TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

文楽 大阪錦秋公演『源平布引滝』国立文楽劇場

大阪公演も無事再開できて、本当に良かった。
文楽を大阪でゆっくり観られるというのは、本当に幸せ。

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2017年夏休み公演の舞台写真。2018年の文楽劇場カレンダーより。

 

 


第一部、源平布引滝。
今回は「義賢館」を飛ばしているので、話のいきさつがわかりづらい。2017年の夏休み公演で観たときの記録にあらすじをまとめているので、よかったらご参照ください。

 

 

 

矢橋の段。

木曽義賢から託された「源氏の白旗」を持って、小まん〈吉田勘彌〉が琵琶湖の岸辺を逃げてくる。

小まんは佇まいや動作がどことなく猫っぽくて、可愛い。目線がうろうろと上向きになってそわそわした感じとか。塩見忠太〈桐竹亀次〉が追いつてくると、目を泳がせて「しらーっ……」と知らんぷりをするあたりが、いたずらを発見されたにもかかわらず「は? わたし関係ありませんが?」顔をしてしらを切ろうとする猫っぽかった。小まんは力持ちの大女の設定だと思うが、大人っぽく清楚な印象なのも良かった。動作が非常に綺麗に整理されているので、ツメ人形ズを連続背負い投げするような豪快な演技でも、とっちらかった印象にならないのがカギだと思った。

 

 

 

竹生島遊覧の段。

平宗盛〈桐竹紋秀〉が、琵琶湖にデッカイ船を浮かべて遊覧中、斎藤実盛吉田玉男〉が挨拶にやってくる。実盛が御座船に乗り移り宗盛から盃を受けていると、小まんが溺れそうになりながら泳いできたので、実盛は彼女を助けてやる。

 

私が宗盛なら、平家の横暴の一環として、飛騨左衛門〈吉田文哉〉に「退屈すぎ〜〜〜〜〜! お前、猫耳つけてこれから語尾に全部『にゃ😸』つけて喋れやwww」と命じて奢りの限りを尽くしていると思った。
しかし、宗盛は横暴を働かず、ちゃんと遊覧船観光していた。いかにも貴公子風、生まれ育ち違いまーすって感じのお高いオーラが良かった。ちょっと目線が浮いているのが高貴感をかもしており、六本木のクラブで遊んでいる金持ち学生的(?)。基本的にじっとしているキャラだけど、実盛が船に乗り込んできて盃を与えるところ、盃を差し出すのを単にズイッとつっけんどんにするのではなく、微妙に手首にスナップが効いた、ツイッ!とした出し方をしていた。育ち良〜。と思った(?)。手を袖の中に入れてプル!プル!とする演技も綺麗で良かった。

 

お待ちかね、玉男さん実盛はドーーーーーンとしていた。
玉男さんの武将役は久しぶりに拝見したけど、体幹のごん太さ、変わらず。重心が塊状というか、人形の腰やおなかのあたり全体で、どっしりと構えている。線の強い、直線的でやや硬い動きながら、悪い意味での木偶っぽさが出ず、「巨大で不気味なもの」に見える。方向転換時に体をまるごと一気に動かす動作も、人形でしかできない動作ながら、人形っぽく見えない。でも、ちょっとぴぴぴ……としたわずかな震えめいたものがあるのが、人形らしい。ゴーレムのような動き? なのかもしれない。(ゴーレム、見たことないけど)
そして、宗盛から受けた盃を干す仕草が丁寧。飲む仕草そのものはもちろんだが、飲み終わった盃をツメ人形が差し出す三方に返すところまでいくと、塩見忠太シップが近づいてきており(じゃないか、小まんが泳いできて、だな)シーンがもう次へ移行しているため、客は誰も見ていない。それでも末尾までペースを崩さず、端正にやっておられるのはさすがと思った。

そういえば、今回のプログラムのインタビューは玉男様だった(紫綬褒章受章おめでとうございます💜💜💜)。玉男様は3月以降の休演期間中、毎日ラジオ体操や筋肉体操をしていたそうだ。あの揺るぎないごん太感は、筋肉体操のたまもの? 人形で筋肉体操を披露していただきたいと思った。

