TOKYO巡礼歌 唐獅子牡丹

文楽(人形浄瑠璃)と昭和の日本映画と麻雀漫画について書くブログ

くずし字学習 翻刻『桜御殿五十三駅』五段目 鳥羽道の段

近松半二ほかの浄瑠璃『桜御殿五十三駅』五段目。

室町の御殿を抜け出た将軍の弟・左馬之助、その許嫁・薫姫、左馬之助と相思相愛の傾城・雪の戸を追う詮議の手は、雪の戸の在所付近にまで回っていた。雪の戸の父・渦兵衛とその一家は、百姓をして暮らしていた。雪の戸を追う多聞の頭と歯朶平は、左馬之助と薫姫の祝言、また、将軍義政の雪の戸を側室に迎えたいという意向、この2つの目的を進めるにあたり、雪の戸が了承しないのであれば殺すこともやむを得ないと話している。それを聞いた渦兵衛は、雪の戸は自分に任せて欲しいと申し出る。渦兵衛が娘を思い心配していると、左馬之助を追う雪の戸が走ってくる。渦兵衛はそれを捕まえ、左馬之助を諦めるよう説得するが、雪の戸はどうしても聞き入れない。なぜなら雪の戸は左馬之助の子を身ごもっており、しかもそれが男の子だというのだ。覚悟を決めた渦兵衛は……。

 

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 これまでの翻刻

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  • 捨て仮名、句読点はそのままとして、字体は現行に改めている。
  • 文中■は判読できない文字。
  • 画像引用元:<亭主は東山殿/上客は一休禅師>桜御殿五十三駅(東京大学教養学部国文・漢文学部会所蔵 黒4142-0449)
  • 参考文献:国立劇場芸能調査室=編『浄瑠璃作品要説<3>近松半二篇』国立劇場/1984

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第五

花の名イ所はヱソレ都に。芳野。ヱズトセノセイ。井出の山吹キヱソレ杜時花に。萩よ。ヱストセノセイ。何ンと徳兵。千ン本の花問屋迄は余程遠い。休んで一ツぷく飲ふかい。ヲ丶いかにも。そんなら休スもと荷をおろし堤に腰かけ摺火燧。ナント渦兵衛殿。けふの花はよかとがや。ヲ丶サよい代物じや。ア丶したが日和が堅いので。花畑の水の世話。年が寄ツてはしんどい/\。サア何所もそれで迷惑なと煙筒くはへて商ひ咄し。かゝる所へ山名が家来押シ合イ当馬。手の者引キ連レ出来り。ヤイ/\両人ン。足利殿の御舎弟左馬之助殿。二条家の御ン娘薫姫。又(ツ)傾城雪の戸。若此道へは来なんだかと。聞クより渦兵衛耳欹て。

 

 

 

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イヱ/\そんなお方タは見ませぬが。其雪の戸とおつしやりますは。九条の町の傾城でござりますか。ヲ丶サいかにも其通り。ハテナア。して又其三ン人を。何ンでお尋なされます。ヲ丶子細有ツて蜜に尋る。身は山名宗全ン殿の家来押シ合イ当馬といふ者。岩見太郎左衛門が家来弓削小文治といふやつ。こいつも倶々尋るよし。先ンを越サれては身が一チ分が立タぬ。見付ケ出さば褒美は其方共が望み次第。必ぬかるな。家来参れと目を配り。別カれてこそは通りける。跡に渦兵衛済マぬ顔。ム丶夫ンなら九条へやつた雪の戸は。欠落ちをしをつたかと。いふを徳兵衛が聞キ咎め。コレ貴様は其傾城近カ付キかと。問れてはつと。イヤ/\/\。近カ付でも何ンでもなけれ共。今ひどう時花太夫と聞イた故。名は遠からしつて居る。ヤ役クにも立タぬ

咄しで隙入。問ヒ屋の間に合ハねば損。サおじや/\と咄しをば花で散して千ン本ンの。問やをさしてぞ急ぎ行。かゝる折しも。左馬の助気も狂乱の乱れ髪。狂ひ来タるを薫姫。漸したひ走り付キ。コレ申シ殿様。正体ない此有リ様。何ンぼつれなひ殿御でも大事の我カ夫マ我カ夫ト。心をしづめて給はれと縋り給へば。ヤア/\/\何ンじや/\。大仏ツの鼻毛が五尺延た。コリヤたまらぬ。鞍馬の僧正呼ンでこふと。狂ひ出るをコレ待ツてと。縋れど払ふ足弱車。とゞめ兼させ給ふ所へ。岩見が家来弓削小文治家来諸共かけ来タり。サアしてやつたと引ツ立れば。なふ悲しやと薫姫歎き給ふを無二無三。者共急げと引ツ立て。岩見が家敷へ急ぎ行。程も有ラせず押シ合イ当馬。主従かけ付ケ南無三ン宝。小文治  

 

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に先ン越れたぼつかけて奪かへさん。者共続けと欠行所へ。跡を慕ふて歯朶平が走りかゝつて当馬が首筋。引ツ掴んで二三間ン。投ケ付ケられて砂まぶれ。ヤアうぬは奴の歯朶平め。又しや/\り出て邪魔ひろぐか。ソレ遁すなと主従が。切ツてかゝるを事共せず。なぎ立テ/\切リ立ツる。突き切ツ先キ狼狽眼。コリヤ叶はぬと当馬が逸足ばら/\/\と逃ケ行を。ヤア比興者遁すさじと。ほつかけ行後ろより。歯朶平待テと呼フ声に。ハツト恟りふり返り。ヤお旦那。多門の頭様。ヲ丶最前より木影にて。様子は残らず見届けた。ホ丶出かした/\。ハ様子ご存シの上ヱなれば。早お暇と又欠ケ出すコリヤ待テ歯朶平。そちやかけ出して何国へ行。ハ太郎左衛門が屋敷へ参り。御両所奪取り立チ

帰らん。ホ丶せくは尤去リながら。岩見が方タへお越シ有レば苦しうない其侭/\。イヤ申シお旦ン那。意趣有ル岩見が心ン底を。ホ丶太郎左衛門が胸中は。身が得と見届け置イた。其侭置ケと。少シも騒ぬ。其折リから戻りかゝりし渦兵衛は。何事やらんと片タかげに。身を忍びてぞ聞キ居たる。歯朶平猶もすり寄ツて。然らば打チ捨置クべきが。猶置カれぬは傾城雪の戸。義政公の御意に入リ差シ上ケよと有ル御難ン題。其傾城も欠落致し。剰へ御旗紛失。彼是持ツてお気の障り。左馬之助様は御狂気。此治りはいかゞぞと。尋に多門も小首を傾け。いかにも身も其義が分ン明ならず。義政公へ傾城を差シ上ケずは立ツ腹ク。兎角妨に成ルは傾城雪の戸。不便ンながらも手にかけずば成ルまい。ハテどふ

 

 

