ながら、イメージ的に格が高く、また、難しい演目だと思う。ストーリー自体も類型におさまらない異常譚だ。にもかかわらず、初日からとっちらかりもせず、よくまとまっていた。初日から3日目までを連続して観劇したが、若干不安だったり噛み合いがうまくいかないところも2日目にはすぐに改善され、いまの中堅層の技量を感じさせられた。
叶うならば、(最近いつも書いている気がするが)いま一歩の踏み込み、登場人物の狂気が表現されれば、さらに舞台としての魅力が高まると感じた。

 

悪役、森口源太左衛門は玉志さん(前半配役)。初日から思い切り振り抜いて、ド派手でラフな雰囲気に振ってきたことにびっくりした。玉志さんはこれまでも京極内匠(彦山権現誓助剣)、松永大膳(祇園祭礼信仰記)で大悪人役をやっているが、いずれも優美でクールな雰囲気があったので、その路線でいくかと思っていた。しかし、今回はかなり大仰でドライな方向に振っており、いつにない大胆さだった。とはいえターンの鋭さや扇の扱いには気品が光り、ただのイキリではない大物感がある。また、芸そのものに清潔感があるため、いかにも芝居らしい悪役といえど、いやらしいベタつきや脂浮きがなく、見た目だけは綺麗な毒虫(なんか表面が甲で覆われた硬い系のやつ。サソリみたいな)のような魅力があった。

森口源太左衛門は速攻ブチ切れる血圧の高い役で、いちいちクソでかい声と大仰な態度で威圧してくる。坊太郎に酌を拒否され、バチ切れして三方に叩きつけた盃がバカーーーーンと派手に割れるのは、めちゃくちゃびびった。舞台の人形たちと一緒に、前方席のお客さんたちも、ツメ人形のようにピココ…!としていた。盃はあまりにも綺麗に粉砕されていたが、土とか(100均の皿的な)、お菓子とかの特殊素材でできているのかな。

森口源太左衛門には、独特の振りが多かった。お辻に子供いじめの図星をさされた際の不自然な扇のあおぎ方、また、その扇越しにお辻を汚そうに見る所作。人形遣いは屋体の中にいるままで、人形のみ屋体(縁側)から下ろして舟底側に立つといった特殊な遣い方。あるいは、坊太郎を右足で踏みつけながら左手に刀をかかげて内記を制する型など。型はいずれも非常に鋭く、美しく決まっていた。が、最後のほうの、右足は深く折り曲げ、縁側から左足を下ろして決まる型は、結構難しそうだった。上半身は一発で決まっても、足がふらつくと、客席からの見た目として、結構厳しい。

そうなんですよ。突然おそろしくネガティブなことを書くが、初日から2日目までの森口源太左衛門は、足がめちゃくちゃやばかった。しばしば下手な足遣いがいるのはわかりますよ。生命を宿したパイナップルが歩いてるのかっていう奴とか。勉強中ということで大抵は目をつぶっておりますが、今回は、破れちょうちんがぶら下がってんのかと思った。私は文楽にお化け屋敷要素は求めていない。森口源太左衛門より先に私のほうがバチ切れしそうになった。しかし、3日目にはましになっていた。玉志サンも気にしていたようだし、誰かに注意されたのだろうか。
厳しいことばかり言ってもなんなので、足の良かったところを書くと、森口源太左衛門が最初に下手から出てきて、屋体へ上がるところ。玉志サンは屋体へ上がるときの所作にこだわりがあると思われるのだが(段差を越えるときの人形の差し上げ方に結構細かい配慮があります)、足もきちんとそれに応じて、ちゃんと「はきもの、ぬいでます……」的にモゾ……としているのが良かった。
森口源太左衛門は、庭先にうずくまるお辻と坊太郎をまたいで(正面を向きながら足を大きく上げて、その下にお辻・坊太郎をくぐらせながら下手へ移動する)帰っていくなど、足が活躍する場はいろいろあった。せっかくのいい役の足だ、思い切りがんばれ!!と思った。