 

実盛から「これ、平家の船だから」と言われた小まんは、お礼を述べつつも、「まずい……」という表情になっていた。まだちょっと闘志があって、何か考えている様子。この印象は、以前観たときの清十郎さんのシオシオした小まんとは結構違った。うーん、やはり義賢館から観たかった。

 

しかしあの御座船、書き割りでなくちゃんと立体的で、「御座船〜!!」って感じなのが普段の文楽にはないデラックス感。さきっちょについている紫色のタッセルが本物なのが特に良い。それに対比しての実盛が乗ってくる小舟の木っ端具合も良い。おもしろすぎ。なんでそんな粗末な船に乗ってるの? 実盛、衣装はちゃんとしててデラックスなのに。そしてあの小船、大道具さんがうまく押し出せなかったのか、船が超グラグラしてしまって岩にぶつかってしまったときがあり、船頭〈吉田玉峻〉(けっこう際どい格好)がメッチャびっくりしてたのも良かった。一番琵琶湖ポチャしそうな実盛は、一切動じていないのも最高だった。

 

あとはこの段、床がかなりのどかというか、ひなびているというか、なかなかすごい感じというか、まさか平家の御座船が琵琶湖に浮かんでいるとは思えない感じだったのがすごかった。いや別にいいんですが、なんでこんなクセの強い人らを集めたんや……。江戸時代の本物の野崎村の川に浮かんでる船はこんな感じだったのではと思った。

 

 

 

九郎助住家の段。

近江の九郎助の家では、女房小よし〈九郎助女房*1=吉田簑一郎〉が綿繰りをしている。そこへ九郎助の甥・矢橋仁惣太〈桐竹紋吉〉が訪ねてきて、義賢の妻・葵御前を匿っているだろうと騒ぎ立てるので、小よしは追い払う。臨月の葵御前〈吉田清五郎〉がなかなか帰ってこない一家の娘・小まんを心配していると、魚採りに出ていた九郎助〈吉田文司〉と太郎吉〈桐竹勘次郎〉が「旗を持った腕」が流れてきたと言って持って帰ってくる。

 

のどかな仕事歌(?)ではじまる段。
この冒頭で小よしが使っている不思議な道具。文楽だと小道具があまりにオモチャめいていて何をやっているのかよくわからず、わたをたいらにしてるの……? どういうこと……? と思って調べてみたら、あれは「綿繰機(綿繰車)」という農具で、収穫した綿花をはさんで、綿のふわふわ部分と種の殻を分離するために使うもののようだ。肝心の動作である種の殻の分別は、小よし側に落ちるので、客には何が起こっているかわからないのね。検索するうち、「電動綿繰機」というものを見つけてしまい、動画に目が釘付けになった。みんな検索してたも。

↓ 綿繰機、実はこういうこと


綿繰り機、綿繰り動画 【稲垣機料株式会社】

 

そして、このとき小よしが使っている綿繰機をアレンジしたものが、段切で太郎吉が乗っているおうまさんなのかとやっとわかった。「綿繰馬」はさすがに人形が乗るからか、冒頭のものとは別物で、構造がしっかりしていた。

そんな小よしだが、ゆったりと優しい動作とちょっと涼やかな佇まいが、聡明なおばあさんという感じで、とても良かった。動作のトーンにブレがないので、おとなしい役でも通して見ると総じて人となりがしっかり具体化して感じられる。床の交代で、ステージ上で長時間待機しなくてはいけない場面でも、微妙にフル…フル…としながら待っているのがよかった。バスの中でこういうおばあさん、よく見る。と思った。
小よしは、魚採りにで出かけた九郎助と太郎吉が手を採って帰ってきたときには、びっくりして怖がり、目をそむけていた。文楽には珍しく、人体損壊を怖がるキャラか。「手から旗を離すからおさえてて!」と言われたときも、静かながら限界まで顔をそむけている。ちなみに葵御前は特に怖がっておらず、大根でも抑えているかのように普通に対応していた。さすが武将の妻だと思った。