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がなと主従は思案取リ々成ル所へ。イヤ其役ク目は私に。仰付ケられ下タさりませと。木影を出る渦兵衛親仁。様子有リげに見へにけり。ヤア終に見馴ぬ其方。何をしつてこしやく千ン万ン。ア丶いや其様に。お呵りなされまするな。私は其傾城雪の戸が親でござります。雪の戸事はちいさい時キ奉公に遣はしましたが。今では全盛の太夫に成リおつて。勿体ない若カ殿様が。可愛がつて下タさりますとの噂。よふ聞イておりまする。今のお咄シを聞ケば。若カ殿と娘めと縁ンが深カい故。姫君様と御祝言もなされず。又御大将へ差シ上ケいでは。やつぱり左馬之助様の身の難ン義。ハテ娘さへ得心ンして。義政様へ参リますれば。何所もかしこも能しやござりませぬか。じやに寄ツて娘に得心ンさせます。程に此

役ク目を私に。言ヒ付ケさしやつてくださりませ。と理非を分ケたる。颯破理親仁。思案ンも深カき渦兵衛なり。多門の頭打チ默頭。すりや其方は雪の戸が親じやな。ホ丶神妙成ル一言ン併女の一途の了簡。いかやうに申シても。聞キ入レなき其時キは。ハテそりやもふ是非がござりませぬ。どふで助スからぬあいつか命チ。人手にかきよより私が。手にかけて殺しまする。ム丶しかと其詞に相違はないな。ハテ親が子を殺すに誰レが何ンと申シませふ。ホ丶出かした。ソレ此一ト腰は当座の褒美。ヱ丶此一ト腰を。サ百性の魂を武士の性根に入レかへて。しつかりと。ナ得心さすが国の為。娘が為。合点がいたか。ハいかにも。なるならざれは刀の鯉口。切ルか。切ラぬは。生死の境。合点てござります。其方が宅は。鳥羽村。名は。渦兵衛と申シ

 

 

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ます。しかと詞をつがふたそと。心残して多門の頭歯朶平。引キ連レ立チ帰。跡打眺めて渦兵衛は。暫し思案ンにくれけるが。ア丶侭ならぬは浮キ世。せつないは身の難ン義。人手にかけさすまいため。おれが殺すと一寸遁れ。併欠落したといへば何所を少途。余人の目にかゝぬ中に。ア丶早ふ逢たいと。案ンじる親の。心が通じ血縁の。縁か道筋を尋廓の雪の戸は。殿に放れてうろ/\と走り。躓き小石道。ばつたり当るも縁ンの綱。ヲ丶コレハ/\。余り道を急ぎまして思はぬ麁相。お赦しなされて下タさりませ。ヱ丶めつそふな人では有ルはいの。思案して居るどふぶくら。どふやらよさそふな思案ンも恟りで引ツ込ンだ。麁相なわろでは有ルはい。ヤ娘じやないか。そふいはしやんすはヲ丶爺様ンか。娘。ハツト刀を後へ廻し。互イに驚く斗リ也。ヲ丶娘そちに逢イたふて/\ならなんだに。よい

所へよふ来てくれたなア。サア私もお前に逢イたふて。ヤ此中不思議に姉様ンにも逢ました。かゝ様もお健なそふな。マアお前も御無事で嬉しうござんす。久しぶりて逢イましたれど。きつふ気のせく事が有ル緩りとお目にかゝりませうと。行クを引キとめ。コリヤ/\/\マ丶丶待チや/\。吾儕にはとつくりと咄さねばならぬ。大事の/\用が有ル。サア私もたんと咄したい事が有レど。どふも叶はぬ大事の用。其中チ緩りと聞キませふと。行カんとするを猶引キとめ。サ丶マ丶丶丶待ちやといふならマア待ちやいの。コレそちが大事の用といふは。若殿を尋るのか。ヱ丶サ丶隠しやんなしつて居る/\。まだ其上ヱに。わりやアノ廓を欠落したで有ふがな。ム丶合点の行カぬ。成ル程私は欠落しましたが。様子を知ツての其訳ケを。咄して聞カして下タ

 

 

 

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さんせといふ顔ながめて涙ぐみ。どふで言ねばならぬ事。がマア是はかふして置イて。其方には此親が。改めて無心が有ルが聞イてたもるか。ムン久しぶりて逢フた爺様ン。無心ンとは何ンでござんすへ。ヲ丶外カの事でもない。其無心ンといふは。左馬の助様の事を思ひ切ツて。御大将の御殿へ。お伽に上カつて貰ひたい。ヱ丶ム丶かはつた事を言しやんす。どふでも是にはヲ丶様子が有ル/\モ丶丶丶丶様子がなふてなろかいの。コレ若殿左馬之助様いの。そちと深カふ言ヒかはしてござる故。姫君と御祝言なく。それ故禁庭へ申シ訳ケも立タず。二つには義政公。お心をおかけなされたと有ル。若シ差シ上ケねば是も又。左馬之助様の御身の難ン義。そちが心を取リ直し。若殿様を思ひ切ツて。御大将の御心に従へば。われが身の為。

おれも出ツ世。殿様も又御祝言なさるれば。お家も納るどつこもよい。爰の道理を聞キ分て得心してくれ。こりや娘。モこんな無理な事を頼む親。嘸むごい物じやと思はふが。何ンぞわけがなふては頼まぬ。第一はわれは身の為。どふぞ聞入レて下タされと。頼むも涙。聞ク涙。ともに涙の渕ならん。思ひがけなひお頼み。定めて是には様子がござんせふが、爺様ン。是計は堪忍して下タさんせ。殿様の事思ひ切リ。姫君との祝言を。どふまあそれが見て居られふ。外カの事なら何ンでも聞カふ。此事計リは赦してとくどき歎けば。ヱ丶聞キわけのない。わりや親への孝行忘れたな。行カねばそちが為にも
  

 

 

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ならぬ。こりや手を合して親が拝む。聞キわけてくれ。こりやおがむ/\。ヱ丶是いな勿体ない/\。段々の入リ訳ケを。聞キ入レぬ憎いやつと。思ふてじや有ふけれども。外カの男を持ツ事の。ならぬといふ其訳ケは。何を隠さふ殿様の。お胤をやどして居ますると聞イて恟り。ヤアそんならわりや懐胎して居るか。アイしかも左り孕。アノ男の子か。ハアはつと計リにどふと伏シ暫し詞も。なかりける。雪の戸は面慚く。勤に誠はない物といへ共深カひ互イの縁。若殿様に思はれて幾夜さかはす睦言の。其きぬ/”\も重りて。可愛さつもるお情ケの。やゝをもふけた二人リが中カ。とゝ様申シ。ヱ丶あんまり難面。どふよくな。私が心も思ひ