今回は、玉志さんがラフで線の強い方向に振り切るという新しい境地を観られて、良かった。森口源太左衛門は主役ではないが、今後、舞台全体を引っ張るようなド派手さを求められる主役を遣うときに、過去の京極匠や松永大膳に加え、この経験が活きてくるのではないかと思った。端正さ、気品、自然さといった要素は現状でも高い完成度に至っている人だと思うので、今後は派手系の演技やそれが必要とされる役の進展に期待したい。

 

お辻は清十郎さん。立女形を誰よりも得意とする和生さんではなく、清十郎さんが配役されたのは、チャレンジだなと思った。お辻は難しいと思う。時代物の老女方だが、見た目は決して美麗ではなく、身分立場がわかりづらいのに、主役。行動は常軌を逸している。和生さんのお辻が描いていたのは、本当の血縁はなくとも、至高の愛は存在しうるという浄瑠璃ならではの高潔な狂気の世界だった。が、清十郎さんは、よい意味で普通の人間、普遍的な母の愛を感じるお辻だった。

実直な芝居で、作り物めいた誇張や華美さはなく、等身大の女性として描いていることも特徴的。それが単にもっさりとした素朴さではなく、混じり気のない純粋さとして顕れているのが清十郎さんの良さだと思う。これは本当に稀有な才覚だ。所作も正鵠を得た丁寧さになっており、その選別センスも好ましい。

ただやはり、金毘羅大権現に祈るところは、もっと鬼気迫る表情に振って欲しいと感じた。出来そうで出来ていない、実に惜しい部分だと思う。私は、お辻の坊太郎への愛は、ほのぼのとしたいわゆる「母性愛」の域を超えた、狂気の世界なのだと思う。お辻の金毘羅大権現への狂信、坊太郎への狂気の愛といった、過剰に思い込んだ狂乱が、この物語の説得力を高めるのだと思う。

お辻が噴水の水を浴びようとしたとき、清十郎さんが何かブツブツ言ってるのは、「なむこんぴらだいごんげん」と言ってるのかと思ったが、もしかして「袖めくれてる」とか 「両手束ねて」とか、左に話しかけていたのかな。見た感じ、いつも清十郎さんの左をやっている人だと思うが、珍しい役なので戸惑いも多かったのだろうか。初役は左も大変だ。

段切、お辻が死んでも、清十郎さんは人形を持ったままにしていた。

清十郎さんお辻で印象的だったのは、その若さ。お辻、和生さんで見たときは、中年の女性だが、時折老婆にも見える不思議な雰囲気だった記憶があるのだが、清十郎さんは人形の顔通り、比較的若く見えた。というか、髪を振り乱した後は、藤原紀香に見えて仕方なかった。

 

槌谷内記〈吉田簑二郎〉は品があり、どこか女性的で柔らかい雰囲気。毒を混ぜた(ということになっている)お神酒を飲み、右手の懐紙で口をおさえ、左手をついて前のめりにうずくまる仕草は、ほぼ女性の所作だろう。線の強い森口源太左衛門と対極的で、両者の性質の違いが際立っていた。
段切近くは、ひねりなどの動きが少し多すぎるか? 普段孔明の役を遣う人の持つセオリーとの違いを感じた。女方主体の人が品のよい立役(=頭を不要に動かさない役)を遣うと、かしらの繰り方が過多になってしまうことは、ありがちだとは思う。