 

九郎助は、詞章では「こんにゃく玉」と言われながらも*2、ちょっと品のある、シュッとした雰囲気だった。少しおとなしげな感じで、在所ジジイとはいえ、野卑に傾きすぎず、おもしろい。微妙におっとりリアクションなのも良い。実盛と瀬尾〈吉田玉也〉がやってくると一生懸命頭を下げ、瀬尾に怒鳴られると小さくピョコココ……!とするのが可愛かった。それと、「まさかのときはコリヤかう」と小よしにチョコチョコ内緒話をするところも人形らしい愛らしさがあって、良かった。

 

清五郎さんの葵御前はかなり良い。美人生徒会長って感じ。背筋をまっすぐ伸ばして、少しだけ首をかしげている佇まいが百合の花のようで、涼しげな美しさ。目元や顎の表情がたいへん上品。憧れのお姉さまって感じ。でも、産後の人、あんなにすぐ起き上がらせて大丈夫なのかな。そして、浄瑠璃は語りによって時間の経過速度が変化するとはいえ、すごい安産の人だなと思った。きっと実盛のかけてくれた源氏の白旗の奇特なのだろう。実盛、玉男様らしく悠々とマイペース(?)で白旗かけてたので、白旗がかかるより先に生まれてましたが……。源平布引滝最大の謎。

 

そんな実盛のごん太さは九郎助住家でも健在。衣装がびかびかしていて、「びかびかしとる」と思った(田んぼに寄ってくる雀程度の知性)。
主にじっとしていて、時々、眉毛を「ぴこ……」とさせたり、そっと顔の向きを変えたりする程度なんだけど、良い。人形が本当にじっとしているにもかかわらず、五月人形のような「置いてある感」ではない。なにか思慮をめぐらせているような佇まい。それは、足の表情によるものなのか、腰に手を置く位置なのか、あごの引き方なのか……。瀬尾と九郎助のやかましいやりとりから、適度に距離をおいている印象なのも、面白い。
小まんの腕を切り落としたことを語る、いわゆる「実盛物語」の部分は、知的で端正な雰囲気。首がきりっとしている。手や体の向きのフリだけでなく、体をぐっと後ろに重く引くことで、演技に立体感が出ていた。扇のみの演技で、熊谷ほど内容が派手だったり感情的ではないぶん、さざなみのように繊細な品性が感じられた。
逆に、派手なアクションもある。最後、馬へチャッ!と綺麗に飛び乗る姿は、かっこよかった。かなり綺麗に飛び乗ったときには、思わず拍手してしまった。なぜ拍手までしたかというと、その前日は微妙に失敗して、ほんのすこしではあるが、馬の正中線上に人形の正中線がこず、「ああ〜……」と思ったので。そこまでは超まっすぐ立っているので、ちょっとでもずれると、目立って、惜しい!と思ってしまう。馬上の威風堂々とした佇まいはさすが玉男さんだと思った。思慮深くおとなしげなところがある実盛だけど、ここはさすがに武将の覇気があった。それにちんまり対抗する太郎吉(&綿繰機で作った馬&それを曳く九郎助)が可愛い。
矢惣太の首を搔き切るところでは、肩に小刀の鞘を挟み、口にその紐をくわわえて片手で引き抜く。このときの紐をくわえる仕掛けは、『心中宵庚申』の半兵衛が矢立をくわえる仕掛けと同じようなものなのかな。鞘は抜いた後に肩から落ちてぶらさがるので、その重量に耐えられる仕掛けなのだろうが……。
それにしてもこのおうまさん、浄瑠璃の詞章と毛並みの模様や色が違うのが気になりますが、文楽の武将が乗ってる馬はいつもこの子だから仕方ない。たてがみが微妙にボサボサなのが獰猛そうで良かった。

