TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 4月大阪公演『摂州合邦辻』万代池の段、合邦住家の段 国立文楽劇場

「合邦住家」で、合邦ハウスの下手側にある閻魔様の首。下に車輪がついていて、そのまま移動できるというのが衝撃的だった。それにしても、なんで首だけなの???

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第二部、摂州合邦辻、万代池の段。
あらすじはこちらから。

 

舞台中央に蒲鉾小屋。手すり上手側に、枯れたアシの葉っぱが生えた万代池、書割上手側には四天王寺五重の塔を望む風景。
大阪のかまぼこハウスはあいかわらず凄まじいボロさ。一体どういう方向の力の入れ方なのか。そして、五重の塔は、異様に精細に描かれていた。

昭和48年[1973]の復曲。構成・文章は、原作から大幅に整理がされていた。入平が四天王寺へ到着してワサワサする冒頭部、俊徳丸と浅香姫の一部やりとりはカット。ややこしいところ、まどろっこしいところは略してある状態だった。

 

下手小幕から杖を頼りにソロソロと歩みくる俊徳丸〈吉田玉佳〉は、清々しい雰囲気。顔の向け方、肩や指先の動きなど、若君らしい繊細な佇まいで、涼しげな気品がある。古風なイケメンといった感じ。というか、玉佳さんは、謎なところでなんだか玉志さんに近づいてきた気がする。最近、動きが速い。
俊徳丸は最後、閻魔カーに乗って去っていく。原作にあたる説経節『信徳丸』の文章からだと、車は『子連れ狼』の大五郎が乗っている乳母車みたいなやつだと思っていたが、本作では、合邦が勧進のために引き回している閻魔大王の首を乗せた小さな台車に乗ることになっていた。閻魔カーに乗った俊徳丸は、遊園地のアトラクションにライドオンしているようで、かなり良かった。そこに掴まるんかい。

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合邦〈吉田玉也〉は、シカクい印象の姿で、豆腐田楽が歩いているみたいだった。やはり、肩にタックをつけたパワショルっぽい着付がそう見せているのだろうか。
地獄極楽の説法を語りながら踊る合邦ダンスが良かった。足元のふわっとした動きが、映画『紅の流れ星』で、渡哲也が照れ隠しにジェンカを踊るシーンのようだった。無表情なのも良い。(人形だから)

合邦の説法につられ、群集のツメ人形たちがどんどこ集まってきていた。一番右のツメ人形が良かった。脇役でずっと動きがなく20分くらいじっとしたままの人形の人形遣いさん、ああいう虚無の目をしている。右から二番目のヤツもかわいかった。

黒の塗笠に杖をついた旅姿で現れる浅香姫〈桐竹紋臣〉はおっとりとした雰囲気。すべてが「ほわ〜ん」としたおぼこ娘の真骨頂だが、ちょっと大人っぽいかな。歩き方や姿勢がキャンキャンせず、お姉さんっぽいというか。しかし、「合邦住家」に入ると、和生さんの玉手御前の美貌と貫禄があまりにすごいので、途端にオコチャマになるんですが……。

浅香姫と入平〈吉田玉勢〉は「Let’s 熊野路」とばかりにそのままの格好で西国巡礼へGoしようとしているが、あの、私も最近、西国三十三所巡礼はじめたんですけど、お二人が突撃しようとしている熊野、つまり第一番札所の青岸渡寺ですね、とても良いところで、熊野という土地の雰囲気も本当に素晴らしく、行って良かった場所なのですが、そんな気さくに行ける立地じゃないと思う。結構すごいところにある。紀伊半島の真逆側っていうか。天王寺からなら、確かに特急くろしおで紀伊勝浦まで1本で行けますけど、それでも相当遠いので、今日のところはMIOのアウトドア用品店でトレッキングシューズを買ったり、駅で特急券を予約するにとどめたほうがいいと思いました。

かまぼこハウスの近くにある紅白の梅は、さっき、伏見稲荷にも生えていた気がした。

 

「万代池の段」は17年ぶりの上演だそうだ。説経節の世界の四天王寺の風景は面白かったけど、合邦住家の前段のとしての説明をしました状態だなと思った。
プログラムなどでは、おそらく差別問題への配慮として、俊徳丸がおかされた病が「癩病」ということを伏せてある。簡単に言及できることではないが、ハンセン病への差別の歴史や、四天王寺と被差別民の関係の歴史は、なんらかの形で説明したほうがいいと思った。万代池を出すならなおのことだ。

 

 

 

合邦住家の段。
さっき万代池のとこにいたツメ人形が、早速、講中の仲間に入っている気がした。奥さんツメも1人いた。

玉手御前〈吉田和生〉の圧倒的な美貌!!!
いま日本で一番美しいのは、和生さんの玉手御前だろう。
大粒の真珠のごとき、艶やかで豊満な美しさ。ほかの人とは極端に違う特殊なかしらを使っているわけではないはずなのに、圧倒的にすさまじい美女に見える。しっとりと柔らかで、濃密で官能的な香りが漂ってくるような美しさだ。だから、父や母を含め、みんな、彼女が俊徳丸に恋をしていると思い込んでしまったんじゃないかと思える。