菅の谷〈吉田勘彌〉は、武家の妻とは思えないほどのお色気だった。折り目正しい性格の武人の妻という役柄だが、しどけない人妻オーラが強かった。私が隣家に住む男子高校生なら、夏期講習に行っているにもかかわらず模試の点がどんどん下がっていって、二学期はじめの三者面談で志望校を落とせという話になってしまう。いや本当、あの、「昼下がりの情事」オーラは一体何なのか。あまり四角四面に遣っていないのも勘彌さんの魅力の一つではあるが、勘彌さんのこの、微妙にラフな方向に振るやりかたは、意図なのか単なる癖なのか、気になるところではある。
勘彌さんは22日から急病で休演。上演をそのまま続行しているところをみるとコロナではないのだろうが、年配の方なので、逆に心配でもある。代役で紋秀さんが良い役を遣えるようになったのは良かったけど、勘彌さんの回復と復帰をお祈りしています。

坊太郎〈吉田簑太郎〉は素朴な雰囲気。2016年の玉翔さんは子供らしい愛くるしさ、チョコマカとした所作が可愛かったけど、今回はもっとナチュラルな雰囲気。緩慢な動作ながら、どこか少し固いところがあるのが、そう思わせるのだろうか。ご本人の見た目そのまま(?)というか、『浦安鉄筋家族』のフグオくん的な感じというか……、とにかく丸顔オーラがあった。
余計なことはしないシンプルな演技だったが、はじめのほうでお辻が「果物に命を繋ぎ」と言うところで「ピョコ…」としているのが可愛かった。

 

床では藤太夫さんが良かった。藤太夫さんは、森口源太左衛門をやや乱雑、大仰に語っていた。気品はあるがやや人形の線が細い玉志さんの森口とは、良い組み合わせだと思う。老女方役、菅の谷とお辻は、最近の藤太夫さんの常道、「女方」的な語りだった。女性そのものを表現するのではなく、男性役者が年配女性を演じているときの口調だ。ただ、さすがに出演時間が長い役が2人もいると、不要な淀みや老醜めいたものを感じ、不自然に思った。

切の呂太夫さんも、お辻と坊太郎が砂文字で云々とやっているところまではよかった。しかし、お辻が噴水の水を浴びて金毘羅大権現に祈願するところは、普通に声が聞こえん……。一心に声を上げているところと、声がか細くなるところとのボリューム差を具体的に出して欲しいと思った。

出演者要因ではない部分で、気になったこと。
坊太郎が桃を盗んだのは、乳母に少しでも食事をさせるためと知ったお辻が「よう盗んでくださった」と坊太郎を抱きしめて泣くところ、客席で笑いが起こってしまっていたのは残念だった。江戸時代の窃盗は本当に重罪だったらしいので、今と初演当時とではこの場面の意味もだいぶ違うのだろう。けど、どう考えても客席の常連客率98%の状態でこれというのは、「伝統芸能は難しくないです、庶民的です、素直に観てください」というセールスが行き着く先はこういうことなんだなと感じた。「新口村」の孫右衛門の「今じゃない」で笑ってしまうのと同じ、物語への無理解、理解するつもりのなさ。どうしようもない部分があるとはいえ、そこを知らんぷりして「難しくないです、とにかく見てください」では、「伝統」演目の興行の維持も最終的に難しいだろうなと思った。

なお、「志渡寺」は全編にわたって寝ているお客さんが多かったのだが、段切間近、下手袖から、若手太夫によって「うばよ〜」という坊太郎の声がかかる。その声で、ずっと寝ていた人たちの目が覚めていたのが、「文楽劇場〜」って感じで、良かった。(それはええんかい)

 

前回観たときあからさまに謎だった大道具、水垢離の噴水。2016年上演では、「昭和のスーパーの冷蔵野菜コーナー」のようにビニールの帯を多数垂らしたものだったが、今回は、「揖保乃糸」のような細い紐をのれん状に垂らしたものだった。「人形と人形遣いが冷蔵コーナーのピラピラに絡まってる!!!!」状態にならなくて、良かった。*4

しかし、あのとがりももは何の品種なの? しかも小さくね? プラム?
あと、桃が転がり落ちたあとの着地のしかたや位置が毎日違うのも気になった。

そして、「金毘羅大権現」は、なぜ、あの姿? 結構でかいのは良いと思った。

 