やりこらへて下タんせ爺様ンといふも涙の渕瀬川。恋の柵せきとめてかこち歎くぞ道理なれ。親は胸迄せぐり来る。涙呑ミ込ミ呑ミこんで。コリヤ娘。ヲ丶それならわれがのが道理じや/\/\尤じや。ハテもふ其身になつたら何ンとせふ。御子を聞ケば聞キ程不便ン。是非がないと諦めて。可愛けれども切ラねば。ヱ丶ア丶いやサイノ縁ンを切ラねばならぬ所じや。けれどももふ切ラぬがよからふといふ事。ム丶そんならアノ聞届けて下タさんしたか。ヱ丶忝ふござんすと。知ラず悦ぶ子の心。親は不便ンと血の涙。兎角いふ中チもふ日暮。今ン夜はこちに泊つて。久しぶりじや。婆々や姉に逢フた  
  

 

 

 

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が能イ。アイ/\そりや猶嬉しうござんする。そんならそふして下タさんせといそ/\悦ぶ雪の戸が。先キへすゝむは無常の風。早誘ひくる。暮六つの。ハもふ鐘が鳴ル。幸イ人の通りもない。向ふの土橋で一ト思ひ。ヱ爺様ン何いはしやんすぞいな。ハイヤあの向ふの土橋はの。人の渡る度ヒ毎に。浮雲といふ事。ヱ何ンの浮雲事が有ル。私が先キへ渡るわいな。ヤ何ンじや先キへ渡る。ヲ丶そふじや/\。とふで渡らにやならぬ其身。とつくりと覚悟して。お念ン仏ツ申シて渡つたがよい。ヲ丶仰山な。橋一トつ渡る事を。何ンの苦にする事が有ル。サアござんせと先キに立チしらぬが仏。渦兵衛が心は。鬼の目に涙。堤伝ひの野辺送クり消る間。近カき。雪の戸が憂身の。果ぞ便ンなけれ

 

(つづく)

文楽 1月大阪初春公演『絵本太功記』二条城配膳の段、夕顔棚の段、尼ヶ崎の段 国立文楽劇場

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絵本太功記、二条城配膳の段。

六月朔日。二条城には、伝奏の浪花中納言兼冬〈桐竹亀次〉を迎える饗応が執り行われ、小田春長〈吉田文司〉、森の蘭丸〈吉田玉翔〉、武智光秀〈桐竹勘十郎〉が集まっていた。光秀が中納言を案内して座を立つと、春長は蘭丸を召し寄せ、逆意の疑いある光秀の本心をそれとなく探るよう言い渡す。
蘭丸は御膳を運んでいた光秀の息子・十次郎〈吉田玉佳〉を呼び止めてイチャモンを吹っかけるが、そこへ光秀が来かかる。蘭丸と光秀が口論になっていると、春長が戻ってきて光秀を引き据える。春長は光秀の饗応の不手際を詰り、蘭丸へ罰の打擲を命じる。蘭丸に鉄扇で打たれた光秀の額には傷ができるが、光秀はそのままやり過ごし、かねてよりの諫言を口にする。これによって春長はさらに怒り、武智父子の追放を命じるのだった。

なんだろう……。この「正月だから親戚集まりました」感……。
配役にユニークな方々が集結しているせい……???

 

蘭丸は凛々しい雰囲気。春長との密談、十次郎や光秀へのいちゃもんつけなどは若武者らしい生真面目な苦味があり、キリリとしている。ただ、浪花中納言が出ている部分だけホニャッていた。短い段で脇役がバラバラするとわけわからなくなるので、意図がないなら最初からキリッとしていてほしいところ。

この段、ぶっちぎりでターンの所作が上手いのは蘭丸。十次郎はターンしないので別として、本来なら光秀が一番綺麗にターンして欲しいところ。前々から不思議に思っていたけど、先代玉男師匠のお弟子さん方はなぜ全員ターンが上手いのか? たまに上手すぎて役の性根に合ってないくらい、上手い。一番末っ子の玉翔さんでも、番付はるかに上の人より、上手い。先代玉男師匠の一門の人は、上手を向き左手を高く掲げて全身で突き上げる動作(型のはずだが、名前がわからん!)も、全員、もれなく上手い。横向き系の姿勢について、師匠がよほど強く指導していたのか? それとも、師匠のこだわりを個々人がそれぞれ感じ取って見習った結果、全員が上手くなったのか?

蘭丸が腕を組んでいると、能が4番くらい進んでいくのが面白かった。昔の能はいまより速度が速かったとはいうが、随分長いことじっとしとるやっちゃな。
あと、蘭丸が持つと、鉄扇でかいな。いや、小道具のつくりとして人間用よりわざとでかくしてあるらしいが、人間が鉄扇を使う機会って、いつ?

 

光秀〈桐竹勘十郎〉はこの時点では特に見せ場なし。大紋の特殊な脱ぎ方や姿勢があるため、袖の扱いが大変そうだった。

 

「二条城配膳の段」は今回初めて見たが、突然ここだけ切り出しても意義がよくわからないという印象だった。「尼ヶ崎」につながっているでもなし(光秀が“敵対”しているのがいつの間にか春長から久吉に移行しているの、わかりづらくないですか?)、文楽劇場独特のファンサなのだろうか。

 

 

 

夕顔棚の段〜尼ヶ崎の段。

突然だが、勘十郎さんの立役、武将などの大型の人形に対する評価は、納得いくものがない(本当に突然の勘十郎激重勢)。人物が大きいとか、それは勘十郎さんの個性ではない。誰が配役されても共通する、その役自体の特徴だ。そういう評価が兼ねてから疑問だったので、今回は長くなりますが、私が感じていることを書いていきたいと思います。

 

私が考える勘十郎さんの光秀の最大の特徴は、「等身大ぶり」にあると思う。
基本的には、動きそのものは全体的にラフながら、決めるところはしっかり決めるという遣い方。ただ、その中に、細かい動作の挟み込みが非常に多い。細かい動作の多さ、その率直さと即物性が、光秀の心の動揺の大きさとなり、等身大の人間として映っている。ある意味での、子供のような雰囲気。若く見えるという意味ではなく、いくら大人になって彼自身の家庭があろうとも、あくまでさつきの子供としての光秀の姿が見える。

たとえば、さつきを刺した後、嘆く操・初菊から離れ、屋体下手で座ってからのリアクションが非常に多い。頻繁に首をひねって、さつきや操らのほうを振り向いている。以降でも、光秀は座り姿勢の芝居が多い中、重心が存在せず、止まりかけのコマのように動きの支点が尾骶骨あたりにある動きのため、振りかぶりが大きくなり、軽いリアクションでも大きな動きに見える場面が多くみられる。

人形は、動かずじっとしていると、鉄石の意思を持っているように見える。だがこの光秀は逆だ。演技の「多動」性によって、光秀が大きく不動の孤高の武将ではなく、周囲の動向に引きずられる存在であるように見える。人形はデッケェわりに彼が普通の人間であることが、私は、勘十郎さんの光秀の特徴で、ほかの人にはない個性だと思う。
時代物の武将役は「大きな人物」だから「大きく」あらねばならない、と、思われている。しかしこの等身大性は、光秀vsさつきの対決としての「尼ヶ崎」として、この演目のひとつの解釈になると思う。現代に「尼ヶ崎」を受容するうえで「光秀はさつきの子供である」という視点は重要で、それが予期せぬ形で実現されているのではないか。