和生さんの人形には目元に強い表情がある。玉手御前は、特に、まぶたの表情がとても印象的。悲しげに俯いた表情は、特に艶麗。露のような憂いがより一層美しさを引き立てている。お父さん、お母さんと別れるのが悲しいのかなと思わされた。ゆっくりと目をつむったり、ぱちりと開ける仕草が、彼女の気持ちの変化のポイントを表しているようだった。ママ、あるいは合邦が話しているとき、どこを向いているのか。どれくらい顔をうつむけているのか。そのニュアンスが語るものが非常に多い。このように目元が非常に印象的になっているのは、それ以外の所作のノイズを徹底的に抑えているためだろう。

同じことで、立ち上がり、座りの際に動きのヨレがなく、所作が優雅で美しいのも良かった。前半を抑えている分、後半の乱行の華やかさも引き立つ。

和生さんの玉手御前の場合、俊徳丸への恋心は、「演技」という解釈だろう。
それ以上にドラマとしてなにを重視しているかといえば、合邦一家の親子愛だと思う。合邦とその女房のかけがえのない愛娘との物語、という印象が強い。玉手御前の父母への思いは強く、大名の奥方になっても彼女はいつまでも二人の娘であって、その父母から誤解されるよう仕向けざるを得ないことが、彼女の悲しみと崇高性なのだと受け取った。
父母に不義を問われ、述懐する前に、玉手はそれまで閉じていた目を「ぱち!」と開け、前を向いて、思い切ったような表情をする。家に帰ってきたときには(父母に真実を打ち明けるか)まだ少し迷いがあっただろうけど、そのとき、彼女は覚悟を決めたのだと思う。
和生さんの玉手御前は、恋を語って俊徳丸にもたれかかるとき、直接触らないようにしているよね。体の外側をつけて重心を預けすぎず、膝元へ手を当てるにしても着物の袖を敷いている。それは、恋が芝居であっても、やっていいこと、いけないことを分けているからだと思う。*1また、嘘っぽい大げさなフリは、浅香姫が寄ってくるまで排除していることからも、恋が演技だと思わされる。(でも、そのぶん和生さんの玉手キックは面白すぎて、かなり良かった)

全般的には、何かに耐えて、ぐっとこらえているような表情が印象的だった。玉手御前の演技の組み立て方としては、わがまま娘風にするというのがよくあると思うが、内面になにかを秘めていることだけを示し、あまりスネた風に見せていないのは、やり方としては珍しいのかもしれない。

前半が大人っぽく美麗な分、手負になってからの可憐さ、年齢なりの娘ぶり(合邦とママの子という意味で)は印象的。凛としつつも、どこか可愛らしい雰囲気がある。

玉手御前は、最後、ひとりずつにちゃんとお別れの挨拶?をしているのが良い。浅香姫には挨拶していなかったが。なんでや。昔の記録映像を見ると、俊徳丸に別れを告げているところに浅香姫がソヨソヨ寄ってきて、それを見た玉手が「この子をよろしく…!」みたいに片手で拝む仕草をしていたので(玉手御前=初代吉田玉男)、出演者による協議があるのかもしれない。

 

ママ〈桐竹勘壽〉は、さすが勘壽さんの老婆役らしく、気品と優しさのある佇まい。ママは、老婆役にしては動きが非常に多い。多くある向き直り動作での大きく下弦を描くような動き、肩の使い方の巧みさで一見地味な役の表情を豊かに見せていた。体の中心の位置の使い方のうまさを感じる。動揺で常にプルプルガクガクしているのも良かった。

 

段切、合邦は、下手の閻魔様へお灯明を上げる。これは初代吉田栄三のやっていた型だそうだ*2。この演技は統一して決まっているものではないらしく、外へ出ず、死んだ玉手の顔を拭ってやり、鮑の盃を包んでいた袱紗を玉手の顔にかけて隠す型もあるそうだ(吉田多為蔵の型)。
私がいままでに見た合邦役、玉也さんと玉志さんはともに外で灯明を上げる型だったが、それ以外の部分では二人に相違する点があることに気づいた。玉也さんの合邦は、冒頭部で「幽霊」を語るときに手を前に出して幽霊のポーズをし*3、玉手の邪恋をなじるときには若干クネクネしている。玉志サンは確か、幽霊のくだりでは「ピョココ…」となりヒュっと伸び上がって震える仕草、邪恋を叱るくだりも怒りの説教演技*4でやっていたと思う。玉手が家へ入ってくる前後の仕草は玉志さんのほうが複雑で、上手にそれはするが、悲しそうにハの字まゆになって体育座りをしていたと思う。玉也さんの場合はこの段階ではまだ毅然としていて、上手で体をそらして座っているはず(前は体育座りしていた気がするが……)。あとあと考え込みはじめ、煙草盆に煙草を突き、顔を伏せてひたいを当てる仕草になることで、重苦しい心情を示している。
玉也さんは古い型を意図的に維持する方向に、玉志さんは師匠の近代化を受け継ぎ、道化じみた演技を排除する方向にいっているのだろう。
今後、合邦役が誰にいくのかはわからないが(基本的に入平をやっている人だと思いますが)、合邦の演技はどうなっていくのだろうか。