『花上野誉碑』は、事前に全段を読んだ。
全編通して、坊太郎が仇討ちを成し遂げるまでの経緯をほぼ寄り道なく描いている。森口源太左衛門も全編通して登場し、民谷源八(坊太郎パパ)と坊太郎へ執拗に嫌がらせをしてくる主要キャラだ。単なる井の中のフロッグではなく、讃岐丸亀家から飛び出して鎌倉将軍の武芸指南役にまで大出世するのだから驚き。浄瑠璃では珍しい自己実現キャラだ。
坊太郎は、「志渡寺の段」のあとは東国へ旅立ち、品川の遊女であるママ・其朝に再会する(遊女屋では可愛い子供なので激モテ。遊女たちがめっちゃ押しかけてくる)。また、内記や方丈の霊夢通り、武芸の名門・青柳左島へ養子入りする。青柳家には嫡子・采女がいたが、左島は坊太郎を養子に取るのと同時に、実子のはずの采女を家来へ養子にやってしまう。このことで、青柳家でも一悶着が起こる。
森口は鎌倉武将の武芸指南役となり、将軍の鶴岡八幡宮への代参を行うまでになる。そこでまた坊太郎と一悶着あり、青柳家を巻き込んだ惨劇が起こる。もう坊太郎とかどうでもいいだろというほどの地位にまで上り詰めてめちゃくちゃに増長しまくっているにもかかわらず、いちいちイチャモンをつけてくるのはすごい。それでもまだつけ上がりまくっていたものの、最後は唐突に捕まって仇討に引きずり出され、坊太郎に討たれる。
しかし、坊太郎が父の敵を討てたのは、自力(武芸の腕を磨いたから)ばかりではない。坊太郎の仇討ちには金毘羅大権現の加護が大きく関わっている。志渡寺だけでは、お辻の狂気が槌谷内記の心を動かして人間的奇跡が導かれたかのように思える。しかし、以降の段では、坊太郎を守護する金毘羅大権現が本物の奇跡を起こすのだ。金毘羅大権現の導きと助けによって物語が展開してゆき、仇討ちそのものさえも、金毘羅大権現の手助けがある。『花上野誉碑』は江戸初演の浄瑠璃だが、四国から遠く離れた江戸に、演劇興行のタネになるまで金毘羅信仰が浸透していたことに驚かされた。実際、四国八十八か所も、東国からの巡礼者は結構いたようで、われわれ現代人がイメージするよりもたくさんの人が参拝旅行をしていたり、行った人の土産話を耳にしたりしていたのかもしれない。

 

 

  • 義太夫
    中=豊竹希太夫/鶴澤清友
    前=豊竹藤太夫/鶴澤藤蔵
    切=豊竹呂太夫/鶴澤清介
  • 人形役割
    森口源太左衛門=吉田玉志[前半]吉田玉助[後半]、門弟数馬=吉田玉翔(7/23-8/4休演、代役吉田簑紫郎)、門弟十蔵=吉田玉誉、門弟官蔵=吉田玉彦、槌谷内記=吉田簑二郎、方丈=吉田玉輝、内記妻菅の谷=吉田勘彌(7/22-8/1休演、代役桐竹紋秀)、弟子僧雲竹=吉田玉峻、弟子僧念西=吉田玉延、乳母お辻=豊松清十郎、民谷坊太郎=吉田簑太郎、腰元信夫=吉田簑悠、門弟団右衛門=桐竹亀次

 

 

 

『紅葉狩』。今回は、『刀剣乱舞』とのコラボ演目として、夏休み公演のひとつの目玉に設定されている。

前場平維茂吉田玉助〉・更科姫〈吉田一輔〉とも、主遣い肩衣。更科姫は全員出遣いで、披露する舞も扇を2つ使った派手なもの。いつもこの演出だったっけと思ったが、話がそっくりな『増補大江山』と混じっているのかもしれない。