この「等身大ぶり」には、意図的な部分と、ご本人がやろうとしてやっているわけではない部分で構成されていると思う。
まず書いておきたいのは、いずれにしても、勘十郎さんは熟考の末、芝居をやっていると思う。有名な演目だという芝居としての「わかりやすさ」、さらに、継ぐべき「荒物」らしさを考慮するがゆえに、結果として本人が意図せぬ「率直さ」が強く出て、「等身大ぶり」につながり、人形が人間へ接近しているのではないか。

おそらく本人の意図であろう面の率直さは、「みどり上演」用の芝居としてやっているからだと思う。
ここだけ切り取って見た場合の「わかりやすさ」。「わかりやすさ」というのは、以前にも書いた、勘十郎さんには歌舞伎志向があるのではないかということと関わっている。大望のために母の期待を裏切り、家庭を失う悲劇の英雄にピンスポットを当てて描こうとする役者主体性、ドラマチックさへの志向が強い。そのための、誰にでもわかる(気付く)ようにするための大ぶりな演技、有名な演目への期待に応えるためのもの(=光秀のリアクションの多さ)が大幅に添加されているのではないか。言い換えると、「もともと話の内容を知っている人向けの演技」のように感じられた。
また、「みどり」性のひとつとして、光秀が「尼ヶ崎」に至るまでの段で懊悩、決意してきた過程は省かれているように感じる。これは2020年夏の大阪公演での『仮名手本忠臣蔵』七段目(祇園一力茶屋の段)での由良助にも感じたことだ。上演される段単独での見栄えを最大化するように演技が構成されているのではないかと思う。複雑性を回避するため、意図的に排除してるのでは。「現在の文楽は、一体、誰に向かって演じられているのか」という疑問を投げかけてくる遣い方で、興味深い。

私が興味を感じるのは、意図しない部分。作為的な「手数」が、役を「等身大」に見せているような気がする。
いわゆる「荒物」的な動きの多さが、かえって人間らしい落ち着きのなさとなっている。これが見え方の核心だと思う。「荒物」らしさがもたらす「等身大」らしさについて、今回、ノイズの多さもそうなのではないかと感じた。ラフな動きでリアクションを過多にする、そしてそこにブレが発生する、これが生身の人間の役者と同じくらい、余計な情報を人形に付随させる。古い人形芝居らしさと思われていた「荒唐無稽」が細切れになり、ノイズ化することによって、かえって「生身の人間」に近づかせているような……。和生さんや玉男さんは雑味のない清澄さが芸風だが、勘十郎さんはこのような「濁り」に特徴がある。私はここをとらえたい。

それにはまず光秀は「いわゆる荒物」でないといけないのかという論点があるのだが、勘十郎さんについては、そういう論点が発生しているんじゃないかということ自体が興味深いんですよね。勘十郎さんの光秀は、すごく作り物っぽい。勘十郎さんは、こういう頭で考えたような芝居って、女方のときにはやらない。たとえばお三輪だとか八重垣姫は、ご本人の内面からそのまま飛び出てきたような純度の高いストレートさ、感性そのままを思わせるものがある。作り物ではない。男性の役だと、本蔵も、本人の内面がそのまま露出したようなプリミティブさがある。それらの役も手数は多いんだけど、手数の多さと人物の感情過多とが一致しているので、違和感がない。彼女ら彼らは人の顔色を見ていない。
なぜ武将系の大型の立役でそれがなし得ないのかというと、時代の風潮=初代吉田玉男が確立した人形演技への抵抗や逆張り、勘十郎という名前を負う責任としての「荒物」らしさを考慮することが、ストレートさを阻害しているのではないかと思う。光秀自身の懊悩よりも、本人の懊悩が全面に出ている気がする。
勘十郎さんは、特に男性の役で手数が多いことに関して、自分で「つい動いてしまうんです」と発言することがよくある。そういう発言をされるのは人の目への意識、お父さん(先代勘十郎)から引き継いだ役を構成する技芸自体が、現代文楽ひいては文楽歴史の文脈としての評価や定着につながっていないことを意識してるからだと思う。「荒物」への単純な懐古ではなく、その現代性を探しているのではないだろうか。手数が多いことそれ自体は、別にネガティブなわけではない。それを批判的に捉えるのだとしたら、立役に絶対的な評価を確立し(てしまっ)た初代吉田玉男の影響ではないかと思う。勘十郎さんは、手数が多い芝居に、屈折と愛憎があると思う。勘十郎さんはそこがむき出しで、惹かれるものがある。

以上、いろいろ書いたが、勘十郎さんがやりたいことは(手前勝手に)よくよく感じ取れた。ただ、今回の場合、床にかなりどうかと思うものがあり、舞台トータルとしての光秀個人のドラマチックさは実現できず、そこはかなりかわいそうだと思った。先日の「神崎揚屋」の感想に書いた通り、即物的で細切れの芝居をする以上、ドラマのうねりの描出は義太夫の演奏のうねりに大きく依存するからだ。

後半十次郎が戻った後、下手船底へ移動してからの光秀は座り姿勢が低く、かなり深く腰をかけていた。大型の武将の人形の場合、スタンバイ姿勢のときは膝よりやや高い位置に腰がくるように構える人が多いと思う。今回の光秀は膝とお尻の位置が平行に揃うか、お尻を引いた形で膝よりもやや下がる、腰が低めの位置でのスタンバイ姿勢。プラスに見れば、この座り方で重みを出したいということかとは思う。ただ、最後に陣羽織に衣装を改めて登場する久吉は座っていても人形の位置がかなり高いので、久吉のほうが人形が大きく見えて、損をしている。単純な話として、人形を差し上げ続けるのが大変なんだろうなと思ってしまった。そして、全般的な人形の不安定さをどこまで個性と捉えるかは、難しいところだ。

 

光秀vsさつきの物語として「尼ヶ崎」を成立させているのは、いうまでもなく、さつき〈桐竹勘壽〉の、光秀に劣らぬ人間としての大きさだ。
勘壽さんが非常に秀でた人だからこそ、舞台が成立していると思う。さつき、まじでヤバババア。さつきの光秀への批判は、操が光秀を批判するのとは全くもって根本からして考え方が違う。操には「考え方」はないですかね。彼女は感情で批判しているわけで。そして、さつきは、「自分が死んだら社会的な問題が解決するので自己犠牲で死ぬ」のではなく、すさまじく強固な意思のもとに、自身の怒りと真剣な諌めを表現するために、つまり自分と息子一対一の勝負のために死ぬ。そこが本当にすごい。異様。覚悟の次元が操や初菊とはまったく違う。それでも本当は子供かわいさに、自分が強固に信じている価値観の中でもなんとか光秀が許されることを願う。「尼ヶ崎」で人間の意思と感情の相克をもっともドラマチックに象徴しているのは、さつきだと思う。