 

俊徳丸の人形の演技の見所について。自分はなんとなくで見過ごしてしまいましたので、ここに書いておいて、これからご覧になる方には見ておいて頂きたいのですが、この段での俊徳丸の人形演技のキモは、段切近くの「月江寺と名付くべし」で、右手を一旦引いてから前へ差し出す所作(マネキ)だそうです。

 

あとは、合邦と玉手の左がうまかった。

 

 

  • 人形役割
    高安俊徳丸=吉田玉佳(4/2-3休演、代役・吉田玉翔)、合邦道心=吉田玉也、浅香姫=桐竹紋臣、奴入平=(前半)吉田玉勢(後半)吉田簑太郎、高安次郎丸=桐竹亀次、合邦女房=桐竹勘壽、玉手御前=吉田和生

 

 

 

やはり、『摂州合邦辻』は、戯曲としては不完全であるがゆえに、演者の技量や考えによって、いかようにでも料理できる演目だと感じた。

和生さんの玉手御前の美しさは、本当、必見。宣材写真やかしらの資料写真とは全く異次元の、洗練された美貌。その所作の艶やかさを、是非とも観て欲しい。美しすぎて、目が点になる。

最近の和生さんは、濃密な情感に満ちていて、素晴らしい。人物の想いが滴るほどに行き届いた所作。動きそのものはゆとりがあり、シンプルなのに、情報量が極めて多い。単に余分な手数を排するだけでは至れない境地に達していると思う。文楽は、60代70代の人でも、そして、元がかなりの水準に達していた人でも、さらに飛躍するというのが、芸能としてのすごさだと思う。

 

 

↓ 2021年3月地方公演の感想。玉手御前=和生さん、合邦=玉志さん(代役)。


 

 

 

おまけ 万代池はどこなのか

本作の「万代池」は、現在、住吉区にある万代池公園の「万代池」とは違うようだ。オンライン公開されている江戸時代の地図を確認してみると、四天王寺の南大門を出て左手側(門に対して南東)に、小さな池が描かれているのを見ることができる。「万代池」「ばんだいケいけ」「はんだかいけ」等と名称が添えられている。
ではどういう池だったのか? 簡単に検索して引っかかったものの拾い読みのみだが、元禄2年[1689]刊の『四天王寺がらん記』(国立公文書館蔵)の説明によると、「ばんだいが池 此池の水にくでんあり」とある。どんな口伝だったのだろう。

 

『摂州合邦辻』初演(安永2年[1773])に近い時期の地図をご紹介。
水色囲いが万代池、オレンジ囲いが四天王寺、ピンク囲いが合邦が辻、黄緑囲いが月江寺

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▲『攝津大坂圖鑑綱目大成』(正徳5[1715]*5国立国会図書館蔵
「ばんだいケいけ」と書いてあります。この地図のように、合邦辻の閻魔様は、古地図では全身描いてあることも多いです。文楽でも、昔の記録映像を見ると、全身ある場合もあります。

 

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▲『増脩改正攝州大阪地圖』(文化3 [1806])国立国会図書館蔵
浮瀬(ウカムセ)も描かれていますね。

 

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▲『四天王寺独案内  一名天王寺土産』(明治28[1895])国立国会図書館蔵
明治時代の観光案内に、池のイラストが載っていた。四天王寺を西門から見た風景で、万代池は南大門の門外、右端やや下のほうにある。デカ池として描かれているが、別ページの説明には、「萬代(まんだい)の池 南大門の外にしてちりゝやたらゝの橋と共に旧跡を存するのみ」とある。明治時代後半にはすでに存在しなかったのだろうか。文久3[1863]の『国宝大阪全図』(立命館アートリサーチセンター蔵)の地図でも、万代池の箇所には石碑のようなものが描かれるのみで、池として描かれていないので、幕末ごろになくなったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

*1:この場面、玉手御前が俊徳丸に思い切りビトッとくっついたほうが、浅香姫役の人にとってはそのあとの演技が思い切りやりやすいという考えもあるようです。

*2:さらに遡ると吉田文三の型の継承とのこと。

*3:幽霊ポーズは、吉田玉造の型だそうです。

*4:怒って床を叩くのは、初代吉田玉男、初代吉田栄三の型。

*5: 宝永4年[1707]初刊図の後印版