床は良い。
しかし、人形はどうなのか?
今回は人形に若めの人が配役されていたため(これもコラボ企画向けの意図的なものだと思うけど)、出来そのものは若手会状態だった。率直に言うと、技術水準以前の問題として、稽古不足、準備不足を感じた。コロナの影響で稽古ができないとか、そういうことなの?
更科姫は、前半の芝居部分の所作に丁寧さが心がけられているのは良かった。しかし、舞は、肩衣や全員出遣いに見合ったものが披露できるよう、稽古をして欲しい。扇を投げるところは堂々とやらないと何をやっているのかわからない。左は、人形の左手が扇を投げているのではなく、左遣いが扇を投げているようにしか見えないのを修正して欲しい。この方、いつもそうだから、そろそろ改善して欲しい。(「欲しい」多すぎ文章)
平維茂は刀の扱いを丁寧にするべきだろう。むやみに振り回してるだけというのは、ありえない。『刀剣乱舞』とのコラボ企画なのに、肝心の刀の扱いが非常に雑というのは、本質を外している。2日目は、悪い意味で演技そのものが初日と違っていたのも気になる。そもそもよくわからずやっているのかもしれんと思った。
山神も含めた全員、小道具の扱いのぎこちなさが目につく。あした1日、ずっと小道具を持って過ごし、手に馴染ませる感覚を探ってみるとか……?と思った。更科姫については2日目にはやや改善されていたので、残りの会期にかけて頑張ってくれと思った。

 

今回は、下手袖で陰打ち(ツケ打ち)をしているのが見えた。いろいろ思うことが多かったが、その人が頑張っていたので、彼に免じて許すわ……。(何様?)

 

  • 義太夫
    更科姫 豊竹呂勢大夫、維茂 豊竹芳穂太夫(7/16-18休演、代役竹本南都太夫)、山神・竹本南都太夫、腰元[おふく] 竹本聖太夫、腰元[娘] 豊竹薫太夫/野澤錦糸、鶴澤清馗、野澤錦吾、琴 鶴澤燕二郎、琴 鶴澤清允
  • 人形役割
    平維茂=吉田玉助[前半]吉田玉志[後半]、更科姫 実は鬼女=吉田一輔、腰元[おふく]=桐竹紋吉、腰元[娘]=桐竹勘次郎、山神=吉田玉勢

 

 

 

この演目選定と配役、大丈夫なのかと思っていたが、「志渡寺」は、出演者のもつ実直さ、ストレートさがうまい方向に出て、爽やかな舞台になっていた。中堅公演としてよくまとまっていたと思う。なんだかんだ言うて、清十郎さんや玉志サンはしっかりしてるわ。

『紅葉狩』については批判を書いたが、それには色々な要因があると思っている。しかし、舞台に対する準備不足の問題が一番大きいのではないかと感じた。私もこれで6年文楽を観ているので、それぞれの人の技術水準はだいたい把握しているつもりだ。ベテラン並みにうまくやれという意味ではなく、努力でフォローできるところは、初日までに埋め合わせてきて欲しい。なにより、「若手」ではない人、そして、いい役には、責任が伴う。本番でお稽古しないでくれ〜。

それにしても、最近お囃子が失敗してること多いような。新人を入れたとか、そういうことなの?(そういうことなのシリーズ)

 

現在、コロナ第7派の影響が大きく、感染者が出て公演中止となる興行のニュースを毎日のように目にする。文楽はいまのところ全体休演までは至っていないものの、連日、濃厚接触者指定を受けて休演になった人の報がウェブサイトに掲載されている。綱渡りでもこのまま最終日までいけるのか、非常に心配だ。そもそもあんな繁華街でやっていては、劇場の行き来だけでリスクが高いと思う。出演者、関係者の方の健康を祈るばかり。

 

 

 