実盛はこのように最後まで見せ場があるわけだけど、このような主役級の役をつとめる人形遣いでも、最後まで集中力(体力?)が持つ、持たないって、正直、あるよなあと思った。ウヤムヤにならないよう、最後まで端正に、丁寧にこなせるか。玉男さんは最後までキッチリやっているのでこれが普通だと思ってしまうけど、実は結構差があると思っている。そして、もっと差が出るのが、左の人が最後までちゃんとこなせるか。左遣いの集中力やその持続力はかなり重要だと思う。人形の見栄えにはたくさんの人の精神力がだなと思った。

 

玉也さんの瀬尾を見ていて思ったのだが、人形遣いさんって、動作を細かく分解して流麗に遣う人と、動作を一度に処理する人がいるよね。役にもよるけど。玉也さんは後者だと思う。だから何とかはなくて、別に、それだけです。
瀬尾は朱鞘の刀を肘の内側に抱える演技が特徴的。大きな人形の体のハリが活かされて、形が荒々しく決まっており、良かった。それ以外にも、ビックリして足をハの字に投げ出して座るなど、動作にちょっと稚気があるのがおもしろい。そして、後半、小まんの死骸を持ってくる村人ツメ人形ズと一緒に、笠で顔を隠して「かくれてねーよ、そんなデッカいド派手ななりで」って感じで入ってくるのがやっぱり良かった。

 

太郎吉は何歳なのだろう……。いや、文章からすると7歳ですが……。
人形はよだれくり的な、かなりのトッツァン坊や風。ただこれはわざとそうやってるってことではなく、技術というかセンスというかの問題で、人形の大きさに対して動作の大きさが合ってないんだと思う。
一方、床は靖さん呂太夫さんは最近のシッカリした幼児風、錣さんはいたいけ感・愛らしさを非常に強調した幼げ風だった。
すべてがバラバラで、カオス……。みんな、自分の思った7歳児として、自由にやってくれ……と思った。

 

そのほかのみなさんでは、ごく下手にだけちょっぴり顔を見せる庄屋さん〈吉田簑悠〉が、「とりあえずたんすの一番上にあった羽織着てきました〜」って感じなのが良かった。

そして、紋吉さんの仁惣太は、なんとものんびり優しそうな感じがサンリオキャラにいそうでちょっと笑ってしまうのだが、最後に実盛に捕まって、客の目の前で首をかき落とされるところ。あれって瞬間的に差し替えもできないのに、どうやってるんだろうと思っていたら、2度目に出てくるときのかしらは冒頭で使っているのとは別のもので、首が外れる仕組みになっているそうですね。よく見ていると、首を落とされるシーンより前に外して、実盛の足の人?(介錯の人?)がまだくっついているかのように首を固定して持っているようだ。みなさん集中してやっていらして、いい感じに首チョンパされていた。

あと、小まんの死骸を持ってくる近所の人。お悔やみの言葉とか、手伝うことある?とか言わずにさっさと帰っていくのがすごい。あれだけの田舎で近所の人の不幸とか、普通、無視できひんやろ。

 

それにしても九郎助住家の床、4分割は割りすぎ。ブツ切れの印象が否めない。ここまで割られると、この段がひとつの話として、どういう印象を受けたとか、そういった物語の総体がなくなってしまう。2017年に観たときも感じたことだけど、4分割もしたら人物描写があいまいになるし、冗長な印象になる。しかもこの演目の場合、床が交代している間も人形が舞台に出ているので、「何の時間?」って感じが露骨で、ツライ(玉男様汗拭きタイムができるけど)。配役都合でこうなっていることはわかるけど、何とかしてくれ。
錣さん*3以外、時代物感がないのも厳しい。頑張っておられるのは十分わかっているが、向き不向きがあるというか。瀬尾や実盛の人形に対して空回り感がある。錣さんが全部やればよいのでは……と思った。錣さん&宗助さんはとても良かった。1時間40分くらいある九郎助住家の最後の最後になって、とつぜん重厚感が出ていた。瀬尾が戻ってきて、早速小まんを足蹴にするところ、ちょっと涙声だったのが味わいがあった。
とはいえ錦糸さんの弾き出しの格調感はさすがにうまい、と感じた。それと、小よしの喋り方は、人形とあわせてかんがみるに、咲寿さんのサヤサヤした雰囲気が好ましかった。