勘壽さんの場合、その性根を見せるまでが良くて、「夕顔棚」の段では、上品でちょっと厳しい綺麗なおばあさん。家から出て、庭に降りて、夕顔の鉢植えにジョウロでお水をあげているあいだに操〈吉田簑二郎〉と初菊〈桐竹紋臣〉が訪ねてくるのだが……、なんか、さつきが心配になって、さつきから目が離せない……。おばあさんの動きとして、リアルすぎて、異様に気になる……。こけたら大変……。見守らなくては……と思ってしまい、操と初菊の、人形の演技で一番重要なはずの出を、見逃す……。

そして、刺されてからの演技が、やっぱり、ちゃんとしてますよね。
人形浄瑠璃は時代が下るにつれ、やたら登場人物がワラワラ出てくる傾向がある。そのワラワラしている奴らが入れ替わり立ち替わりしてくれればいいんだけど、引っ込まずに舞台の上に留まる。今やってるやり取りになんにも参加してないのに、「何もしてへん」奴らが、おるわけですよ。30〜40分くらい何も喋らんやつが! 昨年2月ロームシアター公演の『木下蔭狭間合戦』を見て思ったのだが、その「何もしてへん」奴をどう処理するかは、大問題。ロームシアター の『木下蔭』はそれに失敗していて、戯曲自体に問題があるにせよ、演出の検討も演者の力量も足りず、かなり不自然なことになっていた。でも、そのとき、舞台を見ながら、『絵本太功記』だと、さつきが刺されてからずっと「何もしてへん」にも関わらず、さほど不自然じゃないよなあと思った。とはいえ『絵本太功記』がいついかなるときも絶対的にそうだというわけではない。さつき役を近年頻繁にやっている勘壽さんが、「何もしてへん」時に「「何もしてへん」わけではないから、舞台として成立していたんだなと実感したのだ。
なので今回、前のほうでみんなが大騒ぎをしている間、さつきを注視していたのだが、さつきは基本的に「ウウウ」となりながらブルブルしているんだけど、他の登場人物の感情が大きく動くときは、一切関係なくても一緒に大きくガクガクブルブルしている。これがおそらく、さつきもその場の参加者である雰囲気を出していて、「何もしてへん」に堕しないのだろうなと思った。あとは、話が後ろへいくほど前かがみになっていくのも上手いと思った。それ自体はわずかなことだが、さつきには最後に息子への思いを語る見せ場があるため、体の起こしなどのリアクションが大きくなり、さつきの情動がドラマとして引き立つ。

なお、さつきの言っている「寡婦暮らしの楽しみには、夕顔棚の下涼み」というのは、「楽しみは夕顔棚の下涼み 男はててら女はふたのして」という当時有名だった歌からきていて、庶民の何のしがらみもない安楽を象徴しているそうだ。さつきがいくら望んでも得られないことだ。
また、さつきの「さつき」という名前も、光秀が本能寺の変の直前に行った連歌の発句「時は今あめが下知る五月かな」からきているもので、初演時の客はネタ元を知っていたようだ(この発句自体がほかの太閤記ものの浄瑠璃には出てくる、ただし『絵本太功記』には出てこない)。
当時みんな知っていても、いまではまったく伝わらなくなっていることがたくさんあるなあと思いました。(知性一切なし感想)

 

簑二郎さんの操は、演技の生硬さが抑えられていた。しかし、緊張されているのかな。平生の芝居とクドキの落差が著しく、人形に、「自分の……見せ場……!」という緊迫感が……。「待ってましたーーー!!!!」とはしゃぐタイプの人とは違って、ちゃんとしなきゃと思いすぎている感じがする。普通の演技のところはいいのに、クドキが義太夫にベタ付きにすぎるのは、そのせいだろう。操の気持ちに寄り添ってることは間違いないので、もったいないところ。ご本人の性格もあると思うので、複雑ですが……。

紋臣さんの初菊は、以前拝見したときよりかなり良かった。まず目線の的確さ。常に十次郎を「じーっ……」と見ている。十次郎のことで頭がいっぱいなのね〜……。こういう若い女の子、いるよね〜。彼氏をずっと一生懸命見てる子……。と思った。納戸へ引っ込むときの十次郎を気にする目線、鎧姿に改めた十次郎にすがりついて見上げる目線、十次郎の出陣を見送るときの遠い目線。紅潮した頰にウルウル目で、十次郎をじっと見ているのがよくわかる。
なぜこのような目線が目立つのか。細かい所作を抑え、動きを至極シンプルにもっていったからだと思う。本来手数が多い人だが、意図的に動きを減らそうとしているのではないか。芸歴的に今の時点でゴチャつきを排除したのは覚悟が決まっている。なぜそうしようと思ったのか。なめらかさという意味での洗練性は今後の課題だと思うけど、ほかの人の左では達成されていることだから、緊張がなくなれば、かなり早期に改善できるんじゃないかと感じた。

操も初菊もだけど、舞台写真になるような、「絵」にしなくてはならない極めの部分は、みんな緊張して硬くなるのねと思った。ポーズを決めようとする(衣装の整えを含め)ために動きが不自然になるのは、慣れがないとどうしようもないと思った。芝居の流れとして見ていると、文楽では別に拍手待ちするわけでもなし、変にかしこまった「止め」になるほうが違和感あるので、気遣いのしすぎは単に不自然に映ると思った。
最後、久吉の出のところで操がそっとさつきに話しかけたり、初菊も十次郎に話しかけている(十次郎がびっくりしている)のが可愛かった。

 

玉佳さんの十次郎はやや幼く、ピュアな雰囲気。玉佳さんよりお若い玉勢さんが十次郎やったときよりも、「さっき生えたての、若葉……🌱」って感じがするな。前半は柔らかい雰囲気自体が目を引くので、鎧姿に改めてからの美々しさや悲壮さが引き立つ。特定の演技よりも雰囲気自体で見せていけるのは、良い。
流れの把握や慣れの問題なのだろうと思うが、演技の強弱のコントロールが上がれば、より十次郎の内面表現が深まると思った。冒頭、嘆く初菊をたしなめるところで、扇子を強く打ちつけすぎて、そこに茶色くてテカテカヒコヒコしててカサカサ動くみんながあんまり好きじゃない虫さんがいるみたいになっていた(失礼)。なによりも、軍物語はもっと明確にメリハリを強くつけて欲しい。
十次郎は人形自体は良いのだが、十次郎の重要な見せ場となる冒頭部分、軍物語といった部分の床がどうしようもないことになっており、とても残念だった。玉佳になにしてくれんねんと思ったよ……。

 