今回の『紅葉狩』は、東京国立劇場の歌舞伎公演とあわせて、『刀剣乱舞』コラボを行なっていた。

文楽劇場の『刀剣乱舞』コラボはこれで2度目だが、昨年のコラボ演目『小鍛冶』のように初めて文楽劇場へ来場された方がたくさん!!というわけではなさそうだ。
初日〜3日目に行ったが、夏休みはじめの連休にもかかわらず、客席の98%は常連客だったのでは。そもそもの入りが少ないこと自体は置いておいても、あきらかに地縛霊ばっかりやで。同じような企画を繰り返しても集客はできないということなのか、演目の問題なのか(伊勢音頭がよかったのでは?)、それともピックアップされているキャラクターの人気の違いなのか。いろいろ予算問題とか許可取りの手間とかの問題があるとは思うんだけど、やっぱり、多少大変でもグッズを製作すればいいのに、と思った。

 

今回も、文楽人形のコラボ展示が行われていた。

ロビーに展示されていた小烏丸文楽人形は、あいかわらず、文楽劇場独特のオーラを発していた。おばあちゃんがコスプレ衣装作りを手伝ってくれて、お母さんが着用モデルになってくれた感じ。この「実家」感、逆にすごい。文楽劇場ではいつもこういう時空が展開されているのでわれわれは何も思わないのだが、『刀剣乱舞』好きの人はどう思ったのか、率直なところを聞きたい。

しかし、なんで小烏丸を普通の頭身、デカめにしちゃったんだろう。小烏丸は小柄で華奢なキャラクターというイメージなんでは?と感じるので、瓜子姫や禿くらいのサイズ感がよかったんじゃと思った。
そして、パーツごとの完全再現的な指向もいいけど、あくまで文楽として「実際に文楽の舞台に出る想定で拵えるなら、われわれはこういう解釈をします」というコンセプトで作ったほうがいいのではと感じる。コラボ製作にもそろそろノウハウが溜まってきているだろうから、次回からは、ぜひご一考を!

 

↓ 今回も、人形製作の過程のレジュメが配布されていました。それによると、かしらは「ネムリの娘」、手は女方の「もみじ手」……まではまだ良かったと思うんですが、新調の足が武将役かと思うほどクソどっかりしているのがちょっとヤバかったですね。小烏丸は簑助様的な華奢げな役のはずなのに、そこはかとない玉男様オーラのあるこのレッグ。文楽人形は手足が幼児みたいにプニプニ太めなのは可愛いんですけど、小烏丸の可愛さは、それとは真逆だからねぇ。なお、太刀・手甲などの小道具は外注で、乾肇さん制作だそうです。

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↓ この頭身を再現したほうが良かったのでは?

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↓ 小狐丸も再展示されていました。前回展示のものから、衣装に色々と手直しを入れているそうです。

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↓ コラボスタンプ。押すのを失敗して、めっちゃかすれた。

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*1:女性の髪飾りではなく、小柄のようなもの。

*2:志渡寺は香川県のオフィシャル観光サイトだと「しどじ」のふりがなが振られている。もしかしてこれ、「紀三井寺(きみいでら)」と同じく、現地の人しか発音できないような特殊な発声をする系統の地名なのだろうか。「紀三井寺」は、現地のJR車内アナウンスや寺院内の放送では、「きみ・ぃでら」みたいな、特殊な発音で呼ばれている。いつか四国八十八か所巡礼に行くときに、よく聞いてみようと思った。

*3:なお、あの弟子僧ズがなぜホウキを持っているかというと、現行上演ではカットされている「志渡寺」冒頭部で、セッセとお掃除に励むお仕事があるから。そのときに、「あの桃に何かあると大目玉だから、まわりを掃除するのも危ないわー」的なことをひとしきりくっちゃべっています。

*4:ストリングカーテンというらしい。昔流行ったイメージだけど、今もあるんですね。検索すると、志渡寺の舞台に出ていたものと割とそっくりなものが出てきて、笑ってしまいました。