  • 人形配役
    娘小まん=吉田勘彌、塩見忠太=桐竹亀次、宗盛公=桐竹紋秀、飛騨左衛門=吉田文哉、斎藤実盛=吉田玉男、船頭=吉田玉峻、九郎助女房=吉田簑一郎、矢橋仁惣太=桐竹紋吉、葵御前=吉田清五郎、倅太郎吉=桐竹勘次郎、百姓九郎助=吉田文司、瀬尾十郎=吉田玉也、庄屋=吉田簑悠

 

 

 

第一部は端正な雰囲気の時代物で、面白かった。人形配役の清楚な雰囲気もあいまって、小綺麗な印象。お客さんも最後列まで入っていて、盛況で、良かった。

今回、不思議に思ったことがある。私は人形中心に観ているので、人形ばかり凝視しているはずなのに、人形の顔の造作が具体的にどうだったかとかは、なぜか全然覚えていない。それぞれの動きとか、佇まい、(イメージ上の)大きさは強く印象に残っているのだが……。九郎助や小よし、それどころか、実盛ですら、顔が思い出せない。いえ、もみあげがもしょもしょしてたことだけは覚えてます。それぞれが「どんな人だったか」はくっきり覚えているのに、どうしてだろう。文楽の不思議。いや、私の記憶力の問題か。

『源平布引滝』、個人的には次は玉志サンの実盛が見てみたい。知的でちょっとピリピリした雰囲気のある役なので、似合うと思う。玉志がんばって。と思った。

それにしても、竹生島遊覧の段で、実盛が櫂を高く掲げて投げ込むところを見て、ああ、義経千本桜の通し観たかったなと思った。また状況が変わってきたら、通し上演も開催されるといいな。

 

 


おまけ

今月は文楽劇場国立劇場と同じく、客席制限を行なっているのだが、センターブロックの2席飛ばし、ものすごく贅沢。普段なら皇族等のVIP観劇でもこんなゆとり席で観られない。1列に4人しかおらず、左右が悠々とあいているので、大名のような気分になった。もうずっとこれでいいと思った(アカン)。

また、1Fロビーでは、文楽劇場謹製の感染症対策マナービデオが流されていた。
文楽人形たちが文楽劇場へ観劇にやってくる様子を義太夫で語るという内容。文楽劇場らしいコクを感じる濃厚なムービーだった。義太夫なせいでめっちゃ長いのがやばい。
これ、事情を知らない人が見たら、めちゃくちゃやばいカルトムービーだよね。最近は外国人観光客向けによく「和風」のマナービデオがあるけど、これは「風」じゃなくてピュアネスにモノホンな本物なので、一線を超えている。客は文楽人形でも、文楽劇場のスタッフさんたちは人間なのがシュール。いかにも姫動作な姫が唐突にパンピー席で見ていて病んでいたり、なぜか狐が客に混じっているのも、勘十郎独特のセンスとしか思えん。勘十郎さんにはいつか末代まで語り伝えられるようなカルト映画を撮って欲しい。

……というような映像を、単位の一環?で来たらしい学生さんらしきお若い方々が、アリの軍勢がバッタの死骸を運ぶのを見つめるがごとき表情でご覧になっていたのが印象的だった。
一方、私は、自分、手代の人形より体温低いわ……と思った。非接触式(カメラ式)で36.5℃以上になったことがない。文楽人形、意外と体温があります。

↓ マナームービーはここから見られます

 

↓ 休演期間中、文楽ファンを震憾させたマスク文七の実物も見られました

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↓ うしろはこうなってます

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↓ マスクにあしらってある国立劇場の紋は、肩衣とか用のやつ(?)をワッペン風に貼りつけているようでした。

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*1:冒頭で歌っている歌の文脈からすると「小よし」という名前だと思うのだが、なぜ人形役割では「九郎助女房」と表記するのだろう。

*2:「こんにゃく玉」で検索すると、「確かに」と思います。

*3:今回は、文楽劇場の空調が錣さんの汗にやや勝ってました。やや。