久吉〈吉田玉志〉。冒頭、旅僧の姿で現れるところは、割と武将の正体を匂わせた、というか、かなり「大人の男性」感がある、硬めの雰囲気の僧侶。玉志さんはもっと気さくな軽い雰囲気でくるかと思っていたので、少し驚き。久吉は出てきてすぐにさつきハウスの前でクルッと回るけど、あれ、オチャメムーブじゃなくて、周囲を警戒してるってことね。「お邪魔しまーーーーーす!!!」って感じに上がり込んでたが、女三人世帯で、ああいうの、家に上げたらあかんと思う。全般的に人形がややがっしり見えるように構えていて、一家の嘆きの中、お風呂沸きましたよっ!と手を拭きながら再度出てくるときも、下男風にならないようになっていた。かしらの動きが軽くないのがしっかり見える理由だと思った。
二度目の出、「三衣に替わる陣羽織」で武将姿に改めて出るところは、キラキラしたハマりぶり。玉志サンの久吉、今回初めて見たのに、「知ってた」感があった。キラキラしとる。しかも、キラキラの粒、でかめ。あのキラキラは一体どこから湧き出てくるのかと思うが、今回、勘十郎さんの光秀との比較をみると、姿勢だなと思った。背筋をややそらしているようにすっくと伸ばした姿勢、人形の位置を高めにすることによる下半身の見え方の綺麗さ(太ももを中心とした下半身にたるみがなくなり、自然に足がおろせて足が長く見える)によるものだと思う。そうなんだよ! 足が長く見えるんだよ!! なにその現代的感性!!!
最後、光秀と久吉が同時に手をくるくる回して同じ演技をするところが2回あるが、久吉が後ろにくるときは、玉志サンは光秀を見てタイミングをはかっていた。あの動き、光秀・久吉両方の役の人がしっかりしていないと、タイミングが揃わず、何やってるかわからなくなるよね……。と思った。段切でまた同じ演技になるときは、久吉が下手船底に降りるので、そっちは自分のペースでやっていた。
爽やかで美麗な久吉で、若い人が光秀をやるときに、また久吉やってあげて欲しいと思った。

 

床は「夕顔棚」〈豊竹藤太夫/竹澤團七〉が一番良い。
さつきと近所の衆の和気藹々とした雰囲気、操と初菊が訪れた部分でのさつきの描写が、一見彼女の悟りの境地であるかに見えても、所詮かりそめのものであることを感じさせた。さすがベテランで、近年の上演でほとんどの若手演者が失敗していた部分(「夕顔棚の下涼み」の高音)も自然に演奏されていた。

「尼ヶ崎」は、残念なことが多かった。
前〈豊竹呂勢太夫鶴澤清治〉冒頭の十次郎が物思いに耽る部分、扁平すぎではないか。声量が均一すぎるのか、料理されていない感じ。発泡スチロールのトレイに乗ったサクを出されたかのような感覚だった。刺身にして欲しい。一体なぜこんなことになっているのか。
奥〈豊竹呂太夫/鶴澤清介〉は、やたらゴチャゴチャいろんな色を塗りたくることなくまとまってるのはさすがベテランだと思うが、この演目、声量がないとどうしようもない。初日はハッキリやらなければいけないところだけピンポイントでハッキリしていたのでまあいいかと思ったけど(よくないけど)、二日目はメリハリもなにもなく、本当にがっかりした。このあとどうにも改善ができないものを聴かされるのは、しんどい。


ところで、妙見講に集まってきてるツメ百姓のまんなか2人。いましたよね、平安時代の芹生に。と思った。
ここ2年、リアル人間にあまり会わなくなってきたので、ツメ人形が知り合いかのような妄想を抱いている。このツメ2人なんか、ヘタな人間の知り合いよりも頻繁に会っている。やばい。

 


↓ 2018年6月大阪鑑賞教室で『絵本太功記』が出たときの感想。このときの玉男さん久吉、玉志さん光秀の回は本当に良かった。

 

 

  • 人形役割
    浪花中納言=桐竹亀次、尾田春長=吉田文司、武智光秀=桐竹勘十郎、森の蘭丸=吉田玉翔(前半)吉田簑太郎(後半)、武智十次郎=吉田玉佳、母さつき=桐竹勘壽、妻操=吉田簑二郎、嫁初菊=桐竹紋臣、旅僧実は真柴久吉=吉田玉志(前半)吉田玉助(後半)、加藤正清=吉田玉延(前半)吉田簑悠(後半)

 

 

 

番組編成、実際の舞台ともに、なんだかフワッとしていた。

「二条城配膳」から「夕顔棚」にいきなり飛ぶと、光秀が手前勝手な遺恨ゆえに信長を討った悪人、逆賊に見える。実際、さつきはそう思ったがゆえに家出したのだろう。次は「妙心寺」「夕顔棚」「尼ヶ崎」で観たい。

配役に関しては、人形が全員真面目にやってるけどなんだかパラけてるのは、そのうちまとまってくのかなぁ……と思った(観劇は初日・2日目)。ただ床に関しては、いろいろ事情はあるのだろうが……、本当に、どうなのか……。人形はともかく、床はなんでこの演目でこういうことになっちゃうんだろう。コロナ禍でなくとも上演可能なレパートリーが減少しているなかで、一応「できる」ということになっている演目、しかも文楽を代表するような曲でこの状態というのは、どうしたらいいのでしょうか……。

そして、人間って、やっぱり、歳をとって、衰えていくんだなあと思った。当たり前だけど、今回は、それをもろに目の当たりにした気がした。

なお、今月のプログラム掲載技芸員インタビューは、宗助さんだった。宗助さんは、実は結構「スゴイ」というか、「ヤバイ」人なんじゃないかと思うんですが、どうでしょう?

 

 

 

文楽 1月大阪初春公演『寿式三番叟』『菅原伝授手習鑑』寺入りの段、寺子屋の段 国立文楽劇場

今月の展示室「文楽座の歴史」の展示品、ロセコレが多すぎて笑った。

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寿式三番叟。

千歳〈吉田勘市〉、近来ない巧さ。とても気品のある千歳で、所作が美しい。しかしなんだろう、やたら色っぽい。首のシナが強いのか、目線に意味がありすぎるのか。緊張のあまりか?

三番叟の片方の人は、演技の意味をわからずにやってるんじゃないのかと思った。籾の段の部分、右手に持った鈴を振っているだけになっていたが、三番叟は、左手に持った扇を籾箱に見立て、そこから籾を取って、鈴を振る動作によって種まきを表現しているんじゃないでしょうか。

時折、年配の人形遣いさんが「今の人はビデオで演技を覚えようとするから……」と言うことがある。映像使用をややネガティブにとらえたニュアンスで、なぜそう言うのかと思ったいたが、なんとなくわかった気がする。実際の舞台でなら周囲の師匠なり先輩なりが教えてくれるであろう動きの意味が伝わらず、表面的なカタチだけが見よう見まねになることにリスクを感じているということなのかな。若い方の中にそういう人、結構いるように思うので……。いや、三番叟は呪われてんのかと思うほど頻繁に出るので、ビデオ学習をするような演目ではないとは思うが、それでもわかってないのは和生なんとかしてくれと思った。

ただ、もう片方の人は最後まで集中して振りを崩さず踊っていた。繰り返される鈴を突き出す振り、かしらの捻りに乱れがない。何がこの違いを生んでいるのだろう。

 

  • 義太夫
    翁 豊竹呂勢太夫、千歳 豊竹靖太夫、三番叟 竹本小住太夫、三番叟 豊竹亘太夫/野澤錦糸、鶴澤清志郎、鶴澤寛太郎、鶴澤清公、鶴澤燕二郎
  • 人形役割
    千歳=吉田勘市、翁=吉田和生、三番叟[又平]=吉田玉勢、三番叟[検非違使]=吉田簑紫郎

 

 

 

菅原伝授手習鑑、寺入りの段〜寺子屋の段。

いつもと雰囲気が違った。
寺子屋」の床の錣さん、咲さんがとても良かった。義太夫がサラサラ流れていかず、ところどころに結節がある。溢れる気持ちや涙が玉になってぽろっ、ぽろっと落ちていくようで、それが良かった。

錣さんは源蔵・戸浪を大きくフィーチャーしたかなり特殊な語り。間合いの取り方が非常に特徴的で、とくに首実検のくだりは間をきつく詰めていてかなり速く、源蔵と戸浪の一種の「青さ」ともいえるような心の焦り、高潮、緊迫感が感じられる。音程高めで追い立てていくような演奏は、緊張と興奮が高まると、高音の耳鳴りがして、まわりの音が聞こえなくなる、あの感覚に近い。これほどのベテランで、人形ありでここまで詰めてくるのは珍しいように思う。よほど人形を信用しているのか。藤蔵も止めろやと思うがそこを止めないのが藤蔵、いや藤蔵も藤蔵でかけ声でけえよ、錣さん止めてくれ的な普通に考えたら狂ってるだろっていう演奏だが、こういう「奇人」が突然前触れもなく全身にイルミネーションを纏いながらものすごい勢いで反復横跳びしながら飛び出してくるのが文楽の楽しみ。
そして、戸浪の微妙な表現が上手い。元腰元、駆け落ちの末、現在は田舎暮らしで近所の子供の世話をしているという経歴めちゃくちゃの人物の絶妙さが、なんともいえない「そのへんにいる人」のリアリティをもって造形されていた。作り物にならないのが良いところ。
あと、松王丸が独特の病み感だった。難波近辺の昼飲みやってる店には、ああいうおっさん、おる(え?)(ランチにうっかり入った店が実は昼飲みやってて、気づいたら私以外の周囲のおっさん全員定食食いながらビール飲んどった)。

咲さんの寺子屋切(奥)は以前に拝聴したことがあるが、そのときとはまた雰囲気が違い、描写をより細かく丹念に、もったりとしたとろみをつけた表現に寄せていた。前との繋ぎが的確で、太夫交代の違和感を抑える。おじいちゃんでこのテンションから始めるのは、本当すごいことで、大変だと思うわ。
咲さんも戸浪の表現が大変に細かく、千代の悲しみに寄り添う心の動きが感じられた。戸浪の嘆きは、ところどころ途切れ、詰まりがちになる。突然放り込まれる、音楽としてでないリアルな人間の嘆きにはっとさせられる。千代はしめやかさ、か細さが美しく、勘彌さんの千代もその雰囲気によく合い、舞台として秀麗だった。
また、松王丸の泣き笑いの笑い部分が長いのは特徴的。この部分、やりすぎると大時代的、悪い意味で役者主体まがいになってしまうと思うが、咲さんの芸風上作為が低く、声が大げさでないため、笑いが長くとも、芝居のアクセントになる部分なのでたっぷり取っているという意味で、義太夫の時間の伸縮表現としてうまい塩梅に落ちていたと思う。

 

玉男さんの松王丸は非常に安定しており、いつ見ても彼の性根がぶれることはなく、それこそ大雪を乗せた松の大樹のように堂々としている。
この松王丸の重く巨大な独特の雰囲気は、首が常にしっかりと座っていること、二の腕から肘にかけての表情が強いことにあると思う。
首の座りは強い意思の表現には不可欠。不用意な揺れ、動作につれた無駄なブレがなく、人形が本当に「無表情」なのが良い。また、“普通”にしているときの微妙なあごの引きの角度にも特徴があると思う。人形は、目線が非常に重要だ。玉男さんの人形は、どこも見ていないと感じる。首が座っていなくて変な方向を向いているのとは違って、目の焦点が合っていないのように見えるのだ。最初に寺子屋の屋体の中央で、源蔵や戸浪に一瞥もなく向き直るところの不気味さに端的にあらわれている。そのとき、観客は覆い隠された彼の意思の底知れなさを感じる。対して、後半の出以降はどこを見ているかが明瞭で、そこで松王丸は等身大の人間に戻るのだ。
腕の動かし方はとても個性的。腕を差し出すときに、肩と肘で「ぐるり……」と弧を描くように、大きくゆったりとした動きをつける。人形の肩と二の腕の緊張を感じる、肘の存在と動きを強く意識した動作だ。刀を取り直すなり、目の前のものを掴むなりといったシンプルな動作が、芝居としてアクセントになる。玉男さんの人形には、技術的な部分だけでなく、肩に物理的な表情がついているのが、それを一層強調している。そもそも、ほかの役を含めて、肩が痩せて見えることがまずない。人形の拵えの時点で、肩の表情作りが上手いのかもしれない。腕の動きと連動した指先の開閉のタイミング、また、人形の指先の真鍮が鳴る「チャキッ」という音も特徴的。玉男さんは余計な動きを省くタイプの遣い方なので、時折挟まるこの動きと音が非常に効果的に観客の注意を促している。

以上のような特徴は玉男さんの松王丸のあらゆる場合において言えることだが、今回は、床に錣さん・藤蔵さんという常にない人が来たので、わずかに変化が生まれていて、興味深かった。
前述の通り、錣さんは間合いの取り方がかなり特殊だった。特に首実検のところ。玉男さんが松王丸の芝居においてどこで間を持たせるかというのは基本的に常に同じなんだけど(寺子屋、あまりに頻繁に出るので、だんだん覚えてきた……)、錣さんは、源蔵が威嚇してから松王丸が蓋を開けるまでの部分がかなり速い。そのため、玉男さんもタイミングのコントロールがいつもとは若干変化していた。また、初日に噛み合わなかった部分は二日目には合っていて、ベテランの適応力の早さを感じさせられた。

今回、「玉男さんって本当すごいな」と改めて思ったのは、松王丸の出のところ。松王丸は駕籠から降りてすぐ、寺子屋の門口で、長い時間、立ちっぱなしになる。よくもあんな長いこと安定して立っていられるなと思う。人形がまっすぐ立っているというのはとても難しいことだ。今回の公演、本当は玉男さんと勘十郎さんの配役は逆にして欲しかった。しかし、得手とする役が何なのかはともかく、松王丸の人形の重量を考えると、こうならざるを得なかったのかもしれない。

松王丸は、毛がふわふわしていて、冬毛のネコのようで、触りたくなった。

 

和生さんの源蔵も、いつもと同じく知的でシャープであるが、床の演奏の違いのためか、今回はより鋭く感じられた。源蔵の独自の思い込みからくる得体の知れない怒りと覚悟。最初に舞台へ入ってくるときのセカセカとした苛立ち、首桶の蓋を開けようとする松王丸の手を振り払うときの強さが印象的だった。蓋から松王丸の手を振り払う所作は、以前はここまでキツくいってはいなかったのではと思うが。和生さん、まったくの孤高で動じないかのように思えるが、実は周囲を本当によく見てやっている面白い人だと思う。細かいところを拾っていっています。
それにしても、源蔵は後半、千代が嘆いているときにもっともらしくうつむいて「かわいそうに」みたいな顔をしているが、こいつおかしいんとちゃうかと思った。

 

千代は勘彌さん。静かで澄んだ佇まいが良かった。身体が華奢にこぢんまりと見え、冬の寒さに凍える小さな鳥のように見えた。
小太郎を戸浪に預けて寺子屋を去るところのゆっくりとした足取りと、悲しげな目線の冷たい美しさは、勘彌さんらしい。一方、松王丸が駕籠で去ったあと、入れ違いに寺子屋へ戻ってくるときの焦りぶりは印象的。勘彌さんって、焦ってる人形の焦りぶりが、本当に焦っているよね。基本的にはゆとりを持った優美な所作の人だが、動きが突然大きくなる。あの情熱は愛おしい。
いろは送りはかなり上手い。単なる踊りの振り付けにならない情感ある佇まいで、彼女の内に秘めた静かな悲しみ、悼みがよく感じられた。後ろ向きの振りも表情豊かで、大変美麗。生身の人間では表現しえない人形らしい心の純粋さが感じられ、良かった。
勘彌さんが玉男さんのカップル役は珍しい。清十郎さんが玉男さんの相手役をやると、いつでもずっと恋人気分に見えるが、勘彌さんがやるとなんともいえない肌のなじみや惰性感があるのが良いな。勘彌さんの雰囲気的にも、『曲輪文章』か『冥途の飛脚』で見てみたいカップル配役。

 

戸浪〈吉田一輔〉は、動き自体は丁寧で好ましいものだが、果たしてこれは戸浪なのだろうか。これだと、乳母や女中がなにもかもやってくれる武家公家の奥様では。ド田舎のイモ・チルドレン5人6人の世話をしている人には思えない。一輔さんはいつも丁寧にやっているのは本当に良いことだと思うのだけど、どの役も演技が画一的なのが非常に気になる。良い役には責任を伴う。研究とその表現の実現を願いたいです。

 

よだれくり〈吉田玉彦〉、「とっつぁん坊や」というより、「坊やみたいなとっつぁん」になっていた。動きが悠々としているのがオッサンっぽいのだろうか……? あまりに絶妙すぎる田舎のおじさん感が……(正月には軽トラにしめ飾りしてる系おじさん)。「坊やみたいなとっつぁん」がなぜ寺子屋に預けられているのかを考えはじめると深いものがあるが、歌舞伎の寺子屋のような感覚だった。歌舞伎だと、よだれくりだけ大人の俳優がやって、ほかのイモ・チルドレンは子役だから、よだれくり役の人が子供達の誘導とかちょっとしたお世話をするじゃないですか。ああいう感じ。よだれくりは、ちょっと「プルルッ」としていた。玉志サンの謎の「プルルッ」はタマヒコが引き継いでくれるのかもしれない。

菅秀才〈吉田玉征〉、最初にお習字しているところでは、おなかいっぱいのでっかいハムスターみたいだった。玉征さんのでっかいハムスター感はすごい。

ツメ人形では、首実検の際、ツメ・チルドレンのひとりの動きが、床の演奏にベタ付きにしすぎているのが気になった。また、松王丸が連れてる捕手ツメ、声がでかい(※ツメ人形自身が返事するところのこと)。いままでで最大のデカ声だった。

 

蛇足ながら、「寺入り」の床〈豊竹芳穂太夫/鶴澤清𠀋〉。喋り方そのものを意識しすぎなのか、逆によくわからなくなっている箇所が散見されたのが気になった。菅秀才の喋り方が平坦すぎて聞きづらい。ヨシホさんには以前にも貴人役で似たようなことがあった。ただ二日目にはやや直ったので研究中なのだろう。戸浪と千代が二人とも裕福な武家の奥様のように聞こえるのは改善を望む。人の目を気にせず、頑張って欲しい。

 

  • 義太夫
    寺入りの段
    豊竹芳穂太夫/鶴澤清𠀋
    寺子屋の段
    前=竹本錣太夫/鶴澤藤蔵
    切=豊竹咲太夫/鶴澤燕三
  • 人形役割
    菅秀才=吉田玉征(前半)桐竹勘昇(後半)、よだれくり=吉田玉彦(前半)桐竹勘介(後半)、女房戸浪=吉田一輔、女房千代=吉田勘彌、小太郎=吉田玉峻、下男三助=吉田簑之、武部源蔵=吉田和生、春藤玄蕃=吉田文哉(前半)桐竹紋秀(後半)、松王丸=吉田玉男、御台所=桐竹紋吉(前半)吉田玉誉(後半)

 

 

 

またかよ!みたいな演目2本セットだけど、寺子屋の床の面白さで、存分に楽しめた。やはり舞台は実際に行ってみるまでわからない。演目としての“いかにも”ぶりが期待される「寺子屋」で、当て込みより個々の出演者のこだわりを反映した舞台になったのは嬉しいことだ。若手中堅の起用もあり、舞台全体としては周辺部にややバラけた印象ではあったが、日程を経てどうなっていくか、何度も足を運びたいと思わせる公演だった。

 

 

 

文楽劇場のサイトに、研修生募集プロモーションの一環として、玉路さんのインタビューが掲載されていた。
入門10年なのかな? かなりしっかりしてるなと思っていたけど、意外と芸歴短い。客席からの見え方に十分な注意をして足を遣える人だと思う。それは今後大役の左、主遣いになっても活きてくるだろう。
「この世界…周りはいろんな人がいますよ」が実感こもっていそうで、良かった。あとは師匠を、頼むッッッッ!!!!!!!!!

 

 

 

御堂筋線なんば駅なんばウォーク側改札に文楽劇場の広告が出稿していた。淀屋橋にも、光秀と阿古屋の写真をあしらった大きなホーム広告が出ていた。
文楽って、一般的にイメージされている、いわゆる「江戸時代」、いわゆる「和風」とはまた異なる文化だと思う。それこそが文楽の最大の魅力だと思うが、どうしたらこれをアピールすることができるのだろうかと考える。

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